ボランティアについて

ボランティア活動に興味があり、『ボランティアってなんだっけ?』という本を買ってみました。70ページに満たない本で、親しみやすい題名だったため軽く考えていたのですが、その内容はとても深く、色々なことを考えさせられました。

地震や水害などの被災地への災害ボランティアは、人手不足を補うものとして確実に現地の助けになるものと思いますが、ボランティア活動を広く見渡すと、様々な課題があることが分かりました。

ボランティアってなんだっけ?
ボランティアってなんだっけ?

著者:猪瀬浩平

発行:2020年5月

出版:岩波書店

ボランティアにまつわる悩み
ボランティアにまつわる悩み

画像出展:「ボランティアってなんだっけ?」

目次

Ⅰ そこで何が起こっているのか? ―自発性が生まれる場所、自発性から生まれるもの

Ⅱ それって自己満足じゃない? ―無償性という難問

Ⅲ ほんとうに世界のためになっているの? ―ボランティアと公共性

終章 ボランティアの可能性

Ⅰ そこで何が起こっているのか?

「ボランティアでは続かない」

●生き生きとボランティアを始めていた人の情熱が、時間が経つとだんだん冷めていくことがある。活動が整理されていくなかで、思ったことが言えなくなって、こなすだけになってしまったら熱は冷めていく。

●何をすべきかを自由に考えることよりも、これまでの活動を継続するための業務に追われ、活動への違和感を話し合えず、なんで活動するのかを考える機会もなくなると情熱は冷め、活動に距離を置くようになる。

●一人の参加者として責任のない立場で関わるのは良かったが、責任を負う立場になると敬遠する人もいる。すると責任を負う人の負担感や孤立感は強まっていく。

●ボランティアで始まった活動が持続性を高めていくために、非営利活動法人(NPO法人)や一般社団法人に移行していく。定款が作られ、事務局ができ、会費や寄付の制度が確立されていく。専従職員となる人が出て組織も確立していく一方で、初期の使命感が薄れ、活動の持続が目的となってしまうこともある。

●有償で働く専従職員とボランティアの間に溝が生まれ、ボランティアの数は減っていく。

●『「ボランティアでは続かない」ということはある面において正しいのだが、一方「ボランティアでないと続かない」ということも正しい。そんなことを、ある夏の体験で思った。』

ネットワーキング―出会いから広がっていく、出会いから変わっていく

●農園で子ども向けの農業体験イベントを開催した。1回目に参加した子どもが次の会には兄妹や友人を連れてきた。地域の情報誌に記事が掲載されて参加者が増えた。イベントの様子をSNSで公開したら、次々にシェアされていった。環境教育や農業に関心のある学生や社会人がボランティアをしたいと集まってきた。彼らの経験が企画に活かされて、体験講座の内容は専門化されていった。会議も定期的に開かれるようになり、助成金でキャンプをするためのテントや調理器具を買いそろえた。助成金の申請のためには規約や決算書、活動報告書が必要なため、事務局がつくられた。そんな中で、イベントの企画よりも農作業に興味を持ち始めた仲間から、子どもたちに農業体験をさせることよりも、自分たちがしっかり農業を勉強すべきだという声も出てきた。彼らの中には地方の専業農家のところに研修に行く人もいた。やがて、子どもたちへの農業体験を重視する立場と、学生自身が農業を学ぶことを重視する立場の違いが生まれ、活動をめぐって議論がなされるようになった。活動が広がる中で、新しい視点がもたらされ、活動自体の意味をめぐる議論が生まれる。その先に、活動自体の見直しが起こるかもしれないし、活動の分裂が起きるかもしれない。

