アリソン・デュボア

今回のブログは先月アップした“輪廻転生”の中でご紹介した『あの世から届く愛のメッセージ』という本に関してです。タイトルの“アリソン・デュボア”とはこの本の著者であり、また著名な霊能者です。

アリソン デュボアはアリゾナ大学では霊能現象と死後の世界に関する実験に協力し、その後、司法機関が関与する殺人事件や失踪事件の解明に協力しました。

あの世から届く愛のメッセージ
あの世から届く愛のメッセージ

著者:アリソン デュボア

発行:2007年6月

出版:徳間書店

精神科医によって書かれた『輪廻転生』に出てくる、“退行催眠療法にはの存在が必要です。

宇宙の半径は138億光年ではなく約464億光年とする説が有力のようです。一方で、原子よりも小さな世界は量子の世界、ニュートン力学が通用しない摩訶不思議な世界です。

霊の世界を信じることは難しいかもしれませんが、人知の及ぶ範囲は狭く限定的であり、霊の存在を頭から否定する気にはなれません。


上記のイラスト は、”Newtonライト「13歳からの量子論のきほん」”から持ってきました。また、左の図の上部に書かれている説明書き(”量子論と自然界のサイズ”)は以下の通りです。

量子論は対象のサイズに関係なく、自然界全般の現象に適用できます。ただ、量子論的な現象は、ミクロの世界でよりきわだちます。原子以下[1000万分の1ミリメートル以下]のサイズになると、量子論で考えないと説明できない

現象が次々と顔を出すのです 

アリソン デュボアが歩んできた事実に加え、『あの世から届く愛のメッセージ』に書かれた内容は、詳細かつ具体的、時にユニークとも思えるほどであり、霊の存在を後押しします。

なお、アリソン デュボアは今も精力的に活躍されていることが分かりました。以下はそのホームページYouTubeです。

Allison DuBois
Allison DuBois

アリソン・デュボアのホームページ

Allison DuBois
Allison DuBois

アリソン・デュボアのYouTube

目次黒字が特に印象的だった箇所です。

『輪廻転生』と『アリソン・デュボア』を知って、私は”完全無欠とはいえない霊支持者”になりました。皆さんはどう思われますか。

目次

著者アリソン デュボアについて

謝辞

前書き

はじめに

霊媒でありプロファイラーである「私」について

第1章 あの世で生きる父は「マイ・ウェイ」のメロディと共に…

●さよならを言う機会

●父が亡くなることも、その死因も予め知っていた私

第2章 六歳で垣間見たあちら側の世界

●あの世からのメッセージを無視していた私

第3章 守護の天使/あの世からのサインに救われた私

●11歳で受けとった危険のサイン

第4章 私のプロファイリング/行方不明者の捜索に関わって

●プロファイリングはこうして始まった

●テキサスでの捜索

●エリザベス スマートの誘拐のケース

●失踪者たちが実際に生きていたケース

●ヘッドタッピング=人の頭に入り込むという方法

●これこそ私の歩むべき道

第5章 愛すべき小さな霊能者たちをどう育てたらいいの?

●小さな霊能者たちに備わった「特別な力」の扱い方

●子供たちの霊能力向上のための訓練

●学習障害か、才能か?

第6章 霊能ティーンエイジャー/感じやすく傷つきやすかったあの頃

●私がティーンエイジャーだったとき

第7章 守護霊の導き/直感にもっと耳を傾けよう

●相手の病気を感じてしまう私

第8章 つらい人生に、安らかな気持ちで「さようなら」

●記念碑に集うアメリカ兵士の霊

●9.11テロで愛する人を失った方々へ

第9章 霊視に臨む/亡くなった愛する人との再会で大切なのは「小さな」こと

●霊視で大切なことは「小さなこと」が多い

●あの世と手を携えて/16歳の少女への霊視

●死んでからもつながっていた「母子の絆」

●腑におちない霊視の情報から一転「信じるよ」のカードを送ってきたジョージ

●めでたしめでたし/霊視を家族の「楽しみ」にする人々

●霊視で見た「イースターの百合」の意外な意味

●ランディ/私のお気に入りの懐疑主義者

●流れ星/それは亡くなったパイロットの兄からのサイン

第10章 生きた霊と話す/ミディアムという「才能」に恵まれて

●死んだ人が見えるという感覚

●お手本のない人生/プロファイリングに目覚める

●メッセンジャーは、奇跡を起こす人ではない!

●私だって人間/霊能者だからって何もかも知っているわけじゃない

●「霊能者」は卑猥な言葉?/テレビ番組での出来事

●何を恐れているの?/懐疑主義者たち

●境界線/普通人としての生活と霊能者として生きること

●水準を高く持つ/霊媒という仕事への誇り

第11章 私にできること/それは助言を与え、守護の天使を送ることだけ

●クライアントさん、それは本当に知りたいことなの?

●人の臨死体験から学んで生きる!/やり遂げたいもののリストを作ろう

●もう一つのあの世/光に背を向けてしまったお父さん

第12章 素晴らしき癒し/命半ばに亡くなったドミニとの境界を超える交流

●唯一無二の親友ドミニ

●「さよなら」ではなく「また会う日まで」が好き

●あの世に行った愛する人は、私たちと人生を共にしている

●愛猫シンバッド/どこかで生きているの?

●霊視におけるペットの役割

第13章 霊の訪問によるエネルギーを今、この世に活かす!

●ダイアンとの霊視

第14章 生まれる前の出会い/あの世からの介入で守られた胎

●ステイシーのお腹の子供に感じた絆

●あの世からの介入で祈りがかなえられるとき

第15章 霊媒を愛して/アリソンの夫、ジョー

●アリソンとの出会い

●事後の謝罪が通用しない相手

●なぜアリソンに能力が与えられたのか

第16章 死後の世界と科学/トップクラスの科学者の「実験用モルモット」になる

●守護霊の指示で「実験用モルモット」になる

●霊媒の知識/能力に応じて、受け取るメッセージの質が異なる

●ご冗談を!/知らずに霊視したのは、ディーパック チョプラ!

●パイロット番組出演

●一般社会に、そして科学界に波及しはじめたアリソン デュボアの霊能力

●『ピープル』誌2005年1月31日

●『ミディアム 霊能者アリソン デュボア』 主演パトリシア アークエット

霊媒でありプロファイラーである「私」について

・霊媒は生と死の橋渡しをする。

第1章 あの世で生きる父は「マイ・ウェイ」のメロディと共に…

父が亡くなることも、その死因も予め知っていた私

・『私がこの章を書いたのには、理由がある。大切な人が死んでしまったとき、自分を責める人はあまりにも多い。「もしお母さんを医者に連れて行ってさえいれば、どこか悪いことにもっと早くに気づいてさえいれば、死なせずに済んだのではないかしら?」

そう思っている皆さんに、私の場合を見てもらいたい。私は、父が亡くなることも、その死因も知っていた。誓って言うけれど、それを避けようとして、私はあらゆることをしたのである。それでも結局、私の手には負えなかった。運命を変える力なんて、私に備わっていなかったのだ。クライアントのためになる情報、あるいはその命を救うことにさえなる情報を、あちら側から与えられたとしても、私はその情報を伝える者でしかない。情報はいずれ何らかの形でクライアントに伝わるだろし、私はたまたまそのパイプの役割を果たすにすぎない。だれかの命が尽きるときには、尽きるのだ。何かの徴候に気づいてさえいれば死なせずに済んだのではないかという罪悪感を、少しでもやわらげることができればと願っている。私の父の話を読んで、皆さんが「自分の力ではどうにもならないこともときにはあるのだ」ということを思い出してくだされば幸いである。』

エリザベス スマートの誘拐のケース

・『私の情報が、加害者を特定し、犠牲者を見つける役に立たないのなら、わざわざプロファイリングなどしない。加害者の名前と犠牲者との関係は、事件を解く鍵となってたろう。けれど、どんな情報も使わなければ役に立たないのだ。警察がいつの日か、本物の霊能者たちを認めてくれることを願ってやまない。そうすれば、誘拐事件の勃発と同時に、私たちの直感が然るべき権威に伝えられるようになる。でなければ、せっかくの才能も、宝の持ち腐れになってしまうではないか。

念のために言っておくと、私たちのプロファイリングという作業は、完全な科学ではない。プロファイラーも人間だから、ほかの人と同じようにミスをすることもある。それでも、プロファイリングによって犠牲者が助かる可能性が高まることに、疑いの余地はない。この能力を認めないことによって失うものの大きさを考えれば、どうしても認められるべきものだ。そこには、人の命がかかっているのだから。』

第6章 霊能ティーンエイジャー/感じやすく傷つきやすかったあの頃

私がティーンエイジャーだったとき

・『ティーンの霊能者は、自分が対処できる範囲を超えた情報を送らないでほしい、と守護霊に頼んでおく必要がある。私たちは、能力相応の情報を与えられるはずだが、ときにはその範囲を少し超えたものを与えられることもある。自分の限界を超えていると感じられてきたら、与えられる情報を制限して、重荷を少し取り除いてくれるように、守護霊に頼まなければならない。』

