『氣の確立』という本は、合気道について書かれたものでした。著書の藤平先生が目指した合気道は「氣」を重視するもので、植芝盛平先生が他界された後、自分の信念にしたがい合氣会を退会して、「心身統一合氣会」を設立されました。今回の「氣」は合気道の先生が考える「氣」になります。
目次
プロローグ
●三人の師
●中村天風先生
第一章 一九会
●肋膜を病む
●一九会を知る
●坐禅修行
●不眠不休の坐禅修行
●みそぎの行法
●禅病になる
●肋膜が完治
●当時の一九会
●土蔵をけ破る
●効果はできめん?
●電車での稽古―リラックスの会得
第二章 植芝盛平―合氣との出会い
●真の日本武道を求めて
●合氣道に入門
●当時の一日
●リラックスこそ基本
●リラックスと氣
●植芝先生のリラックス会得の秘密
●大本教の影響
●植芝先生の宗教的な思い込み
●氣の天才・植芝盛平
●氣を前に向けていたら、後ろもわかるよ
●やくざのトラブルをおさめる
●植芝先生の茶目っ氣
●翻訳できない言葉
●わしも共産党員だよ
第三章 戦争体験
●敵襲のなかで
●修行の意味
●天地の理にしたがうこと
●剣術と氣
●銃剣術と氣
●戻る剣の原理
第四章 中村天風
●天風先生との出会い
●合氣道での変化
●天風先生の生涯
●失意のどん底の旅
●実夫と天風先生
●栃木での講演会
●わしのところへこい
●鶏を止める
●鶏は止めやすい?
●杖を持つ
●先生は間違っています
●三つの試験
●天風先生の魅力
●天風先生の死
●潜在意識を変える
●煙草をやめる
●願望の実現
●喜びを分け与える
●不景氣を転換する
第五章 海外時代の合氣道との別離
●合氣道・アメリカへ
●合氣道の力を知らしめる
●植芝先生を招く
●二人の師
●無邪氣な心
●合氣道への憂慮
●戦後の合氣道のエピソード
●合氣会を離脱
第六章 氣の研究会
●心身統一の四大原則
●臍下の一点に心をしずめ統一する
●全身の力を完全に抜く
●身体の総ての部分の重みをその最下部におく
●氣を出す
●氣の呼吸法
●失われた心
●天風先生の不遇時代
●合氣道と男女平等
●武家道の心
●パイロットと氣の修業
著者略歴
プロローグ
●三人の師
・『私には三人の師がいた。一人は、山岡鉄舟のことを教えてくださった小倉鉄樹先生。もう一人は、合氣道を教えてくださった植芝盛平先生。そして最後に、心と身体の関係を教えてくださった中村天風先生である。
本書では、この三人の師のうち、植芝先生と中村先生について、実際に私が体験したことを中心に書き記してある。
今日、合氣道の開祖として知られる植芝先生は、「リラックスする」ということを身体で実行された人だった。私は、それだけで先生は十分に後世に残るだけの価値と意義があると思っている。
ところが一般に流布されているのは、五百メートルもの距離を一瞬にして駆けただとか、大木を引き抜いたとか、壁を生身で突き抜けたとか、そうしたいいかげんな武勇伝ばかりだ。
私が知る限りでは、こうした話はほとんどでたらめである。
困るのは、こうしたでたらめが幅をきかし、虚偽の人物像ばかりが一人歩きすることによって、植芝先生が実際にやられた偉大な功績まで、すべて嘘だということになりかねないことだ。
にもかかわらずそうした噂が尽きないのは、先生を利用し、我が身を大きく見せようという者たちの思惑があるからなのだろう。
亡くなった先生の功績にあれこれとつけ加える(こういうのを蛇足をつけると言う)のは、先生にとってもマイナスにしかならない。蛇足などつけなくても、植芝先生はそれだけで十分に尊敬すべき人だったのだから。
植芝先生はリラックスするということを体得している人だった。口頭での説明は受けなかったし、手取り足取り教えてもらったわけでもないが、先生の技を見ることによって、私がそれを会得できたことは何よりの証拠である。
