スタディオ・サン・パオロでの偶然

1990年7月3日、サッカーワールドカップイタリア大会の準決勝、イタリア対アルゼンチンの試合がナポリのサンパウロスタジアムで行われた。


急遽決まった大学時代の友人とのイタリアワールドカップ観戦は、行き帰りのローマ泊以外は宿泊できる保証もないままの決行であった。

ちなみに、ローマに着いて早々、つたない英語で電話をかけまくり、当時の日本円で1泊約1,300円の民泊らしき宿をナポリで確保することができたのだが、実際に行ってみると、ひとりはイタリ人のお爺さんとの相部屋ということだった。

無頓着タイプの私が立候補し、明るいお爺さんのさっぱりわからないイタリア語攻撃にあいながら、笑顔で対応したのは正解だった。


サンパウロスタジアムまでは、電車を使ったが、乗り遅れそうなアブナイ状態だったため、大通りをかなりの勢いで走っていたら「カメルーン!、カメルーン!」という、どうやら声援らしき声が巻き起こっていた。

「何?さすがに、カメルーンには見えないだろう」と思ったが、

開幕戦でロジェ・ミラ率いるカメルーンがアルゼンチンを撃破、イングランドとの準々決勝でも延長にもつれこむ好ゲームでカメルーンの大健闘は光っていた。

必死の形相でナポリの町中をダッシュしていた日本人は、まるで「不屈のライオン(カメルーンチームの愛称)」に見えたのか、いずれにしても陽気なイタリア人の餌食になっていた。


サンパウロスタジアムは、収容人数約83,000人の大きなスタジアムで、当時セリアA(イタリアサッカーリーグ)のナポリのホームスタジアムであった。

本日の敵国はアルゼンチンではあったが、斜め前に座っていたイタリア人サポータ達からは「マラドーナ、マラドーナの大合唱が試合前には起きていた。「やっぱりマラドーナは特別な英雄なんだ。」と感心した。

横に座っていたアンナさんというイタリア美女からはアイスキャンディーを頂くこととなり、イタリアが勝利したら声をかけてみるのはいかがなものかと、脳ミソを発火させる場面もあった。


ところで、スタジアムに着いた時は、まだまだ人は少なかった。まずはトイレで用をたすかと思い、入ったトイレは大きかったという印象である。

既に日本人らしき人が正しい姿勢をとっていた。「おっ、日本人?」と思った次の瞬間、なんと、その人は近くの高校の1年先輩の人だった。


実はその人は現FIFA理事兼日本サッカー協会会長の田嶋幸三さんであった。

田嶋さんは1975年の三重国体で埼玉県選抜のキャプテンであり、国体少年サッカー開催地の上野市の宿では私は「部屋っこ」であった。

消燈後、1分前後でただちに爆睡に入る田嶋さんをもの凄い人だなとリスペクトしていた。


初イタリア、初ワールドカップ、イタリアチームの準決勝敗退、ローマでの出来事、ナポリでの出来事、色々な思い出を作ることができたが、サンパウロスタジアムのトイレ事件は、「驚き」という意味でNo1のニュースであった。


 

敗戦翌日のナポリの街。