デンマークのスマートシティ1

“コロナ worldmeter”というブログをアップしています。約100年ぶりのパンデミックとして世界中に広がった新型コロナ(COVID-19)の感染状況を約2年8ヵ月に渡って記録をつけていました。「worldmeter」はその情報源です。

そして、そのレビューを書こうと思って気づいたのが、デンマークの圧倒的な情報管理力です。日本に比べれるとはるかに小さな国ではありますが、これは、よほどITが進んでいるのだろうと思いました。「一体どんなことをしているのだろうか?」と思い、見つけた本が今回の『デンマークのスマートシティ データを活用した人間中心の都市づくりでした。

また、偶然ですが、背中を後押しするようなこともありました。それは『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯という本の中に書かれた、チボリ(Tivoli Gardens)というデンマークの首都、コペンハーゲンにある1843年に設立された歴史的な公園(遊園地)です。

画像出展:「北欧フィーカ

 

ウォルト・ディズニーは“未来都市”(EPCOT:Experimental Prototype Community of Tomorrow)”という将来構想を創造し、世界中をまわって数多くの公園を視察しましたが、最も強く感銘を受けたのがこのチボリ公園でした。もしかしたら、1966年に他界したウォルト・ディズニーが描いていた“未来都市(EPCOT)”とは、デンマークのスマートシティのようなものだったのかも知れません。

そして、デンマークを調べていて大変驚いたことがありました。それは2023年の世界経済競争力ランキング(World Economic Competitiveness Ranking)第1位がデンマークだったということです。ちなみ日本は35位です。なお、世界経済競争力ランキングについては以下のサイトをご覧ください。

日本の競争力は「過去最低」の世界35位。「世界競争力ランキング2023」衝撃の結果

著者:中島健祐

発行:2019年12月

出版:学芸出版社

デンマーク、そして首都コペンハーゲンの都市開発は圧巻です。まさに“未来都市”のようです。

また、一つの国をここまで真剣に理解しようとしたのは初めてだったので、とても新鮮で貴重は時間となりました。お伝えしたいと思うことは山盛りで、ブログを5つに分けました。

ご参考)著者である中島先生のプレゼンテーション資料を見つけました。20枚に凝縮された内容で、全体像をご理解頂くことができます。

デジタル先進国デンマークで展開される人間中心主義のスマートシティと社会実装

はじめに

1章 格差が少ない社会のデザイン

1.格差を生まない北欧型社会システム

2.税金が高くても満足度の高い社会を実現

3.共生と共創の精神

4.課題解決力を伸ばす教育

5.働きやすい環境

6.格差がないからこそ起こること

2章 サステイナブルな都市デザイン

1.2050年に再生可能エネルギー100%の社会を実現

2.サーキュラーエコノミー(循環型経済)の推進

3.世界有数の自転車都市

4.複合的な価値を生むパブリックデザイン

3章 市民がつくるオープンガバナンス

1.市民が積極的に政治に参加する北欧型民主主義

2.市民生活に溶け込む電子政府

3.高度なサービスを実現するオープンガバメント

4.サムソン島の住民によるガバナンス

4章 クリエイティブ産業のエコシステム

1.デンマーク企業の特徴

2.世界で活躍するクリエイティブなグローバル企業

3.デジタル成長戦略と連携して進展するIT産業

4.スタートアップ企業と支援体制

5.新北欧料理とノマノミクス

5章 デンマークのスマートシティ

1.デンマークのスマートシティの特徴

2.コペンハーゲンのスマートシティ

3.オーフスのスマートシティ

4.オーデンセのスマートシティ

6章 イノベーションを創出するフレームワーク

1.オープンイノベーションが進展する背景

2.トリプルヘリックス(次世代型産官学連携)

3.IPD(知的公共需要)

4.社会課題を解決するイノベーションラボ

5.イノベーションにおけるデザインの戦略的利用

6.社会システムを変えるデザイン

7章 デンマーク×日本でつくる新しい社会システム

1.日本から学んでいたデンマーク

2.デンマークと連携する日本の自治体

3.北欧型システムをローカライズする

4.新たな社会システムの構築

おわりに

1.格差を生まない北欧型社会システム

フラットな社会

デンマークの社内はオープンフラットである。デンマークで暮らしていて学歴、所属組織の社会的地位、保有している国家資格などが問われることはまずない。大切なのは、個人としてどのような考えを持ち、価値を提供できるかということである。

・年齢も関係ない。デンマーク語には日本語の敬語や丁寧語に相当する言葉もあまりない。

・自分が疑問に思ったことは相手が大臣や大手企業の社長であっても、気兼ねなく質問して議論を交わすのが普通である。

・『ある日本の大手企業の現地社長も、似たような経験を語ってくれた。彼は日本企業で長く勤務した後、デンマークの会社の社長となり、多くの従業員を雇用していたが、どの従業員も彼に友達感覚で接してくるそうだ。朝、工場労働者と会うと、背中をバンと叩かれ、ファーストネームで呼ばれながら「元気にやっているかい?」と言われ、企業文化の違いに戸惑ったらしい。日本では常に役員室にいて、外出の際は黒塗りの専用車で送迎され、いつもお付きの社員がサポートする体制で仕事をしていたため、デンマークのフラットすぎる社会に馴染むのが大変だったようだ。』

デンマーク社会を支えた哲学

・デンマークの社会制度は1890年代から120年以上かけて試行錯誤しながらつくられた。

・社会保障制度をつくる基礎となったデンマーク人の精神性、価値観は、デンマークの歴史が深く関わっている。

デンマーク人の価値観に大きな影響を与えたのは、デンマークの近代精神および教育の父と呼ばれ、現在も運営されている「フォルケホイスコーレ」(国民高等学校、全寮制の教育機関)の理念を提唱した牧師であり詩人、哲学者であったニコライ・F・S・グルントヴィ(1783-1872)である。

・グルントヴィの理念は、現在のデンマーク社会に次のような影響を与えている。

国民すべてが平等な生活を送ることに価値をおく=格差の少ない北欧型社会システム

知識ではなく対話を重視=コンセンサス型社会システム

死の学校から生のための学校=知識から知恵や問題解決能力を習得する教育

・1890年からの社会福祉政策は計画的ではなく、少しずつ進められた。デンマークではドイツ型の賃金労働者だけを対象にするのではなく農民も含めたすべての国民を対象とした社会保障制度を目指すことになった。そして、特に社会的弱者である病人、障がい者、十分な教育を受けられなかった人々も対象とした。

・20世紀になると、様々な改革が行われ、1933年には社会制度改革が実施された。

・当時の社会大臣は福祉事業の主流であった失業対策、自助努力、救済事業に対し、市民の社会的権利である福祉原則を提示し、市民の最低保証生活水準を保障することは国家の義務であるとした。デンマークの福祉国家としての普遍的理念はこれにより確立された。

・1960年代以降、日本と同様に高度経済成長期を迎え、労働者不足の問題が女性の社会進出を後押しした。その結果、これまで家庭で行われてきた育児、高齢者の介護が難しくなり、より充実した社会福祉が発展することになった。

・社会福祉の発展においても、その根底にはニコライ・F・S・グルントヴィの思想が育んだデンマーク人の精神性、価値観があった。

女性の社会進出

・デンマークにおける女性の社会進出は、前述の通り、1960年代の経済成長による労働力不足が深く関係している。

・1965年に設立された社会制度改革委員会では、女性や障がい者が柔軟に職に就けるような制度改革を行い、出産休暇、職場に復帰する権利、保育所の整備などが行われ、女性が働きながら子育てを行える社会的環境が整備された。その結果、1980年代以降、女性の就業率は70%を超えている。ただし、エネルギー産業、製造業、鉱業などはまだ男性が中心である。その一方で、企業の主要幹部には多くの女性が登用されており、女性の大臣も珍しくはない。

※この「女性の社会進出」に書かれていることは、少子化や育児・子育ての問題がやっと注目されてきた、ここ数年の日本に似ていると思いました。もし、デンマークがここに書かれている対策を実施していたとすれば、少子化について、日本ほどには問題になっていないのではないかと思われます。

そこで、探してみると“人口ピラミッド”の動画が同条件でアップされていました。これは「世界人口推計2019年版」(国連)に基づき、1950年から2100年までの人口の推移を動画にしたもので、大変興味深いものです。そして、その対照的な結果に、驚きを通り越して恐怖すら感じます。

デンマーク王国の人口ピラミッド(1950-2100) / 単位(Unit): 千人 / 2019年推計” (Youtube)

日本の人口ピラミッド(1950-2100) / 単位(Unit): 千人 / 2019年推計” (Youtube)

医師と患者が対等に治療に当たるデジタルヘルス

・デンマークの医療制度は社会保障制度を代表するサービスであり、医療費は税金で賄われ、原則無料となっている。

・デンマークの医療システム(ヘルスケアシステム)は世界的にもトップレベルで、特に医療格差がない国としても知られている。しかし、高齢化による医療労働者の不足が深刻化している。

・政府は対策として、デジタル技術を利用すること(デジタルヘルス)で、効率化による資源の最適化を模索している。

・デンマークでは1968年に導入されたCPRナンバー(国民識別番号)に加え、電子政府の基盤でもある医療ポータル(sundhed.dk)の普及がデジタルヘルスを後押ししている。

sundhed.dkにアクセスすると、自分の医療情報、例えば、過去の治療情報、入通院履歴、投薬情報などを確認でき、それをかかりつけ医や病院の医師とも共有できる。

この医療システムの重要なところは、デジタル化により効率性と利便性を実現しているだけではなく、医療従事者と患者の関係を対等にするというコンセプトが含まれていることである。デンマークではこれを市民と患者のエンパワーメント(権限付与)と表現している。

・デジタルヘルスには、医師と協働するために必要な知識の習得を支援するという側面もある。

高齢者福祉の三原則

・高齢者福祉も社会保障国家としての柱である。

高齢者福祉の三原則によりサービスに一貫性がある。三原則は1982年に設定された。

・三原則は、①継続性の原則②自己決定の原則③残存能力の活用、である。

継続性の原則とは、可能な限り、健康な時のスタイルを維持し、基本は自宅で暮らし続けるようにすることである。このため、やむおえず福祉施設に入居する場合でも、自宅で使っていた家具などを持ち込むことができる。

自己決定の原則は、たとえ介護が必要な状態になっても、自分の人生に関することは自分で決定することである。それを家族や介護スタッフは尊重しなければならない。これはデンマーク人の自立とも関係しており、大原則の一つである。

残存能力の活用は、体が不自由になったとしても、まだ健常な機能がある場合は、補助器具などを利用して自力で対応することである。

・この三原則は、サービスを提供する行政サイドにとっても、無駄な支出をしないサービスの水準を維持するために重要なものとなっている。

・デンマークの国民年金制度は共生の理念に基づいた所得の再分配システムが機能しており、高額所得者や資産家は年金が減額される。しかし、不満を持つものはあまりいない。資産があり、自活できる高齢者は自力で対応し、余力のない高齢者により多く分配することで、老後でも貧富の差を最小化しようとの考えが根底にある。

障がい者福祉

・デンマークの障がい福祉制度は現在の形になるまで150年以上かかっている。また、現在の制度は1959年の知的障がい者福祉法の制定が関係している。

・『障がい者が一般市民と同じように働き生活することには厳しさも伴う。たとえば、以前ある自治体でITシステム構築を担当する、下半身が不自由なソフトウェア開発者と知りあった。彼は車椅子を利用し、自力で車を運転して職場まで通勤していた。ところが1年後、財政削減の関係で彼は解雇されてしまっていた。このようにデンマークでは、ノーマライゼーションとは差別をなくし、障がいがある人も、障がいがない人と同じように生活できることを保障する一方で、知的障がい者でない限り、一般人と同じ条件で処遇させることを意味している。

ヤンテの掟とフラットな社会

・デンマークの人は謙虚な姿勢をもつ人が多い。世代にもよるし、一概には言えないが「ヤンテの掟」が影響しているかもしれない。「ヤンテの掟」とは成功者に対しての戒めである。これは1933年に作家のアクセル・サンダムーサが書いた小説の中に出てくる架空の村の10カ条の掟である。

※ご参考:“【ヤンテの掟】北欧社会の平等性に通じる、デンマークの小説を元にした戒律

2.税金が高くても満足度の高い社会を実現

高福祉社会を支える税負担

・国民の対GDPに対する税負担率を見ると、デンマークは第3位(2019年)と高い。また消費税も25%と高い。しかし、多くのデンマーク人は高額な税金を納得して収めている。その理由は、政治を信頼し、自分たちが収めている税金が正しく使われており、国の発展や不幸な人たちの支援に当てられることは義務であると、国民に認識されているからである。

国民は税金を徴収されているというより、信頼関係に基づいた投資であると考えていることも大きな理由である。投資なので、将来の生活に還元されると確信している。

・デンマークの民主主義の水準は高く、政治におけるクリーン度は高い。世界180カ国を対象にした腐敗認識指数2022年で、デンマークは1位(日本は18位)である。つまり、国民が選挙で選んだ議員を信頼しており、議員が汚職などに手を染めることは極めて少ないので、安心して税金の再分配を任せているということである。なお、こうした政治に信頼を置く国民性は教育制度にも関係している。

”税金が高い国ランキング発表 日本は世界で2番目”

世界で最も税金が高い国はどこでしょうか。

海外ニュースサイトに掲載された高税率国ランキングが話題を呼んでいます。同サイトは独自に調査した世界各国の法人税、給与税、個人所得税、消費税を基準にランキングを作成し、公表。日本は2位に位置付けられました。

このサイトによると、デンマークと日本の各税の税率は以下のようになっています。北欧諸国と言えば、「福祉は充実しているが税金が非常に高い」というイメージでしたが、国レベルでは「違うようだ」と思いました。

消費税で公平性を担保しつつ、障がい者や高齢者などには徹底した福祉・公共サービスといった、セーフティーネットを充実させて支援していくという仕組みのように思います。

注)この記事がいつ書かれたものか分かりませんが、日本の税率については、それぞれ右側に分かる範囲で追記しておきました。デンマークで給与税が低いのは、一生懸命働いて得た対価に税金をかけたくないということなのでしょうか。

情報が古いため、日本のランクについては疑問がありますが、消費税だけでなく国レベルで税金を考えるべきだと思いました。(少ない多い

【デンマーク】

法人税23.5%

個人税46.03〜61.03%

給与税8%

消費税25%

【日本】

法人税38.01%(平成30年度:法人実効税率 29.74%)

個人税15〜50%(令和5年度:5~55%)

給与税25.63%(5~45%)

消費税8%(10%)

公共サービス

市民が高い税金の負担に納得していることは、実際に提供されるサービスを見れば理解できる。

◇妊娠と出産

・デンマークでは特に出産や子育てのサービスにかなり力を入れている。

資源が少ないデンマークでは人材が一番重要であり、次の100年を支える人を育てることは社会の義務であるとの考えが浸透している。

出産までの医師、助産婦による相談、検診はすべて無料である。ただし、デンマークでは出産は病気とは扱われないので、初産は1泊の入院だが、経験のある妊婦は数時間で退院する。

◇育児

・デンマークでは出産後32週間の育休を終えると職場に戻るのが一般的である。そのため、子供のための保育サービスを利用することになる。6カ月~3歳児までは乳幼児託児所や保育ママ(家庭内保育)を利用する。

・保育ママは市から認定された保育士が各家庭で4~5人の子供を預かる制度で、自治体にとっては保育施設の新設や維持費用がかからないこと、また子供の両親にとっても家庭的な雰囲気の中で保育してもらえるため、デンマークでは主流となっている。

保育ママは職業としても成立するだけの収入体系となっている。例えば5人の子供を預かった場合、保護者からの利用料と自治体からの助成金を合わせて年収600万円くらいになるとされ、保育ママのなり手が不足することはない。

3歳~6歳の子供は保育園に預ける。デンマークでは自治体が希望する子供をすべて保育園に入園させる義務がある。コペンハーゲンなどの都心では順番待ちの保育園もあるが、施設さえ選ばなければ確実に入園させることができる。

保育料は自治体により異なるが、一般的に保育料の約30%を保護者が負担する。しかし、保護者の年収が低い場合は保護者の負担が実質ゼロになり、高い高額所得者は保育料を全額負担しなくてはならない。

・デンマークでは年収が低くても、高額所得者とまったく同じ育児サービスを受けられるようになっており、格差を少なくする社会のしくみは人生のスタート時から保障されている。

◇学校教育

・格差がないという点で世界に誇るシステムになっている。

教育は初頭/中等学校教育(1~10年)、高等学校教育、大学教育、大学院教育と、授業料は公立の場合はすべて無料となっている。

憲法に、教育義務の年齢にある子供は公立学校で教育を無料で受けることができる権利を有していると記されている。

・障がい者に対する特別支援教育も充実している。しかし、特別支援学校は設置数が限られているので、通学の問題が発生する。これに対し、自治体は自家用車の利用にかかる燃料費やタクシーの利用料金を支援する体制がとられている。

大学では勉強に集中するために奨学支援金10万円程度が毎月支給される(学生のおかれた条件や物価により変動する)。加えて低金利のローンを活用することで、家庭の経済力と関係なく大学教育を受けることができる。

・デンマークの大学は入学するより卒業する方がはるかに大変で、一般的に大学生は週に50時間程度は勉強すると言われている。

経済的な理由で勉学の道が閉ざされることなく、経済格差が教育格差を生まないしくみが構築されている。

変形性膝関節症と人工関節2

編集:小俣孝一

初版発行:2020年7月

出版:文響社

目次は”変形性膝関節症と人工関節1”を参照ください。

第2章 症状についての疑問14

Q25.変形性膝関節症を発症したかどうか見分けられる初期症状はありますか?

・変形性膝関節症の初期はほぼ痛みはない。最初に察知できる自覚症状は、膝のこわばりや違和感である。

・この状態がしばらく続くと、やがて立ったり、歩いたり、座ったりしたときに一時的な痛みが現われる。

・人によっては膝関節の滑膜の炎症が起こり、強烈な痛みに襲われ日常生活に支障をきたすこともある。

第3章 診察・検査・診断についての疑問12

Q44.血液検査が行われるのは、どのようなケースですか?

・変形性膝関節症の場合、血液検査を行う必要はない。ただし、関節リウマチや化膿性関節炎、痛風などが疑われる場合は血液検査によってその可能性を確認できる。ここでの検査値は「CRP」(C反応性たんぱく)である。CRP(基準値は0.3㎎以下)は体内に炎症が起こったり、組織の一部が破壊されたりした場合に生じるたんぱく質の一種である。

関節リウマチではMMP-3、痛風では尿酸値も重要な検査である。

第4章 保存療法① 薬物療法・注射療法についての疑問16

Q50.世界では、変形性膝関節症の治療方針はどうなっていますか?

変形性膝関節症の治療の主役が鎮痛薬と注射療法なのは日本だけ。この理由は治療費がかさむ上に、一時的な改善効果しか期待できないためである。日本では健康保険制度によって治療費を大半は国が支払うため、安易に薬や注射が選択されている。

・OARSI(国際関節症学会)では、「薬を用いない治療を中心にして、薬の治療は補助的に用いる」ことが第一に推奨されている。運動・減量、サポーター、足底板の使用、患部の加温、冷却といった薬を用いない治療を十分に試したうえで、耐え難い痛みがある場合のみ薬物療法や注射療法が行われている。

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

Q54.NSAIDsを飲みつづけると胃腸障害などの副作用を引き起こすというのは本当?

・NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)は酵素の一種であるCOXの働きを阻害して鎮痛作用を得る薬である。COXには炎症を引き起こすCOX2の他に、細胞の代謝に関わるCOX1があるが、NSAIDsは、COX1、COX2の両方の働きを阻害する。COX1が働くなることで問題なのは、細胞の代謝が悪くなって胃腸や腎臓、肝臓、造血機能を担う骨髄が衰えることである。これにより、消化性潰瘍、腎不全、肝硬変、骨髄抑制(白血球の減少)が起こる危険が大きくなる。

・『私(順天堂大学医学部 整形外科学 黒澤 尚 特任教授)が医学生だったとき、NSAIDsを毎日服用し、その副作用で胃に穴があいて急死した先輩がいました。以来、私は「薬の副作用は怖い」と肝に銘じています。みなさんもNSAIDsの連用や長期服用は、くれぐれも控えてください。

Q61.ヒアルロン酸注射を医師からすすめられました。受けるべきですか?

ヒアルロン酸注射の効果は一時的であり、ヒアルロン酸注射をくり返し受けると、膝関節が弱くなって変形が促進されるため、注射を繰り返し受けるのは避けるべきである。

Q63.ひざに水がたまり腫れています。水は抜いたほうがいいのですか?

・関節水腫(膝に水がたまる)の原因は滑膜の炎症である。従って、膝の炎症が治まらない限り、水抜きで余分な関節液を抜き取っても、すぐにまた水がたまる。注射は痛みを伴い、細菌感染の危険もあることから水抜きは行わない方が良い。

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

第5章 保存療法② 運動療法についての疑問10

Q65.運動療法で本当によくなるのですか?

・変形性膝関節症の治療では「運動療法」が主流になりつつある。これは痛みの軽減と病気の進行の抑制が期待できるためである。

人工膝関節置換術の効果を検証した研究では、手術によって痛みが改善した人の割合は83%であり、一方、運動療法で改善した人の割合は69%であった。この研究結果をみても、まず、手軽にできる運動療法を行うべきである。

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

Q69.ひざへの負担が軽く高齢者でもできる運動療法はありますか?

・世界の膝痛治療においてスタンダードな運動療法は約40前に考案された「ひざラク体操」である。

「ひざラク体操」のポイントは、上げる側の膝を伸ばすこと、足の上げ下げの動作をできるだけゆっくり行うことである。この体操により、大腿四頭筋、腸腰筋、腹筋などの筋肉が強化され、膝が丈夫になる。


Q73.手術をすすめられるほど進行していても運動療法は行うべきですか?

・『最近は、人工膝関節置換術を実施する前に、運動療法をすすめる病院が増えています。というのも、運動療法をやれば重症の患者さんでも、安静時の痛みが和らいだり、ひざ関節の可動域が広がったり、杖を使わずに歩けるようになったりして、30~40%の割合で手術を回避できるようになるからです。

第6章 保存療法③ 装具療法や温熱方法についての疑問10

Q77.O脚の矯正には足底板がいいと聞きましたが?

・「足底板」はO脚になった変形を直すことはできないが、膝にかかる荷重が変わり痛みが緩和できる可能性はある。ただし、重症の場合は期待できない。

Q78.ひざのサポーターは使ったほうがいいのですか?

・サポーターの効果は保温である。膝を温めることで関節内の組織の新陳代謝を促し、炎症を鎮める効果が期待できる。また、「膝が守られている」という安心感が得られるのも利点である。

Q82.鍼灸治療は効果がありますか?

・『変形性膝関節症には、鍼灸治療がある程度効くと考えられています。』

・『最近は、鍼灸治療を取り入れている整形外科も増えています。興味ある人は、主治医に相談してみるといいでしょう。』

第7章 手術についての疑問23

Q87.変形性膝関節症のどれくらいの人が、手術を受けていますか?

・変形性膝関節症の患者さんは約3,000万人であるが、手術を受けているのは全体の1%未満である。

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

Q89.手術待ち患者の半数が自力ケアで手術回避できたと聞きました。どんな方法ですか?

・手術を希望する患者さんに対し、まず、三つの自力ケアを必ずやってもらうようにしている。この自力ケアを実行した患者さんは、痛みが10~20%程改善され、他の病院で手術を勧められた患者さんの半数以上が手術を回避している。

1)減量

2)O脚を正す歩き方

踵から着地して、足の小指を浮かせるように親指に体重をかけて歩く。こうすると膝の内側に重心がかかり、O脚が矯正される。

3)太ももの筋肉強化

-「足指握り」

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

Q98.半月板を切除する関節鏡手術を医師からすすめられたら、受けるべきですか?

・スポーツなどの激しい運動が原因で、半月板が割れたり、避けたりした場合は手術で対応することが一般的であるが、加齢による半月板変性断裂は老化現象の一種なので特に問題ない。温存した方が膝の機能維持には望ましい。安易に半月板切除を行うと、膝関節の変形を早め、痛みが悪化することが多いからである。

Q100.人工膝関節置換術とは、どのような手術ですか?

・末期の変形性膝関節症には最適な方法である。

・インプラント(人工関節)はクロム・コバルト合金やポリエチレンでできている。

・大腿骨と脛骨の接合部分にインプラントを装着する。

・全置換手術の手順

1)全身麻酔をかける。

2)膝をかんぜんに消毒し、切開して膝関節を露出する。

3)大腿骨と脛骨の変形した部分を取り除いて整形する。

4)仮のインプラントで膝の曲げ伸ばしや靭帯の張り具合を確認する。

5)本番のインプラントを骨に設置する。

6)傷口を縫い合わせて閉じる。

Q102.人工膝関節置換術を受ければ、ひざの曲げ伸ばしが自在にできるようになりますか?

・『人工膝関節置換術を受けると、ひざ痛は完全に消失し、歩行能力も回復します。しかし、ひざ関節を人工関節に入れ替えるため、ひざの柔軟な曲げ伸ばしが困難になり、ひざの可動域は大幅に制限されます。

ですから、残念ながら手術後は通常、床にしゃがんだり、正座をしたりすることはできません。治療成績としては、手術後にひざが100度以上曲がれば合格点。これは、無理なくイスに座れる角度です。手術後にどれだけひざが曲がるようになるかは個人差があり、中には60度程度までしか曲がらない人もいます。ひざがこの程度までしか曲がらないと、イスに座ったときに両足を前に突き出すような姿勢になり、電車やバスの座席を利用しづらくなります。

こうしたひざの曲がりの制限は、インプラントの性能ではなく、むしろ患者さんが手術前にひざをどれだけ動かせたかに比例します。そのため、手術前にひざ関節の変形が進んでいた人ほど、ひざの曲がりは悪くなります。

Q103.人工膝関節置換術には術後の回復が早い術式があると聞きました。どんな手術ですか?

・近年は、変形がひどい部分だけをインプラントに入れ替える「単顆片側置換術」が広く行われている。この片側置換術なら7センチ程度の皮膚切開で行えるため、骨を削る量や出血が少なく、患者さんの体力的な負担はかなり軽減され、入院期間、リハビリ期間も短くなる。

片側置換術は、軟骨のすり減りがひざ関節の内側・外側どちらかに限定している人、日常生活の活動性が低い人、体重が軽い人、高齢の人などに適している。

注意点としては、手術をしなかった側に変形が生じすいこと、全置換術に比べてインプラントの耐用年数がやや短く、再手術が必要になる可能性が比較的高いこと等がある。

Q105.手術は1度行えば、再手術が必要になるようなことはありませんか?

変形性膝関節症の手術は再手術の可能性はある。

・人工膝関節置換術の場合、術後に歯槽膿漏(歯周病の病態が最も進んだ状態)、胆のう炎や膀胱炎などが生じ、何らかの原因で体力消耗や免疫力が低下すると細菌が血管の中に入り、インプラントに付着すると感染症をきたす。こうなると再手術が必要になる。

インプラントの劣化など人工関節の耐用年数の問題から再手術が必要になる可能性がある。ただし、近年では、人工関節の材質の改良や、手術手技の向上によりインプラントの耐用年数は延びており、劣化による再手術の可能性は低くなっている。

第8章 日常生活とセルフケアについての疑問21

Q121.ウォーキングは1日1万歩を目標に行えばいいのですか?

・1日10,000歩は健康な人の場合であり、中高年では8,000歩が妥当とされている。更に変形性膝関節症の人は、膝関節症の軟骨の損耗を防ぐするため、1日6,000歩程度に抑えた方が良い。なお、これは家の中で歩いた分も含めた歩数である。

Q122.最もいいウォーキングの方法を教えてください

・変形性膝関節症の人にとって重要なことは、「痛くない距離を痛くないペースで歩くこと」である。

・慣れてきたら徐々に歩く距離をのばす。そして、自分なりの10分コース、30分コース、60分コースを考え、体調に合わせてコースを選択する。坂道や階段のない平地が望ましい。

Q125.水分不足はひざ痛を悪化させると聞きました。水分はどのように補給すべきですか?

・水分不足は関節液の量に影響する。関節液は膝の動きを滑らかにし、軟骨に水分や栄養を運ぶ。従って、水分不足は膝の軟骨の弾力性を奪い、クッション機能を低下させ膝痛の悪化につながる。水分は喉の渇きを感じる前に摂るように心がける。水分の量の目安は1日当たり約2リットルである。

なお、心疾患、腎疾患、糖尿病の人は水分摂取量を主治医に相談する必要がある。

Q128.プロテオグリカンは日常の自力ケアで増やせると聞きました。どんな方法ですか?

・プロテオグリカンは、水分やコラーゲンとともに、膝の関節軟骨を構成する成分の一つである。プロテオグリカンは、水分を引きつけて内部に蓄え、クッション機能を生み出す重要な役割を担っている。しかし、老化や閉経によりプロテオグリカンが不足し、膝の軟骨がすり減りやすくなる。また、プロテオグリカンは、肥満や膝をかばいすぎる生活で減少する。

プロテオグリカンを増やす方法に「ソフト屈伸」がある。膝の曲げ伸ばしによりプロテオグリカンの新陳代謝が促進される。また、関節軟骨が関節液を吸い取るスポンジ機能もアップして、軟骨細胞が活性化しプロテオグリカンは多く作り出される。

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

第9章 関節リウマチなど他の病気が原因のひざ痛についての疑問9

Q135.ひざ関節に骨の破片が挟まる関節ネズミが疑われています。どんな治療が行われますか?

・関節ネズミは軟骨や骨の一部が剥がれ、その破片が関節内をまるでネズミのように動き回る状態で、正式には関節遊離体という。

・主な症状は、膝の痛みと動きの制限である。遊離体が関節に引っかかったり、大腿骨と脛骨の間に挟まったりすると激痛が走り、膝が突然、動かなくなることがあり、歩くことはもちろん、膝の曲げ伸ばしもできない。膝が腫れて水(関節液)がたまることもある。診断はX線やMRIなどの画像検査で確認できる。

・手術は関節鏡視下手術や関節切開手術を行うのが一般的である。

感想

今回の1番の収穫は、軟骨は軟骨に負担のかからない運動を行うことで、再生が期待できるということです。

軟骨には血管が入り込んでいないため、通常の組織のように血液を通じて酸素や栄養は補給されません。しかし、関節にかかる圧の変化によって関節液を吸収し、必要な酸素と栄養を補給することが可能です。関節液を繰り返し吸収・排出することで新陳代謝が活発になり、軟骨は強化されます。

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

こちらが、「軟骨に負担のかからない運動」です。

変形性膝関節症と人工関節1

左膝前十字靭帯断裂は大学3年生の時でした。すぐに手術はせず、手術したのは13年後でした。その間、テーピングをしてサッカーは続けていたのですが、ついに半月板を損傷し歩行困難となったため、横浜港湾病院で靭帯の再建手術と半月板の部分切除の手術を受けました。今はボールを蹴ることはなくなり、完全に観戦のみとなっています。

膝の権威、高澤晴夫先生が外科部長だった港湾病院は、今はありません。

整形外科病棟はスポーツ選手だらけで、とても入院患者の集まりとは思えませんでした。

画像は、「HOKUの日記」さまより拝借しました。

損傷後から43年、手術から30年が経ち、特に大きな問題はなかったのですが、2年程前から時々ネズミ(遊離軟骨)がみられるようになりました(不思議なことに、この1年はほぼ症状は出ていません?)。

大学の友人の中には、同じように手術をうけ、そして既に人工関節にしたものもいます。私は元々O脚ですので、変形性膝関節症(膝OA)になる可能性は高いだろうと思います。人工関節についても他人事ではないと思っています。また、変形性膝関節症は高齢で膝痛があり、特にO脚の方は同じような懸念をもたれていると思います。

今回の勉強の目的はこの2つ、変形性膝関節症人工関節になります。

編集:小俣孝一

初版発行:2020年7月

出版:文響社

ブログで取り上げているのは、目次の黒字の個所です。

目次

はじめに

第1章 病気についての疑問22

Q1.変形性膝関節症とはどういう病気ですか?

Q2.ひざ関節はなぜ変形してしまうのですか?

Q3.ひざ関節が変形すると、ひざ痛が起こるのはなぜですか?

Q4.変形性膝関節症はどのように進行していく病気ですか?

Q5.変形性膝関節症の人が年々増えつづけているのはなぜですか?

Q6.変形性膝関節症を発症しやすいのは、どんな人ですか?

Q7.変形性膝関節症は高齢者だけでなく、若い人にも起こりますか?

Q8.変形性膝関節症の進行を予防する方法はありますか?

Q9.体重が1キロ増えると、ひざ関節への負担はどれくらい増えますか?

Q10.変形性膝関節症が女性に多いのはなぜですか?

Q11.仕事やスポーツ歴は、変形性膝関節症に影響しますか?

Q12.ストレスや睡眠不足は、変形性膝関節症に影響しますか?

Q13.喫煙や飲酒は、変形性膝関節症に影響しますか?

Q14.若いころ、ひざに負った外傷は変形性膝関節症に影響しますか?

Q15.変形性膝関節症は親から子へと遺伝しますか?

Q16.変形性膝関節症は自然に治ることはありますか?

Q17.ひざが痛むときは家でじっとしているべきですか?

Q18.発症原因の「ひざ軟骨のすり減り」はなぜ進むのですか?

Q19.ひざ軟骨で最初にすり減りやすいのは、ひざのどのあたりですか?

Q20.ひざ軟骨のすり減りを早めてしまう日常生活の盲点はありますか?

Q21.すり減ったひざ軟骨は、もとの状態に戻ることはあるのですか?

Q22.変形性膝関節症のほかにも、ひざ痛の原因になる病気はありますか?

第2章 症状についての疑問14

Q23.変形性膝関節症の症状は、病気の進行に伴ってどのように変化しますか?

Q24.ひざ痛はたまに起こるのですが、すぐに消えます。変形性膝関節症ですか?

Q25.変形性膝関節症を発症したかどうか見分けられる初期症状はありますか?

Q26.変形性膝関節症の中期と診断されたのに、痛みは軽くなりました。気のせいですか?

Q27.変形性膝関節症は末期まで進むと、自力で歩けなくなってしまいますか?

Q28.変形性膝関節症の症状が急激に悪化することはありますか?

Q29.気温や湿度の変化は変形性膝関節症に影響しますか?

Q30.ひざに水がたまってしまうのはなぜですか?

Q31.ひざの水は、変形性膝関節症以外の病気でもたまりますか?

Q32.急に激痛が走り、ひざが動かなくなります。これも変形性膝関節症ですか?

Q33.安静時に突然、ひざ関節の内側が激しく痛みだしました。重い変形性膝関節症ですか?

Q34.両ひざの痛みが安静時にも治まらず、発熱もあります。変形性膝関節症と違うのでは?

Q35.両ひざが赤く腫れ激しく痛みます。尿酸値は低いので痛風ではなく、変形性膝関節症?

Q36.高齢のせいか、手指や手首に加え両ひざも痛みだしました。変形性膝関節症ですか?

第3章 診察・検査・診断についての疑問12

Q37.変形性膝関節症が疑われたら、どの診療科を受診すればいいのですか?

Q38.初診から大きい病院を受診すべきですか?

Q39.変形性膝関節症の診療は、どのような流れで行われますか?

Q40.最初の問診・視診・触診などの検査で、どのようなことがわかりますか?

Q41.X線やMRIなどの画像検査で、どのようなことがわかりますか?

Q42.X線検査だけで下された変形性膝関節症との診断は、信用できますか?

Q43.画像検査は必ず受けなければならないのですか?

Q44.血液検査が行われるのは、どのようなケースですか?

Q45.関節液検査が行われるのは、どのようなケースですか?

Q46.診察のあと、医師に必ず確認すべきことは?

Q47.診断の結果、医師から手術をすすめられたら必ず受けるべきですか?

Q48.初診だけでいい医師・よくない医師は見分けられますか?

第4章 保存療法① 薬物療法・注射療法についての疑問16

Q49.変形性膝関節症では、一般的にどんな保存療法を行いますか?

Q50.世界では、変形性膝関節症の治療方針はどうなっていますか?

Q51.変形性膝関節症の治療では、どのような薬が処方されますか?

Q52.飲み薬で最も多く使われるNSAIDsは、変形性膝関節症にどう作用しますか?

Q53.NSAIDsを飲んでも痛みが治まりません。量を増やしてもらうべきですか?

Q54.NSAIDsを飲みつづけると胃腸障害などの副作用を引き起こすというのは本当?

Q55.重大な副作用をもたらすNSAIDsが処方されるのはなぜですか?

Q56.漢方薬なら安全? 変形性膝関節症に効く漢方薬を教えてください。

Q57.塗り薬や湿布薬は変形性膝関節症にどう作用しますか?

Q58.坐薬は変形性膝関節症にどう作用しますか?

Q59.塗り薬や湿布薬は、NSAIDsをと比べてどれくらい安全ですか?

Q60.市販の湿布薬を使うなら、どんなものを選ぶべきですか?

Q61.ヒアルロン酸注射を医師からすすめられました。受けるべきですか?

Q62.ヒアルロン酸注射をくり返した結果、手術に至った人がいるというのは本当ですか?

Q63.ひざに水がたまり腫れています。水は抜いたほうがいいのですか?

Q64.ひざの水抜き治療で感染症にかかる人がいるというのは本当ですか?

第5章 保存療法② 運動療法についての疑問10

Q65.運動療法で本当によくなるのですか?

Q66.運動療法が不向きな人はいますか?

Q67.高齢者でも運動療法は効果がありますか?

Q68.運動療法は主治医から1度もすすめられないのですが、行ってもいい?

Q69.ひざへの負担が軽く高齢者でもできる運動療法はありますか?

Q70.ひざの可動域を広げるのに適した運動療法はありますか?

Q71.肥満とひざ痛を一挙に解決できる運動療法はありますか?

Q72.ひざ痛が起こらなくなったら、運動療法はやめてもいいのですか?

Q73.手術をすすめられるほど進行していても運動療法は行うべきですか?

Q74.手術後、運動療法は行うべきですか?

第6章 保存療法③ 装具療法や温熱方法についての疑問10

Q75.O脚の矯正のためにブレースを医師からすすめられました。受けるべきですか?

Q76.ブレースを装着した結果、すり傷で悩む人が多いというのは本当ですか?

Q77.O脚の矯正には足底板がいいと聞きましたが?

Q78.ひざのサポーターは使ったほうがいいのですか?

Q79.温熱療法は効果がありますか?

Q80.温熱療法を行う病院が減ったのはなぜですか?

Q81.整体やカイロプラクティックは効果がありますか?

Q82.鍼灸治療は効果がありますか?

Q83.病院でのリハビリを受けていれば、変形性膝関節症は治りますか?

Q84.リハビリで痛みが引いたら、どのようなことが次に必要ですか?

第7章 手術についての疑問23

Q85.どのような場合に手術を検討すべきですか?

Q86.受けていい手術・受けてはいけない手術があると聞きましたが、本当ですか?

Q87.変形性膝関節症のどれくらいの人が、手術を受けていますか?

Q88.今すぐ手術を受けてらくになりたいのですが、お願いすれば手術は受けられますか?

Q89.手術待ち患者の半数が自力ケアで手術回避できたと聞きました。どんな方法ですか?

Q90.手術を受ければ変形性膝関節症は完治しますか?

Q91.手術をすすめられましたが、セカンドオピニオンを活用すべきですか?

Q92.手術に熟練した医師を探す方法はありますか?

Q93.手術を受けるさい、事前に確認しておくべきことはありますか?

Q94.高位脛骨骨切り術とは、どのような手術ですか?

Q95.高位脛骨骨切り術を受けたほうがいいのは、どんな人ですか?

Q96.高位脛骨骨切り術には術後の回復が早い術式があると聞きました。どんな手術ですか?

Q97.関節鏡手術とは、どのような手術法ですか?

Q98.半月板を切除する関節鏡手術を医師からすすめられたら、受けるべきですか?

Q99.半月板手術で、ひざ痛がかえって悪化した人がいるというのは本当ですか?

Q100.人工膝関節置換術とは、どのような手術ですか?

Q101.現在50歳ですが、人工膝関節置換術を受けられますか?

Q102.人工膝関節置換術を受ければ、ひざの曲げ伸ばしが自在にできるようになりますか?

Q103.人工膝関節置換術には術後の回復が早い術式があると聞きました。どんな手術ですか?

Q104.人工膝関節置換術が適応外となるほど重症です。あきらめるほかありませんか?

Q105.手術は1度行えば、再手術が必要になるようなことはありませんか?

Q106.退院後はどのように過ごせばいいのですか?

Q107.手術後、どんな運動を行うといいのですか?

第8章 日常生活とセルフケアについての疑問21

Q108.ひざの痛みが強いときは、なるべく安静を心がけるべきですか?

Q109.ひざを動かすことは、どれくらいセルフケアで重要ですか?

Q110.イスやベッドの洋式生活はひざにやさしいので、極力すべて取り入れるできですか?

Q111.寝ながらひざを支える筋肉を強化できると聞きましたが、どんな方法ですか?

Q112.イスに座りながらひざ軟骨を回復できると聞きましたが、どんな方法ですか?

Q113.痛みが強いときは冷やすべき? それとも温めるべきですか?

Q114.イスから立ち上がるときにひざが痛みますが、防ぐ方法はありますか?

Q115.就寝時にひざへ大きな負担をかける姿勢があると聞きましたが、本当ですか?

Q116.ひざ痛のせいか、よく転倒をします。防ぐ方法はありますか?

Q117.外出時などの日常生活で、ひざへの負担が軽い歩き方はありますか?

Q118.階段をらくに上がり下りできる歩き方はありますか?

Q119.杖の使用を医師からすすめられました。選び方や使い方を教えてください。

Q120.重い物を持ち上げるとき、ひざへの負担を軽くする方法はありますか?

Q121.ウォーキングは1日1万歩を目標に行えばいいのですか?

Q122.最もいいウォーキングの方法を教えてください

Q123.ひざへの負担を減らすためのダイエットでは、運動・食事のどちらがより重要ですか?

Q124.ダイエットのための食事で、変形性膝関節症の人が気をつけるべきことはありますか?

Q125.水分不足はひざ痛を悪化させると聞きました。水分はどのように補給すべきですか?

Q126.精神的な不安やストレスもひざ痛の原因と聞きました。どう対処すべきですか?

Q127.ひざ軟骨のすり減りを加速するといわれるプロテオグリカン不足は予防できますか?

Q128.プロテオグリカンは日常の自力ケアで増やせると聞きました。どんな方法ですか?

第9章 関節リウマチなど他の病気が原因のひざ痛についての疑問9

Q129.関節リウマチによるひざ痛では、どのような治療を行いますか?

Q130.関節リウマチを改善に導く薬があると聞きました。くわしく教えてください

Q131.関節リウマチは運動で改善できますか?いい運動があれば教えてください

Q132.ひざを打撲して半月板損傷と診断されました。手術しないで治す方法はありますか?

Q133.突然ひざに力が入らなくなり靭帯断裂が疑われています。手術が必要ですか?

Q134.偽痛風によるひざ痛が疑われた場合の緊急対処法や治療法を教えてください

Q135.ひざ関節に骨の破片が挟まる関節ネズミが疑われています。どんな治療が行われますか?

Q136.化膿性関節炎と診断されると、どのような治療が行われますか?

Q137.大腿骨顆部骨壊死と診断されると、どのような治療が行われますか?

第1章 病気についての疑問22

Q3.ひざ関節が変形すると、ひざ痛が起こるのはなぜですか?

・軟骨がすり減って骨と骨が直接ぶつかって痛みが出ると思われがちだが、この場合は膝の動きが悪くなるが膝痛の原因とはならない。

変形性膝関節症による膝の痛みは、膝関節を覆う関節包の内側(滑膜)の炎症が原因と考えられる。これは加齢、肥満、運動不足等により膝関節の関節軟骨や半月板がすり減ったりすると、微細な摩耗紛が関節包に生じて滑膜を刺激する。この時、免疫反応により摩耗紛は異物とみなされる。この結果、滑膜の細胞から「炎症性サイトカイン」という生理活性物質が次々と分泌されて炎症が起こり、痛みが出現する。

・滑膜の炎症は痛みだけでなく関節水腫(いわゆる膝に水がたまる状態)の原因にもなる。これは、膝関節内で潤滑液の役割を担う関節液が過剰になることだが、この原因は炎症性サイトカインには血管を膨らませて浸透圧を高める作用があり、血液量の増加とともに血管から体液が浸潤して関節包にたまるためである。従って、膝にたまった水も滑膜の炎症を鎮めなければ根本的に解消しない。

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

Q8.変形性膝関節症の進行を予防する方法はありますか?

・変形性膝関節症の進行を抑えるポイントは2つある。

1)積極的に体を動かすこと

運動不足による足腰の筋力低下は変形性膝関節症の最たる原因である。まずは積極的に歩く機会を作ることが大切である。

2)肥満を防ぐこと

-体重の増加が膝関節への負担を増やすためである。過食や暴飲暴食をさけ、歩く機会を作ることが大切である。

Q18.発症原因の「ひざ軟骨のすり減り」はなぜ進むのですか?

・軟骨のすり減りが進む主な理由

1)軟骨の老化

2)膝関節をサポートする筋肉や靭帯の衰え

3)肥満による体重増加

Q20.ひざ軟骨のすり減りを早めてしまう日常生活の盲点はありますか?

1)食べ過ぎ

2)重い荷物を運ぶ

3)かかとの高い靴を履く

4)あまり出歩かない

Q21.すり減ったひざ軟骨は、もとの状態に戻ることはあるのですか?

