高校サッカー研究3

今回と次回は、市原緑高校、習志野高校、流通経済大学付属柏高校で大きな成果を上げてこられた本田裕一郎監督です。私は監督でもコーチでもなく、後輩を応援するひとりのOBなのですが、本書はサッカーを指導する人にとっては、必読書と言えるぐらい貴重な教本ではないかと思います。

どうしたら「勝にこだわるメンタリティ」の根を張れるのか、その答えが「人間性を考えた指導なんだ」という境地に至るまでに長い時間がかかった。というお話は特に印象的でした。

著者:本田裕一郎

発行:2009年6月

出版:(株)カンゼン

目次

はじめに 勝利にこだわることで心を鍛える

第1章 とにかく“勝ち”にこだわる

●選手の自立こそ指導者に求められる使命

●「勝利」を経験した選手は必ず変わる!

●個性派集団に“勝ち”を教えるために

●シンプル・イズ・ベストへの開眼

●「孫子の兵法」に学ぶ

●ピッチの上で選手が自立した日

●人間性を考えた指導への転換

●合言葉は「百打一音」

●身近なところから「勝利」は始まる

●目標を明確にしなければ、夢は達成できない

●指導者に求められる「人間力」

●本当の意味での「強さ」とは?

Interview1 布 啓一郎 “習志野に負けた悔しさは今も忘れない”

第2章 すべては失敗から学んできた

●偶然だったサッカー指導者への道

●手探りでスタートした環境作り

●工夫を凝らした遠征行脚

●鉄拳制裁はスパルタではない!

●選手を追い込み続けた日々

●スパルタ指導の弊害

●優れた選手から得たもの

●若さゆえの大きな失敗

●才能を表舞台に送り出すための改革

●言葉でのコミュニケーションの重要性

●勝つための術を探して

●高校サッカーに必要な本当の厳しさとは?

Interview2 宮澤ミシェル “あの3年間が僕のすべてを作ってくれた”

第3章 自由が奪った“勝利への執念”

●名門校復活を任された難しさ

●井田監督流テクニックサッカーの追及

●市原緑のやり方を180度変える

●選手獲得方法の工夫

●海外で思い知った現実

●九州の台頭とJリーグ開幕

●ライバルの存在

●布啓一郎に見せつけられた「勝利への執念」

●「新サッカー王国・千葉」の誕生

●福田、広山から教わったこと

●95年高校総体優勝の意味

●玉田圭司への後悔

●勝にこだわらなかった自分

Interview3 広山望 “どんなときも「一人の大人」として見てくれた”

第4章 “自立心”を高めるチーム作り

●指導者人生の集大成への充電

●3度目のチャレンジ

●親代わりとして選手に接する寮生活

●点呼の時間やミーティングを有効に生かす

●スタッフ強化とチーム作りの工夫

●全国屈指の強豪への仲間入り

●常勝軍団を目指して

Interview4 齋藤重信 “いつか全国大会の決勝で戦う日まで”

第5章 日本サッカーに足りないもの

●自立心を失った子どもたち

●サッカーは点を取ることがすべて

●サッカー上達のカギはコミュニケーション

●クラブと高校サッカーが抱える問題点

●日本型育成システムを考える

●オシムが日本人に与えた“理不尽”

●日本サッカー変革の時

●世界で戦うために必要なチカラを

おわりに 今、鍛えなくていつ鍛える

第1章 とにかく“勝ち”にこだわる

選手の自立こそ指導者に求められる使命

・勝利を目指す上で必要なことの一つに、「自立心の育成」がある。これは、自ら決断でき、行動できる人間を意味している。サッカーはバレーボールのようなタイムアウトもなく、野球のように攻守が入れ替わる度にプレーが途切れることもないため、試合が始まったら選手一人ひとりの自己判断に委ねられる。しかも集団競技のため、全員がひとつの目標に向かって意思統一を図る必要がある。

・最近の風潮として過保護である傾向が強い。例えば体操服を忘れたといって、母親が学校に持ってくるというケースもある。過保護は自立心の欠如の大きな要因だと思う。

・高校教師になって30年以上経つが、自立心の欠如は年々深刻化している。自分の考えをしっかりと主張できないようでは、勝利を目指すことなどできない。選手のメンタリティは大きなテーマであり、自立心を養っていくことが指導者の大きな使命である。

「勝利」を経験した選手は必ず変わる!

