第9章 この世に戻る決心
●『午後4時頃、私は目をぱちぱちし始めました。視界はかなりぼんやりし、目の前に立っている人がダニーだとわかりませんでした。その時、「アニータの意識が戻った!」という彼の声が聞こえたのです。
この上なく幸せそうな声でした。それは、2月3日の午後で、昏睡状態になってからおよそ30時間後のことでした。
「アニータ、おかえり!」アヌープが大喜びで言いました。
「間に合ったのね!来てくれるってわかってたわ。だって飛行機に乗っているのが見えたもの」私は叫びました。
彼は少しとまどったように見えましたが、私の言ったことはすぐ忘れてしまったようです。私の意識が戻ったので、家族はとにかく幸せそうでした。母も私の手を握って、微笑んでいました。けれど私は、自分が昏睡状態だったとは知らず、自分に何が起こっていたのかも、もはや向こう側の世界にはいないということも、理解できずにまごついていたのです。
視界が少しずつはっきりしていき、だんだん家族が見分けられるようになりました。アヌープの後ろに、壁に立てかけた彼のスーツケースも見えました。
医師がやってきて、私が目覚めたのを見て、驚きと喜びの入り混じったようなまなざしでこう言いました。「やあ、おかえり!みんな、君のことをとても心配したんだよ」
「こんばんは。チェン先生、またお会いできて嬉しいです」多少意識がもうろうとする中で私は答えました。
「どうして私のことがわかるんだい?」明らかに驚いた表情でした。
「だって、前にお会いしたからです。私が呼吸困難の時、真夜中に肺から水を抜いてくれたでしょう?」
「確かに。でも、君はずっと昏睡状態で、目を閉じていたんだよ」チェン医師は、少し当惑しながらそう言い、さらに話を続けました。「とにかく、これは予想外の嬉しい驚きだ。君が目を覚ますことは難しいと思っていたからね。ところで、ご家族にいいお知らせがあるんです。肝臓と腎臓を検査した結果、また機能し始めていることがわかりました」
「また機能し始めるって知っていました」私はまごつきながら言いました。
「そんなはずはない。これは予想外の結果なのです。とにかく、少し休んでください」彼はそう指示して、部屋を出ていきまいた。
家族は喜びにあふれ、これまで見たことがないくらい嬉しそうでした。医師からのよい知らせに、何度もお礼を言っていました。
チェン医師がいなくなってから、私は夫に尋ねました。「チェン先生は、私が彼を知っているのをどうしてあんなに驚いたのかしら? 彼が私を処置しているのを見たのに……。私の臓器が機能停止したから、もう数時間しか持たないってあなたに話したのは、チェン先生でしょう?」
「どうやってその話を聞いたんだい? 彼はこの病室では言わなかったのに。廊下のずっと向こうで話たんだよ!」とダニーは言いました。
「どうやって聞いたのかわからないわ。でも、チェン先生が来る前に、今回の検査結果について知っていたの」と私は言いました。
「まだふらふらしていましたが、自分の内側で明らかに何かが起こっていました。』
●『それから数日間、私は、向こう側の世界のことを少しずつ家族に話し、昏睡状態の最中に何が起こったのかを説明しました。自分の周囲だけでなく、部屋の外で、それも廊下や待合い場所で交わされた会話の一語一句を伝えたのです。家族は、畏敬の念に打たれたように聞き入っていました。私は、自分が受けたたくさんの処置についても話し、それを行った医師や看護師が誰であるかも見分けられたので、みんな驚くばかりでした。
私は癌専門医と家族に、夫が真夜中に緊急ボタンを鳴らした時、自分は肺に溜まった液体で呼吸困難になっていたと告げました。そして、看護師がやってきてすぐ、医師に緊急事態だと連絡をし、医師が飛んできた時には、全員が私は亡くなると思っていたと話しました。その内容が詳細だっただけでなく、時刻まではっきり言ったので、家族はショックを受けていました。
私が病院へ運ばれた時に慌てふためいた人物も見分けることができました。「あの看護師は、私の血管が確保できないって言ったの。その上、手足はもう骨ばかりで、静脈注射をする血管を見つけるのは無理だろうって。私の血管を見つけようとするのも無駄だっていう言い方だったわ」
兄はこの話を聞いて怒り、後日、その看護師に対してこう言ったそうです。「妹は、君が彼女の血管を見つけられないと言ったのを全部聞いていたんだ。もう助けるのはあきらめている感じがしたそうだよ。」
「妹さんに聞こえていたなんて、知りませんでした。だって昏睡状態だったんですよ!」看護師は驚いて、自分の無神経な発言について私に謝罪しました。』
