今回の本は、前回のブログでご紹介した山本七平先生の『「空気」の研究』という本と同じ時期に購入していました。
「何故、9回の出撃命令にも関わらず、命を落とすことがなかったのだろうか? 一体、何が起きていたのだろうか?」 これは是非、知りたいと思いました。読み終えて、思ったことは次の通りです。
1.父親の体験と教え
2.岩本益臣隊長の信念と無念の死
3.空を飛ぶことが子どもの頃からの夢だった
4.下級下士官だったこと(ご本人のお話)
太平洋戦争に関しては、海軍大将であった山本五十六連合艦隊司令長官の戦争回避の進言を無視し、米国との戦力差が拡大する一方の厳しい戦況が続く中、B29による日本本土への空襲は1944年6月16日未明、北九州(目標は八幡製鐵所)が最初でした。そして、日本の特攻隊による攻撃は最初の空襲から約4ヵ月後の1944年10月25日でした。
この狂気とも思える攻撃が米国を震撼させたことは確かだと思います。しかしながら、それは1945年3月10日の東京大空襲につながったように思います。大空襲は日本各地に拡がりそれでも降伏しない日本に対し、ついに原爆が長崎・広島に投下されました。大空襲から終戦までの約半年間に、太平洋戦争における民間人の約74%となる80万人が戦死しました。
大本営内の海軍と陸軍の暗闘、バラバラな上層部、責任感の欠落が戦争の被害を拡大したと思います。
本書の「第2章 戦争のリアル」の部分は、高木俊朗氏の『陸軍特別攻撃隊』からの引用が多くなっています。この中で猿渡篤孝参謀長は佐々木友次伍長の天敵のように非常に厳しい接し方をされています。気になったので猿渡氏について調べてみました。
思うに、佐々木友次伍長と猿渡篤孝参謀長の対立は、戦場において命をかけて勝利のため(戦艦を沈めるため)に何をすべきかを粘り強く追求し続け、そして実行した兵士の佐々木伍長と、絶対服従という組織のルールを守り、疑問点があったとしてもそれを封印して、非道とも思える命令を実行し続けた上官の猿渡参謀長とのイデオロギーの対立だったと思います。
猿渡参謀長としては、命令に忠実に従い体当たりを実践して戦死していった部下達のことを思うと、佐々木伍長の単独行動を許すことはできなかったのだろうと思います。そのように考えると、数々の非道な発言も事実に近いのではないかと思います。ただし、それは猿渡参謀長の非情な人間性というより、大本営の命令を愚直に実行したものだったと思います。
悲惨な結末は戦争の指揮をとった大本営内の海軍と陸軍がバラバラだったことが大きな要因です。戦争を始めた責任、勝てない戦争を続けた責任、74万人の戦死した民間人の命、日本の歴史上最大の悲劇だと思います。
前回の“空気と同調圧力”のブログを参考にすれば、【今さら、やめられない!】という空気(妖怪)に支配され、目先の確執(海軍と陸軍)に囚われ、理性的な判断をすることができなかった大本営の責任は極めて重いと思います。
当初は猿渡参謀長の言動が真実かどうか分からなかったので、あまり取り上げるべきではないと考えていたのですが、上記に書いたように、猿渡参謀長の言動は人間性からではなく、大本営の命令に忠実に従ったものであると考え、参謀長の言動こそが、大本営の不合理さ、非情さ、無計画さ等を知ることができるのではと考え直し、当初の内容に戻しました。
目次
はじめに
第1章 帰ってきた特攻兵
●生き残った特攻隊員
●振武寮という地獄
●第一回の特攻隊
●旅の始まり
●テレビ取材
●佐々木さんに会いたい
●札幌の病院で
第2章 戦争のリアル
●『陸軍特別攻撃隊』から読み解く
●生い立ち
●飛行機乗りへの道程
●岩本益臣隊長
●3本の槍
●艦船を沈める難しさ
●妻・和子との別れ
●万朶隊の結成
●特殊任務
●特攻は努力と技術の否定か
●死への飛行
●巧妙な仕掛け
●父の教え
●神風特別攻撃隊の「成功」
●フィリピンへ
