“氣”とは何だろう36(間中喜雄編)

以前、母方の先祖を調べたことがあったのですが、今度は父方を調べてみました。その結果、明治18年(1885年)生まれの祖父は幼少の頃、小田原町十字町二丁目に住んでいたことが分かりました。調べてみると、この十字町は明治初期から昭和にかけて著名人の別荘地でもあったことが分かりました。伊藤博文、山縣有朋、北原白秋、谷崎潤一郎などなど早々たる人が名を連ねています。

「一度、行ってみたいもんだ」と思い、昨年12月に小田原城と十字町を目指し約2時間かけて行ってきました。国道1号線を歩いていて目に飛び込んできたのは、いかにも古い建屋です。それは創業寛永十年)の済生堂薬局小西本店でした。

寛永十年は1633年なので、第三代将軍の徳川家光の時代ということになります。

薬を入れる小袋を衝動買いしてしまいました。歴史を体感できる老舗薬局『済生堂薬局小西本店』

 

そして、この済生堂薬局さんのとなりにあったビルが間中病院でした。

 「あの、間中先生の病院なんだろうか?」とその時はその程度の印象だったのですが、今回、間中喜雄先生の本を拝読させて頂くことになり、詳しく調べたところ、間違いなく間中先生の病院であることが確認できました。

画像出展:「Google Map」

左のビルが間中病院です。

 

 

間中喜雄先生は西洋医学の医師でありながら東洋医学、特に鍼灸医学の発展に多大な貢献をした日本の医学界の偉人です。その生涯と業績は、現代の統合医療の基盤を形成する上で重要な役割を果たされました。

画像出展:「間中喜雄先生について

間中外科医院創業は1906年でした。祖父が1909年まで、十字町にいたことは確かなので、かぶっています。


本書の序文には、『この本は、一般の針灸書にあまり取り上げられない研究や観察や考え方を、いろいろの角度から紹介した。これを「水平的思考」の材料にして、西洋医学的に応用して下さったり、また古典的針灸の発展に役立たせて下さる方があったら、著書はたいへん満足である。』とのことが書かれており、これはとても興味深い内容の本だなと思いました。

なお、本書は54年前に発行されたものなので、ブログではできる限り新しい研究あるいは実験データを探してみようと考えました。

注)文中のPDFの資料は、「経穴とその周辺における皮膚インピーダンス軌跡の多点同時測定」以外は、すべてAI(Perplexity Research)が作った資料です。

著者:間中喜雄

発行:1971年2月

出版:創元社

序文

目次

第一章 東洋の針灸術

第二章 古典針灸術の現代訳

第三章 継子あつかいされた経絡説

第四章 ツボとツボの妙な関係

第五章 経絡現象

第六章 経絡についての観察と研究

第七章 針灸術における生態(病態)の評価

第八章 金針と銀針

第九章 金と銀との皮膚接触

第十章 2-M-Cの臨床とその意義

第十一章  刺激療法としての針灸術

第十二章  生体の場と針灸刺激

第十三章  平田氏反応帯―この不思議な治療領帯

第十四章  ヨーロッパにおける針術の電気的研究とその批判

第十五章  ドイツの電気針

第十六章  フランスにおける電気生理的針術研究とその論争

第十七章  ソ連における針術理論

第十八章  針灸術に関連した電気の応用

第十九章  針灸におけるバイオリズム

第二十章  アンケートから見た日本針灸術の動向

第二十一章 日本における針麻酔の追試

[付録] 十四経絡図

あとがき

第二章 古典針灸術の現代訳

●明治になって日本の政府は西洋医学を全面的に採用し、医学校の教育も、医師の資格試験も、すべて西洋医学によって行なうことに決定した。しかし明治の初期には、西洋医の数は少なく、一般の開業医はほとんど漢方医だったので、一挙に漢方医を廃業させるわけにゆかなかった。だから一応従来医業を行なっていた者には既得権として医師の資格を認め、次第に西洋医を養成してこれに代わるように仕向けた。早く言えば、漢方医の自然消滅策をとったのである。だから漢方の臨床的法則が合理的であろうとなかろうと、まったく無関心であった。

ところが針灸術については、こういう弾圧政策はとれなかった。というのは、昔から針術・按摩は盲人の職業として適当であるとして、社会政策的な意味でこれを保存しておく必要があったからである。そこで当時の西洋医学者と針灸家に命じて「固定教科書」を作らせ、一応西洋医学の体系にしたがって針灸を教育できるようにはからった。この教育方針は、その後ながらく盲学校の教程および晴眼者で針灸を志すものが受ける府県ごとに行なう資格試験の基準となった。その骨子は次の通りである。

(一) まず西洋医学的病名を挙げ、これに適応する「孔穴」(ツボ)の処方を示す。

(二) 各「孔穴」が「経絡」上にあるという旧説をすて、「孔穴」の位置を解剖学的に正確に記載する。そして昔から言い伝えられた各孔穴の主治証(適応症)を付記する。「経絡」という概念は西洋医学的に説明できないから触れないことにする。