・「負けん気と意地の不足」が顕著である。共稼ぎが増え、家庭内のしつけの時間が足りないことが大きく関係しているが、指導者にも責任はある。サッカーをすることの楽しさよりも、“戦いの楽しさ”を通して「負けないという気概」を浸透させる必要がある。勝利は「感動」と「自信」をもたらす。この喜びや楽しさが人を成長させる。そして目標を掲げ、それに向かって努力し目標を達成する。その過程を学ぶことが非常に重要である。

個性派集団に“勝ち”を教えるために

・最初にやったことは、選手たちの特徴と個性を見極め、勝利するために何をしたらいいのか考えることだった。

「日本一」を意識させるために、何度も説明し、サッカーノートや目標設定なども書かせた。特に1年生の夏まで初歩教育を続けた。

・入学当初のトレーニングは走ることがメイン。最初の15分間は3000メートル走だった。その後はゲームが中心。特に判断力の早さを要求した。ボールコントロールは2タッチ以下や1タッチなど制限を課していた。

・夏休みには1年生だけで10日間くらいの九州遠征を行った。このような厳しい経験を通じ、子どもは少しずつ自立していく。

シンプル・イズ・ベストへの開眼

・小柄な選手が多い特徴を生かすには、ボールも人も動くかサッカー、つまり、運動量を高め、接触を減らし、ボールタッチ数の少ないサッカー。ドリブルは控え、ここぞという時にドリブルで変化をつけるようなサッカー、オシムジャパンの目指すサッカーを参考にした。

「孫子の兵法」に学ぶ

・選手は勝たせれば勝たせるほど過酷な練習に耐えられるようになる。

・少ないタッチでボールを回すためには技術と判断の早さが求められる。そのため、狭いグリッドでの4対4や制限をつけたボール回しを取り入れていった。

他にはアイデアはないかと、さまざまな勝負事の本を読んだ。その中で特に興味をもったのが、「孫子の兵法」だった。

・自立の大切さを痛感したのは、高円宮杯全日本ユース選手権大会で、本田監督を欠いたジュビロ磐田ユース戦と青森山田戦に勝利したことだった。そしてサンフレチェ広島ユースとの決勝戦を前に、「孫子の兵法」から取り入れて行ったことは相手の徹底したスカウティングだった。これにより、平常心で試合に臨めた。事前の準備がいかに重要かを改めて痛感した。

まずチーム全員でスカウティングビデオを見た後、相手4-4-2ならその順番に大きな模造紙を壁に貼ります。そこに選手自身が自分で感じた相手の特徴を書き込んでいくのです。相手の左サイドバックなら、「左利きで速い」「すぐにファウルをする」「キレやすい」「集中力が足りない」などと、みんな競うように書きます。模造紙がいっぱいになるくらい特徴が出揃ったら、最後の赤いマジックで「何が何でも勝ってやる!」と闘争心を紙にぶつけるつもりで書いてもらっています。』

ピッチの上で選手が自立した日

監督として大切なことはトライする精神を持ち続けることである。その精神が人からのアドバイスを呼び込み、読んだ本からの気づきにつながる。

人間性を考えた指導への転換

人間性を考えた指導という境地に至るまでに長い時間がかかった。どうしたら「勝にこだわるメンタリティ」を植えつけられるのかとずいぶん悩んだ。具体策を模索し始めたのは、流経に来てしばらく経った頃だった。まずヒントを探してビジネス書を読みあさった。

・あるビジネス書をきっかけに、何がうまくいっていて、何がうまくいっていないのかを考えることがあった。指導者の資質か、指導者同士のコミュニケーションなのか、施設や環境なのか、練習メニューなのか。

