癌と臨死体験3

著者:アニータ・ムアジャーニ

訳者:奥野節子

初版発行:2013年6月

出版:ナチュラルスピリット

目次は、”癌と臨死体験1”を参照ください。

第11章 コー医師による医学的見解

●『それまで、臨死体験についてはあまり知りませんでした。その言葉は聞いたことがあり、テレビで1、2回ドキュメンタリー番組を見たかもしれませんが、実際に体験した人は一人も知りませんでした。とりわけ、自分がそれを体験するなど考えたこともなかったのです。

兄が教えてくれたサイトの情報を読みながら、鳥肌が立つのを感じました。というのも、自分の体験と類似する点がとても多かったからです。私のような病気の話は一つもありませんでしたが、向こう側の世界で体験したことはそっくりでした。何人かの人が、拡大、明晰さ、一つである感覚―みんなつながっているということ―について語っていました。

さらに、判断や批判のない圧倒的な無条件の愛だけを感じたと書いてありました。亡くなった愛する人たちや、自分のことを気にかけてくれている存在との出会いにも触れ、普遍の知恵や理解が得られたとありました。私は、彼らもまた、受け入れられ、一つである感覚を味わい、誰もが例外なく愛されているとわかったという事実に驚きました。そして、臨死体験後、彼らの多くが、私とまったく同じような目的意識を感じていたのです。

アニータさんのお兄様がお話されていたというサイトです。

いくつかの体験談を読んだあと、「あなたの臨死体験についてお聞かせいただけませんか? ご興味のある方はここをクリックしてください」と書いてあるのに気づき、クリックしてみました。すぐに、詳細な記述を求めるかなり長いフォームが現れたので、それに書き込みを始めました。それまで自分の体験を書いたことはなく、親友や家族に話しただけだったので、これほど詳細に分析するのは初めてのことでした。

自分の状況を知らない人に説明するのも初めてだったので、できるだけ明確に表現するよう努力しました。質問に答えながら、これまで考えたこともない観点から自分の体験を振り返りました私は、癌になったこと、向こう側の世界とこの世に戻ってきてからの体験、すごい速さで癌が消えてしまったことなどについて詳細に書きました。フォームの必要事項を埋めてから、余白にもう少し説明を加えて、“提出”ボタンを押しました。すると、「あなたの体験談をお送りいただき、ありがとうございます。サイトに掲載するかどうかについては、3週間以内にご連絡いたします」というメッセージが現れました。』

●『ロング医師は、私が体験談を提出したNDERFのサイト責任者で、癌の専門医だと自己紹介していました。そして、私の体験はこれまで読んだ中で並はずれたものの一つだと書いてありました。』

アニタMoorjaniのNDE” ※こちらはアニータさんの体験談です。

アニータの病状の経過

-『2002年の春、彼女は、左鎖骨上部に固い腫れものがあるのに気づいた。明らかに、これは彼女の主治医にとって警戒すべきサインだった。その年[2002年]の4月、生体組織検査によって、ホジキンリンパ腫(悪性リンパ腫の一種)で、「ステージⅡA(初期から中期/自覚症状なし)」と診断された。従来の治療法は気が進まなかったため、彼女はさまざまな代替医療を試みた。

その後の2年半で病気はゆっくり進行し、2005年には健康状態が損なわれ、癌は他のリンパ節へと広がり、大きくなっていった。この頃には、寝汗、微熱、皮膚のかゆみのような、“B症状”と我々が呼ぶものが現れてくる。さらに、両肺に胸水がたまり、呼吸困難になったので、その年には数回にわたって胸水を抜く処置が行われた。同年のクリスマスまでに、彼女の病状は進行し、下降線をたどり続けた。彼女の首と胸壁の癌は皮膚にも浸潤し、感染性皮膚潰瘍を引き起こした。栄養摂取もできず、体重減少、疲労感、筋力の低下、そして腎機能の低下が起こり始めた。

2006年2月2日の朝、彼女は起床できなかった。顔全体、首、左腕が風船のように膨らみ、目は腫れて閉じたままだった。これらはすべて、リンパ腫が大きく広がってたために、頭部や首からの静脈還流が弱まったためである。すでに携帯用酸素ボンベを使用していたが、多量の胸水のために息ができず喘いでいた。夫と母親はすぐに家庭医に連絡をし、急いで総合病院へ連れて行くようにという指示を受けた。難しい決断に迫られ、もう一人の癌専門医が呼び出された。そして、しかるべき医学的処置をしなければ、彼女は助からないだろうという合意に達した。多臓器不全の状態であるという見地から、抗がん剤投与は危険すぎたが、彼女が生き延びるための唯一の治療法だった。その夜、彼女はMRIとCTで複数の検査を行い、2リットルの胸水を抜き取り、7つの抗がん剤のうち3つを処方され、集中治療室に入れられた。この時、アニータは、彼女が臨死体験と呼ぶものを体験し始めていた。