・『情報の渡し方も熟慮すべきで、大切なのは具体的な情報のみを知らせることだ。特に、霊能者が自分の心を軽くするために人に情報を漏らすことについては、細心の注意を払わなければならない。自分のためではなく、相手にとって必要なのかどうかで判断すべきなのだ。もし相手のためにならない情報なら、守護霊にその情報の重みから解放してほしいと頼み、必要なら日記にでも書き留め、忘れてしまおう。』

・『警察と連絡を取るのは、必ず彼らが調べることのできる情報、事件の予防か有罪判決のために使える情報を持っている場合だけにしておこう。それ以外の情報は、警察には無用なのだ。』

・『ちょっとしたことでいちいち警察に連絡していたのでは、そのうち警察はあなたの情報に関心を払わなくなる。怪しげな霊能者というレッテルを貼られ、警察からの信用を失ってしまう。本当に事件の解決の重大な鍵となる情報を得た場合に備えて、そうならないようにしたい。』

・『心の平安を取り戻したければ、心に純白の光が満ちるようすを思い浮かべるといい。その光は、あなたの体の中をいっぱいに満たすと、毛穴の一つひとつから溢れ出し、輝きを放つ。その白い光はあなたを守り、あなたの心を鎮めてくれる。このエクササイズは非常に効果があるので、私は自分のために実行している。また、あなたが親しく感じるあの世のだれかに協力してもらう方法もある。その霊にバケツを持ってもらい、あなたが問題だと感じることをすべてそのバケツの中に入れて、持っていってもらうのだ。あの世の愛する人は、喜んで私たちの不安をやわらげてくれる。このエクササイズは、亡くなった人とこちら側に残された私たちとの関係を強めるのにも役立つ。』

・『あなたが若い霊能者で、霊能力を発達させたくないと思っているなら、それもかまわない。あの世は、その人が対処できる以上の重荷を与えるつもりはないのだから。あの世からの声を無視するためには、ちょっとした練習を積む必要があるが、やれないことはない。はっきりと心を決めて、メッセージを無視していれば、やがてメッセージはおぼろげになり、聞き取りにくくなる。そういう状態になったからと言って、その人が能力を失ったわけではないと私は思う。能力はまだあるのだが、ただ休止状態なのだ。才能から顔をそむけて生きてると、漠然とした欠落感や理由のわからない苛立ちを感じることもあるだろう。』

第10章 生きた霊と話す/ミディアムという「才能」に恵まれて

メッセンジャーは、奇跡を起こす人ではない!

・『霊視のために心の準備をしているとき、私の手が急に氷のように冷たくなると、あちら側が私の周りをぐるぐると回っているのだと分かる。私はこの状態を、あちら側と手をつなぐ、と言っている。今ではようやくこの感じにも慣れた。』

私だって人間/霊能者だからって何もかも知っているわけじゃない

・『霊能者として困るのは、何もかも知っていると思われることだ。たいていの人は、霊視をするにはエネルギーが必要だということが分からないのだ。「全知の人」として生きることがどんなことか、想像できるだろうか? 食器洗い機が壊れると、こう言われる。「もうすぐ壊れるって予想できなかったの?」

子供が滑って転ぶとこう言われる。「どうして先に分からなかったの? 霊能力があるんでしょ?」

まず、私たちのボリュームを上げるのには莫大なエネルギーが要るし、毎日の生活で忙しいのだから、そういうことにいつも注意を払っているわけではない。私たちだって人間なのだ。それに、霊能者だからといって、何もかもが見えるわけではない。確かに私たちには第六感がある。だが、ほかの五感が当てにならないのだから、第六感にだって間違いが許されてもいいのでは?』

・『霊能者は、集中するまでもなく分かることもあるし、私たちの注意を引こうと必死になっている霊の強引さに圧倒されることもある。メッセージを私が繰り返すまで、ある名前を私の耳に向かって叫んでくる霊もいる。どうしても伝えたいという思いが、ときにエチケットを忘れさせてしまうということなのだろう。私としては受け取れるものを受け取るしかない。どれだけの情報を受け取れるかは、あちら側からのエネルギーの強さと明確さ、私たちのメッセージを受け取る能力、そして私たちがメッセージを伝えようとする相手の意欲にもよる。

・『霊の立場から見てみよう。10年間も待ち続けた相手と、やっと話せる機会が巡ってきた。ところが、与えられた時間がたった30分しかないとしよう。この10年という月日を埋めて、今現在、生きている相手と生活を共にしているのだと認めてもらいたい。その気持ちを伝える唯一のチャンスかもしれないのだ。あなたにとって大切なことは何? どんな言葉を伝えたらいい? 「愛してるよ」、または「ごめんなさい」と伝えたい。あるいは、あの人の名前を、あの人といっしょにいる人の名前を、感情的に価値のある物や思い出を伝えたい。

それが愛情だろうと幸福感だろうと後悔の念だろうと、気持ちを表現するのに忙しくて、たぶん何を言えば相手を信じさせられるか、などということを気にかける余裕はないだろう。愛する人の心に触れたい。だから、あの世の愛する人と連絡する幸福な機会に恵まれたときには、自分自身の希望にこだわるのはやめて、彼らのメッセージに耳を傾け、素直に彼らの気持ちを受け取ろう。』

境界線/普通人としての生活と霊能者として生きること

・『正真正銘の霊能者なのに、さまざまな汚名を着せられて生きなければならないのは、世の中に多数のペテン霊能師がいて、そういう輩が本物の霊能者に悪評をもたしているからである。もちろん、腹立たしいし、まったくひどい話だと思う。一度、クライアントからこんな質問を受けたことがある。「悪評を祓うロウソクに灯をともしてもらうのに、お金がかかりますか?」そんな習慣はそれまで聞いたこともなかったので、「何のことでしょう?」と尋ねた。話を聞いてみると、かつて彼女が通っていた霊能者から、10ドルから50ドルするロウソクを売りつけられていたというのだ。クライアントの人生に困難を引き起こす悪霊を祓うらためだと、霊能者は言ったという。』

・『良い霊能者は、クライアントから人生の決断に際して、いちいち頼られることを好まない。私たちは、彼らが自力で解決し、人生の機会を最大限に活かし、そして幸せになってくれることを、何より望んでいるのだ。

だから、霊能者を十把一絡げにするのは止めてほしい。もしも霊能者に霊視をしてもらう機会があって、「あなたのおばあさんがいっしょにいます」と言われたら、引いてしまわずに、「祖母について話してください」と話しかけよう。愛する人に関してこまごまと説明する必要はない。そういうことは霊媒に任せればいいのだ。』

・『与えられた情報を伝えることがクライアントを傷つける以外の何かの目的に役立つかどうか、考えることにしている。その霊視では、問題のメッセージの受け取り手である第三者は、私の主な関心の対象ではない。私がまず第一に優先すべきなのは、私のクライアントなのだ。こういう場合にのみ、私は故意に情報を伝えないことにしている。そして、繰り返して言うが、これはまれなことだ。この事件をきっかけに、私は自分自身に向けた倫理規定を作った。そこには、常識と言っていいような、ごく単純なことも含まれるのだが、霊媒は常に高い道徳的基準を持つべきだと思う。何と言っても、私たちには、大きな責任が与えられているのだから。』

第13章 霊の訪問によるエネルギーを今、この世に活かす!

ダイアンとの霊視

・『あなたの番がきたときには、あの世に行った愛する人たちと再会して、あちら側に連れていってもらえる、ということを知っておこう。だから、再会を急ぐ必要はない。私たちは、人生を楽しみ、人生から学ぶためにこの世にいるのだし、それぞれに必ず逝く日は来るのだから 

第16章 死後の世界と科学/トップクラスの科学者の「実験用モルモット」になる

霊媒の知識/能力に応じて、受け取るメッセージの質が異なる

・『研究用の霊媒になるというユニークな経験をしたことで、どんなに奇妙に思える情報でも、自分の得たものを信頼することを学んだ。研究の記録に残すためにはそれを伝えなければならないからだ。困難な状況や命令のもとで、能力を発揮することを学んだ。

研究用に霊視を行うときには、つい直截に情報を伝えてしまうのだが、ときには、思いやりを持つことも忘れてはいけないと思う。どんな霊視も、クライアントに対して正直かつ思いやりを持って行うことが最優先事項だと、私は毎回自分に言い聞かせている。研究用の霊媒になったことで、私はずっと強くなったし、限りない人生の教訓を学ぶこともできた。

自分の才能をテストすることができたのは、私にとって大きな意味があった。自信がついただけでなく、技能に磨きをかける機会にもなったからだ。どのようにしたかと言うと、情報がどのように伝えられ、どんな感じがしたか、受け取る情報を逐一メモするようにしたのだ。そして霊能力によって得た情報をしっかり見つめるのだ。それによって分かったのは、たとえば、あちら側の者たちは、私がすでによく知っている観念―たとえば名前だとか絵だとか場所だとか―を利用することによってしかメッセージを伝えることができない、ということだった。つまり、伝える前に私自身が理解できなければならないのだ。だから、私自身の人生経験が、この能力を運用することに大きく関わってくるのである。

