第二章 気の力
・『対話はいよいよ佳境にはいってくる。というよりは、いきなり本番という感じで、この章では「気」と「気功」治療の思想と実践の核心部分がすべて明らかにされるのだ。
望月さんが実際に治療したガン患者さんの例などは、ひとつのケースにすぎない。もっと大事なことは、「気」を扱う人がどういう姿勢で生きているかということだ。
私は作家シャーマン説を言い続けてきた。書き手はひとつのヨリシロにすぎない、という望月さんもご自分を一本のパイプにたとえている。なによりも大事なことは、すべてのことに対して謙虚であるということだろう。私は謙虚とはおよそ縁のない無作法者だが、謙虚であることの大切さだけはわかっている。
ここで紹介されている奇蹟のような治療例も、私にとっては格別びっくりすることではない。世の中にはありえないことなど、なに一つないのである。
私は「気」がなにか特別なパワーを発するとは思っていない。望月さんと長時間語りあった後でもそうである。親鸞のいう「自然法爾」とは、「おのずからしからしむ世界」ということだ。「おのずからしからしむる」力に、ほんのちょっとの方向性をあたえることが、「気功」の仕事かもしれないと考えている。
大事なことは、「気」を超能力のように簡単に思いこんでしまわないことだ。役立つ人には役立つ。縁なき人には意味がない。そのくらいに考えたほうがいいのではあるまいか。』(五木)
●気は宇宙の無限のエネルギー
・(「気」とは何だとお考えですか?)『私が感じることは、臓器と臓器、また肉体と心をつなぐ情報系のエネルギーのようなもので、光ファイバーのように、体内には、そのエネルギーを流すシステムができているんじゃないかということなんです。』(望月)
・『情報系のエネルギーですか。日本のホリスティック医学界のリーダー的存在の帯津良一さんは、外科医として、長年、手術の場に立ち合い、ひとつの疑問に駆られたそうです。
人間の体を開いてみると、臓器と臓器のあいだに、隙間がある。この隙間とは何かと考えていった末に、ひとつの結論に達したというのです。この隙間にこそ、生命エネルギーがひそみ、それが臓器と臓器をつないでいるのではないか、と。』(五木)
・『帯津先生は、中医学や漢方薬を研究された経験から、この隙間に、気があるのではないかと考えて、「気場」と呼んでおられるんですね』(五木)
・道教では、カオスの「ゲン」といものの中から生まれてくる気が「元気」で、元気は一切の「元(モト)」であるという考え方をする。元気は「源気」と書いてもいいし、「原気」でもよい。その源の気が集散して、宇宙が生まれ、太陽も生まれる。人も動物も生まれると考えるわけである。(五木)
・貝原益軒の「養生訓」には「人の元気は、もと是、天地の万物を生ずる気なり。是、人身の根本なり」とある。
●気功家シャーマン説
・道教では、気が散じて生命が尽き、人間もいのちが終わる。そのとき、散じた気はどこにいくのか。元気、あるいは源気にもどる。その循環のなかに生命というものがあると考える。(五木)
・『病気というのは、読んで字のとおり、気の滞りのことなんでしょう。生命の活発な循環が滞っている状態を指し、気が涸れた状態、ケガレの状態が、死を意味するんですね。道教からみると、気というのは、長い歴史をもった非常におもしろい思想です。』(五木)
・気を送って治療するというのは、不協和音になったり、滞っている気を宇宙の無限のエネルギーで、きれいに流れるようにするということではないかと思う。
・『そのうち、私はただ宇宙のエネルギーのパイプの役目をしているのだと考えるようになりました。自分が治すという考え方じゃなくて、なにか大きな宇宙のエネルギーが私の体をとおして、相手にいくと。私は、一本のパイプにすぎないと。そして、それが相手に伝われば、相手のもっている自然治癒力が高まって、細胞が活性化して治っていくから、あとはその人にまかせればいいんだと、そう考えるようになったんです。そうしたら、ストレスは消えましたね。』
●気功治療が効く人、効かない人
・『気功治療が効くかどうかに関して、これまでの経験から、五つのタイプに分類しているんです。一つは、もともと気の通りがよくて、心がオープンな人。こういう人はすごく効きます。二番目は身体的に気の通りが良いが、心は閉じている人。こういう人は、気を信じていなくても、唯物論者[観念や精神、心などの根底的なものは物質であると考え、それを重視する哲学的な立場]でも効きます。三番目は、もともと気の通りが悪い体ではあっても、心が自由でオープンな人。こういう人はすぐに効果が出なくても、二回三回と治療を重ねていくうちに、徐々に気の通りがよくなって、治っていきます。』(望月)