・『「好きこそものの上手なれ」と言いますが、本当にサッカーが楽しくて仕方がない子は自分から進んで練習にも取り組む。勉強でも興味があればどんどん学習する。限界を軽々と超えていくんです。つまり、身近なところを分析して、問題を洗い出し、一つひとつ改善して、サッカーをもっともっと好きにさせればいい。そう思い直したのです。

早速、周辺の洗い出しから取りかかり、検証の過程でいくつもの新しい発見に出会いました。そんな中、再認識したのが、「生き方がきちんとしていない人、信念のない人は成功できない」ということ。これまで宮澤ミシェル(元・ジェフ市原)や名塚善寛(元・コンサドーレ札幌U-15監督)などプロを経験して現役を引退した選手がたくさんいましたが、彼らも「最終的にサッカーがダメになったときこそ、人間性にたどり着いた」と話していました。プロ選手を終えた後の人生はその人間性に大きく左右されます。好きなサッカーに一生携わるためには、仲間やチームに信頼されなければ、次の仕事は見つかりません。それゆえ、私は人間性を第一に考えた指導を心がけようと決意しました。』

合言葉は「百打一音」

・人間性を養う第一歩として考えたのが、チーム全体の意志統一を図ることだった。全員が同じ意識で練習や試合に取り組む雰囲気を作らなければならない。

身近なところから「勝利」は始まる

・挨拶が自然にできるようになることが、「自己表現」の入り口である。挨拶が定着して「先生、これをさせてください」と言ってくる選手が増えたことは驚きだった。そして、些細なことでも、自分自身できちんと連絡するようになった。これは大きな変化だった。やはり大事なことは身近なところからきちんとすること。「勝利へのこだわり」も日々の積み重ねから培われることを知った。

目標を明確にしなければ、夢は達成できない

・年間、月、1週間、毎日とそれぞれやるべきことを明確にしておけば、全力で向かうだけでいい。そこで「目標設定用紙」を導入した。これは陸上で連覇している関西の中学校の指導者の本を参考にして作った。

「目標設定用紙」に次の試合に向けてのそれぞれの目標を選手に書かせ、次の1週間はどう戦ったら勝てるのかを考えながら練習する。用紙には目標だけでなく、目標を達成するために何が必要か、具体的な練習方法や達成する期限も設ける。それを監督と選手間でシェアする。

・サッカーノートはなるべくポジティブに書くようアドバイスするが、それ以外は任せている。そして3年間が終わったとき、すべてのノートを綴じて「飛翔」というタイトルの表をつけて卒業するときに渡している。

指導者に求められる「人間力」

監督として、人としての含蓄がないと、最終的には選手たちを納得させられない。

・本田監督の探求心を深めたのは、昭和の陽明学者・東洋思想家の安岡正篤氏である。安岡氏は1945年8月15日の終戦の詔書(玉音放送)の草案を加筆し、戦後は実践的人物学や活きた人間学をもとに、多くの政治家や財界人の御意見番として活躍した人物である。安岡氏の存在を知ったのは、「日本人とは何か?」を知るために、さまざまな文献を当たっていたときに知った。この時、先人から学ぶことの重要性を痛感させられた。

本当の意味での「強さ」とは?

・全国9回優勝の古沼先生、選手権6回優勝の小峰先生、4回優勝の布先生に共通することは、自分のサッカー哲学に揺るぎない信念と大きな目標に向かって、諦めずにやり続ける強さである。

・北陽高校の監督だった野々村征武先生の規律と、静岡学園の井田勝通先生のテクニックと創造性を融合させることを考えてやってきた。

第2章 すべては失敗から学んできた

若さゆえの大きな失敗

・指導者には指導なりの哲学が必要であり、徹底した戦術をチームに浸透させることが重要である。

高校サッカーに必要な本当の厳しさとは?