たとえば、私は法的処置、特に殺人の分野に詳しいので、殺人の犠牲者を呼び出すと、加害者に関する判決や法廷情報を簡単に受け取ることができる。また、加害者の頭の中に入り込むコツも知っている。同じように、ジョン エドワードが死因や疾患の診断において非常に優れているのは、医学的な知識が豊富だからだということに気づいた。霊媒にはそれぞれ専門があるということだ。それぞれに独特の強みがあり、その能力をうまく活かすためのスタイルがある。いろいろな霊媒がいるのはいいことだと思う。』

一般社会に、そして科学界に波及しはじめたアリソン デュボアの霊能力

・『検事局でインターンとして働いていたとき、アリソンは自分の能力を事件解決に役立てられると実感した。「私は、裁判所で使う犯行現場の写真を整理する仕事をしていました。そして、現場の写真が撮影される以前の出来事、つまり、被害者が殺害される前の様子が見えるようになったんです

アリソンは自分の霊視力を試してみようと、失踪事件三件についての所感をまとめ、捜査当局にファクスを送った。すると、そのうちの一件について話がしたい、とお呼びがかかった。アリソンは捜査員に、行方不明になっている女の子の遺体が発見される時期を告げた。「私はただ頭のなかで5年の流れを読んだだけ。捜査員は、その子が姿を消してから4年10ヵ月後に遺体を見つけたんです」

自分の受け取る情報が調査に役立つと悟って以来、アリソンは、霊能力による犯罪プロファイラーとして捜査当局に協力している。事件に関する情報は、犯罪者の“頭のなかをのぞくこと”で得ているという。「被害者の名前を見つめると、その人に残留している感覚が伝わってくるんです―ご両親のこととか、どんなふうに亡くなったかとか。殺害されたケースであれば、被害者を介して犯人の頭のなかに入っていきます。被害者が橋渡しをしてくれるので、私は犯人の頭に入り込み、その目を通して見ることができるんです」

アリソンは、たとえ容疑者があがっていても、その人物の写真や他の情報を見ないようにしている。「なにものにもとらわれずにいたいんです。どんなものにも染まらずにいられるように。そうすることによって、私が得る情報は清く澄んでいるわけです」実際には、第一印象を読み取ったあと、写真を見たり二度目の霊視を行なったりすることもある。「ですが、犯人の頭のなかに入り込んだあとですから、すでにどんな人物かは把握していますし、犯行の動機も感じ取っています。』

Memo

母親の四十九日法要も終わり、今は、母とのつながりや先祖への感謝の気持ちを忘れずに、元気に暮らしてゆくことが一番だと思っています。

おうち看取り2

たんぽぽ先生のおうち看取り
たんぽぽ先生のおうち看取り

著者:永井康徳

発行:2020年10月

出版:幻冬舎

目次は”おうち看取り1”をご覧ください。

第5章 人生会議 ~どう生きて、どう逝きたいかを一緒に悩む~

人生の最終段階の決定プロセスに関するガイドライン

在宅医療とは、大切な人が亡くなっても納得できる医療である。これは、患者さんがなくなるまでの間、ご家族と何度も話し合い、一緒に悩むことで、もしもご家族が「あの選択をしたのが悪かったのだろうか」と後悔した時に「あれだけ一緒に悩んで選んだことですから、よかったのですよ」と言ってあげられることにある。

意思決定支援に重要な5つのポイント

-医師は患者さんやご家族が亡くなる前に、家で人工呼吸器をつけるか否か、延命治療や胃ろうをするか、気管切開するかなど重要な意思決定をしなくてはならない場面に出会う。次の5つはこれらの意思決定の上で大事だと思うポイントである。

①ご本人の意思を尊重する。

②考えられるすべての選択肢を提示する。

③患者さんに関わる人すべてを巻き込む。

④決めたことでも、気持ちは変わってもよい。

⑤結果よりもプロセスを大切にする。

第6章 看取りの質を高める ~納得できる看取りを実現するために~

最期まで食べるための前提として、必要な3つのこと

①食べる取り組みをする前に、医療を最小限にする。

・点滴や注入を最小限にして唾液を飲み込めるようにする。

・口腔内の湿潤状態を維持する。

・食欲を復活させる。

②医師や言語聴覚士に絶食指示を出させない。

・嚥下検査でどんなものをどれくらいなら食べられるかを見極める積極的な嚥下検査を行う(一般的には絶食という判断がされやすい)。

“永井の法則”―「食べたいものを大きな声で言える人は食べれる」

③患者さんの食べたいと思う気持ちを尊重し、どうすれば食べられるかをとことん追求する。

・ご家族、医師、各職種にスタッフの意思を統一する。

その患者さん、食べられますよ!

水分摂取は計算上想定される水分量は重要ではなく、患者さん本人の体がどれくらい処理できているかが大切である。

食べられない患者さんのフローチャート
食べられない患者さんのフローチャート

画像出展:「おうち看取り」

第8章 在宅医療で大切なこと ~患者さん本人の生き方に向き合う~

「死への過程」に敬意をはらう

-『大切な人がいよいよ最期を迎えようという時、ご家族の出張や結婚式などで、どうしても「その日」まで患者さんのイノチを持たせてほしいと求められることがあります。大切な方に1分1秒でも長生きしてほしいご家族のお気持ちは痛いほどよくわかります。しかし、大切なのは、自然な「死への過程」に抗わないことだと思うのです。

そんな時、私がいつも思い出すのは、手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」の「ときには真珠のように」の章に出てくる名言です。外科医本間丈太郎は、事故で瀕死だった少年時代のブラック・ジャックに手術を行いました。ブラック・ジャックにとって本間は命の恩人です。しかし、本間はブラック・ジャックの体内にメスを置き忘れるという重大なミスを犯してしまいました。

手術から7年後、メスは検査と偽って本間の手で秘密裏に摘出されました。その後、本間はブラック・ジャックにそのメスを送り、このことを隠し続け、思い悩んでいた罪を告白し懺悔しました。老衰に伴う脳出血、脳軟化症で臨終を迎えようとする恩師本間にブラック・ジャックが会いに行った時、本間は「老衰は治せん。治しても一時の気休めしかならん」と語りました。意識不明となった本間に、ブラック・ジャックは医術の限りを尽くした完璧な手術を行うのですが、本間が蘇生することはありませんでした。

打ちひしがれたブラック・ジャックに本間が遺したのは、「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」という言葉でした。完璧な医療を尽くしても、死すべき定めにあった本間の命は死を迎えることになったのです。 

ブラック・ジャック③「ときには真珠のように」
ブラック・ジャック③「ときには真珠のように」

画像出展:「ブラック・ジャック③(秋田書店)

『1990年にWHO(世界保健機構)の「がんの痛みからの解放と緩和ケア」の指針の中で以下のように述べられています。「人が生きることを尊重し、誰にでも例外なく訪れる【死への過程】に敬意をはらう。そして、死を早めることも死を遅らせることもしない」と。

私たちは、生命の神秘を目の当たりにした時、医学や人間の力の限界を感じることがあります。今や、医療のある種の行き過ぎた行為は、人間から尊厳ある【死への過程】を、奪ってしまうことになりはしないかと危惧されています。死を間近にした方にとって、亡くなる瞬間に立ち会うことが大切なのではなく、ご本人が穏やかに楽に逝けることが最も大切だと思うのです。ご本人はどんな最期を迎えたいと思っているのかに思いを馳せてください。』

第9章 家で看取るということ ~看取りを迎えたときのこと~

そのときが、やってきました

看取りのときが近づいてきたら……

水分や食べものを欲しがらなくなります

『看取りの時が近づいてきたら、水分や食べ物を欲しがらなくなります。食べることへの興味が薄れてきます。本人が欲しいと思うものは、どうぞ食べさせてあげてください。ただし、少量ずつ、飲み込んだことを確認してから口に入れてください。決まった量を取らせようとはせず、本人が望むものや量を食べさせてあげることが大事です。意識がなっきりしないときは、気管に入ってしまうことがあるので、飲食を控えてください。

水や食べものへの興味を失う頃には、体はもうそれを受けつけなくなっていて、命を終えようとする準備をはじめます。これはつらいものではなく、脱水状態になると意識がもうろうとなり、麻酔が効いているような、本人にとっては楽な状態となります口の中の乾燥は、濡れた綿棒やガーゼなどで湿らせてあげてください。』

穏やかに過ごしましょう

『この頃になると、身近な人とだけ一緒にいたいと思うようになります。話し方が遅くなったり、話しにくくなったり、時にはまったく話せなくなりますが、本人の負担にならない程度に、兄弟や親戚、親しい友人など大切な人に会わせてあげてください。