私が今日指導しているリラックスは、植芝先生に習ったことが根となっている。植芝先生がいなければ、私は今でも、あいかわらず力を入れ、力んだ技しか使えなかったかもしれない。
植芝先生は、リラックスするのが正しいのだということを実践している人だった。そういう先生に出会えたことは、私にとって何よりの喜びでもある。』
●中村天風先生
・『中村天風先生にしても同様だ。天風先生の教えの基本は「心が身体を動かす」という一点のみある。逆に言うと、そこに気づけば十分なのだ。ただし、これは言葉から受けるイメージほど簡単なことではない。実践すればするほど、深い意味が込められていることがわかってくる。
そして、このような真理―単純でありながら、それまで誰も口にしていなかった事実―を広く一般に提示してくれただけで、天風先生は十分、後世に残るだけの仕事をやってのけたということになる。』
第一章 一九会
●一九会を知る
・「おれの師匠を語る」という本は、小倉鉄樹先生が自分の師匠である山岡鉄舟について講演したものを、石津寛という有名な方が本にしたもので、簡単に言えば、山岡鉄舟の一代記である。幕末から明治を生き抜いた剣豪・山岡鉄舟の生き方に感銘を受けた。欲もなく、何事にも捨て身でぶつかる姿勢が魅力的だった。なかでも一番感心したのは、自分で納得しなければ承知せず、とことん自分で体験するということだった。
・すでに山岡鉄舟の春風館道場は存在していなかった。しかしながら、本の最後に、中野にある小倉先生の一九会道場が記されていた。
●不眠不休の坐禅修行
・最初の半年間はひたすら坐禅をやった。
・不眠不休、昼夜を徹して三日間、坐禅をする。夜六時から坐り始めて七時から八時までは老師の講和を聞く。そのあとは、ひたすら坐禅を組んで過ごす。やがて半年もすると肋膜から弱った体は対応できるようになっていた。
●みそぎの行法
・一九会のみそぎの行法は、毎週木曜の夜、六時から三日間に渡って行われる。初学者は財布、靴などの持ち物を預ける。これは夜中に逃亡を防ぐためである。それでも、トイレの草履をはいて逃げた者もいる。
・小倉先生の神前での宣言は、「この修行は、生死脱得の修行なれば、喪身失命を避けず、一声一声、正に吐血の思いをなして喝破すべし。徒に左顧右眄、嬌声を弄して、他の清洲の修行をさまたぐる勿かれ」
・みそぎ行の開始、長が鈴を大きく振り下ろすと、神楽がこれに合わせる。そして全員が一声に「と、ほ、か、み、え、た、め」と唱える。時間は1時間から1時間半、弱ってきた者は背中をぴしーっと叩かれる。朝5時半頃から始まって、朝食後の午前中に3回、午後3回、夜1回、一日8回繰り返す。すさまじい修行である。
●禅病になる
・二回目からは初学ではなく集いの方に入る。この集いでの修行は初学より厳しい。
●肋膜が完治
・『退院してからは、西洋医学の治療はいっさい受けていなかった。治療といえば湿布だけで、それ以外何もやらない。慶応に復学したときはほとんど半病人の状態だった。やっとのことで学校に通える。そんな感じだったのだ。
ところが修行が始まって、命懸けになって、もうどうでもいいやと決めたら、逆に身体がよくなってしまった。肋膜炎は消え、心臓もたくましいと言われる。それからは体力に自信を持つことができるようになった。
当時はまだ理解できなかったが、今から思うと、私の病氣を治してくれたのはまさしく天気の氣にほかならなかった。医師は不思議だと首をひねるだけだったが、私にしてみれば、自分が死ぬ覚悟をして捨て身でやれば、必ずなんとかなるのだという自信を持つことにつながった。そう、山岡鉄舟が言うところの「捨て身の修行」を、みそぎの行によって会得したのである。
これは氣にだけでなく、何事にも共通することだが、どんなことであれ、とにかく自分で体得しなければ決して物にならない。頭でっかちになって、いくら理屈を並べてみたところで、それは何の役にも立ちはしないのだ。