●『昏睡状態から目覚めて2日も経たないうちに、医師は、奇跡的に臓器の機能が回復し、毒素で腫れあがっていたのもかなりおさまってきたと告げました。私はとてもポジティブで楽観的になり、食事をとりたいので栄養チューブを外してほしいとお願いしたのです。癌専門医の一人は私の身体が極度に栄養失調なので、すぐには栄養を吸収できないと言って反対しました。けれど、私は食べる準備ができていて、すべての臓器は再び通常通り機能していると主張しました。彼女はしぶしぶ同意し、もしきちんと食べられなかったら、すぐに栄養チューブを戻すと告げました。
栄養チューブは、私の身体につながっているもののうちで一番イライラするものでした。鼻から挿入され、喉を通して、胃の中へ入っていました。それによって、液体プロテインを、直接消化器官に送り込んでいたのです。このチューブのせいで喉がからからになり、鼻の中はむずむずし、とても不快だったので、それを取ってほしくてたまりませんでした。
チューブが外されたあと、最初の固形食としてはアイスクリームが一番良いだろうと、医師から言われました。喉のすり傷の痛みを和らげてくれるだけでなく、噛まずに食べられるからです。その提案に私の目は輝き、ダニーはさっそく出かけて、私の大好きなチョコアイスを買ってきてくれました。
別の癌専門医が定期健診を行った時、彼は驚きを隠せずに、こう叫びました。「あなたの癌は、このたった3日間で、目に見えて、かなり小さくなっています。それに、すべてのリンパ節の腫れもひいて、以前の半分くらいの大きさです!」
嬉しいことに、翌日、酸素チューブが取り外されました。医師が検査を行い、もう必要はないと判断したのです。私はベッドに半分起き上がっていましたが、まだ自分の身体を支える力はなく、枕で頭を支えていました。けれど、気分は高揚していました。家族と話をしたくてうずうずし、特にアヌープと久しぶりに会えたことが嬉しくてたまりませんでした。』
●『ゆっくりと―実際にはとてもゆっくりと―自分に起こったことを理解し始めていました。頭がはっきりしてきて、詳細を思い出し始めると、あらゆる小さなことについて胸が詰まりそうになりました。向こう側の世界で体験した驚くほどの美しさや自由をあとにして戻ってきたことが悲しかったのです。でも同時に、この世界に戻り、再び家族とつながれたことが幸せで、深く感謝しました。私の頬を、後悔と喜びの両方の涙が流れていました。
さらに、すべての人たちと、これまで一度も体験したことのない絆を感じるようになりました。家族だけでなく、看護師や医師にように、自分の病室にやってくるすべての人たちとです。私のお世話をしに来てくれる一人ひとりに対して、愛があふれ出てくるのを感じました。それは、これまで知っている愛情とは違いました。まるでとても深いレベルですべての人とつながっていて、同じ心を共有しているかのように、彼らが感じたり考えていることがすべてわかる気がしました。』
第10章 すべての癌が消えた
●『私は、勝利を得た気分でした。その時の私は、死ぬことから癌や抗がん剤まで、あらゆるものに対する恐怖感を完全に乗り越えていたので、自分を病気にしたのは恐れの気持ちだったと確信しました。もしこれが向こう側の世界を体験する前だったら、大きな赤い文字で書かれた劇薬という言葉も、それから身を守ろうとする看護師の厳重な装備も、きっと私に死ぬほどの恐怖感を与えていたことでしょう。心理的な影響だけで私の息の根は止まっていたかもしれません。
それが今、私は無敵の感じでした。この世に戻ってくるという決断が、物質世界で起こっている事柄を完全に覆すと知っていたからです。
医師は、私の現状についてもっと正確な情報を得るために、一連の検査を行ったうえで抗がん剤の投与量を調整したいと言ってきました。私はしぶしぶ同意しました。というのも、この一連の検査は、私の治った証拠が必要なので行うのだとわかっていたからです。それに、どんな結果が出てくるか、すでに知っていたからでもありました。検査結果は、私が正しいことを証明し、勝利感を与えてくれるでしょう。しかし医師たちは、私にはまだ十分な体力がなく、広範囲にわたる検査には耐えられないと判断し、回復の様子を見ながら数週間にわたって検査すると決定しました。私の体重は45㎏にも満たず、必要な検査を受けるためには、まず栄養状態の改善が必要でした。さもなければ、消耗した身体にさらなる重圧をかけるかもしれないからです。
皮膚病変は大きく口を開けており、毎日、看護スタッフが消毒をし、包帯を交換してくれていました。傷口の幅も深さも大きいので、医師は外科手術が必要だろうと感じていました。
そこで、形成外科医が傷の状態を調べるためにやってきました。彼は、私の傷が大きすぎて自然治癒は見込めないだろうと結論づけました。やはり、自然治癒するには栄養が不足しすぎていたのです。しかし、形成手術に耐えられる状態ではないので、十分体力がつくまで、看護師が引き続き傷の手入れをするようにと指示しました。』