できれば、いつも誰かがそばにいて、本人が安心して眠れるような、静かで穏やかな環境を保ってあげてください。』

眠ることが多くなります

『睡眠時間が長くなって、呼びかけにも反応しにくくなり、時には目覚めることすら難しくなります。痛みがあれば眠ることもできません。眠ることができるのは安楽な証拠です。この時期は眉間にしわを寄せることもなく、ぐっすり眠られているのが本人にとって一番楽な状態です。』

すべてを受け入れてあげてください

『時間や場所、家族や知人など周囲の認識ができなくなってきます。亡くなった方が目の前に出てきたり、行くことができない所に行ってきたなどと言うこともあります。この時期になると、よくあるようですから、不安に思わずに本人が話すことを否定せず、すべてを受け入れ尊重してあげてください。感じたことを自由に話せる雰囲気にして、やさしくさすったり、安心できるように静かに話しかけてください。』

体に変化が現れてきます

『むくみが出る、皮膚が乾燥したり色が変わったり、手足が冷たくなり呼吸も不規則になる、尿量が減る、喉の奥に分泌物が溜まってゴロゴロいうなど、さまざまな体の変化が出てきます。予期せぬ変化が現れたら遠慮なく医師や看護師に相談してください。』

限られた時間と向き合う

自然な死を迎えるために
自然な死を迎えるために

画像出展:「おうち看取り」

自然な死を迎えるために

食べられなくなったら1週間くらい。

尿が出なくなったら2~3日くらい。

 

亡くなる最期の瞬間はみていなくていい

『人生最期の時を住み慣れた自宅で、大切な人に囲まれてゆったりと過ごし、人生の長い旅路を終える。さまざまな想いが走馬灯のように巡るとともに、症状の変化にどう対処すればよいのかと、いろいろと心配になるかと思います。

残された時間が数日になった頃には、旅立ちの衣服、例えば、本人のお気に入りの服や、家族の希望のものなどを用意してもいいでしょう。言葉に対する反応も鈍くなってきますが、聴覚や触覚は五感の中で最後まで残るといわれています。手を握ったり、体をさすったり、言葉をかけてあげてください。

最期は、本人が穏やかにいられるように。そして、周りの人は、これから起こるさまざまな変化にもあわてることがないよう、心の準備をしてください。

必要なら、私たちに、いつでも遠慮なく相談してください。

そして、お手伝いしなければならない大切なことが一つあります。それは、息を引き取るその瞬間をみていなくてもいい、ということです。病院でも施設でも、実は最期の瞬間はみていないことが多いのです。家族が眠っている間や、ちょっと部屋を離れた間に亡くなっていたとしたらそれは「誰も気がつかないほどに穏やかに安らかに旅立てた」ということ。「楽に逝った」ということなのです。

旅立ちの時がやってきました……

-予期せぬ変化があった時、救急車を呼ぶ前にまずは在宅医療スタッフに連絡してください。一日中ずっと眠っているようになります。そのうちに、呼んでもさすっても反応がなく、ほとんど動かなくなります。

-五感の中で聴力は最後まで残るといわれていますから、できるだけ声をかけてあげてください。

-大きく呼吸をした後10秒ほど止まり、また呼吸をする波のような息づかいになります。あごを上下させる呼吸になります。下顎呼吸という最後の呼吸の状態です。苦しそうに見えるかもしれませんが、この頃には、意識はなく苦しみもありません。

-やがて呼吸が止まり、胸やあごの動きも止まります。脈が取れなくなり、心臓が止まります。だいたいでかまいませんから、この時間を亡くなられた時刻として、記憶にとどめておいてください。

おうち看取り1

介護は終わりました。老衰を前に延命治療は行わないことを選びました。そして、その判断は正しかったと確信しています。にもかかわらず、なぜ、今になってこのような本を買ったのか。

それは、まだまだ穏やかとはいえない心が、完全な納得を求めているからだろうと思います。

たんぽぽ先生のおうち看取り
たんぽぽ先生のおうち看取り

著者:永井康徳

発行:2020年10月

出版:幻冬舎

この本の”帯”に書かれていることが全てだと思います。

家族ができること、医療ができること、旅立つ人がしたいこと。

その人にとっての最善を最後まで追求する―これでよかったと納得できる最期を迎えられるために。見送った家族がその死に納得し、この先も生きていくために。

 

読み終えて、最期の介護は90点だと思いました。これはご指導頂いた訪問医の先生と訪問看護師さんからの積極的なご支援のおかげです。

欲をいえば、半年前にこの本と出合っていたら、更にやさしい“おうち看取り”ができたかもしれません。

以下の3つは、著者である永井康徳先生の“ゆうの森”、そしてYouTubeの“たんぽぽ先生 おうち看取りのすすめ”と“在宅療養なんでも相談室”になります。

ゆうの森
ゆうの森

医療法人 ゆうの森 在宅医療に特化した医療法人

『たんぽぽクリニックは2000年に愛媛県ではじめての在宅医療専門クリニックとして開業しました。』

おうち看取りのすすめ
おうち看取りのすすめ
在宅療法なんでも相談室
在宅療法なんでも相談室

在宅療法なんでも相談室

『当院の利用を前提とするものではありませんので、お気軽にご相談ください。』とのことです。

目次の黒字がブログで取り上げた個所です。また、長くなったので2つに分けました。

なお、第3章の中の“天寿を全うする死を教えてくれた患者さん”に、永井先生が在宅医療を志した経緯が書かれています。

私が最も知りたかったのは、最後(”おうち看取り2”)の“第9章 家で看取るということ ~看取りを迎えたときのこと~”に書かれていました。緊迫する介護現場の中で、何をどう考え、行動すべきかという極めて大切なことが書かれています。

目次

プロローグ ~在宅医療とおうち看取り~

第1章 多死社会で求められている在宅医療 ~在宅医療の本質的価値~

●少子高齢化がもたらすもの

●多死社会が引き起こす問題と在宅医療

●在宅医療の本質的価値

●台湾・韓国も注目する日本の在宅医療

第2章 家での看取りはなぜ広がらないのか ~治す医療から支える医療へ~

●「医師は患者さんに涙を見せてはいけない」という教え

-「Doing」の医療と「Being」の医療の違い

-なぜ、在宅医療や「自宅での看取り」が広まらないのか

●死に向き合えないことの弊害

●納得できる生き方、逝き方のために

●自宅での看取りを可能にするためのノウハウがある

●家で死んだら、警察沙汰になるのか

●どんな状態でも家に帰ることはできます

第3章 医療を最小限にすると看取りは変わる ~枯れるように逝くために~

●天寿を全うする死を教えてくれた患者さん

●亡くなる前に食事が十分に取れなくなったら

-3つのサインで過剰かどうかを確認しよう

●楽な最期とは、枯れるように逝くこと

●終末期の点滴の悪循環

-点滴をやめることを納得してもらうには

●医療を最小限にすることは、むしろ「足し算」の医療

 

●最期の日まで口から食べる

●100歳を超えても、食べることをあきらめない!

●胃ろうをする選択、しない選択

●胃ろうするかどうか決断するのは誰か?

-胃ろうをせず、「自然に看取る」という選択肢も

-先延ばしの医療から本人の生き方に向き合う医療へ

●「治さなくてもいい」と宣言した患者さん

●余命1週間から復活した91歳

-瀕死の男性をここまで回復させたもの

-一人の患者さんのためだけの、寿司屋を開店!

第4章 それぞれの最期の迎え方 ~最善は、一人一人違う~

●死に向き合わなければ、後悔することが増える

-患者さんに本当のことを告げるのは、かわいそうなことなのか

-1分1秒でも長く生きたいか、楽に過ごしたいか

●患者さん本人の思いを置き去りにしない

●自分の死に向き合うことの大切さ

●母親を本人の希望通りに大往生させたい

●余命を告げられた後、残された時間をどう過ごすか

-遺影になった、あの日の記念写真

●患者さんへの予後告知が、ご家族に委ねられた時

-告知は細心の注意をはらって行う

-“アルファ波の声”が意味するもの

●自分らしい最期とは?

-選択はいつも医師にお任せだった患者さん

-死に向き合った時、決然と意思を表明

-「自分らしい最期」とは

●「見通し」がわかれば、最期は自宅という選択も生まれる

●最善は人によって違う

-楽に、枯れるように逝きたい

-1分1秒でも長く生きていたい

-その人にとっての最善を多職種で支える

第5章 人生会議 ~どう生きて、どう逝きたいかを一緒に悩む~

●「自分は最期をどうしたいか」を、話し合っておこう

●人生の最終段階の決定プロセスに関するガイドライン

●患者さんの生き方に向き合った地域包括ケアが必要になる

●もの言えぬ患者さんの意思をどう推し量るか

-ご家族の気持ちは揺れて当たり前

●意思決定支援に重要な5つのポイント

●ご家族のつらい決断に、医療従事者はどう寄り添うのか

●人工透析をやめて、死を選びたいという患者さん

-ある患者さんの選択

●「その人にとっての最善」を最期まで追求する

-息子には連絡しないでと切望する患者さん

-支援の目的は「最後に納得できること」

第6章 看取りの質を高める ~納得できる看取りを実現するために~

●終末期の患者さんに「やりたいこと」を聞くのは、かわいそうなのか

●患者さんの希望を叶えることに職種は関係ない

●リスクと患者さんの思い、そのどちらを優先するか

●患者さんの「生きがいづくり」をお手伝いする

-患者さんの満足のために必要なものは

●患者さんの望みを叶え隊、活躍中

●食べることは、生きること。「食べたい」という望みを叶えるために

-ご家族の意思を確認する

-「家」が男性患者さんを元気にした

●「高齢だから」とあきらめない!経鼻胃管チューブを抜いて、口から食べよう!