体ごとぶつかって、会得する―そして初めて自分のものになる。食べ物や飲み物にしても、自分の舌で実際に味わってみなければ、味はおろか冷たいのか熱いのかさえわからないだろう。それは坐禅では「冷暖自知」と言う。』
●電車での稽古―リラックスの会得
・最初にリラックスを意識したのは、一九会でのことだった。みそぎ修行で疲れ果て、そのまま合氣道の道場に行けば、身体も思うようには動かない。ところが不思議なもので、その状態の方が、なぜか相手の技にかからなくなる。これは簡単な理屈で、それまで力を入れて相手の技に逆らっていたのが、疲れて力が入らない。つまり、力が抜けた状態の方が強いということである。力を抜くこととはリラックスに他ならない。
第二章 植芝盛平―合氣との出会い
●合氣道に入門
・『「そうか、あなた、毛利松平さんの紹介か。じゃあ、一ぺん見せてやろう」
先生[植芝盛平先生]はそういうと、道場へきなさいと私を誘った。そこでお弟子さんを相手にして、演武を見せてくださったのだ。
ところが当時の私には、お弟子さんがひょこひょこと軽く投げられているのを見ると、どうしても八百長にしか思えなかった。おかしいなとわざとらしく首をひねっていると、氣配を察せられたのか、あんたもきなさいと言われた。
「いえ、でも、道衣を持っていませんから」
「いや、上着を脱いでそのままでいい」
相手は小柄な老人だ。仕方がない、柔道の技でつかまえて、すぐに投げてしまおうと思った。ところが、先生につかまれた瞬間、わけもわからないうちに私は簡単に投げられてしまったのだ。
当時、柔道二段だった私は、それなりに自信もあった。ところが、すーっとあまりにも簡単に寝かせられてしまう。体をさわられた感触さえないのである。
もし、どこかをさわられたりつかまれたりしたのなら、次からそこを警戒するという防御策もあるのだが、いくら考えてもわけがわからない。倒されたまま少し考えていると、どうしたと言われた。
「いや、どうもしません。失礼しました」
起き上がると、その場で私は植芝先生に入門を願い出たのである。』
●リラックスこそ基本
・植芝先生の技で肝心なことは、現代でいうリラックスだったが、先生は「リラックスしなさい」とは教えず、稽古では力を入れて、しっかり持てと逆のことを教えていた。にもかかわらず、リラックスの重要性に気づいたのは、みそぎの修行をやっていたことが大きい。三日間朝から晩まで厳しい修行をしていて、力んでいてはとても体力がもたない。力を抜くことで苦しい修行を続けることができる。これはみそぎの修行で疲労して体だからこそ、自然体を身につけたということである。まさに怪我の功名である。
●リラックスと氣
・合氣道で学んだリラックスは柔道では通じなかった。そこで気づいたことは、力を抜いて、なおかつ氣を出すことである。これは、力を抜き、重みを下に置いて自然体であることである。
・リラックスするということは、人間の総合力を引き出すことである。
第四章 中村天風
●合氣道での変化
・『当時の道場の稽古は、くるりと回って相手がぽんと受け取る。つまり、こう行くから、相手はこう受ける、という反復練習が中心だった。
これも実際に自分でやってみると、相手はそう簡単には転がってくれない。逆の場合、何もしていないのに、受け身をとっている。受けるほうも転がるものだと思っているからだ。
こうなると、合氣道は本物ではないのではないかということになる。もちろん、ある程度まで効く技もあるが、誰もが氣の力で投げているわけではないという現実もある。
心が身体を動かすということに気づいてから、私はもう一度植芝先生の動きをじっくりと観察してみた。すると先生は、必ず最初に心を動かしてから身体を動かしているということに気づいた。