・『新設校で、先輩指導者もおらず、上からのプレッシャーもなかったため、自由に動くことができたということもあります。それゆえ、ひたすら強引に選手を引っ張っていました。トライ&エラーも許されていたので、いいと思ったことはすぐやりました。スパルタ方式を導入したのも、全国遠征も、朝鮮語の学習もそう。「不易流行」という言葉がありますが、どんどんチャレンジして、いいものは残し、変化すべきものは変化させたらいいのです。そのうえで、私は「継続」という言葉を大切にしてきました。考えついたことが間違っているかもしれないと感じても、最低3ヵ月はやる。そのくらいの辛抱が大切だということも学びました。こうした結果、チームを千葉県でベスト4の常連まで引き上げることは小さな自信につながったと思います。

反面、言い尽くせないほどの失敗がありました。

最も悔やまれるのは、前にも述べましたが、才能を持つ選手たちに「勝利」を味わせてやれなかったことです。

市原緑には、柴崎のようなユース代表候補にまでなった選手もいましたし、佐々木やミシェルのような日本代表に上り詰めるタレントもいました。石井や古川も鹿島アントラーズの初期の成功を支えた選手たちです。大きく見て、3回は全国大会で上位に入れるくらいのポテンシャルを持ったチームであった。それなのに、私は彼らを千葉県の外に出すことができませんでした。もう少し真剣に勝つ方法を考えていたらと思うと、悔やんでも悔やみきれない。やはり「勝利への執念」が不足していたに違いありません。

第3章 自由が奪った“勝利への執念”

名門校復活を任された難しさ

・戦う集団というのは、作り上げるのには時間がかかるが、崩れるのはあっという間である。

「新サッカー王国・千葉」の誕生

・自分のチームのことだけでなく、高校サッカー界全体がよくなるように何かしようと思っていた。市原緑時代に手掛けた外国選手の国体出場、朝鮮高校の全国選手権出場、国体のU16化、関東スーパーリーグやプリンスリーグの発足などである。これは千葉の指導者たちが柔軟性が高く好意的だったことも関係していると思う。

勝にこだわらなかった自分

・「勝利」という目標があれば、どう勝つかを模索し、いろいろなアイデアが出てくる。しかし「うまければそれでいい」という考えでは、それ以上のところまで到達することはできない。

・サッカーは個人スポーツではないというところに、指導の難しさがある。チームの全員にストロングポイントとウィークポイントとがあって、そういう個性に対応していくには時間がかかる。子どもたちとなるべく多くのときを一緒に共有して、メンタルやフィジカルなどさまざまな面を鍛えていかなければならない。

Interview3 広山望 “どんなときも「一人の大人」として見てくれた”

『一番強く残っている本田先生のエピソードは、卒業するときに「この本を読んどけよ」といって、落合信彦さんの著書「日本の常識を捨てろ!」をもらったことです。本の内容はあまり覚えていないのですが、ちょうど社会に出るタイミングに、国際社会の現実が赤裸々に書かれたものを読んだことで、「自分はもう学生じゃない。今までと一緒じゃダメ。自分からアンテナを広げて、いろんなことを吸収していかないといけないんだ」と感じられました。本田先生は無言のうちに、そういうことを僕に教えようとしてくれたのかもしれない。社会人になるためのいい区切りなったと思います。

僕の場合、習志野で「人間としてのベース」が作られました。プロになってから厳しい戦いを乗り越えていく気持ちの準備とか、人間としての器がある程度、できたんじゃないかな。ジェフでは1年目から試合に出るようになり、確かに生活環境が激変しました。当時のジェフには、マスロバルやハシェック、ルーファーのようなすごい選手がたくさんいた。彼らはプレーだけでなく、人としても素晴らしかったんです。彼らと話すことで、世界のサッカーや政治、経済に目を向けることもできました。同時に「ボーっとしていたら取り残される」という危機感も持てた。そんな自分の土台を固めることができたのは、間違いなく高校時代でした。』

