耳針については専門学校時代に30歳程年下の同級生の中に、手先の器用な友人がおり、彼が耳針に興味をもっていました。
「配嶋さん、耳のツボを診てあげますよ」ということで。爪楊枝のような細い棒(ステンレス製?)で、何ヵ所か圧をかけられると、飛び上がるように痛い箇所(ツボ)がありました。多分、腰ではないかと思いますが、少なからず軽くなったように記憶しています。
それ以降、耳針に関心をもったのは、フランス人の医師のノジエ博士が確立された耳針法ぐらいでした。
先日、偶然、耳鳴りを耳針で治療するという記事をみつけ興味を持ちました。
耳鳴りは以前ブログに書いてこともあり(”耳鳴り”)、老化による耳鳴りは治すことは難しく、気にしないこと、長くつきあっていくものという認識を持っていたものの、「できれば、何とかした」という思いも残っていました。また、耳針であればいつでも自分でできるというのも魅力でした。
そこで、耳針がどんなものか「少し調べてみるか」と思い、古い本ですが1冊の本を購入しました。
内容は本のタイトル通り、耳針の実践本であり、理論などはそれ程詳しくは書かれていませんでした。
訳編著:清水蓮
発行:1975年3月
出版:刊々堂出版
目次
はじめに
1 耳針療法について
2 中国伝統医学の基本的な考え方
3 耳介の解剖
4 耳介の神経分布
5 耳穴(ツボ) -耳針刺激点-
6 耳穴(ツボ)の探測
7 耳電探索器の扱い方
8 耳電探索器による総合診断
9 耳針治療の“ツボ”の選び方と組み合わせ方
10 耳針の応用
11 耳針の操作と治療法
12 耳針の治療偏(1)
13 耳針の治療偏(2)
14 耳針麻酔について
15 耳針麻酔の応用例
1 耳針療法について
耳針療法とは何か?
『耳針療法とは耳介の反応点(耳のツボ)を探り出して、それに針を刺すなどの刺激を与え、病気を治そうとする一種の治療法であり、中国の伝統医学の基礎の上に発展したものです。』
中国古代の文献にみる耳部による治療
・「千金翼方」には、耳の後の「陽維」というツボに灸をすえれば、耳鳴りが治療できると期してある。
本画像は「家庭でできるツボ健康療法講座」より拝借しました。
P.ノジエ博士(仏)の耳診と治療について
・1957年ドイツの針灸学雑誌は、フランスのP.ノジエ博士の解剖学的見地からまとめた「耳と人体との関係」の論文を載せている。
・『博士は耳に圧痛点を求めて、その圧痛点に針治療を行うと、その疾患に効果があることを報告し、その圧痛点の部位で、患部を知ることも出来るし、逆に患部によって、圧痛点の起る部位がわかるというのです。』
画像出展:「耳針療法の実際」
本画像は「耳つぼをこえる耳つぼ」フランス式のDr.ノジェさまより拝借しました。
施術中のノジエ博士です。
5 耳穴(ツボ) -耳針刺激点-
・非常にたくさんの病床について耳介を探測すると、特別敏感な反応点をみいだす。これが、耳針の大事な刺激点、耳のツボである。
・近年、各地の中国の医務工作の人々が、臨床に於ける耳の探則の実践を通じ、非常に多くの各種の疾病に一定の関係ある反応点をみいだし、あわせて貴重な診断と治療経験をつみかさね、耳針療法の内容は日ごとに豊富になっていった。
・以下は、上海中医学院編「針灸学」によるものである。
画像出展:「耳針療法の実際」
6 耳穴(ツボ)の探測
圧痛法
・体のどこかに疾患があると、耳の該当区に圧痛点として現れる。圧痛棒(針の柄・爪楊枝・ガラス棒など)をもって、耳介上の圧痛点を探す。
・痛点が現れる所は、その相応する部位のみではなく、病気の臓腑の表裏と関係ある所にも現れる。
・例えば、胃痛には「胃区」の圧痛点の外、表裏の関係にある「脾区」にところの圧痛点をさがす。[表裏の関係とは、表(陽経)の「胃」と裏(陰経)の「脾」のことを表裏の関係という]
・圧痛棒を使って圧痛点を探すときには、軽く、ゆっくり、そして均等に圧をかけるようにする。なお、正常であればそんなに痛みが出るものではないので、軽くとは痛いとは感じない程度とする。
・圧痛点を探すときは、同じ圧であるにも関わらす明らかに痛さを感じる箇所を見つけるのであるが、痛い箇所にあたると、眉をしかめたり、避けようと頭を動かすので分かる。
・圧痛の範囲が広い場合や、いたる所にある場合は最も敏感な点を探し出すようにする。
・圧は患者さんの年齢、性別などによって異なる。児童や痩せた女性は弱く、高齢者や皮膚の厚い人は強めに圧をかける。