以前はすり減った軟骨は元に戻らないと考えられてきたが、軟骨は軟骨に負担のかからない運動を行うことで再生が期待できることが分かった。

・軟骨には血管が入り込んでいないため、通常の組織のように血液を通じて酸素や栄養は補給されない。その代替策として軟骨は、関節にかかる圧の変化によって関節液を吸収し、必要な酸素と栄養を補給している。また、吸い込んだ関節液を排出するときに老廃物を排出している。このように関節液を繰り返し吸収・排出することで新陳代謝が活発になり、軟骨が強化され、膝関節の可動性は維持される。つまり、適した負荷で膝関節を動かすことが非常に重要ということである。

一方、膝痛を我慢してスクワットなどの筋トレは逆効果であり、決して行うべきではない。かえって悪化、促進させてしまう。

・軟骨のすり減りを抑えながら再生を促す運動療法

1)ひざ振り子

画像出展:「膝関節症 最高の治し方」

・足裏が床に着かない高さのイスに座る。

・足先を30~40度の角度に持ち上げ、その後、足の力を抜いて振り子のようにブラブラと動かす。

 ・1セット50~100回を毎日3セット行う。

・『私(大阪市立大学 大学院 山野慶樹名誉教授)は、当院でひざ振り子を指導した変形性膝関節症の患者さん94人の経過を確認しました。すると、毎日規則的にやった患者さんの77.7%は痛みが軽快しています。また、22.3%の人は痛みの軽減・現状維持で、症状が悪化した人は皆無でした。

特筆すべきは、ひざ振り子をやったことで、ひざ関節の軟骨が再生していた人が多いことです。中には、ひざ関節にできた骨棘(骨のトゲ)が小さくなり、関節の変形そのものが改善した人もいます。

ちなみに、ひざ振り子をやって現状維持と判断された患者さんは、強いO脚や肥満度が高いなど、悪い条件がそろっている人たちです。ただし、強いO脚でも、根気強くひざ振り子を続けたことで、ひざ痛が改善した人はいます。

軟骨のすり減りが気になる人は、ひざ振り子を試してみてください。

ファシアと生体電気2

著者:高木健太郎

発行:健友館

出版:1978年8月

目次は“からだの中の電気1”を参照ください。

 

 

第二章 良導点の秘密を探る

皮膚の電気抵抗

病気により変わる皮膚の抵抗

・『人間の表皮は外側の表皮と、その内側の真皮に分けられる。さらにその下には皮下組織[浅筋膜]がある。

皮膚の電気抵抗は非常に高く、乾燥している時は数メガオームもある。このように抵抗が高いのは主として表皮の一番外側の角化層のせいである。ここの細胞は平たく、ひからびていて、これが何層も重なっている。水分がほとんどないから、電気を通しにくいというわけである。それで、電極糊をつけたり、食塩水をつけて、細胞をふやかしたり、細胞の間に水分がしみ通っていくと、急に数キロオームにもなる。もっと抵抗を下げようと思えば、少し強く皮膚をこすってこの角化層をはいでやればよい。それでも数百オームはある。

皮膚の抵抗というのは、鍼灸ではおそらく中谷さん[中谷義雄先生]あたりが、ツボに一致してというよりも、初めはいろいろの身体疾患において皮膚の抵抗が変わっていくことを見出され、それに良導絡という名称が付けられてから、一般の注目を引き始めたものだと思う。中谷さん以外にも、石川教授[石川太刀雄先生]の皮電点というものあり、これも皮膚抵抗の変化である。この良導絡を調べていくと、だんだん経絡上の経穴と一致することがわかってきて、現在では、あまり良導絡と経絡との間の区別がないように私には考えられる。

 ※この高木先生のお考えは、「経絡(機械的)≒良導絡(電気的)≒ファシア」につながるものと思います。

ただし、経絡であっても、疾患によっては何の変化も見られない経穴もあるが、ある疾患の場合にはある経穴の電気抵抗が特に低いというようなことから、これが診断の手引きになり、経穴はよくわからなくとも、この抵抗の低い点にハリ、灸を施すことが治療に直結するということで、現在では非常に重宝がられているのは周知の通りである。そのために、現在、日本には良導絡医学会という学会までがあるわけだ。この方法によると、古典的な経絡をたどるというよりも、電気抵抗を探って、それにより治療点を捜し当てるということであるから、私達、生理学や医学を学んだ者にとって入りやすいということで、多くの医師が参加している。また、現実にそのような器械を医師が治療に使っている。

 日本鍼灸医学会の創始者である石川日出鶴丸先生は、私と同じく生理学者であり、始めにちょっと述べた金沢大学病理学教授の故・石川太刀雄先生も中谷義雄さんと同じく、皮膚の電気抵抗―正確には皮膚のインピーダンスといって、電気が流れようとするのをじゃましようとする要素のこと―を計られた。それが特異な皮膚の部位であり、かつ、経穴と非常に関係が深いことを発見して、この点を皮電点と名付けた。この良導絡点にしろ、皮電点にしろ、皮膚の電気抵抗が変化することと経穴との関係を調べたものと思われる。

『良導絡は日本の医師が考案した

自律神経を調整する鍼灸治療です』

こちらは中谷先生が一般の人向けに書かれた本です。

『針灸は、今から約二千年前―漢の時代の中国に生まれた医術で、“漢方”と呼ばれ、日本でも江戸時代までは、ずっと正統な医学として認められてきました。それが、明治維新後は、西洋医学だけが法律的に認知され、長い歴史と伝統を誇る漢方=東洋医学は禁止されてしまいました。

改革期にはつきものの行きすぎの一つですが、私は医学生の頃から、この矛盾に気づき、針灸に興味を持ち続けて、刺激整理学を勉強してきました。そして、京都大学生理学教室に入り、笹川久吾教授のもとで、私にとっての第一の疑問点だった経穴(ツボ)の本態と経絡の本態についての研究を続けたのです。

その結果、ツボとは電気が通りやすく、経絡は、そうした電気の流れやすい点が、一定の形に並んでいるものだということが、わかったわけなのです。

次いで私は、人体に刺激を与えると、なぜ効くのか、どんな作用があるのかを追及し、刺激の強弱と感受性の問題なども、季節別、性別、年齢別、その他あらゆる角度から理論的な裏づけをさぐってゆきました。

こうした私の研究は、良導点、良導絡ということばを生み出しましたが、これは東洋医学を基礎にして、科学的な方法で発見したツボと考えて頂いて頂ければいいでしょう。

私の場合は、この経絡型を皮膚の電気抵抗で発見しました。京大医学部の生理学教室で研究していたときのことです。相手は、腎臓炎で全身に浮腫のある患者でした。この患者の体中の電気抵抗を計っていたところ、針灸の古典に書いてある腎経の型とよく似た、電気の通りやすい筋を発見したのです。

そこで、私はそのほか、いろいろな内臓疾患についても調べてみました。古典では、経絡は大別して12種類(人体は左右対称なので、合計24本)あるとされていますが、それと同じような電気の通りやすい筋が、次々と見いだされ、裏づけられていったのです。

これを私は良導絡と名づけたわけです。ですから、良導絡は経絡だと解釈されても間違いではないでしょう。

ただ、話が前後するようですが、私の考えるツボは、必ずしも、古典に書かれているような経穴と同じではないのです。科学的に測定して、刺激を与えると反応しやすい点、電気の通りやすい点を、反応良導点とし、この良導点が分布している経絡状の、電気を導きやすいつながりを、良導絡としたわけです。

が、いずれにせよ、私は、自分なりの研究を通じて、経穴(ツボ)と経絡というものが、現実にあることを知ったわけで、次の課題は当然のことながら、これらが一体、医学的には何を意味するのか―といった説明です。

結論から申せば、ツボは、皮膚に分布している“交感神経の興奮している場所”なのです。逆にいえば、交感神経の興奮によって、ツボが生じるのです。従って、良導絡とは、こうした交感神経の興奮点を結ぶ一連の系統だと説明できます。』

『話はまたツボ療法に戻るわけですが、これは要するに“経穴、経絡(良導点、良導絡)と呼ぶ治療点を刺鍼して、自律神経を調整し、あらゆる疾患を治療方法”と定義できるようです。

昔から、針灸で病気を治すと再発しないといわれているのも、そのためなのです。いずれにせよ、すべての病気が、自律神経の失調を第一の原因として起こっているにも関わらず、近代西洋医学では、この研究がまだまだ進まず、神経の調整というものも、あまり行われていません。そこに、西洋医学の欠点があるのではないかと、私は考えているのです。』

阿是穴というのは、体表を押さえてみて「あ、ここだ!」の意味なのです。しかし、これら圧痛点は人によってあらわれる場所が異なり、必ずしもツボの位置とは一致しません。

ですから、いってみれば、人間の体全部がツボと考えられなくもなく、古典に書かれているような経穴にこだわるのが、全く無意味だということに、かえってこれで気づくはずです。

事実、私は、電気現象で調べてみて反応する場所、刺激を与えると効果のあるところをツボだと思っているのです。いいかえれば、ツボと呼ばれるのは、とくによく使われる治療点だと定義してもいいでしょう。』

『ツボとは、皮膚のうえから押さえてみて感ぜられる凹み―ですが、問題はそのどれが効果的な治療点かの判断です。

たしかに、人さし指でさわってゆきますと、体中のいたるところに凹みを感じるところがあります。筋肉と筋肉が交差したり、並んでいたりしてできた一種の境い目の部分ですが、同じような凹みは、筋肉と腱、筋肉と骨などの境界点にも見つけ出されます。

ところで、筋肉には筋膜という膜があり、そこにたくさんの神経が走っています。従って、筋肉それ自体でなく、筋膜を刺激するほうが、より効果的なのは言を待ちません。

『皮膚の表面にも治療点(ツボ)がありますが、そのずっと奥のほう、筋肉の深部に分布している神経を直接刺激する意味でのツボもあるのです。

例えば、腹部の胃や膵臓疾患の場合、中脘というツボを皮膚の表面でだけ刺激しても、もちろん効果はあります。しかし、針で筋肉の部分を刺激すれば、なおよく、より深く腹膜まで突けば、さらに大きな治療効果が得られるのです。』 

皮膚上のツボと刺激点の関係

・『私は前から非常に不思議に思っていることがある。それは、ハリを刺す場合に、確かに皮膚の上にある経穴を通してハリが刺されるのだが、刺して刺激している部分は、皮膚はもちろんであるが、その下の部分の皮下組織、筋膜、あるいは筋肉を刺激している方がはるかに多いと思われる。そうなると、刺激している点と、経穴という点との関係はいったいどうなっているのだろうか。私にはいまだに理解できない。』

インピーダンスを計る

腎臓の形に出る皮膚抵抗

・『脊椎の棘突起に沿って皮膚のインピーダンスを計ってみる。頸椎の5番から7番(C5~C7)、胸椎の1番から12番(T1~T12)、腰椎の1番から5番(L1~L5)、仙椎の1番から2番(S1~S2)の値をみると、正常では、インピーダンスはほとんど変わらない。それが普通なのである。これが病気になると、図中の、脊椎カリエスの21歳になる女性(K)では、胸椎の6番と12番のインピーダンスが下がっている。もう一例、16歳になる脊椎過敏症の人(I)では、胸椎の5番が下がり、脊椎破裂症の例(B)では、腰椎の2番を中心にインピーダンスが下がっているところがある。いずれも、脊椎あるいは脊髄に病気があると、その相当部分のインピーダンスが下がっている。これがただちに鍼灸の経穴と関係があるとはいえないのだが、この実験をした三田さんによれば、腎臓の悪い人では、その人の腎臓の上の皮膚に、腎臓の形をしたインピーダンスの変化が現われると発表している。

何か病気があると、それをおおっている皮膚上に、内部の病気に相応したインピーダンスの変化が現われる。とどうもいえそうである。しかし、経穴との関係はここではわからない。

結局、皮膚の抵抗というものには、純抵抗成分と容量成分とがあるので、測定する電圧の周波数によって変化し、また、顔、足の裏、肩、前腕、足の背など場所によっても変わる。私達の体には経穴すなわちツボとの関係はわからぬが、電気抵抗からみると、皮膚の部分によって抵抗が違っているということがわかると思う。』

画像出展:「からだの中の電気のはなし」

(K)、(I)、(B)のグラフです。

以下は、昭和35年1月27日に行われた座談会からのものです。参加者は昭和の重鎮の皆さんです。

この座談会の中で、岡部先生も中谷先生と同様なことをお話しされています。

『ツボとりは単に指先でちょっとさわるよりも、例えば、手の三里なら三里を取る場合に、手掌あるいは四指で軽く撫でてみる。そうして二、三回撫でてみますと、その中にある一点を見出す。その一点を今度はもっと強く押してみる。それが圧痛なり硬結が出てくる。これを一つのツボの本体として探り当てる。他と違った状態にツボは現れていると考えている。例えば、絡穴にしても、原穴にしても、よく触っていると、自分で触っても響くとか、あるいはキョロキョロのものが出てくる。あるいは陥下しているか、何か普通のところよりも違った感覚として指先に感じられるものがツボだと思う。その意味でツボは生きているとみている。ツボは経絡の変動とみている。

抵抗の漸減がツボを証明?

・『石川さんは、終末血管の分かれるところを特殊な部分だと考えている。これは、ある経穴の存在部位に相当している。経穴と思われる所の下をよく見ると、頸動脈体に相当するような、一種の動脈腺というのが存在していて、そういう所は特殊な性質を持っているというのである。この動脈の分岐部は平滑筋が非常によく発達していて、収縮しやすく、それが収縮すると、その血管の支配を受けている皮膚部分が、一種のネクロージス(壊死)に陥り、そして皮膚の抵抗が下がり、それが皮電点(石川さんのいうツボ)なのだと石川さんは説明している。

繰り返すが、動脈の血管が分岐点で収縮すると、先の方の血液循環が悪くなり、この部分だけが壊死に陥る。そうなると、この部分に液体の浸潤が起こり、ここの抵抗がほとんどなくなり、ここが皮電点に相当するのだ、というのである。そして、皮電点というのは、こういう皮膚下の血管の収縮に起因するというのが石川さんの説である。

中谷さんや良導絡派の人々の唱える毛根説というのがあることは前にも述べた。交感神経が内臓の疾患を反映して、皮膚の分極や抵抗が変わり、その点が経穴であるという説である。もう一つの考え方は、最近、私達の教室で行われたものからのヒントによる。ご存じの通り、汗をかくと電気抵抗が下がるが、25℃ぐらいの気温では、あまり汗をかかなくなる。しかし、皮膚抵抗が変化する。これはなぜだろうか。石川さんの説くように、皮膚の細胞の分極の変化であるとか、毛髪の部分に対する交感神経の働きしか考えられないような気がするわけである。ここで注意すべきことは、汗をかいていなければ、汗腺は働いていないのか、という問題である。汗を全然かいていない時には、エクリン腺は一見働いていないように見える。ところが、ピロカルピンという汗腺を刺激する薬を、皮膚の局所に注射してみると、汗腺の興奮が高まって、たくさんの汗が出てくる。その時の分泌の頻度は分泌神経興奮を示唆するが、汗をかいていない時も一定のリズムを有している。このことから、かなり低い温度でも、汗腺はいつも働いているものであることがわかる。さらに、汗を全然かいていないように見える時でも、両手や体のあらゆる個所の発汗のリズムは同じである。これは、中枢性には交感神経の興奮の命令が、末梢の汗腺に絶えずきていることを意味している。

言い換えると、私達の目には外観上見えなくとも、中枢神経から交感神経への興奮の刺激が絶えず送られてきていることを意味する。汗が見えないのは、汗腺から出ていないということも考えられるが、汗腺から分泌されていても、その途中の汗管から吸収されて、外にまで出てこないのだ、ということも考えられる。そうなると、何もむずかしい皮膚の分極のことを考えなくとも、汗腺の仕組みだけで、私達は交感神経が興奮した場合に皮膚の抵抗が下がる、という解釈ができるのではないかと考えられるわけである。

ハリ効果の可能性を探る

神経とその器官への効果

・『ハリが神経痛やその他の痛みに効くというのはハリ麻酔もあることだし、一応納得ができる。肩こりや腰の痛みで形態的な異常がない場合は、多くは筋緊張の異常によるものであろうから、これもハリによってその異常が矯正されるものだとして説明は可能である。だが、糖尿病にも効くとか胃潰瘍にもいいとかいわれると、ちょっとついていけなかった。しかし、そんなことがあるものかと一顧も与えないというのは、初めから知ろうとしないことであって、初めに述べた小林さんのいわれたように[小林秀雄:「科学者の合理的な考え方がすべてではなく、いまだ科学者には知られない広い自然現象がある。信ずることなくして深く知ることはできないのだ」]、良い態度とはいないのではないか。しかも、今まで述べたことから、何かしら、可能性があるらしく思えるのであるから、他はこれといって有効な治療法がない場合には試みてもいいことではあるし、本当はまず、これから基本的な研究を進めるべきであろうといえるのである。』

画像出展:「やさしい自律神経生理学」

上記に出てくる、糖尿病や胃潰瘍への効果は、左側の全身性反射である、体性-自律神経反射が関わっていると思います。

体性-自律神経反射について詳しく説明されているサイトを見つけました。

「皮膚の刺激」だけで「内臓の動き」が変化する…ついに科学が解明した「東洋医学の秘密」』 

第五章 体の調節機能

重力の影響

体液も内臓も姿勢で移動

・『まず、本を読んでみようかということでいすに座ってみたとする。いすに腰掛けた姿勢をとると、皆さんの体には1Gという重力が加わっていることになる。Gというのは体のあらゆる部分に加わっているのだが、例えば、体重が60キロの人ならばその60キロのGの大部分が腰掛けている両方の尻に加わっていることになる。もし、いすの背もたれに寄りかかれば、背中へも5キロなり10キロなりのGが加わり、両方の尻へは50キロぐらいしか加わらなくなる。もちろん、その場合、足は床においているから、足の両裏へも若干のGが加わっていることになる。

今度はいすではなく、畳やベッドの上に体を横たえる姿勢をとるとどうであろう。すると今度は、背中あるいはわき腹の方へGが加わるようになる。また真直ぐに立てば、両足の裏へ全体重が加わる。こうした姿勢の変化で、体の中の水分、例えば血液はどうなるかというと、大変な違いが出てくる。立っている場合、血液は下へ下がろうとするので、頭の中からも血液が出ていこうとするわけである。逆立すればそれとは反対に、足の方へは血液がなかなかいかず、頭の方へ血液がたまろうとする。これを、頚部に刺し込んだ血圧計で計ってみると、立った場合と逆立ちした場合の差がハッキリわかる。頭は心臓より上位にあり、その間を10センチぐらいとすると、水銀柱では立っている場合、マイナス10ミリとなり、逆立ちすればプラスマイナスで20ミリの違いが出てくる。それほど局所の血圧というのは、立ったり、逆立ちしたり、座ったり、寝たりすると変化するものなのである。血液以外の体内の水分としては、組織の中にリンパ液というのがある。これも、長いこと座ったままの姿勢でいたりすると、足の方へたまりがちになる。また、床に長く寝ていると、足の方よりむしろ手や上体のほうへたまり加減になることは、皆さんがしばし経験するところであろう。つまり、体の中で動きうる流体あるいは液体は、体の姿勢によって上へ行ったり下へ行ったり、あるいは右下へ動いたり、左下へ動いたりしているということである。

内臓はどうかというと、これも動く。立っていれば、内臓はいつも下の方へずり落ちるような形になっている。その中で、腎臓、膵臓、肝臓、脾臓はわりとしっかり固定されている。腸間膜が短いものだから、なかなか下へ落ちないようになっている。ところが、腸は下へズルズルと落ちる。そこで、年配のおなかの筋肉がゆるんできている人のおなかは、立っていると腸が下へズリ落ちるため、ダラッと下腹がふくれてくるわけである。こんなにおなかが出てきて、いやだなぁと思っていても、お風呂に入ってあらためて腹のあたりをながめてみると、案外平たくて、何となく安心した気持ちになれる。ところが、お風呂から出た途端、またも下腹がたれ下がっていてがっかりするものだが、これはそもそもおなかの筋肉がゆるんで、腸がズリ落ちているからなのである。

腸がずり落ちることは、立っている時下腹をふくらますだけでなく、腸間膜を引っぱることになる。腸間膜には神経がきているから、当然その神経を刺激することになる。体を横にしても同じことで、腸は横へずり落ちようとするから、腸間膜も横下へ引っぱられる。

腸のように内臓のなかでも動きうるものは、体の姿勢により体の中でブラブラ動いているわけだし、前述したように体の中の体液も動くということになると、私達の体の中にそれらを調節する何らかの機構がなければ、恐らく非常に大きな障害が重力によって引き起こされることになると思う。

例えば、寝ていた姿勢から急に立ち上がれば、血液はいっせいに下へ下がり、もうそれだけで脳貧血を起こすはずである。しかし、私達が平生そのような動作をしても、めったにめまいなどしないし、ましてや、脳貧血で倒れるということはない。ただ、疲れがたまってきた晩などに寝ていたところを急に起こされて立ち上がった時など、めまいが少しして、フラフラとするか、ヨタヨタッと倒れかかったりして、「あれっ、少しおかしいぞ」と、自分でも不安に思ったりすることがある。特に動脈硬化があって血液循環がうまくいっていない人では、急に立つとフラフラする。これを「立ちくらみ」といっている。元気な人ならば、こうした立ちくらみはほとんどない。なぜならば、血管にも神経がきていて私達が急に立ち上がることで、頭部の血液が下へ下がろうとすると、延髄の血管運動中枢から神経信号で足の方の血管が収縮し、足の方へは余分の血液が行かないようになる。ちょうど、足の方を何か(例えば加速度服)でしめつけている時のように、血液が容易に下がってこないようになっている。すなわち、血液が下がりそうになれば、それが下がらないように持ち上げてくれる仕組みになっているわけである。だから、普段あまりやりなれていない逆立ちをたまにやってみると、目が真っ赤になり、顔も真っ赤になりがちである。これは体の中のそうした仕組み(反射系統と調節系統)がうまく働かなかったからで、こうした仕組みがいつもうまく働くよう、逆立ちなどを練習してみるのも、そうした障害を起こりにくくするのにはいいことである。

また、長時間いすに腰掛けていると、足がむくんでくることがある。足先は心臓から1メートルぐらい離れているから水銀柱では100ミリとなり、胸の方からみた足先は、100ミリくらい静脈の血圧が高いことになる。静脈は足先では毛細血管という大変に細い管となって各組織に達しているわけだが、もしそれほど血圧が高ければ、血管から組織へどんどん水(体液)が流れ込んでいって、足はむくむのを通りこし、風船のようにふくれ上がってしまうはずである。ところが、私達の足はほとんどふくれることはない。一つには組織に水が入って組織圧が高まると、血管がおされて、水が出ないようになる。またそうした体液、つまり体の中の水分の野放図な移動を抑える仕組み(血管反射)があるからである。この仕組みも病気になるとうまく働かない。

感想

経絡(機械的)≒良導絡・皮電点(電気的・自律神経的)≒ファシア」、このようなことも言えるように思います。また、岡部素道先生もご指摘されているように、生きた経穴とは病によっていつもとは異なる様相となったものであり、それは機械的、電気的、自律神経的など、複数の影響が関係していると思います。これはファシアと呼ばれている膜が血管、神経、リンパ、受容体などを含むものであり、構造が階層的、立体的であるため、より複雑化させているように思われます。

人間は臓器を内部に抱えながら動いています。一方、重力は肉体を常に下へ下へと引っ張ります。以上のことからファシアは常に力の影響を受けており、色々な変化を生じる原因になります。

この機械的な刺激に加えて、電気的、自律神経的な作用も考えられ、その頻度や強さ、時間の長さによっては、経穴(ツボ)は病的なものに変化し、身体の異常を警告しているのかもしれません。

追記

個人的には経絡≒ファシアに関しては自信があります。しかし、その一方で「=」ではないということに対しても確信があります。では、「この差分は何なのか」これはまさしく超難問です。

「何から手をつければ良いのか」と考えてみると、思いついたのは「鍼灸で劇的、奇跡的に改善された」というエピソードがキーワードになるように思いました。

私は専門学校時代に、いろいろなセミナーに行っていました。その中には入江正先生が創始された入江FT(フィンガー・テスト)もありました。入江先生は1953年に九州大学理学部数学科を卒業し、その後2年間は京都大学大学院で統計数学を研究されました。1955年には薬局を開業しつつ、湯液(漢方)の研究を始められました。

入江先生が鍼灸の道に入ったのは、7年後の1972年でしたが、鍼灸の世界では著名な間中善雄博士に師事され、近畿大学医学部では有池教授らの協力を得て、新しい鍼灸治療法の技術開発に取り組み、その後、入江フィンガー・テストを開発するとともに、五行論の診断的価値を実験で証明されました。

埼玉県立図書館に入江先生の著書である、『臨床 東洋医学原論』が所蔵されていたので貸出をお願いしました。

この入江FTを10年以上続けている鍼灸師の友人がいます。先日、数年ぶりに会ったのですが、そこで自分自身の脳梗塞に対する懸念を突然指摘されました(「左側の脳に軽度のスティッキーな感じがあります」)。具体的に何か異変を感じているということではなかったのですが、2カ月程前に、突然、目がチカチカやや歪むような見え方をしました。この現象は数分でしたが、今まで全く経験のなかった事象だったので、翌日、眼科に行きました。これは右眼に気になる所見があったことも眼科を選択した理由です。

診断の結果は、閃輝暗点だろうとのことでした。閃輝暗点は片頭痛で多くみられる前駆症状ですが、頭痛はまったくなかったため、脳に問題がある可能性もあるとのお話でした。しかし、あわてて検査する状況ではなく、今度、起きたら考えましょうとのことになりました。

一方、友人の話では、非常に軽度なのでMRIでは見つからないのではないかとのことです。また、友人は入江FTに精通されたベテランの先生の助手として時々お手伝いをしているそうで、その先生の凄さを聞きました。既に半年先まで予約が埋まり、遠方から来ている患者や著名人もいるそうですが、それらの人の多くは、病院、整体、鍼灸などあらゆる所に行って、よくならなかった症状が1回で劇的に改善したことにより、その瞬間に先生のファンになってしまうとのことでした。脳や内臓の深刻な病気をお持ちの患者さまも数多く来院されているとの話です。

このようなやり取りがあり、また、以前から知っていた入江FTに縁を感じ、「“差分”の研究は、まず入江FTから始めてみるのが良いのでは?」と思いました。

ファシアと生体電気1

今回のブログは“生体電気”が主題なのですが、これは経絡を現代医学的な見地から理解しようとした場合に、重要な要素の一つだと思っているからです。そして、もう一つが“ファシア”です。このファシアについて、まずご説明させて頂きます。長い前置きですが、ご容赦ください。

当院では経絡を重視した、日本古来の鍼灸をベ-スに施術を行なっています。特に、代々木にある日本伝統医学研修センターで学んだことを実践しています。

一方、私は日本整形内科学研究会の准会員として、主にウェビナーで勉強させて頂いています。ここではファシアが大きなテ-マですが、ファシアとは一言で言うならば、"膜"です。つまり、筋肉や靭帯などだけでなく腹膜や腸間膜などの内臓、さらに心臓の心膜や腎臓の腎筋膜などの各臓器も覆っています。共通する主成分の中にはコラーゲンがありますが、同一ではなくそれぞれの目的に応じて適した成分、構造を有しています。  

画像出展:「人体の正常構造と機能」

上、左の図の黄色の部分が“膜(ファシア)”になります。右上から、胃結腸間膜横行結腸間膜大網(4枚の腹膜が癒着したもの)、腸間膜(小腸をつり下げる)、S状結腸間膜となっています。右の図は上が上行結腸の横断面で、下が横行結腸の矢状断面となっていますが、グレーの部分はすべて膜です。また、この図には書かれていませんが、体壁を覆う腹膜を壁側腹膜といい、臓器を包む膜を臓側腹膜といいます。以上のことから臓器をおおい、そして臓器間をつないでいることが分かります。また、これらの“膜”には血液を運ぶ血管とその血管の太さを調整することもできる末梢神経なども含まれています。このことは極めて重要です。

腹膜に関して丁寧に説明されているサイトを見つけました。ご紹介させて頂きます。

1.『腹膜とはどのようなものなのか知りたい』 “レバウェル看護”さま

画像出展:「人体の正常構造と機能」

こちらは心臓を包む心膜の図です。外側から順に、線維性心膜漿膜性心膜(壁側側)漿膜性心膜(臓側側)心内膜となって4層の膜で守られています。

 

画像出展:「徹底的解剖学 人体を構成する4つの組織

こちらの「人体を構成する4つの組織」の中では、ファシアは“結合組織”に分類されます。

 

 

コラーゲンと電気の関係は以下の「閃く経絡」という本の中に興味深い記述がありました。

『電気を発生させるという特性を持つのは、骨ではなくコラーゲンで、ファッシア内の他のコラーゲンも同じ種類である。ファッシアのコラーゲンは機械的ストレスの線に沿って存在し、伸ばされたり動いたりする度に小さな電気を発生させる。この電気を西洋医学の医師は完全に無視した。どの医師に尋ねてもおそらくぽかんとするだけだろう。それにしても、身体の組織を連結させ、全身を包み結合しているファッシアが実際のところ、相互接続している、生きた電気の網であることには全く驚かされる。これは、古代中国における経絡や氣の記述と非常によく似ている。

コラーゲンは電気を生むだけでなく、伝導の特性も持つ。つまり、半導体なのだ。言い換えるなら、完全に絶縁体・伝導体のようにふるまうわけではない。コンピュータに「知性」を与えるものと同じ特性と言える。』

このコラーゲンの電気的性質によって、身体のすべてのものが電気的になるということは実に面白い。すべての細胞表面には肺と同じくらい生命に不可欠となるポンプが存在する。このポンプは、2つのカリウムイオンを取り込むことと引き換えに、3つのナトリウムイオンを放出する。これによって細胞内は負の電荷を帯びる。結果として、細胞全体にわずかな電荷が生じる。この帯電なしでは、細胞は機能しない。ポンプが数分間止まっただけでこの電荷はなくなり、細胞は膨らみ、死んでしまう!電気は生命に必要不可欠である。』 

ファシアを考える時、もう一つ重要な鍵はファシアという“膜”は血管や神経、リンパ管などの生命のライフラインというべきものを含んでいるという点です。つまり、ファシアに働きかけるということは、これらの生命を支えるシステムに影響を及ぼすということです。 

画像出展:「人体の正常構造と機能」

真皮の下の皮下組織は浅筋膜と呼ばれており、図中では浅筋膜の中に動脈、静脈、神経、受容体が書かれています。また、この図には書かれていませんが、浅筋膜の下に深筋膜があります。ファシアは広範囲かつ複合的に広がっている結合組織であるといえます。

※リンパ管については下の図をご覧ください。

 

 

 

画像出展:「がん免疫療法コラム

細胞は組織液を通じて血管と物質のやりとりをしています。この組織液は動脈側の毛細血管から押し出された液体で間質リンパと呼びます。大部分は細胞に栄養などを供給するとともに老廃物を受け取った後、静脈側の毛細血管などに戻り心臓へと運ばれていきます。一部の組織液は毛細リンパ管に入り、これは管内リンパ液となります。

私は専門学校で、「経絡は内臓にも行っている」という教えを完全に信じることができませんでした。以下はウィキペディアに書かれた冒頭の部分です。

画像出展:「ウィキペディア

『経絡とは、古代中国の医学において、人体の中の気血栄衛(気や血や水などといった生きるために必要なもの、現代で言う代謝物質)の通り道として考え出されたものである。経は経脈を、絡は絡脈を表し、経脈の脈、絡脈の脈の意。』

イラストは正経十二脈の一つ、“足の陽明胃経”ですが、このような代表的な経脈は、「道」に例えれば「高速道路」のような、いわゆる重要な主要幹線に相当するのではないかと考えています。

※「気血栄衛の通り道血液[酸素/栄養素/生理活性物質]・神経・組織液[リンパ]を包み全身に存在する膜」を連想させます。 

 

 

経絡の経は縦、経絡の絡は横です。深さも考慮するならば経絡は3次元とも言え、立体である身体のあらゆる所に存在しています。私が経絡≒ファシアと考える1番の理由はここにあります。なお、=としていないのは、生まれも育ちも異なる両者にはそれぞれの歩みや独自性があり、=とするのは正確ではないと思うためです。

以上のことから、「現代版経絡はファシアではないか」ということなのですが、もう一つ注目しているのが"電気"です。

また、電気が気になるのは「思考のすごい力」という本の中で、ブルース・リプトン先生が語った以下の文章です。 

『東洋医学では、身体はエネルギーの経路(経絡)が複雑に列をなしたものと定義される。中国の鍼灸療法で用いられる人体の経絡図には、電気配線図にも似たエネルギーのネットワークが描かれている。中国医学の医師は、鍼などを用いて患者のエネルギー回路をテストするわけだが、これはまさに電気技師がプリント基板を「トラブルシュート」して電気的な「病変」を発見しようとするのと同じやり方だ。

 

"プリント基板(電気回路基板)"という発想は初めてでとても印象に残りました。

画像出展:Denjiha Clinic

 

 

心電図も筋電図もまさに電気ですが、中枢神経、末梢神経から電気を連想することはなかなかできません。本件に関しては、看護roo!というサイトの「興奮の発生と伝導|生体機能の統御(1)」に詳しくかつ分かりやすい解説がされていました。

ポイントは、次のようなものです。

脳から手足に向かう神経(遠心性)も、手足から脳に向かう神経(求心性)も、電気的な【伝導】化学的な【伝達】の共同作業で行われています。電気が関係するのは伝導ですが、流れは、[刺激]-[受容器]-[興奮]→活動電位となります。特に活動電位は細胞膜とイオンチャネルが重要です。

この活動電位に対する意識が低いことが、電気を軽視している原因ではないかと思いました。

画像出展:「看護roo! 興奮の発生と伝導|生体機能の統御(1)

細胞膜に発生する電位を膜電位といい、細胞が興奮していないとき(静止状態)の膜電位を静止電位といいます。

 

 

 

そして、(鍼・電気)で検索したところ興味深い資料が見つかりました。

今回、取り上げた、『からだの中の電気のはなし』は、「鍼治療に関する電気現象について」の参考文献の中に紹介されていました。

著者の高木健太郎先生は汗の研究、体温調節研究の世界的権威で、鍼灸にも精通されています。

専門学校の生理学の授業では、お爺さん先生に「高木先生を知らないのか!」と一喝されました。

今回の本はアマゾンでは39,260円だったため、あきらめかけていたのですが、「日本の古本屋」というサイトを覗いたところ、8,500円で販売されていたため少し迷いましたが購入しました。

著者:高木健太郎

発行:健友館

出版:1978年8月

 

 

ブログに取り上げたのは、目次の黒字個所になります。

第一章 生物電気

生体の電気現象

●電気はなぜ起こるのか

●生物電気の発見

細胞膜の電気生理

●なまずと人間

●水溶液中の塩の解離

●半透膜の巧妙な働き

●細胞膜の能動輸送

神経から神経へ

●シナプス伝導

●神経細胞を興奮はどう伝わるか

脳の電気現象

●興奮すると脳波も変わる

●脳波の種類

●壁にも電気がある?

●黙って座ればピタリ

●タヌキ寝入り

●いねむり発見ブザーめがね

心臓の電気現象

●心臓の働き

●拍動で体の電位も変わる

磁場の影響

●磁場に生体作用があるか

静電気と生体

●赤血球を電場におくと

第二章 良導点の秘密を探る

皮膚の電気抵抗

●病気により変わる皮膚の抵抗

●皮膚上のツボと刺激点の関係

●毛孔は電気抵抗が低い

インピーダンスを計る

●大部分の抵抗は角質層に

●子供は低く、老人は高い抵抗

●腎臓の形に出る皮膚抵抗

●金属とは異なる皮膚の抵抗

●繰り返し通電で抵抗が漸減

●抵抗の漸減がツボを証明?

第三章 ハリはなぜ効くのか

ハリ灸への誘い

●基礎医学からみたハリ灸

ハリ効果の可能性を探る

●ハリ麻酔の西洋医学的解明

●神経とその器官への効果

●中国のハリ麻酔を見て

ハリ・きゅう五話

●反対側に汗をかく

●鼻血と鼻詰まり

●こりと痛み

●耳のツボ

●むくみのツボ

第四章 生理学とその周辺

筋肉の疲れ

●疲労の回復に効果あるもの

心臓の働き

●心臓の刺激伝導系の存在

●心臓を冷やす

呼吸を考える

●呼吸のリズムの発生メカニズム

●低圧下の呼吸

●運動時激しくなる呼吸

皮膚圧の意外な作用

●奇妙な発汗

●生体の遠隔測定

ハリ麻酔

●ニクソン訪中で関心が広がる

環境生理学

●巧妙な反応システム

第五章 体の調節機能

重力の影響

●重力で地球に引きつけられる

●体液も内臓も姿勢で移動

●鼻の孔の通り具合

●発汗も姿勢で変化

●動物催眠―カエルの背中をはさむ

機能のバランス

●調節機能の主役

生理学的枕考

●枕は不用か

第六章 健康―その考え方

高まる健康への関心

●長寿への願望

●健康とは何か

健康㊙作戦

●健康を保つには

●いろいろな健康法

●頭を使って気を遣うな

●食事と運動

第一章 生物電気

細胞膜の電気生理

細胞膜の能動輸送

細胞の傷ついた部分と健全な部分との間には電位差がある。通常は健全部分が正で、負傷部分は負である。

・細胞の内部と外部の各点はすべて等電位であるから、結局、この負傷部分は細胞膜の両面に電位差が存在することを意味している。

能動輸送の輸送力の源泉はATPで、これが分解するエネルギーである。

・膜電位は膜の内外のイオンの濃度分布とイオンの膜透過性によって説明できる。

外から与える電位変動を電気刺激といい、これによって起こる膜の自発的電位変化を活動電位という。この発生の原因はNa⁺に対する膜の透過性が刺激によって、急に、一過性に高まったためである。

ウォルト・ディズニー3

著者:ボブ・トマス

訳:玉置悦子/能登路雅子

発行:初版1983年1月

出版:講談社

目次は”ウォルト・ディズニー1”を参照ください。

5.ディズニーランドとは

『ディズニーランドは、いまやウォルトにとって是が非でも達成しなければならない使命感となっていた。それは、音や色を伴うアニメーション映画、長編漫画、そのほか彼がいままで新しく開発してきた数々の事業よりも、さらに大きな目標であった。

このパークは、僕にとってとても重要な意味をもっている。これは永遠に完成することのないもの、常に発展させ、プラス・アルファを加えつづけていけるもの、要するに生き物なんだ。生きて呼吸しているもんだから、常に変化が必要だ。映画なら、仕上げてテクニカラー社に渡せばそれで終わり。「白雪姫」は僕にとってすでに過去のものだ。ちょうど2、3週間前にも一本、映画の撮影を終えたんだが、あれはもうあれでおしまいなんだ。僕はいまさら、何も変更できない。気に入らない箇所があっても、もう、うすることもできない。だから僕は、生きているもの、つまり成長する何かが欲しいと思ったこのパークがまさにそれなんだ。何か足していけるだけじゃなく、木でさえもだんだん大きくなる。年ごとにパークはより美しくなっていく。それに、大衆が何を求めているのかについての僕の理解が深まるにつれて、パークももっとすばらしいものになる。こういうことは映画じゃできない。作ったらそれでおしまい。お客さんが気に入ってくれるかどうかもまだわからない状態なのに、もう手を入れることが許されないんだから 』

6.未来都市(EPCOT) 

EPCOTはアトラクションですが、ウォルト・ディズニーが描いたEPCOTは違っていました。まさに実験的な(Experimental)原型(Prototype)としての都市(Community)の(of)未来(Tomorrow)像でした。

『WEDの技術力が円熟味を増すにしたがい、第二のディズニーランドを作ることに否定的だったウォルトの気持ちもしだいに変わっていった。テーマパークの焼き直し以上のことをやってみる絶好の時期が来ていると感じた彼は、もう一つのディズニーランドを建てて、それを、より大きな目標を達成するための刺激剤にしようと決心したのである。すなわち、新しいタイプの都市を計画、建設し、清潔で美しく活気に満ちたコミュニティーでの人間生活を実現してみよう、という構想であった。

『報道陣から、このフロリダ・プロジェクトで雇用される従業員のためのモデル都市について、質問が出された。ウォルトは、ここではじめて未来都市の構想を公にすることになった。

「そうですね、モデル都市というか、まあ、未来の都市という名で呼んでもいいのですが、これに乗りだしたいと思ったのは、私は建築家がよく建てたがる超高層ビルみたいなものは好きではないからです。誰もがいまでも、人間らしく住みたいと願っているでしょう。そのためにやれそうなことはたくさんあります。私は別に車に反対ってわけではないのですが、都市の中に自動車が入りすぎていると思うんです。だから、車はあっても、人間が本来の歩行者に戻れるような設計をすればいい。私は、ぜひ、そういうプロジェクトに取り組んでみたい。それから、学校や公共施設、町の娯楽と生活のあり方なんかにしてもですね、未来の学校を建ててみたいと思っています。……これは、現代という教育の時代の実験的事業になるかもしれませんよ―アメリカからさらに世界に広がっていく規模のね。今日、もっともむずかしい問題は教育だ、と私は考えていますから

ウォルトはフロリダ・プロジェクトの企画委員会をWEDに設置し、自らそのメンバーの一人となった。同じく委員となったのは、ウォルトのアイディアを具体的な形にする貴重なこつを知っていたジョー・ポッターとマービン・デービスである。そして、この三人だけがプロジェクトの計画がしまってある部屋の鍵を持つことになった。

企画の過程を通じて、ウォルトはプロジェクトの全体的な構想と未来都市の設計に心血を注ぎ、テーマパークのほうには、あまり注意を向けなかった。

『ウォルトは未来都市の建設にとりつかれた。彼は科学が生んだ最新の成果を可能なかぎり全部取り入れたいと考え、ジョー・ポッターに指示した。

「各企業が未来について、どんなことを考えているのか知りたいんだ。科学研究所とかシンクタンクではいま、何をやっているのかを調べてくれ。彼らのノウハウを僕らの企画に生かすんだ」

そこで、500社にのぼる企業にアンケート用紙が送られ、ポッター以下、何名かのスタッフが数か月をかけて100あまりの工場や研究所、財団などを訪問した。ウォルトはまた、都市計画について手当たりしだい読みあさった。

エコノミックス・リサーチ・アソシエイツ社に依頼した14件の調査のうち、一件はさまざまなモデル都市に関するものであった。それには、計画的に作られた都市というものは紀元前1900年ごろからすでに存在しており、ピラミッドを建設する労働者のためにエジプトに作られたのが始まりであると書かれてあった。また、アメリカで1960年代半ばまでにできた125の新しい都市のうち、その計画が成功したのはほんのわずかであり、たいていの場合、古くからの都市が犯した過ちの繰り返しか、あるいはそれをさらに悪化させたものに終わってしまった。と報告されていた。ウォルトは、戦争直後のイギリスで実施された“ニュータウン”のプログラムに感心したが、できあがった実際の都市は、単調でぱっとしないものになってしまったようであった。だが、ウォルトは落胆しなかった。質の高い環境を計画的に作ることにより、現代社会の中でも人間らしい生活をすることは可能であると、持ち前の楽天主義で信じていたのである。

また、いくつかの大企業がモデル都市を作ろうと試みて失敗した例にも、ウォルトは意気をくじかれることはなかった。なかには、十か所のモデル都市の建設を目指して、企画調査に一億ドルを投じた企業もあったが、その計画は水の泡となってしまっていた。時代遅れの建築基準、保護主義的な労働組合、建材業者の高い請負料、それに近視眼的な政治家など、もろもろの障害に阻まれて、斬新な変革を実現することができなかったのである。

政治家というものに対し、これまでずっと不信感を抱いてきたウォルトは、政府の干渉なしにモデル都市を開発するという、いままでに例のない自由が欲しかった。ドン・テータムが、ウォルトの望んでいるのは“実験的な専制君主制”であると言ったところ、ウォルトは片方の眉をつり上げて、いたずらっぽくきき返した。

「できると思うかね」

「無理ですよ」

テータムはあっさり答えた。

ウォルト・ディズニーの未来都市には名前が必要だった。ある日、WEDのスタッフと昼食をとっていた彼は、しばらく思いにふけっていたが、突然口を開いた。

僕らが狙っているのは、実験的な(Experimental)原型(Prototype)としての都市(Community)の(of)未来(Tomorrow)像だよな。これの頭文字をとったらどうなる?E-P-C-O-T。そうだ、この名前でいこう、EPCOTだ」。』

7.全世界が泣いた日

大人の目に浮かんだ涙もけっして小粒ではなかった。:メキシコシティー

ディズニーの真の価値を物語るものは、彼が獲得した数々のアカデミー賞よりむしろ、老いも若きもがこぞって発したあの歓声の声である:デュセルドルフ

『ウィルとの死は、ディズニーの組織に属する者全員にとって大きな打撃であった。スタジオ、WED、ディズニーランド、フロリダの建設現場、各国に散らばるブエナ・ビスタ社の事務所―。その中にはウォルトと三十年も一緒に仕事をしてきた者もいれば、新来のスタッフもいた。が、ウォルトの頭脳を会社の指針として頼ってきたことでは、誰しも同じであった。そしていま、彼が定めた目標めざして手綱をとる任務は兄、ロイ・ディズニーの双肩にかかることになったのである。

ウォルトの葬儀は彼の遺言に従って、ごく内輪にひっそりと行われた。彼が亡くなった日の翌日、遺体は荼毘に付され、グレンデールのフォレストローン・メモリアルパークでの簡単な埋葬式に立ち会ったのは、わずかに身内の者だけであった。家族は弔問者による献花を断り、代わりに香典はカリフォルニア芸術大学への献金に差し向けてくれるよう依頼した。』  

「CalArts は、私が緑豊かな牧草地に移るときに残したい一番の目的です。将来の才能を伸ばす場所を提供する手助けができれば、何かを達成できたと思います。」—ウォルト・ディズニー

 

8.生涯のパートナー、ロイ・ディズニー

『1950年代も終わりに近づくころには、ディズニーの企業は大躍進を遂げていた。ウォルトが管轄する領域はディズニーランド、テレビのレギュラー番組、劇映画、長編、短編のアニメーション映画、《自然と冒険》シリーズの記録映画とそれから派生した《民族と自然》シリーズのフィルム、楽譜出版、レコード、書籍、雑誌、ディズニーのキャラクター商品、などに広がっていた。会社の繁栄について、ウォルトはある記者にこう話している。

「僕とロイにはお守りの天使がついているに違いないって思うんですけどね。ディーン・マーティンとジュリー・ルイスみたいにけんか別れするなんて考えたこともなかった。もっとも、この天使さまがロイについているのか僕についているのか、二人ともそこのところがわからないんだけどね」

兄弟の仲が決裂するような可能性こそなかったものの、会社の事業がだんだん複雑化するにつれ、二人の関係には緊張がみられるようになった。ときにはそれが爆発することもあったが、火つけ役はたいてい、年も若く短気で芸術家肌のウォルトであり、仲直りの行動を最初に起こすのも、移り気な彼のほうであった。

ある激しい衝突のあと、ウォルトが誕生日のプレゼントを持ってロイの部屋を訪ねたことがあった。それは、インディアンが和平のしるしとして吸う平和のキセルであった。ロイはこの贈り物に大笑いし、不愉快な気分も一瞬にして吹き飛んでしまった。ウォルトはそのあとですぐ、ロイ宛に手紙を書いた。また、兄さんといっしょに平和のキセルをふかすのは、いい気持ちだったよ。のぼっていく煙がとてもきれいだった。

思うに、僕と兄さんは、何年もかかって何かをやり遂げてきたんだ―昔、千ドルすら貸してもらえないことがあったのに、なんでもいまじゃ、二千四百ドルも借金しているそうじゃないか。

いや、まじめな話、誕生日おめでとう。ずっと長生きしてほしい。僕は兄さんが好きだよ。

ディズニー帝国の建設に対するロイの貢献を、ウォルトが過少評価することはけっしてなかった。それどころか彼は、ロイの財務処理の能力とこの家族企業への献身に対し、機会をみつけては賛辞を送った。ロイが背負った重要な機能を果たすための能力ややる気は、ウォルト自身にはまったくなかったのである。』 

『1965年11月15日、オーランドのチェリープラザホテルで記者会見が開かれた。席上、バーンズ知事は、いかにも政治家らしい仰々しい表現で、ウォルト・ディズニーを、「フロリダ州にエンターテイメントの新世界と楽しさ、さらにまた経済的発展をもたらそうとする、1960年代の代表的人物」であると紹介した。そしてロイ・ディズニーに対しては、「ウォルト・ディズニー・プロダクションの天才的な財務管理者」と褒めたたえた。

「この事業は、いままで私たちが取り組んだ中で最大のものであります」

記者を前にしたウォルトは、こう口火を切った。

記者のみなさんのためにちょっとご説明しますと、私と兄はこれまで四十二年間、一緒に仕事をしてまいりました。私は小さいころ、何か突拍子もないことを思いつくと、よくこの兄貴のところに話にいったもんです。すると兄が私の考えを聞いてまともな方向づけをしてくれるか、あるいは兄にどうしても賛成してもらえないときは、そのまま私が一人で自分のアイアイディアを何年も暖めたあと、結局彼をなんとか味方にひっぱり込むかのどちらかでした。ま、そういうふうにして私たちは摩擦を起こしながらもやってきたんですが、そのおかげで我々の組織に必要だったちょうどいいバランスもとれたのだろうと思います。……しかしながら、このフロリダのプロジェクトについては兄を説得する必要はあまりなく、彼は最初から賛成してくれました。もっとも、そのことがはたして良かったのか悪かったのかは、これからわかることになるのでしょうが―」。』

画像出展:「ウォルト・ディズニー」

1932年、ミッキーマウスを生みだしたことにたいしてアカデミー特別賞が贈られました。

向かって右側がロイ・ディズニーです。

 

感想

ウォルト・ディズニーが願ったのは人々の笑顔だったと思います。漫画でも、映画でも、ディズニーランドでも笑顔があふれています。子供だけでなく大人もいっしょです。特に家族を大切にしたいという想いがあったように思います。

それは伝記の中にも出ています。

僕は、そのお客さんたちに笑顔を浮かべながらパークの門を出ていってもらいたいんだ。それだけは頭に入れておいてくれたまえ。設計者の君にこの僕が望むことは、たったそれだけなんだから