第4章 “自立心”を高めるチーム作り

指導者人生の集大成への充電

・自らの判断で私学を選択した。その際、「これまでにやったことのないことをやって、自分の器を広げよう」と考え、「企業研修プログラム」に参加した。内容は多岐にわたったが、企業で働く若手や新人、女性社員など、これまでに会ったことのない人々と1週間机を並べて学ぶ機会は実に新鮮で、社会全体を見つめ直すいい機会になった。続いて、徳川家康が教育を受けたとして知られる臨済寺に行った。これは神社仏閣からメンタル面の教育につながる何かを得たかったからである。この後は、他のスポーツ強豪校、バスケットボールの能代工業、野球の横浜高校などをアポなしで見に行った。共通していたのは、練習が厳しく、選手たちの動きが素早いことだった。また、監督がいてもいなくても、選手たちの取り組みが積極的だった。

3度目のチャレンジ

・習志野から流経がある柏に通うことは難しいため、自分自身と習志野から来る7人の生徒のために、5LDKの格安マンションを、退職金をつぎ込んで購入した。食事はもちろん弁当も本田先生が作った。もともと日曜大工が趣味だったこともあり、マンションの庭に手作りベンチを置いた。

・『朝食の準備をした後、学校へ行き、朝練習や授業を終え、今度は午後の練習。それが終わると、選手を連れてスーパーへ買出しに行き、また料理を作るという流れです。』

・グラウンドが決まるまでの間、自家用のマイクロバスを使って、日替わりであちこちのグラウンドに行って練習していた。当時は関東大学リーグ1部だった大学との連携もあまりなかったため、大学のグラウンドも使えなかった。

親代わりとして選手に接する寮生活

・権利と義務で成り立つ教育が、権利偏重となり「愛情=可愛がり」になってきた感がある。子どもたちの親への依存心が強く甘えが出やすく、子どもたちは小さくまとまっていることが多い。自己主張の機会が少ないためか、キバが抜かれた状態のように感じる。しつけや教育が重要である。

サッカーを通して、他人を思いやれるような人間、社会で通用するような強いメンタリティを養いたいと思った。

点呼の時間やミーティングを有効に生かす

・自己主張のできる人間になってほしいと、「3分間スピーチ」「3分間作文」を取り入れこともあった。これは、習志野時代のアルゼンチン遠征で、アルゼンチンの選手のスピーチがとてもしっかりしていたのが印象的だったため。「3分間作文」はテーマを伝えて最初の1分間で考えさせ、その後の3分で書かせる。

・月曜はオフだが、全員(A、B、Cチーム)集めてミーティングをやっている。プリントを配布して考えさせることもある。特に「3年間は本当にあっという間だ」ということも強調している。

・コミュニケーションを重視して、選手たちの上下関係をなくしている。

スタッフ強化とチーム作りの工夫

・分業制にしてスタッフを束ねる難しさを実感した。特に人を動かすことの難しさや大変さに直面している。いかに彼らを育てていくか大きな命題である。

・A、B、Cチームの決め方は色々だが、最初は生徒に決めさせている。新チーム発足から1ヶ月半くらい経過したらスタッフが入っていき、各選手の状態等を考慮して選手を入れ替える。上げる子も下げる子もコーチが推薦する形にしている。落とす場合は落とす理由を明確に説明する。また、3月になるとプリンスリーグが始まるので、その段階になると、選手の入れ替えは完全にコーチングスタッフが主導権を握り、チーム編成を行うようにしている。

全国屈指の強豪への仲間入り

・2002年日韓ワールドカップの全ゴールの約7割が、ボールを奪ってから10秒以内だったという話がサッカー界で明らかになり、守から攻への切り替えの重要さをあらためて認識した。また、これには布監督の市立船橋高校のサッカーを見ても明らかだった。

・楽しい雰囲気だった習志野高校時代とは異なり、ピーンと張り詰めた空気をつくりたい、生徒を納得させるような指導法を模索した。

常勝軍団を目指して

・興味が続かないというのが性格的な欠点であり、「勝利への執念」も十分とは言えない。このことから「徹しられないのなら辞めろ!」を掲げ、自分を追い込むようにしている。