続いて、もう少し理論的なこと、例えばノジエ博士の耳針法について知りたいと思い、図書館から借りてきたのが
『欧米耳針法の理論と臨床』という本です。
ざっと目を通すと、耳針法の理論は深いものであることが分かりました。施術に取り入れるなら真剣に勉強しないといけないと思いました。
ただ、自分自身に試すのであれば、気になる箇所を鍉鍼や爪楊枝で圧迫し、顕著な痛点を見つけたら手加減しながら押圧するということはできるので、それがやれる程度は知りたいと考えました。
著者:MING HANG CHO
初版発行:S53年10月
出版:医道の日本社
「第一章 最新耳針医学の背景」の「2.耳針の歴史をたずねて」の中にノジエ博士に関して、興味深いものが出ていました。理論というよりエピソードですが、貴重なものだと思いますのでそちらをご紹介します。
『フランスの首都パリから250マイルぐらい南方のマルセイユ港に向かって下る途中、汽車で4時間ほどの所にリヨンLyonという人工100万ぐらいの古い都市がある。私が今までに8回ほどたずねた町である。8回も行った理由は、もちろんノジエをたずねるのが目的である。
リヨンという町は、ローンとソーンという2つの大きな川がアルプスのほうから流れて来て合流する地点のすぐ北にあり、川は150マイルぐらい南方のマルセイユのほうへ流れて行く。川があり、山があり、谷があり、風光明媚な所である。
リヨンの町は、ローマ人が紀元以前に建てた古い町で、1975年に行ったとき、時間の余裕があったので、発掘途中のコリセウム(競技場)、野外劇場、博物館等を見学に行った。歩くことの好きな私は、ホテルから歩いて数多い美しい橋をたずね、またおいしい食堂をたずね歩いてノジエと一緒に食べたこともある。
ノジエは町の西のほう300mぐらいの高さの谷を越えた中腹にある高級住宅街の一角、医師たちのはいっている5階建ての近代的な建物のなかにオフィスを持っている。オフィスの建物のそばにノジエの2階建ての住居もある。しっとりと春雨にぬれた庭の砂利を踏んで、オフィスから家へマロニエの木の下を氏とともに歩いてお茶によばれたこともある。
ノジエは、昔フランスの絹の生産中心地、今は染料とか化学物質生産中心地であるこのリヨンでエンジニアリングを学んだが、その後さらに医学に進み、外科、そのなかでも整形骨外科(オルソペディック・サージェリー)のほうに関心を持って勉強した医者である。
【1】対耳輪の火傷痕から
1951年ごろのある日、ノジエは1人の女性患者の耳にきれいな2mm幅の四角の火傷痕を発見した。耳の対耳輪の上の焼痕である。初めて見たこの珍しい火傷痕の由来を尋ねたところ、その患者は、「私は何年も坐骨神経痛に悩まされてきました。ある日人から耳を焼くとその痛みが治ると聞いたので、初めは迷ったのですが、あるとき痛みが激しいのにたまりかねて、耳を焼くというお婆さんの門をたたいたのです。ところが、耳を焼いた数分後、もうケロリと数年間の痛みが治ってしまいました」という。
画像出展:「耳針法の理論と臨床」
その後2~3年のあいだに、同じように耳に火傷痕のある患者をノジエは数人見かけた。そのつどていねいにたずねてみると、皆上記の患者と同じような病歴と治療効果をもっていると言う。何回も同じことを聞くと、初めは半信半疑も薄らいでくるのである。それでノジエ自身も、ある坐骨神経痛の患者に実験してみることにした。患者の耳の対耳輪の上を焼くと、やはり不思議にも坐骨神経痛は治るのである。
ノジエは、そのころマルセイユの医者でハリの大家ニボイエからハリを習っていたので、焼く代りに対耳輪上にハリを刺してみることにした。やはり効果があった。
探求心の強いノジエは、耳を焼いたり、耳にハリを刺したりして坐骨神経の痛みを治すだけでは満足できなかった。この耳の治療の背後に、何か重要な秘密があるに違いないと思ったからである。それは何だろう? どういう生理的関係があるのか? どういう解剖学的な関連があるのだろうか? 神経生理学的な関連があるのだろうか? こういう質問をノジエは、患者を診るたびに自分自身に繰り返して尋ねていたという。ノジエは現在68歳ぐらいだから、この美しい見事な禿頭の2.15mに及ぶ長身温厚なおじいさんが50歳を越したばかりのころの話である。
ある日ノジエに、神の助けに会ったように、日ごろの疑問への答えがひらめてきて、耳針法が始まったのである。
