“氣とは何だろう37(間中喜雄編)”の中に以下のことが書かれていました。そして、それは長濱善夫先生の「針灸の医学」という書著からの抜粋でした。
『針の響きによる経絡現象の発現は、筋の主因とする説でひとまず説明されているが、実際には筋まで達しないで、単に皮下の結合織に達した深度で針響が起こる場合も決して少なくないのである。また、稀にはやっと真皮に達したくらいの深さでもおこる。こういう場合は、体液的な変化で間接的に筋が刺激されるためであろうと説明(藤田六朗氏)されている。しかし、こう考えたのでは、体液が何によって変化を受けるのかという点が不明になってくる。そうなると、結合織線維そのものが直接関与して、またある程度刺激を感受してこれをつたえる役目をも果たすのではないか、ということも考えなくてはならなくなる。
もし、結合織線維が刺激感受の主体になるものとすれば、全身の結合織系が形態的に経絡系の実体になるという想定が、いよいよたしかめられてくる。といっても、もちろん経絡の走行を解剖学的に規定するものとして、また機能的な関連において、筋の意義が重大であることには変わりはない。―(以上、長濱博士『針灸の医学』より)』
長濱善夫先生は、千葉医大で鍼響に敏感な患者(視神経萎縮という悪性の眼病)を対象に実験を行い、刺鍼によって生じる響きの走行が「霊枢」など古典の経脈流注にほぼ一致することを確認し、その成果を、丸山昌朗先生とともに「経絡の研究」として1950年に発表されました。
鍼響を研究され、経脈流注との関連を明らかにされた先生が、『全身の結合織系が形態的に経絡系の実体になるという想定が、いよいよたしかめられてくる。』と発言されていたことに勇気を頂きました。それは、今まで繰り返し言ってきた【経絡≒ファシア】を裏づける見解だったためです。その長濱先生の著書を拝読させていただければ、その中に“氣”に関して、何かヒントを得られるのではないかと考えました。
はしがき
目次
はじめに
第一部
針灸の沿革
●起源
●中国の針灸
●日本の針灸
●明治以降の医制
針灸術の現況
●針とその変法
—針法
—針の変法
●灸とその変法
—灸法
—灸の変法
●技法と流派
—針と灸
—経穴
—沢田流
—古典派
—科学派
—反応点
—脈診法
—感熱試験
●海外における針術
—中国その他の事情
—ヨーロッパの針術
第二部
針灸療法の実態
●針と灸の治効作用
—一般作用と特殊作用
—特殊技術と過誤
—針と灸の相違
●針療の実態
—針の感じ
—針療の特質
—一本針
—洞刺
—刺絡
●灸療の実態
—灸の感じ
—灸療の特質
—特殊な灸法
—背中の灸と一点灸
—三里の灸
[付]原式灸法
針灸でよくなる病気
●どんな病気によいか
—機能的な病気
—神経症状
—器質的な病気
—炎症・化膿
—老化症状
—適応と不適応
●各科別の病気について
—内科的な病気
—外科(皮膚科)的な病気
—産婦人科的な病気
—小児科的な病気
—眼耳鼻科的な病気
●特に二、三の病気について
—高血圧症(付・脳卒中)
—肺結核
[付]放射能症
針灸と民間療法
●手指による療法(手技療法)
●器具を用いる療法(刺激療法)
●薬による療法(付・漢方)
第三部
針と灸の近代的研究
●針に関する研究
●灸に関する研究
—血液に及ぼす影響
—皮膚の組織学的変化
—各種の生理機能に及ぼす影響
—病気に対する影響
●治効作用に関する説
針灸に関する新しい解釈
●冷凍植皮と灸
●針とアミノ酸その他
●ストレス療法
経穴というもの
●経穴の意義
●臓器と経穴
●ヘッド氏帯と圧診点
●経穴の実態
経絡について
●東洋医学における経絡
—経絡の意義
—経と絡
—気・血
—経絡の種類
—経絡の名称
—十二経の走行と臓腑
●経絡現象
—針の響きによる観察
—皮膚の電気抵抗による検索
●経絡の証明
—経絡現象発現の本態
—筋運動主因説
—経水と経筋(体液と電気)
—結合織と組織液
経絡・経穴と針灸
●経絡と経穴
●経絡に対する一般作用
●針灸の作用機転
●経穴の選択
●経穴組織の刺激
●経穴機能の調整
経穴・部位一覧
第一部
針灸の沿革
●日本の針灸
・日本には奈良朝から平安朝時代にかけて隋・唐と直接交通が開かれるようになって移入された。
・大宝律令には宮内省典薬寮に医師、医博士、医生に対して針師、針博士、針生などをおくという管制が定められていた。そして、甲乙経という針灸専門書などは、針生ばかりでなく、医生にとっても必須購読書とされていた。