(三) 針灸は神経に刺激を与える「刺激療法」である。神経の興奮、たとえば疼痛等には強刺激を与えて抑制し、衰弱・麻痺等には弱刺激を与えてこれを興奮させ治療する。

これで一応針灸術は西洋医学的に合理化されたようであるが、これでは中国独特の針灸術の「ツボ」概念を基礎的に検討もせず、西洋医学的に書き直したに過ぎない。中国針灸術でツボを選ぶ場合には、局所的・戦術的適応(例えば顔面神経を直接刺激するというような)も考えるし、全体的・戦略的適応(すなわち全体のバランスを整える目的で)で選ぶ場合もある。前者は西洋医学的にも理解しやすいし合理的にみえるが、後者はその全体的法則を理解体得せずに傍から見ていても意味が判らないのと同様である。後者は基盤全体の連繋(インテグレーション)で決まることで、或る一石だけをいくら眺めていても、何のためにこんな所に石を置くのか、なぜ似たような隣の目に置いては駄目なのか、理解できない。

第三章 継子あつかいされた経絡説

日本の針灸教育は明治時代に「西洋医学化」されたために、現代医学で説明できない概念は針灸術の恥部であるかの如く取り扱われ、あるいは、これを無視することや、その矛盾を指摘することが、科学的な態度であると考えている針灸家も多い。そういう人々は、肺結核の患者を調べたが「肺経」とは関連性がなかったというような証明に熱心で、「経絡」というような概念がいかに無意味で排撃さるべきかを熱心に論じ合っている。

なるほど、針灸はりっぱに一種の刺激であり、他の多くの理学療法と同様に、どこに刺激を加えても神経系または内分泌に影響をあたえ、それが治療的に作用するという一面はある。灸は火傷毒を作り、それが薬理的に作用するという研究は、古くは九州大学の原志免太郎博士、京城大学の大沢勝教授によってなされた。

原博士は、だから、従来のツボ概念は不必要で、灸を外部から目立たない腰部八ヵ所にすればよいという(これを腰部八点灸と名づけた)方式を推奨している。その臨床報告を見ると、こういうやり方でも或る種の疾病に有効であることは確かのようである。大沢教授は、火傷によってヒスタミンに似た化学的物質が産出されることを証明し、これを「ヒストトキシン」と呼んだ。この物質を人工的に作って静脈注射しても、また下肢にエスマルヒの駆血帯をかけ貧血状態を数分間作っても、灸と同様の効果がある。

こういう面だけ見れば、ツボも経絡も無視して針灸を行なっても、りっぱに一つの治療行為になる可能性はある。事実かなり多くの疾病によい影響をあたえる。この種の研究も「経絡無用論」の風潮をうながしたといえよう。

中国針灸術が、その基礎理論として経絡を重視し、その生理学はむしろ経絡一辺倒であったことは、一つの偏向であったかも知れない。だが、経絡という概念は鍼灸治療にそんなに役に立たない無用有害な概念だと葬り去ってよいのであろうか。

いったい昔の人が経絡と考えたルートは実在するのか。そして、それを利用することがどんな役に立つのであろうか。これを以下の章で考えてみよう。

日本東洋医学協会さんの「経絡・経穴」を調べる辞典です。経絡や身体部位からも調べられます。

今後、いろいろな経穴(ツボ)の名前が出てきますが、必要であればこれで検索してください。

第四章 ツボとツボの妙な関係

●先ごろ栃木県塩原の盲人教育機関である光明寮に針灸に関する講演を依頼されて行った。講演後、そこの先生方と座談会をした。そのとき一人の教員が右手が肩からしびれて困ると訴えていた。病院で受診したが頸椎の変形が原因だと診断された。注射などをしてもらっても直らないという。手を調べてみると、右手の「大腸経」に沿って強い圧痛があり、ことに母指と示指の間の合谷というツボを圧すと飛び上がるくらいに痛い。しかし左手の合谷はさほどでない。

そこで貴下の右の大巨[ダイコ]というツボ(臍の右下方にある)にきっと圧痛があるでしょうと仰向けに寝かして調べてみると、この辺のツボもまた圧すとたいへん痛む。

このツボは私がかねてから大腸経とは関係の深いツボだと考えていたものである。中国針術では大腸経の「募穴」は大巨よりやや上の臍の高さの天枢だと書いてある。募穴とは腹部の診断治療点である。私は天枢より大巨の方が大腸経の募穴としてふさわしいと考えるのだが、これは中国の古典説と少々異なる。

しかし、この圧痛点に針をポンと打ってサッと抜くと(速刺速抜)、この側の手が何だか非常に軽くなったという。次に反対側の大巨に同じことをやると、また右手が変になってしまった。もう一度右側にやると直る。こんなに早く効く治療はありませんなあと感心していた。

手がしびれて痛いのに何故こんなツボをねらうのか。ちょっと現代医学では想像もつかないツボの選び方である。

(一) この患者の疼痛は大腸経に沿った疼痛である。

(二) 大腸経は大巨と関係がある。

(三) だから大巨に針を刺す。

こういう治し方があることを知らない人が多い。

次に右の腰から下肢に神経痛様の痛みのあるという人がいた。脈を診ると、これも大腸経と関係のあるツボで背中に第五腰椎棘突起の高さに大腸兪というツボがある。この人には右の大腸兪と右の大巨・右合谷に強い圧痛があった。この三点に針をポンポンポンと三本軽く打ったら、この人も、「ああ、おじぎができる。今までは痛くて腰が前にまがらなかったのです。」と驚いている。

同じようなツボが一方では手のしびれ痛みに効き、一方では坐骨神経痛様の痛みにも効く。こういう不思議な効用をツボはもっている。だが、「大巨は坐骨神経痛に効くツボだ」と私が言ったら、それは嘘にもなりかねない。この二人とも大腸経に何か異常のあるという前提で私は大巨に針を刺したので、そういう条件のない別の坐骨神経痛の患者に大巨を刺しても効果は保証できない。こういう点が中国針灸術の一つの特徴である。