ノジエが語るには、その数年前、友人のアマシュウというやはり骨の外科に関心のある医者と一緒に、いろいろと脊椎外科の問題を何カ月か研究し、討議し合ったことがあるという。その数カ月のあいだ、アマシュウは会うたびに口癖のように「坐骨神経痛の問題は坐骨と仙骨との間の関節の問題だ」と繰り返して言っていた。ノジエがある日いつものように患者の焼いた耳を調べていたとき、アマシュウの言葉が頭に浮かんできた。それと同時に「この対耳輪の焼く点は、坐骨・仙骨間の関節点なのだ。だから、焼いたり刺したりするとそこの痛みが治るのである」というアイデアがひらめいてきたというのである。
耳の対耳輪は、我々の脊柱を代表する所にあたるはずという考えが、自然と頭に浮かんできた。坐骨・仙骨間の関節が対耳輪の上方にあるとする。そして対耳輪が我々の脊柱を代表するとすれば、当然対耳輪の下が我々の頸椎にあたらなければならない。すなわち、耳では脊柱が対耳輪によって代表されているが、それがさか立ちの形で代表されている。
画像出展:「耳針法の理論と臨床」
だから対耳珠の方が頭にあたるはずで、我々の耳には我々の身体の各部分を皆代表する部分があって、その分布は、胎児が子宮内でさかさまの位置にいるような恰好で耳に配置されていると思われる。
このようなことが、次々と推理に推理を重ねてノジエの頭に浮かんできたという。1953年夏のことである。
【2】数千年前からの民間療法
耳を焼いて坐骨神経痛を治す治療法は、地中海沿岸で民間療法として数千年間用いられた方法であった。多分、ペルシャ(イラン)かインドかエジプトあたりで発祥して広まったか、あるいは東洋から来たのかも知れない。(ペルシャ方面では、お灸のように皮膚を焼く療法も広く行なわれ、結核患者など、胸とか、背のほうにも焼いたあとが今でも見られるとのことである。)そして過去数百年間いくども医学者たちに着目されて患者の治療に応用され実験されたが、確固とした理論的裏付けをなす人が無く、医学者間の意識上に浮かんでは沈み、浮かんでは沈みを繰り返していたと思われる。
私の友人であり、またノジエが自分のいちばん重要な弟子だというプルディオールは、アフリカの北部アルジュリアが故郷である。プルディオールは「私も坐骨神経痛を耳を焼いて治療するのをアルジェリアでたびたび見たが、あまり注意を払わなかった」と私に告げた。ノジエの天才は、この事実を捉え、逃がすことなく毎日のように探求し、研究を重ね、ついに耳針法の基本となる耳と体部の相関関係、その反射的な相関配置関係を発見したのである。』
『ノジエが、昔から耳を焼いて坐骨神経痛を治療する点が、耳での坐骨と仙骨の継ぎ目にあたる所で、その耳での反射点であり、対耳輪が耳での脊柱骨にあたる所であるという原理を発見したのが、1953年であるが、当時この新発見をニボイエに会って恐る恐る話したところ、ニボイエは膝を打って、このような耳の反射圏の事実は中国の針術には全然知られていない発見である。是非このつぎの地中海地方の針灸大会で発表してくれとのことで、1956年にその会で初めて以上の発見を発表したという。
その後ノジエは、ドイツのミュンヘンの医者バッハマンに会う。バッハマンはドイツのハリの雑誌の主幹をしていた人で、その雑誌が知られるものとなった。』
耳鳴り
今回、個人的な関心は耳針法による耳鳴りの治療です。以下のイラストも先にご紹介させて頂いた「家庭でできるツボ健康療法講座」さまより拝借したものですが、これを拝見すると、耳鳴りは交感(おそらく交感神経と思います)、上頸神経節点、そして内耳という3つのツボが重要であることが確認できます。
鍉鍼という刺さない鍼があるのですが、それを使って上記の3つのツボ付近を押圧すると、上頸神経節点と内耳の2か所については強くはありませんが圧痛点でないかと思う反応があります。
今後、時々耳ツボを刺激してみるつもりです。
画像出展:「家庭でできるツボ健康療法講座」
ご参考:戦場鍼
Battlefield Acupunctureは、2001年に米国空軍で現役を務めていたRichard Niemtzow博士によって作成されました。
Niemtzow博士は、耳に挿入された針が多くの種類の痛みを迅速かつ非常に効果的に緩和することを発見しました。
以下Youtubeです。8分18秒の英語の映像ですが、所々に刺鍼している様子が映し出されています。