-胃ろうが嫌なら次の選択肢は?

-専門職チームが本気で挑戦し、不可能が可能に

●最期まで食べるための前提として、必要な3つのこと

●その患者さん、食べられますよ!

●亡くなる前に食べられなくなった時の意思決定支援のためのチェックポイント

●最期にお風呂に入れてあげたい

●15年間の思いの結晶、在宅療養支援のための病床「たんぽぽのおうち」

-在宅医療専門をやめ、なぜ今、入院病床を開設するのか

-患者さんのご家族の言葉が後押しした病床設立計画

-地域包括ケアシステムが担うためにも

●在宅医療専門クリニックが病床を持つ意義

-在宅患者さんの災害避難所としての役割も果たす

●看取りの質を高める8つのポイント

第7章 看取りの文化を変える ~その人らしく、最期まで生きるために~

●最期の瞬間に医者はいらない

●それぞれの地域に根付く看取りの文化

●一人暮らしでも、自宅で亡くなることはできます。

●大切な人の「死に目」に会うということ

●亡くなる瞬間はみていなくていい

●自宅で家族が看取るということ

●子どもが祖父母の死に向き合うために

●施設での看取りを推進するために実践するべき6つのこと

-『終の住処』としての役割を果たすために

-まずは、ゼロをイチにすること

第8章 在宅医療で大切なこと ~患者さん本人の生き方に向き合う~

●誰のための医療なのか?

●「死への過程」に敬意をはらう

●三人称の死、二人称の死、そして一人称の死について

●居場所があること、人に必要にとされるということ

-看取りを視野に入れ、101歳の祖母を自院で診ることに

-居場所が引き出す、生きがいと生きる力

●私が在宅医療を大切にしていること

●終末期の医療と介護に関する松山宣言

●今後必要となる医療の姿

第9章 家で看取るということ ~看取りを迎えたときのこと~

●そのときが、やってきました

-看取りのときが近づいてきたら……

-限られた時間と向き合う

●亡くなる最期の瞬間はみていなくていい

●旅立ちの時がやってきました……

エピローグ ~楽なように やりたいように 後悔しないように~

第2章 家での看取りはなぜ広がらないのか ~治す医療から支える医療へ~

「医師は患者さんに涙を見せてはいけない」という教え

-「Doing」の医療と「Being」の医療の違い

“Doing”とは、為すこと、施すこと、何かをすること。最たるものは救命救急であり、医療とはDoing治療と言っても差し支えない。

“Being”とは、あること、そばにいることであり、寄り添う医療と言える。病気や障害を治すのではなく、痛みを取るなど楽にするための医療である。そして、これらは在宅医療で十分に対応できる。体が楽になると人はやりたいことが出てくるので、今度はそのやりたいことが叶うようにお手伝いする。こうして患者さんは生き生きしてくる。

・日本の医療の主眼は「治すこと」だったが、超高齢化に伴う多死社会においては、「Beingの医療=支え寄り添う医療」が求められている。これは「亡くなるまで、どのように生きるか」を追及して、“天寿”を全うする生き方である。 

-なぜ、在宅医療や「自宅での看取り」が広まらないのか

・愛媛県では、今も20年前も、病院で亡くなる人の割合は約80%と変わらない。

在宅医療や「自宅での看取り」が広まらない1番の原因は、病院の医師や看護師などの医療従事者が、在宅医療や自宅での看取りについて知らないことがあげられる。

死に向き合えないことの弊害

-「死に向き合うこと」は在宅医療には必須だが、患者さんへの告知が曖昧になっていることが多い。告知で重要なことは具体的な余命ではなく、「いつか亡くなること」と「限られた時間であること」を伝えることである。このことが明らかにされないと、患者さんはその限られた時間をどう過ごすかということを真剣に考えることができない。そして、患者さんが亡くなった後、「本当は、本人はどうしたかったのだろう」と残された家族は思い悩むものである。

-医師が患者さんの死に向き合うことは簡単ではない。これは医学教育や医師の生涯教育の場で教えられていないことがあげられる。日本の医療は「病気を治すこと」を目指して発展してきたため、「死は医療の敗北」と考えてしまう。その結果、老衰で食べることが困難になっている状態でも、当たり前のように点滴や人工栄養注入が行われてしまう。

-老衰による最期は、枯れるように穏やかに過ごし、そして旅立つ。しかしながら、家族の1分1秒でも長く生きてほしいという願いと、「患者さんの死は敗北」と考えてしまう医師の思いが、自然死の選択を難しくしている。

家で死んだら、警察沙汰になるのか

-『「自宅で死にたい」と言うと「家で死んだら警察沙汰だよ」と忠告する人もいます。少し前までは医師ですらそのように言う人がいました。』

-『厚生労働省の「死亡診断書記入マニュアル」(2020年度版)では、「自らの診療管理下にある患者さんが、生前に診療していた傷病に関連して死亡したと認める場合」に死亡診断書を、それ以外の場合には死亡検案書を交付するとしています。死体検案書は医師のみでも交付できるため、検案書交付のために警察を呼ぶ必要はありません。警察を呼んで検死が必要になるのは、医師が死体を検案して「異状」を認めた場合のみです。』

第3章 医療を最小限にすると看取りは変わる ~枯れるように逝くために~

天寿を全うする死を教えてくれた患者さん

-『私はまだ医師として駆け出しの時代、僻地診療所に勤務し始めた頃のことです。それまでは私も病院勤務の経験しかなく、食べられなくなったら点滴をして、状態が悪ければ入院させるということしか頭にありませんでした。

当時、地域で最高齢の102歳のおばあさんのところに訪問診療にお伺いしていました。長年、脳梗塞で寝たきりでしたが、長男夫婦の手厚い介護を受けながら療養されていました。そのうち日ごとに老衰が進み、食事が取れなくなってきました。長男夫婦は、入院は望みませんでしたが、食事が取れないことを心配し、点滴を希望されました。本人に告げたところ、患者さんであるおばあさんは「食事が取れなくなったら終わりだから、絶対に点滴してくれるな」とはっきり言われました。

その後も、何度もご家族の依頼を受けて点滴を勧めましたが、本人は頑として受け入れませんでした。ご家族も私もどうすべきか悩みましたが、無理に点滴をすることはできませんでした。なぜなら意に反して点滴をしてしまうことで、おばあさんがこれまで生きてきた102年間の最期を汚してしまうような気がしたからです。そして、本人の希望通り点滴をせずに自然に看ていきました。点滴をしないとむくみもなく痰も出ず、楽そうでした。私は医師として、最期に点滴も医療処置もせず自然に看ていくのはこの時が初めてでした。

おばあさんは約2週間後に息を引き取りました。顔はむくみもなく、とても穏やかに凛としてしていました。もし、点滴をしていたら、痰が出て吸引が必要になったり、むくみが出たりして、おばあさんに苦痛を与えていたことでしょう。「天寿」を全うすることを医療が邪魔をしない……そんな自然な看取りも選択肢にあるのだということを教わりました。現在の私の在宅医療での「枯れるように亡くなることが一番楽である」という考え方の基本はこのおばあさんが教えてくれたと思います。』

亡くなる前に食事が十分に取れなくなったら

-3つのサインで過剰かどうかを確認しよう

水分や栄養を体で処理できなくなった時の3つの症状

①唾液や痰が増え、吸引が必要な状態。

②浮腫(むくみ)がある。

③胸やお腹に水が溜まっている。

・『点滴をしてもサインが現れず、意識がしっかりするなどの「よい」状態が維持できるなら、点滴をしばらく続けてもいいでしょう。しかし、サインが現れた「つらい」状態になった時、患者さん自身にとって、その時間を長く続けるのがよいのかどうか考えましょう。体で水分処理できなくなった時に、点滴をしてもつらい症状が増えるだけです。症状がさらに悪化し、本人は苦しくなります。

体で水分や栄養が処理できなくなった状態で点滴をやめると、この3つの症状は現れにくく、穏やかな最期を迎えることを私は数多くの患者さんの最期で経験してきました。』

看取りの時に点滴をしない理由
看取りの時に点滴をしない理由

画像出展:「おうち看取り」

楽な最期とは、枯れるように逝くこと

-『映画「おくりびと」誕生のきっかけとなった。青木新門の著書「納棺夫日記」にはこう書かれています。青木さんが納棺の仕事を始めた1970年代前半は、自宅で亡くなる人が半数以上で、「枯れ枝のような死体によく出会った」そうです。ところがその後、病院死が大半になり、「点滴の鍼跡が痛々しい黒ずんだ両腕のぶよぶよ死体」が増え、「生木を裂いたような不自然なイメージがつきまとう。晩秋に枯れ葉が散るような、そんな自然な感じを与えないのである」と記されています。

老衰や病気で死期が近づいてくると、口から飲んだり食べたりできなくなります。そのため、ゆっくりと脱水状態になるのですが、脱水は麻薬のような作用を体にもたらします。脱水になると徐々に眠る時間が増えて(傾眠)、動作能力も低下していきますが、本人にとってはとても穏やかで楽な状態なのです。

胃ろうするかどうか決断するのは誰か?