『気功が効かない人というのは?』(五木)
『四番目の、もともと気の通りが悪くて、しかも、心が閉じている人。こういう人はほとんどなんの反応もありません。』(望月)
『そういう人に気を送っていると、どんな感じになるんですか?』(五木)
『こちらから送った気が、首とか肩のあたりでブロックされて、なかにはいっていかないのがわかります。壁に行く手をはばまれた気は、元にもどって、私のところに帰ってきますから。』(望月)
『そういう人は、気なんか絶対にないと思いこんでいるんでしょうか。』(五木)
『そうですね。だけどふしぎなのは、五番目のケースです。どうして治ったのか、わからない。本人も私もお医者さんも、首をかしげる場合がときどきあります。人知をこえた、なにか大いなる力が働いているんじゃないかと思うことがあります。この第五のケースに関しては、二とおりあります。物理的、医学的にみて、ほとんど無理だと思われても奇跡的に治る場合と、もう一方では、体はよく反応し、気の流れがスムーズにいくようになっているのに、本人の気分がよくならないし、病院の検査結果も思わしくないケースです。私がこの五番目のケースを、深く考えることになったきっかけがあります。ずっと以前、ドイツのミュンヘンで、六十代半ばのドイツ人の女性を治療してあげたことがあります。その女性は顔面麻痺で、耳のうしろの神経を手術したあと、その後遺症で歩けなくなり、それから何年も車椅子の生活になってしまいました。下半身がぜんぜん動かないのを確かめて、私の心の中で、これはちょっと無理だなと思ったんです。半年後、ふたたびミュンヘンへ行ったとき、明るい笑顔の女性が、すたすた歩いて私のところへ来ました。見ると、あの車椅子の女性でした。私は、その変わりように、本当にびっくりしました。なにか人知をこえた力が働いたとしか思えませんでした。それ以来、私は、やってみなければ、治るか治らないかは分からないと考えるようになったんです。』(望月)
『五番目の人知をこえた、サムシンググレートの存在を信じている人の場合でも、奇跡的治癒がなされるときと、そうでないときがあるというのが、興味深いですね。気功治療の場合、受け手の心構えや、素質というものが、治癒に関連していることも考えられますね。』(五木)
『そうですね。ちなみに、この奇跡的治癒が起きたドイツ人の女性が、気をどう感じたのかを述べておきます。彼女は、体が熱くなり、壁や天井がゆれて見え、それから壁が斜めになったといいます。治療のあと、一週間はぜんぜん変化なく、その後、杖で立つことができ、だんだん歩くことができたそうです。』(望月)
●自利利他の思想が根底にある
・浄土教の初期の教えに、観想念仏といって頭のなかで、阿弥陀如来の光を浴びて、満ち足りた気持ちで浄土にいることを想像する行法がある。そのように自分でイメージする。固く凝り固まった細胞の一つひとつに「気」が風のように、ザーッとなびきながら、きらきら光りながら、体のなかで喜びの歌をうたっているんだ……と思う。(五木)
第三章 気と想念
●遠隔治療は本当に効くのか
・(遠方へ気を送るとういうのはどういうことなんですか?)『電波のように相手のところに届くんですね。ここで私の気をうけようと思ってリラックスしたら、その瞬間から私の気の周波数にダイヤルを合わせたことになるんです。そうすると、私の送るエネルギーが受信できる。そんなふうに考えたら、考えやすいじゃないでしょうか。』(望月)
第六章 気と呼吸
●気の交流は信頼関係の上に成り立つ
・植芝先生は70歳を過ぎて、初めて気を出せるようになったとのことである。(五木)
・『気で相手を投げ飛ばす場合、まず相手と自分の発する気によって、気と気とが反発しあい、その結果、気の弱いほうがはじき飛ばされます。そのとき、受け手が送り手に対して、全幅の信頼をおいている場合は、二人のあいだに回路ができているので、気を感じやすくなり、気の反発が起きやすいのですね。』(望月)
・気功教室や合気道教室で、先生の送る気に対して反応する練習がある。その場合、熟練した生徒はすぐ体を動かして、反応するが初心者はうまく動かない。(望月)