ウォルトはディズニーランドを生き物だと言っています。それは漫画も映画も作品が完成してしまうと、まさにThe End。そこに手を加えることはできません。

僕は、生きているもの、つまり成長する何かが欲しいと思った。このパークがまさにそれなんだ。何か足していけるだけじゃなく、木でさえもだんだん大きくなる。年ごとにパークはより美しくなっていく。それに、大衆が何を求めているのかについての僕の理解が深まるにつれて、パークももっとすばらしいものになる。

この、「パークは生き物」という考えは、ディズニーランドが今も多くの人を魅了している理由の一つだと思います。そして、もう一つはディズニーランド内で働く人達の“喜び”ではないかと思います。そこには確固たるディズニー愛があるように思います。ウォルトもパークの運営に直面した際、次のような言葉を残しています。

「まず言っとくが、これは遊園地じゃない。それに、僕らだってほかの人間と同じようにディズニーランドをうまく運営できる。要するに、やる気があって、エネルギッシュで、愛想がよくて、向上心のある従業員さえいればいい。もちろん失敗もするだろうけど、その失敗から学んでいけばいいんだ」。

ウォルトはディズニー家をとても大事にしました。兄のロイなくして今のディズニーは考えられません。妻のリリーも客観的な視点でウォルトを支えました。1938年には健康を害した母、フローラと父、イライアスのために温暖な南カリフォルニアに家を建てました。これはロイとウォルトからのプレゼントでしたが、すぐ近くにはロイと妻エドナ、そして孫のエドワードが住む家がありました。

この家族を大切にする気持ちが、家族全員を幸せにする空間、パークの生みの親だったのかもしれません。ウォルトが設立したラフォグラム・フィルム社の1922年を最初の年とするならば、2023年、1世紀を超えた現在も、ディズニーはアニメの世界でシネマの世界で、そして世界各国に展開されているディズニーランドによって家族はもちろん、多くの人々を幸せな気持ちにさせています。ウォルト・ディズニーは自分の夢と向き合い、その実現のために生き抜いた人だったと思いました。

画像出展:「The Art of Walt Disney」

最初の会社、ラフォグラム社でアニメ作成中のウォルト、1922年。

「創造力というものに値札はつけられないよ」

ウォルト・ディズニーが夢を実現できたのは、ここにあるような気がします。

ウォルト・ディズニー2

著者:ボブ・トマス

訳:玉置悦子/能登路雅子

発行:初版1983年1月

出版:講談社

目次は”ウォルト・ディズニー1”を参照ください。

2.作品の制作に大切なこと

『ウォルトはこの年、1934年、ディズニー美術教室の授業を昼間部にも拡大することにした。そして講師のグラハムをスタジオの正社員とし、週の三日は昼間部の指導、二日は夜間クラスで教鞭を取らせた。グラハムは、ウォルトとともに、“スウェットボックス(汗かき部屋)”に何時間も籠って、新人アニメーターのペンシル・スケッチを写した写真を検討したり、また週に二度、アーティストをグリフィスパークの動物園に連れていき、動物を写生させたりした。一方、夜間クラスは週五日開かれるようになり、アニメーションの技法、キャラクターの描き方、レイアウト、背景画法などのクラスに150名のスタッフが参加した。

1935年のはじめ、ウォルトの将来計画がだんだんと固まりつつあったときである。ウォルトは、アーティストを300名ぐらい集めてほしい、とグラハムに指示した。そこで、カリフォルニアからニューヨークに及ぶ地域の各新聞に求人広告が掲載され、応募者を次々と面接しては彼らが持参した作品に目を通した。

同年、ウォルトがグラハムに宛てて書いた洞察力あふれる長いメモには、それまで16年の経験から引きだされた彼のアニメーションに対する信条が、これまでになく明確に表れている。このメモの中で、ウォルトが優秀なアニメーターの資質としてあげた条件は、次のようなものであった。

一 デッサンがうまいこと

二 劇画化の方法、ものの動き、ものの特徴などをつかんでいること。

三 演技に対する目と知識をもっていること。

四 いいギャグを考えだすと同時に、それをうまく表現できる能力があること。

五 ストーリーの構成と観客の価値観について熟知していること。

六 自分の仕事に関する一連の機械的な部分や、細かい決まりきった作業をも、すべてよく理解していること。

そうすれば、こうしたささいな点で立ち往生することなく、アニメーター本来の能力を発揮できる。

さらに、アニメーション制作の技術にも科学的なアプローチが可能であると確信していたウォルトは、自分の見解をこう結論づけている。

まず第一に、漫画を描くということは、実際のものの動きや対象をあるがままに忠実に描きだすことではなくて、生き物の姿や動きを滑稽に誇張して描くということだ。……

コメディーがおもしろいものになるには、観客との接点がなければならない。接点という意味は、見ている者の潜在意識の中でなじみ深いものを連想させる何かがあるということだ。スクリーンの上に映し出された状況と同じような感じを観客自身が、いつか、どこかで抱いたとか、そういう場面に出会った、見た、あるいは、夢で見たことがある、といった具合に。……観客との接点と僕が呼んでいるものは、こういうことなのだ。アクションやストーリーがこの接点を失ってしまうと、観客の目から見てつまらない、ばかげた作品になってしまうわけだ。

だから本当の意味での劇画とは、現実のもの、可能なもの、ありそうなものに対する空想的な誇張ということになる。……今、僕が述べてきたことの背後にあるこの考え方を授業のあらゆる段階で、つまり、写実的なスケッチから、作品の企画・制作にいたるまで、生かしていければいいと思う。……』 

『ウォルトは一方、「アニメーションの芸術」という本の出版を進めていた。彼としては、この本の中でアニメーションの歴史を紹介し、とくにディズニー・スタジオがその歴史にどう貢献したかを強調するつもりでいた。さらに、ウォルト自身の目的を達成するためになくてはならなかった才能あるアーティストたちに、敬意を表したいという気持ちもはたらいていた。スタジオで行われたこの本の企画会議で、ウォルトは映画制作に関する自分の理論を詳しく述べている。

この本が机上の芸術論にならないようにね。僕らがやってきたのは、もっと俗っぽい商売なんだから。象牙の塔には縁がないんだ。……

僕らの仕事は技術的なことで成り立っているんじゃない。アイディアってやつは、鉛筆書きのスケッチからだって生みだせる。いま、僕らが持っているいろんな道具がなくたってね。……

僕らの作品がよそのものとどこが違うのか。僕らは、自分たちのやっていることを秘密にしたことなんかない。僕らが他人と違うところは、考え方、判断力、長年の経験だよ。作品に心があるんだ。よその連中は大衆をほんとうに理解していない。僕たちは何をするにしても、心理的なアプローチを工夫してきた。大衆の心の扉をとんとんとたたく、そのタイミングを僕らは心得ている。ほかの連中は知性に訴えようとするが、僕たちは感性に訴えることができる。知性に訴えようとしたら、ほんのひと握りの人たちにしかアピールしないよ。……

漫画という素材は、はじめは目新しさだけで売っていた。ほんとうにヒットしたのは、僕たちが単なるトリック以上のことをやりだしてからだった。つまり、登場人物の性格づくりを絶えずしていくということだけど、ただ笑わせる、ということ以上のものじゃなきゃならない。映画館の通路で客が笑いころげていても、それでいい映画を作ったことにゃならんよ。その中にペーソスがなくちゃあ。……

“ウォルト・ディズニー”っていう名前をどうしてこんなに強調してきたのか。理由はたった一つだ。その名前が作品全体にある個性を与える、っていうのかな。単に「ナニナニ映画会社制作」っていう意味じゃなくて、名前自体が一つの人格みたいなものをもっているんだ。いや、実際は、“ウォルト・ディズニー”っていうのは、たくさんの人間を集めた組織なんだ。一人一人が協力してアイディアを分け合う。それは、一つのりっぱな業績なんだよ。…… 』

3.ミッキーマウスとウォルト・ディズニー

『いわゆるインテリ評論家たちは、ミッキーの人気を大衆心理学に照らして説明しようと試みた。ウォルトはこれがおかしくてしかたなかったが、そういった理論にはたいして興味を示さず、自分なりの解釈をほどこしていた。

「ミッキーというのは人畜無害のいいやつでね。窮地に陥るのも自分のせいじゃない。でも、いつもなんとかしてはい上がってきては、照れ笑いをしているかわいいやつなんだ」

ウォルトは、ミッキーの性格の多くの部分がチャーリー・チャップリンからヒントを得たものであるということを認めていた。

「チャップリンの、あの、ちょっともの寂しそうな雰囲気をもった小ネズミにしようと思ってね―。小さいながらも自分のベストを尽くしてがんばっているっていう姿だな」

だが実際にできあがったミッキーは、チャップリンよりウォルト・ディズニーの要素のほうを多分にもっていた。それがもっともはっきり表れているのは、ミッキーの声である。ウォルトの神経質そうであわてたような裏声は、いかにもミッキーにぴったりである。そしてミッキーのせりふは、よく、恥ずかしそうな「ヘッヘッヘ」という声で始まっていた。そういう不自然で変わった声をもっともらしく出すという芸当は、並たいていのことではなかったが、ウォルトはなんとかこなした。「ウッ、これは大変だ」と、よく一瞬どぎまぎするミッキーのためらいがちな性格はウォルト以外、誰も的確に表現できなかった。

似ているのは声だけではない。ウォルトもミッキーも冒険心や正義感にあふれているが、知的教養とはあまり縁がなかった。そして二人とも、成功したいという少年のような野望を抱き、ホレイショ―・アルジャー[Wikipedia]の立志伝に出てくるような裸一貫からたたきあげた人間像に臆面もなく憧れていた。それに、たった一人の女性に生涯忠実であるという、昔ながらの道徳にしがみついている点でも似ていたのである。

ウォルトとミッキーの、こうした隠れた共通点に気づいたディズニーのアニメーターたちは、ミッキーを描くときにはウォルトの性格を念頭に置いてみた。すくなくとも潜在意識の中では、そうしていたはずだった。どういう格好の漫画を描いて欲しいかを説明するウォルトは、例のすぐれた役者ぶりを発揮し、せりふの一行一行を演技してみせた。特に、彼の演ずるミッキーマウスは非常に正確で感じがよく出ているため、アニメーターたちは、ウォルトの表情や動作をそのままとらえることができたら、といつも願っていたほどだった。事実、あるせりふをしゃべるミッキーの顔がどうしてもうまく描けなくて困り果てていたアニメーターが、せりふを吹き込み中のウォルトの顔をカメラに撮らせてもらい、やっと納得のいくミッキーに仕上げることができた、というエピソードもある。

またウォルト・ディズニーは、ミッキーの品性を懸命に守ろうとした。そしてストーリー会議では、よく、「ミッキーはそういうことはやらないよ」と、口をはさんだ。

それは、ギャクマンがつい調子に乗りすぎ、抱腹絶倒のコメディーにしようとするときで、ウォルトは、ミッキーの自然な性格から脱線しそうだということを的確に察した。だからこそ、ミッキーマウスは世界じゅうの人々から愛されるようになったのであり、その点では、ほかのどんなキャラクターもミッキーにはかなわなかった。ミッキーはこのうえなく愛すべき主人公として、常に自分自身であり続けたのだった。 

そもそも、「ファンタジア」の企画が生まれたのは、ウォルト・ディズニーがミッキーマウスのゆく末を心配したことに端を発していた。ウォルトはこのネズミに対して一種独特の愛着をもっていた。ミッキーは彼にとって、単に漫画のドル箱スターでもなければ幸運のお守りでもなかった。ウォルトは、自分がミッキーの声でもあり分身でもあると感じていたから、ミッキーマウスの活躍する舞台が狭まっていくのは見るに堪えなかったのである。

大きさの違ういくつもの円を寄せ集めて描かれたミッキーマウスは、登場したてのころ、なんでもやってのけた。が、その動作は、アニメーターが“ゴムホース方式”と呼んだ動き方、つまり骨も関節もないホースのような、実際の人間や動物の動きとは似ても似つかない動き方であった。しかし漫画がだんだん洗練されたものになるにつれ、ミッキーも変わっていった。登場人物の体を自由につぶしたり伸ばしたりしてアクションを誇張する“スクォッシュ・アンド・ストレッチ方式”をミッキーのアニメーションにはじめて使ったフレッド・ムーアのおかげで、ミッキーマウスはもっと人間っぽく魅力的になったのである。

ミッキーが従来より柔らかな顔かたちになったといっても、問題はまだ残っていた。かわいらしくはなったが、昔の漫画に見られた素朴なバイタリティーが失われてしまったのである。また、彼は元来、恥ずかしがりやで目だたないキャラクターであるため、滑稽な事件を引き起こしてまわる積極的な役は不向きであった。その手の役は、ドナルドダック、ブルート、グーフィといったミッキーのわき役として登場する、もっと露骨な性格のキャラクターにまわされていた。そして、こうしたわき役たちは例外なく、それぞれ自分のシリーズものでスターとして独立していった。

1938年、ウォルト・ディズニーは「魔法使いの弟子」 をアニメーションにし、ミッキーマウスを主人公とすることに決めた。「魔法使いの弟子」は古いおとぎ話で、ゲーテが誌にも詠み、フランスの作曲家ポール・デュカスによって交響詩にもなっていた物語である。ミッキーは魔法使いの修業中、魔術を悪用したためさんざんな目に遭う役で、デュカスの曲に合わせながらパントマイムだけで構成するという趣向であった。ウォルトは、せりふがまったく入らないということを喜んだ。というのはミッキーがいく通りもの役をこなしきれないのは彼の声、つまり、ウォルトのためらいがちでかん高い裏声が原因ではなかろうかと思っていたからである。

☆声優

・初代:ウォルト・ディズニー(1928年-1947年)

・2代目:ジム・マクドナルド(1947年-1977年)

・3代目:ウェイン・オルウィン(1977年-2009年)

・4代目:ブレット・イワン(2009年-現在)

4.ディズニーランド誕生

『それまで25年間、毎年12月になるとウォルト・ディズニーはオレゴン州のポートランドに住む妹のルースに近況報告を書く送り、家庭内やスタジオでのできごとなどを知らせていた。彼は、1947年12月8日付けの手紙にこう書いている。

僕は、自分の誕生祝いとクリスマスのプレゼントを兼ねて、いままでずっと欲しいと思っていた電気機関車のおもちゃを買った。君は女だから、僕が小さい時からどんなにこれが欲しかったか、おそらく理解できないだろうけど、やっとそれを手にした今、嬉しくてしかたがない。僕のオフィスの隣の、廊下側の部屋に置いて、暇さえあればそれで遊んでいる。この貨物列車は汽笛も鳴るし煙突からほんとうの煙も出てくる。線路のほうには切り換え線も信号機も駅もみんなついていて、とにかくすごいんだ」

ウォルト・ディズニーは汽車というものに神秘とさえいえるほどの不思議な魅力を感じていたが、そもそものはじまりはミズーリ州の農村で過ごした少年時代、機関士だった伯父の運転する汽車に向かって手を振った思い出にさかのぼる。大人になってからは、ロスフェリスの自宅から数キロしか離れていないサザン・パシフィック鉄道のグレンデール駅に行って、線路の震動を感じたり、サンフランシスコ行きの客車が通り過ぎていくのを眺めるのが好きだった。』

『彼は自分の汽車を作る計画を立てはじめた。まず、スタジオの機械製図工であるエド・サージャントに、旧セントラル・パシフィック173型の機関車を八分の一に縮小した模型を設計させた。そして部品の原型はスタジオの小道具製作部で作らせ、鋳鉄と組み立ては、やはりスタジオの作業場で機械工ロジャー・ブロギーが監督した。ウォルト自身、板金の工作を習いながらヘッドランプと煙突をこしらえたし、また、フライス盤を操作して部品を作ったり、細かい部品のはんだ付けもした。さらに、木製の有蓋貨車や家畜列車の製作も始めた。

ウォルトはその鉄道をキャロルウッド・パシフィック鉄道と名づけると、例によって綿密な計画を進めていった。汽車の一両一両は個々にデザインをし、とくに車掌車は凝りに凝ったしろものだった。中に入れる簡易ベッド、衣服用ロッカー、洗面台、だるまストーブなどの縮尺もきっちり決め、おまけに1880年代の新聞までミニサイズで作って新聞立てに置いた。ウォルトは、スタジオ内のステージに100m足らずのテスト用線路を敷き、従業員に乗車をすすめたりしたが、その試運転がうまくいくと、今度は屋外に線路を敷いてみるという念の入れようであった。

彼は結局、自宅の敷地のうち、峡谷に面している側に沿って約800mの鉄道を敷くことにした。そしてその場所を慎重に調査し、近所迷惑にならないよう、周りに木を植えたり線路の高さを低くおさえる配慮をした。さらに汽車の乗客に目ざわりとなるようなものをなくすために、電線などもわざわざ金を払って見えない場所に配線しなおしてもらった

画像出展:「ウォルト・ディズニー」

Pure Smileというサイトに「ドキュメンタリーが伝えた空前絶後のクリエイター、ウォルト・ディズニー」という記事があり、その中央にはキャロルウッド・パシフィック鉄道のカラー写真があります。

また、他にも大変興味深い写真などウォルト・ディズニーの情報が満載でお勧めです!

ウォルト・ディズニーが情熱を傾けるものは、それがたとえ趣味だとしても、かならずそこにははっきりとした目的があった。このキャロルウッド・パシフィック鉄道も、ディズニー・プロダクションズの新しい種類の事業としてだんだんとウォルトの胸の中でふくらんでいた、ある計画の一部であった。

彼が後に語ったことであるが、この新しい事業のきっかけというのは、もともと、娘のダイアンとシャロンを日曜学校の帰りによく遊園地に連れていったことから生まれたものである。娘たちが乗り物に乗っているあいだ、ウォルトは、ほかの親たちが退屈そうに待っている姿や、回転木馬の剝げかかったペンキ、掃除のゆき届かない汚らしい園内、それにむっつりして無愛想な係員などをじっくり観察したものだった。

また、もう一つの別の動機もあった。ウォード・キンボールと話しているときに、ウォルトはこう言った。

なあ、君、観光客がハリウッドに来て何も見るものがないっていうのは、まったく情けないことだよ。みんな、華やかな雰囲気や映画スターが見られるんだと思ってやってきても、がっかりして帰っちまう。このスタジオを見学に来る人間だって、いったい何を見られるかっていうんだい。せいぜい男どもが机に向かって絵を描いているところぐらいだろ。ハリウッドに来て、何か本当に見る者があったらいいと思わないか?

それ以来ウォルトは、遊園地を作る計画のことをたびたび口にするようになった。リバーサイド通りの向かい側にスタジオが所有していた11エーカーの三角形の土地をそれに充てるつもりで、彼は実際に構想を練りはじめた。そして名前は“ミッキーマウス・パーク”にしようと考えた。1948年8月31日付けのメモには、彼がそれまでに思いついた事柄の骨子が書き記されている。

メインビレッジは、鉄道の駅があって、緑の公園というか、憩いの場所を囲むようにできている。園内にはベンチやバンド用ステージ、水飲み場などがあり、また大小の草木を植える。ゆっくり腰をかけて休んだり、遊んでいる小さな子どもたちを母親やおばあさんが眺めたりできる。くつろいだ感じの涼しくて魅力的な場所にする。

緑の公園の周りに街を作り、その一方の端に鉄道の駅を置く。反対側に町役場。これは、外見は役場でも実際は我々の管理事務所に使用し、遊園地全体の本部とする。

町役場の隣には消防署と警察。消防署には形はすこし小さいが実際に使える消防器具を備え付け、警察署も実際に使えるようにする。客が、規則違反や遺失物、迷子などをここに知らせにくる。中に小さい牢屋を作って、子どもたちが覗いて見られるようにしてもよかろう。ディズニーのキャラクターを牢屋に入れるのも一案。

メモにはつづいてそのほかの建物やさまざまな店、乗り物についてのウォルトのイメージが書きとめられていた。

ウォルトがミッキーマウス・パークのことを口にするたびに、兄のロイはバンク・オブ・アメリカからの膨大な借金のこと、それに、戦後のディズニー映画の興行収入が依然として低迷していることを指摘した。ロイは、遊園地の建設事業が経営上まったくの愚行であることを弟に十分納得させたものと信じていたので、商売上の知り合いからの問い合わせに対しても、こう書いた。

「ウォルトは遊園地の建設計画についていろいろ口では申しておりますが、実のところ、どれだけ本気なのかは私にもわかりかねます。私が思うに、本人は自分で実際に遊園地を経営するというより、むしろ遊園地にこういうものがあったらいい、という種々のアイディアに関心をもっているようです。それに税金の関係もありますので、このようなことを実現するだけの資金を本人は持ちあわせておりません」。』

遊園地建設の構想は、ウォルト・ディズニーの心の中でだんだんとふくらんでいった。ヨーロッパやアメリカ国内を旅行するたびに、彼はいろいろな屋外娯楽施設、特に動物園をよく訪れたので、ふたたびヨーロッパに出かける前、妻のリリーから、「ねえ、あなた、また動物園に行くんでしたら、私はもう一緒に行きませんからね」と、言われてしまった。

ウォルトは、郡や州が主催する農畜産物の見本市や、サーカス、カーニバル、国立公園なども見てまわり、どんな出し物が、なぜ人気を呼ぶのか、客は楽しんでいるか、それともせっかくやってきても損をしたと思っているか、などをつぶさに観察した。

彼がもっともがっかりしたのはニューヨークのコーニーアイランドに行ったときで、その施設の荒廃ぶりと安っぽさ、そして乗り物の係員のとげとげしい態度に、ウォルトは一時遊園地を作る自分の計画を投げてしまいたい気持ちに駆られたほどである。しかしコペンハーゲンのチボリ・ガーデンを見たときは、やる気がふたたびよみがえった。ゆきとどいた清掃、あ鮮やかな色彩、納得できる料金、陽気な音楽、おいしい飲食物、暖かな感じで礼儀正しい従業員―こうしたすべての要素が溶けあって一つの楽しい世界を作りだしていた。「これだ! 本当の遊園地は、こうでなくちゃだめだ―」ウォルトは夢中になって、リリーに言った。』 

画像出展:「NAVIA|北欧Webメディア

『デンマークのコペンハーゲンには、現在もオープンしている世界で最も古い遊園地の1つである「チボリ公園」があります。

アンデルセンなど、多くの有名人も過去に訪れ、多くの人を楽しませてきたデンマークでも老舗中の老舗とされています。チボリ公園は1843年に創業し、以来、世界中から多くの観光客を魅了してきました。

ロイは相変わらず遊園地建設に反対だったので、計画の立案も資金繰りも兄に頼ることはできなかった。自分の生命保険を担保にして借金をしはじめたウォルトを見てリリーは狼狽したが、パークが完成する前に、その借金は十万ドルに達したのだった。

計画立案のスタッフを揃えにかかったウォルトがまず選びだしたのは、イラストレーターのハーパー・ゴフである。ゴフは早速パークの予備的なスケッチを描くよう指示を受けた。パークの名前は、すでにウォルトが決めていた。“ディズニーランド”である。

構想が進んでいくにつれ、ディズニーランド建設を推進する組織の必要性を感じたウォルトは、1952年の12月、ウォルト・ディズニー株式会社を発足させて自分が社長になり、ビル・コトレルを副社長に据えた。しかしその後、ウォルト・ディズニーの名前をほかで使うことにディズニー・プロダクションズの株主が反対するかもしれないとロイが危惧を抱いたことから、ウォルト・イライアス・ディズニー(Walt Elias Disney)の名前の頭文字を取ってWED[ウェド]エンタープライズと改名された。こうしてWEDはスタジオ以外のウォルトの活動を支える個人的な企業組織として誕生した。

ディック・アーバインはWEDの新入社員であった。彼は映画「空軍力の勝利」の美術監督を務めた人物だったが、戦時中ディズニー・プロダクションズが低迷していた時期に20世紀フォックス社に移っていた。が、テレビ番組を作りはじめたウォルトにデザイン担当として担当として呼び戻され、さらにその後、ディズニーランド担当となったのである。アーバインに与えられた最初の仕事は、ディズニーランドの予備調査を委託された設計事務所とのパイプ役であった。しかし建築家たちの意見とウォルトの構想とのあいだにくい違いが生じ、契約は破棄される結果に終わってしまった。ウォルトの親しい友人で自らも建築家であるウェルトン・ベケットは、

「ウォルト、君意外に誰もディズニーランドの設計ができる人間はいないよ。自分でやるんだな」と、忠告した。

1953年の夏の終わりまでには借りた金も底をつき、ウォルトは別の資金ルートを探さねばならなかった。ある夜、ベッドで眠れぬまま横になっている彼の頭に、ふとある考えが閃いた。<テレビだ! テレビ番組でパークの資金を作るんだ!>

翌朝、そのことで弟から相談を受けたロイは、ウォルトがディズニーランドに関してはじめて理屈に合う提案をしてきたと感じた。しかし、これは会社の重要問題なので、理事会の承認が必要であった。

理事会ではたいていの場合ウォルトの意見が通ったが、テレビ番組と遊園地経営という二つの新分野に進出することに関しては、保守的な理事の反対に出会った。ウォルトは立ち上がって言った。

「テレビが、ディズニー映画を大衆に宣伝する重要な媒体であることは、あの二本のクリスマス番組ですでに証明済みです。レギュラー番組を制作しようと思えば、内容ももっといろいろ工夫しなきゃならないし、金もたんといる。ディズニー映画を劇場に見にくる観客の数がずっと多くなるという効果は別として、儲けはわずかしか、いや1ドルだってないでしょう。しかし、それほどまでに頭脳とエネルギーを注ぎ込んでテレビ番組を作るとしたら、私はそこから何か新しい収穫が得られるようなものを作りたい。私は、会社を足踏み状態にしておきたくないのです。考えてみてください。我々が今まで繁栄してきたのは、リスクを承知で常に新しいものを試みてきたからです

遊園地の経営などは本来、ディズニーの仕事ではないと不満を述べる理事に対し、ウォルトはこう答えた。

「ええ、しかし、わが社は今まで、娯楽を作りだすという商売をやってきたのです。遊園地こそ、娯楽そのものではないでしょうか。正直言って、いま、私の頭の中にあるディズニーランドのイメージをみなさんに思い浮かべていただくのは、むずかしいでしょう。でも、これだけは言える。世界じゅうどこを探してもこんなパークは絶対にない。私はいろいろ見て回ったから知っています。ユニークであるからこそ、すばらしいものになる可能性がある。娯楽というものの新しい形なんです。ぜったいに成功する、と私は思う。いや、そう信じています

語り終えたウォルトの目には、涙さえ浮かんでいた。理事たちは彼の論理に納得した。』

『ハーブ・ライマンは、月曜の朝までに図を完成させた。そして何枚かのコピーを作ると、ディック・アーバインとマービン・デービスが色鉛筆で手早く彩色した。いっしょのホルダーの中に納められたのは、ビル・ウォルシュが書いたパークの説明文で、この文中にはじめてディズニーランドの概念がはっきり定義づけられた。

ディズニーランドの構想はごく単純なものであり、それは、人々に幸福と知識を与える場所である。

親子が一緒に楽しめるところ。教師と生徒が、ものごとを理解したり学びとるための、より良い方法を見つけるところ。年配の人たちは過ぎ去った日々の郷愁にふけり、若者は未来への挑戦に思いを馳せる。ここには、自然と人間が織りなす数々の不思議が私たちの眼前に広がる。

ディズニーランドは、アメリカという国を生んだ理想と夢と、そして厳しい現実をその原点とし、同時にまたそれらのために捧げられる。こうした夢と現実をディズニーランドはユニークな方法で再現し、それを勇気と感動の泉として世界の人々に贈るものである。

ディズニーランドには、博覧会、展示会、遊園地、コミュニティーセンター、現代博物館、美と魔法のショーなどの要素が集大成されている。

このパークは、人間の業績や歓び、希望に満ちている。こうした人類の不思議をどうしたら私たちの生活の一部とすることができるか、ディズニーランドはそれを私たちに教えてくれるだろう。

説明文は続いて、パーク内に作られる「自然と冒険の国」、「未来の世界」、「こびとの国」、「おとぎの国」、「開拓の国」、「休日の国」の各領域を詳細に紹介していた。

それは実に大胆きわまる、ぜいたくな計画であった。しかし説明書には、あっさりとこんな予告が書かれていた。「1955年のある日、ウォルト・ディズニーが世界じゅうのみなさま、そしてあらゆる年齢の子どもたちに、まったく新しいタイプの娯楽をお贈りいたします―』

画像出展:「The Art of Walt Disney」

ハーブ・ライマンが描いたディズニーランドの鳥瞰想像図。

ディズニーランド建設とテレビ番組の計画は1954年4月2日に発表された。ウォルトが、番組は同年10月に始まり、パークは翌年の7月にオープンするとはっきり宣言したのは、自分がどれだけ本気であるかを示すためであった。彼は早速ディズニーのベテランスタッフを集め、「冒険の国」、「おとぎの国」、「開拓の国」といったパークの“国”別に構成されるテレビ番組の制作に当たらせた。一方、パーク建設の担当班は小さな平屋の建物からアニメーションビルの一階に移動し、計画はいよいよ実行段階に入った。』

『ディズニーランドの設計にスタジオの美術監督を使うことには、難点が一つあった。彼らは、通常2、3日使えばあとは取りこわすという映画のセットを設計することにはたけていたが、長い年月で激しい風雨、数百万の見物客に耐え得る建物をこしらえる知識に欠けていたからだ。それでウォルトは、土木、電気、空気調節の分野の専門技師を1名と、構造技師のいる建築事務所に特別の応援を頼んだ。

また、工事にあたって現場の親方が必要であった。そこでディズニーランドの総合本部長ウッドがウォルトに紹介したのは、元海軍大将で技師としてコンサルタントの仕事をしていたジョー・ファウラーであった。パークの感じをつかむために一度来てほしいというウォルトの依頼を受けたファウラーは、ほんの1、2日の予定で北カリフォルニアの自宅からスタッフにやってきたが、到着するなり自分の部屋と車をあてがわれ面食らった。下請け業者たちとの話し合いを済ませて彼が帰宅したのは、それから3週間もあとのことだった。ファウラーはこうしてディズニーランドの工事監督としておさまることになり、結局その後10年間、パークで働いたのである。』

ウォルトはエンジニアから知識を貪欲なまでに吸収し、まもなく機械の図面も本職と同じくらい読めるまでになった。エンジニアたちはときどき、映画撮影では容易に出せる効果も遊園地で出そうとするのは現実的でない、とウォルトに言うことがあった。しかし、彼らはやがてこの種の発言をウォルトに対してしないようになった。ウォルトの提案が実現不可能だと言いだしたある技師に向かって、彼はこう言い返したものだ。

「やってもみないうちにあきらめるほど、君はばかじゃないだろう。僕たちの目標は高いんだ。だからこそ、いろんなことをやり遂げられるんだ。さあ、戻ってもう一回やってみてくれたまえよ」

ウォルトのそばで仕事をしていたスタッフは、「これはできない」という言葉をぜったい使わないことを学んだ。「そうだなウォルト、これはちょっとむずかしいかもしれない。というのは―」という言い方が正解なのであった。しかし、エンジニアがありとあらゆる可能性を試しても解決策がどうしてもない場合には、ウォルトもそれが無理であることを認めた。』

『スプリンクラーや消火栓の水の圧力をかけるために給水塔がぜったい必要である。というのがエンジニアたちの共通見解であった。が、それを自分に面と向かって主張したエンジニアを、ウォルトはもうすこしで部屋から力ずくで追い出すところであった。パーク内に目ざわりな給水塔がそびえている光景など、ウォルトには断固として許せなかったのである。彼がどうしても別の解決策を見つけるよう言い張って譲らなかったので、エンジニアたちはパークへの水の取り口を数か所に分けて設け、水圧を高く一定に保つ工夫をした。当然ながら、コストはそれだけよけいにかかった。パーク周辺の電線を見えないところに移動させる工事にしても同じだった。ウォルトは、自分が作りだそうとする幻想の世界を少しでも乱すものには我慢できなかったのである。』

『ウォルトは設計担当者に対し、自分が建築上の大傑作を要求しているのではないことを繰り返し強調した。ある設計者に彼はこう語っている。

「君にようく考えてほしいことはね、いいかい、君が設計したものは、お客さんが中を歩いたり、乗ったり、利用したりするんだよ。僕は、そのお客さんたちに笑顔を浮かべながらパークの門を出ていってもらいたいんだ。それだけは頭に入れておいてくれたまえ。設計者の君にこの僕が望むことは、たったそれだけなんだから。』

『ディズニーの幹部たちは、毎日のパーク運営をいかに進めていくかで頭がいっぱいであった。ある幹部が、パークの経営を任せる企業の候補を二つにしぼったことをウォルトに報告すると、ウォルトは尋ねた。

「そんな会社が、どうして必要なんだい?」

「パークの運営ですよ。我々は遊園地の経営なんて経験がないですからねえ」

「まず言っとくが、これは遊園地じゃない。それに、僕らだってほかの人間と同じようにディズニーランドをうまく運営できる。要するに、やる気があって、エネルギッシュで、愛想がよくて、向上心のある従業員さえいればいい。もちろん失敗もするだろうけど、その失敗から学んでいけばいいんだ」

ウォルト・ディズニー1

同じ時代を生きた人の中で、「凄いなぁ」と思うのは、ひとりはスティーブ・ジョブズです。そして、もうひとりはウォルト・ディズニーです。

ミッキーマウスを世に送り出し、ディズニーランドという夢のような世界を作り上げてしまった人ですが、何故、そのような世界を思いついたのか。それを本当に実現させ、今も世界中の人々から特別な場所として賞賛されているのは何故か、それらを知りたいと思い、『ウォルト・ディズニー』という伝記を拝読させて頂きました。

ウォルト・ディズニーは1966年12月15日、65歳で亡くなりましたが、65歳は今の私自身の年齢なので、「同じなんだ!」と少しびっくりしました。さらに、どうでもいい話ですが、“幹雄”という名前のおかげで、幼稚園時代は「ミッキー」とか「マウス君」とか、とても光栄なニックネームをつけてもらっていました。

番組の内容は全く記憶にないのですが、最初か最後に登場するとてもダンディーな外国人こそが、ウォルト・ディズニーでした。多分、私が5歳か6歳ぐらいだったと思いますが、実は、当時はよく分からず、「誰だろう??」と思っていました。これは、ミッキーマウスとウォルト・ディズニーの印象がかけ離れていたからだろうと思います。とにかく、優しく、落ち着いた本物の紳士という感じで、少年時代の心に強く残っています。

調べてみると、“60年代 懐かしの宝箱”さんのサイトにこのテレビ番組の詳しい紹介がされていました。

画像出展:「60年代 ディズニーの思い出

これを拝見すると、ウォルト・ディズニーが登場するのは、冒頭だったことが分かりました。また、調べたところ杖をもって宙を舞っていたのは、ピーターパンに出てくるティンカー・ベルだったことも分かりました。

画像をクリック頂くと、最初にこの画像の動画が出てきます。

著者:ボブ・トマス

訳:玉置悦子/能登路雅子

発行:初版1983年1月

出版:講談社

画像出展:「The Art of Walt Disney」

フランス軍の仕事をしてたころ、昔の級友たちに送った手紙。

目次はウォルト・ディズニーの足跡がわかり、また代表的な作品も紹介されているため、すべて書き出しました。なお、作品についてはネット上にあったものはリンクさせていますので、全てではありませんが、動画を確認することができます。

また、著者はボブ・トマスという伝記作家です。この著者が記した「あとがき」をご紹介しているのは、このトマスによるウォルト・ディズニーの伝記の確かさを、ご判断頂けるのではないかと思ったためです。

僕は、ただの金儲けをするなんて退屈な話だと、ずっと思ってきた。僕は常に何かしていたい。何か作っていたい。そして、どんどん先に進みたいんだ。……

これは“ハリウッド生活三十年”という本文中の一文ですが、ウォルト・ディズニーという人を知るうえで、最も端的な文章ではないかと思います。

ブログは自分自身の疑問の答えを見つけるつもりで目を通しました。そして重要と思うモノを抜き出しタイトルを付けましたが、抜き出したエピソードは必ずしも時系列になっておりません。

1.魅力的な作品を生みだすために

2.作品の制作に大切なこと

3.ミッキーマウスとウォルト・ディズニー

4.ディズニーランド誕生

5.ディズニーランドとは

6.未来都市(EPCOT)

7.全世界が泣いた日

8.生涯のパートナー、ロイ・ディズニー

目次

プロローグ

第一部 中西部時代(1901-1923年)

1 ディズニー家の祖先/イライアスとフローラの結婚/ウォルトの誕生/シカゴからマーセリーンへ

2 マーセリーン―静かな農場の四季/兄たちの家出/不運の開拓者、父イライアス/カンザスシチーへ

3 新聞配達/ベントン小学校の変わり種/少年ウォルトの世界/漫画家になりたい/サンタフェ鉄道の売り子

4 シカゴ、マッキンリー高校/校内誌の漫画描き/さまざまなアルバイト/赤十字志願兵/フランス

5 十七歳の夢と現実/運命の出会い―アブ・アイワークス/原始的な動く漫画/ニューヨークに学べ/ラフォグラム社の設立と倒産/カリフォルニア行きの片道切符

画像出展:「ListeList

アブ・アイワークスはウォルト・ディズニーとともにディズニーの礎を築いてきたアニメーターです。

第二部 漫画づくり(1923-1934年)

6 ハリウッド!/《アリスコメディー》シリーズ/リリーバウンズと結婚/配給者チャールズ・ミンツとのかけひき

7 熱気あふれるハイピリオン新スタジオ/《ウサギのオズワルド》/漫画の生命はキャラクターと筋書きだ/版権もアニメーターも奪われて―傷心のニューヨーク

8 ミッキーマウス誕生/トーキー出現―初の音入り漫画映画『蒸気船ウィリー』/アブ・アイワークスとの摩擦/《シリーシンフォニー》シリーズ/ついに神経衰弱

9 ミッキーの商品旋風/ウォルトの分身ミッキー/アーティスト、ニューヨークより流入/チャップリンもディズニーファンだった/初のカラー漫画映画『花と木』/アーティストの養成 

第三部 アニメーションの新世界(1934-1945年)

10 ディズニー美術教室の拡大/優秀なアニメーターの条件とは/観客との接点をつかめ/漫画映画の制約過程/アニメーターたちとの奇妙な関係

11 初の長編漫画映画『白雪姫』/ヨーロッパ旅行/マルティプレーン・カメラ/音楽の新しい使い方を/“ディズニーの道楽”/プレミア・ショーの喝采

12 長編を制作の中心に/母の死/『ピノキオ』/ストコフスキーとの出会い―『ファンタジア』/スタジオに飼われた二匹の子鹿―『バンビ』の制作/バーバンクの新スタジオ

13 第二次世界大戦勃発/『ダンボ』が証明したもの/千人の従業員と450万ドルの借金/ディズニー株の一般公開/高まる労働組合運動/スタジオ、ストに突入/南米の旅/父の死

14 軍に接収されたスタジオ/戦争用宣伝映画づくり/愛国の士ドナルドダック/ナチ首脳を怒らせた『総統の顔』/『空軍力の勝利

15 スタッフ泣かせの専制君主/アブ・アイワークスの復帰/ひっそりとした私生活/妻リリーの役目/二人の娘

第四部 広がる地平(1945-1961年)

16 戦後のスタジオ危機/『メイク・マイン・ミュージック』/ジッパディードゥーダ―『南部の唄』/初の自然記録映画『あざらしの島』/『シンデレラ』/劇映画第一作『宝島

17 鉄道狂ウォルト/模型機関車が自宅の庭を走る/ミッキーマウス・パーク構想

18 難産の『不思議の国のアリス』/『ピーターパン』/はじめてのテレビ番組/“踊る人形”/占い師の不吉な予言/五十代の横顔―ウォルトのおしゃれ、好物、思想

19 アニメーションの原則をどこまでも貫く/僕は花粉を集める働きバチだ/『わんわん物語』/『海底二万哩』/『砂漠は生きている』/配給会社ブエナ・ビスタの設立

20 ウォルトの動物園めぐり/ディズニーランド建設計画/パークは生き物だ/テレビ番組制作でパークの資金を/渋面の理事たち/ディズニーランドの概念

21 ディズニーランドをどこに作るか/僕は大衆を信じる/シリーズ番組《ディズニーランド》/空前の大ヒット『デイビー・クロケット』/花嫁の父

22 急ピッチのディズニーランド建設工事/間に合うか、資金と期日/妥協を許さないウォルト/「マーク・トウェイン号」上の結婚記念パーティー/“黒い日曜日”―大混乱の開園日 

第四部 広がる地平(1945-1961年)

16 戦後のスタジオ危機/『メイク・マイン・ミュージック』/ジッパディードゥーダ―『南部の唄』/初の自然記録映画『あざらしの島』/『シンデレラ』/劇映画第一作『宝島

17 鉄道狂ウォルト/模型機関車が自宅の庭を走る/ミッキーマウス・パーク構想

18 難産の『不思議の国のアリス』/『ピーターパン』/はじめてのテレビ番組/“踊る人形”/占い師の不吉な予言/五十代の横顔―ウォルトのおしゃれ、好物、思想

19 アニメーションの原則をどこまでも貫く/僕は花粉を集める働きバチだ/『わんわん物語』/『海底二万哩』/『砂漠は生きている』/配給会社ブエナ・ビスタの設立

20 ウォルトの動物園めぐり/ディズニーランド建設計画/パークは生き物だ/テレビ番組制作でパークの資金を/渋面の理事たち/ディズニーランドの概念

21 ディズニーランドをどこに作るか/僕は大衆を信じる/シリーズ番組《ディズニーランド》/空前の大ヒット『デイビー・クロケット』/花嫁の父

22 急ピッチのディズニーランド建設工事/間に合うか、資金と期日/妥協を許さないウォルト/「マーク・トウェイン号」上の結婚記念パーティー“黒い日曜日”―大混乱の開園日 

画像出展:WALT DISNEY FAMILY MUSEUM

ディズニーランドオープンの前日に開かれた、マーク・トウェイン号上で行われたパーティーは、ウォルトと妻のリリアン結婚30周年のパーティーでした。妻の支えなしではディズニーランドを完成させることはできませんでした。

Mapをクリックして頂くと“WALT DISNEY FAMILY MUSEUM”に移動します。

以前は現役の陸軍基地であり、1846 年から 1994 年まで太平洋岸の最強の海岸防衛地であったプレシディオは、現在は国立公園として機能し、ウォルト ディズニー ファミリー ミュージアムの本拠地となっています。

104 Montgomery Street in the Presidio San Francisco, CA 

 

画像出展:「WIRED

さまざまな問題のなかでも極めつけは、当日のアナハイムの気温が37℃を超える酷暑に見舞われたことでした。スタッフたちはこの日を「ブラックサンデー」(黒い日曜日)と名付けました。

23 テレビ番組《ミッキーマウス・クラブ》/ハリウッド生活三十年/僕らの作品には心がある/実現しなかったフルシチョフの来園/ディズニー帝国を築いた陰の力―兄ロイ・ディズニー 

画像出展:「THE RIVER

1955年には、アメリカのテレビ史上もっとも成功した子供番組のひとつ『ミッキーマウス・クラブ』がスタート。平日の夕方、学校から帰った子供たちがテレビの前に集まって、番組のテーマソング「ミッキーマウス・マーチ」を一緒に歌うのがお約束だったといいます。日本でも1959年から放送が開始されました。

24 新番組《ウォルト・ディズニーのすばらしい色彩の世界》/パークのお客さんは、みんなゲストだ/時代を超えるディズニー映画/『黄色い老犬』/『ボクはむく犬』/『眠れる森の美女』/『ポリアンナ』/借入金ついにゼロ

第五部 そして、夢―(1961‐1966年)

25 六十歳の誕生日/気むずかしくなったウォルト/娘婿ロン・ミラーの入社/オーディオアニマトロニクスの開発/ニューヨーク世界博覧会

26 『メリー・ポピンズ』とトラバース夫人/ジュリー・アンドリュースとの出演交渉/ウォルトのクリスマスプレゼント/ディズニーランド開園十周年

27 カリフォルニア芸術大学の構想/もう一つのディズニーランドをフロリダの原野に/実験未来都市の夢

28 衰える健康/『ジャングル・ブック』/スキー場開発計画/全世界が泣いた日/弟の夢を受け継いだロイ/ウォルト・ディズニー・ワールド

あとがき(ボブ・トマス)

この伝記の大部分は、ウォルト・ディズニーの親族や同僚を直接インタビューして集めた資料にもとづいている。取材に応じてくださった多くの方がたに心からお礼を申し上げたい。

また、デービッド・スミス氏が館長を務めておられるウォルト・ディズニー・プロダクションの資料館からも貴重な資料をいろいろ提供していただいた。ウォルト・ディズニーと兄のロイは二人とも、自分たちの足跡を一つの歴史として見る感覚が発達していたのであろう。公私にわたる綿密な記録が保存されており、これは伝記作家にとっては非常にありがたかった。筆者は可能なかぎりウォルト自身の言葉を引用するよう心がけたつもりである。したがって、ウォルトがニューヨークからロイに宛てて書いた手紙、ストーリー会議の発言記録、毎年ウォルトが妹に書き送っていた手紙などは、たいへん価値の高い資料となった。さらに、娘のダイアン・ディズニー・ミラーがピート・マーティン氏と共著の形で父のことを書いた本をまとめるにあたり、1956年、自分の過去を何回かのインタビューの中で語ったが、そのときの長い録音テープが残っていた。また、ロイ・ディズニーが亡くなる直前に行った三回にわたるインタビューの録音もあり、これらを聞くことができた。

筆者はニュース記者として、二十五年間に何十回もウォルト・ディズニーを直接インタビューした経験があり、また、彼の生涯とスタジオのことをそれぞれ書いた二冊の著書を執筆したときには、それについてウォルトに相談したこともある。筆者はこうした資料を駆使しつつ、ほかの新聞雑誌に掲載されたおびただしい数のウォルトのインタビュー記事も参考にしたさらに、ディズニー家の家族を写した八ミリ映画や《アリスコメディー》、《オズワルド》にまでさかのぼるディズニー映画も見せて頂いた。

1.魅力的な作品を生みだすために

『ユナイテッド・アーティスツ社との話し合いがまとまるや、ウォルトは、アニメーションに新しい要素を付け加えようと決心した。カラーである―。

ウォルトは長年、自分で漫画をカラーで製作したいと思い続けていた。硝酸塩などを炉用して画面に色彩を与える実験を技術員にやらせたのも、その努力の一環であった。だが、結局、夜間のシーンは青フィルム、水中シーンは緑のフィルム、火などの撮影には赤フィルムを使うという、ごく原始的な方法以外、なんら実用的な成果が得られないままであった。ところが1930年代のはじめ、テクニカラー社が三本の原色ネガを合わせて一本のプリントに仕上げる技術を開発した。1932年までには、一般劇場映画の撮影にはまだ不十分ながら、漫画映画には応用できるところまできたのである。テクニカラー社からテスト用のフィルムを見せられたウォルトは、これでいけると自信をもった。しかし、ロイは反対した。

「おまえ、気でも違ったのかい。ユナイテッド・アーティスツ社と話がうまくまとまったばかりだっていうのに、カラーなんかに金をつぎ込むなんて。これ以上、余分な金なんか前貸ししてくれないぞ」

ロイのもう一つの心配は、絵の具がセルロイド板の上にうまく乗ってくれるか、剥げてくれるか、剥げて落ちてくるのではないか、ということだった。だが、ウォルトは、

「その時はその時で、ちゃんと、とれない絵の具を作るまでだよ」といとも簡単に言い返した。

ウォルトは、カラーが《シリー・シンフォニー》に確固とした地位を与えるための手段に使えると考えた。このシリーズははじめから、《ミッキーマウス》漫画の爆発的な人気のかげに隠れて、肩身の狭い継子扱いを受けていたからである。しかしユナイテッド・アーティスツ社は、《シリー・シンフォニー》を扱うことには消極的だった。彼らは、ミッキーの人気を拝借して、「ミッキーマウスがお贈りする、ウォルト・ディズニーのシリーシンフォニー」という興行広告を出すことにウォルトが同意してはじめて、配給を引き受けた。ウォルトはさらに、ロイの反対をうまく利用してテクニカラー社に譲渡を迫り、ディズニーがこの三色転染法を向こう二年間、独占使用することを約束させた。ロイは、しぶしぶ契約書にサインしたのだった。

