ポリヴェーガル理論3

ポリヴェーガル理論入門
ポリヴェーガル理論入門

著者:ステファン・W・ポージェス(Stephen・W・Porges)

初版発行:2018年11月

出版:春秋社

目次は”ポリヴェーガル理論1”をご覧ください。

第2章 ポリヴェーガル理論とトラウマの治療

聞き手:ルース・ブチンスキー(認定心理学者、臨床応用行動医学全国組織[NICABM])の会長

トラウマと神経系

トラウマがストレスと関連した障害と捉えるのは適切でない。特に、通常のストレス反応と同様に、交感神経系とHPA軸(視床下部-脳下垂体-副腎)の反応とされていることが一番の問題である。

ポリヴェーガル理論では、「危険」や「生命の危機」に瀕した時には、ストレス反応とは違った二つ目の防衛システムが発動すると考える。そこでは、自律神経系の反応は大きく抑制され、副交感神経系の古い神経経路が使われる。それは、「不動」、「シャットダウン」そして「解離」である。

・「不動化」の反応は小さな哺乳類によく見られる。例えば、ネコに捕まったネズミである。「擬死」とか、「死んだふり」と言われているが、これは意図的に行う反応ではなく、闘争/逃走反応が使えない時に起こる。人間が恐怖体験により失神するときもこれと同じものである。

科学的な論文でも、不動化をもたらす防衛システムは、ストレス理論では説明されていない。ストレス理論はアドレナリンの分泌や交感神経の活性化によって、可動性を伴う防衛反応が起きるとされている。

・我々の神経系は、意識されることなく、常に環境中の危険因子の評価を行い判断している。そして常に優先順位に従って、その場にもっとも適応的な行動を取る。

トラウマ治療で最も大切なことは、「どのようなトラウマ的な出来事が起きたのか」ではなく、その人がその状況で「どのような反応をしたのか」を理解することである。

「ポリヴェーガル理論」と「迷走神経パラドクス」

迷走神経は心臓や内臓を制御しているため、運動機能が注目されているが、多くは感覚神経で80%の線維は内臓から脳へと情報を送っている。残りの20%が運動神経路を形成し、動的に、そして時には劇的に生理学的変化を起こさせる。例えば、迷走神経が緊張した状態では心臓の動きが抑制(心拍数減少)される。そして迷走神経の緊張が緩むと、心臓の拍動は戻る。こうした変化はわずか数秒のうちに起きることもある。

・可動化という機能を持つ交感神経に対して、迷走神経は、落ち着かせたり、成長させたり、回復させたりする機能を持っている。

私は、彼の言葉[迷走神経は急に脈が遅くなる「徐脈」や、突然呼吸が止まる「無呼吸」などの、生命を脅かす現象を引き起こすことがある]を真剣に受け止め、私の研究[新生児の迷走神経に関する研究。赤ちゃんの中には、RSA(呼吸性洞性不整脈:呼吸に伴って心拍数が増加したり減少したりする現象)が見られない赤ちゃんがいる]の中で発見されたことに何か手がかりがないか、振り返りました。私の研究では、RSAが起きているときには、徐脈や無呼吸は起きませんでした。これに気がついたとき、私はこの「迷走神経パラドクス」という概念を理解するヒントを得たのです。RSAがあるときは、迷走神経は保護的な働きをし、徐脈や無呼吸を起こすときは、生命を危険にさらすのです。

数カ月にわたり、私はこの新生児医学の手紙を鞄に入れて持ち歩いていました。私はなんとかこのパラドクスを説明しようとしました。しかし私の知識はあまりにも限られていて、どうすることもできませんでした。そこで、このパラドクスを解決するために、迷走神経の神経解剖学をあたってみることにしました。もしかすると、この二律背反のパターンを引き起こす迷走神経の回路は異なっているのではないか、と考えたのです。

この「迷走神経パラドクス」を引き起こしていた迷走神経の作用機序を明確化したことによって、ポリヴェーガル理論が生まれました。この理論を構築するにあたって解剖学、進化学、そして二つの異なる迷走神経の働きを精査しました。一つの迷走神経系は徐脈や無呼吸を引き起こし、別の迷走神経系がRSAを引き起こすのです。一つの神経系は潜在的に死をもたらします。もう一つの神経系は保護的に働きます。

この二つの迷走神経の回路は、脳幹の違った部分から発していました。比較解剖学を研究した結果、古い神経回路ができ、その後に新しい神経回路ができたことがわかりました。系統発生学に基づいた自律神経のヒエラルキーが、私たちに埋め込まれていることが明らかになったのです。この発見が、ポリヴェーガル理論の基礎になりました。

「不動」、「徐脈」、「無呼吸」は哺乳類が誕生するずっと昔の、太占の脊椎動物において発達した防衛機制だったのです。ペットショップに行って、爬虫類を観察してみてください。そうすれば、この防衛機制を理解することができます。爬虫類を見ていると、じっとしてあまり動きません。爬虫類にとっては、この「不動状態」が基本的な防衛システムなのです。しかし、ハムスターや家ネズミなどの小さな哺乳類を見てください。彼らはまったく違った行動様式をとっています。小さな哺乳類はつねに動きまわっています。彼らは活動的で、社会的に交流をし、仲間とあそびます。そして動いていないときは自分たちの兄弟と身体をくっつけあっています。