●『「注意して見てほしい。一緒に団体を立ち上げた友人の関心は子どもの貧困問題だったのだが、次第に活動は子どもたちの農業体験/環境教育にシフトしており、そこからさらに農業への関心が生まれている。このような変化のなかで、友人には自分の当初の思いとつながるものを見出していくのか(たとえば、農業体験に来ている子どもたちのなかに貧困につながる問題を見出すのかしれない)、それとも流れに身を任せて当初の問題意識を忘れてしまうのか(たとえば、専業農家と出会って農業の面白さに心を奪われるのかもしれない)、それとも自分のやりたいことはここにはないといって去っていくのか、三つの方向があるだろう。

Ⅱ それって自己満足じゃない? ―無償性という難問

無償性はめんどくさい―贈与のパラドックス

●あなたが誰か困っている人に何かをしてあげたいとする。見返りを求めてやったのではなく、困っている人を助けたいという気持ちに突き動かされたとあなた自身は思っている。しかし、あなたの内面は誰にも見えない。だから、周りから、本当は、「困っている人を助けている姿を見せて、自分の評価を上げたいのではないか」とか、「そうやって善行をつんで、死後に天国に行こうとしている」と指摘されたり、心の中で思われたりするのを防ぐことはできない。あるいは、「そうやってあなたが無償で誰かを助けてしまうことで、本当はそれをすべき〇〇が仕事をしなくなる」と言われることもある。この〇〇は例えば、政府が入る。このように贈与は常に、贈与と反対のものを見出されてしまうというパラドックスを抱えている。

贈与から交換へ―ボランティア・NPO・CSR・社会企業・プロボノ……

●1990年代以降、NPO活動が注目を集め、1998年には特定非営利活動促進法(NPO法)が成立するようになると、ボランティアよりもNPOの関心が高まった。

●NPOの非営利性とは、事業を通して利益を上げたとしても組織の成員で分配しないということである。

ボランティアは“贈与”と考えられているが、NPOは“交換”の要素が強い。そしてNPOに続く、CSR(Corporate Social Responsibility)、社会的企業、社会的起業家、プロボノ、BOP (Base of the Economic Pyramid)ビジネス、エシカル消費、SDGs (Sustainable Development Goals)などもまた、“交換”と“贈与”の間にある言葉である。

●ボランティアという言葉が使われるのは、無償であるのが当然であると考えられる領域や、学校教育の現場に限られていった。

●阪神淡路大地震が起きた1995年がボランティア元年と言われているが、ボランティアをする人の割合は減少する傾向にある。

●『ボランティアが語られることや、そもそもボランティアをする人が減っていくなかで、久しぶりにボランティアが声高に語られ、議論を巻き起こしたのが東京五輪ボランティアだった。しかし、そこにおいて、贈与のパラドックスを伴う「無償性」は放棄されてしまったように見える。』

贈与のパラドックス
贈与のパラドックス

画像出展:「ボランティアってなんだっけ?」

ケアの論理

●ケアはケアする人とされる人の二者間の行為ではなく、家族、関係のある人々、同じ病気・障害・苦悩を抱える人、薬、食べ物、環境などの全てからなる協働的な作業と考えられている。

ケアの出発点は、人が何を欲しいと言っているのかではなく、何を必要としているかである。それを知るためには、その人の意思だけでなく、その人の状況や暮らし、困っていること、どのような人やシステムから支援を受けられるのか、それらの支援によって、その人の暮らしがどう変わってしまうのかなどについて理解する必要がある。

●苦悩はケアされる人だけではなく、家族や関係する人達も苦悩する。状況の改善は人や物、システムなど全てとの関わり合いの中でケアが行なわれるという意識を持つ必要がある。

終章 ボランティアの可能性

●ボランティアは国家や市場システムに都合よく使われることもある。隅々まで浸透した世の中と思っても、国家や市場システムから見放された世界が存在する。ボランティアがなければ苦しい人々は間違いなく存在する。

●国家や市場のシステムを批判し、今ある世界に取って代わるような理想像を掲げるのではなく、今あるシステムがうまく機能していないところに入り込み、他者と共に生きる空間を作っていくことは一つの在り方である。