《シリー・シンフォニー》シリーズの一つ「花と木」は、それまでに半分ほど完成していた。この作品は、メンデルスゾーンやシューベルトの曲に合わせて、アニメーションの草や木がつづる田園詩である。ウォルトは、モノクロでできあがっていた背景画をすべて没にし、アクションもすべてカラーにするようスタッフに命じたそして、絵の具を塗ったセルの撮影をするための特別な撮影台も新たに設置した。

一方、ロイが懸念していたことが現実となった。乾いた絵の具がセルロイド板から剝がれたり、熱いライトの下で色が褪せたりするのである。ウォルトはスタジオの技術員と一緒になって日夜研究を重ね、この問題にあたった。そして、色も褪せず、付着力のある絵の具をとうとう作りだしたのである。

最初のシーンがいくつか完成したところで、ウォルトはそれを業界のある友人に見せた。非常に感心したこの友人は、グローマンズ・チャイニーズ劇場の経営者、シド・グローマンにもぜひ見るようにすすめた。映写時間はまだ一分そこらの長さであったにもかかわらず、フィルムを見たグローマンは早速、この「花と木」を次の上映予定に入れたいと申し出た。ノーマ・シーラーとクラーク・ゲーブル主演、「奇妙な幕合狂言」との同時上映であった。

ウォルトは、予定より早く仕上げるためアニメーターに時間外勤務を命じ、テクニカラー社にも現像を急がせた。こうして1932年7月、ロサンゼルスのチャイニーズ劇場における「花と木」の公開にこぎつけたのである。観客の熱狂的な反応は、まさにウォルトの望み通りのものであった。《シリー・シンフォニー》はこれで、ディズニー作品中軽視される部類から脱することができ、人気沸騰の《ミッキーマウス》に匹敵する数の予約が殺到した。ウォルトは、今後の《シリー・シンフォニー》シリーズはすべてカラーで製作する、と発表した。』 

 『アニメーション映画の製作所としてすでに四半世紀の経験を積んできたウォルト・ディズニーは、1950年代のはじめごろにはさまざまな種類を手がけて、その多才ぶりを発揮した。彼はアニメーションで使った同じ原則をそのまま貫き、ストーリーを十分練ること、おもしろい登場人物を創りあげること、そして何よりも“読ませる”ものを作ること、つまり、あいまいな箇所を残さないとことなどの点を強調した。また制作の手法においてさえアニメーションの手順を踏襲し、俳優を使う劇映画の場合もストーリーボードからはじめて、各シーンやカメラの角度までいちいちスケッチの形で表しておいてから撮影に入った。こうしておけば、テンポの速いアクションシーンと状況設定のゆるやかな説明部分とを交互に配置させながら観客の興味をそらさずにストーリーを展開させていく、という制作のペースがウォルト自身、容易に把握できたのである。

ウォルトの仕事のやり方は、短編映画しか制作していなかったころからほとんど変わっていなかった。映画制作における自分の役割を説明するのに、彼はこんな話をしたことがある。

僕の役目? そう、いつか小さな男の子にきかれて困ったことがあったよ。「おじさん、ミッキーマウスを描くの?」 っていうから、もう僕は直接描かないよ、って答えたんだ。「じゃ、おもしろいお話を考えたりするの、あれ、おじさんがやるの?」「いいや、違うよ―」そしたらその子は僕を見て言うんだ。「ディズニーのおじさん、おじさんはいったい、何をするの?」「そうだなあ、僕はちっちゃな働きバチみたいだ、ときどき思うんだけどね。スタジオのあっちに行ったりこっちに行ったりしながら、花粉を集めてくる。まあ、みんなに刺激を与えるっていうのかなあ。そういうのがおじさんの役割みたいだな」 

ウォルトの仕事ぶりには無駄というものがいっさいなかった。会議を始める前にとりとめのない会話をしてから本題に入るということはめったになく、大股で部屋に入ってくるやいなや、すぐにディスカッションを始めた。会議が終わると、入ってきたときと同様にさっさと部屋を出ていき、「じゃ、失敬するよ」という言葉すら残さなかった。』

創造力というものに値札はつけられないよこう主張するウォルトを、銀行家の中には道楽者と見る者もいたが、これは昔からのウォルトの理論であった。きっちりした予算の枠内でアニメーションを制作するのを彼が拒んだのは、できるかぎり良いものを作りかったからで、より良いものにしようとすれば金もよけいにかかるのは当然だった。配給会社からの収入だけでは製作費をまかないきれないとロイが指摘しても、ウォルトは、「いいアニメーションさえできたら、収益だってあがるし、つぎのときに金の苦労をしないですむじゃないか」と答えるだけであった。

「白雪姫」、「ファンタジア」、「バンビ」などに取り組んでいたときも、彼は長編アニメーション映画という新しい素材や技術を開発しながら制作を進めていたため、予算というものを設定することができなかった。ディズニーランドの場合もそうであった。計画立案のスタッフや技術陣にかかる経費の枠もいっさい決めなかった。彼らは未知の領域に手さぐりで踏み込んでいるのであって、ウォルトには、できあがったときにはじめていくらかかったのかがわかるだけであった。

コロナ worldometer 

約1世紀ぶりのパンデミックに遭遇し、「これはいつまで続くのだろうか」という思いから、2020年8月初旬より『worldometer』というサイトを利用してデータを取り始めました。

『Worldometer は、開発者、研究者、ボランティアからなる国際チームによって運営されており、世界の統計を示唆に富む、時代に即した形式で世界中の幅広い視聴者に提供することを目標としています。これは、米国に拠点を置く小規模の独立系デジタル メディア会社によって発行されています。当社は政治、政府、企業とは一切関係がありません。さらに、当社にはいかなる種類の投資家、寄付者、助成金、後援者もいません。当社は完全に独立しており、複数のアド エクスチェンジでリアルタイムに販売される自動プログラマティック広告を通じて自己資金で運営しています。

新型コロナウイルス感染症に関するデータについては、政府の通信チャネルから直接、または信頼できると判断される場合には地元のメディアソースを通じて間接的に、公式報告書からデータを収集します。各データ更新のソースは「最新の更新」(ニュース) セクションに記載されています。タイムリーな更新は、世界中のユーザーの参加と、増え続ける 5,000 を超えるソースのリストからデータを検証するアナリストと研究者のチームの献身的な取り組みのおかげで可能になっています。』

当時のいきさつ等にご関心があれば、ブログ“スペイン風邪と新型コロナ2”をご覧ください。

当初は2021年末まで頑張ろうと思い、ほぼ毎日集計をしていましたが、2021年の年末もパンデミックが落ち着く様子はまったく見えませんでした。集計は2022年を経て、ついに2023年に入りました。「いい加減、きりがないな」と思い、「2023年末で止めよう」と考えていたところ、日本では5月8日にインフルエンザと同じ位置づけの5類に移行し、感染者数は定点観測として続いていますが、『worldmeter』の中では、日本の情報が全くアップデートされなくなったため、このタイミングで終わらせることにしました。

各国のデータの取り扱い、集計方法などは同じであるとは言えず、対象データなどもバラツキがあるため、比較するのはかなり無理があるのですが、そうは言っても、比較したいとの思いから「人口10万人当たりの死亡者数」のデータに絞り、日本以外では東アジアの韓国、台湾、東南アジアのフィリピン、タイ、ベトナム、シンガポール、そしてオセアニアのオーストラリア、ニュージーランドの計9ヵ国を比較することにしました。

なお、データは各国の集計開始時期を合わせるため2020年12月からとし、最後を2023年3月、月別にまとめでデータで集計しました。 

最も少なった国はシンガポールの29.34人で、最も多かった国はニュージーランドの80.00人でした。単純に9ヵ国の平均値は60.58人、日本は4番目(下から4番目)に少ない58.52人でした。

地域的には東南アジア、東アジア、オセアニアの順です。特に東南アジアの4か国は2022年2月頃から横ばい傾向になっており、東アジア、オセアニアとは大きく異なっています。理由は分かりませんが注目に値します。

日本ではマスク着用など公衆衛生の意識が強く、ブースター接種は6回目、7回目を数える方もおり、他国に比べ積極的ではあるものの、今一つ、その積極的なワクチン接種が死亡者数の抑制につながっているのか不透明です。(ワクチン接種に関してご興味あれば“免疫学者の告発1”をご覧ください)。

グラフを見ると台湾、ニュージーランドなど多くの国が「ゼロコロナ」で規制をしたものの、「ウィズコロナ」に切り替えざるを得ない事態に遭遇したことが分かります。日本では規制の徹底が難しいこともあり、最初から緩やかな規制でスタートしました。PCR検査が一向に増えないこととや、保健所依存の対応、政府のリーダーシップの欠如等が大きな問題となっていましたが、緩やかな規制は悪くなったのだろうと思います。

2022年2月2日付けで、『デンマーク、コロナ規制を全て撤廃 EUで初』というニュースがアップされました。

『デンマーク国家保健委員会のソレン・ブロストロム委員長も、国内の症例数は非常に多い状況だが、感染と重症化の関係がなくなったとの認識を示し、「感染数が激増すると同時に、集中治療室に入院する患者は実際のところ減っている」「今現在、新型コロナと診断されてICUに入院しているのは、人口600万人のうち30人前後にとどまる」と指摘した。』

以下は、HOPEプロジェクトに関してです。

『それではいったいどのような背景から、デンマークは規制撤廃に踏み切ったのか。ワクチン接種率の高さ、政府への信頼感、首相会見を頻繁に行うなどの情報開示、検査数の多さなど、すでに多くの分析や情報が日本のメディアでも発信されているが、ここでは引き続きピーターセン教授の発信をもとに、もう少し違った角度から紹介してみたい。

新型コロナウイルスが世界に拡大し始めた2020年3月。カールスバーグ財団から2500万デンマーククローネ(約4.3億円)の支援金を受けて、デンマークではある研究が開始された。不安と恐怖の真っただ中に始まった研究プロジェクトのタイトルはHOPE。「希望:民主主義国家はいかにしてCovid19に対処するか―データ分析をもとにしたアプローチ」と名づけられたこの研究チームのリーダーがピーターセン教授だった。

コペンハーゲン大学、デンマーク工科大学(DTU)などとの共同プロジェクトとして開始されたこのHOPEプロジェクトは、コンピューターサイエンス、行動心理学、政治学を組み合わせて、コロナ禍で民主主義社会がどのように反応し、危機に向き合ったのか、また危機管理は上手くいったのか、などを検証してきたのだという。

具体的には、パンデミックの状況を追跡し、政府および国際機関の決定や、メディアとSNSの影響力、市民の行動やウェルビーイングなどが互いにどのように関連し合っているのかを検証する、前例のない研究プロジェクトなのだそうだ。

さらにこのHOPEプロジェクトは、2020年11月から感染防止のための様々な規制を実施する上でデンマーク政府が参照すべきプロジェクトにも加えられた。そして今日まで、HOPEプロジェクトは政府へさまざまな提案をおこなってきた。

日本に比べれば小さな国なので、対策の取りやすさには大きな差はあるものの、「デンマーク恐るべし!」と興味をもち、2022年2月4日からデンマークをデータ集計の対象に加えることにしました。以下はその一部ですが、これを見ると平日を対象に非常に詳細なデータ集計が行われています。「これは国レベルの情報管理(IT化)がよほど進んでいるんだろうな」と思いました。 

調べてみると、『デンマークのスマートシティ データを活用した人間中心の都市づくり』という本が出版されており、「これだ!!」と納得するとともに思わず買ってしまいました。

ちなみに“世界幸福度ランキング”では、デンマークはフィンランドに続き、第2位となっていました。

180日間にわたり死亡リスクはCOVID-19コホートが高率

重み付けで調整後、COVID-19コホートはインフルエンザコホートと比較して、退院後の全死因死亡リスク(累積発生率)が、30日時点10.9% vs.3.9%、標準化リスク差:7.0%[95%信頼区間[CI]:6.8~7.2])、90日時点15.5% vs.7.1%、8.4%[8.2~8.7])、180日時点19.1% vs.10.5%、8.6%[8.3~8.9])のいずれの評価時点でも高率であった。

上記はコロナ感染であって、ワクチン接種による問題ではないのですが、この記事は荒川 央先生の著書『コロナワクチンが危険な理由』に書かれた以下の文章を思い出します。

『心筋炎、脳梗塞、自己免疫疾患、癌、神経変性病などは加齢によってもリスクが高まる疾患です。こうした疾患がコロナワクチンの作用機序から予測され、実際に後遺症として報告されています。私はコロナワクチンによる隠れた副作用は文字通りの「老化」ではないかと思っています。

※荒川 央先生のブログ:"コロナワクチンが危険な理由

※ご参考ブログ:”免疫学者の警告1

※ワクチン問題:“「ワクチン」による傷害に関する査読済み論文1,000件  Dr. Mark Trozzi”(凄いサイトです)

※ワクチン問題:”みのり先生の診察室(医師である先生が来院される患者さんの変化を感じておられます)

サッカー上達法を考える

小学校からの友人にKサッカー少年団中毒のIさんがいます。いつも、「凄いな~」と感心しています。

そんなこともあって、「最近の少年サッカーの育成法はどんなもんだろー」と興味をもち、クラウス パブストのモダンフットボールというDVDを見つけました。

続いて、もし「50年以上前にこのような教材があったらどんなことになっていただろう?」との思いが浮かびこの中古DVDを買ってみました。

うまくなりたいと思い、シュート板に向かってボールを蹴ったり、ひとりでドリブルしたり、リフティングをしてみたりと、練習が休みの時も時々個人練習をやっていました。

今回。このDVDを見て練習の奥深さを実感しつつ、「もっと頭を使って練習していたらうまくなっただろうな~」と後悔しました。また、特に3対3などの実戦的な練習は個々の要素の結集でもあり、非常に重要だなと再認識しました。

もし、誰よりも3対3の実戦練習をうまくできるようになりたいとしたら、どんな事に心がけて練習をしたら良いのだろうかと思い、小中学生に戻ったつもりで真剣に考えてみました。

監修:クラウス・パブスト

発売元:株式会社イースリー

まず、その前にこのDVDがどんな内容なのか、概要をお伝えします。

CONTENTS

メッセージ

クラウス・パブスト プロフィール

DVDの特徴

コーチングメソッド

コンセプト

ドリブル/フェイント

・ボールプラックティス1

・ボールプラックティス2

・ボールプラックティス3

・シューティング1

・シューティング2

・ミニゲーム1

・ミニゲーム2

・ミニゲーム3

パス

・ボールプラックティス1

・ボールプラックティス2

・ボールプラックティス3

・シューティング1

・シューティング2

・ミニゲーム1

・ミニゲーム2

・ミニゲーム3

ボールコントロール

・ボールプラックティス1

・ボールプラックティス2

・ボールプラックティス3

・シューティング1

・シューティング2

・ミニゲーム1

・ミニゲーム2

DVDの特徴(CHARACTERISTIC OF THE DVD)

・サッカー(実戦)、テクニック、トレーニングを提供する。

・3つのサッカー技術を向上させる

1.ドリブル・フェイント

2.シューティング

3.ミニゲーム

・「ボールプラックティス」と「シューティング」は反復練習を通して、技術とフィジカルを向上させる。

・「ミニゲーム」では、選手は試合のような環境下で、ボールプラックティス&シューティングで得た技術を応用することができ、ゲームの知性を養うことができる。また、ミニゲームを行うことで、これらのトレーニングで得た、「テクニック」「判断」「フィジカル」を効率よく発揮することができる。

・豊富な種類のトレーニングにより「ゲームで反映させる」アジリティ能力を最大限に引き出すことができる。

・「ボールプラックティス」は試合前のウォーミングアップに使うことができる。

・選手のセルフトレーニングに使えるトレーニングが多い。

・このDVDのトレーニングはブンデスリーガチームのJrアカデミーで使われている。

画像出展:「モダンフットボール」

ーチングメソッド(COACHING METHOD)

・試合で使われるテクニックは多くの「繰り返し練習」によって学ばれるものである。

・実戦で発揮するためには「繰り返し練習」が必須である。

・ミニゲームでもほとんどは「基礎技術」(ボールプラックティスとシューティング)である。

・練習の強度を細かく変えていくことが重要である。

-選手間の距離を変える。

-選手を減らして一人当たりの負荷を高める。

-エクササイズのスピードを変える。

-2対2や3対3の対人トレーニングの時間を変える(最長3分)。

-合間のインターバルは少なくとも1分の休みを取る。

・ドリブルだけ、戦術だけと個別に行うのではなく、実戦と同じく、様々な要素を融合させることで、高効率的なトレーニングになり、技術とフィジカルを同時に高めることができる。

ライフキネティック

『ライフキネティックは、誰でもできる簡単な動きを通じて脳に刺激を与え、脳機能の向上と神経の伝達機能強化を促すことを目的としています。ライフキネティックは脳科学、運動学などを融合したプログラムで、数多くの研究所からライフキネティックに関する調査や研究の結果が出ています。

ケルン大学やマンハイムメンタルヘルス中央研究所で、ライフキネティックの効果検証が行われ脳機能の改善がみられたという検証結果が発表されています。

-目で情報を取り入れて、頭で考え、実際に動かす。このような連動した流れを養うことも重要である。

-トレーニングにおいて、マーカーの色やコーチの合図に合わせて進行方向を変えたり、視覚、情報処理と実行の組み合わせを取り入れたメニューを組み込むことも必要である。

-「ライフキネティック」によって鍛えられるのは、①ボールを扱う技能 ②視覚的な能力 ③認知の能力 ④インテリジェンス である。

コンセプト(CONCEPT)

「コーチ自身も楽しむ」

・サッカーにおいて「正解」はない。それは指導方法についても同様である。

・特に単調な反復練習は選手もコーチも飽きてしまい、大切な集中力も欠いてしまうため良い練習にならない。

「新鮮で新しく、飽きさせないメニュー」

・エクササイズとミニゲームは「ハードワークトレーニング」と「遊びの雰囲気」の2つを両立させる必要がある。

・経験の浅く、自分のメニューに自信のないコーチは、自問自答して「楽しい」と思える練習を行うようにする。

画像出展:「モダンフットボール」

DVDで特に印象に残ったクラウス パブストコーチの言葉

●最も大切なのはトレーニングには様々なバリエーションやオーガナイゼーションがあり、それらを理解した上で質の高いトレーニングを行い選手のレベルを上げることである。

●反復練習ではたくさんボールに触れる機会を作る。

●基礎練習で習得した技術(シュートに繋げるためのドリブル/フェイントやシュートにつなげるパス、ボールコントロール)でゴールの奪い方を学ぶ。

●指導の際に心がけているのは、「雰囲気づくり」である。それは選手にとって心地良い状況であり、楽しめる環境を作ることである。人は快適な環境の中で良いパフォーマンスを発揮できる。

選手がトレーニングに集中できれば選手は何かをつかむ。

ジュニアの重要な戦術は、ボールを持たない時の動きの質とボールを持った時のアイデアである。

●弱点を克服する以上に、強みを伸ばすことが重要である。

●パス練習の工夫では、仲間とタイミングを合わせる。顔を上げて自分の位置を確認しアイコンタクトを心がける。

●ドイツではコーチは子供の立場になって考えるようにと言われる。これは選手になったつもりで考えるという意味である。

3対3の実戦練習を誰よりもうまくなるための要素

[ボールをもっている時]

1.ボールを取られないボールコントロールのテクニック(=キープ)

●ボールと相手の間に自分の体を入れてボールを相手から隠すテクニック。

・ボールを細かくタッチできるテクニック(力の加減)。

・足の内側、外側、足の甲、足の裏で扱えると、よりキープのテクニックは向上する。

・左右の足で同じようにできると、よりキープのテクニックは向上する。

2.ボールを自分のコントロールできる範囲に止めるためのトラップの技術

●敵に取られないところにボールをトラップする。

・パスを出しやすい場所にトラップする。

3.相手にとられず味方にパスするキックの技術

●パスする味方がどこにいるか分かる。味方は2人いる。

・キープしながら、顔をあげることができる。

・キープしながら、周りを見て2人の味方(A・B)の場所が分かる。

・キープしながら、周りを見て2人の味方(A・B)にパスが出せる状況かどうかが分かる。

●相手に取られない場所に正確に蹴れること。

・足の内側、外側、つま先など、もっとも適切な蹴り方を選択して、適切なパススピードで蹴れること。

[ボールをもっていない時]

4.キープしている味方からパスをもらえる場所にいる。

●敵から離れなければならない。

・味方がパスを出せる瞬間に、味方がパスをだせる場所にいなければならない。

・味方がパスを出せない状況では、敵につかれていても問題はない。

●もう一人の味方と同じ動きをしてはいけない。2つのパスコースを作る

・キープしている味方とボールを持っていないもう一人の味方の場所と状況を把握できる。

※決定力

「日本人選手は決定力が課題である。ストライカーが育たない」などと言われ続けていますが、3対3の実戦練習を本気で取り組めば、以下のような得点を取るための技術は身につきます。残るは誰にも負けない得点に対する強く、冷静な気持ちとゴールイメージだと思います。

・シュートできる最適な場所に置く(トラップする)。

・ゴールとGKの位置を把握する。

・冷静に狙った場所に蹴る。

感想

「繰り返し練習」が非常に重要であることは間違いありません。また、目的、目標、問題意識、そして創意工夫の気持ちを持ち続け、楽しむこと。そして、小さな発見を積み重ねることが重要だなと思いました。

また、DVDの中の練習は高度なもののありますが、楽しさと集中力が伝わってきます。昨日より今日、今日より明日と少しずつでもうまくなりたいと思って日々工夫すること、そして、たくさんボールに触れることが最も大切なことだと思いました。

「生命とは何か」

本書は“シュレーディンガーの方程式”などにより、量子力学に多大な貢献をされた、エルヴィン・シュレーディンガーの有名な著書で、発行は1944年なので約79年前に書かれたものということになります。

私にとって量子力学は出口の見えないトンネルのようなものなのですが、本書の副題が『物理的にみた生細胞』となっており、とても興味をもったというのが手に取った理由です。

ブログは「まえがき」の一部と、71のテーマの中の4つと、鎮目恭夫先生の「岩波新書版(1975年)への訳者あとがき」の中の“シュレーディンガー略歴”になります。ブログの内容は乏しいのですが、個人的には新たな発見もあり、時間をかけた価値はあったなと思っています。

著者:エルヴィン・シュレーディンガー

出版:2008年5月

出版:岩波文庫

まえがき

『そもそも科学者というものは、或る一定の問題については、完全な徹底した知識を身につけているものだと考えられています。したがって、科学者は自分が十分に通暁していない問題については、ものを書かないものだと世間では通っています。このたびは、私はとにかくこの身分を放棄して、この身分につきまとう掟から自由になることを許していただきたいと思います。これに対する私の言いわけは次の通りです。

われわれは、すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする熱望を、先祖代々受け継いできました。学問の最高の殿堂に与えられた総合大学の名は、古代から幾世紀もの時代を通じて、総合的な姿こそ、十全の信頼を与えられるべき唯一のものであったことを、われわれの心に銘記させます。しかし、過ぐる100年余の間に、学問の多種多様の分枝は、その広さにおいても、またその深さにおいてもますます拡がり、われわれは奇妙な矛盾に直面するに至りました。われわれは、今までに知られてきたことの総和を結び合わせて一つの全一的なものにするに足りる信頼できる素材が、今ようやく獲得されはじめたばかりであることを、はっきりと感じます。ところが一方では、ただ一人の人間の頭脳が、学問全体の中の一つの小さな専門領域以上のものを十分に支配することは、ほとんど不可能に近くなってしまったのです。

この矛盾を切り抜けるには(われわれの真の目的が永久に失われてしまわないするためには)、われわれの中の誰かが、諸々の事実や理論を総合する仕事に思いきって手を着けるより他に道がないと思います。たとえ物笑いの種になる危険を冒しても、そうするより他には道がないと思うのです。

私の言いわけはこれだけにします。

目次

まえがき

第一章 この問題に対して古典的物理学者はどう近づくか?

1 研究の一般的特質と目的

2 統計物理学からみて、生物と、無生物とは構造が根本的に異なっている

3 きまじめな物理学者は、この問題にどう近づくか?

4 原子はなぜそんなに小さいのか?

5 生物体の働きには正確な物理法則が要る

6 物理法則は原子に関する統計に基づくものであり、近似的なものにすぎない

7 法則の精度は、多数の原子の参与していることがもとになっている第一の例(常磁性)

8 第二の例(ブラウン運動、拡散)

9 第三の例(測定の精度の限界)

10 分子数の平行根の法則

第二章 遺伝のしくみ

11 古典物理学者の予想は、決してつまらぬものとは言い棄てられないが、誤っている

12 遺伝の暗号文(染色体)

13 生物体は細胞分裂(有糸分裂)で生長する

14 有糸分裂では、すべての染色体がそれぞれ二つになる

15 減数分裂と受精(接合)

16 一倍体の個体

17 減数分裂はとりわけ重要である

18 乗り換え。遺伝形質は染色体の局部的な場所に座を占めている

19 遺伝子の大きさの限界

20 遺伝子は少数個の原子からなる

21 遺伝子の永続性

第三章 突然変異

22 不連続は突然変異―自然淘汰の行われる根拠

23 突然変異種は育種可能である、すなわちそれは完全に遺伝する

24 遺伝子の座、劣性と優性

25 若干の学術用語の紹介

26 近縁交配は有害な結果を生ずる

27 一般的な注意と史実

28 突然変異は稀な出来事でなければならない

29 X線によって引き起こされる突然変異

30 第一の法則、突然変異は単一事象である

31 第二の法則、この事象は或る限られた場所で起こる

第四章 量子力学によりはじめて明らかにされること

32 遺伝子の永続性は古典物理学では説明できない

33 量子論によれば説明できる

34 量子論―飛び飛びの状態―量子飛躍

35 分子

36 分子の安定度は温度に依存する

38 修正すべき第一の点

39 第二の修正点

第五章 デルブリュックの模型の検討と吟味

40 遺伝物質の一般的な描像

41 この描像は唯一のものである

42 従来行われてきたいくつかの誤った考え

43 物質の異なる「状態」

44 本当に問題になる区別

45 非周期性の固体

46 縮図の中におしこめられた種々様な内容

47 事実との比較、安定度および突然変異の不連続性

48 自然淘汰により安定な遺伝子が選ばれる

49 突然変異種にはしばしば安定性の低いものがある

50 温度の影響は安定なものより不安定なものに対する方が少ない

51 X線はどんな仕方で突然変異を起こすか?

52 X線の効率は、自発的な突然変異の頻度の大小にはよらない

53 突然変異は元に戻せる

第六章 秩序、無秩序、エントロピー

54 この模型からでてくる注目すべき一般的な結論

55 秩序性を土台とした秩序性

56 生命をもっているものは崩壊して平衡状態になることを免れている

57 生物体は「負エントロピー」を食べて生きている

58 エントロピーとは何か

59 エントロピーの統計的な意味

60 生物体は環境から「秩序」をひき出すことにより維持されている

第七章 生命は物理学者の法則に支配されているか?

61 生物体ではどんな新法則が期待されるか?

62 生物学的な事情の概観

63 物理学的な事情の概括

64 両者は著しい対照をなしている

65 秩序性を生み出す二つの道

66 この新原理は物理学と相いれないものではない

67 時計の運動

68 時計仕掛けもつきつめてみれば統計的なものである

69 熱力学の第三法則(ネルンストの定理)

70 振子時計は事実上絶対零度にある

71 時計仕掛けと生物体との関係

エピローグ 決定論と自由意志について

岩波新書版(1975年)への訳者あとがき

21世紀前半の読者にとっての本書の意義

  ―岩波文庫への収録(2008年)に際しての訳者あとがき

第一章 この問題に対して古典的物理学者はどう近づくか?

1 研究の一般的特質と目的

・この小著は、一理論物理学者が約400人の聴衆に対して行った一連の公開講演をもとにしたものである。

・数学を使っていないのは、あまりに複雑で十分に数学を使うことができなかったからである。

この講演の目的は、生物学と物理学との中間で宙に迷っている基礎的な観念を、物理学者と生物学者との双方に対して明らかにすることにあった。

・重要でしばしば論議されている疑問とは、生きている生物体の空間的境界の内部で起こる時間・空間的事象は、物理学と化学とによってどのように議論されるのか?

・『この小著により解き明かして、はっきりさせようと試みるその答は、前もって次のように要約できます。今日の物理学と化学とが、このような事象を説明する力を明らかにもっていないからといって、これらの科学がそれを説明できないのではないか、と考えてはならないのです、と。

2 統計物理学からみて、生物と、無生物とは構造が根本的に異なっている

・『周期性結晶が研究の対象として最も複雑なものの一つであると私が言ったのは、もっぱら物理学者を念頭においてのことです。事実、有機化学は、ますます複雑な分子を研究することにより、かの「非周期性結晶」のごく近くにまで到達しました。私の考えでは、非周期性結晶こそ、生命をになっている物質なのです。それ故、生命の問題に対して、有機化学はすでに大きな重要な貢献をなしているのに、物理学者がまだほとんど何ら寄与していないのは、さして不思議ではありません。』

非周期性結晶”について知りたいと思い見つけたのが下記の早川先生の寄稿です。これは、(1999.3.24 於討論集会「生命物理と複雑系」東北大学電気通信研究所)となっているのでかなり古いものですが、物理学者としてのシュレーディンガー、著書の「生命とは何か」、そして疑問の“非周期性結晶”について記述されているのでピックアップさせて頂きました。

「生命物理は物理のフロンティアか」 早川尚男 (京都大学大学院人間・環境学研究科)

『シュレディンガーの生命観は御承知の通り素朴な決定論に基づいていました。 特に彼は染色体に注目し「非周期的結晶」と呼ぶに相応しい物質であると注目しておりました。非周期結晶とは 個々の単位は同じではないが、それらが周期的に現れ規則的配列をしているという意味で使っていますが、この考え方が後に重要な 役割を果たすことになります。特に染色体がその結晶的構造故に重要で遺伝暗号を媒介する遺伝子を持つということはシュレディンガーが初めて陽に言った様です。 ここで強調したいのは結晶を重要視し、素朴な力学的考察で生命現象は理解できるとした非常に力強い信念があった点です。 その意味で彼は生命を分子機械であると捉えていたと言えるかもしれません。』

こちらは早川先生のTwitterです。早川先生は現在、基礎物理学研究所 物質構造研究部門 教授 で間違いないと思います。

第三章 突然変異

22 不連続は突然変異―自然淘汰の行われる根拠

・『今から約40年前に、オランダ人のド・フリースは、完全に純粋種のものの子孫さえも、小さいが「飛び離れた」変化をしたものがごく少数、たとえば何万に二つとか三つとかの割合で出現する、ということを発見しました。「飛び離れた」という言葉は変化がはなはだ大きいという意味ではなく、変化の起こっていないものとごく少数の変化の起こったものとの中間の形のものがまったくない、という意味で不連続性があることを意味します。ド・フリースは、それを突然変異と名づけました。

不連続性ということことが重要なことなのです。これは、物理学者に量子力学―隣り合った二つのエネルギー準位の中間のエネルギーは現われないこと―を連想させます。物理学者は、ド・フリースの突然変異の説を、比喩的に生物学の量子論と呼びたいような気がするかもしれません。後の説明、これは単なる喩え以上に深い意味のあることがわかるはずです。実際、突然変異は、遺伝子という分子の中で起こる量子飛躍によるのです。

[突然変異と量子論]で検索したところ大変興味深いサイトが2つ見つかりました。

以前、私は「生物と量子力学」というブログをアップしているのですが、まさにこの分野は新事実がどんどん出てきているようで注目です。

画像出展:「ナゾロジー

『英国サリー大学(University of Surrey)で行われた研究によれば、DNAでは従来考えられていたよりも遥かに高い確率でトンネル効果が発生している可能性が高い、とのこと。

量子力学の世界では電子や陽子など小さな粒子の存在確率はあやふやであり、粒子がある場所から別の場所に突然、移動に必要なエネルギーを無視して、トンネルを通ったかのように出現する現象が起こり得ます。

研究結果が正しければ、生物進化の原動力として、量子効果が大きな影響を与えていることになるでしょう。』

画像出展:「ナゾロジー

『DNAは「生命の設計図」としての機能があり、私たち生物の体を作るためには欠かせない存在となっています。またDNAに刻まれた情報は世代を超えて子孫に継承され、親同じような体をした子を作ることを可能にし、種の概念を与えてくれます。しかしDNAの構造は不変ではなく、さまざまな要因で変化してしまうことが知られています。

DNA変異は有害物質や紫外線などの化学的・物理的要因に誘発されるだけでなく、複製時の酵素反応のエラーなど生物学的な要因によっても発生します。

DNAは誕生した当初から、物理的要因・化学的要因・生物学的要因の全てから挑戦を受けてきたと言えるでしょう。しかし量子力学と生物学との融合によって誕生した「量子生物学」の進歩により、生命活動において量子的な効果が無視できないことがわかってきました。

たとえば植物の光合成では、化合物間の間で古典物理学に反した電子のジャンプが頻繁に行われており、植物たちが量子力学を使って光合成効率を高めていることがわかってきました。』

もう1つは、量子科学技術研究開発機構さまのサイトです。

“量子力学の観点からメス  生命の謎に迫る”

『第4の波後半の20世紀、分子生物学が大きく花開いた。デオキシリボ核酸(DNA)二重らせん構造の発見に始まり、DNAに記された遺伝情報からたんぱく質が作られる仕組みやその役割などが明らかになった。がんやさまざまな病気に対する医薬、新型コロナウイルスに対する治療薬やmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンなどが開発され、人類は分子生物学の恩恵を受けている。

ヒトを始めとしたさまざまな生物種の全遺伝情報(ゲノム)もすでに解読され、生物の部品の情報が得られた。しかし、自動車は分解して組み立てると動くが、ヒトや大腸菌を分解しても元通りにならない。部品どうしの繊細な相互作用の情報が欠落しているからだ。つまり要素還元的なアプローチだけでは「生命とは何か?」に対する答えを得ることはできない。

第4の波で花開いた分子生物学の限界が見えた。第5の波は量子生命科学が花開くと考える。量子論・量子力学の視点や技術で生命科学にパラダイムシフトを起こそうとするのが、量子生命科学だ。生命科学の発展は科学技術の発展に依存する。16世紀末に光学顕微鏡が発明されて細胞が発見され、生命科学は分類学から細胞生物学にパラダイムシフトした。そして、電子顕微鏡や遺伝子工学の技術革新で分子生物学が花開き、免疫学、ウイルス学、脳神経科学などの生命科学が飛躍的発展を遂げた。』

第四章 量子力学によりはじめて明らかにされること

33 量子論によれば説明できる

・『今日の知識に照らしてみれば、遺伝子の仕掛けは、量子論の基礎そのものと密接に結びついている、というよりはむしろ、その上に打ち立てられているといえます。量子論は1900年にマクス・プランクにより発見されたものです。 

画像出展:「WAKARA

以下の文章は「Chem-Stationに書かれている内容です。このサイトには英語ですが、1分36秒のマックス・プランクの動画がありました。

『マックス・カール・エルンスト・ルードヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck、1858年4月23日-1943年10月4日)は、ドイツの理論物理学者である。1918年にノーベル物理学賞を受賞。量子論の開祖の一人。

マックス・プランクは「量子論の父」と呼ばれているとのことで、ちょっと気になったのは、以前ご紹介したことのある、ニールス・ボアは何だっけ? というと、確認したところ、「量子論の育ての親」とのことでした。

 

近代遺伝学はド・フリース、コレンス、チェルマクによるメンデルの法則の再発見(1900年)およびド・フリースの突然変異に関する論文(1901-03年)から出発したといえます。したがって二つの偉大な理論の誕生はほとんど時を一つにしており、両者の結びつきができるまでに、或る程度の成熟に達する時をかさねなければならなかったのは不思議ではありません。量子論の側では、四半世紀かかって1926-27年になりようやく、W・ハイトラーとF・ロンドンにより、化学結合の量子理論の全貌が一般的原理において明らかにされました。ハイトラー-ロンドンにより化学結合の理論は、量子論の最近の発展(量子力学または波動力学と呼ばれるもの)の中で最も巧妙でこみ入った諸概念を含んでおります。計算を用いないでそのおおよその説明をすることは不可能に近く、あるいは少なくとも、本書と同じ位の小さい本を一冊必要としてます。しかし幸いに、われわれの考えを明らかにするために必要な説明はすっかり済みましたから、「量子飛躍」と突然変異との間の関連をもっと直に指摘し、最も顕著な点をいま拾いあげることができると思われます。このことこそ本書でこれから試みようとすることなのです。

岩波新書版(1975年)への訳者あとがき

シュレーディンガー略歴

『シュレーディンガーは、1887年オーストリアのウィーンに生まれました。同地で教育を受け、ウィーン大学に学びましたが、そのころウィーン大学には、確固たる原子論の立場にたつ統計力学の指導者ボルツマンがいました。ボルツマンは1906年自殺したので、彼が接した期間は短かったが、その学風から影響を受けたことは少なくなかったと思われます。シュレーディンガーは研究生活に入ると間もなく1912年に、物質の電気的・磁気的性質を電子論と原子構造から理論的に導く研究論文を発表しました。その後の研究は、多方面の理論的な問題におよんでいますが、その中には、大気中の音の音波の伝播の問題や、薄い液体膜(泡)の振動などの研究があります。また結晶格子とX線の干渉などの論文もあります。要するに、振動(物質中の音波や光の波)とその原子的(粒子的)な構造との関係というものが主要な関心の的だったといえましょう。

1920年にウィーンを去り、スツットガルト大学の理論物理学教授の席を得、同年結婚し、翌年にはスイスのチューリヒ大学の教授になりました。そのころようやく、前期量子論と相対性理論との立場から従来の力学に適当な制限を付加するというやり方での研究が行きづまり、原子のような世界にあてはまる新しい力学体系が必要になってきました。その中で1925年にハイゼンベルクが、まったく新しい立場から原子の力学を提唱し、ボルンとヨルダンはこれをマトリックス力学の形にし、これにより従来のニュートン力学と原子の力学との間に或る形式的な対応がつけられました。これに対し、シュレーディンガーはより直感的なモデルを考えており、従来の物理学で力学と光学との形式上の相似の関係を追及していました。1923年フランスのド・ブロイが、物質粒子の中の電子の波動が、干渉によっていくつかの定常波をつくって安定な電子軌道を生ずるというアイデアから、波動力学と名づける新力学を提出しました。1926年、彼が38歳の年の3月から9月にわたり発表した「固有値問題としての量子化」と題する前後四篇の論文は、今日シュレーディンガーの波動方程式と呼ばれる基本的な形式を導き、この波動力学がハイゼンベルクらのマトリックス力学と数学的に等価なものあることを証明し、さらに水素原子への応用例を示した論文でした。こうして新しい原子力学(やがて量子力学と呼ばれるようになったもの)が基本的に確立されました。

彼は1927年にプランクのあとをついでベルリン大学理論物理学教授になり、ユダヤ人ではなかったが、ヒトラーのナチスがドイツの政権を獲得した1933年にイギリスに渡り、同年ディラックと共にノーベル物理学賞を与えられ、オクスフォード大学とアイルランドのダブリン高級学術研究所に席を得ました。そして1936年にオーストリアのグラーツ大学に戻りましたが、第二次大戦の勃発により中立国アイルランドのダブリン研究所に落着きました。

ところで、シュレーディンガーの波動力学は、ハイゼンベルクのマトリックス力学やディラックの非可換代数学とくらべて直感的・時空的な原子像を頭に描くのにははるかに好都合で、そのため化学結合の理論やその他の原子・分子レベルの諸問題について量子力学の威力と信用を急速に高めるのに役立ちました。しかしまた彼が頭に描いた原子像・自然像は、アインシュタインのそれと似て、物質の時空的連続性について古典物理学的自然像に執着したものであり、そのためこの連続性と量子力学的現象で問題になる非連続性(物質構造の量子的非連続性や時間的変化の因果的非連続性)との矛盾に鋭くぶつかりました。そしてこの矛盾については、ボルンが「量子力学的確率」という観念を導入し、ハイゼンベルクが「不確定性原理」を提唱し、ボーアが物質の構造とその変化について時空的記述と因果的記述とは同一物の二つの側面像―二つの側面を同時に直接見ることはできないが二つの側面像は相互に補い合うもの―であるという「相補性原理」を提案したことによって、学界の大勢は哲学的不安から解放され、以来これが量子力学の正統派的解釈(コペンハーゲン的解釈)として学界の主流になり、理論物理学界の中央最前線は1920年代末からこの線にそった量子力学による素粒子物理の研究へ向かいました。しかし、アインシュタインやシュレーディンガーは量子力学のこの正統派的解釈に終生にわたり強い疑問と不信をいだき、そのためシュレーディンガーはアインシュタインと同様に1920年代末以降は理論物理学界の主流から全くはずれ、精神的孤独な生涯を歩いたのでした。個人というものは、ある究極的な意味では誰もみな孤独でありひとりで死んでゆくものでありますが、シュレーディンガーはその孤独さを後半生にはっきり自覚的に体験しつつ生きた人の一人でした。そのような孤独の自覚は古今東西の万人との一体的連帯感と相補的なものであり、そのことが本書のエピローグの哲学的な文章のなかに反映していると訳者は思うのですが。

1930年ごろ以来、シュレーディンガーの関心の最も中心的な焦点は、アインシュタインの場合と全く同じではないが、物質と電磁気と重力とを統一的に扱う単一場理論と宇宙論へ向かったように思われます。彼はダブリンで三冊の優れた小著―本書(1944年)と「統計熱力学」(1950年)―を次々に世に送りました。いずれも、簡潔な教科書的書物のなかに独自の鋭い哲学的思索を示したものです。その後1956年に母国に帰り、ウィーン大学教授となり、1961年1月4日に73年余の生涯を閉じました。』

ご参考

“シュレーディンガーの略歴”の中に、「アインシュタインやシュレーディンガーは量子力学のこの正統派的解釈に終生にわたり強い疑問と不信をいだき」とありますが、このことに触れている2つのブログをアップしていましたのでご紹介させて頂きます。 

ブログ:「数学と量子力学/物理学

確率解釈には激しく抵抗しました。なぜなら確率などという原理を物理学の中に持ち込むと、物理学はもはや「決定論」ではなくなってしまうと考えられるからです。

 

 

ブログ:「超ひも理論(超弦理論)

●量子重力理論

相対論と量子論が“結婚”出来れば究極の理論になる

-相対性理論は時間や空間、そして重力に関する物理学の理論である。

-量子論は原子や素粒子などのふるまいを説明する物理学の理論である。

マクロの世界に加え、ミクロの世界でも重力計算ができるようになれば、究極の理論は完成するということです。そして”素粒子=点”ではなく、”素粒子=ひも(弦)”と捉えることにより、可能性が生まれるということが分かりました。 

認知症の薬とインスリン

NHKのBS放送で“脳”に関する番組が目に留まりました。それは「人体神秘の巨大ネットワーク3 第5集 “脳”すごいぞ!ひらめきと記憶の正体」に関するものでした。

アマゾンで購入履歴を調べたところ以前に購入しており、おそらくその時は「人体神秘の巨大ネットワーク3」の第4集の「万病撃退!“腸”が免疫の鍵だった」に興味があって購入したものの、第5集は読んでいなかったということだと思います。

「これは買う手間が省けた」というところです。Partは以下の4つですが、ブログはPart4の「認知症撲滅作戦」を取り上げることにしました。

Part1 脳に広がる神経細胞のネットワーク

Part2 “ひらめき”の秘密

Part3 海馬に刻まれる記憶

Part4  認知症撲滅作戦

・編集:NHKスペシャル「人体」取材班

・発行:2018年6月

・出版:東京書籍

薬を通さない脳血管の特別な関門

●『長い人生を通して私たちの脳の中に築かれていく記憶のネットワーク。それがむしばまれることで引き起こされる病気が認知症だ。認知症の原因はさまざまだが、最も患者数が多いのがアルツハイマー病で、世界各国の研究者が治療薬の開発にしのぎを削っている。アルツハイマー病は、一説によれば「アミロイドβ」というたんぱく質が脳にたまり、神経細胞を壊すことで起こると考えられている。このアミロイドβを分解する薬を脳に送り込むことでアルツハイマー病の進行を食い止めようと、これまでも多くの薬がつくられてきたが、いつも大きな難題が立ちはだかっていた。薬を投与しても、脳神経細胞にまで届いている形跡が見られないのだ。

これまでその理由に関しては、さまざまな可能性が取り沙汰されてきたが、現在ではその有力な仮説として、脳の血管の特別な仕組みに原因があるのではないかと考えられている。通常、点滴や錠剤などを介して血液中に溶け込んだ薬の物質は、血液の流れに乗ってターゲットとする臓器へと移動し、血管からしみ出して臓器の内部に届けられる。それが可能なのは、血管の壁に薬が通れるだけのすき間が開いているからだ。

一方、脳の血管の壁の細胞は、互いに強く結合しているためほとんどすき間がなく、薬が通り抜けることができない。このような脳の血管の仕組みは「血液脳関門」と呼ばれている。英語ではBlood-Brain Barrier、文字通り脳を血液から守るバリアーだ。

画像出展:「薬が脳に到達するメカニズムの解明に挑戦 日本大学薬学部

血液脳関門の実体は無窓性(つなぎ目のない)の筒(チューブ)状に連結された血管内皮細胞から主に構成されている。ヒトの脳毛細血管の細胞内容積は、全脳容積のわずか0.1-0.2%であるが、血管の全長は600Kmもあり、脳内を綱目状に分布している。

血液脳関門を突破して脳に届きアミロイドβを分解できる薬は、まだ医療の現場に登場していない。

なぜ、脳の血管だけに、物質の侵入を簡単には許さない特別な仕組みがあるのだろうか。それは、私たちの脳の中で、さまざまなメッセージ物質がやり取りされていることと関係がある。

画像出展:「人体神秘の巨大ネットワーク」

茶色い物質がアミロイドβです。


もし脳の中に、血液の中を行き交う他の臓器からのメッセージ物質が際限なく流れ込めば、脳は大混乱に陥り、神経細胞の働きに支障をきたすだろう。つまり、血液脳関門は脳に必要な物質を血液中に排出するという、脳の働きを健全に保つ重要な役割を担ってるのだ。

そのため、メッセージ物質の中でも脳の血管の壁を突破することが許されているのはごく一部、特別な役割をもつ物質に限られている。

例えば、すい臓から分泌される「インスリン」はその1つだ。インスリンはPart3でも紹介したように、「記憶力をアップせよ!」というメッセージを脳に伝え、海馬の歯状回の神経細胞を増やすという役割が指摘されている。さらに、インスリンが不足したり働きが不十分な場合は、認知機能や記憶機能に障害が出ることも分かっている。脳にとって欠かせない物質だからこそ、血液脳関門の通過を許されていると考えられている。

血液脳関門は脳を守るという点では役立つものの、薬を脳に届けようとするうえでは逆に大きな妨げになってしまうという、ある意味「諸刃の剣」となっているのだ。』

脳内に薬を届ける新たな仕組み

●血液脳関門を通り抜ける薬を開発することは、臨床医や製薬企業の研究者にとって大きな関心事となっている。

●この難問の第一人者はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)名誉教授のウィリアム・パードリッジ博士である。博士は15年前にベンチャー企業を設立し、新薬の開発の指揮を執っている。

●血液脳関門を通り抜けることができる数少ないメッセージ物質の中から、博士はインスリンに注目した。

●『パードリッジ博士はまず、血液脳関門を形づくっている脳の毛細血管を分離し、この毛細血管の中にどんな運搬機能があるのかを徹底的に調べた。そして、血管の内側の壁にはインスリンにくっつく小さな突起があることを突き止め、血液脳関門を突破する仕組みを解き明かした。

●インスリンが血液脳関門を通り抜ける仕組み(CGです)

画像出展:「人体神秘の巨大ネットワーク」

 

すい臓から分泌されたインスリンは血液の流れに乗って脳の血管に到達する。

脳の血管の壁を通過できるのは、メッセージ物質の中でも、ごく一部の限られた物質である。

画像出展:「人体神秘の巨大ネットワーク」

 

脳の血管の表面には、インスリンをキャッチするための小さな突起がある。

画像出展:「人体神秘の巨大ネットワーク」

 

突起がインスリンをキャッチすると、まるで“秘密の扉”が開くように血管の壁は陥没し始める。

画像出展:「人体神秘の巨大ネットワーク」

 

パードリッジ博士は、この突起にくっつく物質を作り出し、それに薬を結合させて血液脳関門を通過させる戦略を思いついた。

画像出展:「人体神秘の巨大ネットワーク」

 

メッセージ物質が血管の壁を越えて、血管の中から脳へと向かう様子を捉えた写真。パードリッジ博士らが1985年に撮影に成功した。

画像出展:「人体神秘の巨大ネットワーク」

 

カプセルのような薄い膜に包まれたメッセージ物質が、血管の壁を通り抜ける瞬間が映し出されている。

ハーラー病の子どもをすくえ!