・常勝軍団に求められているのは、後継者の育成である。優れた指導者はサッカー一辺倒ではなく、読書をし、教養を身に着け、話術も求められる。また、いろいろな引き出しを持っていなければならない。このような努力もしていく必要がある。

日本人はシュートがうまくない。これはシュートの練習が少ないからである。海外ではシュート練習が明らかに多い。また、シュート技術は中学生、小学生の時に行うことが望ましい。

第5章 日本サッカーに足りないもの

自立心を失った子どもたち

勝負にこだわり強い心を育むために自立心が不可欠である。一方、子どもたちの自立心は年々失われていっているのではないかと思う。何か起こったときに柔軟な対応ができない選手が多い。また、自分で考えての判断や工夫を凝らしたアイデアも出てこない。応用力や融通がきかないことを強く感じる。何か言われないとやらないという風潮も強い。

・共稼ぎが増え、家庭内の会話が減り、子どもたちはゲームやスマホに夢中で増々会話は減る、挨拶もしないなども当たり前になる。さらに悪いことに親は子どもに十分に接しないマイナス面を、お金やモノで解決し子どものしつけを学校に託す。何でも与えすぎるのは良くないとわかっているのにあげてしまう。こうしたことが子どもから自立心を奪っている。

限度をわきまえないスパルタ教育は「指示待ち人間」作ってしまう。細かいことを言いすぎると自立心は育たない。

・自立心の欠如を感じるようになったのは進路だった。当初は誰も来なった。徐々に生徒たちが「サッカーのできるとこないですか?」と聞きに来るようになった。さらに、変わってきたのは、親御さんが来て「ウチの息子にサッカーのできるところを見つけてもらえませんか?」と聞くようになった。

サッカーの練習と同じくらい、常識や習慣、生き方の話しを積極的に行い、自立心を育てる努力もしている。その結果、少しずつ自分の進路や自分の考えを明確に話せる子が出てきた。

・親には返謝しろよと常々話している。「感謝は返謝で完成する」、それを実践してほしい。

サッカーは点を取ることがすべて

・ギニアからムサは、片言の日本語で「自分は40試合やって37ゴール決めた」と、いつもゴール数のことをアピールする。一方、日本の子どもたちからは、「ハードワーク」だとか、「オフ・ザ・ボールの動き」と言う。ピッチ上でもボールコントロールやリフティングの練習をするが、ムサはシュートが第一。それはアフリカだけでなく、イタリアもそうである。かれらはシュートに対する意識が日本人の子どもよりはるかに強い。

・日本の指導現場は「個性を伸ばす」よりも「サッカーのノウハウを磨く」ことに重点が置かれすぎている。

流経では2時間の全体練習の3分の1をシュート練習に割いている。敵をつけないシュート練習は行わない。ゴールを使わずに行うメニューはほとんどない。朝練もゲーム中心。ピッチの4分の1、8分の1、16分の1を使ったミニゲームなどで得点感覚を磨いている。

・『ボールをもらう前にゴールとゴールキーパーの位置を確認し、ペナルティーエリアの中に入ってボールを受けた時点では周囲の状況が頭に入っている。その状態で、しっかりとボールを見ながら打つのが基本なのに、それができていない。ボールを見る時間を延ばすことが課題です。

・ワンタッチのサッカーは非常に難しい。ボールをもらう前の確実な状況判断、ボールを受けるタイミング、体の向き、技術、視野の確保、パススピードや強さなどあらゆる要素を完璧に備えていないとできない。だからこそワンタッチコントロールの練習を育成年代から数多く取り入れる必要がある。

サッカー上達のカギはコミュニケーション

チームプレイであるサッカーにおいて「コミュニケーション能力の不足」は致命的なマイナス点である。

・子どもたちが年齢を問わずいろいろな人と触れ合えるような環境づくりも重要である。

・子どもの人権を尊重するという欧米の考え方も参考になる。アルゼンチンでは大人も子どもも年齢に関係なく正面から向き合って話す。

・マラドーナを育てたというおじいさんコーチは、「評価を子どもたちの前で言ってはいけない。試合や練習での選手個々の評価はコーチの頭の中だけにあればいい」という話をしていた。