臨死体験後の目覚ましい回復ぶり

2月3日の夕方:アニータは目覚めて、ベッドの上に起き上がると、自分はもう大丈夫だと家族に告げた。主治医の癌専門医と話をし、主治医は、昏睡状態だったはずのアニータが自分のことを覚えていたことに当惑した。

2月4日:アニータは、鼻腔栄養チューブを抜くよう医師に要求し、そのかわり食事をとると医師に約束した。さらに、自宅からiPodを持ってきてくれるように夫に頼んだ。

2月5日:アニータは、診察に来た医師たちを「パーティに参加しませんか」と誘った。

2月6日:医師たちは、彼女を集中治療室から一般病棟へ移すことに同意した。

この時までに、彼女の首や顔の腫れはほとんどひいていた。かなり大きくなっていたリンパ節は軟らかくなり、頭を動かせるまでになった。治療の最初のサイクルは、2月中旬に終わった。形成外科医に、次の検査と処置が依頼された。』

謎に包まれている説明のつかない現象

-『私のカルテには、病院へ運ばれてきた時、私の臓器はすでに機能不全に陥っていたが、再び機能し始めたと記されている。コー医師は、それを回復させたものが何であるか非常に興味を持った。さらに、「患者の家族には告知した」という癌専門医の所見は、私の臨終が近いと家族に知らせたことだと解釈し、それに注目している。』

-『カルテによると、レモン大の癌が、首、腋の下、胸、腹部まで身体中に存在していた。しかし、数日後、その大きさは、少なくとも70%も縮小した。コー医師は、臓器が弱っている状態で、莫大な数の癌細胞がどのようにしてそれほど早く消えたのかということに興味がある。』

-『私には、癌による皮膚病変があった。カルテには、栄養状態が悪く、自然治癒は不可能なので、形成手術が必要だと記されている。というのも、病院へ運ばれてきた時には完全な栄養失調状態で、筋肉もすでに衰えていたからである。医師たちの所見には、私にもう少し体力がついてから形成外科に手術を依頼するとあった。しかし、医師が手術の計画をするかなり前に、私の傷は自然治癒してしまった。

第13章 恐れずに生きる

●『臨死体験のおかげで私は、外側で起こっていることが内側に影響するのではなく、内側にあるものが外側に反映するのだと考えるようになりました。以前は、外側の世界が現実で、その範囲内で努力しなければいけないと思っていたのです。

おそらくほとんどの人が、そのように考えているでしょう。この考え方では、自分のパワーを外の世界に与えてしまい、外部での出来事に、自分の行いも気分も思考も支配されることになります。感情的な反応や気持ちには実体がないので、現実のものではなく、外側の出来事に対する反応にすぎないと思いがちです。そのような考えでは、私たちは、自分の人生の創造者ではなく、状況の被害者になってしまうでしょう。私が癌にかかったことでさえ、たまたま外側で、“起こった”出来事でしかないということになるのです。

しかし、臨死体験をしてから、自分は神と一つであり、偉大なる全体の一部だと考えるようになりました。その中には、全宇宙のあらゆるものが含まれます。過去に存在したものも、未来に存在するものもすべて含まれます。すべてがつながっているのです。私は、自分がこの宇宙の中心にいると理解し、誰もがこの偉大な宇宙の中心にして、それぞれの立場で表現しているのだとわかりました。

※補足

上記に書かれた“自分”と“宇宙”との関係性のところを読んで、ヨガ(ブログ:ヨガの概念的な考えに非常に近いと思いました。


●『何かが私の気づきの中に入ると、それは私のタペストリーの一部になります。倉庫の例え話に戻れば、自分の懐中電灯でそれを照らしたということです。つまり、それが私にとっての真実の一部になったという意味です。

私の人生の目的は、自分のタペストリーを拡大し、もっと多くのすばらしい体験を自分の人生へ招き入れることです。ですから、自分が過去に限界だと考えていたあらゆる領域で、可能だと思える範囲を広げようとしました。私たちはみんなが真実だと考えていることの中に、実は、社会的な思い込みにすぎないものがないかどうか、調べ始めたのです。過去に、自分がネガティブあるいは不可能だと判断していたものをもう一度よく見てみました。特に、自分の中に、恐れや不十分だという思いを引き起こしたものについて考えてみました。

「どうして私はこれを信じているんだろう? これは文化的、社会的な条件づけじゃないだろうか? その時は私に当てはまっていたことかもしれないけれど、今でも真実なのだろうか? 子ども時代に教えられたことをずっと信じているのは、私に役立つことなの?」

