『本を読めなくなった人たち』というタイトルに興味を持ちました。私自身は“Facebook”は「いいね」をクリックするだけの幽霊会員、LINEはなるべく「友達登録」を避けている人、“X”を見ることは稀、“InstagramとTikTokとは無縁です。もし、これらのSNSにどっぷりハマった生活をしていたならば、「いくら時間があっても足りないだろうな」と思います。また、これらのSNSとは対極的な存在が本ではないかと思います。そして、SNS中心の生活をおくっていたら本を読む気になることはないだろうなと思います。
以前、「英国のエリート教育」というブログと「国語力」というブログをアップしています。前者は文章作成の重要性を伝えています。後者は読書の重要性を伝えており、“頭がいい人”とは以下の3つが大切だと書かれていました。
もちろん、SNSのような膨大な情報量の世界において、必要なスキルは存在し、そのスキルを習熟することが重要なのだろうとは思うのですが、しかしながら、この情報の洪水は深刻な問題に発展する可能性があるように思います。
目次
プロローグ
第1章 ニュースを無料で読む人たち ―無料ウェブメディアの行き詰まり
第2章 本を読まない人たち ―<わかりみ>と<おもしろみ>
第3章 本と出合えない人たち ―無料抜粋記事と電子書籍の限界
第4章 本屋に行かない人たち ―聖域としての書店
終章 紙の本に集う人たち ―読書と消費者
あとがき
第1章 ニュースを無料で読む人たち
●ニュースは取りに行かない、振ってくるから
・『とうに言い尽くされたことだが、現在の若者は、その親世代(40~50代)の若い頃に比べれば、ずっと多くのテキストを読んでいる。毎分毎秒、スマホで浴びるようにネットニュースやメッセンジャーやSNSに投稿された文章を目で追っているからだ。
彼らがもっとも頻繁に触れる種類のテキストは、やはりニュースである。調査で普段から触れているテキストを問うて「本」を挙げなかった学生は半数ほどいたが、「ニュース」を挙げなかった学生はほとんどいなかったからだ。
ただし、当然ながらニュースは紙の新聞で読むわけではない。一人暮らしの大学生が新聞を取っているケースは極めて稀であり、実家住まいであっても親が新聞を取っていない家庭が非常に多いからだ。
では、何で読むか。ほとんどの学生が挙げてきたニュースソースが、LINEもしくはX、あるいはその両方である。スマホのLINEアプリにニュースの通知が届くLINE NEWSとXのトレンド、あるいはXのタイムライン上のポスト(投稿)からリンクを踏んだ先のニュースサイトだ。
また、どちらかといえば普段から本に触れていない学生を中心としてよく挙がってきたのが、グーグルディスカバー(Google Discover)だ。スマホのグーグルアプリやブラウザのグーグルクローム(Google Chrome)を立ち上げた際、検索窓の下部に表示される情報フィードのことで、さまざまな記事にサムネイル画像付きでリンクが張られている。
ただし、グーグルディスカバーは、そのスマホを使っているユーザーの検索履歴やウェブ閲覧履歴などに紐づいた、つまり「スマホのオーナーが興味を持っていそうな最近のネット記事」を、グーグルディスカバーを挙げてきた。少なくとも彼らの認識では、グーグルディスカバーはニュースの並びにある。
お気づきだろうか。ここには今日のニュースを満遍なく一望するという能動的なアクションが存在しない。紙の新聞で言うところの「さあて、世界情勢は」と紙面をばさっと開くプロセスがない。
「ニュースはXのタイムラインに流れているポストでしか読みません。相当興味がない限り、リンクまではタップしないですね。ポストの文面だけさっと読んで終わり」(A夫さん・私大2年)
「LINE NEWSの通知が来るので、気になるニュースだったらタップして読みます。自分からLINE NEWSのポータルには行かない」(B夫さん・16歳)
「ヤフーニュースはXなどから飛んで読みますが、ヤフーのトップ画面には行きません。行こうと思ったことがない。同居している親が使っているパソコンはブラウザの初期画面がヤフーなので、パソコンを借りたときに見たことはありますが」C夫さん・私大2年生)