●パードリッジ博士らが「認知症の新薬を開発するための第一歩」と位置づける臨床試験は既に始まっている。2017年10月、ブラジル南部のポルトアレグという街では、ハーラー病の3歳から16歳までの子どもたちが、週に一度、大学病院にやってくる。

●ハーラー病はグリコサミノグリカン(GAG)と呼ばれる物質が細胞の中に溜まることで引き起こされる難病であり、ライソゾーム病の一種である。ライソゾーム病は細胞内の小器官ライソゾームに関連した酵素が欠損しているために、分解されるべき物質が老廃物として体内に蓄積してしまう、先天性の病気の総称である。日本ではハーラー病など31種類のライソゾーム病が難病の指定を受けている。

血液脳関門を突破するプロジェクト

●ポルトアレグで行われている新薬の臨床試験は、アメリカの保健省の指導の下、1年半にわたって続けられてきた。試験に参加していたのは11名、症状が重い8人のうち7人に認知や運動面で症状の改善が見られた。

認知症治療薬の開発への応用

●ブラジルで臨床試験が行われているハーラー病治療薬の開発に成功すれば、世界中の2,000以上の子供たちへの朗報となる。また、ライソゾーム病全体で見れば罹患している子どもはもっと多い。

アルツハイマー病の進行を食い止める薬の道筋も見えてくるが、パードリッジ博士らは同じ技術を用いてアルツハイマー病の新薬の開発にも取り組んでいる。

●血液脳関門を突破するカギとして注目されているのは、インスリンだけでない。日本では血液中の鉄を脳へ運ぶのに関係するトランスフェリンというたんぱく質に着目し、この物質を利用することでライソゾーム病の薬を脳に送り届けようと開発を進めている。

生成AIの可能性

AIとは人工知能(Artificial Intelligence)ですが、そもそもよく分かっていません。特に知りたいことはビジネスに対するインパクトの大きさです。一過性の盛り上がりなのか、“クラウド”のように主流としてITビジネスをリードしていくような革新なのかということです。

購入したニュートン別冊は、2018年5月発行なので少々古いのですが、図表も多く内容的にも興味深いものでした。

編集:中村真哉

発行:2018年5月

出版:(株)ニュートンプレス

生成AI(Generative AI)については、NRI(野村総合研究所)さまのサイトをご紹介させて頂きます。“生成AIとは” 3分40秒の動画もあり、大変勉強になります。

こちらのDOORSの寄稿は非常に具体的です。(執筆者はブレインパッドの高田洋平様です)

生成AI(ジェネレーティブAI)とは?仕組みやChatGPTとの関連性を解説

ブログで取り上げたのは目次の黒字の個所です。

目次

1 基礎から学ぶ人工知能

●人工知能の分類

●人工知能の歴史

●ヒトとコンピューターの画像認識①~②

●ヒトの視覚野のしくみ①~②

●ディープラーニング

●機械学習①~②

●ディープラーニングの未来①~②

2 人工知能の最新応用技術

●人工知能の進化

●将棋プログラム

●アルファ碁

●保健医療分野におけるAIの活用

●人工知能の病理診断

●人工知能の内視鏡検査

●人工知能の眼底検査

●自動運転  ※ばっちゃまの米国株

●人工知能のひび割れ点検

●人工知能の惑星探査

3 人工知能の未来

●人工知能とセキュリティ

●人工知能と公平性

●人工知能とプライバシー

●汎用人工知能①~②

●シンギュラリティ

4 人工知能の新領域へ

●インタビュー 山川 宏博士

人間と調和できる人工知能をつくりたい

●インタビュー 金井良太博士

AIに意識をもたせることで意識の本質にせまりたい

●インタビュー 山本一成氏

AIが将棋の可能性を広げてくれた

●インタビュー 坊農真弓博士

「ロボットは井戸端会議に入れるか」会話にあるルールを解き明かしたい

●インタビュー 井上智洋博士

AIが人間を仕事から「解放」してくれる

●インタビュー 佐藤 健博士

AIに裁判の結果の理由を説明させる

●インタビュー 平野 晋博士

AIに常識や倫理観、感情は必要か

1 基礎から学ぶ人工知能

ヒトとコンピューターの画像認識①~②

私たちは、どのように画像を認識している?

・自動運転や医療診断に欠かせないのは画像認識です。この画像認識を可能にし、人工知能の飛躍的進化をもたらしたのが「ディープラーニング」です。例えば、イチゴを見た瞬間にすぐにイチゴだと分かるのは、眼から入った視覚情報が脳の後方(後頭葉)にある「一次視覚野」に送られ、さまざまな情報と統合されてイチゴと認識されるからです。 

画像出展:「ゼロからわかる 人工知能」

コンピューターはディープラーニングで特徴を抽出

・従来のコンピューターは、足し算や掛け算などの計算を大量に行うことはできますが、瞬時にイチゴをイチゴであると認識することはできません。

ディープラーニングはイチゴの画像をすべて数値化し膨大な計算を行うことで、イチゴの特徴を抽出します。

まず、イチゴの画像を非常に細かい画素(ピクセル)に分け、その画素が画像のどこに位置するのかといった「位置情報」と、その画像は何色なのかといった「色情報」を持った数値として処理します。イチゴの画像もコンピューター内では、ただの数学の羅列というわけです。

・イチゴの特徴には、「表面につぶつぶがある」「丸みをおびた三角の形をしている」といった特徴があります。これらの特徴を抽出する必要があるのですが、従来の人工知能ではこの「特徴の抽出」を行うことは難しく、研究者が人工知能に「イチゴとは赤いもの」「イチゴには緑色のへたがついている」など逐一、ルールを教える必要がありました。しかしながら、イチゴの特徴を完全に言語化することは不可能であり、精度よく認識できる人工知能を開発することはできませんでした。

ディープラーニングでは、脳の構造を模した「ニューラルネットワーク」という方法を用いて、特徴を自動で取り出すルールを自ら獲得することができますつまり、「特徴の抽出」を行うことができるのです。


ディープラーニング

コンピューターの中に神経網をつくりだす「ディープラーニング」

ニューラルネットワークとは神経回路を模してつくられたシステムです

・ニューラルネットワークは、データを受け取る「入力層」、学習内容に応じてネットワークのつながり方を変える「隠れ層」、そして最終データを出す「出力層」に分けられます。それぞれの層は、「ノード」とよばれる仮想的な領域からなります。ノードでは以下のような計算が行われ、流れる情報の量が制御されます。 

画像出展:「ゼロからわかる 人工知能」

これは、人間におけるニューロンのはたらきに相当します。このニューラルネットワークを何層にも重ねる(深くする)ことで作られるシステムが「ディープラーニング」です。ディープラーニングは脳の視覚野と同じように、入力層に近い部分では単純な形しか判別できません。しかし層を重ねることで、より複雑な特徴を得ることができます。そして最終的にコンピューターは、イチゴそのものの概念を手に入れることができるようになります。このようにディープラーニングは、視覚野が行う情報処理のしくみに非常に似ています。

機械学習①~②

人工知能の“学習”とは、出力結果と正解との誤差小さくすること

・人工知能は、最初は画像からイチゴの特徴を正しく抽出することも、正しい重みづけをすることもできないので、人工知能はイチゴとリンゴを判別することはできません。そこで、分類した結果の答え合わせを行い、正解との誤差を小さくできるように、重みづけを変えていきます。

コンピューターが“学習”するしくみを見てみよう

・「機械学習」とは、人工知能に試行錯誤を繰り返させ、正しい結果が出せるようにノードとノードの重みづけ徐々に変化させていくことを指します。

・イチゴとリンゴを分類する方法を見てみます。

-学習前の人工知能は重みづけがないので、イチゴがもつ特徴が何か(画像のどこに注目するか)も分かっていません。

[STEP1.画像入力]:イチゴの画像を入力する。この画像には「イチゴ」のレベルが貼られている。

[STEP2.分類]:初期段階では、リンゴとイチゴを分類する特徴が抽出できず、適切な重みづけも不明である。人工知能はすべてを足し合わせ平均をとる。

-人工知能が間違ってリンゴと判定したとしましょう。

[STEP3.結果の出力]:リンゴである確率とイチゴである確率を比較し結果を出す。今回の場合は50%なので判別できない。

-正しい答え(イチゴ)を導き出せるように調整を加えていきます。

[STEP4.答え合わせ]:画像に貼られているラベル(「イチゴ」)と出力結果を突き合わせる。そして、答え合わせの誤差が小さくなるように、人工知能は自ら線の重みづけを変えていく。その結果、抽出される特徴も変わっていく。これが「機械学習」である。ディープラーニングの場合、出力層から入力層に向けて、多くの隠れ層をさかのぼってすべての重みづけを変更していく。


インターネットの拡大が人工知能を賢くした

人工知能は、何百枚、何千枚と学習を繰り返すことで、徐々に正しい答えを導き出せるようになります。

[STEP5.多くの画像を入力]:人工知能に機械学習を行わせるために、リンゴとイチゴの画像を数多く入力する。このときも、リンゴの画像には人間によって「リンゴ」、イチゴの画像には「イチゴ」と正解ラベルが貼られている。

[STEP6.学習によって適切な特徴と重みづけを得る]:数多くの画像について一つずつ、分類しては答え合わせを行うことで、誤差を小さくしていく。今回の場合、当初の誤差の合計は100だったのに対し、機械学習を繰り返すことで、誤差の合計が30になっていることが分かる。このような計算によって、人工知能は適切にリンゴとイチゴを分類することができるようになる。

・長年、ディープラーニングは実用に耐えるほどの精度が出せないという問題を抱えていました。その理由は、層が深くなるにつれて、答え合わせの結果がうまく隠れ層に伝わらず、重みづけを最適化できなかったためです。

しかし近年、答え合わせの方法を改良したり、本格的な機械学習を行う前に、人工知能を“プレトレーニング”したりすることで、非常に効率よく学習を行うことができるようになりました。

また、インターネットの拡大とともに、使用できる画像データが爆発的に増えたことで、容易に機械学習を行うことができるようになったり、人工知能が行う計算に特化したプロセッサ(中央処理装置)の開発が進んだりしたことも、現在、人工知能の性能が劇的に向上している大きな要因です。


ディープラーニングの未来①~②

ディープラーニングの活用例

・声の正体は「音波」であり、周波数という数値で表すことができます。この周波数を人工知能に取り込ませることで、「音声認識」が可能になります。iPhoneのSiriなどが該当します。

・日本語や英語の単語は「文字コード」として数値に置き換えられ、翻訳のような「自然言語処理」に利用されています。2016年、Google社はウェブ上で利用できるGoogle翻訳にディープラーニングを用いることで、翻訳の精度を劇的に向上させました。

・囲碁ソフト「AlphaGo」もディープラーニングを用いています。AlphaGoはそのメカニズムは過去のプロ棋士同士の対局中に現れた膨大な石の配置パターンを読み込むことで、その場面における自分が有利か不利かを判断しています。

AlphaGoを開発したイギリスのDeepMind社は更に2017年10月、囲碁ルールのみを与えた「AlphaGo Zero」が40日という短期間で、従来のAlphaGoのどのバージョンよりも強くなったことを発表しました。AlphaGo Zeroで用いられた手法は「強化学習」というものです。強化学習では、研究者は人工知能に過去の対局記録や正しい手筋を教えません。そのかわりに、人工知能同士で対局を行わせ、より多く勝てる打ち筋に「報酬」を与えます。人工知能が自ら、より多くの報酬を得られる、つまりより多く勝てるように試行錯誤して最適な打ち筋を学習していくのです。過去データを用いることなく強くなったことを示すこの結果は、もはや人工知能が人類の手をはなれて進化し続けることを示唆しているといえるかもしれません。

画像出展:「Google DeepMind

取り組んでいる課題

・ディープラーニング

・理論と基礎

・制御とロボット工学

・教師なし学習と生成モデル

・強化学習

・神経科学 

・科学

未来を見通すことも可能になりつつある人工知能

・これまでのディープラーニングは主に、静止画像のような「静的な(時間の流れをともなわない)」情報に対して用いられてきました。しかし、動画のように先の展開を予測する必要がある情報の場合、従来のディープラーニングを用いることはできません。

そこで最近、注目を集めている技術が「リカレント・ニューラルネットワーク(RNN)」です。「リカレント」とは「循環する」という意味で、今の時刻の情報を処理する際に、少し前の時刻の情報と統合したうえで処理し、出力することを意味します。少し前の自分の状態に学ぶしくみだということもできます。

私たちは、時々刻々と変化する風景をとらえ、物体の動きを予測し、次の行動を決定します。たとえば正面からボールが飛んできた場合、私たちは反射的によけることが可能です。しかし現在の人工知能は、このような当たり前の予測を行うことができません。なぜなら、ボールが動く映像の実体は、静止画を1枚1枚コマ送りしたものにすぎず、それぞれの静止画のつながりを理解することはむずかしいためです。人工知能にとって「時間」を理解することは困難なのです。

私たちの脳内では、ボールの視覚情報が一次視覚野から二次視覚野、そして高次視覚野へと伝えられる一方で、高次視覚野から一次視覚野へと“逆流”する信号もあるといいます。これは、先に伝わった情報と後から来た情報を統合することで、物体の動きを補正し、正確にとらえるためだと考えられています。この“情報の逆流”を人工知能に搭載した技術がRNNであるといえます。

2 人工知能の最新応用技術

人工知能の進化

人工知能が動作や言葉を理解し、社会に進出していく

人工知能は新しい能力を獲得するたびに、人工知能が活躍する領域は広がっていくと考えられます。特に、動作に関連する概念は、ロボットが人間社会で実現に行動するためには必須の能力だといえます。

能力1.画像を正確に見分けられる

能力2.複数の感覚データを使って特徴をつかむ

・今後は人工知能も、視覚情報に温度や音などの情報も組み合わせて、抽象的な概念を理解できるようになります。

能力3.動作に関する概念を獲得する

・「ドアを開ける」といった、自分の動作(例えばドアを押す)とそれがもたらす結果(ドアが奥に開く)を組み合わせた概念です。これらの動作の概念がないと、ロボットは行動計画を立てることができません。

能力4.行動に通じた抽象的な概念を獲得する

・例えば、ガラスのコップは硬いといった抽象的な概念(感覚)は、さまざまな材質のコップを実際に触ったり、落として壊したりすることで獲得できます。こういった感覚は、人間とともに暮らして家事や介護を行うロボットには必須です。

能力5.言葉を理解する

・音声認識や自動翻訳などの言語に関する能力はかなり進んでいますが、まだ人間と同じように言葉を理解しているわけではありません。

能力6.知識や常識を獲得する

・言葉が理解できると、人工知能はインターネット上の情報などから知識や常識を獲得することができるようになります。

3 人工知能の未来

汎用人工知能①~②

汎用人工知能では、脳をまねてモジュールをつなぎ合わせる

・今の人工知能は、ディープラーニングなどのニューラルネットワークを使用した「モジュール」(プログラムの構成単位)をいくつか組み合わせることでできています。現在は、人間が特定の問題に応じてモジュールを組み合わせて人工知能を設計しています。つまり、その問題しか解けない設計になっています。それに対して、全能アーキテクチャが目指す「汎用人工知能」は、私たちの脳が普段から行っているように、必要に応じて複数のモジュールを自動的に組み合わせることを目指しています。臨機応変に自分自身の設計(プログラム)を変えることで、さまざまな問題を柔軟に解決できるようになります。

・現在の開発状況から見て、人間と同程度の能力をもつ汎用人工知能は2030年頃に完成するのではないかという声が出ています。

画像出展:「ゼロからわかる 人工知能」

大脳基底核や大脳皮質のほか、運動に関わる小脳に相当する人工知能の開発は比較的進んでいますが、海馬に相当するものや、それらを統合するための人工知能の開発は遅れています。

未知の状況に対応する能力をもつ汎用人工知能は、自律的な行動が求められる「災害救助ロボット」や「惑星探査機」などに応用されることが期待されています。

・モジュールは、脳の各部位や領野に対応するプログラムです。全脳アーキテクチャでは、各モジュールを必要に応じてさらに細かい機能に分類して、それらを統合することで、人間の脳と同じような機能を実現する汎用人工知能を目指しています。

シンギュラリティ

シンギュラリティの到来時期は賛否両論

・「シンギュラリティ(singularity)」は技術的特異点と訳される。人工知能が自分自身で猛烈な進化を続けると、人間の知能を追い抜き、遂には人類がその先の変化を見通せない段階まで進化するという説があります。これはアメリカの人工知能研究者であるレイ・カーツワイル博士が2005年に発表した著書『シンギュラリティは近い』によって世界に知られるようになりました。 

画像出展:「ゼロからわかる 人工知能」

・あと数十年でシンギュラリティがやってくるという説には否定的な意見は少なくありません。しかしながら、時期は分かりませんが人工知能がこのまま進化することで、あらゆる分野で人間の知能を上回る時代がいずれやってくることについては、人工知能研究者の多くが同意しているようです。

4 人工知能の新領域へ

インタビュー 平野 晋博士

AIに常識や倫理観、感情は必要か

画像出展:「ゼロからわかる 人工知能」

 

 

 

『AIネットワーク社会推進会議で取りまとめられた「国際的な議論のためのAI開発ガイドライン案」。AIの著しい発展を受け、近い将来、社会にAIネットワークが構築されることを前提として検討された九つの開発原則である。ただし、このガイドライン案はあくまで指針案であり、法的な拘束力はない。』

総務省の“AIネットワーク社会推進会議”は平成28年からのようです。

感想

人工知能は新しい能力を獲得するたびに、人工知能が活躍する領域は広がっていくと考えられます』これが全てのように思います。

過熱状態は落ち着き、浮き沈みはあるでしょうが、生成AIはクラウドに匹敵するようなITを長期的に牽引する革新になるだろう思います。

開発環境あるいは開発支援のサービスも充実してきています。AIをリードしているNVIDIAといえばGPUという汎用型のAIアクセラレーターで有名ですが、各ニーズに対応した特化型のAIアクセラレーターも登場しています。CPUの両雄(IntelとAMD)も動いているようです。特にAMDは2023年6月にMI300Xという汎用型GPU(GPGPU)を発表しました。Big TechのMetaも、Google、Amazonに続きAI用の独自チップの開発を発表しました。さらに、テスラは独自に設計したチップとインフラストラクチャを使用したカスタムスーパーコンピューター“Dojo”を発表しました。

ソフトウェア、ハードウェアの進歩は止まることはありません。世界中の研究者によって新しい技術が“今”を変えていきます。そして、人工知能のニーズは医療、介護、小売、運輸、災害支援、宇宙開発など多岐に渡ります。

仮想空間はアバターを利用してネット上で交流する“メタバース”に進化しました。通信では5Gに続く、“Beyond5G(6G)”は2030年頃と目されているようです。

シンギュラリティが本当にやってくるのか、それはいつか、不安もありますが、おそらく人類の進歩の歴史の中で、それは避けられないのではないかと思いました。

画像出展:「yahoo finance」

円の大きさは時価総額で、AI関連で500億ドル以上の会社を集めたものです。

何故か、”Meta”が入っていませんね。気になってさらに調べてみました。

画像出展:「Linkedin」

こちらは2023年、全業種になっています。

やはりMeta(左下)はありました。

画像出展:「Yahooニュース」

米議会は9月13日、テスラのイーロン・マスクCEOのほか、メタ・プラットフォームズのマーク・ザッカーバーグCEO、アルファベットのスンダー・ピチャイCEOらテクノロジー業界の幹部を招き、人工知能(AI)に関するフォーラムを開催した。写真は、米議会で開かれたAIフォーラム(2023年 ロイター/Leah Millis)

『上院民主党トップのシューマー院内総務はフォーラムの冒頭「超党派のAI政策の基盤を整備するという巨大で複雑、かつ重要な取り組みをきょう開始する」と表明。「議会が役割を果たさなければ、AIの恩恵を最大化することも、AIのリスクを最小化することもできない」と述べた。 

また、とりわけディープフェイクについては優先的に対応し、2024年の選挙前に規制する必要性があると強調した。

フォーラムは非公開で開催。60人を超える上院議員のほか、エヌビディアのジェンスン・ファンCEO、マイクロソフトのサティア・ナデラCEO、IBMのアービンド・クリシュナCEO、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏らも参加した。』

癌と臨死体験4

著者:アニータ・ムアジャーニ

訳者:奥野節子

初版発行:2013年6月

出版:ナチュラルスピリット

目次は、”癌と臨死体験1”を参照ください。

第14章 シンクロニシティに導かれて

●『私の人生の軌跡を振り返った時、これまでのあらゆる出来事が、つまり、私がポジティブと考えて出来事も、ネガティブと思っている出来事も、最終的には私に恩恵を与えており、今日へと導いてくれたことがはっきりわかります。

同じく明らかなのは、宇宙は、私が受け取る準備ができたものだけを与えてくれたことがはっきりわかります。同じく明らかなのは、宇宙は、私が受け取る準備ができたものだけを与えてくれる、それも私の準備ができた時にそうしてくれるということです。世間の注目を浴びる恐怖感がそのプロセスを遅らせましたが、いったん不安が取り除かれるとすぐに、ヘイ・ハウスのメールを通して、直ちに宇宙からしるしを受け取りました。いつでも、自分が人生に望むものだけが、やってくるのです。』

パート3 臨死体験が教えてくれたこと

第15章 私が癌にかかった理由、そしてなぜ癒されたか

●『臨死体験について話す時に一番よく尋ねられる質問は、「あなたが癌になった原因は何ですか?」というものです。多くの人が、その人が、その答えに興味を持つのは当然のことでしょう。

けれど、まず最初に、この話題が持ち合わせている危険性についてひとこと言及しておきたいと思います。危険性の一つは、私の発言によって、病気の治らない人は、病気が完治した人より“劣る”という印象の一つは、私の発言によって、病気の治らない人は、病気が完治した人より“劣る”という印象を受けるかもしれないことです。これは真実ではありません。

私の言い方があまり単純化しているように聞こえたとしたら、苛立ちを感じるでしょう。あなた自身や知り合いの人が苦しんでいる場合にはなおさらです。これが、言葉で表現する時の問題の一つです。言葉は良い影響を与えるどころか、有害になることがあります。私は、まだ癌が治っていない人もすばらしい存在なのだと強調したいと思います。彼らが病気である理由は、おそらく人生における個人的な目的と関係しています。私が病気になったのも、自分がここにいるのも一部であり、たとえ生きることを選択したとしても、死ぬことを選択したとしても、私のすばらしさは変わらないのだと、今ではわかっています。

病気の治癒について、私が話している内容を同意しない人がいるのはわかっていますが、それで結構です。私はただ、私の話が他人の役に立つことを願って、自分が体験したと感じることを表現しているだけなのです。』

●『「なぜ私が癌にかかったと思うか」という質問への答えを一つの言葉にまとめれば、“恐れ”ということになるでしょう。では、私は何を恐れていたのでしょうか? 何もかもすべてです。

たとえば、失敗すること、嫌われること、人をがっかりさせること、十分じゃないことなどを恐れていました。もちろん、病気も恐れていました。特に癌とその治療法に恐怖感を抱いていました。私は生きることを恐れ、死ぬこともひどく怖がっていたのです。』

●『私は常に他人を喜ばせたいと思い、また、その理由が何であれ、非難されるのを恐れていました。人から悪く思われないように懸命に努力しているうちに、やがて自分自身を見失ってしまいました。本当の自分や自分の望むこととのつながりを完全に断ってしまったのです。私がすることはすべて、自分以外のみんなの賛同を勝ち取るためでした。

私が癌になる前、誰かに「人生で望むものは何か?」と尋ねられたら、まったく見当がつかなかったでしょう。私は、文化的な期待にがんじがらめになり、他人に望まれる人間になろうと努力し、もはや自分にとって何が重要なのかわからなくなっていました。』

●『外見上、私は癌と闘っているように見えたに違いありません。でも、内心では癌は死の宣告だと信じていました。治るためなら何でもするという素振りをしながら、心の奥では自分は治らないと思っていたのです。そして、死ぬことが怖くてたまりませんでした。

研究者たちが、「癌の治療法を見つける努力をしている」と常に言っているのはつまり、解決法がまだ見つかっていないということだと思っていました。このことは、少なくとも西洋医学では公然の事実でした。それにもかかわらず、自分には西洋医学による治療法しか選択肢がないと言われたのは、骨の髄まで恐怖感を抱かせるに十分でした。“癌”という言葉を聞いただけで恐れの気持ちがわき上がってきました。現代医学では治せないと知ったことが、自分は死ぬんだという確信の裏づけとなったのです。

それでも私は、可能なことはすべてしようと努力しましたが、病気は容赦なくどんどん進行していきました。西洋医学では初めから自分の運命が決まっているような気がしたので、周囲の人の反対を退けてでも、私は代替療法を選択しました。結局、仕事を辞めてから4年間、ありとあらゆる治療法に取り組みました。』  

●『身体の機能が止まった時、私がいた向こう側の世界は、恐れでゆがんでいない私自身のすばらしさを見せてくれました。私は、自分が利用できる偉大なパワーに気づくようになったのです。

私が身体にしがみつくのをやめた時、向こう側の世界に行くために何も必要はないのだと感じました。祈りも、詠唱も、マントラも、許しも、何もいらなかったのです。その移行は、まったく何もしないことに等しいものでした。特に誰に対してというわけではありませんが、「私には与えられるものがもうありません。もうお手上げです。どうぞ連れて行ってください。もうどうにでもしてください。あなたのお好きなように」と言った気がしました。

向こう側の世界で私は明晰でした。そして、自分が抱いていた恐れのために死んでいくのだと、直感的に理解しました。私は、いつも心配ばかりして、本当の自分を表現できずに生きてきました。癌は決して罰のようなものではなく、自分自身のエネルギーが癌として現れたのだとわかったのです。

そうなったのは、私の恐れのせいで、本来の姿であるすばらしい存在としての自分を表現できなかったからでした。

そのような拡大した意識の状態で、私は、いかに自分自身につらくあたり、批判ばかりしていたかを理解しました。そこでは、私を罰する人は誰もいませんでした。私が許さなかったのは他人ではなく、自分だったのだと、やっとわかりました。私を非難したのも、私が見捨てたのも、私が十分愛さなかったのも私自身だったのです。ほかの誰でもありませんでした。

私はその時、宇宙の美しい子どもとして自分のことを見ていました。私は存在するだけで、無条件の愛を受ける価値があったのです。そのために何もする必要はないとわかりました。祈ることも、お願いすることも、何一ついらないのです。これまで、自分自身を愛したことも、尊重したことも、自分の魂の美しさを目にしたこともなかったと悟りました。絶対的なすばらしさが私のためにいつも存在していたのに、まるで、物質的な生活がそれを奪って、少しずつ破壊してしまったような感じがしました。

このことを理解した時、もう自分には恐れるものがないとわかったのです。私は、誰もが手に入れられるパワーについて知り、この世に戻るという大きな選択をしました。その覚醒した状態での選択は、私がこの世に戻るための非常に強い原動力でした。

再び自分の身体で目覚めた時、この世に戻ってくるという私の決断に、身体のすべての細胞が応じるだろうと知っていました。ですから、自分の病気は必ず良くなるとわかっていたのです。

●『気づきとは、判断せずに、何が存在していて、何が可能かを理解することを意味します。気づきを得れば、防御する必要がなくなります。それは成長とともに拡大していき、すべてを取り囲み、ワンネスの状況に近づけてくれます。そこは奇跡が起こる場所なのです。それに比べて、信念は、自分が確かだと思っているものだけを受け入れ、他のものはすべて閉め出してしまいます。

ですから、私の癌の治癒は、信念によるものではありません。臨死体験は純粋な気づきの状態で、その時、これまで持っていた教えや信条は完全に消えていました。この状態が、私の身体の“修復”を許したのです。言い換えれば、私の癒しに必要なのは、信念を捨てることでした。

●『臨死体験をしてから、特定の思想を強く信じすぎていると、かえって自分に悪影響を及ぼすと学びました。一つの信念にもとづいて行動すれば、自分が知っている領域内だけに閉じこもり結局、自分の体験を制限することになるのです。

自分が思いつくものだけに縛られていれば、自分の可能性は狭められてしまうでしょう。けれど、自分の理解が十分ではないことを受け入れ、不確実な状態を心地よく思えるようになれば、無限の可能性の領域が目の前に広がるのです。

臨死体験後にわかったことですが、自分を自由にし、信念や不信から離れて、心をあらゆる可能性に開いた時、私は一番強い状態にあります。さらに、そのような状態で、最も深い明晰さやシンクロニシティを体験するようです。確実性を必要とすることが、大きな気づきの体験を邪魔するのだと感じています。それと対照的に、すべてを手放し、信念や結果への執着から解放されれば、精神の浄化作用と癒しがもたらされるでしょう。真のヒーリングが起こるには、癒されたいという強い欲求を手放し、人生という乗り物を信頼して楽しまなければなりません。

第16章 私たちは神と一体である

●『私たちは、“時間が過ぎる”と思っていますが、臨死体験をしている時には、時間はただ存在していて、自分が時間の中を移動しているように感じられました。時間のあらゆる点が同時に存在するだけでなく、向こう側の世界では、私たちは、速く進んだり、遅く進んだりすることができ、さらに、後ろにも、横にも動けるのです。

しかし、物質的次元では、感覚器官のせいで制限が与えられます。私たちの目は、この瞬間に見えたものだけに気づき、耳も同様です。思考は一つの瞬間にしか存在できないので、瞬間と瞬間をつなぎ合わせて、直線的な一連の出来事を形成します。

でも、身体から自由になると、私たちは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚を通してではなく、自分の気づきだけで、すべての時間や空間を動けるのです。私たちは、純粋な意識そのものになります。

臨死体験の中で、私はこのことを体験しました。兄が私に会うため飛行機に乗っていることにも、医師が病室からずっと離れた廊下で話しているのにも気づいていました。自分の将来についてもたくさんのことを理解しました。もしこの世に戻らなかったらどうなるか、もし戻ったらどうなるか、すべて明らかでした。時間も、空間も、物質も、私たちが通常考えているようには存在しないのだとわかったのです。臨死体験の中で、過去でも未来でも、意識を集中すればどこでも行ける感じがしました。』

●『私は、“ハイヤーセルフ” “魂” “スピリット”のかわりに、“無限の自己”という言葉をよく使っています。もう少しはっきりさせるために言えば、それは、私が臨死体験中に、自分が身体だけの存在ではないと気づき、あらゆる存在と一つであると感じたものを指しています。私は、無限のすばらしい存在として純粋な意識と一つになり、なぜ今この身体と生命を得たのかはっきり理解したように感じました。さらに、分離の幻想は、外部のものと自分を同一化しすぎることから生じるとわかったのです。』

●『無限の自己とは、私たちの本能や直感が存在する場所です。家を買おうとしている時、理性は実際の土地を選んだり、予算を決めるなどして、選択肢を狭めようとします。けれど、最終的な決断は、直感によってなされることもあるでしょう。ただそこが良い感じがしたというだけで、それを説明する論理的根拠は何もないというようにです。それが無限の自己です。

生活があまりに複雑になり、自分が宇宙エネルギーにつながっていて、これらの自然な能力を持っているということを忘れてしまうことがあります。自分の内なる声を聞くのをやめて、上司や教師や友人など外側の力に自らの力をゆだねてしまうのです。感情は魂への入り口なので、自分の感情をブロックすれば、自分のすばらしさに気づけなくなるでしょう。それなのに、私たちは複雑な存在ゆえ、自分の感情をコントロールしようとしています。』

●『私は、家族や知人などすべての人が自分の人生で果たしてくれている役割、そして、私が彼らの人生で果たしている役割を理解しています。もし私が自分に正直でなかったら、周囲の人たちも本当の自分ではいられません。私が無二の自分でいることで、他人も無限の自己のレベルで私と関わり合えるのです。

私がこの気づきを持っているかぎり、宇宙エネルギーと一つであると感じることができ、それは私の人生で、奇跡のようなシンクロニシティを見せてくれるでしょう。私は、へとへとになるのではなくエネルギッシュになり、“行動すること”で落ち込むのではなく、“存在すること”によって明るくなり、宇宙エネルギーに対抗するのではなく、それと協力しながら生きるようになりました。この生き方を続けるうちに、私の生活は禅のような性質を帯びてきて、いつも導かれているように感じています。それは必ずしも簡単ではありませんでしたが、確実に人生をずっと楽しいものにしてくれていました。まだ、進歩の途中ですが、私がすべきことは、愛であること、そして本当の自分でいることだけです。その結果、私の周囲の世界はあるべき場所に落ち着き、同じことが全世界的にも起こるでしょう。』

第17章 ありのままの自分を生きる

●『私は、自分と他人のためにできる最善のことは、意識的に自分をうきうきした気分にさせて、幸せを感じることだと固く信じていますが、“プラス思考”という考えにはあまり賛成ではないと言えば、驚くかもしれません。すべての生命はつながっているので、自分が上機嫌でいれば、全体にも大きな影響があるのは確かです。

でも、もしネガティブな考えが忍び込んできたら、それを批判せずに受け入れて、ただ通り過ぎるのを待っていたほうがいいように思うのです。感情は、抑圧したり追い出そうとしたりすればするほど、押し返してくるでしょう。そうではなく、何の判断もせずに、ただ自分の中を流れるのを許していれば、思考や感情は通り過ぎていくのです。その結果、正しい道が自然に目の前に開かれ、真の自分でいられるようになるでしょう。

「ネガティブな考えが、人生にネガティブなものを引き寄せる」という大雑把な説は、必ずしも真実ではありません。この説のせいで、すでに苦しみを経験している人たちが一層ひどい思いをしているのです。さらに、自分の考え次第で、もっとネガティブな状況を引き寄せるかもしれないという恐怖感も生み出します。この考え方やみくもに主張すれば、つらい時期を過ごしている人たちに、彼ら自らがその出来事を引き寄せたと思わせてしまうでしょう。それはまったくの偽りです。もし不愉快な状況を生み出したのが自分のネガティブな思考だと信じれば、私たちはびくびくするようになるに違いありません。けれど、そのような状況は、実際は、思考よりもむしろ感情と関係しているのです。特に、自分自身についてどう感じているかが大切です。

また、ポジティブなものを引きつけるには、単に陽気でいればいいというのは本当ではありません。これは強調してもしきれないことですが、自分自身についてどう感じているかが、人生の状況を決める上で一番大切なことなのです。つまり、自分自身に正直でいることが、ポジティブでいるよりもずっと重要です。

私は動揺することが起きた場合、自分がネガティブな気持ちになるのを許しています。なぜなら、本当の感情を封じ込めるよりも、体験するほうがはるかに良いからです。それは、自分が感じていることと闘うのではなく、受け入れるということです。判断せずに、許すという行為は、まさに自分への愛の行為です。自分に優しくするという行為は、楽天的なふりをしているよりも、喜びに満ちた人生を創造する上で、ずっと役に立つでしょう。』

●『実際に最悪の一日だったかどうかは重要ではありません。その時、自分がどう感じていたかがもっと大切なのです。困難に直面している時も、信頼を失わず、不安や悲しみや恐れという感情が通り過ぎ去るまで、抑圧せずに、そのままでいるということです。それは、本当の自分に忠実でいるよう許すことにほかなりません。そうすれば、その感情は消えていき、だんだん現れなくなるでしょう。』

●『ありのまま受け入れるプロセスは、まず信頼することから始まります。次に、いつも本当の自分に忠実でいることです。このようにして私は、真に自分のものを引き寄せていますが、それは、私が受け入れられるレベルに合わせて実現します。

自分が心配なこと、自分に必要あるいは足りないと思うものにフォーカスすることもできますが、その場合には、私の人生は望んでいる方へは向かっていかずに、今の状態にとどまったままでしょう。なぜなら、信頼し、新しい体験を受け入れて、自分の気づきを拡大するではなく、恐れや動揺や実現していないことばかりに集中しているからです。ですから、望みが現実のものとして現れるかどうかは、どれくらい早く私が不安を手放して、ただ信頼し、くつろげるようになれるかによるのです。

一つの考えや結果執着するほど、あるいは新しい冒険を恐れるほど、進歩は遅れてしまうでしょう。それは、そのプロセスに心を開かず、宇宙エネルギーが自然に自分の中を流れるのを許していない状態だからです。

そうは言っても、ただ座って、すべての選択や可能性についてあれこれ考えているわけではありません。私は、今の瞬間に意識を向けて生きています。外面的にではなく、内面的にという意味です。外側には、追い求め、引き寄せるべきものは何も存在しません。宇宙は自分の中に存在し、私が内側で体験していることが、全体に影響するのです。

感想

この凄い本を読んで大切にしようと思ったことは、特に心が乱れたときは、自分の内側に意識を向け、自分自身の本当の気持ちに気づくこと。その気持がどのようなものか客観的に考えること。その上で、可能な限り、その気持ちに沿ってありのままの自分でいようとすることです。

妄想

私は以前から、【気】や【意識】や【こころ】などは、未知のエネルギーが身体の中にあり、ミクロの世界を支配している量子力学が持っているエネルギーと何か関係しているのではないだろうかと考えていました。今回の本の中にも、それを連想する箇所がいくつかありました。妄想の世界になりますがご紹介させて頂きます。

この本の「5.量子の奇怪さ」には、次のような指摘がされています。

『量子論を考え出した人たちは、ニュートン的世界観と対照的なもう一つの面に気づいた。それは観測者が創り出すリアリティというものだ。量子論によれば、観測者が何を測定しようとしているかということがその測定自身に影響を及ぼすことになる。量子の世界で現実に起こっていることは、その世界を我々がどのように観測しようとしているかに依存しているのだ

これは、アニータさんの『第一に、私が意識を向けたものは何でも、自分の目の前に現れるような気がしました。

さらに『臨死体験のおかげで私は、外側で起こっていることが内側に影響するのではなく、内側にあるものが外側に反映するのだと考えるようになりました。』を連想させます。 

ミクロな世界では一つの物が同時に複数の状態をとることができる」と書かれています。

アニータさんの本には、『時間はまるで存在していないかのようで、それについて考慮する必要さえなかったのです。

また、『誰もがこの偉大な宇宙の中心にして、それぞれの立場で表現しているのだとわかりました。』とあります。

 

 

こえられないはずの山を”すり抜ける”電子」と書かれています。※ご参考:電子は量子の代表格

アニータさんの本には、『時間も、空間も、物質も、私たちが通常考えているようには存在しないのだとわかったのです。臨死体験の中で、過去でも未来でも、意識を集中すればどこでも行ける感じがしました。』とあります。

 

 

『量子力学で生命の謎を解く』より
『量子力学で生命の謎を解く』より

生命は量子の世界と古典的な世界との縁を航海している”として、それをつなぐキールを維持することにより個体としての生命が続くという考えが本に書かれています。

アニータさんの本には、『「アニータ、おまえが来れるのはここまでだ。これ以上進んだら、もう戻れないんだよ」。物理的な境界線はありませんでしたが、自分の前に、エネルギーレベルの違いによって区分けされた、見えない境界線があるのがわかりました。』 とあります。

ニュートン力学に存在する物理的エネルギーを囲った一つの器が人間で、量子力学に存在するエネルギーの集合体の中に“無限の自己”があり、人間の心と交信しているのか?

そして、器としての人間の死により、交信は断たれ本来の“無限の自己”に戻るということなのか?

煩悩とは、生きること(人間としての器を守り、紡いでいくこと)と表裏一体のように思いました。

ご参考(10月10日):“量子力学と仏教は同じだった!? 物理学者たちが東洋思想に魅了される理由

今、『量子革命』という本に挑戦しているのですが、その関係で“宇宙の真理”という凄いサイトを発見しました。このサイトの中のコンテンツの一つが、この“量子力学と仏教は同じだった!?物理学者たちが東洋思想に魅了される理由【宇宙の真理】”です。

この動画を拝見し、「私の[妄想]もまんざらではなさそうだ」と後押しされたような気持ちになりました。

余談:エドガー・ケイシー

エドガー・ケイシーという名前は患者さまから教えて頂きました。

早速、ネットで調べてみると、東京の本郷三丁目にある「ゆめのきクリニック」さまでは、エドガー・ケイシー療法に取り組まれており、紹介や説明が出ていました。

そこで、著者がエドガー・ケイシーになっている“奇跡の生涯”いう本を拝読させて頂きました。

ここには聖書との深いつながりについても書かれており、10歳ころに感銘をうけ、繰り返し繰り返し計15回も読んだそうです。このことはエドガー・ケイシーを知るうえでとても重要ではないかと思います。

エドガー・ケイシーについては、NPO法人 日本エドガー・ケイシーセンター(ECCJ)に詳細な情報が掲載されています。

この中で、特に興味をもったのは「エドガー・ケイシー珠玉の言葉」です。このメーリングリストに登録すると、「エドガー・ケイシーが残した珠玉のリーディングの中から、みなさまにリーディングを1つメールで毎朝お届けします。」となっています。

ちなみに以下のような感じです。英語の勉強にもなると思います。

『あの時こうしていれば、などと過去を振り返ってはなりません。むしろ、あなたが今いるところで立ち上がり、上を見上げなさい。』

『But look not back upon what might have been. Rather, as given, lift up, look up - now - where ye are.』

『あなたの苦難、トラブル、さらには失望すらも、主の道をよりよく知るための踏み石として数えなさい。』

『Count thy hardships, thy troubles, even thy disappointments, rather as stepping-stones to know His way better.』

癌と臨死体験3

著者:アニータ・ムアジャーニ

訳者:奥野節子

初版発行:2013年6月

出版:ナチュラルスピリット

目次は、”癌と臨死体験1”を参照ください。

第11章 コー医師による医学的見解

●『それまで、臨死体験についてはあまり知りませんでした。その言葉は聞いたことがあり、テレビで1、2回ドキュメンタリー番組を見たかもしれませんが、実際に体験した人は一人も知りませんでした。とりわけ、自分がそれを体験するなど考えたこともなかったのです。

兄が教えてくれたサイトの情報を読みながら、鳥肌が立つのを感じました。というのも、自分の体験と類似する点がとても多かったからです。私のような病気の話は一つもありませんでしたが、向こう側の世界で体験したことはそっくりでした。何人かの人が、拡大、明晰さ、一つである感覚―みんなつながっているということ―について語っていました。

さらに、判断や批判のない圧倒的な無条件の愛だけを感じたと書いてありました。亡くなった愛する人たちや、自分のことを気にかけてくれている存在との出会いにも触れ、普遍の知恵や理解が得られたとありました。私は、彼らもまた、受け入れられ、一つである感覚を味わい、誰もが例外なく愛されているとわかったという事実に驚きました。そして、臨死体験後、彼らの多くが、私とまったく同じような目的意識を感じていたのです。

アニータさんのお兄様がお話されていたというサイトです。

いくつかの体験談を読んだあと、「あなたの臨死体験についてお聞かせいただけませんか? ご興味のある方はここをクリックしてください」と書いてあるのに気づき、クリックしてみました。すぐに、詳細な記述を求めるかなり長いフォームが現れたので、それに書き込みを始めました。それまで自分の体験を書いたことはなく、親友や家族に話しただけだったので、これほど詳細に分析するのは初めてのことでした。

自分の状況を知らない人に説明するのも初めてだったので、できるだけ明確に表現するよう努力しました。質問に答えながら、これまで考えたこともない観点から自分の体験を振り返りました私は、癌になったこと、向こう側の世界とこの世に戻ってきてからの体験、すごい速さで癌が消えてしまったことなどについて詳細に書きました。フォームの必要事項を埋めてから、余白にもう少し説明を加えて、“提出”ボタンを押しました。すると、「あなたの体験談をお送りいただき、ありがとうございます。サイトに掲載するかどうかについては、3週間以内にご連絡いたします」というメッセージが現れました。』

●『ロング医師は、私が体験談を提出したNDERFのサイト責任者で、癌の専門医だと自己紹介していました。そして、私の体験はこれまで読んだ中で並はずれたものの一つだと書いてありました。』

アニタMoorjaniのNDE” ※こちらはアニータさんの体験談です。

アニータの病状の経過

-『2002年の春、彼女は、左鎖骨上部に固い腫れものがあるのに気づいた。明らかに、これは彼女の主治医にとって警戒すべきサインだった。その年[2002年]の4月、生体組織検査によって、ホジキンリンパ腫(悪性リンパ腫の一種)で、「ステージⅡA(初期から中期/自覚症状なし)」と診断された。従来の治療法は気が進まなかったため、彼女はさまざまな代替医療を試みた。

その後の2年半で病気はゆっくり進行し、2005年には健康状態が損なわれ、癌は他のリンパ節へと広がり、大きくなっていった。この頃には、寝汗、微熱、皮膚のかゆみのような、“B症状”と我々が呼ぶものが現れてくる。さらに、両肺に胸水がたまり、呼吸困難になったので、その年には数回にわたって胸水を抜く処置が行われた。同年のクリスマスまでに、彼女の病状は進行し、下降線をたどり続けた。彼女の首と胸壁の癌は皮膚にも浸潤し、感染性皮膚潰瘍を引き起こした。栄養摂取もできず、体重減少、疲労感、筋力の低下、そして腎機能の低下が起こり始めた。

2006年2月2日の朝、彼女は起床できなかった。顔全体、首、左腕が風船のように膨らみ、目は腫れて閉じたままだった。これらはすべて、リンパ腫が大きく広がってたために、頭部や首からの静脈還流が弱まったためである。すでに携帯用酸素ボンベを使用していたが、多量の胸水のために息ができず喘いでいた。夫と母親はすぐに家庭医に連絡をし、急いで総合病院へ連れて行くようにという指示を受けた。難しい決断に迫られ、もう一人の癌専門医が呼び出された。そして、しかるべき医学的処置をしなければ、彼女は助からないだろうという合意に達した。多臓器不全の状態であるという見地から、抗がん剤投与は危険すぎたが、彼女が生き延びるための唯一の治療法だった。その夜、彼女はMRIとCTで複数の検査を行い、2リットルの胸水を抜き取り、7つの抗がん剤のうち3つを処方され、集中治療室に入れられた。この時、アニータは、彼女が臨死体験と呼ぶものを体験し始めていた。

臨死体験後の目覚ましい回復ぶり

2月3日の夕方:アニータは目覚めて、ベッドの上に起き上がると、自分はもう大丈夫だと家族に告げた。主治医の癌専門医と話をし、主治医は、昏睡状態だったはずのアニータが自分のことを覚えていたことに当惑した。

2月4日:アニータは、鼻腔栄養チューブを抜くよう医師に要求し、そのかわり食事をとると医師に約束した。さらに、自宅からiPodを持ってきてくれるように夫に頼んだ。

2月5日:アニータは、診察に来た医師たちを「パーティに参加しませんか」と誘った。

2月6日:医師たちは、彼女を集中治療室から一般病棟へ移すことに同意した。

この時までに、彼女の首や顔の腫れはほとんどひいていた。かなり大きくなっていたリンパ節は軟らかくなり、頭を動かせるまでになった。治療の最初のサイクルは、2月中旬に終わった。形成外科医に、次の検査と処置が依頼された。』