・日本ではチーム全員を一律にレベルアップさせようと、コーチがみんなの前で特定の選手に対し、「ここがダメ」「あそこがダメ」としばしば言ってしまいがちであるが、ほとんどの場合、本人は気づいているので、批判に対して言い訳をしたり、責任をなすりあいにつながるので、なるべく控えた方が良い。細かい評価は指導者の頭の中に置いて置き、練習はさらりと終わる。これが意外と重要である。

日本人は、すぐに相手を子ども扱いしたり、「お前は黙っていなさい」と言ってしまったりすることが多い。外国人の指導者は子どもに対してもリスペクトする気持ちを持っている。彼らに話させたり、しっかり聞いてあげたりすることを大切にしている。

クラブと高校サッカーが抱える問題点

・Jクラブユースは環境面、生活面でサッカーに集中しやすい。また、最大の魅力は「プロ直結」というブランド力である。一方、高校サッカーは通常、指導者は教師でもありサッカー以外の学校生活や学業(学力レベル)、あるいは友人関係なども把握することもできる。教師からみれば、トレーニング計画の立案や練習試合の設定などピッチ内のことから、グラウンドの確保、チーム運営費の計算、スタッフのマネージメント、親御さんのケアなどもすべてやらなければならない。

・高校にくる子は、中学卒業時点で少し技術レベルが劣る子か、あえて高校サッカーを望む子が集まる。

・高円宮杯のプレミアリーグをみても、Jユースと高校チームとはあまりなく(2023年は青森山田高校がサンフレッチェ広島ユースに勝利して優勝)、日本代表をみると、高校サッカーや大学サッカーからプロに転身した選手が活躍しており、決してJユース出身が優位という傾向は出ていない。

・一般的にJクラブユースの選手の目的はプロになることである。一方、高校サッカーはプロの選手になるという目標を持つ選手はたくさんいるが、まずは勝利である。全国高校サッカー選手権で日本一になるという目標は「勝利」の積み重ねであり、勝利のために努力し、工夫する。チームメートや監督・コーチなどと話し、チームワークの大切さを学ぶ。そして苦しい練習に耐える精神力も養成される。これらの経験を通して成長し、人間力は高まる。

勝利にこだわってこそ、スーパーな選手が出てくる。そして優秀な指導者も出てくる。今はそう確信している。

・Jクラブユースは認知度が低いため、大観衆の中で試合をすることがない。(傑出した才能があれば、高校生世代でトップチームに上がって大観衆の前で試合をすることはできるが、そのような選手はごくわずかである)

日本型育成システムを考える

・『長年指導者をやってきたからわかるのですが、子どもを健全に育てるためには、いろんな人間の中に放り込む必要があると感じます。Jクラブは基本的にエリート集団だから、サッカーのうまい子しかいないでしょうが、高校にはテクニックのある子も、下手な子も、頭のいい子も、おっちょこちょいの子も、涙もろい子もいる。そんな中で揉まれていくことで、幅が生まれ、心が豊かになり、自然と競争意識も高まっていく。人間とはそういうものではないでしょうか。』

オシムが日本人に与えた“理不尽”

・高校サッカーで言う「理不尽なこと」には、休憩なしの長時間練習、負けた後の罰走、指示通りできなかったときのハードな練習等がある。理不尽なことがよくないのは必然ではあるが、そこから得られることも小さくない。重要なことは指導者が明確な目的をもって行うことである。怒りを発散するだけのためにやってはいけない。

例えば、負けた後にダッシュを30本やらせて、悔しさや辛さを強く刻みつけることは時にあってもいい。子どもに意地や反骨心を芽生えさせることは決して無駄ではなく、次につながる。