『集中治療室を出てから6日目、私は少しだけ力がついてきた感じがして、短い時間だけ、病院の廊下を歩き始めました。そして、最初に行うことになった検査は、骨髄生検でした。これはとても痛みを伴う検査で、太い注射針を骨盤に刺して、骨から骨髄を採取するというものです。
進行したリンパ腫では、癌が骨髄に転移しているのが普通なので、医師たちは、そのような検査結果を予測していました。その結果にもとづいて、薬の種類と量を決めるつもりでした。
検査結果を受け取った日のことは、今でも思い出します。医師が病院の職員たちと心配そうな様子で一緒にやってきて、こう言ったのです。「骨髄生検の件ですが、ちょっと気がかりな結果が出たんです」
ここ数日で初めて、少し不安を感じました。「どんな結果ですか? 何が問題なんですか?」
その場にいた家族も、一瞬顔を曇らせました。
「実は、骨髄生検で癌が見つからなかったんです」と医師は告げました。
「どうしてそれが問題なんですか? つまり、妻の骨髄には癌がないということでしょう?」ダニーは聞きました。
「いいえ、そんなことは絶対にありません。奥様の身体には確かに癌があります。こんなに早く消えてしまうわけなどありません。私たちはそれを見つけなくてはなりません。そうしなければ、処方する薬の量を決められないのです」
そして医師たちは、私の骨髄生検の材料を、香港で最新技術を持つ病理研究室に送りました。4日後、その結果が戻ってきましたが、陰性でした。癌の痕跡はまったく見つからなかったのです。その知らせを聞いて、私は圧倒的な勝利感を味わっていました。
それでもあきらめずに、医師たちは、癌を見つけるためにリンパ節生検したいと言い出しました。最初は、彼らへの仕返しとして、「もう検査は嫌です。これは私の身体なんです。どんなに調べても何も見つからないってわかっていますから」と言いたくてたまりませんでした。
しかし、医師は強く主張し続け、ついこの間私が運ばれてきた時の状態を家族に思い出させようとしたので、仕方がなく検査を受ける決心をしました。彼らが何も見つけられないことは十分わかっていましたし、彼らが行うすべての医学的検査に対して、自分に勝利感がもたらされることも知ってしました。』
『彼は、MRIの画像をもう一度見にいき、私のところへ戻ってきました。そして腋の下も調べていいか尋ねました。私の許可を得て、それを調べ終わっても、まだ当惑しているように見え、さらに私の胸、背中、腹部をスキャンしたのです。
「すべて順調ですか?」私は尋ねました。
「よくわかりません……」彼は言いました。
「何が問題なんですか?」私は、何が起こったのか薄々感じていました。
「少し待っていてください」と彼は答えました。
放射線技師は、さほど離れていないところにある電話へと走っていきました。彼が私の主治医と話しているのが聞こえました。
「さっぱりわかりません。たった二週間前に撮った癌患者の画像があるんですが、今調べても、癌だと思われるリンパ腫が一つも見つからないんです」
私は笑顔になり、彼が戻ってきた時、こう言いました。「それなら、もう行っていいですね」
「いや、待って下さい。あなたの主治医から、身体から癌が消えるなんてことは絶対ありえないので、必ず見つけだすように言われたんです。首のあたりで癌を見つけなければなりません」
彼は、大きくなってもいないのに、私の首のリンパ節に印をつけました。それから手術の日程が組まれて、外科医が私のリンパ節の一つを切り取るために、首の左側を少し切開しました。
これは局部麻酔だったので、完全に意識がありました。外科医が電気メスでリンパ節を切った時の不快感は本当に嫌でした。その時の皮膚の焦げた匂いを今でもはっきり覚えています。医師の処置に同意したのは、間違いだったかもしれないと思ったくらいです。
そしてその結果、癌の痕跡はまったく見つかりませんでした。
その時点で、これ以上検査や薬を続けることに対して抵抗を始めました。本当のところ、私は自分が治ったと、心の底からわかっていたからです。さらに、病院に閉じ込められていることにイライラし始めていました。自分は大丈夫だと知っていたので、早く退院して、世の中を探検したくてたまりませんでした。けれど、医師は許してくれず、さらなる検査と薬が必要だと主張しました。そして、私が病院へやってきた時のことを、再び思い出させようとしたのです。
「私の身体に癌が見つからなかったのに、どうしてそんなことがまだ必要なんですか?」と医師に尋ねました。
「これまでの検査で癌が見つからなかったからといって、癌がないというわけではありません。忘れないでくださいよ。数週間前に病院へ運ばれてきた時、あなたは末期の癌患者だったんです!」と医師は断言しました。
しかし、最終的に、PETスキャンの結果、画像で癌が確認されなかった時点で、私の治療は終わりました。医師チームは驚いていましたが、形成外科医に手術を頼んでいた首の皮膚病変も自然治癒していました。』