それまでは、植芝先生がやると効くのに、私がやるとまったく効かない技がたくさんあった。このため疑心暗鬼にかられ、自分でやっていることが本当にすごいものなのかどうかさえわからなくなってくる。
しかし「心が身体を動かす」と聞いた瞬間、あっと思った。私はそんなに大切なことを忘れていたのか、と気がついたのだ。
植芝先生は相手の氣を導き、さらに身体を導いていた。その結果、技も効くということになる。それを称して「氣を合わせる」と言ったのだ。その場合、こちらも完全に力を抜いていなければ、相手の氣持ちもわからない。
完全にリラックスしなくてはいけないというのは、相手の氣を導き、動きに変えるための準備なのだ。
そのためには相手の氣を尊ばなければならない。氣を間違った方向には導けないのだから、だまして導くわけにもいかない。
逆にいえば、正しければ、いつでもできるはずということになる。天地の理に合わせれば、必ずできるはずだし、できないときは、どこか天地の理が間違っているということに気がつかなければいけない。そこに気づいてからというものの、先生の教えが全部わかってきた。』
第五章 海外時代の合氣道との別離
●二人の師
・『何度も書くようだが、植芝先生は、リラックスしろなどとは一言も言わなかった。ましてや私の言う心身統一の四大原則(後述)のようなことはまったく見向きもしない。だから私は私なりのやり方で氣について説明し、合氣道の指導を行っていた。ところが植芝先生は、ハワイへいらっしゃったとき、私が指導したハワイの弟子たちがみんなリラックスできる状態になっていることを見て驚かれた。
「私が苦心して覚えたことを、藤平のやつがみんな教えて歩く」そう言って怒ったというのである。』
●合氣道への憂慮
・『今の合氣道では、理にかなっていない技を教えることが多い。それは氣というものを軽視しているからだ。単なる肉体運動としてだけの浅薄なスポーツとしての意味しか持たなくなっている。
腕を取ること一つをとってみても、氣の流れを意識していない。氣ではなく力や関節を逆に取った痛みのみで相手をねじ伏せたのでは、合氣道ではなくなってしまう。それはつまり、力の強い相手には合氣道の技が効かないということさえ意味する。効かないから、説明などできないし、教えることもできなくなる。
たとえば相手が私の腕を取りにきたなら、少なくとも相手の手にはある一定の方向に氣が流れている。それに対して押し返したのでは、氣の流れがぶつかり合うことにしかならない。だが、相手の氣の流れに合わせた方向へそのまま私の氣を流せば、相手はそのままひっくり返ってしまうのである。
つまり、よく「小手返し」と言われるように、手首を返すとかいう自体がおかしいのだ。無理に相手の小手を返そうとするから、強い相手には効かないのだ。そんなことをする暇があったなら、まず相手の氣を導き、その方向を変える稽古をすればいいのである。そうすれば力はいらないし、相手が力めば力むほど技の効果も倍増する。』
●合氣会を離脱
・植芝先生は1969年4月に他界され二代目道主は合氣道とは「人の氣に合わせるの道」と解釈されていた。一方、藤平先生は「心身統一して天地と一体になる。すなわち天地の氣に合する道」と説いていた。異なった二つの理念が共存することはできず、1974年に藤平先生は退会され、氣のみを研究する「氣の研究会」を法人化し、「心身統一合氣道会」を設立した。
第六章 氣の研究会
●心身統一の四大原則
・気の研究会では、心身統一の四大原則というものがすべての基本になっている。これらを同時にやるのではなく、どれでも良いので一つをやる。
一、臍下の一点に心をしずめ統一する
二、全身の力を完全に抜く
三、身体の総ての部分の重みをその最下部におく
四、氣を出す
・心身統一の四大原則とは、氣の研究会誕生によって新たに創設したものではなく、生涯を通じた合氣道の解釈そのものである。