なかにはそういうものもあるかもしれませんが、多くの場合、答えはノーでしょう。』

●『本当の喜びや幸せは、自分を愛し、自分の心に従い、ワクワクすることをしている時に、見つけられるのです。私の人生が方向性を失ったように思え、どうしてよいか途方に暮れるのは(今でもよくあることです)、自分が方向性を見失っているからだとわかりました。そういう時は、本当の自分、ここにやってきた目的とのつながりを見失ってしまっているのです。このことは、自分の内なる声に耳を傾けず、テレビや新聞や薬品会社や仲間や文化的あるいは社会的な信じ込みなどに、自分の力を渡してしまった時に起こりがちです。』

●『状況が困難に思えたら、それを物理的に変えようとするのではなく(臨死体験の前に、私がしていたことですが)、まず自分の内側の世界を調べるようになりました。ストレスや不安、惨めさを感じたら、内側に入って、その感情と向き合いました。気持ちが落ち着き、自分の中心を感じられるまで、一人で座ったり、自然の中を歩いたり、音楽を聴いたりするのです。そうすると、外側の世界も変わり始めて、何もしなくても障害物が消えていくということに気づきました。

“中心にいる”ということは、自分の宇宙の中心にいて、自分の居場所に気づいているということです。そこは、私たちがいつもいる唯一の場所です。その中心にいて、自分があらゆるものの中心だと感じることが大切なのです。

しかし、時々、私は宇宙の中心にいることを忘れて、物質世界のドラマや矛盾や恐れや苦しみにとらわれてしまい、すばらしい、無限の存在だという本来の自分の姿が見えなくなります。

幸い、そんな時でも、決して中心とのつながりが切れてしまうわけではありません。一時的に見失い、そこからやってくる安らぎや喜びが感じられないだけです。私たちは、分離の幻想にとらわれて、光りと影、あるいは陰と陽のように、幸せと悲しみは本来共にあるものだということがわからなくなります。分離の感覚は二元性という幻想の一部にすぎず、その幻想がワンネスへの気づきを難しくしているのです。しかし、中心にいるということは、その幻想を超えて、再びすべての中心、すなわちワンネスの中心にある自らの無限の場所を感じることを意味します。』

●『臨死体験の数年間で、外面的に必要なものも変化しました。最高の気分になるには、自然の中、特に海の近くに行けばよいとわかったのです。退院してから最初の数日間に感じた驚きに似ていますが、海を眺めたり、波の音を聞いていると、臨死体験中の状態にすぐつながることができました。

私は、親しくなった友人や家族が、同じように変化していくのを見て喜んでいます。奇妙に聞こえるかもしれませんが、臨死体験後、多くの人が、私のそばにいるとエネルギーが変わるのを感じると言うのです。このことについてはめったに話していません。というのは、そのような変化は自分の内側からやってくるものだと信じているからです。私は、彼らが経験する準備のできたものを映し出しているにすぎません。

自分自身の体験から、私は、誰でも自分を癒し、他人の癒しを助ける能力を持っていると確信しています。自分の内側にある無限の場所―つまり全体―とつながれば、病気は身体の中に存在できなくなるのです。私たちはみんなつながっているので、一人の健康が他人の健康に影響を与え、彼らの回復を促すことでしょう。私たちが他人を癒す時、私たちは自分自身とこの地球という惑星をも癒しています。私たちの心以外の場所に、分離は存在しないのです。』

●『今でも、私の人生には浮き沈みがあり、時には中心に戻れるようかなりの努力をしなければなりません。家事や諸経費の支払いなどという日常的雑務をこなす必要もありますが、臨死体験のあと、そのようなことに集中するのが大変になりました。でも、宇宙の中で自分の場所を再び見つけ、「恐れずに、もう一度人生を生きなさい」という言葉を魂の中で感じられない日は一日もありません。

それから、数人の新しい友人はできましたが、昔の友人たちと親しくするのは難しいと感じるようになりました。私は以前のように社交的ではなく、彼らと同じことを楽しめないからです。かつては多くの友人がいましたが、現在では、ごくごく少ない人だけとプライベートのお付き合いをしています。その多くは、この数年間に臨死体験のグループを通じて出会った人たちです。彼らの中には、私と似たような体験をした人もいて、その少数の人たちととても親しくしています。

夫や母や兄のことも大切に思っています。彼らは、私が病気で苦しんでいる時、ずっとそばにいてくれました。私は彼らをとても愛しています。他人に対してこれほどの親近感をいだくのは難しくなりました。

人と交らわないようにしているというわけではありません。自分から連絡を取ろうとしていますし、人々がもっと大きな理解を得られるように、喜んで手助けもしています。それは、本を書くことや異文化トレーナーとしての現在の仕事を通して行っています。次の章に書かれていますが、“ありのまま許容すること”と“自分自身でいること”の大切さが、この偉大な冒険の中で、私に一番大きな影響を与え、現在の生活の指針になっています。