ポリヴェーガル理論の構成概念は進化に基礎を置いています。系統発生学的に段階を追って、それぞれ異なる神経回路が発達し、それぞれ異なる適応行動を起こしていたのです。研究を進めるにつれ、脊椎を持つようになった生き物のうちでも、進化上より早期の脊椎動物において発達した「太占の防衛機制」が、我々の神経系にまだ埋め込まれていることを発見しました。この「太占の防衛機制」とは、「不動状態」です。闘争/逃走反応という防衛機制では、「可動化」が主要な要素です。しかし、太占の脊椎動物の防衛機制は、それとは反対のものです。「不動状態」、「擬死」あるいは「死んだふり」は、爬虫類やその他の脊椎動物にとっては適応的な行動でした。しかし哺乳類は、酸素を大量に必要とするため、こうした反応は潜在的に死に至る危険があります。哺乳類も、生命を脅かすようなことが起きたときには「不動状態」に陥ります。そして「不動状態」に陥った後、普通の状態に戻ることは非常に難しいと考えられます。これが多くのトラウマのサバイバーにも起きていることなのです。』

ふたたび自律神経系について

・ポリヴェーガル理論では、自律神経系の機能は進化の階層に則って三つに分けられている。

1.有髄化(絶縁性の髄鞘によってニューロンの軸索が覆われること。これにより神経パルスの伝導が高速化される)されていない無髄の迷走神経経路で、横隔膜より下の内臓の迷走神経制御を行っているもの。(一般的には、”自律神経節後線維”[C線維]と呼ばれています

2.有髄の迷走神経経路で、横隔膜より上の臓器の迷走神経制御を行っているもの。(一般的には、”自律神経節前線維”[B線維]と呼ばれています

3.交感神経系

・進化の過程で、最初に無髄の迷走神経経路が発達した。人間やその他の哺乳類では、安全な場合には、この古いシステムによって恒常性(ホメオスタシス)が保たれている。しかし、これが防衛に使われたときは、不動状態になり、徐脈や無呼吸をもたらす。そして代謝を落とし、シャットダウンを起こし、見た目には崩れ落ちたようになる。シャットダウンのシステムは爬虫類にとっては適応的である。これは爬虫類の小さな脳はわずかな酸素しか必要とせず、数時間生きていることも可能であるからである。

ニューロセプション:意識せずに行う知覚

・ニューロセプションは認知のプロセスではなく、神経的なプロセスで環境中にある「合図」や「きっかけ」を評価し、危険を察知する。

ポリヴェーガル理論では、ニューロセプションはポリヴェーガル理論で定義された自律神経の三つの主要な状態、つまり「安全」「危険」「生命の危機」を察知し、それにふさわしい神経回路にスイッチを入れる。

・社会交流システムがうまく働いていると、防衛反応が抑制され、我々は落ち着き良い気分になる。しかし危険が増すと、二つの防衛システムが優先順位に沿って発動する。いよいよ危険を察知すると、我々の交感神経系が主導権を握る。そして「闘うか/逃げるか」という動きを可能にするために代謝を上げる。そして、それがうまくいかず、安全か確保されないと、無髄の古い迷走神経系を発動させて、シャットダウンする。

PTSDを起こす引き金

ニューロセプションの中でも聴覚刺激は大切で、特に「安全であるかどうか」を判断するには、聴覚刺激が非常に重要な役割を果たしている。

第3章 自己調整と社会交流システム

迷走神経:運動経路と感覚経路の導管

・迷走神経経路は、感覚線維と二つのタイプの運動線維の計三つから成る。運動線維の一つは、有髄化されず横隔膜より下の腸などの臓器と接続されている。もう一つは、有髄化されていて横隔膜より上の心臓などの臓器と接続されている。感覚神経線維は脳幹の中の孤束核と言われる領域に終わり、有髄の迷走神経の運動経路は、主に疑核に起始する。無髄の迷走神経の運動経路は、主に迷走神経背側運動核に起始する。

いかにして音楽が迷走神経による調整を促す「合図」となるか

・音楽療法:歌うためには長く息を吐く。吐いている間は有髄の迷走神経の遠心経路の心臓への働きかけが強まる。これにより生理学的状態が穏やかになり、社会交流システムが活性化する。歌うとは聴くことでもある。これは中耳筋の神経の緊張を増進させる。また、神経による喉頭咽頭筋を調整し、さらに顔面神経と三叉神経を介して、口と顔の筋肉を使う。個人でなくグループであるなら、他者と関わり社会的な活動になる。以上のことから、歌うこと、特にグループで歌うことは、社会交流システムの素晴らしい「神経エクササイズ」になる。

ご参考:“迷走神経活動の測定法”(実験はマウス) クリック頂くと5枚資料のがダウンロードされます。

迷走神経活動の測定法
迷走神経活動の測定法

はじめに  

『自律神経系は交感神経系と副交感神経系から構成される神経系で、それぞれ身体の臓器を二重支配することによって相反的に各臓器機能を調節している。自律神経の作用には自律神経反射に代表される循環調節、消化機能調節、そして代謝調節作用が知られており、これらの作用は自律神経遠心路により心臓、血管、消化管、肝臓、膵臓、脂肪組織等の活動を制御することによって営まれている。自律神経の異常は狭心症、胃・十二指腸潰瘍、肥満、糖尿病、メタボリックシンドローム等に深く関与している。自律神経の全身機能調節は各臓器の状態に依存しており、その情報を伝達する経路として自律神経救心路が重要な働きを担っている。救心路神経線維は副交感神経(迷走神経)束の約75~90%、交感神経束の約50%を占めており、末梢性の自律神経反射に関わる情報だけでなく、中枢性の情報(満足感や嗜好形成などの摂食行動調節)にも関わることが最近の研究で明らかにされている。