・針生は数種の専門書について研修し、試験に合格して針師となり、さらに優秀なものは針博士に任ぜられることになっていた。針灸は針科と呼ばれて、当時の医方の中では、一段と程度の高い技術として重視されていた。
・「医心方」(三十巻)は、当時の代表的医書で、現存するわが国最古の医書であるが、著者は針博士の丹波康頼である。
・鎌倉時代から室町時代になると、医官制度はすたれたため、管制上の針師・針博士は有名無実の存在となり、民間に針灸は広まり外科医的療法として、できものや腫れものなどの治療に応用されるようになった。一方、この時代には針灸の先進国であった朝鮮に日本の灸法を紹介したり、明に渡って日本の針法を伝えた人の記録もあり、すでに日本にも独創的な針灸法が生まれていたと思われる。
・桃山時代、京都の御薗意斎は、従来の鉄針の他に新たに金針・銀針を創薬したほか、小槌で針頭を打って刺入する打針の方法を発案した。
・江戸時代になると一般医術も針灸も、わが国独特の方が次第に完成されていった。宝永年間、後藤昆山という医家が、百病は一気の留滞に困るのであるから、灸によって治すべきであるという説を唱えて、灸法を実用したので、その一派によって灸がたちまち世に広められるようになった。
・将軍、徳川綱吉の命によって杉山和一検校が、針治講習所を設けて針術を広めることにつとめたことから、杉山流針科として針も大いに普及した。杉山和一は、管針を創案して針の皮膚刺入を簡易化した。この管針法によって刺入が著しく容易になったため、針法の普及に役立った。この管針法は現在に受け継がれた。
・針灸は江戸時代末期に蘭学が入ってきて、漢蘭折衷の医方が生まれても医方の一つとして存続されていった。
・文政九年(1826年)オランダの医官として来朝したドイツ人医師シーボルトは、在日中、頻繁に針を体験したうえ、当時の幕府の針科医石坂宋哲の著書を翻訳し、後年帰国してこれをヨーロッパに紹介した。
●明治以降の医制
・江戸時代の末期には、すでに日本独特の針灸術がほぼ完成されていたが、明治時代に入ると新政府は西洋文物の取り入れに急になるあまり、医学の面でも西洋医学一辺倒の方針をきめた。そのため、明治七年の医制において「医師は西洋医学を修めたものでなければならぬ」と規定された。その結果、従来の漢医方とともに針灸術も新しい医師制度から除外されることになった。しかし、すでに当時国民に広く親しまれていた針灸を一概に禁止することはできず、同じ医制の中に「鍼治灸治ヲ業トスル者ハ内外科医ノ指図ヲ受クルニアラザレバ施術スベカラズ」という規定が設けられていた。ところが、東洋固有の医方であった針灸を近代西洋医学の管理下におくということには、本質的に矛盾があり、実際にはこの規定はほとんど励行されなかった。そこで、その後「鍼灸術の営業差許方」(明治18年)、「鍼術灸術営業取締規則(明治44年)というように営業として認許するという便法がとられることになった。また、この制度に基づいた学校の教科基準として大正七年文部省が制定した「改正孔穴学」は、わが国古来の針灸術の拠り所であった経穴というものを孔穴の名によって、全く型にはまった簡略なものにしてしまったので、これにより江戸時代以来の針灸術の面目は、表面的には、ほとんど失われるようになってしまった。
・終戦後の占領時代、医療改革制度の諸問題に関連して、一時針灸は他の民間療法術とともに、一切禁止の危機に直面したが、医療制度審議会の答申として「医療の補助手段として効果があると考えられるものがある」とのことから、なんとか禁止だけは免れた。その後、昭和二十六年に至り「あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法」が施行され、従来の営業法から一変して身分法が確立されることとなった。ただし、その代わりその資格に対しては免許の水準を一段と高めるということで落着した。
第二部
針灸療法の実態
●針療の実態
—針の感じ
・『針を刺入して行くさい、針が皮膚を通ってしまった後は、ほとんど無痛で、針が入っていくという感じもないほどである。しかし皮下のある深さ(人により場所により深いことも浅いこともある)まで達すると、徐々に、あるいは突然に、特別の感じがおこる。ふつうはごくかすかな電気をかけられたような感じであり、あるいはしみるような、または重苦しいおされるよう感じ、時には熱感または冷感という形式で表現できるような感じである。これは一時的、局部的に終わってしまうことが多いが、時には電気にかけられたようなかすかな感じが、急速に流れて、針を刺しているところとは別の思いがけない遠方に再び強く感じがあらわれる、というようなこともある。