-胃ろうをせず、「自然に看取る」という選択肢も

・『私は、決して「胃ろう」を否定しているわけではありません。食べられなくなった時、胃ろう栄養という選択肢があることはいいことです。また、機能回復のための胃ろう造設は大変有用ですし、胃ろう栄養を続けて、ご本人もご家族も幸せな療養生活を続けているご家庭も多くあります。

ただ、ご本人の意思ではなく、ご家族と医療従事者だけで胃ろう造設を決定し、「栄養補給の方法があるのに選択しないのはかわいそうだ」と、延命の一種としての(最期を先延ばしにする形で)胃ろう栄養を選択することが多かったというのも事実です。それどころか、「胃ろう栄養をせず、自然に看取りたい」というご家族は、医師から「見殺しにするのか」といった心ない批判を受けたという話も何度も聞きます。これまでの日本では、むしろ「胃ろうを選択するほうが当たり前」という社会風潮がありました。』

「治さなくてもいい」と宣言した患者さん

-『私たち医師は、学生時代から治すことだけを教えられてきました。病気を見つけ、診断し、治療する。その方法ばかり学んできたのです。しかし、そのような医学の教科書に書かれていることが役に立たないケースに出くわしたのです。「治さなくてもいい……」。その言葉を聞いた時、最初はどうすればよいかわかりませんでした。

自分が病気だと知った時、すべての人が治療しようと思うわけではありません。人は皆、生まれてきて、必ず死ぬのです。仮に病気を見つけても、現代医学では治せない場合もあります。現代医学を過信せず、病気になろうとなるまいと、人は生まれて死ぬという事実を謙虚に受け止めなければなりません。患者さん本人が望まないのに、無理に検査や治療を押し付けず、「治さなくてもいい」という選択肢を認めることも必要ではないかと考えさせられた患者さんの生き方・逝き方でした。』

輪廻転生

あと12日、母は103歳の誕生日を迎えることはできませんでした。しかしながら、苦しむことなく、自宅で静かに天寿を全うできたことは、本当に良かったなと思います。また、大きな災害にも遭遇せず、順番が逆になるという最悪の事態も避けることができました。感謝します。 

旅支度。

母は早稲田大学の大ファンでした。

100歳を越え、十分覚悟はしていたつもりでしたが、心に開いた穴は予想以上に大きいと感じました。大きな後悔はないのですが、小さな後悔と悲しさや寂しさがモグラたたきのように頭を出します。3歩進んで2歩下がる時もあります。

時間はかかるだろうと思うわけですが、心穏やかな状態に戻りたいと思います。

そんな落ち着かない心持のなか葬儀は行われました。そこで、私は一つの光明を見つけました。それはお坊さんの法話の中にありました。「故人はこれから極楽浄土に行けるよう修行に入ります」という、虚を突かれたようなお話でした。私は今まで宗教には全く関心がなく、そのため無知でした。「えっ、すぐに天国に行けるんじゃないの!?」という感じです。(もちろん、真実がどのようなものなのかは分からないのですが。。。)

そこで、四十九日法要に向けて、葬儀社の方から指示された通りの供養を真面目に取り組むことにしました。また、先祖への報告も近所の父方のお墓だけでなく、田原町にある母方のお墓にも報告に行ってきました。

そして、”宗教”や”死後の世界”を知りたいと思い4つの本を買いました。

1.「最澄と空海 -日本人の心のふるさと-」

最澄と空海
最澄と空海

著者:梅原 猛

初版発行:2005年6月

出版:小学館文庫

2.「最澄と天台教団」

最澄と天台教団
最澄と天台教団

著者:木内堯央

発行:2020年3月

出版:講談社学術文庫

3.「神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈-」

神々の明治維新
神々の明治維新

著者:安丸良夫

初版発行:1979年11月

出版:岩波新書

民衆生活の中の仏教

●16世紀末まで、政治権力と争った仏教は、その民心掌握力により権力体系の一環に組みこまれ、仏教は国教ともいうべき地位を占めた。そして、鎌倉仏教が切り拓いた民衆化と土着化の行方は、権力の庇護を背景として決定的になった。

さらに、江戸時代になり仏教は国民的規模で広がり、日本人の宗教への思いは仏教色に塗りつぶされるようになった。ここには権力による庇護も関係しているが、民衆が仏教信仰を受け入れるようになった根拠の一つに、仏教と祖霊祭祀の結びつきを表現する“仏壇”の存在があった。農村でも都市でも家の自立化が家ごとの祖霊祭祀を呼び起こし、それが仏教と結びついた。(竹田聴洲:「近世社会と仏教」)。

神道と仏教の違いを解説!葬式やお墓、死生観など詳しく説明

やじべえの気になる〇〇”さまのブログです。神道と仏教の違いが大変分かりやすく説明されています。

4.「前世療法 -米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘-」

前世療法
前世療法

著者:ブライアン・L・ワイス

初版発行:1996年9月

出版:PHP文庫

この中で、2と3は専門性が高く、歯が立たなかったため斜め読みで終わりました。

最澄、空海は、いずれも政治とうまく折り合うという才能を持っていましたが、空海は密教を広めた孤高の天才というイメージが強く、一方、最澄は人や教育、制度などにも目を向けた高僧という印象でした。特に円仁、円珍、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮といった極めて著名な高僧が、最澄に続くように延暦寺で修業をしていることを考えると、最澄が残した功績は非常に大きなものだったと思います。

そして、最も興味深かったのは、『前世療法 -米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘-』です。100%と言いきる自信はないのですが、信じるに値する凄い話(療法)だと思いました。

ブログはこの本のご紹介です。つまみ食い的にピックアップしただけなので、唐突で分かりずらいものになっていると思います。ポイントは何故信じられると思うのか。また、前世療法がどんなものかをお伝えしたいと思って抜き出しました。

本は冒頭の“プロローグと最後の“エピローグ”、そして各章には項目はついておらず、全部で15章に分かれています。

第三章”から

●『この一週間の間、私はコロンビア大学の一年生の時に取った比較宗教学の教科書を読む返してみた。旧約聖書にも新約聖書にも、実は輪廻転生のことが書かれていたのだそうだ。紀元325年、時のローマ皇帝、コンスタンチン大帝はその母ヘレナとともに、新約聖書の輪廻転生に関する記述を削除した。紀元553年にコンスタンチノープルで開催された第二回宗教会議において、この削除が正式に認められ、輪廻転生の概念は異端であると宣言されたのであった。人類の救済は輪廻転生を繰り返すことによって行われるという考え方は、巨大化しつつあった教会の力を弱めるものだと、彼らは考えたのである。しかし、初めから、ちゃんとこの概念は存在していて、初期のキリスト教の先達は、輪廻転生の概念を受け入れていた。グノーシス派の人々―アレキサンドリアのクレメンス(150~215)やオリゲネス(185~254)、聖ジェローム(340~420)等は、自分達は昔も生き、再び生まれるてくると信じていた。

しかし、私は輪廻転生など、まったく信じていなかった。本当のところ、そんなことを真剣に考えてみたこともなかった。

小さい頃、教会などで、人は死んでも魂は存在し続けると教えられていたが、それさえ、信じてはいなかった。

●『脳医科大学とエール大学での実習は、この科学的手法[論理的、非感情的な証明第一主義の考え方]にさらに磨きをかけた。私の研究論文は脳化学と神経伝達組織、すなわち、脳細胞の中の化学的伝達機能についてであった。

私は、従来の精神病理論や治療法と、脳化学という新しい科学を統合しようとする生物精神病理学という新しい分野の一員となった。また、多くの学術論文を書き、地方や全国の学会で講演を行って、この分野ではかなり名の知られた存在となった。私は一つのことに猪突猛進するタイプで、柔軟性に欠けてはいたが、こうした気質は医者としては、むしろ好都合だった。私の所へ来るどんな患者にも、私は全力投球であたる用意があった。』

精神病理学研究室
精神病理学研究室

こちらは「慶應義塾大学医学部 精神・神経科学教室」さまのサイトです。ここでは“精神病理学研究室”の一部をご紹介していますが、精神・神経科学教室の中には、“生物学的精神医学研究室”もありました。

