「閃く経絡」(関連痛とは)

今回もこちらの本、付録3の “関連痛または放散痛” からです。

著者:ダニエル・キーオン

出版:医道の日本社

関連痛のメカニズムは明確になっていないものの、「脊髄に入ってきた痛みの信号の発生場所を(例えば皮膚からなのか内臓からなのかということを)脳が正しく把握できない」という説明が一般的です。”痛み”が生命を守るためのメッセージ、警告であるとすれば、旧皮質に新皮質が加わった人間の脳はもっと高性能なのではないかと、少し納得できないところがありました。

下記はその関連痛のメカニズムを分かりやすく説明したものです。

内臓痛を伝える感覚神経と皮膚の痛覚を支配する感覚神経が同じ高さの脊髄後角に入り、共通の脊髄視床路の神経に接続する。その結果、大脳皮質の体性感覚野が内臓痛を皮膚痛と誤認することを関連痛という。

 

 

画像出展:「看護roo!

「閃く経絡」では“関連痛または放散痛” と題して、これらの原因は「脳が混乱している」のではなく「ファッシアが伝達している」という新しいメカニズムを紹介しています。これはとても新鮮でたいへん興味深い内容です。ブログではその箇所をご紹介させて頂きます。

『我々を最も困惑させる疑問の1つは「なぜ心臓発作の痛みが、人によって異なる場所に、特に、頚部、顎、腕に放散するのか」である。

なぜ心臓の痛みが腕と頚部で感じられるかに関しては、ファッシアの通路に沿って心臓発作の痛みがいくという説明は、西洋医学の視点とは意見が衝突していることに注意されたい。簡単に言えば、西洋医学の視点は、脳が馬鹿すぎてお尻と肘の区別がつかないとする(この場合は心臓と肘)。しかし、これが全く正しくないことが研究によって示されている。脳はその違いをわかっているのだ。科学者は、臓器に関する脳の意識を説明するために新しい用語―“interception”(内受容感覚)―を作った。「関連痛」という西洋医学的な見方で説明すると、大体このような感じになる。神経はそれぞれ身体の異なる部分を支配するが、それらの神経が脊髄の同じ部分に接続されると、脳は同じ場所から来ている神経だと考える。2つの電気装置を同じ電力メーターに接続するようなもので、どちらが動いているのかわからない。

こちらはネット上にあった『内受容感覚と感情をつなぐ心理・神経メカニズム』という論文です。”外受容”と共に”内受容”が出ています。

心臓発作の場合、心臓の痛みは横隔膜を刺激する。そして心膜が痛み信号を記録して、伝達すると考えられる。痛み信号はこれらの部位から脊髄の第3~5の頚椎神経根に行く。これらの神経根が支配する皮膚は頚部、上腕、胸壁、腕であるため、脳はどこからの痛みかわからず、間違った場所や両方の場所を記録してしまう。

「脳が混乱している」という説の代わりに、「ファッシアが伝達している」という理論はどうだろう? 痛みがファッシアを移動するのだとすれば、電気が銅の導線や水に沿って拡がるのと同じように痛みも拡がるのだろう。我々は、ファッシアの間にある液体が電気を伝導することを知っている。神経はファッシアを神経支配し、また、神経はファッシアの中を走行することを選ぶため、両者の関係は強い。「脳が混乱している」と考えるのではなく、痛みが実際にファッシア面に沿って神経ネットワークを介して放散している、とは考えられないだろうか?

痛みが強くなるほど、また電気信号がより強力になるほど、放散は強くなる。これは研究によって示されていることと一致している。痛みのある部位での局所麻酔は関連痛の刺激を消すはずだ。これに関する研究はあまり行われていないが、これが正しいことを示した研究が少なくとも1つはある。

Local application of ketocaine for treatment of referred pain in primary dysmenorrhea.

※Local applicationとは局所適用、ketocaineとは局所麻酔薬、dysmenorrheaとは月経困難症。

関連痛には3つの種類がある。体性痛(または臓器の痛み)、神経根障害の痛み(または神経損傷による痛み)、筋性の関連痛である。

神経根障害の痛みは、神経が損傷した場所から、脳に異常なメッセージを送る。ここで、脳は本当にだまされる。身体の遠位の部位を支配する痛みの神経が、本来であれば痛みが起こるはずのない場所で刺激されるからである。この痛みは、すべり症や他の脊柱の問題でよく起こる。

神経はそれ自体のファッシアに囲まれ、氣が移動するのはこのファッシアに沿う。これと関連痛のファッシア理論は矛盾しない。神経根障害の痛みは特別な種類―傷ついた神経の痛みだからだ。

筋性の筋膜痛は筋肉の間に沿って動く。筋性の筋膜痛では、筋肉が硬くなるとき、筋肉を包む筋膜をもつれされる。身体は網であり、一部が動けば、網全体を再調整しなければならない。

これは「身体のテンセグリティー・システム(張力統合構造)」として知られている。身体を扱う人々(例えば医師)と違い、身体に触れて施術する人々(例えばマッサージ師、理学療法士)のほとんどにとって、これは自明だろう。どの筋肉が硬いかにより、身体の様々な面を再調整する。再調整はある線にそって行われるが、その線は高確率で予測可能である。これらの線は、中医学で鍼灸の経絡(特に陽経)であるとされてきた。

 

 