ふつうは瞬間的にあらわれて、短時間のうちに消えることが多いが、時には置針中いつまでもつづいていることがあり、またまれには針を抜いた後にものこっていることがある。流れる方向は、経穴によってだいたい決まっている。また、患部に向かって選択的であることもある。これらは、針のヒビキ(響)といわれる特別な感じで、少なくともふつうの痛いという感じとは違う。圧痛の強い経穴などに針を刺すとよくおこるが、この場合は、針がよく効いているということを意味することにもなる。患者が「あア今の針はよく効きました」というときは、ヒビキが強くあったことをいっているようである。実際、それで、病苦がずっと軽減されることが多い。しかしすべての場合にそうであるとはかぎらない。
圧痛のあまりない、虚状になった経穴では、こういうヒビキは必ずしもおこらない。しかし針を刺したままにしておいて、振動させたりしていると、やがてかすかな感じが出てくることもある。これは、これで治療的に意味のあることなのである。
針のヒビキが、はっきりあらわれて、それが一定の方向に放散されて行くというと、いかにも針の先が皮下の神経にぶつかって、神経を刺戟した結果であろうと考えられやすいが、神経線維に的確に突きあてるということは容易なことではないし、事実あたった場合はこういう感じとは全然別な強烈な感じとなる。また、このように遠くの方まで流れて行くということも考えられないし、神経が通っているすじみちとは、まったくちがう方向であることが多い。つまり、常識的に考えられる神経とはちがうものを刺激していることになるのである。結果的に、経絡に影響をあたえたためにこういう感じがおこると考えられるわけで、このことから経絡というものを、はじめて現象として認知することができることになるのである。』
—針療の特質
・針治療は一番痛むところに刺すだけでなく、その周辺を触診して過敏な反応がある経穴を施術することは有効である。また、少し離れたところや遠隔部からの刺針でも効果が期待できる。
・坐骨神経痛の場合は、腰部、臀部、下肢(膝から下まで)と広い範囲に施術する。この範囲の特に良く効く経穴があるが簡単には見つからない。
・針のヒビキによって経絡現象が認められるということは、針の刺激の対象になっているものが経絡であり、刺激によって病気が良くなっていくということは、経絡の異常が治されたからだということになる。
—一本針
・急性病に針はよく効くといわれているが、胃痙攣や胆石症の発作的な痛みなど、うまく効くときは全く鎮痛薬など足元にも及ばないほどの効果がある。
[胃痙攣] 筆者(長濱先生)の特によく効いた事例
1)『第一例は、痛みのために仰向けになって、手でおなかをおさえて苦しがっていた青年の場合である。(はじめての発作)いちばん痛がっているみぞおちのところ(巨闕という経穴)へ静かに針を刺しはじめると、今まで閉じていた眼を急に開いた。針を抜くと同時に、患者は起き上がった。針を刺されていたのは知らなかったが、急に痛みがなくなったから起きたのだとのことだった。』
2)『第二例は、中年の男(既にたびたび発作の経験がある)これは腹這いになって痛がっていた。そこで背部の腰に近い胃倉という経穴(おすと特に過敏な痛みがあった)に針を刺すと、胃の中にしみるように針のヒビキを感ずるとのことだった。起こしてみると、用心深く、起き出したが、もう痛みは全然なくなっていた。』
3)『第三例は中年の婦人。これは帯を固くしめた着物のまま蒲団に入って、エビのようにからだを曲げて苦しがっているのでどうにもならなかった。そこで足だけ蒲団の外へ出してもらって、膝の少し上にあたる太股の梁丘という経穴に針で強刺激をあたえてみた。すると見ているうちにからだをまっすぐにして、やおら起き出した。それきり、発作は止まっていたのである。』
・『この三つの例は、いずれもちがった経穴を使っているが、それぞれ一針だけでなおった例である。しかし、いつも必ずこのように一針だけで治るというわけにはいかないが、うまくあたると、こんな効き方をするという意味で、ここにあげた。』
胃痙攣も胆石症も針治療で改善するのは、いずれも平滑筋の緊張を軽減することによります。
『平滑筋の収縮・痙攣による痛みが刺鍼により瞬時に改善するのは、上記の複数のメカニズムが同時に活性化されることによります。特に神経系を介した即時的な反応(ゲートコントロール、軸索反射、自律神経調節)と、局所的な生化学的変化(アデノシン放出、NO産生、神経伝達物質放出)が組み合わさることで、平滑筋の痙攣と痛みが瞬時に改善されるのです。』