精神病理学研究室

『精神病理学とは、人の“こころ”、および“こころ”の病を扱うための固有の学であります。“こころ”というものは、すぐれて主観的なものであるため、直接扱うことは難しいのですが、精神病理学では、患者さんによって語られた「ことば」あるいは現れた「行動」という客観的な事実に基づいて、患者さんの“こころ”の理解を試みます。そして、“こころ”を護り回復させていくための方法について考えます。精神病理学は、精神医学の基であり、症状論、病態論、治療回復論を深めていくためには欠かせない学であります。精神病理学では、おおよそ人の全ての営みを対象とするため、特に人文・藝術領域に学ぶところが多く、古今東西の叡智を紐解くことをとても大切にしております。』

第八章”から

●『次のセッションまで三週間の間隔があった。私は休暇に出かけ、熱帯の海岸に寝そべりながらキャサリン[患者]に起こったことをもう一度、距離をおいてゆっくり考えてみることができた。まず、退行催眠療法により、彼女は過去生に戻り、詳しくその場の情景、物、なりゆき、事件などを説明した。どれも彼女が目覚めている通常の状態においては、絶対に知り得ないことであった。退行を行なうことによって、彼女の症状は著しく回復した。これは18カ月にもわたる従来の精神療法では、決して達成することのできないものであった。そして、彼女が知るはずのない死後の霊的世界からの寒気をもよおすほど正確な情報、霊的な詩、死後の次元について、人生と死について、誕生と再生についてなどの教え。いずれもキャサリンの能力をはるかに超えた知恵とスタイルをもって話すマスター達精霊からのものであった。本当に考えることはたくさんあった。

これまで私は何年にもわたって、何百人、いや何千人という精神病患者、しかもありとあらゆる感情障害をもっている人達を扱ってきた。また四つの重要な医科大学の入院患者部門を統率してきた。何年間か精神病患者のための急患室、外来患者の診療所等、様々な場所で精神鑑定と治療を行ってきた。私は多くの幻聴、幻覚、精神分裂による妄想のすべてを知っていた。多くのどの病名とも判別しがたい症状を示す患者や、人格分裂や多重人格者などを含むヒステリー性格者を扱ってきた。またNIDA(国立薬物中毒研究所)により設置された薬物アルコール濫用者の会の責任講師をつとめたこともあり、薬物の脳に対する影響のあらゆる事例に詳しかった。

しかし、キャサリンはこのどの症状にも、どの症候群にもあてはまらなかった。起こっていることは精神病の症状ではなかった。彼女は精神障害者でもなく、現実がわかならなくなっているのでもなく、幻覚症状(実際にないものを見たり聞いたりする)も妄想(根拠のないことを信ずる)もなかった。彼女は薬物の使用者でもなければ、厭世的な性向もなかった。彼女はヒステリー性格の持ち主でもなければ、対人関係で孤立してしまう性格でもなかった。彼女は大体は自分のしていることや考えていることがわかっていた。また彼女は自動的に行動している「自動パイロット」でもなく、性格分裂や多重人格者でもなかった。彼女が催眠中に口から発したことは、内容もスタイルも彼女の意識ある時の能力以上のものであった。そのうちのあるものは特に超能力的であった。例えば、私の過去に関する特定のできごとや事実(私の父や息子に関する事実)について、あるいは彼女自身のことに関する言及である。彼女は彼女の現在の人生においては絶対に知るはずがないことを知っていた。またこの知識や、今の体験全体は彼女の文化的な背景や育ちとは異質のものであり、彼女の信条の多くに反するものでさえあった。

彼女はどちらかといえば素朴で正直な人間だった。それに勉強が好きなタイプでもなく、彼女の口を通して語られるいろいろな事件、歴史、詩などを彼女が創作しているということはあり得なかった。私は科学者として、精神科医として、それらが彼女の無意識の領域から来ていることは確かだと思った。それは疑問の余地のない事実だった。たとえ彼女がすぐれた女優であったとしても、これほどのことはできるはずがなかった。その知識はあまりにも正確で、あまりにも詳細で、彼女の能力を超えていた。

キャサリンの過去を探る治療上の目的について考えてみた。私達が新しい領域に踏み込んだとたんに、彼女の回復には著しいものがあった。この領域には何らかの非常に強力な治癒力があるようなのだ。しかも明らかに、今までの精神療法や心理療法よりずっと効果的である。その力は、過去の重大な精神的外傷(トラウマ)を起こすような事件だけでなく、心や体やエゴに対する日常的な傷を思い出し再体験するところにあるようだった。いろいろな過去生を調べている間、私は感情や身体的な虐待、貧困、飢え、病気や身体的障害、迫害、偏見、失敗のくり返しなどのパターンを探していた。同時にもっと悲劇的な事件、例えば心に傷跡を残すような死の体験、強姦、集団的破壊やその他、永久に魂に刻み込まれるほどの恐怖の体験などにも注目した。方法自体は、子供時代を振り返ってみる従来の精神療法と同じだが、従来の方法ではたかだか十年か十五年間さかのぼるだけなのに、この催眠療法では数千年にわたって過去にさかのぼるのだった。そのため、私の質問も普通の心理療法より直接的に、しかも誘導的に行わなくてはならなかった。しかし、この正当的でないやり方が成功したことは疑う余地がなかった。キャサリンだけでなく、その後同様の方法で催眠療法を受けた患者達も急速な回復をみせたのだった。

しかし、このようなキャサリンの過去生の記憶については、他の説明もできるのではないだろうか? 記憶が彼女の遺伝子に貯えられているという考え方はどうなのだろうか? しかし、この可能性は科学的に考えるとあり得ないと思う。遺伝的な記憶が伝達されるためには、世代から世代に途切れることなく遺伝子が伝わってゆく必要がある。キャサリンは地球上のあらゆる場所に住んでいたので、彼女の遺伝的系統は何回も途切れている。彼女はある時には若死にしている。彼女の遺伝子のプールはそこで終わり、後世へ伝えられてはいない。それに、彼女が死後も存在している事実や、中間生の存在は一体何なのだろう? その時には、肉体もなく、遺伝子もないはずなのに、彼女の記憶はずっと続いているのだ。やはり遺伝子が関係しているという説は捨てなければならなかった。

ではユングのいう集合無意識という考え方はどうだろうか? すべての人類の記憶と経験がそこに蓄積されていて、それが何らかの方法で汲み出せるという説だ。遠く離れて存在する文化がしばしば似たようなシンボルをもっていることがある。ユングによれば、集合無意識とは個人的に獲得されたものではなく、人間の脳の中に集団的に受け継がれてきたものであるという。すべての文化には、伝説や、よそからの伝播とはまったく関係なく、突然現われたシンボルや紋様が見られるが、これもまた、集合無意識の一つであるという。キャサリンの記憶はユングの集合的無意識で説明するには、あまりに個別的すぎるような気がした。彼女はシンボルや普遍的なイメージやモチーフを明らかにしたわけではなかった。彼女は特定の場所における特定の人々のことを詳細に物語っていたのだユングの考え方はあまりにも漠然としていた。それに中間生のことも考えに入れる必要があった。そうなると、輪廻転生の考え方が最も理にかなっていた。

キャサリンの知識は非常に詳しく、しかも個別的で彼女の能力を超えたものであった。彼女の話は以前に読んでしばらく忘れていた本から集められるようなものではなかった。またそれは、子供の頃に得て、成長とともに、すっかり意識の底に押し隠されてしまった知識でもあり得なかった。では、マスター達の存在や彼らのメッセージはどう説明したらよいのだろうか?

確かにキャサリンの口から語られてはいるが、語っているのはキャサリンではなかった。マスター達の知恵は、キャサリンの過去生の記憶にも反映していた。私はこの情報もメッセージも本当のことだと知っていた。これが本当だと知っているのは、私が過去何年間も人間及び人間の心や脳の働きや人格について、注意深く学んできたせいもあったが、それだけではなく、私は直感的にも知っていたのだ。しかもこれは私の父とか息子のことが知らされる前からだった。長い間、科学的なものの見方をたたきこまれてきた私の頭が、これは真実だと知っていた。そして私の体もそれを知っていたのだ。』

第十六章”から

●『最近、私は瞑想も始めた。ちょっと前までは、瞑想などはヒンズー教徒かカリフォルニアの変人達がやるものだぐらいにしか思っていなかった。キャサリンを通して私に伝えらえた数々の教えは、私の日々の生活にすっかり根づいてしまったのだ。人生の一部としての生と死の深い意味を知ることによって、私は前よりももっと忍耐強く、人々にもっとやさしく愛情深い人間になることができた。それに良いにつけ悪いにつけ、自分の行動に責任を感じるようにもなっている。いつかは自分のしたことのつけを支払わねばならないのだ。自分がしたことは、いつか必ず自分に戻ってくるのである。

私は相変わらず科学論文を書き、専門家の集まりで講義し、病院の精神科の部長をしている。しかし今や、私は二つの世界に足を踏み入れている。五感で察知できる私達の肉体と物質的要求によって代表される物質界と、私達の魂と霊によって代表される非物質的な世界である。この二つの世界はつながっており、そしてすべてはエネルギーだということを私は知っている。それなのに、この二つの世界はしばしばあまりにも遠く離れた存在であるように見られている。私の仕事は、注意深く科学的に、この二つの世界を結びつけ、その統合を記述することだと思う。