謎に包まれている説明のつかない現象

-『私のカルテには、病院へ運ばれてきた時、私の臓器はすでに機能不全に陥っていたが、再び機能し始めたと記されている。コー医師は、それを回復させたものが何であるか非常に興味を持った。さらに、「患者の家族には告知した」という癌専門医の所見は、私の臨終が近いと家族に知らせたことだと解釈し、それに注目している。』

-『カルテによると、レモン大の癌が、首、腋の下、胸、腹部まで身体中に存在していた。しかし、数日後、その大きさは、少なくとも70%も縮小した。コー医師は、臓器が弱っている状態で、莫大な数の癌細胞がどのようにしてそれほど早く消えたのかということに興味がある。』

-『私には、癌による皮膚病変があった。カルテには、栄養状態が悪く、自然治癒は不可能なので、形成手術が必要だと記されている。というのも、病院へ運ばれてきた時には完全な栄養失調状態で、筋肉もすでに衰えていたからである。医師たちの所見には、私にもう少し体力がついてから形成外科に手術を依頼するとあった。しかし、医師が手術の計画をするかなり前に、私の傷は自然治癒してしまった。

第13章 恐れずに生きる

●『臨死体験のおかげで私は、外側で起こっていることが内側に影響するのではなく、内側にあるものが外側に反映するのだと考えるようになりました。以前は、外側の世界が現実で、その範囲内で努力しなければいけないと思っていたのです。

おそらくほとんどの人が、そのように考えているでしょう。この考え方では、自分のパワーを外の世界に与えてしまい、外部での出来事に、自分の行いも気分も思考も支配されることになります。感情的な反応や気持ちには実体がないので、現実のものではなく、外側の出来事に対する反応にすぎないと思いがちです。そのような考えでは、私たちは、自分の人生の創造者ではなく、状況の被害者になってしまうでしょう。私が癌にかかったことでさえ、たまたま外側で、“起こった”出来事でしかないということになるのです。

しかし、臨死体験をしてから、自分は神と一つであり、偉大なる全体の一部だと考えるようになりました。その中には、全宇宙のあらゆるものが含まれます。過去に存在したものも、未来に存在するものもすべて含まれます。すべてがつながっているのです。私は、自分がこの宇宙の中心にいると理解し、誰もがこの偉大な宇宙の中心にして、それぞれの立場で表現しているのだとわかりました。

※補足

上記に書かれた“自分”と“宇宙”との関係性のところを読んで、ヨガ(ブログ:ヨガの概念的な考えに非常に近いと思いました。


●『何かが私の気づきの中に入ると、それは私のタペストリーの一部になります。倉庫の例え話に戻れば、自分の懐中電灯でそれを照らしたということです。つまり、それが私にとっての真実の一部になったという意味です。

私の人生の目的は、自分のタペストリーを拡大し、もっと多くのすばらしい体験を自分の人生へ招き入れることです。ですから、自分が過去に限界だと考えていたあらゆる領域で、可能だと思える範囲を広げようとしました。私たちはみんなが真実だと考えていることの中に、実は、社会的な思い込みにすぎないものがないかどうか、調べ始めたのです。過去に、自分がネガティブあるいは不可能だと判断していたものをもう一度よく見てみました。特に、自分の中に、恐れや不十分だという思いを引き起こしたものについて考えてみました。

「どうして私はこれを信じているんだろう? これは文化的、社会的な条件づけじゃないだろうか? その時は私に当てはまっていたことかもしれないけれど、今でも真実なのだろうか? 子ども時代に教えられたことをずっと信じているのは、私に役立つことなの?」

なかにはそういうものもあるかもしれませんが、多くの場合、答えはノーでしょう。』

●『本当の喜びや幸せは、自分を愛し、自分の心に従い、ワクワクすることをしている時に、見つけられるのです。私の人生が方向性を失ったように思え、どうしてよいか途方に暮れるのは(今でもよくあることです)、自分が方向性を見失っているからだとわかりました。そういう時は、本当の自分、ここにやってきた目的とのつながりを見失ってしまっているのです。このことは、自分の内なる声に耳を傾けず、テレビや新聞や薬品会社や仲間や文化的あるいは社会的な信じ込みなどに、自分の力を渡してしまった時に起こりがちです。』

●『状況が困難に思えたら、それを物理的に変えようとするのではなく(臨死体験の前に、私がしていたことですが)、まず自分の内側の世界を調べるようになりました。ストレスや不安、惨めさを感じたら、内側に入って、その感情と向き合いました。気持ちが落ち着き、自分の中心を感じられるまで、一人で座ったり、自然の中を歩いたり、音楽を聴いたりするのです。そうすると、外側の世界も変わり始めて、何もしなくても障害物が消えていくということに気づきました。

“中心にいる”ということは、自分の宇宙の中心にいて、自分の居場所に気づいているということです。そこは、私たちがいつもいる唯一の場所です。その中心にいて、自分があらゆるものの中心だと感じることが大切なのです。

しかし、時々、私は宇宙の中心にいることを忘れて、物質世界のドラマや矛盾や恐れや苦しみにとらわれてしまい、すばらしい、無限の存在だという本来の自分の姿が見えなくなります。

幸い、そんな時でも、決して中心とのつながりが切れてしまうわけではありません。一時的に見失い、そこからやってくる安らぎや喜びが感じられないだけです。私たちは、分離の幻想にとらわれて、光りと影、あるいは陰と陽のように、幸せと悲しみは本来共にあるものだということがわからなくなります。分離の感覚は二元性という幻想の一部にすぎず、その幻想がワンネスへの気づきを難しくしているのです。しかし、中心にいるということは、その幻想を超えて、再びすべての中心、すなわちワンネスの中心にある自らの無限の場所を感じることを意味します。』

●『臨死体験の数年間で、外面的に必要なものも変化しました。最高の気分になるには、自然の中、特に海の近くに行けばよいとわかったのです。退院してから最初の数日間に感じた驚きに似ていますが、海を眺めたり、波の音を聞いていると、臨死体験中の状態にすぐつながることができました。

私は、親しくなった友人や家族が、同じように変化していくのを見て喜んでいます。奇妙に聞こえるかもしれませんが、臨死体験後、多くの人が、私のそばにいるとエネルギーが変わるのを感じると言うのです。このことについてはめったに話していません。というのは、そのような変化は自分の内側からやってくるものだと信じているからです。私は、彼らが経験する準備のできたものを映し出しているにすぎません。

自分自身の体験から、私は、誰でも自分を癒し、他人の癒しを助ける能力を持っていると確信しています。自分の内側にある無限の場所―つまり全体―とつながれば、病気は身体の中に存在できなくなるのです。私たちはみんなつながっているので、一人の健康が他人の健康に影響を与え、彼らの回復を促すことでしょう。私たちが他人を癒す時、私たちは自分自身とこの地球という惑星をも癒しています。私たちの心以外の場所に、分離は存在しないのです。』

●『今でも、私の人生には浮き沈みがあり、時には中心に戻れるようかなりの努力をしなければなりません。家事や諸経費の支払いなどという日常的雑務をこなす必要もありますが、臨死体験のあと、そのようなことに集中するのが大変になりました。でも、宇宙の中で自分の場所を再び見つけ、「恐れずに、もう一度人生を生きなさい」という言葉を魂の中で感じられない日は一日もありません。

それから、数人の新しい友人はできましたが、昔の友人たちと親しくするのは難しいと感じるようになりました。私は以前のように社交的ではなく、彼らと同じことを楽しめないからです。かつては多くの友人がいましたが、現在では、ごくごく少ない人だけとプライベートのお付き合いをしています。その多くは、この数年間に臨死体験のグループを通じて出会った人たちです。彼らの中には、私と似たような体験をした人もいて、その少数の人たちととても親しくしています。

夫や母や兄のことも大切に思っています。彼らは、私が病気で苦しんでいる時、ずっとそばにいてくれました。私は彼らをとても愛しています。他人に対してこれほどの親近感をいだくのは難しくなりました。

人と交らわないようにしているというわけではありません。自分から連絡を取ろうとしていますし、人々がもっと大きな理解を得られるように、喜んで手助けもしています。それは、本を書くことや異文化トレーナーとしての現在の仕事を通して行っています。次の章に書かれていますが、“ありのまま許容すること”と“自分自身でいること”の大切さが、この偉大な冒険の中で、私に一番大きな影響を与え、現在の生活の指針になっています。

癌と臨死体験2

著者:アニータ・ムアジャーニ

訳者:奥野節子

初版発行:2013年6月

出版:ナチュラルスピリット

目次は、”癌と臨死体験1”を参照ください。

第9章 この世に戻る決心

●『午後4時頃、私は目をぱちぱちし始めました。視界はかなりぼんやりし、目の前に立っている人がダニーだとわかりませんでした。その時、「アニータの意識が戻った!」という彼の声が聞こえたのです。

この上なく幸せそうな声でした。それは、2月3日の午後で、昏睡状態になってからおよそ30時間後のことでした。

「アニータ、おかえり!」アヌープが大喜びで言いました。

「間に合ったのね!来てくれるってわかってたわ。だって飛行機に乗っているのが見えたもの」私は叫びました。

彼は少しとまどったように見えましたが、私の言ったことはすぐ忘れてしまったようです。私の意識が戻ったので、家族はとにかく幸せそうでした。母も私の手を握って、微笑んでいました。けれど私は、自分が昏睡状態だったとは知らず、自分に何が起こっていたのかも、もはや向こう側の世界にはいないということも、理解できずにまごついていたのです。

視界が少しずつはっきりしていき、だんだん家族が見分けられるようになりました。アヌープの後ろに、壁に立てかけた彼のスーツケースも見えました。

医師がやってきて、私が目覚めたのを見て、驚きと喜びの入り混じったようなまなざしでこう言いました。「やあ、おかえり!みんな、君のことをとても心配したんだよ」

「こんばんは。チェン先生、またお会いできて嬉しいです」多少意識がもうろうとする中で私は答えました。

「どうして私のことがわかるんだい?」明らかに驚いた表情でした。

「だって、前にお会いしたからです。私が呼吸困難の時、真夜中に肺から水を抜いてくれたでしょう?」

「確かに。でも、君はずっと昏睡状態で、目を閉じていたんだよ」チェン医師は、少し当惑しながらそう言い、さらに話を続けました。「とにかく、これは予想外の嬉しい驚きだ。君が目を覚ますことは難しいと思っていたからね。ところで、ご家族にいいお知らせがあるんです。肝臓と腎臓を検査した結果、また機能し始めていることがわかりました

「また機能し始めるって知っていました」私はまごつきながら言いました。

「そんなはずはない。これは予想外の結果なのです。とにかく、少し休んでください」彼はそう指示して、部屋を出ていきまいた。

家族は喜びにあふれ、これまで見たことがないくらい嬉しそうでした。医師からのよい知らせに、何度もお礼を言っていました。

チェン医師がいなくなってから、私は夫に尋ねました。「チェン先生は、私が彼を知っているのをどうしてあんなに驚いたのかしら? 彼が私を処置しているのを見たのに……。私の臓器が機能停止したから、もう数時間しか持たないってあなたに話したのは、チェン先生でしょう?」

「どうやってその話を聞いたんだい? 彼はこの病室では言わなかったのに。廊下のずっと向こうで話たんだよ!」とダニーは言いました。

「どうやって聞いたのかわからないわ。でも、チェン先生が来る前に、今回の検査結果について知っていたの」と私は言いました。

「まだふらふらしていましたが、自分の内側で明らかに何かが起こっていました。』

●『それから数日間、私は、向こう側の世界のことを少しずつ家族に話し、昏睡状態の最中に何が起こったのかを説明しました。自分の周囲だけでなく、部屋の外で、それも廊下や待合い場所で交わされた会話の一語一句を伝えたのです。家族は、畏敬の念に打たれたように聞き入っていました。私は、自分が受けたたくさんの処置についても話し、それを行った医師や看護師が誰であるかも見分けられたので、みんな驚くばかりでした。

私は癌専門医と家族に、夫が真夜中に緊急ボタンを鳴らした時、自分は肺に溜まった液体で呼吸困難になっていたと告げました。そして、看護師がやってきてすぐ、医師に緊急事態だと連絡をし、医師が飛んできた時には、全員が私は亡くなると思っていたと話しました。その内容が詳細だっただけでなく、時刻まではっきり言ったので、家族はショックを受けていました。

私が病院へ運ばれた時に慌てふためいた人物も見分けることができました。「あの看護師は、私の血管が確保できないって言ったの。その上、手足はもう骨ばかりで、静脈注射をする血管を見つけるのは無理だろうって。私の血管を見つけようとするのも無駄だっていう言い方だったわ」

兄はこの話を聞いて怒り、後日、その看護師に対してこう言ったそうです。「妹は、君が彼女の血管を見つけられないと言ったのを全部聞いていたんだ。もう助けるのはあきらめている感じがしたそうだよ。」

「妹さんに聞こえていたなんて、知りませんでした。だって昏睡状態だったんですよ!」看護師は驚いて、自分の無神経な発言について私に謝罪しました。』

●『昏睡状態から目覚めて2日も経たないうちに、医師は、奇跡的に臓器の機能が回復し、毒素で腫れあがっていたのもかなりおさまってきたと告げました。私はとてもポジティブで楽観的になり、食事をとりたいので栄養チューブを外してほしいとお願いしたのです。癌専門医の一人は私の身体が極度に栄養失調なので、すぐには栄養を吸収できないと言って反対しました。けれど、私は食べる準備ができていて、すべての臓器は再び通常通り機能していると主張しました。彼女はしぶしぶ同意し、もしきちんと食べられなかったら、すぐに栄養チューブを戻すと告げました。

栄養チューブは、私の身体につながっているもののうちで一番イライラするものでした。鼻から挿入され、喉を通して、胃の中へ入っていました。それによって、液体プロテインを、直接消化器官に送り込んでいたのです。このチューブのせいで喉がからからになり、鼻の中はむずむずし、とても不快だったので、それを取ってほしくてたまりませんでした。

チューブが外されたあと、最初の固形食としてはアイスクリームが一番良いだろうと、医師から言われました。喉のすり傷の痛みを和らげてくれるだけでなく、噛まずに食べられるからです。その提案に私の目は輝き、ダニーはさっそく出かけて、私の大好きなチョコアイスを買ってきてくれました。

別の癌専門医が定期健診を行った時、彼は驚きを隠せずに、こう叫びました。「あなたの癌は、このたった3日間で、目に見えて、かなり小さくなっています。それに、すべてのリンパ節の腫れもひいて、以前の半分くらいの大きさです!」

嬉しいことに、翌日、酸素チューブが取り外されました。医師が検査を行い、もう必要はないと判断したのです。私はベッドに半分起き上がっていましたが、まだ自分の身体を支える力はなく、枕で頭を支えていました。けれど、気分は高揚していました。家族と話をしたくてうずうずし、特にアヌープと久しぶりに会えたことが嬉しくてたまりませんでした。』

●『ゆっくりと―実際にはとてもゆっくりと―自分に起こったことを理解し始めていました。頭がはっきりしてきて、詳細を思い出し始めると、あらゆる小さなことについて胸が詰まりそうになりました。向こう側の世界で体験した驚くほどの美しさや自由をあとにして戻ってきたことが悲しかったのです。でも同時に、この世界に戻り、再び家族とつながれたことが幸せで、深く感謝しました。私の頬を、後悔と喜びの両方の涙が流れていました。

さらに、すべての人たちと、これまで一度も体験したことのない絆を感じるようになりました。家族だけでなく、看護師や医師にように、自分の病室にやってくるすべての人たちとです。私のお世話をしに来てくれる一人ひとりに対して、愛があふれ出てくるのを感じました。それは、これまで知っている愛情とは違いました。まるでとても深いレベルですべての人とつながっていて、同じ心を共有しているかのように、彼らが感じたり考えていることがすべてわかる気がしました。』

第10章 すべての癌が消えた

●『私は、勝利を得た気分でした。その時の私は、死ぬことから癌や抗がん剤まで、あらゆるものに対する恐怖感を完全に乗り越えていたので、自分を病気にしたのは恐れの気持ちだったと確信しました。もしこれが向こう側の世界を体験する前だったら、大きな赤い文字で書かれた劇薬という言葉も、それから身を守ろうとする看護師の厳重な装備も、きっと私に死ぬほどの恐怖感を与えていたことでしょう。心理的な影響だけで私の息の根は止まっていたかもしれません。

それが今、私は無敵の感じでした。この世に戻ってくるという決断が、物質世界で起こっている事柄を完全に覆すと知っていたからです。

医師は、私の現状についてもっと正確な情報を得るために、一連の検査を行ったうえで抗がん剤の投与量を調整したいと言ってきました。私はしぶしぶ同意しました。というのも、この一連の検査は、私の治った証拠が必要なので行うのだとわかっていたからです。それに、どんな結果が出てくるか、すでに知っていたからでもありました。検査結果は、私が正しいことを証明し、勝利感を与えてくれるでしょう。しかし医師たちは、私にはまだ十分な体力がなく、広範囲にわたる検査には耐えられないと判断し、回復の様子を見ながら数週間にわたって検査すると決定しました。私の体重は45㎏にも満たず、必要な検査を受けるためには、まず栄養状態の改善が必要でした。さもなければ、消耗した身体にさらなる重圧をかけるかもしれないからです。

皮膚病変は大きく口を開けており、毎日、看護スタッフが消毒をし、包帯を交換してくれていました。傷口の幅も深さも大きいので、医師は外科手術が必要だろうと感じていました。

そこで、形成外科医が傷の状態を調べるためにやってきました。彼は、私の傷が大きすぎて自然治癒は見込めないだろうと結論づけました。やはり、自然治癒するには栄養が不足しすぎていたのです。しかし、形成手術に耐えられる状態ではないので、十分体力がつくまで、看護師が引き続き傷の手入れをするようにと指示しました。

『集中治療室を出てから6日目、私は少しだけ力がついてきた感じがして、短い時間だけ、病院の廊下を歩き始めました。そして、最初に行うことになった検査は、骨髄生検でした。これはとても痛みを伴う検査で、太い注射針を骨盤に刺して、骨から骨髄を採取するというものです。

進行したリンパ腫では、癌が骨髄に転移しているのが普通なので、医師たちは、そのような検査結果を予測していました。その結果にもとづいて、薬の種類と量を決めるつもりでした。

検査結果を受け取った日のことは、今でも思い出します。医師が病院の職員たちと心配そうな様子で一緒にやってきて、こう言ったのです。「骨髄生検の件ですが、ちょっと気がかりな結果が出たんです」

ここ数日で初めて、少し不安を感じました。「どんな結果ですか? 何が問題なんですか?」

その場にいた家族も、一瞬顔を曇らせました。

「実は、骨髄生検で癌が見つからなかったんです」と医師は告げました。

「どうしてそれが問題なんですか? つまり、妻の骨髄には癌がないということでしょう?」ダニーは聞きました。

「いいえ、そんなことは絶対にありません。奥様の身体には確かに癌があります。こんなに早く消えてしまうわけなどありません。私たちはそれを見つけなくてはなりません。そうしなければ、処方する薬の量を決められないのです」

そして医師たちは、私の骨髄生検の材料を、香港で最新技術を持つ病理研究室に送りました。4日後、その結果が戻ってきましたが、陰性でした。癌の痕跡はまったく見つからなかったのです。その知らせを聞いて、私は圧倒的な勝利感を味わっていました。

それでもあきらめずに、医師たちは、癌を見つけるためにリンパ節生検したいと言い出しました。最初は、彼らへの仕返しとして、「もう検査は嫌です。これは私の身体なんです。どんなに調べても何も見つからないってわかっていますから」と言いたくてたまりませんでした。

しかし、医師は強く主張し続け、ついこの間私が運ばれてきた時の状態を家族に思い出させようとしたので、仕方がなく検査を受ける決心をしました。彼らが何も見つけられないことは十分わかっていましたし、彼らが行うすべての医学的検査に対して、自分に勝利感がもたらされることも知ってしました。』

『彼は、MRIの画像をもう一度見にいき、私のところへ戻ってきました。そして腋の下も調べていいか尋ねました。私の許可を得て、それを調べ終わっても、まだ当惑しているように見え、さらに私の胸、背中、腹部をスキャンしたのです。

「すべて順調ですか?」私は尋ねました。

「よくわかりません……」彼は言いました。

「何が問題なんですか?」私は、何が起こったのか薄々感じていました。

「少し待っていてください」と彼は答えました。

放射線技師は、さほど離れていないところにある電話へと走っていきました。彼が私の主治医と話しているのが聞こえました。

「さっぱりわかりません。たった二週間前に撮った癌患者の画像があるんですが、今調べても、癌だと思われるリンパ腫が一つも見つからないんです」

私は笑顔になり、彼が戻ってきた時、こう言いました。「それなら、もう行っていいですね」

「いや、待って下さい。あなたの主治医から、身体から癌が消えるなんてことは絶対ありえないので、必ず見つけだすように言われたんです。首のあたりで癌を見つけなければなりません」

彼は、大きくなってもいないのに、私の首のリンパ節に印をつけました。それから手術の日程が組まれて、外科医が私のリンパ節の一つを切り取るために、首の左側を少し切開しました。

これは局部麻酔だったので、完全に意識がありました。外科医が電気メスでリンパ節を切った時の不快感は本当に嫌でした。その時の皮膚の焦げた匂いを今でもはっきり覚えています。医師の処置に同意したのは、間違いだったかもしれないと思ったくらいです。

そしてその結果、癌の痕跡はまったく見つかりませんでした。

その時点で、これ以上検査や薬を続けることに対して抵抗を始めました。本当のところ、私は自分が治ったと、心の底からわかっていたからです。さらに、病院に閉じ込められていることにイライラし始めていました。自分は大丈夫だと知っていたので、早く退院して、世の中を探検したくてたまりませんでした。けれど、医師は許してくれず、さらなる検査と薬が必要だと主張しました。そして、私が病院へやってきた時のことを、再び思い出させようとしたのです。

「私の身体に癌が見つからなかったのに、どうしてそんなことがまだ必要なんですか?」と医師に尋ねました。

「これまでの検査で癌が見つからなかったからといって、癌がないというわけではありません。忘れないでくださいよ。数週間前に病院へ運ばれてきた時、あなたは末期の癌患者だったんです!」と医師は断言しました。

しかし、最終的に、PETスキャンの結果、画像で癌が確認されなかった時点で、私の治療は終わりました。医師チームは驚いていましたが、形成外科医に手術を頼んでいた首の皮膚病変も自然治癒していました。

癌と臨死体験1

もの凄い本でした。この本を信じるのか疑うのかは人それぞれです。私自身、臨死体験の全てを信じることは難しいかもしれません。しかしながら、私は信じたいと思います。その理由はとても単純です。

生き物、すべて死を迎えます。死後の世界は2つだと思います。“来世”か“永遠の眠り”です。もし、“永遠の眠り”であるなら、それは「無の世界」だろうと思うので気にすることは何もありません。

来世では誰もが仏様になれるようですが、仮に地獄があったとしても、地獄に落とさせれるような反社会的な悪事はしてこなかったので、このまま順調にいけば、行先は天国だろうと思います。

信じていれば「本当に、あったんだ」となりますが、疑った場合は「な~んだ、あったんだ」となります。後者は後悔するかもしれません。それが、「信じる」方に手をあげる単純な理由です。

そして、何よりも説得力があるのは、末期癌による昏睡状態から奇跡的に生還し、しかも、信じられない程の早さで健康を取り戻したという事実です。この事実の中に多少の脚色はあったとしても、健康を取り戻したという現実は紛れもない真実であり、否定することはできません。

著者:アニータ・ムアジャーニ

訳者:奥野節子

初版発行:2013年6月

出版:ナチュラルスピリット

こちらはアニータさんのご紹介です。

ブログでお伝えしたいと思ったポイントは以下の3つですが、要点をまとめたり結論を出したりというレベルにはなく、あくまで、これらに関わることを抜き出したというものになっています。

また、触れているのは目次の黒字の章で、長くなったので4つに分けています。 

1.著者のアニータさんは何が原因で癌になったと思っているのか、どうしたら癌にならずに済んだと思っているのか。

2.臨死体験とはどんなものか。

3.なぜ現世に生還でき、しかも末期癌を奇跡的な短時間で克服できたのか。

目次

まえがき

はじめに

パート1 正しい道を求めて

プロローグ 私が“死んだ”日

第1章 多様な文化の影響

第2章 ヒンドゥー教とキリスト教のはざまで

第3章 お見合い結婚でのつまずき

第4章 真のパートナーとの出会い

第5章 癌の宣告

第6章 救いを求めて

パート2 死への旅路、そして生還

第7章 身体を離れて

第8章 神の愛を体験する

第9章 この世に戻る決心

第10章 すべての癌が消えた

第11章 コー医師による医学的見解

第12章 大きな意識の変化

第13章 恐れずに生きる

第14章 シンクロニシティに導かれて

パート3 臨死体験が教えてくれたこと

第15章 私が癌にかかった理由、そしてなぜ癒されたか

第16章 私たちは神と一体である

第17章 ありのままの自分を生きる

第18章 臨死体験についての質疑応答

パート1 正しい道を求めて

第6章 救いを求めて

・インドでのアーユルヴェーダはとても効果があったが、香港に戻り友人などにアーユルヴェーダについて話すと、恐怖感や否定的な反応しか返ってこなかった。

●友人たちが私の選択に疑いを抱いていることは、私に大きな影響を与えた。そして、自分の選択した治療法に対する他人の懐疑心にますます影響されていった。後から思えば、その時点で健康を取り戻すためにもう一度インドへ戻るべきだった。

●一人でいたいと思うことが多くなったのは、真実を見なくて済むように、現実を閉めだしたかったからである。

●自分に対する人々の見方や接し方が耐えられなかった。

●健康が衰え、人々から可哀そうだと思われ、普通の人間ではないように優しくされるのが嫌だった。

●カルマを信じていたので、前世で何か恥ずべき行いをしたのだと感じるようになった。そして、前世の報いであるのなら全くの望みはないと感じるようになった。

●不安や心配をしてもらいたくないという目的だったが、いつも笑い、微笑みを浮かべて、したくないおしゃべりをしていた。

●自分よりも他人の気持ちを優先させていた。そのため、多くの人が“勇敢”だとか“立派”だと褒めてくれた。前向きで幸せそうだとも言われた。しかし、その結果、へとへとになってしまっていた。

●本当に理解してくれていたのはダニー(夫)だけだった。

●いよいよ、外出するのをやめて、家の中に閉じこもることが多くなった。

●外見は重病人のようになり、呼吸が苦しく、手足はとても細くなり、頭をあげているのも大変だった。

●自分の存在が不快な思いをさせていることに気づき、公の場に出ることをまったくやめてしまった。

●恐れや絶望の檻の中に自分を閉じ込めてしまった。

●健康な人をねたむようになった。

●希望の光が消え、何のために一生懸命闘っているのか疑問に思うようになった。

●苦しみと恐れの中、もはや闘病を続ける目的を見つけられず、身体も心も疲れすべてを放棄し、病気への敗北を認めようとしていた。

●『2006年2月1日の朝、私はいつもより気分が良く、自分の周りのものにも目をやり始めました。空はいつもより青く、世界は美しい場所に見えました。まだ車椅子に乗って、酸素ボンベを持ち歩いていましたが、「もう頑張らなくていいんだ。すべてうまくいく」と感じながら、クリニックから帰宅したのです。

「私がいなくなっても、世界は存在し続けるんだわ。だから心配することは何もない。なぜかわからないけれど、とてもいい気分。こんな感じは本当に久しぶりだわ」と思っていました。

身体中が痛く、息をするのもつらかったので、私はすぐにベッドに入りました。痛みのせいで眠れないため、少しでも休めるようにと、看護師が帰る前にモルヒネを投与してくれました。でも、その日は何かが違っていたのです。私は、自分がくつろぎ、これまで必死にしがみついていた手を離そうとしている気がしました。これまではずっと、崖っぷちでぶら下がっているような感じだったのです。勝ち目のない闘いに挑み、一生懸命に頑張っていました。でも、とうとう私は、自分がしがみついていたものすべてを手放す準備ができたのです。そして、深い眠りへと落ちていくのを感じました。

翌2月2日の朝、私は目を開けませんでした。顔だけでなく、腕も足も手もすべてがひどく腫れ上がっていました。ダニーは私をひと目見て、すぐに医師に電話をかけ、急いで病院へ運ぶようにと指示されました。

私は癌との闘いを終えようとしていました。

パート2 死への旅路、そして生還

第7章 身体を離れて

『「自分がそのような存在だと、どうして今まで気づかなかったのだろう?」と思いました。

これまでの人生の累積であるすばらしいタペストリーを目にした時、なぜ今日いる場所へ至ったのかははっきりとわかりました。

「自分の歩んできた道のりを見てみなさい。どうして自分にあんなに厳しかったんだろう? どうして自分を責めてばかりいたんだろう? なぜ自分を見捨ててしまったの?  どうして自分のために立ち上がって、自分の魂の美しさをみんなに示そうとしなかったんだろう?」

「どうしていつも他人を喜ばせるために、自分の知性や創造性を抑圧ばかりしていたんだろう? 本当はノーと言いたいのにイエスと言って、自分を裏切ってばかりいたわ。どうしてありのままの自分でいる許可をいつも他人に求めていたんだろう? なぜ自分の美しい心に従って、自分の真実を語ろうとしなかったんだろうか?」

「まだ身体にいるうちに、どうして私たちはこのことが理解できないんだろう? 自分にあんなにまで厳しくするべきじゃないって、私はなぜわからなかったんだろうか?」

私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。私は存在するだけで、愛の込もった思いやりを受けるに値するのだと理解しました。何か特別なことをする必要もなく、ただ存在するだけで、愛される価値があったのです。それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

このような理解は私にとって驚くべきものでした。なぜなら、愛されるためには努力する必要があるといつも思っていたからです。好かれるに値する人間にならなくてはいけないとずっと信じていました。ですから、実はそうではないとわかったのは、すばらしい発見でした。単に自分が存在しているということだけで、私は無条件で愛されていたのです。

この拡大した、偉大な本質が本当の自分だと知った時、考えられないほどの明瞭さの中で私は変容しました。それは私という存在の真実でした。私は新しい自分を見つめながら、自らの気づきの光となっていきました。そこで起こっていることの流れ、輝き、驚くような美しさの邪魔するものは、何一つありませんでした。

私たち全員がつながっていることにも気づきました。その織り込まれた統合体は、人間や生物の範囲を超えて、もっと外へと拡大していき、すべての人間、動物、植物、昆虫、山、海、生命のないもの、そして宇宙全体まで含んでいるように感じられました。宇宙は生きていて、意識で満たされており、すべての生命や自然を包み込んでいるのだと悟ったのです。あらゆるものが、無限の“全体”に属していました。私も、すべての生命と複雑に絡まり合っていました。私たちはみんな、その統合体の一つの側面なのです。すなわち、私たちは一つであり、一人ひとりが集合体“全体”に影響を与えているのです。

私は、ダニーの人生と目的が、私の人生としっかりつながっていて、もし私が死ねば、彼はすぐにあとを追うだろうと知りました。けれど、たとえそうなったとしても、より大きな全体像においてはすべて完璧なままだとわかりました。

さらに、癌は、私が何か間違ったことをしたことへの罰ではなく、また、以前信じていたような、自分の行動に対するネガティブなカルマでもないと理解しました。すべての瞬間に無限の可能性が秘められていて、その時々私がいる場所は、自分の人生のあらゆる決断や選択や考えが結実したものでした。つまり、私が抱いた多くの恐れや私の持つ偉大な力が、この病気となって現れてきたのです。

画像出展:「National Museum New Delhi

タペストリーとは、絵模様を織り出した綴織のこと。

第8章 神の愛を体験する

●『自分の臨死体験について話そうとしても、その体験の深さと、あふれるようにやってくる知識の量に見合う言葉が見つかりませんでした。ですから、最善の方法として、隠喩や類推を用いて表現することにしました。私が伝えようとしていることの本質を少しでもうまく表すことができればと願っています。

巨大で、真っ暗な倉庫を想像してみてください。あなたは、たった一つの懐中電灯だけで、そこに暮らしています。そのとても大きな空間の中で、あなたが知っているのは、小さな懐中電灯の光で見えているものだけです。何か探したいと思った時、それを見つけられることもあれば、見つけられないこともあります。でも、見つけられないからといって、そのものが存在しないというわけではありません。それはそこにありますが、あなたが自分の光で照らしていないだけです。たとえ照らしていたとしても、見たものを理解できないかもしれません。また、それについてある程度はっきりわかることもあるかもしれませんが、たいていは何だろうかという疑問が残るでしょう。あなたは自分の光が照らすものだけを見ることができ、自分がすでに知っているものだけを理解できるのです。

身体のある生活とは、このようなものです。私たちは、自分の感覚を集中しているものだけに気づき、すでに馴染みがあるものだけを理解できます。

真っ暗な倉庫と懐中電灯

では、ある日、誰かが電気のスイッチを押したと想像してください。そこで初めて、輝きと音と色がパッとあふれ出て、あなたは倉庫全体が見えるようになるのですなんと、そこはこれまで想像していたような場所ではありませんでした。赤や黄色や青や緑の光が点滅し、輝いています。その中には、これまで見たことがなく、理解できない色もあります。これまでに聞いたこともないような、臨場感にあふれたすばらしい旋律が部屋中に響き渡っています。

さくらんぼ色、レモン色、朱色、グレープフルーツ色、ラベンダー色、金色の虹のようにネオンサインが脈動し、踊っています。電気仕掛けのおもちゃが棚の周りを走り回り、棚の上には、言い表すことのできないような色合いの箱、包装物、紙類、鉛筆、絵の具、インク、缶入り食糧、色とりどりのキャンディーの箱、発泡性飲料、チョコレート、シャンパン、世界中からのワインがあります。突然ロケット花火が爆発して放射状に広がり、花や滝などのきらめく光の像を見せています。

あなたの周りで起こっているあらゆることの広大さ、複雑さ、深さ、大きさは圧倒的です。その場所の端々までは見えなくても、自分が認識している以上のものが存在するとわかっています。あなたは、自分が生き生きした無限ですばらしいものの一部であり、目や耳でわかるものを超えた大きなタペストリーの一部だという強烈な感覚を得るでしょう。

これまで現実だと考えていたことが、実は、あなたを取り囲む途方もない驚異的なものの中の小さな点にすぎないと理解します。そして、いかにさまざまなものが互いに関わり合い、ふさわしい場所にぴったりと当てはまっているかがわかるでしょう。倉庫の中には、これまで見たこともなく、夢にも思わなかったすばらしい色や音や感触のものが、すでに知っていたものと一緒あったことに気づくのです。あなたが気づいていたものでさえ、まったく新しい状況の中で、真新しく、超現実的に見えるでしょう。

再びスイッチが消えても、この体験におけるあなたの理解や明晰さ、驚異の念や活気は誰も奪い取れません。倉庫にあるすべてのものについて、あなたが知っていることも消去できません。そこに何があり、それをどのように手に入れ、何ができるのか―あなたは、小さな懐中電灯で暮らしていた時よりも、はるかに多くのことを知っています。そして、この意識清明は瞬間に体験したあらゆることに対して畏敬の念を抱いています。人生はこれまでとはまったく異なる意味を持つようになり、あなたの新しい体験は、この気づきから創造されていくでしょう。

私は、向こう側の世界で新たに得た理解に驚き、すべてを包み込む意識を楽しみながら、探検していました。そうしているうちに、自分が選択しなければならないことに気づきました。

再び、近くに優しい父親の存在を強く感じました。まるで抱きしめられているようでした。

「パパ、やっと家に帰ってきた気がするわ。ここに来れて、とても嬉しい。つらい人生だったから」と父に言いました。 (補足:これは臨死体験、“向こう側の世界の話です。父は他界した父のことです)

「でもアニータ、あまえはいつもここにいたんだよ。これまでも、これからもずっと。そのことを忘れるんじゃない」まるで言い聞かせるようでした。

子どもの頃、父といつもうまくいっていたわけではありませんが、今、父から感じられるのは、すばらしい無条件の愛だけでした。生きていた時の父は、若いうちにお見合い結婚をさせようとするなど、いつもインド人社会の基準を私に押しつけようとしたので、私はイライラし、それに従えない自分を不適格者だと感じていました。けれど、今は、文化的制約や期待も存在せず、父が私に対して抱いているのは純粋な愛だけだったのです。

現世で父が私に課していた文化的なプレッシャーはなくなっていました。それらはすべて、身体を持った存在としての側面にすぎないのです。そのどれもが、死後にはもう重要ではありませんでした。それらの価値観は、死後の世界へは持ち越されないのです。唯一残っているのは、私たちのつながりと、お互いが抱いていた無条件の愛だけでした。私は初めてこのように父に愛され、父のもとで安らぎを感じていました。まるで、やっと我が家に帰ってきたような、すばらしい感覚だったのです。

父との対話に言葉は必要なく、互いに対する理解が完全に溶け合っていました。父のことが理解できただけでなく、まるで私自身が父になったようでした。亡くなってからも、父はずっと家族と一緒にいてくれたことに気づきました。父は母のそばにいて、母を助け、見守り、私の結婚式や闘病生活でも、ずっと私のそばについていてくれたのです。』

●『私は、父の本質が、これまでよりはっきりと自分に話しかけているのに気づきました。

「アニータ、今はまだここに来るべき時じゃないんだよ。でも、私と一緒に行くか、身体に戻るか、おまえが自分で決めなさい」

私の身体は重病で、癌に侵されているの。もうあの身体には戻りたくない。だって苦しみ以外何もないんだもの。私にとってだけじゃなくて、ママやダニーにとっても……。戻る理由なんか何もないわ」という思いが直ちにあふれ出てきました。

無条件の愛の状態がこの上なく幸せだったのは言うまでもありませんが、私は身体に戻るという考えに耐えられませんでした。今いる場所に永久にいたかったのです。

このあと起こったことを説明するのは、非常に困難です。

第一に、私が意識を向けたものは何でも、自分の目の前に現れるような気がしました。第二に、時間はまったく問題となりませんでした。時間はまるで存在していないかのようで、それについて考慮する必要さえなかったのです。

このことが起こる前に、医師は私の臓器の機能を検査して、すでに報告書を書いていました。でも、向こう側の世界では、その検査結果と報告書の内容は、これから私がしなければならない決断、つまり生きるか、このまま死へ向かうかという決断次第だったのです。私が死を選択すれば、検査結果には臓器不全と書かれ、もし身体に戻る選択をすれば、臓器が再び機能し始めた記されるでしょう。

その瞬間私は、「もう戻りたくない」と決意しました。そして、自分の身体が死んでいくのを感じ、臓器機能不全による死だと医師が家族に説明している場面を目にしました。

同時に、父が私にこう告げました。「アニータ、おまえが来れるのはここまでだ。これ以上進んだら、もう戻れないんだよ」

物理的な境界線はありませんでしたが、自分の前に、エネルギーレベルの違いによって区分けされた、見えない境界線があるのがわかりました。もしそこを渡れば、もう二度と戻れないのです。身体とのつながりは永久に切断されてしまい、私が目にしたように、家族は、悪性リンパ腫による臓器機能不全で亡くなったと医師から告げられるでしょう。

無条件の愛と、自分が受け入れられた感覚はすばらしいものでした。私は永遠にその状態にいたかったので、境界線を越えようと思いました。そこには痛みも、苦しみも、ドラマも、エゴも存在せず、私はあらゆる生きものと創造物の純粋な本質に包まれていました。まさしくすべてが一つであると感じていたのです。

私は、医師からの死の知らせに取り乱した家族のほうへ意識を向けました。ダニーは、私の胸に顔を埋めて、やせ細った手を握り、深い悲しみにむせび泣きながら、身体を震わせていました。母は信じられない様子で、真っ青になり、私の前に立ちつくしていました。兄のアヌープはやっと到着し、私の死に目に会えなかったことにショックを受けていました。

けれど、私の身体や家族に起こっていることに巻き込まれそうになると、再び自分の感情から引き離されていったのです。私は、もっと偉大なストーリーが展開しつつあるという安堵感に包まれました。そして、たとえ戻らない選択をしても、生命という壮大なタペストリーの中で、なるようになるのだと知りました。

死のほうへ歩き続けると決心した瞬間、私は新しいレベルの真実に気づきました。

自分が本当は誰かに気づき、本当の自分のすばらしさを理解したので、もし身体に戻る選択をすれば、病気は急速に治癒するだろうとわかったのです。それも何週間や何ヶ月かけてとかではなく、わすか2、3日のうちにです。もし身体に戻ったら、医師は癌の痕跡すら見つけられないでしょう。

「一体どうやって?」この意外な新事実に驚き、その理由を知りたいと思いました。

その時、身体は、自分の内側の状態を反映したものにすぎないと悟りました。もし内なる自己が、その偉大さと大いなるものとつながりに気づけば、私の身体はすぐにそのことを反映し、病気は急速に治るでしょう。

私には選択権があると知っていましたが、何かそれ以上のものが存在するとわかりました。「私にはまだ実現していない目的があるような感じがするわ。でもそれは何だろう? どうやって見つけられるのだろう?」

そこで私は、自分がすべきことを探す必要はなく、自然に目の前に現れてくると知りました。それは、何千人という人たち、おそらく、何万もの人たちを手助けすることと関係しているようでした。彼らと臨死体験で得たメッセージを分かち合うのかもしれません。でも、自分から追い求める必要はなく、また、それをどうやって実現するかを考える必要もないのです。ただ、自然の展開に任せていればよいことでした。

自然の展開へ到達するために、私がすべきことは、ありのままの自分でいることだけなのです。私は、これまでのすべての年月において自分に必要だったのは、ただありのままの自分でいることだったと悟りました。自分を非難したり、欠点があると思ったりせずにです。同時に、私たちの本質は純粋な愛だとわかりました。誰もが純粋な愛なのです。完全なるものからやってきて、それに戻るのであれば、そうでないはずはありません。このことを理解したら、自分であることをもう恐れることはないでしょう。愛であることと本当の自分であることは一つであり、同じことなのです。

もっとも大きな新事実は、雷光のとどろきのごとくやってきました。単に自分の本当の姿である愛でいれば、自分も他人も癒せるとわかったのです。これまで理解できませんでしたが、それは明白なことに思えました。もし私たちがみんな一つで、無条件の愛という全体のさまざまな側面であるなら、私たちはみんな愛の存在だということです。私は、それが人生の唯一の目的だと知りました。つまり、本当の自分でいて、自分の真実を生き、愛であることです。

私が理解したことを確認するように、父とソニ(親友で癌で他界)が私にこう言っているのに気づきました。

「自分が本当は誰かという真実を知ったのだから、もう一度身体に戻って、今度は何も恐れずに思い切り生きなさい!

坐骨神経痛(腰部脊柱管狭窄症)3

編集:飯塚晃敏

発行:2021年5月

出版:文響社

目次は“坐骨神経痛(腰部脊柱管狭窄症)1”を参照ください。

第8章 坐骨神経痛のセルフケアについての疑問19

Q70 普段の生活で急な坐骨神経痛や腰痛を防ぐ方法はありますか?

●体幹筋がうまく働かないと、腰椎の椎間関節や椎間板に無理な力が集中し、急性の坐骨神経痛や腰痛を招く原因になる。

「これから物を持ち上げる」「椅子から立ち上げる」などの動作を行うとき、事前に「これからする動作をイメージしてから実際に動く」という方法が有効である。これは、脳から筋肉への指令が確実に伝わり、体幹筋を正しく動作させることにより、急性の坐骨神経痛や腰痛を防ぐことができる。

Q71 姿勢はどんな点に気をつければいいですか?

●均等に力が分散しバランスのとれた姿勢、「ニュートラルポジション」を心がける。

Q75 運動療法で本当によくなるのですか?手術を回避できますか?

坐骨神経痛は激しい痛みがあるとき以外は、足腰の筋力や関節の柔軟性を維持することは非常に重要である。

●立つ、歩く、座るなどの動作を適切に行うには、運動療法以外にない。

Q77 高齢者でも運動療法を行って大丈夫ですか?

●自分に合った種類や強度の運動療法によって手術を回避できている高齢者はたくさんいる。

●運動療法は心肺機能を高め、血流を促して、生活習慣病を予防・改善する効果もある。

●「これならできそう」と思う運動を試してみると良い。

Q81 坐骨神経痛のある人は、まずどんな体操をやればいいですか?

腰椎を支える体幹深層筋、特に腹横筋を鍛えることが重要である。腹横筋は最も深いところにある深部筋で、上は肋骨、下は骨盤、背面は脊骨につながり、前面は腱膜という膜状の線維組織となって左右がつながっている。まさに、コルセットのようにお腹をぐるりと取り巻いている。

●腹横筋を鍛え、その使い方を身につけるために最適な運動は「ドローイン」である。

画像出展:「人体の正常構造と機能」

向かって左が表層、右が深層です。右側のほぼ中央に腹横筋が出ていますが、最も深く広い筋肉で、コルセットのようです。

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」


Q83 後屈障害型の坐骨神経痛は具体的にどんな体操で症状が和らぎますか?

骨盤を後傾させる「骨盤後傾体操」が有効である。ドローインが腹横筋を鍛えるのに対し、こちらは骨盤を後傾させるという動作を重視した体操である。痛みを感じたときに行えば、症状を素早く軽減することができる。

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

Q84 後屈障害型の坐骨神経痛を根本から改善する体操はないですか?

●骨盤後傾体操に加え、「ネコのポーズ」、「胸椎反らし」、「前もも伸ばし」がある。

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

Q87 特に女性は骨盤中央の仙骨の異常でも坐骨神経痛のような症状が出るそうですが、どう治しますか?

●骨盤の両側を腸骨といい、中央の仙骨とは仙腸関節でつながっているが、靭帯でしっかりと固定されており、数ミリ程度しか動かない。この仙腸関節をずらすような力が加わると関節周囲の靭帯が炎症を起こし、腰、お尻、下肢、鼡径部などに痛みが生じる。

●軽い痛みであれば「仙腸関節矯正おじぎ」で改善することができる。

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

第10章 腰椎と別の部位で起こる坐骨神経痛について疑問13

Q94 腰椎以外で坐骨神経痛が起こる部位はありますか?

●腰椎以外が原因の坐骨神経痛も少なくない。これらを「絞扼性末梢神経障害」という。代表的なものには、お尻の筋肉が原因となる「梨状筋症候群」、脛の神経が圧迫されて起こる「腓骨神経障害」、足の内くるぶしの近くで神経が絞扼される「足根管症候群」がある。

第11章 坐骨神経痛の手術についての疑問14

Q107 手術を受けるべきタイミングはいつですか?

①本人の希望があれば手術を検討…保存療法を3~6ヵ月以上続けても改善が見られず、症状が悪化していくときは、患者さんと医師で相談のうえ手術を検討する。症状が強く仕事や日常生活に支障が出ている場合である。

②早めの手術を検討…10mも歩けないような間欠性跛行や下肢の筋力低下、下垂足(足首の先が下がってしまう麻痺症状)が現れて、場合。

③早急に手術が必要…馬尾が障害されて重度の馬尾症候群が現れているときは、緊急手術が必要である。放置すれば排尿・排便障害や下肢の麻痺が後遺症として残る可能性が高くなる。

Q109 手術で坐骨神経痛やしびれは、どのくらいよくなりますか?

●坐骨神経痛の手術は、坐骨神経痛そのものを治療するものではなく、神経が本来の機能を発揮できる環境にするのが目的である。従って、神経そのものが重いダメージを受けていると、手術をしても思うように症状が取れないこともある。

●一般に、年齢が若いほど、発症期間が短いほど、神経の圧迫やダメージが軽いほど回復は良好である。特に、痺れは痛みより改善しにくい傾向がある。

Q110 手術による合併症や後遺症は心配ないですか?