●臍下の一点に心をしずめ統一する
・臍下の一点とは、臍の下10cmほどの位置なる。ここを天地の中心と考える。
●全身の力を完全に抜く
・リラックスは「力が抜けた」状態ではなく、「力を抜いた」状態である。これは全身のどこにも無駄な力が入っていない状態である。無駄な力がはいっていないからこそ、予期せぬ動きにも瞬時に対応でき、力を一点に集中することもできる。
・全身の力を完全に抜くということの大切さは、より困難な状況に陥った場合ほど発揮できる。
●身体の総ての部分の重みをその最下部におく
・地球には重力があるので、物体の重みは最下部にある。同様に人間も最下部になければならない。これを「落ち着き」という。「重みは下」と考えることである。
●氣を出す
・『世の中では、氣を出すためにありとあらゆる講座が開かれているそうである。しかし私に言わせれば、まったくご苦労なことと言うしかない。なぜなら氣を出すためには何も特別なトレーニングなど必要とせず、ただ「氣が出ている」と考えればいいからである。
心が身体を動かすということは、ここでもまさしく生きている。心で氣が出ていると思えば、すなわち氣がほとばしり出る。ただ、それが目には見えないために、気がつかないだけのことなのだ。』
・『人生をたくましく生き抜いていくためには、常に氣を出していなければならない。よく「氣が強い」「氣が弱い」などというが、氣に強いも弱いもあるはずがない。とすれば、その出し方が強いか弱いか、それだけしかない。つまり、すべては本人の心の強さにかかっているのだ。』
●氣の呼吸法
・四大原則を体現して氣を出す方法。1回10分1日30分を目標に行う。
①仙骨を起こすように意識しながら正座、もしくは椅子に坐る。肩の力を抜いて全身をリラックスさせ、臍下の一点に心をしずめる。手は静かに膝に置く。そしてまず、「はー」とゆっくり小さく息を口から吐けるだけ吐く。吐ききったと思っても、さらに足の先の息まで吐き出すつもりになって、軽く上体を前に倒して最後の息を吐き出す。あくまで、自然に静かに吐き出す。(全部吐くのに10~20秒かける)
②体中の息を吐ききったら、2、3秒待ってから鼻から息を吸う。今度は足の先から順番に腰、腹、胸と空氣をためていくようにする。やがて上体と頭を起こして頭の先まで空氣でいっぱいになるように息を吸う。(吸うのに10~20秒かける)
③そのまま2、3秒息をとめてから再び息を吐く。
ご参考:合気道の普及
感想
植芝盛平先生は合気道において、「リラックス」の重要性を伝えられました。「リラックスとは、力を抜き、重みを下に置いて自然体であること。また、人間の総合力を引き出すものである」とされています。
『植芝先生は相手の氣を導き、さらに身体を導いていた。その結果、技も効くということになる。それを称して「氣を合わせる」と言ったのだ。
その場合、こちらも完全に力を抜いていなければ、相手の氣持ちもわからない。完全にリラックスしなくてはいけないというのは、相手の氣を導き、動きに変えるための準備なのだ。』ということが極意なのかもしれません。
一方、中村天風先生は「心が身体を動かす」ということを最も大切にされていました。
そして、著者である藤平光一先生は「氣」を重視し、心身統一合氣会を設立され現在にいたっています。そこでは、以下の心身統一の四大原則というものがすべての基本になっており、このための「氣の呼吸法」の実践を勧めています。
一、臍下の一点に心をしずめ統一する
二、全身の力を完全に抜く
三、身体の総ての部分の重みをその最下部におく
四、氣を出す
“氣とは何だろう”というブログはまだまだ続きますが、最終的には「実際に試す」ということを考えていますので、藤平先生の「氣の呼吸法」もその一つとさせて頂きたいと思います。