「スマホにニュースアプリをインストールしてニュースを読む、という発想がない」(D夫さん・私大2年)
「新聞社のサイト?行ったことないですね」(A子さん・国立大2年)
グーグルディスカバーに至っては、個別にリコメンドされる記事が勝手に表示されているので、ユーザー側からニュースを取りに行くという能動的な意思が介在しない。つまり彼らの多くは、ニュースを受動的にしか読んでいない。自分に「めがけて」降ってきたニュースの中からしか、読むものを選ばない。
ジャーナリストの津田大介は2024年に行なわれた朝日新聞のインタビューで、インターネットの30年を振り返り、「この10年の大きな変化は、人々が検索しなくなったこと」「フィルターバブルがより進んで、基本的にサービス側が出してくるレコメンドをそのまま見るようになってしまった」と指摘している。フィルターバブルとは、ネットから受け取る情報が「もともと自分が持っている価値観や意見に近いもの」に染まってしまうことで、自分と異なる価値観や意見、自分にはない趣味嗜好が見えなくなる現象のことだ。
国内の新聞社や放送局に記事を配信する共同通信社でデジタル事業部担当部長が務める斉藤友彦は、2025年の著者「新聞記者がネット記事をバズらせるために考えたこと」(集英社新書)で、「デジタルの読者は情報収集について、より「受動的」だと感じる。ニュースを探しに行くというより、プラットフォームなどから提示された記事に「不意に出会う」感覚と言えるかもしれない」と述べた。
この徹底した受動性は、若者たちのインターネット流儀そのものだ。
YouTubeショートであれ、インスタグラムやTikTokであれ、そこに投稿されている動画を彼らが「狙って」見に行くことは少ない。今までの視聴履歴に基づき次々と勝手におすすめしてくれる動画を、高速でスワイプして選別し、見たいものがあれば見る。自分に「めがけて」降ってくるおすすめを、受動的に消化し続けることで時間を溶かす。
世の中の出来事をテキスト情報では一切取らない、という学生も若干だがいた。彼らのニュースソースは「親が実家のリビングでつけっぱなしにしているテレビの情報バラエティ番組やニュース番組」「TikTokで流れてくる動画ニュース」だった。いずれも、非常に受動的なメディア視聴態度だ。
情報は点で取る。面では取らない。情報は受動的に取る。能動的には取らない。これは、体系的な知を能動的に解釈しようとするタイプの読者に求められる態度とは、非常に相性が悪いと言える。』
●誰が書いているかなんて考えたこともない
・『新聞は題字(ブランド)で売っている、雑誌は表紙(特集)もしくはスクープで売っている、無料ウェブメディアは記事のタイトルで売っている。書き手が誰であるかは売りにならない。』
●フォロワー数が多いアカウントは信じられる
・「誰が書いているかなんて、考えたこともない」という発想は、情報元を気にする習慣はない、ということであるが。ただし「習慣がない」だけであって「どうでもいい」ということではない。彼らの多くは「フォロワーが多いこと」を情報の信頼性の判断材料にしている。「フォロワーの多さ」は「大手メディアのアカウント」と同等の信頼感を置いている。
●AIをPVに削られ、AIで記事を作る
・編集部ではコストパフォーマンスが高い記事の企画しか通らない。手の込んだ調査記事やルポはウェブではますます難しくなった。コストのかかるコンテンツ、とりわけ報道を無料で幅広く届けることは、現状のインターネットでは限りなく困難になった。
・拍車をかけたのがAIによる要約機能(GoogleのAI Overviewsなど)である。ユーザー検索によって、複数のウェブサイトから情報を集約して簡潔に表示するため、それで満足して個々のウェブサイトに訪れる機会が減っている。
・コスト削減は生成AIでさらに進んだ。「インタビュー記事を作る場合、ライターにお願いせず、編集者が相手の話を聞く。その音源をAIで文字起こしを行い、同じくAIに規程文字数の原稿を作らせ、最後に人の手を整えて完成。あるいは、既に公開した複数のインタビュー記事を1本の記事としてAIにまとめてもらい、新たな記事として公開するようなこともできる。
●「いい記事」はネットに出てこない?