・ヨガのレッスンで、みんなの気がまわりはじめたころ、生徒に気を送って、その気の巡りかたにしたがって体を動かすセッションをしている。ベテランたちは、その時その時によって気のおもむくままにまかせて、自由に体を動かして、自分で体の凝りや、気の滞りを是正する。(五木)
第九章 気の声
●上虚下実の状態をつくる
・『気功にしても、武道にしても、ほかの健康法にしても、肩の力を抜く方法を教えていますね。とくに重心のかけ方ということを、すごくうるさく言っている。臍下丹田に重心をもっていくと、つまり気を集めるとどっしりして、ふらふらしないというように。』(五木)
『肩甲骨を背骨によせて、両肩をふっと下げ、肛門を締めると、お腹に力がはいり、丹田に気が集まってきます。そのとき、自然に肩の力が抜けているんです。お腹だけしめても、だめです。肩の力を抜いて、肛門をぐっと締めると、お腹のところに充実感が出るんです。』(望月)
『充実感があるというのが、非常に大事なんですね。』(五木)
『気が上にあがると、だいたい首、肩に力がはいります。理想は、上が軽くて、下が安定している状態なんです。上が空っぽで、下が充実している。』(望月)
『上虚下実ですね。』(五木)
『それができないと、気の循環もうまくいかないし、リラックスができないというんです。しかし、それはなかなか、むずかしい。無意識にいろいろ力がはいってしまうんです。』(望月)
まとめ
1.気とは情報系のエネルギー
1)臓器と臓器、また肉体と心をつなぐ情報系のエネルギーのようなもので、体内にはエネルギーを流すシステムがあるのではないか。
2.情報系のエネルギーとは
1)気の他に情報系のエネルギーではないかと思われるもの。
・「愛」、「憎しみ」、「気合」、「勇気」、「敬意」、「敵意」、「圧力」などは、目には目見えないが感じとることができる。
・「気」は感じる世界であり、「愛」の上に存在するものではないか。
この2つの表はAI(PerplexityPro)が作成したものですが、左は「愛情に関係する生理活性物質」で、右は「気によって影響を受ける生理活性物質」です。「気」が何かということが明確になっているわけではありませんが、少なくともAIの回答によれば、この2つの表には「幸せホルモン」ともよばれている、オキシトシン、セロトニン、ドーパミンが含まれています。「気」は幸せな気持ちにするものだと考えられます。患者さんと患者さんの抱えている症状や問題点を理解しようとする行為は、「愛」の中に含まれるものだと思います。
3.気は流れるもの
1)気の滞りは冷えにつながる。気は心も体も温かくする。
4.気が効く人とは
1)深い意識のところで、オープンな寛容な人、素直な人の方が気はよく流れる。
2)半信半疑や絶対に効かないと思ってきた人でも、本人の気の「通り」が良い場合は劇的に効くこともある。
画像出展:「AI(Perplexity Pro)が作成」
「気の「通り」が良い場合」ということが気になって調べてみました。この表は性格・行動・心理の3つから分類されていますが、これを拝見すると、「リラックス」した状態だと思います。患者さまと施術者の関係性を考えると、このような状態になるためには、信頼関係が極めて重要だと思います。
5.元気(原気)
1)貝原益軒の「養生訓」には「人の元気は、もと是、天地の万物を生ずる気なり。是、人身の根本なり」とあります。また、道教では「元気は「源気」と書いてもいいし、「原気」でもよい。その源の気が集散して、宇宙が生まれ、太陽も生まれる。」とあります。つまり、気とは体内にとどまらず体外の世界に存在するものです。
感想
『「私は、「愛」のない「気」の追求や「気功」など、なんの意味もないと思っている。』という五木先生のお話はとても印象的でした。良い施術をするには患者さまとその症状を知り、そして施術師としてだけでなく、施術そのものについても信頼して頂くことが重要です。これは気の第一段階、もしくは気のウォーミングアップのようなものかもしれません。
一方、気は流れるものなので、気の滞りがあればそこが問題の箇所です。気は気血と呼ばれることも多く、その働きは血を推動するとされています。つまり、気の滞りは血の滞りを意味し、血が滞れば冷えが生まれます。
冷えは硬さにつながります。触診に相当するものを切診といいますが、丁寧な切診によって、冷えや硬結といった気の変動を把握することが、気の第二段階といえそうです。
気が何であるかは相変わらず分かっていませんが、気の実体がつかめれば確かな施術、より効果的な施術につながることは間違ないと思います。