●腰椎の手術には高度な技術が必要だが、近年は内視鏡や顕微鏡など先進の機器を使い、明るく拡大された手術視野で安全性の高い手術が行われている。

●日本脊椎脊髄病学会の2011年の報告では、手術31380例における合併症は、神経合併症(術前にはなかった神経症状)1.4%、深部創感染(切開した部位の深部にある組織の感染症)1.1%となっている。

Q113 手術後再発する可能性はどのくらいありますか?

●腰部脊柱管狭窄症の術後4~5年の経過を見ると、70~80%の患者さんで、良好な結果が得られているが、長期的な経過については十分な調査・研究が少なく、はっきりとは分かっていない。

●腰椎椎間板ヘルニアの摘出手術後の再手術率は、5年後で4~15%とされている。同じ場所のヘルニアの再手術は1年で約1%、5年では約5%。これは椎間板の線維輪(髄核の周囲にある線維組織)は20歳ころから老化が進んでおり、手術後も線維輪が完全に修復されないことが原因と考えられる。

●再手術の可能性を考慮し、姿勢や動作などの生活習慣を見直し、腰椎への負担を避け、運動療法に取り組むなどの配慮が必要である。

Q115 腰部脊柱管狭窄症の手術の最新の術式について教えてください

●新しい内視鏡手術「全内視鏡下腹側椎間関節切除術(FEVF)」には多くのメリットがあるが、難易度が高く、この手術をできる医師は少なく、注意点もいくつかある。 

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

坐骨神経痛(腰部脊柱管狭窄症)2

編集:飯塚晃敏

発行:2021年5月

出版:文響社

目次は“坐骨神経痛(腰部脊柱管狭窄症)1を参照ください。

第2章 坐骨神経痛の原因についての疑問15

Q12 坐骨神経痛は、いったいなぜ起こるのですか?

●坐骨神経痛の原因の大半を占めているのは腰椎である。これは坐骨神経が第4・第5腰椎と仙骨から出ているため、腰椎の異常は坐骨神経に障害を起こす。

①腰椎の病気…腰椎の神経が圧迫・刺激されて坐骨神経痛に影響をおよぼすもの

・腰椎椎間板ヘルニア:腰椎の椎間板の内部にある髄核がはみ出たりする病気。前かがみ姿勢や中腰作業の繰り返しで椎間板に負荷がかかることが原因。年齢を問わず多く見られる。

・腰部脊柱管狭窄症:加齢による腰部の骨や組織の変形・変性などにより脊柱管が狭まり、中を通る神経が圧迫される。

・腰椎すべり症:椎骨どうしが前後方向にずれて脊柱管や椎間孔が狭まり、神経を圧迫する。加齢やスポーツ等によるダメージが原因となる。

・変形性腰椎症(変形性脊椎症):加齢によって変性した椎間板が徐々につぶれ、腰椎が不安定になると、その動きを止めようと椎体のへりに骨棘が形成され、周辺の神経を刺激して痛みを生じる。

②筋肉の硬直(梨状筋症候群)…お尻の梨状筋という深部筋肉が硬くなり、坐骨神経痛が圧迫される。

③関節障害…仙腸関節や股関節の不具合や変形から神経が圧迫され、坐骨神経痛に似た痛みを起こすことがある。

Q13 坐骨神経痛のような足腰の症状がある場合、ほかにどんな原因を疑うべきですか?

①腫瘍…脊髄・脊椎・骨盤内の腫瘍は組織の破壊により、腰や下肢に痛みや痺れを起こす可能性がある。

②末梢動脈疾患(PAD)…動脈硬化により血管が狭まって血流が滞り、末梢神経が障害されることによって、下肢に痛みが生じる。痺れは見られないことが多い。閉塞性動脈硬化症(ASO)ともいう。

③末梢神経障害…糖尿病による高血糖や、過度な飲酒、ビタミンB1、B6、B12の欠乏などで神経が障害され、手足に痺れや痛み、感覚麻痺が現れる。

④その他…婦人科の病気(子宮内膜症など)や、精神的な要因(ストレス、うつ症状など)でも、足腰に痛みや痺れなどの症状が現れることがある。

Q16 坐骨神経痛を起こしやすいのは腰椎のどこですか?

腰椎椎間板ヘルニアでは約90%が第4・第5腰椎と、第5・仙骨の間である。腰部脊柱管狭窄症でも第4・第5腰椎間が多いが、第3・第4腰椎間でもしばしば起こり、複数個所で発症することもある。

Q18 坐骨神経痛の主原因である「腰部脊柱管狭窄症」とはどのような病気ですか?

●中高年に多く、推定患者数は約580万人。

主な原因は、加齢による椎骨や椎間板、靭帯などの組織の変性や変形である。脊柱管後部の靭帯(黄色靭帯)がたわんで厚くなったり、椎体が変形したりすることや、骨粗鬆症や側弯症も脊柱管の狭窄の原因になる。椎間板ヘルニアも脊柱管を狭めることがある。

●障害は神経だけでなく、血管を締めつけ血流を悪化させる。このため間欠性跛行などの症状も出てくる。

●腰を反らす(後屈)と脊柱管の圧迫しさらに狭めるため、症状が強まるという特徴がある。

Q19 腰部脊柱管狭窄症にはどんな種類がありますか?

神経根型…神経根の締めつけが原因。痛みや痺れ、歩行障害(間欠性跛行)も現れる。

馬尾型…脊柱管内部の馬尾という神経が締めつけられるもの。左右両側に症状が現れることが多く、お尻から下肢にかけて広い範囲に痺れが強く出る。これにより筋力低下・麻痺、冷感・灼熱感、足裏の感覚異常、さらに排尿・排便障害、会陰部やお尻のほてり、間欠性跛行などの様々な症状が見られる。

混合型…神経根と馬尾の両方が締めつけられるタイプで、両方の症状が現れる。馬尾型・混合型で強い馬尾症状が見られる場合は、早めの手術が求められる。

Q24 「腰椎分離症」「腰椎分離すべり症」とはどんな病気ですか?

●腰椎分離症は腰椎の椎弓にヒビが入って分離している状態、いわば椎弓の骨折である。腰を捻ったり反らしたりといった運動を繰り返すことにより、徐々にヒビが深くなっていく。体がまだ軟らかく激しい運動をする子供(10~14歳)や、スポーツ選手などに多く見られる。

●痛みは後屈に強まるのが特徴で、坐骨神経につながっている神経が圧迫されれば坐骨神経痛も起こる。

●若いうちに発症しても症状が大人になるまで現れないことも多い。

●発症後、早期にコルセットで腰椎の動きを制限すればヒビがくっつく場合もある。

●腰椎分離すべり症は、分離の起こった椎骨の下の椎間板が変性し、椎体が前面へすべる病気である。

●腰椎変性すべり症はほとんど第4腰椎が前にすべるが、腰椎分離すべり症は第5腰椎が多い。

●腰椎分離症から腰椎分離すべり症を発症する割合は、約10~20%といわれている。


第3章 坐骨神経痛の症状についての疑問9

Q25 坐骨神経痛では、具体的にどんな症状が現れますか?

痛み・痺れ…お尻・太もも(外側・裏側)・ふくらはぎ(外側)・すね・足部(甲・足裏・足指)。

知覚障害…灼熱感(ほてり)、冷感、締めつけ感、だるさ、脱力感。

立位・歩行時の痛み・痺れ…立位でお尻から下肢にかけて痛みや痺れが増悪する。間欠性跛行(歩行中に痛みや痺れで歩行困難になるが、少し休むと回復する)。

馬尾症候群…左右両側のお尻や下肢の痺れ、感覚異常(冷感・灼熱感、足裏にものが貼りついたような違和感)、麻痺、重度の間欠性跛行(数分、数歩しか歩けないなど)、排尿・排便障害。

Q26 「痛み」には、どんな特徴がありますか? 鈍痛ですか?激痛ですか?

●急性の激痛の多くは、腰椎椎間板ヘルニアが原因で起こる坐骨神経痛である。前屈で痛みが増強する。

脊柱管狭窄症、腰椎すべり症、変形性腰椎症が原因で起こる坐骨神経痛の多くは鈍痛である。後屈で痛みが増す。

Q30 症状が出る場所が変わってきましたが、そんなことはありますか?

腰部脊柱管狭窄症では、1年、2年と経過するうちに症状の発生部位が移動することがある。症状が広がる場合と移動する場合があり、移動は下から上、上から下、右から左、左から右とまちまちである。

症状の拡大・移動は「センソリーマーチ」(感覚の行進)とよばれている。特に馬尾に障害の場合に多く、間欠性跛行でも痛みの部位は移動する、これらは時間の経過や姿勢、動作によって神経が圧迫される範囲の変化が原因と考えられる。

Q32 どんな症状が現れたら、医療機関に行くべきですか?

●急性の腰痛は自然に軽快することが多い。

坐骨神経痛が疑われる場合、2~3週間ストレッチや体操などを行っても症状が軽減しない場合は受診した方が良い。

痛みや痺れが強く日常生活が困難な場合は、すみやかに受診すべきである。

馬尾症候群の症状が出ている場合は、ただちに受診すべきである。

Q33 坐骨神経痛のつらさは、いったいいつまで続くのですか?手術は必要になりますか?

●椎間板ヘルニアはおよそ3カ月で80%の人が自然治癒すると考えられている。

腰部脊柱管狭窄症は加齢によって靭帯や骨などの組織の変性・変形が原因で起こるので、症状もゆっくりと現れて長引くことが多い。

第4章 坐骨神経痛の診察・検査についての疑問8

Q34 診察を受ける医療機関・医師はどう選べばいいですか?

●坐骨神経痛を疑う場合は、整形外科か脳神経外科、特に脊椎・脊髄を専門とする医師を受診する。

●以下の学会のホームページが便利である。

日本整形外科学会 

日本脊椎脊髄病学会 

日本脊髄外科学会 

※ご参考:日本整形内科学研究会

第6章 坐骨神経痛の標準治療についての疑問10

Q53 坐骨神経痛の進行を防ぐ方法はありますか?

●坐骨神経痛のタイプ別に、負担の少ない姿勢を保つ体の使い方を身につけると痛みを軽減できる可能性がある。これは日常の姿勢や動作の癖が、知らず知らずのうちに坐骨神経痛の原因になるからである。

●前屈障害型(腰椎椎間板ヘルニアなど)は骨盤を前傾させて腰椎が自然と沿った姿勢を心がける。

●後屈障害型(腰部脊柱管狭窄症など)は骨盤を後傾させて腰椎の反りをゆるめたやや前傾気味の姿勢を心がける。

●両方に共通して、1)体幹筋を鍛える 2)膝・股関節を使って腰椎への負担をかけない動作を心がける 3)同じ姿勢を長時間続けない といったことも大切である。 

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

Q57 今受けている牽引療法は効果がありますか?続けた方が良いですか?

●現在のところ、坐骨神経痛を伴う腰痛の治療として、牽引療法の効果には十分の科学的根拠は不足している(「腰痛診療ガイドライン2019年改訂第2版」。

Q58 温熱療法や超音波療法には効果はありますか?

●温熱療法は根本的な効果はなく、体の柔軟性を高めて運動療法などをやりやすくする、補助的なものである。

●超音波療法は「腰痛診療ガイドライン2019年改訂第2版」では、牽引療法と同様、「行うことを弱く推奨する」とされている。1~2カ月試して変化がなければ他の治療に切り替えた方が良い。

Q59 コルセットは着けたほうがいいですか? いつまで着ければいいですか?

●医療用コルセットは、関節の動きを制限し保護することで、動くことによる痛みを軽くするための医療用具である。

●コルセットには硬性コルセットと軟性コルセットがある。

●坐骨神経痛では腰椎の圧迫骨折や、腰椎の手術後に硬性コルセットが用いられる。軟性コルセットは腰部の動きを軽度に制限しながら固定するもので、腰椎椎間板ヘルニア、腰部脊柱管狭窄症、腰椎すべり症などに用いられる。

コルセットの使用は痛みの強い場合や、腰に負担のかかかる作業をするときに、なるべく短時間に留めるようにする。これは長期使用により、腰椎を支える筋力を低下させるためである。

Q60 ブロック療法とはどんな治療法ですか?

●痛みを発している部位の神経の近くに局所麻酔薬、あるいは局所麻酔薬にステロイド薬を混合した薬を注射する方法である。

●神経の興奮を鎮め、痛みの信号が脳へ伝わるのを一時てきにブロックするため、即効性が期待できる。

●神経の炎症や痛みが軽減すると、筋肉の緊張がゆるみ血管が拡張し血流が良くなるので、薬効が切れても痛みの軽減が期待できる。ただし、効果には個人差が大きい。

●長期的な効果の根拠は十分ではなく、必要に応じて使用する。

●馬尾症候群では症状が悪化することがあり、使用しない方がよい。

●抗血栓薬や血管拡張薬を服用している場合は、ブロック注射を受けられない場合がある。

第7章 坐骨神経痛の薬についての疑問8

Q62 坐骨神経痛を根本から治せる薬はありますか?

●坐骨神経痛そのものを治す薬はない。

●薬物療法は主に痛みの軽減を目的とした対症療法である。

①心身のつらさや活動性の低下を防ぐ

②痛みで緊張した筋肉や靭帯をゆるめて血流をよくし、自然治癒を促す

③運動療法を行いやすくする

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

Q63 消炎鎮痛薬の効きめはどうですか?

●炎症を鎮めることで痛みを抑える。

炎症を引き起こすプロスタグランジンには炎症以外の作用もあるため、それが消炎鎮痛薬(NSAIDs)によって抑制されると副作用が現れる可能性がある(胃腸障害、腎臓障害など)。そのため、消炎鎮痛薬の長期服用は避けるべきとされている。

Q64 ビタミン剤を処方されました。効くのですか?

●ビタミンB12は傷ついた末梢神経系の修復に役立つ。

●ビタミンEは血流を良くするため末梢神経の働きをよくする。また、血流が良くなると体が温まるため、痛みによって緊張した筋肉がほぐれ、それによって神経の働きを改善する効果も期待できる。

Q65 プロスタグランジン製剤とはどんな薬ですか?

●「プロスタグランジン」は炎症を起こす一方、血管壁の筋肉をゆるめて血管を広げる作用や、血液中の血小板が互いにくっつきにくくして血栓ができるのを防ぐ作用を利用した薬で、血流を改善する。一般名は「リマプロスト(プロスタグランジンE1誘導体製剤)」という。

効果が期待できるのは腰部脊柱管狭窄症である。馬尾型・混合型にも効果があり、軽度から中等度の間欠性跛行にも効果がある。

●比較的副作用は少ない薬だが、出血しやすくなることがあり、ブロック注射を受ける際は、一時的に服用の中断が必要になる場合もある。

Q66 筋弛緩薬はなんのために飲むのですか?

●痛みを感じると反射的に緊張して筋肉は収縮する。そして血管も収縮する。

●筋弛緩薬は脳から脊髄、筋肉へと伝わる「筋肉を緊張させよ」という指令を抑えることで、筋肉の緊張を和らげる。

●通常、消炎鎮痛薬と組み合わせで処方される。

●梨状筋症候群や絞扼性末梢神経障害に対して処方されることがある。

Q67 抗うつ薬をすすめられました。なぜですか?

●デュロキセチンはDLPFC(背外側前頭前野)の働きを活発にし、神経伝達物質の働きが改善されるため慢性的な痛みを和らげることができる。

Q68 プレガバリンという薬がよく効くそうですが、どんな薬ですか?

●もともとは抗てんかん薬として開発された薬。

●末梢神経から興奮性の神経伝達物質が放出されるのを抑えて痛みの信号が脳に伝わるのを阻止し、坐骨神経痛のお尻から下肢にかけてのビリビリ、ジンジンするような痛み・痺れに効果を発揮する。

●炎症に効くNSAIDs(非ステロイド性消炎鎮痛薬)、中枢神経に作用するアセトアミノフェンは、いずれも末梢神経が原因による痛みには効果がない。

Q69 オピオイド薬は飲まない方がいいですか?

●坐骨神経痛で用いられるのはトラマドールなど、モルヒネなどの医療性麻薬とは異なるが、強い鎮痛作用がある。副作用にも注意が必要なため、医師の適切な診断に基づき処方されなければならない。

坐骨神経痛(腰部脊柱管狭窄症)1

以前から「坐骨神経痛」に関しては「顎関節症」に似た、漠然としたイメージがありました。そこで、あらためて本を買って勉強することにしました。

本の題名は「坐骨神経痛 腰と神経の名医が教える 最高の治し方」で、120問のQA形式で坐骨神経痛を深く理解できるようになっています。そして分かったことは、今さらでお恥ずかしい限りですが、「坐骨神経痛」は「頭痛」や「腹痛」と同じように病気の総称だということです。

腰椎に問題がある腰椎椎間板ヘルニアや腰部脊柱管狭窄症、お尻の梨状筋が坐骨神経を圧迫する梨状筋症候群などすべて坐骨神経痛と診断される可能性がありますが、分かりづらい理由は、坐骨神経自体には問題がなく、腰に症状が出ていれば腰椎椎間板ヘルニアも腰部脊柱管狭窄症も、「坐骨神経痛」ではなく「腰痛」に分類されるという点です。

本書は、薬物療法、運動療法や手術に対する情報や知識なども網羅されており、特に、加齢による腰部脊柱管狭窄症など、病気とのお付き合いが長くなると思われる患者さまにとっては、特に有益な本だと思います。 

ブログは目次の黒字について触れています。また、3つに分けています。

編集:飯塚晃敏

発行:2021年5月

出版:文響社

はじめに

第1章 坐骨神経痛についての疑問9

Q1 坐骨神経痛とは、どんな部位のどんな痛みを指しますか?

Q2 「坐骨神経痛」は、病名ですね?

Q3 坐骨神経痛は、腰痛と何が違いますか?

Q4 そもそも坐骨神経とは、どこからどこまでの神経ですか?

Q5 坐骨神経は、各部位をどのように通っていますか?

Q6 坐骨神経に、種類はありますか?

Q7 坐骨神経には、どのような働きがありますか?

Q8 「馬尾」という神経は、坐骨神経とは違いますか?

Q9 坐骨神経痛を放置すると、どうなりますか?

第2章 坐骨神経痛の原因についての疑問15

Q10 坐骨神経痛は、高齢者だけでなく若い人にも起こりますか?

Q11 坐骨神経痛はどんな職業の人に起こりやすいですか?

Q12 坐骨神経痛は、いったいなぜ起こるのですか?

Q13 坐骨神経痛のような足腰の症状がある場合、ほかにどんな原因を疑うべきですか?

Q14 坐骨神経痛やしびれが坐骨神経痛かどうか見分ける方法はありますか?

Q15 足腰の痛みやしびれはどんなしくみで起こるのですか?

Q16 坐骨神経痛を起こしやすいのは腰椎のどこですか?

Q17 坐骨神経痛の急性と慢性では、原因が違いますか?

Q18 坐骨神経痛の主原因である「腰部脊柱管狭窄症」とはどのような病気ですか?

Q19 腰部脊柱管狭窄症にはどんな種類がありますか?

Q20 もう一つの主原因である「腰椎椎間板ヘルニア」とはどのような病気ですか?

Q21 腰椎椎間板ヘルニアにはどんな種類がありますか?

Q22 腰椎椎間板ヘルニアがどこで起こっているか、わかりますか?

Q23 坐骨神経痛の原因になる「腰椎変性すべり症」とはどんな病気ですか? 

Q24 「腰椎分離症」「腰椎分離すべり症」とはどんな病気ですか?

第3章 坐骨神経痛の症状についての疑問9

Q25 坐骨神経痛では、具体的にどんな症状が現れますか?

Q26 「痛み」には、どんな特徴がありますか? 鈍痛ですか?激痛ですか?

Q27 「しびれ」にはどんな特徴がありますか?

Q28 痛みで一度に長く歩けないのですが、これも坐骨神経痛の圧迫が原因ですか?

Q29 「マヒ」も起こるそうですが、どんな症状が現れますか?しびれとは何が違うのですか?

Q30 症状が出る場所が変わってきましたが、そんなことはありますか?

Q31 悪化すると頻尿や便秘がひどくなるそうですが、本当ですか?

Q32 どんな症状が現れたら、医療機関に行くべきですか?

Q33 坐骨神経痛のつらさは、いったいいつまで続くのですか?手術は必要になりますか?

第4章 坐骨神経痛の診察・検査についての疑問8

Q34 診察を受ける医療機関・医師はどう選べばいいですか?

Q35 初診から大きい病院を受診したほうがいいですか?

Q36 問診では、何を聞かれますか?

Q37 初診時に医師に確認しておくべきことはなんですか?

Q38 病院では、どんな検査を受けますか?

Q39 「神経学的検査」では、何を行いますか?

Q40 レントゲン、CT、MRIの画像検査は、なんのために行われますか?

Q41 「脊髄造影」とはどんな検査ですか?

第5章 坐骨神経痛のタイプについての疑問10

Q42 坐骨神経痛には3つのタイプがあるのですか? くわしく教えてください。

Q43 坐骨神経痛のタイプの見分け方を教えてください。

Q44 「後屈障害型坐骨神経痛」とはどんな坐骨神経痛ですか?

Q45 後屈障害型坐骨神経痛は、日常生活でどんなことに注意すべきですか?

Q46 後屈障害型坐骨神経痛を改善させるリハビリ法があれば教えてください。

Q47 「前屈障害型坐骨神経痛」とはどんな坐骨神経痛ですか?

Q48 前屈障害型坐骨神経痛を改善させるリハビリ法があれば教えてください。

Q49 前屈障害型坐骨神経痛を改善させるリハビリ法があれば教えてください。

Q50 「合併型坐骨神経痛」とはどんな坐骨神経痛ですか?

Q51 合併型坐骨神経痛は、日常生活でどんなことに注意すべきですか?

第6章 坐骨神経痛の標準治療についての疑問10

Q52 坐骨神経痛が自然に治ることはありますか? 手術しないと治りませんか?

Q53 坐骨神経痛の進行を防ぐ方法はありますか?

Q54 坐骨神経痛に効く薬はありますか?

Q55 腰部脊柱管狭窄症では、どんな治療が行われますか?

Q56 腰椎椎間板ヘルニアでは、どんな治療が行われますか?

Q57 今受けている牽引療法は効果がありますか?続けた方が良いですか?

Q58 温熱療法や超音波療法には効果はありますか?

Q59 コルセットは着けたほうがいいですか? いつまで着ければいいですか?

Q60 ブロック療法とはどんな治療法ですか?

Q61 ブロック療法の種類と効果について教えてください。

第7章 坐骨神経痛の薬についての疑問8

Q62 坐骨神経痛を根本から治せる薬はありますか?

Q63 消炎鎮痛薬の効きめはどうですか?

Q64 ビタミン剤を処方されました。効くのですか?

Q65 プロスタグランジン製剤とはどんな薬ですか?

Q66 筋弛緩薬はなんのために飲むのですか?

Q67 抗うつ薬をすすめられました。なぜですか?

Q68 プレガバリンという薬がよく効くそうですが、どんな薬ですか?

Q69 オピオイド薬は飲まない方がいいですか?

第8章 坐骨神経痛のセルフケアについての疑問19

Q70 普段の生活で急な坐骨神経痛や腰痛を防ぐ方法はありますか?

Q71 姿勢はどんな点に気をつければいいですか?

Q72 坐骨神経痛を防ぐ座り方はありますか?

Q73 後屈障害型の坐骨神経痛で注意すべき日常動作はなんですか?

Q74 前屈障害型の腰痛や坐骨神経痛で注意すべき日常動作はありますか?

Q75 運動療法で本当によくなるのですか?手術を回避できますか?

Q76 運動療法を試せない人はいますか?

Q77 高齢者でも運動療法を行って大丈夫ですか?

Q78 運動療法で効果を感じられません。どうすればいいですか?

Q79 症状がよくなったら運動療法はやめていいですか?

Q80 悪化予防には腹筋強化が必要とのことで上体起こしの運動をしていますが、効きますか?

Q81 坐骨神経痛のある人は、まずどんな体操をやればいいですか?

Q82 腰部脊柱管狭窄症のような後屈障害型の坐骨神経痛を素早く軽減する体操はありませんか?

Q83 後屈障害型の坐骨神経痛は具体的にどんな体操で症状が和らぎますか?

Q84 後屈障害型の坐骨神経痛を根本から改善する体操はないですか?

Q85 腰椎椎間板ヘルニアのような前屈障害型の坐骨神経痛を素早く軽減する体操はありませんか?

Q86 前屈障害型の坐骨神経痛を根本から改善する体操はないですか?

Q87 特に女性は骨盤中央の仙骨の異常でも坐骨神経痛のような症状が出るそうですが、どう治しますか?

Q88 仙腸関節への負担で起こる坐骨神経痛を防ぐ方法はありますか?

第9章 坐骨神経痛の非標準治療についての疑問5

Q89 整体やカイロプラクティックは試してみていいですか?

Q90 鍼灸治療は受けたほうがいいですか?

Q91 マッサージは効きますか?

Q92 漢方薬は何が効きますか?

Q93 坐骨神経痛に効くサプリメントはありますか?

第10章 腰椎と別の部位で起こる坐骨神経痛について疑問13

Q94 腰椎以外で坐骨神経痛が起こる部位はありますか?

Q95 「梨状筋症候群」とはどんな病気ですか?

Q96 梨状筋症候群はどう見分けますか?

Q97 梨状筋症候群は、自分で治せますか?

Q98 梨状筋症候群はどう治療しますか?

Q99 ひざ下の外側から足の甲に痛みやしびれが起こる「腓骨神経障害」が、どんな病気ですか?

Q100 腓骨神経障害は、どう判別しますか?

Q101 腓骨神経障害は、どう治療しますか?

Q102 腓骨神経障害を改善する体操はありますか?

Q103 足先から足裏がしびれる「足根管症候群」(脛骨神経障害)とは、どんな病気ですか?

Q104 足根管症候群は、どう見分けますか?

Q105 足根管症候群は、どう治療しますか?

Q106 足根管症候群を改善する体操はありますか?

第11章 坐骨神経痛の手術についての疑問14

Q107 手術を受けるべきタイミングはいつですか?

Q108 手術前に何を確認すればいいですか?

Q109 手術で坐骨神経痛やしびれは、どのくらいよくなりますか?

Q110 手術による合併症や後遺症は心配ないですか?

Q111 手術を受ければスイスイ歩けるようになりますか?

Q112 手術を受けても足のしびれが取れません。なぜですか?

Q113 手術後再発する可能性はどのくらいありますか?

Q114 腰部脊柱管狭窄症ではどんな手術を行いますか?

Q115 腰部脊柱管狭窄症の手術の最新の術式について教えてください。

Q116 腰椎椎間板ヘルニアではどんな手術を行いますか?

Q117 腰椎椎間板ヘルニアの手術の最新の術式について教えてください。

Q118 腰椎椎間板ヘルニアに体に低負担の新手術が登場したそうですが、どんな治療法ですか?

Q119 腰椎変性すべり症ではどんな手術を行いますか?

Q120 手術後、歩行や職場復帰はいつごろできますか?

はじめに

●坐骨神経痛の典型的な症状

・腰からお尻にかけての鈍痛が消えない

・すねやふくらはぎがしびれて歩けなくなる

・お尻や太ももに激痛が走る

・座っていても寝ていてもズキズキ痛い

・足裏に何かが貼りついたような違和感が消えない

・しびれのせいでよく眠れない

・治療を長年続けても治らない

●坐骨神経痛が治りにくいのは坐骨神経が腰椎から始まり、尻、太ももを通って足に至る人体最大の末梢神経で長さは1mもあるため、随所で障害を受けやすいためである。そのうえ、障害されている原因部位と実際に症状を感じる疼痛部位が異なることも治療を難しくしている。また、神経の修復には時間もかかる。

●坐骨神経痛にはタイプがある。

・腰椎に原因がある場合、「前屈障害型」と「後屈障害型」がある。

●タイプに応じて改善方法が異なる

・姿勢(立ち方、座り方など)

・生活動作(歩き方、体の動かし方)

・運動(ストレッチ、体幹強化)

●安静は逆効果

第1章 坐骨神経痛についての疑問9

Q1 坐骨神経痛とは、どんな部位のどんな痛みを指しますか?

●坐骨神経痛は神経障害性疼痛の一種である。

●坐骨神経痛の原因が坐骨神経にあるとは限らない。例えば、腰椎の神経根や馬尾など色々存在している。

●広い範囲で鋭い痛みやジンジンした痺れ、冷えやほてり等の感覚異常もみられる。

●両側、片則いずれもある。

Q2 「坐骨神経痛」は、病名ですね?

「坐骨神経痛」は病名ではなく、「頭痛」や「腹痛」と同じように、「症状」の総称である。

●坐骨神経痛の原疾患はいろいろある。従って、症状の背景にある病名を特定する必要がある。

●坐骨神経痛の原因疾患で多いのは腰椎に関わる、腰椎椎間板ヘルニア、腰部脊柱管狭窄症、腰椎すべり症などである。

Q3 坐骨神経痛は、腰痛と何が違いますか?

●痛み・痺れなどの症状が腰に出ていれば「腰痛」、お尻や下肢に出ていれば「坐骨神経痛」になる。

腰椎が原因の場合は、坐骨神経痛と腰痛が同時に起こることも少なくない。この場合、お尻や下肢の痛みや痺れの症状が強い場合は、坐骨神経痛と判断されることが多い。

●腰椎が原因の坐骨神経痛でお尻や下肢に出る痛みや痺れを放散痛とよぶ。

Q4 そもそも坐骨神経とは、どこからどこまでの神経ですか?

●坐骨神経痛は第4・第5腰椎と仙骨から出ている「腰仙骨神経叢」がまとまってできた太い神経が、膝裏付近で総腓骨神経と脛骨神経に枝分かれし足先に至る。最も太いところでは小指ほどであり、成人で約1mにもおよぶ。 

Q5 坐骨神経は、各部位をどのように通っていますか?

①お尻の深いところにある筋肉「梨状筋」の内側を通り、骨盤の外に出る。

②大殿筋の内側を通り、坐骨結節と大転子の間を通る。

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

画像出展:「人体の正常構造と機能」

L4(第4腰椎)、L5(第5腰椎)と仙骨から出ている、太い神経が坐骨神経です。

Th12⇔L4までが腰神経叢、L4⇔S4までが仙骨神経叢になります。

画像出展:「人体の正常構造と機能」

向かって左は殿筋の浅層で、右は深層です。

中殿筋の下には小殿筋、大殿筋の下には5つの筋があります(1~5の番号がふってあります)。ほぼ中央、1の梨状筋と2の上双子筋の間から坐骨神経が出ています。

画像出展:「人体の正常構造と機能」

坐骨神経は、多くの人は(必ずではありません)殿筋の梨状筋の下から表層に出てきます。

膝の裏付近では総腓骨神経に、は脛骨神経に分かれます。脛骨神経に足裏の足先まで伸びています。

Q7 坐骨神経には、どのような働きがありますか?

坐骨神経痛は下肢の広い部分を支配する体性神経で、運動神経と知覚神経の両方の機能を持っている。

画像出展:「坐骨神経痛 最高の治し方」

坐骨神経は末梢神経です。

Q8 「馬尾」という神経は、坐骨神経とは違いますか?

●脊髄は腰椎にいたると馬の尻尾に似た「馬尾」という末梢神経の束になる。馬尾は坐骨神経痛とは別の神経だが坐骨神経痛につながっており、馬尾が障害されると坐骨神経痛の支配領域に症状が現れることがある(「馬尾症候群」)。 

画像出展:「人体の正常構造と機能」

左の図を見ると、まさに馬の尾のようです。

双極性障害3

著者:加藤忠史

発行:2019年6月

出版:ちくま新書

目次は”双極性障害1”を参照ください。

2 ECT(電気けいれん療法)

うつ病に対する治療法の中で効果は高く、即効性もあるため抗うつ薬の効果が乏しい難治性のうつ病に対して広く行われている。

現在は麻酔科医による全身麻酔と呼吸循環管理のもと、痙攣を起こさないようにして行う、修正ECTが行われている。

・即効性があるため、自殺念慮が強い場合には是非試みるべき治療といえる。

・妄想、焦燥、昏迷などの強い重症のうつ状態なども修正ECTを検討すべきである。

・通常は週2、3回で6~12回程度繰り返すのを1クールとする。効果は直後、もしくは2、3回施行後から現れる。麻酔を行うためリスクもあり、自殺念慮、重症、難治性に対して行うものである。

ECTの作用のメカニズムはよく分かっていない。

双極性障害ではうつ状態で行うと躁転することがあり、慎重な判断を要する。また、何クールまで問題ないのかといった基準はないのでこの点も注意を要する。

3 反復性経頭蓋磁気刺激療法(γTMS)

・左前頭部にコイルを当てて、磁場を与えることで脳の中に電流を起こさせて刺激する治療法である。

・双極性障害のうつ状態に対しての有効性は明確になっていない。

先進医療.netより

『2019年3月、双極性障害のうつ状態に対する新たな治療法として、「薬物療法に反応しない双極性うつ病への反復経頭蓋磁気刺激療法(rTMS)」が先進医療として指定され、臨床研究が始まりました。rTMSの仕組みや長所、先進医療の流れなどについて、国立精神・神経医療研究センター病院 精神科医長の野田隆政先生に伺いました。』

・ 双極性障害の治療には主に薬が使われるが、患者さんによって効く薬や効果が異なる。自分に合った薬が見つからず、長期にわたって苦しむ患者さんも多い。

・ rTMSは、磁気や電気などの刺激によって神経の働きを調節する「ニューロモデュレーション」という治療法の一つ。磁気の刺激により、脳の神経の働きを調節することで、双極性障害のうつ状態の改善が期待される。

・ 双極性障害のうつ状態に対するrTMSは、先進医療Bの制度の下、2019年11月27日現在、全国3施設で実施されている。薬が効かない患者さんに対する新たな選択肢として期待される。

4 ケタミン

・現在臨床試験が行われており、数年以内には利用できるようになる可能性がある。

・これまでの抗うつ薬は治療効果が現れるまで1、2週間、治療期間が数カ月と長い時間がかかるが、この薬は1、2時間で効果が現れ、それが1週間程度持続するという、全く異なった効き方をする治療薬として注目されている。

ケタミンの即効性抗うつ作用に関わる新しいメカニズムを解明!

金沢大学医薬保健研究域薬学系の出山諭司准教授、金田勝幸教授、大阪公立大学大学院医学研究科脳神経機能形態学の近藤誠教授らの共同研究グループは、ケタミンの即効性抗うつ作用に関わる新しいメカニズムを解明しました。

うつ病の患者数は世界で約2.8億人と言われ、深刻な社会経済的損失をもたらします。しかし、現在うつ病の治療に用いられる抗うつ薬は、効果発現が遅く、3分の1以上の患者は治療抵抗性であることが問題となっています。2000年代の臨床研究により、全身麻酔薬として古くから用いられているケタミンが、麻酔用量よりも低用量で治療抵抗性うつ病患者に対して即効性の抗うつ作用をもたらすことが明らかとなり、大きな注目を集めています。ケタミンには依存性や精神症状(幻覚、妄想など)といった重大な副作用があるため、ケタミン自体の臨床応用には大きな問題が伴います。そこで、不明な点が多いケタミンの作用メカニズムの解明により、有効性が高く、かつ副作用の小さい治療薬の開発につなげることが期待されます。

5 心理教育

双極性障害は心の病ではない

双極性障害の柱は薬物療法と精神療法である。

精神療法というと精神分析やカウンセリングが思い浮かぶが、双極性障害は心の病ではない。

身体の病気でも、精神療法は必要

・双極性障害は脳や遺伝子などの疾病であるが、発症はストレスが原因となることが多く、発症後も慢性的なストレスは双極性障害にとって好ましいものでない。

・精神療法は心理教育とよばれている。

心理教育とは

・病気について勉強していただきながら、患者さんの心に起きるその病気に対する反応も十分に把握し、理解しながら進めていくということである。

・双極性障害の精神療法において、最も重要なことは心理教育である。基本は患者さんと医師一対一での心理教育である。それに加えて、ご家族とともに病気について学んでいただく家族心理療法も大切である。さらに夫婦や集団療法的な取り組みも有効である。

心理教育ではまず病気の性質を理解し、次に薬の作用と副作用、そして双極性障害の再発の兆候に気づけるようになることが重要である。

ストレスの対処法

心理教育にはストレスに対する対処法もある。ストレスは再発のきっかけとなったり、躁やうつを繰り返す不安定な症状を引き起こしたりする。

認知行動療法

生活の中で起きる事態を見直して、ストレスを減らしていく方法をまとめたものが認知行動療法であり、双極性障害に対しての有効性が認められている。

・うつになり、嫌な考えばかりが頭に浮かぶような状態を「否定的自動思考」とよぶ。この「否定的自動思考」を抑えることは容易ではないが、出てきた気持ちが「否定的自動思考」であると認識して、別の合理的な考え方に切り替えていくことは、練習によってある程度はできる。

対人関係療法(IPT)

・外来で行う個人精神療法である。

・特定の理論にはこだわらず、よく効くと言われている常識的な治療をまとめたものである。

・IPTの治療目標は、認知を変えることではなく対人関係のパターンを変えることである。

IPTの対象は双極Ⅱ型障害のような軽症なものに限る。中等症以上は薬物療法が中心となり精神療法は補助的なものになる。

・対人関係の中では、特に三つのパターンに注目している。①「重要な人物の死」、②「役割をめぐる不一致」、③「役割の変化」である。3番目の役割の変化とは、例えば、昇進や結婚などによってうつ状態を発症することが多いということである。

対人関係-社会リズム療法(IPSRT)

・双極性障害のために開発されたのが、対人関係-社会リズム療法(IPSRT)である。

・双極性障害では徹夜が躁転のきっかけになる。対人関係-社会リズム療法では、起床時間、入眠時間、出勤などの時間の目標を決めて、毎日、これらの時間を記録につけ生活のリズムを守るようにする。

画像出展:「双極性障害」

五分診療の中の精神療法

・症状の落ち着いた双極性障害の患者さんの外来診療は、短い方では5分~10分である。この診察を1、2カ月に1回程受けてもらい、その中で薬の副作用の有無を確認し、定期的に採血してリチウムの血中濃度を調べてて適正になるように調整する。

・短い時間の精神療法が意味あるものにするには、早い段階にどれだけしっかりと病気を受け入れ、その対処法の理解を進められるかどうかにかかっている。

第六章 双極性障害とつき合うために

再発する人としない人の違い

このように双極性障害の患者さんには、すっかり薬が効いて、本人も病気をコントロールしようという意識が高く、十年、二十年と一回も再発せず、薬さえ飲んでいればまったく問題なく社会生活を送ることができている方もいらっしゃいます。

一方で、病気のために仕事や家族を失い、思うような人生を送れていない患者さんもいらっしゃいます。そのような両極端な違いは何なのでしょうか。

まずは、病気の初期に、どれだけしっかり予防の対策を立て、実践したかどうかです。

そしてもうひとつの違いは、薬がどの程度効くかです。

残念なことに、きちんと薬を服用しているにもかかわらず薬が十分に効かないという患者さんもいらっしゃいます。ですから、再発を繰り返している人に、簡単に「双極性障害はコントロールできるはずなのに、薬をちゃんと飲んでいないのではないか」などと思わないでいただきたいと思います。

医師はひとつの薬、リチウムだけで効果がなければ、ラモトリギンとかオランザピンなど、さまざまな薬を併用して、何とか予防をはかります。それでも軽いうつや躁が出てしまうこともあるのです。

このような場合には、うつになったら何らかの薬を増やし、軽躁になったら少し抗精神病薬を増やしたりと、その都度対処しながら治療を進めていきます。

リチウムやラモトリギンやバルプロ酸などである程度まで病状が落ち着いている患者さんの場合、それほど激しい躁状態にはいかないことが多く、躁状態になっても何とか患者さん本人も治療しようという気持ちになってくれて、入院するには至らないですむという場合も多くあります。

しかしながら、薬を服用していることによって、症状が軽くすんではいるけれども、現在存在する薬すべて使っても、やはり再発を予防するのが難しいという患者さんがいらっしゃるのも事実です。

今我々にできることは、病気がわかったらごく早いうちから、きっちりと予防対策を進めること、薬が効きにくい人には効かない人なりに、薬の組み合わせや投与量の工夫で症状を最小限に抑え、再発を予防するということです。

現在ある薬は必ずしも完璧ではありません。双極性障害の基本的な薬であるリチウムは、非常に副作用が強く、飲みにくい薬であることは、すでに述べました。手の震えなど、人によっては大変気になるところでしょう。

そのために服用をやめてしまい、また再発してしまう方が少なくありません。現在ある薬の副作用を少なくすること、今の薬が効かない患者さんのための新しい薬を開発すること、そして病気の原因究明、そういった研究は、絶対に必要だと思っています。

病気のコントロールには、まず病気を受け入れることが必要

双極性障害の治療において最も重要なのは躁の治療でもうつの治療でもありません。むしろ症状がおさまった時、再発予防薬がきちんとなされるかどうかが、間違いなくその人の一生を左右します。

最初に述べたように、双極性障害は、以前は非常に軽く見られてきました。医師から見れば、躁になって入院して来ても、うつになって入院して来ても、患者さんはとりあえず、その状態が治って退院していきます。

そして治って退院するときには、最初の症状はもうすっかり治っています。そういったことで医師の個として双極性障害は治る病気だという意識が強かったのです。

これはこれで事実であり、統合失調症のように、陰性症状とよばれる症状が長く続く病気と違い、双極性障害は、一旦治ると何の症状もなくなるのが特徴です。患者さんは治ったと感じて安心するし、ご家族も、また医者ですらほっとしてしまうわけです。

ところがその一旦治った病気が、ほとんど再発します。またそれを繰り返すことによって本来は能力を持っている人が、その能力を発揮する場所を奪われてしまいます。会社を辞めざるを得なくなったり、家族と別れてしまったりします。そういう意味では大変恐ろしい病気でもあるわけです。

昔の医師も、おそらく退院する時には「この病気は再発しますから、ずっと薬を飲んでくださいね」と言っていたと思います。ところが実際は、そのくらいのことでは、多くの患者さんは薬を飲みません。

たとえば病院に行って「皮膚炎の薬です。これを朝夕一週間塗って下さいね」と皮膚科の先生に言われたとします。「はい。そうします」と答えて帰って来ても、症状がなくなってきたら薬を塗るのを忘れてしまうという経験はないでしょうか。

双極性障害の患者さんの場合も同じです。症状が治まったら薬を飲まなくなるということは、誰にでも非常によくあることなのです。

しかしその結果、結局患者さんは再発してしまいます。そしてこれまで繰り返し述べたように、双極性障害は、再発することによって、人生そのものが大きな影響を受けてしまう病気なのです。

病気との取り組みいかんで、病前と変わらない生活が送れる人から、仕事も家族も失ったという人まで、非常に幅広い、さまざまな結果が返ってきます。

より良い結果を得るためには、双極性障害とは大変な病気である、ただし十分にコントロールすれば恐れるに足らない病気でもあるということを知り、前向きに再発予防に取り組むことが何よりも重要なのです。

感想

「双極性障害」の患者さまにとって、医師による診察と適切かつ慎重な薬物療法や、精神療法との組み合わせが極めて重要であることを学びました。

鍼灸師ができることはお話を伺うこと、そしてうつ病と双極性障害(躁うつ病)は異なる病気で、薬も療法も異なるということをお伝えすることだと思いました。

双極性障害2

著者:加藤忠史

発行:2019年6月

出版:ちくま新書

目次は”双極性障害1”を参照ください。

第三章 社会生活を妨げてしまう双極性障害

1 双極性障害による社会生活の障害

再発を繰り返すと仕事も家庭も失ってしまう

・双極性障害はいずれ改善され、治ったときにはほとんど何の症状も残さない。

双極性障害の躁やうつは薬による病気のコントロールや予防をしっかり行わないと、何度も再発を繰り返してしまう。また、このため患者さんの環境や生活レベルは低下していく。

双極性障害の発症頻度は100人に1人弱といわれており、家族、親戚、友人と範囲を広げれば、すべての人が双極性障害の患者さんに接する機会はあると言っても過言ではない。

2 立場によって受け止め方が違う双極性障害

家族から見た双極性障害

・重度な双極Ⅰ型障害は統合失調症の精神病状態とは異なり、話の筋がある程度通っているおり病気と思えない部分がある。そのため、家族は非常に腹が立ったり、傷ついたり休みなく言葉を浴びせられ続け憔悴しきってしまうようなこともある。そして、仕事を失うこともある。

・家族にとっても、双極Ⅰ型障害の躁状態はうつ状態とは異なるがとても辛いものである。

患者さんにとっての双極性障害

躁状態の患者さんが自分は、病気であるという自覚を持つことが非常に難しい。

軽躁状態を本来の自分と考え、通常の状態の時期が何かつまらないものに思えてしまう人もいる。

うつ状態の時

・自分をつまらない人間で、仕事もできず取るに足りない人間だという気持ちが絶え間なく襲ってくる。

・家族が質問してくるのが、うっとうしくて仕方がない。

・子供に対してイライラして叱ってしまい、その後酷い自責の念に駆られますます落ち込んでしまう。

・何とか出社してもまわりの会話についていけず、毎日が苦痛でしかない。

うつ状態が酷くなると自力で病院に行くことができなくなる。

3 受診する時

躁状態で受診する時

・双極Ⅰ型障害の躁状態に関しては、治療が軌道にのりさえすれば、有効な薬がたくさんある。このような薬を服用することで1ヵ月から2ヵ月で改善することが多い。

・躁状態(双極Ⅰ型障害)の問題点は治療を起動にのせることである。その理由は躁状態というのは患者さんご自身にとっては、普段より調子が良いと感じており、治療を受け入れることが難しいためである。

<職場>

・受診を無理強いすることは人権侵害のおそれがある。

「心配なので一度受診してみたらどうか」と示唆する程度が望ましい。

・ご家族に状況を伝え、受診してほしいとお願いする方法も有効である。

・ご家族が対応頂けない場合は、労働契約法第五条に、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働ができるよう、必要な配慮をするものとする」という条項(健康配慮義務)があるので、職場の上司は部下の健康を守るために、病院の受診を要請することも可能である。

・問題行動に対して出勤停止等の処分を行うという選択肢も考えられる。

双極Ⅱ型障害の軽躁状態の場合、心がけたいのはもし、その人がうつ病と診断されていた場合、気分の高揚は軽躁状態かもしれないので、主治医の先生に相談してみてはどうかと伝えてみても良い。

<家族>

気分の高揚やおかしな言動に対して、もしかしたら躁状態かもしれないと気づくことが対応の第一歩になる。そして、これは間違いないと感じたら、次は何とか受診するよう説得することである。

・躁状態の患者さんは、色々なことに手を出しているが、思う通りになっていたことが多く、常にイライラしていることが多い。また、そのため不眠の問題を抱えていることも多い。そこで、不眠や疲れを理由に心配だから病院に行こうと説得するのが良い方法である。

初発で相談できる病院もない場合は、まずは、家族だけで受診してみるという選択もよい。なお、その場合は病床数の多い単科の精神科が望ましい。大きな精神科病院にはケースワーカー(ソーシャルワーカー)がいて、入院の相談にのってくれる。

うつ状態で受診する時

<職場>

・うつ状態の場合、躁状態とは異なり本人も不調を感じているので受診の勧めに強く反発することはない。

・同僚の異常に気付いた場合は、まず上司に相談するのが良い。部下のメンタルケアは管理職の仕事になっている。

既に通院されている場合は、確認もなく病院や薬について詮索するべきではない。特に「薬に頼ってはいけない」という言葉は禁句である。

<家族>

・普段と様子が異なり、いつも苦しそうな表情をしている、ため息ばかりついていて楽しそうに見えることがないという状態が二週間以上ほぼ毎日続いているなら受診した方が良い。

初発のうつ状態では、抗うつ薬を処方されるが、統計では約二、三割は双極性障害である。つまり、誤診されている可能性もあるということである。重要なことは過去に何度かうつ状態になった経験や、抗うつ薬の服用により気分が高ぶった経験がある人は、そのことをはっきりと医師に伝えることが必要である。