・記事単位の広告依存、PV至上主義から脱するには、日経電子版のような定期購読、つまり媒体単位でサブスクユーザを大量に確保する方法が望ましい。
●「秒」で理解できることしか関心を払われない
・インターネットでは、脊髄反射的に「秒」で理解できることしか関心は払われない。時間をかけなければ理解できない、今までに見聞きしたことのない論点や持論をつらつらと書き連ねたところで、誰も読まず拡散されない。
・今やアテンション志向はエンゲージメント志向に取って代わった。そのエンゲージメント志向最大の罪は、あまたのメディアや書き手が「お客のご機嫌」を気にするあまり、行われるべき提議や掘り下げるべき議論をおざなりにしてしまう、という状況を加速させたことにある。
第2章 本を読まない人たち
●読書は「ながら」ができないからコスパが悪い
・スマホやSNSの閲覧とは異なり、本は向き合わないと内容が頭に入ってこない。つまり、読書は「ながら読みができない」
【調査リリース】「情報源としてのメディア」に関するZ世代の意識調査/就職・転職の情報源として「Webメディア」一強、「テレビ」「新聞」の影響力はほぼ皆無
●長い文章を読めない
・『情報にしろ読み物にしろ、ネット上の多くの一般的なテキストは、その多くが数百字から3000~4000字の間に収まる。もっと長いインタビューやコラムや論考、ビジネス記事などもあるが、ウェブメディアの編集者からは嫌われやすい。長い文章がとにかく読まれないからだ。
Xのポストに至っては無料プランで全角140字。連投を駆使したとしても、総文字数が1000字を超えるポストはそれほど多くない。あまりに連投しすぎると最後のほうのポストが読まれないことは、Xを仕事上の告知手段に活用しているビジネスパーソンほど心得ている。
対して、一般的な本は、薄めの新書でも7万~8万字、そこそこの厚みの単行本なら十数万字。筆者の個人的な認識では、「10万字分書くことがあるかどうか」が、本として成立するかどうかの判断基準だ。
10万字。ネットの短文に慣れた者にとっては長い。吐き気を催すほどに長い。本という形式を取るかどうかは別として、長文を読むという行為に苦手意識を感じている大学生は多く、それが彼らを読書という行為から遠ざからせている。』
●村上春樹を10ページも読めない
・デジタル環境下では、熟読することなく、また深い思考もなく「いいね」や「リポスト」を瞬時にタップしたり、反射的・感覚的・瞬間的に短いメッセージを送り合ったりといったコミュニケーション機会が増大する。すると頭がそのようなモードに固定されてしまい、集中して深く思考しなければ理解できない長文が読めなくなる。
『米国成人の読解力(リテラシー)不足は、年間2兆2000億ドル(約230兆円)の経済損失につながっている可能性があるとした調査結果が、調査会社ギャラップにより発表された。米教育省によると、16~74歳の米成人1億3000万人のうち、読解力が小学校6年生以下のレベルにある人は54%とされる。これは、複数の意味で衝撃的な数字だ。読解力は、個人の収入や雇用水準、健康状態、全体的な経済成長などと相関関係にあり、経済面での影響は計り知れない。』
●3行の文章題が理解できない
・『小学校高学年から中学生を30年近く教えている塾講師のBさん。彼は「普通より少しできない子を、普通より少しできる子にするよう指導する」塾を経営する傍ら、準公務員として小学校でも教鞭をとっている。その彼に、この30年で生徒たちの学力面の何が変化したかを聞くと、「読解力の低下」と即答した。
「たとえば小学生向けの算数の文章題。3行くらいの文章です。それすら、何を問われているかわからない子が増えました。最後の行した読んでいないんです」
最後の行あるいは最後の一文は、往々にして付帯条件―「ただし、○○は△△であるものとします」など―を記述している。それゆえ問題の意図そのものがわからないのだ。
文字を読むことできても文章を理解できない状態を機能性非識字と呼ぶが、まさにそれ。なぜこんなことになっているのか。Bさんによれば、すぐ結論を知りたがるからだ。
「最近の子供同士の会話を聞いていると、まだ話している途中の子にやたら「で? で?」って促すんです。小学校高学年になってくると、芸人みたいに「オチは?」と急かしたりする子も多い。オチや結論がないと露骨につまらないという顔をする。普段の会話からして途中の話を聞いていないんですよ。最後の結論が興味深かったかどうか、オチが面白かったかどうかで、こいつは面白い、お前の話はつまらないと決めつける。問題文を頭から終わりまできちんと読まない傾向と、どこかでつながっている気がします。」