●儀式好きの冨永司令官
●岩本隊長の作戦
●理不尽なマニラ行き
●残された者
●出撃の夜
●レイテ湾の戦い
●突入
●割り増しされる「戦果」
●消された存在
●2回目の出撃
●急襲
●軍神の家
●一機だけで
●5回目の出撃
●6回消された存在
●嘘の戦死報告
●不時着
●「臆病者」
●適材適所とは真逆の作戦
●8回目の出撃
●9回目
●マラリアの苦しみ
●レイテ戦の敗北
●処刑飛行
●無能なリーダー
●アメリカ軍の上陸が迫る中で
●司令官の逃亡
●“軍神”は死なねばならない
●全軍特攻
●敗戦へ
●殺害命令
●帰国の途
●雪の北海道
●戦後を生きる
第3章 2015年のインタビュー
●2015年10月22日
●特攻と聞いて
●死なない強さ
●2回目のインタビュー
●生き残った者として
●3回目のインタビュー
●4回目のインタビュー
●佐々木さんを支えたもの
第4章 特攻の実像
●特攻隊とはなんだったのか
●「神風特別攻撃隊」の欺瞞
●「命令した側」の物語
●集められた遺書
●守られたエリート
●洗脳
●すり替えと責任逃れ
●「熱望する 希望する 希望せず」
●偽善の姿
●未熟で若いパイロット
●特攻の有効性
●嘘で塗り固めて
●本当の命中率
●現実を見る能力
●特攻を続けた本当の理由
●天皇と特攻
●国民の熱狂
●売れるから書く
●精神主義の末路
●リーダーとしての器
●特攻を拒否した美濃部少佐
●非常事態はしょうがない?
●日本人の性質と特攻
●思考の放棄と「集団我」
●特攻前夜の暗い瞳
●現代の「所与性」の形
●当事者ではない人間の怖さ
おわりに
第1章 帰ってきた特攻兵
●生き残った特攻隊員
・最初の特攻隊の海軍であり、1944年10月25日の「神風特別攻撃隊」とされた「敷島隊」だった。陸軍の「万朶隊」の出撃は11月12日だった。共通していたのはいずれも優秀なパイロットが選抜されたということだった。しかし、パイロットにとって特攻は鍛錬してきた技術とプライドを無視するものであり、パイロットは怒りのため苦悩した。
・本書の主人公である佐々木友次伍長「戦艦」一隻を撃沈したという成果を報道され、天皇にまで報告され軍神として褒めたたえられた。にもかかわらず、佐々木伍長は生きていた。体当たりではなく急降下爆撃後、不時着していた。
第2章 戦争のリアル
●岩本益臣隊長
・佐々木伍長に大きな影響を与えたのは、「万朶隊」の岩本益臣隊長であった。岩本隊長は陸軍士官学校を出た28歳。操縦と爆撃の名手であり、戦局打開のための「超飛爆撃(爆弾を海に落として跳ね上がらせ命中させる方法。水面に石を横投げすると、幾段にも跳ねて飛ぶのと同じメカニズム)」の第一人者だった。爆弾は上空から落とすより、艦船の側面を狙った方が命中率は上がり、かつ側面は上甲板より強度が弱いので艦船に大きなダメージを与えることができる。
・岩本大尉はアメリカ軍の戦法であった「超飛爆撃」の研究と演習を続けていた。
画像出展:「茨城県立歴史館」
『陸軍最初の特攻隊「万朶隊」の隊長岩本益臣大尉の関係史料の一つ。朝日新聞の従軍記者から妻和子へ送られた、戦死前日の姿です(昭和19年11月4日撮影)。岩本は跳飛爆撃の名手で、特攻作戦に反対でしたが、皮肉にも最初の特攻隊長に選ばれました。』
画像出展:「万朶隊 陸軍最初の特別攻撃隊」
『「大空は魂の故郷」と言われます。空への憧れから飛行兵を志した少年たちは、戦況の悪化とともに「十死零生」、つまり死を前提とした特攻作戦に投入され、約四千人の若者がフィリピンや沖縄などの海に消えていきました。』
●3本の槍
・3本の槍には起爆管のスイッチがついており、体当たりにより押されると爆発する仕掛けである。
・『竹下少佐は黙ってうなずいた。立川飛行場に勤務する彼もまた、「超飛爆撃」を研究していて、共に沖縄の演習を指導していた。
「爆弾投下器はどうなっていますか?」混乱しながら、岩本大尉は聞いた。