こちらが経絡の中の「陽経(手の三陽経と足の三陽経)」を示したものです。

画像出展:「経絡マップ」

最後に、体性放散痛である。体性は「身体」を意味するが、この場合は「内臓」を指す。

関連痛で最もよく知られた例は心臓である。「脳が混乱している」説の代わりに、これは顔と腕につながる主要動脈の通路に沿って痛みが放散していると見なせる。

食道の関連痛は喉まで上がり、胃まで下がる。これらは胃のファッシア面である。

虫垂の痛みは腹部の中央で始まる。これは虫垂を覆っているファッシアが引っ張られるときにしか起こらない。虫垂は腹部右下の隅にあるにもかかわらず、ファッシアのつながりは腸間膜を介して、へその高さの背部の正中線へと走行する。この場所は虫垂炎が痛み出す場所(10~15%の割合で)として昔からよく知られている。その後、虫垂炎が腹壁のファッシアを刺激すると、痛みはそちらに移っていく。

骨盤痛は多くの場合、腎経・閉鎖管―骨盤から脚への唯一の出口―を通じて内股で関連痛を生じる。

直腸痛は肛門のファッシアで関連痛を生じる。

膀胱痛は尿道ファッシアから陰茎の先端、または睾丸へのファッシアへと移動する。

アイスクリームの頭痛を引き起こすものが何かは誰にもわからないが、ある説によると脳に入る動脈の拡張に起因するという。とても冷たいものを食べると、鼻を通って脳に入る動脈が少し拡張する。そうなると、脳の「硬膜」にあるファッシアが引っ張られ、特徴的なズキズキする頭痛を引き起こす!

同様に、動脈の拡張を引き起こすものは頭痛となる。片頭痛は1つの例である。

膵臓の痛みは、そのつながりを反映して、背部に放散痛が生じる。

尿管の痛みは「中腎」に沿って睾丸まで到達するが、腎臓の痛みはその発生学的な起源に忠実で腰部にとどまる。

肺は放散痛を生じるとは考えられていない。これは、肺の放散痛は、喉頭へ拡がるので、喉頭自体の痛みとして関連付けて考えるためだ。

骨痛はその場所に忠実だが、骨のファッシアを突破すると、筋肉の筋膜面に沿って放散する。

血管の痛みは血管に沿って放散する。大動脈が避けるとき、患者は実際にそれを(大動脈が走行する)背部が引き裂かれるように感じると表現する。

顔の痛みは、顔の発生元である咽頭弓の面に沿って移動する。咽頭弓から顔は発達する。

胆嚢痛と腹腔内出血は「乳び層」から鎖骨下静脈、つまり肩先まで放散する痛みを生じさせる。

実際、痛みの放散のほとんどすべては「混乱した脳」理論の代わりにファッシアで説得力を持って説明できる。関連痛の「ファッシアの氣」理論は痛みの放散を予測できる。「混乱した、愚かな脳」理論に遡って説明する必要はない。

さらに言えば、脳の愚かさを想定する必要はない。脳は痛みを感じている場所を正確に示している。脳が感じる痛みは病理的電氣の形の痛みであり、電氣は移動する。病理的電氣はファッシア面、あるいは鍼灸の経絡を移動する。痛みはファッシア面に沿って移動する異常な電気的活動の形態であるからだ。痛みは移動すると、さらに痛みが生じる原因となる。

ファッシアは、臓器よりも痛みに対してずっと感受性が高い。

頭痛は脳の痛みが原因ではない。脳は痛覚受容器を持っておらず、患者の意識がはっきりしたまま脳を手術することもできる。むしろ、頭痛はファッシアの刺激が原因である。

消化管はほとんどファッシアが引っ張られるときのみ、痛みを伝える。そのため、腹痛の主訴は、腹部がひきつれる感じや膨満感のような漠然としたものとなる。

肝臓と脾臓は、ファッシアが関与しない限り痛みを感じない。

腎腫瘍はファッシアを越えて浸潤するまで、漠然とした疼痛(筋膜が引き伸ばされることが原因)しか生じない。

西洋医学は、心臓の痛みが筋肉でなく、ファッシア(心膜)で感じられることを認めている。

癌の激しい痛みはファッシアが関わるときにのみ始まる。その前の段階ではほぼ間違いなく無痛性である(これは早期に発見する上で問題となる)。

体性(臓器)の痛みを見るときに注目に値するのは、その痛みは現実には存在しないということである。実際、どの臓器も痛覚受容器を持っていない。このため、全く気づかないうちに、癌が進行したり、肝臓が毒されたり、肺気腫にかかることがありえる。

脳が臓器の痛みを混乱しているという考えは無意味である。というのは、これまで誰も肝臓の痛みを感じたことはないからだ。肝臓を包む膜(ファッシア)の痛みしかない。脳腫瘍が痛みを生じるのは硬膜(ファッシア)が引っ張られるときだけである。肺が非常に乾いて、肺胸膜(ファッシア)が滑らなくなる(胸膜炎)ときのみ、肺気腫は痛みを伴う。

痛みの放散痛に関する「ファッシアの氣」理論は、痛みの放散痛をすっきり説明するだけでなく、鍼灸の理論にも完璧に合致する。西洋医学は、このつながりを見落とすという、古今を通じて最大の医学的誤りを犯したのだろうか?

「ファッシアの氣」理論は、ファッシアにある電氣の流れを調整することでこの痛みに作用を与えられると想定する。そして、痛みの緩和は鍼灸における最大の成功である。三千年の医学は、この驚異的な特性の上に構築されてきた。

もし、この理論が受け入れられれば、「ダニエル・キーオンのファッシア・鍼灸・痛み理論」と呼ばれることを願う……。

……冗談冗談! 鍼灸は鍼灸だよね!』

ブログリンク:”筋連結

ブログを書き終えて数日後、以前アップした ”筋連結” のことを思い出しました。ファッシアが筋膜を超える幅広い存在であるということを前提に考えると、”筋連結” という考え方は、筋性の関連痛を後押しするものではないかと思われます。