多くの子供たちがスマホやタブレットでYouTubeの動画を観るが、おとなしく頭から終わりまで等倍速で観る子は少ない。指でスライダーをグイッと動かし、サムネイルを確認しながら目当てのシーン、目当ての「オチ」まで自分で進める。途中のプロセスを黙って眺めているのが我慢できないのだ。Bさんは言う。』
●読めないなら生成AIに要約してもらえばいい
・長めの文章はスマホで写真を撮って、ChatGPTに画像を投げれば要約して返してくれる。
・紙に印刷された大量の文章をスキャン・PDF化して生成AIに投げ、それを規程文字数・小見出し付きで整理・再構成して出力することもできる。
・生成AI(Claude)が作った要約文は客観性が高く、当たり前だが、個人的な感想や解釈がない。これだけクオリティが高いと本を最初から最後まで読む価値はないのではないか。
・グーグル社が2023年からウェブやアプリで無料提供している「NotebookLM」というAIリサーチアシスタントがある。これはソースとなるPDF、テキスト、ウェブサイトのURL、スライド、動画などをアップロードすると、その内容を要約・翻訳してくれる。理解できなかった箇所やより詳しく知りたいことをテキストで質問するとAIが回答を返してくれる。日本語の提供は2024年に開始されたが、同サービスを効率的な読書に利用するビジネスパーソンは増え始めている。
2024年9月には「音声解説」機能である。これはアップロードしたソースの概要をまるで既成のラジオ番組かポッドキャストのような会話形式の音声として生成してくれる。このようなAIの進歩により、現代人は長い文章を読む必要性は減っている。
●実利性が高い本は読む
・読書習慣のある大学生が読む本のジャンルは小説が多く、約8割とも言われている。
・「珍しく読んだ」本の傾向は、大きくふたつに分かれるが、一つは「実利的な目的を達成してくれる本」、学んでいる専門分野に関係する本、自分の社会的価値を上げてくれる本、自己啓発的な意味で自分の成長を促す本などである。
●フィルターバブルは“賢さ”の敵
・塾講師Bさんは利便性を認めつつも、興味のあるものしか読まないという習慣は賢さの獲得につながらない。
●読書エリートは受動性と無縁
・調査した大学生の中に地頭が良く、多くの本を読んでいる「読書エリート」と呼びたくなる学生も数名いた。彼らが読んでいた本は、古典文学、国内外の純文学、詩集、哲学・人文系書籍、社会学系の書物も研究にためではなく、自分の知的好奇心から読んでいた。なかには、紙の雑誌を定期購読している者もいた。
●マスメディアは「冗長」
・マスメディア(新聞・雑誌・書籍・テレビなど)で発信される情報
・ソーシャルメディア(各種SNSやYouTubeなど)で発信される情報
第3章 本と出合えない人たち
●活字の本を読む大学生は電子を好まない
・世の中の「紙の本好き」の多くは「紙の手触りと質量が好きだから」という理由である。また、独立的、排他的、自律的に知と向き合えるという本の機能性や合理性を評価する人もいる。
感想
ほぼ想像していた通りでした。また、この問題はSNSが普及しているすべての国の課題であることも予想通りでした。確か、オーストラリアやスペインで子どもを対象にしたSNSに関する規制が進んでいる、というニュースがあったなと思い調べてみました。ただし、現在の規制の多くは「保護・安全」「プライバシー」などを軸にした規制でした。
「学びのあり方(教育理念・学習権)」そのものを中心コンセプトにしてSNSを規制している法律はほとんどないということが分かりました。また、読書不足、文章作成不足に対して、どのような対策があるのかと思い、こちらも調べてみました。
なるほどと思ったのは以下の2つです。
1.「国語の追加負担」にするのではなく、社会・理科・総合など各教科で「読んで・書く」活動を組み込む教科横断型にする。
2.テスト用の知識インプットではなく、思考力や表現力を評価対象に含めることで、「やる意味」を成績や入試とも接続する。
また、『千葉県の「近代の歌人がSNSを使ってみた」「根拠の適切さを考えて意見文を書こう」のように、SNS的なフォーマットも教材化しつつ、論理性や根拠を重視する』と書かれていたのですが、以下がそのサイトです。
「思考し、表現する力」を高める実践モデルプログラムの活用事例として50を超える事例がアップされていました。そして、この千葉県の取り組みが全国に展開されると良いなと思いました。