・海外では、韓国には国が定める徴兵制度がある。貧しい国の選手には貧困からくるハングリーさをもっている選手が多い。日本の子どもの多くは、これらの国々とはことなり、経済的にも環境的にもあまり不自由のない中で育ってきた子どもが多く、メンタリティは強いとは言い難い。

理不尽なことが良くないことは確かであるが、理不尽を乗り越えた者が強くなるのもまた確かである。

・元日本代表監督のオシムさんの「理不尽」の裏には緻密な計画性、確固たるポリシーやビジョンがあった。それは、モノを言わない日本人に自己主張させ、臨機応変に動けるようにするためだった。指導者は自分の方向性をしっかりと定めるべきである。

おわりに 今、鍛えなくていつ鍛える

・『人間には「競う」という競争本能があります。競技スポーツはその競争本能を健全な形で具現化したもの。つまり、勝ち負けを楽しむべきものだと私は考えます。

サッカーの場合もそうで、ピッチに立つ選手たちに勝利を目指して懸命に戦います。彼らを取り巻く人々は、その戦いを自分自身が実際にやっているかのような気持ちで固唾を飲んで見守る。こうして多くの人々に一体感が生まれ、大きなムーブメントとなり、歴史が作られてきました。そして今、サッカーは世界一の競技人口を誇り、世界で最も人気のあるメジャースポーツになりました。』

・『「世界基準」に追いつくためにも、我々はもっともっと「勝利」にこだわらなければならない。私はそう強く言いたいのです。「いい選手を育てたいなら、あまり勝に勝ちにこだわるべきでない」という考えを持つ方もいるでしょうが、勝利に執着してこそ大きな前進があると確信しています。勝利を目指す姿勢を持たなければ、実戦に沿った技術、戦術、指導力は決して進化しない。優れたタレントも世界中をあっと驚かすチームも出てこないと思います。

・『名将の方々がされたように全国行脚を繰り返し、凄まじい情熱を持つ指導者の姿を見て学ぶところからスタートして、それを模倣しながら自分の色を少しずつ出し、今は完結編に向かって進んでいます。「守破離』の精神でここまで来たからこそ、勝負へのこだわりの重要性をはっきり認識できた。そう実感しています。』

ご参考:『外国人の指導者は子どもに対してもリスペクトする気持ちを持っている。

これは本書の中にあった本田監督のご意見です。

「これはどういうことなんだろう?」と思って見つけた本が“世界に通用する「個性」の育て方”です。内容はほぼ子育てだったので期待していたものとは違ったのですが、この本の”まえがき”に「なるほど」と思うことが書かれていましたので、以下にご紹介させて頂きます。

『日本と欧米では、子育てに関する概念も方法もまったく違います。

日本の子育ての象徴は、「へその緒」です。

欧米の子育ての象徴は、「ファーストシューズ」です。

その意味は、【へその緒=子どもへの依存】【ファーストシューズ=子どもの自立】となります。

日本人の親に見られる傾向として、我が子は血の繋がった自分のものというイメージがあります。一方、欧米人の親に見られる特徴は、生まれた子どもはすでに一人の人格であり、自分の所有物ではないので、子どもを自立させることをゴールにしています。

どうして、こうも違うのでしょうか?

欧米における考え方のベースは、聖書からきています。

日本においては、子育ての方針は、親が決めることがほとんどです。

親が自分の価値観を子どもに押しつけた場合、それがクリアできれば子どもは安心を得ることができますが、親の基準に達することができないと、すぐに子どもは自信を失います。自信を失うと、人と接することが怖くなりますし、何かに挑戦することもできなくなります。

~ 中略 ~

私は牧師をしています。そのため、欧米の宣教師やクリスチャンとの関りが深いです。

欧米の人たちは、キリスト教の聖書の文化に馴染みがあり、子育てにおいて、日本人と考え方や実際の行動が違うところがたくさんあり、驚かされると同時に、たくさんのことを教えられます。

本書では、子どもの“自己肯定感”と“自立心”を高めることによって、子どもの中にすでに備わっている個性を発見し、さらに伸ばすためのヒントを紹介できればと思います。』