<本人>

受診した場合、「うつ病です」と診断されたら、それで満足せず、(大)うつ病なのか、うつ病だとしたら、どのようなタイプなのか、よく確認したほうがよいと思います。

そして、薬物療法を勧められた場合には、他のどのような治療の選択肢があり、なぜ、その薬を選択したのかということも、よく尋ねてみるとよいでしょう。納得できるような説明が得られない場合は、他の病院も受診してみたほうがよいかもしれません。

4 復職

・躁状態、うつ状態が治った時にどのようなタイミングで、どのような形で復職するかはとても切実なことであるが、まさに研究が進められている段階であり正解というものはない。特に躁状態の患者さんは病気であるという認識があまりないので、本人は「もう大丈夫」と言うものである。

・重いうつ状態からの復職の時は、短縮勤務から始め徐々に時間を長くして慣らしていくなど、段階的に進めていくのが良い。

・長く休職した後の復職の場合は、都道府県の障害者職業センターなどの復職支援プログラムを利用するのも良い方法である。

・復職前に心理教育を受け、何が再発の兆候なのかを把握しておくと良い。

5 自殺の予防

・日本では約20,000人以上の方が自殺でなくなっており、その多くはうつ状態により自殺に至ったと考えられている。

・双極性障害では死因の19.4%が自殺であったという研究がある。

・薬物療法の中ではリチウムのみが、統計的に自殺率を低下させることが報告されており、重要な薬といえる。

・自殺の危険を把握するためには、患者さんを自殺に追いやる要因があるか、患者さんの死にたい気持ち(希死念慮)がどれだけ強いかの二つが重要である。

・自殺の危険を高める因子としては、自殺未遂をしたことがある、家族に自殺者いる、最近家族が亡くなった、最近知人や有名人が自殺でなくなった、借金など経済的な問題がある、そして周囲に助けてくれる人がいない等がある。

自殺する人は自殺のサインを出すものであるが、大事なことは死にたいという気持ちを話してもらい、それをしっかりと受け止めることである。すべての思いを話してもらった後に、初めて「自殺しないと約束してほしい」と伝える。

6 双極Ⅱ型障害

診断

双極Ⅱ型障害にはさまざまな患者さんがいるという理解が大切である。

・双極Ⅱ型障害は医師によって診断にバラツキが出やすい。

治療

・双極Ⅱ型障害は軽躁状態を有するが、現実的に問題となるのはうつ状態である。双極Ⅱ型障害のうつ状態は双極Ⅰ型障害に比べうつ状態の頻度は多く、期間も長い場合が多い。

・双極Ⅱ型障害の軽躁状態は、双極Ⅰ型障害の躁状態に比べると症状は軽く、期間も短いため診断が難しく医師によってもばらつきがでる。 

第四章 双極性障害の治療

1 薬物療法

精神科領域で用いられている薬

・精神科領域で使う薬を「向精神薬」とよばれ、向精神病薬、抗うつ薬、抗不安薬、気分安定薬、精神刺激薬などがある。

・抗精神病薬は統合失調症の幻覚や妄想に有効な薬だが、双極性障害にも有効である。

・抗精神病薬には古いタイプの定型抗精神病薬と新しいタイプの非定型抗精神病薬があるが、双極性障害では非定型抗精神病薬の方がよく使われる。

・抗うつ薬はうつ病の薬である。古いタイプは三環系抗うつ薬などがあり、新しいタイプは選択的セロトニン再取込阻害薬(SSRI)などがある。

・抗不安薬は病的かどうかに関わらず使われる不安を抑制する薬である。代表的なものはベンゾジアゼピン系抗不安薬である。

・気分安定薬は、双極性障害の再発予防に用いられる薬で、リチウムの他、ラモトリギン、バルプロ酸、カルバマゼピンがある。

・精神刺激薬は覚醒作用をもつ薬で、AD/HD(注意欠如・多動症)およびナルコレプシーに使われる薬で、双極性障害では使われない。

リチウム(商品名 リーマスなど)

・リチウムは双極性障害の治療の基本となる薬である。

・リチウムは天然にも身体の中にも含まれている。

画像出展:「双極性障害」

リチウムの効果

・リチウムは躁状態およびうつ状態を改善する作用と予防する作用をもつ薬である。特に躁状態、うつ状態の再発を予防する作用が最も重要である。また、自殺予防効果もあるとされている。

・リチウムは代表的な気分安定薬であり、双極性障害の薬物治療の基本となるものである。

リチウムの副作用

・リチウムはとても有用な薬であるが、精神科の薬の中で最も使い方が難しく、医師の指示通りに服用しなければならい。

・リチウムは血中濃度を測りながら服用することが定められている。一般的には0.4~1.0ミリモーラーの間で使用するが、1.5ミリモーラーを超えてくると。中毒症状が出る可能性がある。

・飲み始めの時には、下痢、食欲不振、喉の渇きと多尿、手の震えなどの副作用が見られる。

・腎臓の機能が低下していたり、脱水になっていたりすると血中濃度が高くなるため特に注意を要する。

・白血球、特に顆粒球が増加するという特徴も知っておくべきである。特に他の理由で内科などを受診する場合は、リチウムを服用していることを必ず伝えるべきである。

・特に女性の患者さんは甲状腺の機能低下という副作用が懸念されるので、時々、甲状腺刺激ホルモンを測定するようにする。

他の薬との組み合わせにも要注意

・利尿剤、消炎鎮痛剤、高血圧薬などリチウムと相互作用し急激に血中濃度を高める可能性があるため十分に注意しなければならない。

血中濃度の測定

・リチウムは服用後数時間の間に血中濃度が上がり、その後下がってきて8時間後くらいに安定した濃度になる。測定は最も血中濃度が下がった時に行う。

・血中濃度は最初のうちは受診の度に測定し、維持療法中は2、3ヵ月に1回を目途として行う。

リチウム以外の気分安定薬(抗てんかん薬)

①ラモトリギン(商品名 ラミクタール)

・再発、再燃抑制の薬。保険適応されている。元々は抗てんかん薬である。

・再発予防効果は特にうつ状態の方が顕著という調査結果だった。これがラモトリギンの特徴である。

・リチウムとラモトリギンの併用は効果が高い。

・副作用には十分注意しなければならない薬であり、特に問題となるのはスティーブンス・ジョンソン症候群(SJS)や、皮膚、眼、口唇などの粘膜に障害を起こす中毒性表紙壊死融解症(TEN)である。これらは全身の発疹で始まるので、発疹が出るようであれば服用を中止し、速やかに医師に相談すべきである。

②バルプロ酸(商品名 デパケンなど)

・元々は抗てんかん薬である。躁状態や混合状態に対して有効性がある。

・副作用はリチウム少ないが、食欲や嘔気など消化器系の副作用がみられる。まれな副作用には高アンモニア血症である。服用中に意識障害が生じた場合は、高アンモニア血症を疑う。

③カルバマゼピン(商品名 テグレトールなど)

・元々は抗てんかん薬である。躁状態に有効だが臨床研究は多くない。

・カルバマゼピンで問題となる副作用はスティーブンス・ジョンソン症候群(SJS)と白血球減少症である。

薬には症状との相性がある

・リチウム:気分が爽快になる。典型的な躁病の人によく効くと考えられている。

・ラモトリギン:うつ状態の予防に有効で、軽躁状態(双極Ⅱ型)にも有効とされている。

・バルプロ酸:不機嫌な躁病の人や混合状態が見られる人に有効だとされている。

・カルバマゼピン:若年で錯乱性躁病が見られる方に有効とされている。

薬の適合性を調べるような検査や方法は、今のところはないため、経験や試行錯誤で見つけていく必要がある。

・二種類、三種類の気分安定薬を併用する場合も少なくない。

非定型抗精神薬

①クエチアピン(商品名 ビプレッソ)

・双極性障害のうつ状態に有効な薬はあまりないのが実情であるが、注目が高まっているのは、非定型抗精神病薬である。その中で最も定評があるのは、クエチアピンである。

・クエチアピンはうつ状態だけではなく、予防効果も報告されており、さらに双極性障害の躁状態にも有効であることが臨床試験で認められている。

・日本では2017年に保険適用になった。

・クエチアピンの最も多い副作用は眠気である。

②オランザピン(商品名 ジプレキサ)

・躁状態への効果と予防効果がある。日本では2010年に認可された。また、2012年には双極性障害のうつ状態にも有効であることが分かった。

・体重増加や糖尿病誘発のリスクがあり、血糖値を測り糖尿病に十分な注意を払う必要がある。

③アリピプラゾール(商品名 エビリファイ)

・非定型抗精神病薬にはドーパミンを阻害する作用があるが、アリピプラゾールはある程度しか阻害しないため、パーキンソン症状という副作用を抑制することができる。さらに、ドーパミンが多すぎれば阻害し、少なければドーパミンを刺激する作用があると言われている。

定型抗精神病薬

①ハロペリドール(商品名 セレネースなど)

・古くからある定型抗精神病薬の中で、最も代表的なものである。

・躁状態に対する効果および幻聴、妄想などの精神病症状に対する効果がある。

・副作用はパーキンソン症状である。また、ジストニア、アカシジアと呼ばれる副作用もある。これらの副作用には抗パーキンソン薬が有効である。

・副作用が多い薬だが、静脈注射、筋肉内注射などによって即効性が期待できるため、しばしば使われている。

②レボメプロマジン(商品名 ヒルナミン、レボトミなど)

・定型抗精神病薬の中でも、最も鎮痛効果が強い薬である。

・パーキンソン症状はあまり見られず、心電図異常、血圧低下など自律神経への副作用がある。

③クロルプロマジン(商品名 コントミンなど)

・最初に開発された抗精神病薬である。

④スルトプリド(商品名 バルネチール)

・躁状態の薬だが、パーキンソン症状が強くやや使いにくい。

⑤ゾテピン(商品名 ロドピン)

・定型抗精神病薬の中では、躁状態に対してよく使われた薬の一つ。鎮痛作用が強く、誇大性や気分高揚などの中核症状によく効くが鎮痛作用には個人差が大きいため用量設定が難しい。

・副作用は痙攣を誘発することがある。

抗うつ薬と自殺念慮

抗うつ薬は、24歳以下の方が服用した場合、自殺のリスクを増やす可能性があるので、リスクと効果を考慮して使うかどうか判断する必要がある。

抗うつ薬で焦燥感が強まる場合、うつ病ではなく双極性障害の可能性がある。

抗不安薬

・双極性障害には抗不安薬も使われる。ベンゾジアゼピン系と呼ばれ代表的なものには、ジアゼパム(商品名 セルシン)とかロラゼパム(商品名 ワイパックス)といった薬がある。これらの薬は抗不安薬、抗痙攣薬、催眠作用、鎮痛作用、筋弛緩作用といった様々な作用を持つ薬物群である。

甲状腺ホルモン剤

・急性交代型という年間4回以上の躁やうつを繰り返すような人に有効であると言われている。ただし、量が多すぎると甲状腺機能亢進状態が懸念される。

双極性障害1

双極性障害は、躁うつ病と呼ばれていた病です。この双極性障害はうつ病とは似て非なる病気で、その経過も薬も全く異なるということを専門学校で学びました。つまり、もし、うつ病と双極性障害の診断が間違っていたとすれば、いつまでたっても病は治らず、悪化させてしまう可能性もあるということです。

もちろん、私は医師ではないので診断はできません。しかし、双極性障害とうつ病の違いを少しでも理解することは有益であり、勉強して最低限の知識はもつべきと考えます。

このように考える背景には、うつ病の既往やうつ症状ではないかとご心配される患者さまは稀ではないという印象があるためです。その時、頭をよぎるのは「双極性障害の可能性は全くないのか」という懸念です。とはいうものの、今まで手つかずにやってきたのですが、今回、一冊の本を買い求めました。

著者:加藤忠史

発行:2019年6月

出版:ちくま新書

はじめに

第一部 対処と治療

第一章 なぜ躁うつ病は双極性障害となり、双極症に変わるのか

第二章 双極性障害(双極症)とは

1 双極Ⅰ型障害(双極症Ⅰ型)

2 双極Ⅱ型障害(双極症Ⅱ型)

3 さまざまなうつ病

4 小児思春期の双極性障害

第三章 社会生活を妨げてしまう双極性障害

1 双極性障害による社会生活の障害

2 立場によって受け止め方が違う双極性障害

3 受診する時

4 復職

5 自殺の予防

6 双極Ⅱ型障害

第四章 双極性障害の治療

1 薬物療法

2 ECT(電気けいれん療法)

3 反復性経頭蓋磁気刺激療法(γTMS)

4 ケタミン

5 心理教育

第五章 症例

第六章 双極性障害とつき合うために

第二部 Q&A

 症状・経過・診断について

 治療・社会復帰について

 原因について

 その他

 年輪の会講演会から

 年輪の会講演会での質疑応答から

 参考文献

 おわりに

第一部 対処と治療

第一章 なぜ躁うつ病は双極性障害となり、双極症に変わるのか

もともとは躁うつ病とよばれていた双極性障害

・双極性障害は「躁うつ病」という病名でよく知られていた病気である。

・躁うつ病は統合失調症と並び、二大精神疾患とよばれてきた。

・躁うつ病という病名は、「うつ病」を含めて使う場合もあったため、混乱を招いていた面もあった。

「躁うつ病」と「うつ病」は経過も処方する薬も全く異なる。

・躁うつ病のうつ状態とうつ病のうつ状態がきちんと区別されず、同じ治療が行われる場合があった。

躁うつ病は躁とうつの再発を繰り返す病気だが、その認識が乏しく1回ごとの躁状態やうつ状態が、断片的に躁病、うつ病と診断されてしまい、長期的な展望を持って治療をするということが行われなかった。

・うつ状態にも多くの概念が混在していた。「内因性うつ病」「心因性うつ病」「荷下ろしうつ病」「引っ越しうつ病」「退行期うつ病」「抑うつ神経症」など、数えきれないほど色々な診断名が使われていた。

・病院、担当医によって、病名も異なり治療もバラバラだった。ただ、これは躁うつ病、うつ病に限ったことではなかった。

混乱を解決するために作られた診断基準

・アメリカ精神医学会は精神疾患一つひとつに対して、操作的診断基準を作った。これは、どのような症状が何日間続いたら何病と診断するという基準を具体的に定めたもので、DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)と呼ばれている。

もうひとつの診断分類ICD

・ICDは精神疾患の分類や統計の目的で、WHO(世界保健機関)が作ったものであるため、行政ではこの分類を用いることになっている。しかしICDは、病名判断の明確な基準がないため、医師の間で診断がばらつくという問題はなくならない。

DSMが提案したこと

・躁状態を躁病と診断されないように、躁病エピソードと呼ぶことにした。また、うつ状態に関しては3つに分けた。

①脳梗塞や甲状腺機能障害といった、はっきりとした身体的要因があるうつ状態

②薬剤などの物質による原因がはっきりしているうつ状態

③上記①②以外のうつ状態

③のような原因不明だが薬物療法が必要なうつ状態を「抑うつエピソード」と呼ぶことにした。この抑うつエピソードだけ起こる病気が、大うつ病性障害と呼ばれている。

躁病エピソードと抑うつエピソードを伴う病気を双極性障害(この場合正確には双極Ⅰ型障害)と呼ぶ。

DSM導入以降の日本の状況

日本でのDSM診断基準の浸透度は心もとない状況である。特に「抑うつエピソード」という考え方は定着したとはいえない状況である。その結果、うつ状態という言葉が、DSMが定めた通り「抑うつエピソード」を指しているのか、抑うつエピソードの基準を満たさない軽いうつ状態も含めるのかが曖昧になっている。

・DSM-5からは、うつ病といえば身体的要因が特定できない、抑うつエピソードを有する大うつ病のことを示すとされた。なお、他の医学的疾患による抑うつ障害は○○性うつ病、○○病のうつ状態と表記される。 

第二章 双極性障害(双極症)とは

双極性障害にはⅠ型とⅡ型がある

・DSMは改訂第4版にあたるDSM-Ⅳから、双極性障害は「双極Ⅰ型障害」と「双極Ⅱ型障害」に分類された。そしてICDでもICD-11から、双極症(双極性障害)は、「双極症Ⅰ型(双極Ⅰ型障害)」と「双極症Ⅱ型(双極Ⅱ型障害)」に分類されることになった。

双極Ⅰ型障害:入院が必要な重度の躁状態とうつ状態を繰り返すもの。

双極Ⅱ型障害:明らかに高揚した躁状態ではあるが入院を必要としない「軽躁状態」で、うつ状態を繰り返すもの。Ⅰ型とⅡ型は躁状態の程度で判断される。

診断基準によって増加した双極性障害

・DSM-5の躁状態の診断基準は、躁状態が7日間毎日続くことになっている。

・軽躁状態の診断基準は軽躁状態が4日間続くことになっている。

双極性障害は過剰診断?

躁うつ病と呼ばれていた病気は、現在の双極Ⅰ型障害であり、それに加えて双極Ⅱ型障害が定義されたため、双極性障害の全体数は多くなっている。特にこの傾向は米国で顕著である。

日本では過小診断と過剰診断が混在

・過小診断とは双極性障害に対する認識や理解不足により、医師はうつ状態に注意や関心が向きやすく、一方、患者も躁状態について話すことが少ないため、正しくは双極性障害にも関わらずうつ病として診断されてしまうことである。それにより不適切は抗うつ薬を処方され、状態は悪化する。

・過剰診断の一つのパターンは、パーソナリティーの問題などを双極性障害と診断してしまう場合である。双極性障害のうつ状態というのは、何かあった時に落ち込むとか、何かあると怒るといった周囲の環境に対する反応ではなく、何も理由がないのに2週間以上毎日気分が落ち込んだままである、という一定の長さを持つエピソードである。躁状態も同様に、何の理由もないのに1週間以上、毎日一日中気分が高揚している状態が続くというエピソードである。

うつ状態も躁状態も、この数年間に何回あったと数えられるような、長く続くエピソードである。

・近年では特に躁状態も軽躁状態もないのに、光トポグラフィー検査の結果だけによって双極性障害と診断してしまうという過剰診断のケースもみられる。

1 双極Ⅰ型障害(双極症Ⅰ型)

躁状態

・人生や家庭が破壊されかねない激しい躁状態である。

躁状態は少なくとも1週間以上続き、その間、一日中ずっと気分が高揚したままの状態が続く。

・非常に高揚した気分、自分がとても偉くなったような気分を感じ、夜も寝ず、声が嗄れるまでしゃべり続けたり、じっとしていることができず、一晩中、一日中動き続けるが、その疲れを自覚できずに身体は消耗していく。

・必要のないものや高級品を買いあさり、借金してしまうこともある。

・気が散って集中できず、思い通りにならないとたとえ上司であっても激しく攻撃してしまい、職を失ってしまうようなこともある。

・酷くなると、幻聴や誇大妄想を伴うこともあり、錯乱状態まで進む場合もある。これを錯乱性躁病と呼ばれている。

うつ病態(抑うつ状態)

双極Ⅰ型障害と双極Ⅱ型障害は、躁的な状態には大きな違いがあるが、うつ状態には大きな違いはない。

うつ状態とは、抑うつ気分、そして興味・喜びの喪失、この二つの症状が中核症状である。

<抑うつ気分>

・形容しがたい嫌な気分が逃れようもなく、一日中そして何日も続くものである。

抑うつ気分は、やる気がないとか意欲が出ないという、あるべき意欲がないのではなく、普段あるはずのない筆舌に尽くしがたい、うっとうしい気持ちが襲ってくるというものである。

・『うつ状態の患者さんに、「三カ月くらいで治りますよ」と言うと、治るはずがない、と言うと、治るはずがないとおっしゃるかたもおられますが、中にはその言葉をある種の光明のように思う人もいます。抑うつ気分の時というのは、辛い気分が、まるで永遠に続くかのように感じられる状態なので、三カ月という普通なら長い期間でも、この状態にも出口があるのだと捉えられるのかもしれません。』

<興味・喜びの喪失>

興味喪失とは、すべてのことに関してまったく興味をもてなくなる症状をいう。

・悲しいことに、自分の家族を愛する気持ちも喪失してしまうことがあり、さらに自分を責めてしまう。

喜びの喪失とは、何をしても、何も見ても、嬉しい楽しいという感情が全く湧いてこないこと。

うつ状態の診断

うつ状態の診断では、まず抑うつ気分と、興味・喜びの喪失という二つの中核症状のうち、少なくともどちらか一方が、一日中、毎日、二週間ずっと存在しているかどうかを確認する。

・中核症状に加え、以下に紹介する4つの身体症状と、5つの精神症状の計9つの症状のうち、5つ以上が、一日中、二週間以上、毎日出てきていることが確認された時に、うつ状態(抑うつエピソード)と診断する。

うつ状態の妄想

・うつ状態も酷くなると妄想が出てくる場合があるが、多いのは貧困妄想、心気妄想、罪業妄想の三つである。

<貧困妄想>

・根拠もないのに破産した、お金がないなどと信じ込んでしまう妄想である。この妄想のために入院を勧めても「お金がないから……」と断わったり、借金取りが来るなどと恐れてしまったりする。

<心気妄想>

・自分が重い病気に罹ったと信じ込んでしまう妄想である。医師や周囲の人の言葉を信じることができない。

・中には内臓がなくなってしまうという否定妄想に加え、大変な病気のために死ぬこともできず、永遠に生きなければならないという不死妄想が見られる場合を、コタール症候群という。

躁にもうつにも起こり得る昏迷状態

・うつ状態あるいは躁状態が激しくなると、昏迷状態といって、しゃべることができなくなり身体が硬くなってしまう症状が現れることがある。特に酷い場合は、不自然な姿勢で静止したまま固まってしまうこともあり、このような状態は緊張病状態と呼ばれている。このような緊張病状態が出てくると、多くの医師は統合失調症を疑うが、双極性障害にも出るので注意を要する。

混合状態

<躁転・うつ転に伴う「混合状態」>

うつ病態から急激に(数日間で)躁状態に変わることを躁転と呼ぶ。躁転の経過中には、気分はうつなのに行動は活発になるような、うつ状態と躁状態の症状が入り混じって現れる混合状態になる時がある。

躁状態からうつ状態に変わる場合は、うつ転と呼ばれこの時にも混合状態になることがある。

<通常とは違う躁状態・うつ状態の特徴を表す「混合状態」>

混合状態では行動が非常に多くなって、しかも自殺念慮(自殺したいという気持ち)が強くなってしまうことがあり、うつ状態よりもさらに自殺の危険が高い状態といわれている。

2 双極Ⅱ型障害(双極症Ⅱ型)

Ⅱ型はⅠ型の躁状態にくらべ、軽度な軽躁状態とうつ状態を繰り返すものである。

軽躁状態とは

・躁状態は入院させたいほどの重度な状態に比べ、軽度な躁状態のものである。例えば、気分が高揚し仕事がはかどり、いろいろなアイデアが湧いてきて調子が良いという状態であり、病気と感じられるものではない。

重要なことは、周りの人から見るといつものその人と全く違うと感じるものである。また、気分が高揚する状態は、一日中、少なくとも4日以上続くのが特徴である。

・軽躁状態では、本人には病気の自覚は全くないため、うつ状態になった時に初めて異変を感じるものである。

うつ病にしか見えない双極Ⅱ型障害

双極Ⅱ型障害の軽躁状態を本人が自覚するのは困難なため、双極Ⅱ型障害の患者さんのほとんどは、自分をうつ病だと考えている。家族においてもほぼ同様な認識である。したがって、軽躁状態を見分けることが、うつ病の治療において最大のポイントになる。

なぜ双極Ⅱ型障害とうつ病を区別しなくてはいけないのか

再発のリスクが高い双極性障害

・うつ病の頻度は海外では15%、日本では7%位と言われている。

・双極Ⅰ型障害は欧米では約0.8%、双極Ⅱ型障害を含めると2、3%になると言われている。一方、日本では合わせて1%弱と言われており、欧米に比べると少ない。

・重要なことは、うつ病と双極性障害の発症頻度には大きな違いがあるにも関わらず、ある統計ではうつ状態で来院されている患者さんの20~30%が、双極性障害だという点である。この主な要因はうつ病に比べ、双極性障害ではうつ状態の再発が多く、非常に長い経過をたどるという特徴を有しているためである。

・うつ病ではうつ状態の回復が治療目標になるが、双極性障害の場合はうつ状態と躁状態(軽躁状態)を繰り返すことが続くため、再発防止が治療目標となる。

治療に用いる薬も違う

・双極性障害のうつ状態と、うつ病を区別しなければならないもう一つの理由は、治療薬が異なるということである。

うつ病のうつ状態には抗うつ薬を処方するが、双極性障害のうつ状態には抗うつ薬は効きにくく、躁転を誘発するおそれがある。

双極性障害の場合には、再発予防を目的とするリチウム、ラモトリギンなどの気分安定薬や、非定型抗精神薬を使う。

初めてのうつ状態では、「うつ病」と診断される

うつ病か双極性障害の診断は病歴、以前躁状態や軽躁状態になったことがあるのかを聞くことである。特に重要なことは自覚的なものだけでなく、行動の変化などの客観的な変化を詳しく聞くことである。

例えば、「今までに一週間くらい、毎日、一日中気分が高揚して、眠らなくても平気で頑張れた時はありましたか?」などの質問をする。

・難しいのは、その患者さんの初めての病相が躁状態、軽躁状態ではなく、うつ状態から始まった場合はであり、このケースでは区別することはできない。

・双極Ⅰ型障害では、最初の病相がうつ状態で発症するのは50%位である。

双極Ⅱ型障害では、軽躁状態が最初に出ても自分で病気を疑うことはまれであり、うつ状態で受けることになるためうつ病と診断される。治療を進めながら経過をみていくうちに、躁状態や軽躁状態が認められれば、そこでうつ病から双極性障害に診断が変更される。また、患者さんや医師の理解不足が原因で双極性障害がうつ病と診断されてしまうこともある。

アメリカの研究データでは、双極性障害の啓発が進んできたため、最近の研究では短くなったとはいえ、病名確定に4年かかるといわれている(昔は10年と言われていた)。これでも大変な時間を要するが、現状ではこれが実態である。

3 さまざまなうつ病

メランコリー型うつ病

・以前は内因性うつ病と呼ばれていたもの。主な症状は、動作がゆっくりになってしまう症状、すべてのことに興味を失ってしまう症状、朝具合が悪く夕方に緩和されるという症状、罪責感などが特徴である。

非定型うつ病

・最近急激に増えているタイプのうつ病である。

・抑うつ気分がある中で、良いことがあると気分が少しよくなる等、気分が変化しやすいこと、対人関係で過敏になりやすいという特徴がある。また、過眠や過食もみられる。

・このタイプは不安障害やパーソナリティー障害を伴うこともあり、幼少時の不遇な環境や虐待との関係が指摘されている。

双極スペクトラムうつ病

・これは将来躁状態になって双極性障害と診断される可能性のある予備軍ともいえるものだが、まだ十分な実証が得られていないため、DSM-5には含まれていない。しかし、親や兄弟姉妹などに双極性障害を持つ人がいる場合や、双極性障害に多く見られる特徴(精神病症状があること、発症年齢が若いこと、非定型型うつ病症状を伴うこと、病相の回数が多いこと、抗うつ薬が効きにくいことなど)が多数見られる場合は、双極性障害への進展に注意が必要である。

季節性うつ病

・DSM-5では「うつ病、季節型」と記載される。これは主に冬に多く、冬の日照時間が少ない高緯度地方に多くみられる。

・一般的なうつ病の特徴は不眠や食欲低下などであるが、この病気は過眠や過食といった症状が特徴である。

・この季節性うつ病は、朝方2時間くらい強い光を浴びる光療法が有効である。

血管性うつ病

・75歳以上の多くのうつ病の患者さんには、脳梗塞の跡が見つかる。普通の75歳以上でも潜在性脳梗塞は見られるが、その頻度は明らかにうつ病患者さんの方が多い。

・脳梗塞とうつ病の因果関係(どちらが原因かはっきりしていない)などもあり、DSM-5には含まれていない。

4 小児思春期の双極性障害

小児思春期の双極性障害は存在するのか

・米国(特に北米)では、「小児双極性障害」に関する論文が提出されているが、懐疑的な意見の学者も多い。

神経-血管-グリア・ユニット

前庭性片頭痛は、難治性めまい患者にしばしば見られる疾患といわれています。脳内炎症が疑われ、神経-血管-グリア・ユニットが関係しているらしいということが分かりました。

調べたところ、医学雑誌の『実験医学』のバックナンバー、2013年9月号 Vol.31 No.14で、神経-血管-グリア・ユニットが特集されていました。タイトルは“特集 Neurovascular Unit 神経-血管-グリアのユニットが脳と体を支配する”です。

私の知識では太刀打ちできないことは分かっていましたが、そうは言っても、何か得るものもあるだろうと思い、購入することにしました。

特集企画:荒井 健

発行:2013年9月

出版:羊土社

特集の各寄稿は以下の通りです。

画像出展:「実験医学 2013 vol.31 NO.14」

予想通り、私にはこれらの内容を理解することはできませんでした。唯一、出来そうなのは、神経-血管-グリア・ユニットの要点を書き出すことです。

取り上げた3つの図表は、最初の『概論―Neurovascular Unit:脳内の細胞間クロストークを理解するための概念的枠組み』と、2番目の『Neurovascular Unitという概念でとらえる脳卒中の病態』に掲載されていたものですが、ブログはこの二つの寄稿をミックスした形でまとめています。

はじめに―Neurovascular Unitの誕生

・『2001年に開催された米国NIHのStroke Progress Review Groupでは、当時の脳卒中研究の状況を評価し、今後どのような方向に研究を進めるべきかが議論された。その当時、脳卒中後の神経細胞における興奮毒性・酸化ストレス・アポトーシス経路などの病態メカニズムが解明されつつあったが、脳卒中治療薬としての神経細胞保護薬は存在していなかった。なぜ多くの神経細胞保護薬が臨床試験で効果を示さなかったかに関する議論は数多くなされてきたが、特に重要なポイントは神経細胞という単一の細胞種にのみ着目するのは脳卒中治療として不十分であるという点であった。そのため、脳卒中治療は神経細胞の保護に限定せず、周囲の細胞をも含めた総合的な脳保護治療を考慮すべきであるとして、神経細胞・脳血管内皮細胞・アストロサイト・細胞外マトリクスからなる概念的な構成単位である「Neurovascular Unit」が提唱された。』

画像出展:「実験医学 2013 vol.31 NO.14」

Neurovascular Unitは脳卒中の病態をより正確に理解することを目的として2001年に提唱された概念である。この概念が提唱された当時、Neurovascular Unitの構成細胞は神経細胞、脳血管内皮細胞、アストロサイトだった。しかし現在では、ミクログリア、ペリサイト、オリゴデンドロサイトもNeurovascular Unitの構成細胞とみなされている。」

・『Neurovascular Unitの概念が強調する点は、異なる細胞同士の相互作用が脳機能の維持に必要であり、脳疾患においては神経細胞を保護するだけでは正常な脳機能を保てないということにある。歴史的にみると、Neurovascular Unitの概念が誕生する前からも、脳神経細胞以外の細胞の状態の悪化が脳疾患の病態と深くかかわることは議論されてきた。例えば、“more than just neurons”というアイデアは、1971年にIssidoresらがパーキンソン病の研究で報告した論文のなかにもみられる。また、血液脳関門(blood-brain barrier:BBB)におけるアストロサイトと血管内皮細胞の相互作用に代表される“脳内における異なる細胞間相互作用の重要性”は、脳研究の分野において常に大きな研究トピックスであった。そのようななか、Neurovascular Unitという概念が誕生し、脳組織における異なる細胞間相互作用の重要性が改めて脚光を浴びたことで、脳卒中をはじめとする種々の中枢系疾患の病態を解明するための研究が劇的に加速した。

1.Neurovascular Unitの構成細胞

・Neurovascular Unitの概念が提唱された当時、その構成細胞は神経細胞、血管内皮細胞、アストロサイトと考えられていたが、その対象は広がり、ミクログリア、血管周皮細胞(ペリサイト)、オリゴデンドロサイトなどが加わった。

・近年では、Neurovascular Unitの機能に対して脳実質の外側(脳血管を流れる血液中)の因子が影響を与えることも示されている。

1)脳血管内皮細胞

・脳血管内皮細胞はNeurovascular Unitの中でも特に興味深い細胞である。血管内皮細胞と神経細胞の間の微小環境は、成体脳における血管新生および神経新生の場として大きな注目を集めている。

2)アストロサイト

・アストロサイトと脳血管内皮細胞のクロストークは、Neurovascular Unitの概念が提唱される前から精力的に研究が行われおり、例えば、脳血流の調節とも深く関わっていることが分かっている。

3)オリゴデンドロサイト

・Neurovascular Unitの研究は、今まで、灰白質について論じることが多かったが、白質も脳機能において灰白質同様、とても重要な役割を担っている。

4)ミクログリア

・ミクログリアはNeurovascular Unitを構成する細胞の中で他とは違う特色を有している。

・ミクログリアは脳内における免疫反応を担当し、脳卒中などの障害時に活性化し周りの細胞に悪い影響を与える。しかし、その活性化状態の違いにより、周りの細胞に良い作用を及ぼすこともある。一方で、周囲の環境がミクログリアの活性化状態を左右することも明らかになりつつある。

・ミクログリアのNeurovascular Unitへの影響は未だ不明な点は少なくない。

画像出展:「実験医学 2013 vol.31 NO.14」

 

補足.Neurovascular Mediatorについて

1.MMP-9:マトリックスメタロプロテアーゼ-9は、細胞外基質のコラーゲンやゼラチンなどを分解する酵素であり、組織の再生・分化などにおいて重要な役割を果たしている。一方で、組織内のMMP-9の過剰生産はがんの転移や動脈硬化の進展にかかわることが明らかになっている。

2.BBB:blood-brain barrier(血液脳関門)

3.VEGF:血管内皮増因子は、血管新生やリンパ管新生、胚形成の脈管形成に関与する糖タンパクのサイトカインである。

4.HMGB1:細胞局在によって異なる役割をもつ多機能性タンパク質である。がん細胞においては、細胞内に局在するHMGB1はゲノムを安定させる抗腫瘍タンパク質として作用し、細胞外に放出されたHMGB1は免疫機能をもつ前腫瘍タンパク質としての働きをもつ。

5)末梢循環細胞

・2001年にNeurovascular Unitの概念が提唱されたとき、影響範囲は脳内に限定されると考えられた。しかし、現在では血液中を流れる末梢循環細胞が脳卒中後の脳機能回復に寄与しうることが明らかになりつつある。

6)末梢神経における神経-血管相互作用

Neurovascular Unitは日本語では神経血管単位(もしくは神経血管ユニット)と訳される。末梢組織における神経細胞と血管系の相互作用については最新の画像診断装置を用いて研究が進められている。

2.Neurovascular Unitの動的な側面

・Neurovascular Unitの概念が提唱されてから現在まで、一貫して変わらないのは脳卒中に対する効果的な治療方法を探ろうという目的である。そして、考慮すべき点は、Neurovascular Unit内の環境が状況に応じて変化しうるということである。

Neurovascular Unitの構成細胞は環境に応じて異なった性質を示すことがある。例えば、アストロサイトは障害後には、反応性アストロサイトとなり回復期の神経新生を抑制する。しかし、一方では最近の研究により、反応性アストロサイトは失われた脳機能の回復を促進することもわかってきた。

・オリゴデンドロサイト前駆細胞は、障害により失われたオリゴデンドロサイトを補填するために自らオリゴデンドロサイトへと分化することで脳機能の回復に寄与しているが、その一方で、この前駆細胞は障害後の急性期には、悪性因子を遊離して周囲の環境を悪化させることが報告されている。

・Neurovascular Unit内において、細胞同士の連携は栄養因子やサイトカインなどの液性因子を介して行われることが多い。

・表のNeurovascular Mediatorにも挙げられている、MMP-9、VEGF、HMGB1には興味深い共通の性質がある。その性質とは作用の二相性であり、障害後の急性期に脳障害をひき起こす因子が、回復期には逆に脳組織・脳機能の修復に寄与するというものである。例えば、Neurovascular Unitを構成する細胞外マトリクスを分解する酵素の一種であるMMP-9は、脳卒中急性期ではBBB(血液脳関門)の破綻をひき起こすが、一方で回復期には血管新生および神経新生に関わっている。

表に挙げたNeurovascular Mediatorを理解することは非常に重要である。なぜならば、急性期に障害性を示す物質を阻害する薬剤を投与したとしても、もし、その薬剤の効果が回復期にまで及んでしまうと、内因性の修復機構を阻害する恐れがあるからである。

3.Neurovascular Unitの成り立ちと構成

・『1990年代の10年間はそれ以前に比して、格段に脳卒中の理解が高まった時期であった。多くの大規模臨床試験が画策され、MRIをはじめとする画像診断が格段に進歩し、脳虚血における血行動態や分子レベルの変化が明らかになってきた。そして、米国で1995年に許可されたrt-PA静注療法は、脳梗塞治療に画期的な進歩をもたらした。しかし、主に発症早期の投与という時間的に限定された条件から対象症例は伸び悩み、脳梗塞治療に閉塞感が漂いはじめた。

これに対して、虚血早期に生じるカルシウムイオンの過度の流入がニューロン細胞死や障害につながるため、そのイオンチャネルを阻害する薬剤を中心に神経保護薬が多く開発された。それらは脳梗塞のモデル動物ではニューロンの虚血障害を軽減したが、脳卒中患者では有益な効果を示すことはできなかった。この神経保護薬の失敗によって、脳虚血の病態の複雑さと虚血の影響はニューロンだけでなく他の細胞にも及ぶことが改めて認識された。そのため、ニューロン単独の挙動にとらわれるのではなく、ニューロン以外の細胞やそれら細胞とニューロンとの関係に焦点が移っていった。つまり、単独の細胞内シグナルのみならず、細胞間シグナリング、細胞と細胞外マトリクス間シグナリングの解明の重要性が高まってきたのである。NVUはそうした背景で出てきた概念である。

NVUという用語は、米国のNational Institutes of Neurological Disorders and Strokeでの会議で2001年にはじめて使用された。この用語は、脳内の細胞間相互作用の様子を概念的に示したものであり、NVUの概念に基づいた研究から得られた知見は、脳卒中の病態解明を一気に進めた。NVUの概念が提唱されてから10年が経過し、今では脳卒中だけでなく他の神経変性疾患の研究にもNVUの概念が用いられるようになってきた。

NVUは大きく分類すると3種類の細胞群と細胞外マトリクスから構成されている。細胞群はニューロン、血管系細胞(血管内皮細胞、周皮細胞[ペリサイト]と血管平滑筋細胞)およびグリア系細胞(アストロサイト、オリゴデンドロサイトとミクログリア)である。これらをつないでいるのが、各種の成長因子、サイトカイン、ケモカインといった液性因子や細胞外小胞である。これらの細胞群は細胞同士の直接的コンタクトのみならず、液性因子を介して細胞間あるいは細胞と細胞外マトリクス間で間接的にシグナルをやり取りしていると考えられ、これらを含めて1つの概念的ユニットを形成している。さらに、脳虚血では末梢血液成分である単核球のような白血球系細胞や血小板なども病巣にかかわってくるため、これらもNVUに含めるという考えもある。より効果的な血流再灌流、神経保護や機能回復をめざすために、これらNVU構成要素の相互関係に着目することが重要である。』

画像出展:「実験医学 2013 vol.31 NO.14」

ニューロン、血管系細胞(血管内皮細胞、周皮細胞と血管平滑筋細胞)、グリア系細胞(アストロサイト、オリゴデンドロサイトとミクログリア)、および細胞外マトリクスから構成される。

補足.情報交換の方法

例えばニューロンの軸索とオリゴデンドロサイトの髄鞘、血管内皮細胞と周皮細胞のように直接細胞同士が接触することで情報交換をしている場合もあるが、細胞間のシグナル伝達を成長因子、サイトカイン、ケモカインや細胞外小胞を介して行っている場合も考えられる。これらを包括してNeurovascular Unitの枠組みとしてとらえる。

感想

とても難しい内容でしたが整理すると、神経細胞という単一の細胞種にのみ着目するべきではない。②NVU(神経血管単位・神経血管ユニット)はニューロンだけでなく他の細胞にも及ぶ。したがって、「単一の細胞腫でなく、NVUとして考えることが重要である」ということだと思いました。

体内時計と睡眠2

著者:大塚邦明

発行:2014年4月

出版:春秋社

目次は”体内時計と睡眠1”を参照ください。

4 現代人はなぜ眠るのに苦労するのか

パソコン、携帯、ネオンが与える影響

・2011年の国民健康栄養調査の報告によると、日本の総エネルギーは2003年より徐々に減少し、運動習慣は増加しているが、肥満も糖尿病も増えている。この原因は日本人の睡眠不足と不規則な生活が引き起こした生体リズムの乱れと考えられる。

・産業医科大学の久保達彦博士による、交替制勤務に従事する日本人の健康状態を調査したところ、交替制勤務を始めると血圧はすぐ上がる。糖尿病になるリスクは2倍、がんの罹患率も上がる。乳がんは1.5倍、前立腺がんは3倍である。

夜型人間は朝型人間になれない?

・一般的に夜型の人は、食欲、便通、睡眠に課題を抱えた人が多い。

・医学的にも早寝早起きで午前中から活動的な人を朝型、宵っ張りで午前中はぼんやりしていて、夜になるほど頭が冴える人を夜型と呼ぶ。

現代人は不健康?

・マウスの実験では、高脂肪食をいつでも摂取できるようにした環境では、肥満、脂肪肝、メタボリック症候群、血管の炎症などが見られるが、同じカロリーの食事にも関わらず、食事の時間を一定の時間帯に変更すると生体リズムが回復し不健康な症状が消失したということである。

女性の睡眠時間に異変あり

・日本人の睡眠は1976年から2011年にかけて、若い世代の睡眠時間には大きな変化はなかったが、45歳~85歳の中高年では1時間近く睡眠時間は減っており、性別では女性の方が減少している。

若返りの泉メラトニン

メラトニンは生体リズムを守る三要素のひとつであり、松果体から分泌される。また、睡眠を改善し、寝つきをよくするホルモンとして知られている。加齢とともに低下していくことから、「加齢時計」とも呼ばれている。

・メラトニン研究により、脳にある生体時計がメラトニンを作っている松果体を調節することで協同して働き、若返りや健康長寿をもたらしていることが分かっている。

・今では、メラトニンが不足してくると、心筋梗塞や脳梗塞が増えることが明らかにされている。

メラトニンは全身の血管に働きかけ、血圧を下げ夜の隠れ高血圧を改善する。また、心臓と心臓の血管に作用して、昼間に傷ついた部位を修復し脳梗塞を予防する。

メラトニンは骨に働きかけ、骨粗鬆症を改善する。

メラトニンは自律神経を調節し、免疫機能を賦活し発がんを抑える。そして、老化の速度を遅らせる。

・メラトニンの受容体に遺伝子異常があると、メラトニンの不足と同じように生活習慣病が現れることがわかってきた。

・メラトニンは生命の質を高める多彩な作用があり注目されている。

メラトニンは夜間に光にあたると分泌が抑制される。

-光に当たるのが1~2時間の場合、300ルクス(卓上電気スタンド位の明るさ)でもメラトニンの分泌に影響が出る。

-一晩中電気をつけている場合には10ルクス(ろうそくの灯りは8ルクス)の薄明りでも影響を受ける。

パソコンやスマートフォンで問題になっているブルーライトは、わずか8ルクスであっても、白色光の1200ルクス並みの悪影響を及ぼす。

睡眠時無呼吸症

深い眠りとともに分泌される成長ホルモンは、子どもの成長を促したり、昼間にダメージを受けた皮膚や粘膜を修復したりしている。

・時計遺伝子のビーマルワンは、エネルギー産生の効率を上げるためにいろいろな工夫している。

-胃や腸の細胞や組織に作用して、食べた物を腸から吸収する効率、吸収した食べ物を脂肪に変換する効率、そしてそれを脂肪組織の貯蔵する効率など、いずれも昼間よりも夜にその働きが高まるようにしている。

顆粒球やリンパ球などの白血球の働きを活発にして、免疫力を高め、隠れている病気を癒し未病を防ぐ。

・睡眠時無呼吸症候群とは、眠っている間いびきとともに無呼吸を繰り返す病気である。メタボリック症候群になったり、高血圧や糖尿病を悪化させる。この病気の深刻度は昼間の眠気の強さで計る。いくら眠ってもすっきり感がないとか、疲れがとれないという場合は無呼吸症候群を疑うべきである。

不眠によるトラブル

人間とショウジョウバエの時計遺伝子は、ほとんど同じ遺伝子を使って時を刻んでいる。

・『私たちは、北海道U町の人々を調査してみました。「昨日は、よく眠れましたか?」との質問に、188人のうち21%の住民が、「十分ではなかった」と回答しました。この188人を約5年間追跡調査したところ、よく眠れると答えた人の3倍、病気になりやすいこと、その結果、余命が短くなっていることがわかりました。

・『不眠は生活習慣病の源です。不眠になると自律神経が高ぶり、血圧が上がります。なかでも夜間高血圧が著しく、心臓病脳卒中が起こりやすくなります。不眠が重なると、昼間の眠気で活動量が減り、肥満になります。加えて、目覚めのホルモンといわれる副腎皮質ホルモンが増えます。このホルモンはやっかいです。健康なからだから分泌されるインスリンの働きを弱めるので、これが増えると糖尿病になりやすくなります。また骨を溶かす働きがありますので、骨粗鬆症にもなりやすくなってしまい、コレステロール値も上がり、動脈硬化が進みます。

・1989年、米国一般住民を対象に行われた調査では、不眠が1年間続くとうつ病になるリスクが40倍になるとのことである。

災害現場、避難所の報告から

・東日本大震災直後の調査によると、被災地の人々の約60%に不眠の症状が現れたが、なかでも仮設住宅で居住することを余儀なくされた人々にそれは著明であった。

5 眠りは変化する

成長と共に変化する睡眠

人間の睡眠は、リズムも質も一生のなかで変化している。

乳児の眠り

・胎児は妊娠28週くらいからレム睡眠を覚え、妊娠36週くらいからノンレム睡眠も経験し始める。

・出生まもない赤ちゃんは覚醒しているのは1、2時間で残りは眠っているが、この眠りのほとんどはレム睡眠である。8ヶ月くらいになると、睡眠時間は13時間くらいで、レム睡眠は眠りの1/3程度になる。

・胎児の生体リズムは24時間ではなく、7日(もしくは3.5日)のリズム性が大きい。24時間リズムが芽生え始めるのは、生後1ヵ月の頃になるが、まだ外の世界とは同調できないため時差ぼけのような状態である。これが生後3ヵ月くらいになると24時間リズムがだいぶ完成してくる。

幼児の眠り

・1歳から3歳は、体内時計の成長を促し、生体リズムを確立するために最も重要な時期なので、特に規則正しい生活と十分な休息が必要である。

・4歳から6歳は、睡眠習慣を身につけるために大切なときである。5歳頃から生体リズムにあった睡眠パターンが現れてくるため、この時期に早寝早起きを習慣化させておくことは重要である。

・午後早めの昼寝は、夜の睡眠を補うのに有効である。

・脳の老化には性差があり、男性は女性より1.5倍早く老化すると言われている。特に、左脳が早く萎縮していく。女性の老化が遅いのは脳梁とよばれる神経線維の束が大きく、左右の脳の情報交換はスムーズに行われ、右脳と左脳がバランスよく萎縮していくからである。

学童児の眠り

・5歳から12歳は、睡眠時間が11時間から8.5時間まで短くなり、昼寝もあまりしなくなる。眠りはノンレム睡眠が主体だが、深睡眠と呼ばれる睡眠深度4が長いのが特徴で、この眠りの中で学校で学んだ情報や知識を咀嚼している。

思春期の青少年の眠り

・12歳から18歳は、思春期であり、また成長期である。睡眠中に性ホルモンが増え性腺は成長する。

・成長ホルモンが多量に分泌されるとともに、眠りたい欲求が高まり、朝なかなか目を覚まさなかったり、週末に異常に長く睡眠したりすること