「はずしてしまった。いらない機械はみんなおろした」苦々しい答えが返ってきた。
それはつまり、操縦席からは爆弾を落とせないことを意味した。爆弾を破裂させるには、体当たりしかないということだ。
「こんなもの作れって、どこから言ってきたんです」岩本大尉は怒気をはらんだ口調で聞いた。
「航空本部さ。本部長が7月25日に決裁している。参謀本部(大本営)の二課(作戦課)で考えていた」
「それじゃ、本気で、実戦に使うつもりですか?」
「本気さ。どしどし準備を進めている」竹下少佐は吐き捨てるように言った。
岩本大尉の顔は怒りで険しくなった。「ろくな飛行機も作らんでおいて」
戦況が悪化すると、陸海軍の中から体当たり攻撃を主張する声が聞こえ始めた。しかし、岩本大尉も竹下少佐も、体当たりには反対だった。理由は、体当たりが操縦者の生命と飛行機を犠牲にするだけで、効果があり得ないと考えるからだ。』
●特殊任務
・『岩本隊長を含めた3機の九九双軽は、フィリピンに輸送する資材を受け取るために、いったん、立川飛行場に立ち寄った。
佐々木ら下士官は、練習用の飛行機3機に分乗し、先に、岐阜県の各務ヶ原飛行場へ飛んだ。そこで、自分の飛行機を受け取るためだ。若い下士官達は、初めて自分の搭乗する飛行機を貰えるということに興奮していた。しかし、各務ヶ原飛行場には、それらしき飛行機は見当たらなかった。
やがて、教えられて行った場所は、飛行場の北隅の繫留地帯だった。目につかないその場所に、20機近くの九九双軽が並んでいた。勇んで走り寄る下士官が見たのは、飛行機の先端から3本のツノが突き出た九九双軽だった。
「なんだ、このツノは?」
自分が乗る飛行機を前にして、「万朶隊」の下士官達は、お互いに顔を見合わせた。
やがて、立川飛行場から岩本隊長達が到着し、全員を前に緊張した顔で訓示した。
「我々は、フィリピンの激戦場に行くのであるから、生還を期さない覚悟であるのは言うまでもない。特に言っておきたいのは、我々は特殊任務につくということである。これについては、改めて教えるが、なお一層、必死必殺の決心を固めてもらいたい」
佐々木ら下士官は、初めて自分達の出撃が「特殊任務」だということを教えられた。
そして、それは、九九双軽の風防ガラスから突き出している3本のツノと関係があると気がついた。
「特殊任務とは、なんだろう?」鵜沢軍曹が不安そうな声をだした。
「体当たりだよ」田中逸夫曹長が小声で教えた。鵜沢軍曹は、急に黙り込んだ。顔色が変わっていた。川島孝中尉が、硬い表情で言った。
「あのツノは信管だな。あれがぶつかると、機体の中で爆弾が破裂するんだ」
若い下士官達は、思わず顔を見合わせた。あきらかに動揺した表情だった。
九九双軽は機首に旋回銃座がついている。だが、目の前にある九九双軽は、機関銃自体が取り払われ、死のツノが飛び出ていた。後部にあるはずの二つの旋回銃もなかった。
佐々木友次は、動けないまま、3本のツノをじっと見つめていた。』
●父の教え
・佐々木伍長に父は日露戦争の時、旅順の203高地を攻撃する決死隊の白襷隊の一員だった。夜間、白い襷を肩からかけて、高地の斜面を登り、敵陣地を強襲しようという部隊だった。白い襷は夜の闇の中でかえって目標になってしまったため、白襷隊は全滅に近い悲劇となった。
この激戦の中で父の佐々木藤吉は生き残った。その時に一つの信念が生まれた。それは「人間は、容易なことでは死ぬものでない」ということだった。この藤吉の信念は子供達の心に染み通り、人生の希望となった。その父の信念が佐々木友次の心に浮かび上がった。「俺は死ぬはずがない」
画像出展:「白襷隊 - 日露戦争・旅順攻囲戦の決死隊」
『白襷隊は、日露戦争の旅順攻囲戦で、志願兵からなる決死隊として夜間ロシア軍要塞に銃剣による奇襲攻撃を仕掛け、失敗。
ほぼ壊滅してしまった部隊です。』