訳者あとがき(山川鉱矢氏)”から

●『本書「前世治療」、原題「Many Lives, Many Masters」(多くの人生、多くのマスター達)』は現職の精神医学博士が、自らの体験をつづったもので、1988年、サイモン・アンド・シャスター社から出版されました。本文にもあるように、このような内容の本を出すことは、精神医学博士である自分の社会的な名声に傷をつけるのではないかと、博士は4年間は口を閉ざしていました。しかし、ある日、シャワーをあびていた時、突然、この体験は発表しなければならないという強い啓示があったということです。

本書の発売以来、博士は地元であるフロリダ州では、ノン・フィクション部門で、82週間以上にわたってベストセラーとなり、その波はニューエイジ・ムーブメントのメッカであるカリフォルニア州に飛火し、全米的なベストセラーとなっています。ただし、正統派の新聞、マイアミ・レビュー紙は、いまだ書評を載せてくれないのだそうです。

治療としての前世療法は、アメリカでは1958年に催眠療法を医療に使用することが正式に認められるようになり、それ以来、心理療法にさかんに用いられるようになったのだそうです。

日本医療催眠学会
日本医療催眠学会

調べてみたら、日本にもありました。ただし、発足は2013年です。米国に遅れること55年ということになります。

本書に出てくるキャサリンのケースと同様に、治療の過程で被験者が前世に戻り、その結果、心身の治療効果が上がるケースがでてきたため、次第に広まったということです。患者が前世において、精神的に深い傷を負った場面を催眠下で体験すると、なぜ心身の障害がなおるのか、まだ理論的な裏づけはなされていないのですが、実際に患者の症状が消えることは事実であり、注目を集めるようになったようです。1980年には、前世療法の研究協会APRT(American Association for Past Life Research and Therapy)が設立され、「The Journal of Regression Therapy」という機関紙まで刊行されているということです(J・L・ホイットン著「輪廻転生」片桐すみ子訳、人文書院による)。

残念ながら退行催眠で過去生まで行けるケースは、被験者の3ないし5パーセントというきわめてまれなケースだとワイス博士はあるインタビュー(ARE発行、「Venture Inward」1990年6・7月号)で語ってます。

注1)初版は1996年で、第2版は出ていませんでした(最新は第1版の64刷で2019年10月)。25年前と古いためか、

“APRT”では見つかりませんでしたが、ワイス先生のサイト(BRIAN L. WEISS, M.D.)があり、「ワイス博士は、国内および国際的なセミナー、体験型ワークショップ、および専門家向けのトレーニングプログラムを実施しています」とのことでした。 

注2)“The Journal of Regression Therapy”も見つかりませんでしたが、「The International Journal of Regression Therapy」というサイトがありました。 

注3)“ARE発行、「Venture Inward」”が発行されていたのは確認できましたが、見つけることはできませんでした。

ご参考

『前世療法 -米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘-』の著者は経験豊富な精神科医によるものでしたが、私は“霊能者”自身が書いた本も読みたいと思い、あの世から届く愛のメッセージ』という本を見つけました。

あの世から届く愛のメッセージ
あの世から届く愛のメッセージ

著者:アリソン デュボア

初版発行:2007年6月

出版:徳間書店

著者のアリソン デュボアは6歳の時に経験した出来事をきっかけに、アリゾナ大学では霊能現象と死後の世界に関する研究のための実験に参加、協力。さらにその能力を生かして、全国の司法機関のための殺人事件や失踪事件の捜査にも協力されました。

持って生まれた自分の特殊な才能に傾注し、その才能を追及していった生き方が素晴らしいと思います。

なお、ケーブルテレビ(FOX)では、”MEDIUM(ミディアム 霊能者アリソン・デュボア)という番組を放送しています。

股関節唇損傷(フレイル)4

前回の、“医道の日本”と今回の“日臨整誌 vol.36 no.1 98”の各論文は、国会図書館に所蔵されており、有償の遠隔複写サービスを利用して入手しました。

日本臨床整形外科学会雑誌 vol.36 no.1 98号:関節内に陥入した股関節唇損傷の治療経験
日本臨床整形外科学会雑誌 vol.36 no.1 98号:関節内に陥入した股関節唇損傷の治療経験

日本臨床整形外科学会雑誌 vol.36 no.1 98号

関節内に陥入した股関節唇損傷の治療経験

左は、船越先生、山下文治先生、長岡先生、森先生の”京都下鴨病院”です。

左は、山下 琢先生の”山下医院”です。

要旨

・股関節唇損傷の診断は、自覚症状、他覚所見、MRI、超音波検査、リドカインテスト[リドカインという局所麻酔薬を注入して症状が一時的に消失かどうかをみるテスト]の結果を総合的に判断して行った。

・疼痛は股関節や殿部、大腿部に認めた。他覚的には股関節周辺の圧痛やパトリックサイン、股関節の可動域制限を認めた。リドカインの関節内注射を行ったところ、2例とも股関節痛が一時的に消失した。

股関節鏡にて、断裂し関節内に陥入した股関節唇を認めた。

・鏡視下関節唇部分切除術を行い、2例とも術後早期に股関節痛や可動域制限が改善した。

・症状が強くADL[日常生活動作]が低下している場合や、症状が長期間続く股関節唇損傷には、股関節鏡視下の関節唇切除術が有効であった。

症例1

63歳 女性

・主訴:左股関節痛、左殿部痛、左下肢痛

・現病歴:2009年11月、孫と遊んでから左股関節痛が出現した。発症直後より歩行が困難となり、可動域制限を認めた。2010年1月に病院を受診した。

・理学的所見:左股関節に圧痛を認め、跛行を呈していた。股関節の屈曲は100°、内旋、外旋は30°で、内外旋時に疼痛を伴っていた。パトリックサインは陽性、日本整形外科学会股関節機能判定基準(以下JOAスコア)は38点であった。[クリック頂くと”股関節JOAスコア”というPDF1枚の資料が表示されます]

症例2

68歳 女性

・主訴:右股関節痛

・現病歴:2008年5月ごろ、自転車走行中に転倒しかけた際、右下肢に負担がかかってから右股関節痛が出現した。車に乗る際や階段にて下肢を挙上する際に、疼痛を認めた。2008年7月に病院を受診した。

・理学的所見:股関節の屈曲は110°、内旋は30°で、内旋時に疼痛を伴った。開排制限を認め、パトリックサインは陽性で、JOAスコアは36点であった。

検査

1.単純X線写真

・症例1、2とも軽度の関節裂隙の狭小化を認め、日本整形外科学会変形性股関節症の判定基準第三案でのX線像からの評価における初期股関節症に分類されると思われる。

単純X線写真
単純X線写真

画像出展:「日本臨床整形外科学会雑誌 vol.36 no.1 98号」

 

2.MRI

症例1は、通常のT1およびT2強調像で関節唇損傷を疑う所見が認められなかった。T2 star weighted image(以下T2)では、関節唇の形状や信号強度の変化に左右差を認めた。患側の関節唇は健側と比べて先端が鈍的な形状となっていた。

MRI T2(T2強調像)
MRI T2(T2強調像)

画像出展:「日本臨床整形外科学会雑誌 vol.36 no.1 98号」

症例2は、T1強調像においても患側の臼蓋先端部分に等信号~低信号の肥厚した関節唇らしき陰影を認めた。T2では症例1と同様に関節唇の形状が鈍的に変化し高信号を呈していた。このように、2例とも、T2で関節唇損傷を疑う変化を認めた。

3.超音波検査

・2例とも、超音波検査で関節唇損傷部分にエコー信号の変化を認めた。

超音波画像
超音波画像

画像出展:「日本臨床整形外科学会雑誌 vol.36 no.1 98号」

4.リドカインテスト

・1%リドカインを約5ml股関節内に注入して疼痛の変化をみた。2例とも、リドカインの注入にて症状が一時的に消失し(リドカインテスト陽性)、疼痛の原因が股関節内にあることが示唆された。

治療

1.股関節鏡手術

・2例とも、全身麻酔下に牽引手術台を用いて行った。患側股関節を10°屈曲、10°外転、内外旋中間位とした。透視下に関節裂隙が約1cm開くまで患肢を牽引した。

2.後療法

・2例とも、手術翌日より股関節周囲筋を中心とした全身の筋力トレーニング、ストレッチングおよび股関節可動域訓練を開始した。荷重は痛みの状態に応じて判断した。手術後2週間で痛みを伴わない荷重歩行が可能になった。

結果

2例とも、術前の股関節およびその周辺の疼痛、可動域制限は術後約2~3週間で消失した。JOAスコアは、症例1が術前38点から術後86点に、症例2が術前36点から術後74点にそれぞれ改善した。

考察

・理学的所見としては、股関節の圧痛および股関節内旋、外旋時に痛みを訴えることが多い。

・関節内に陥入した股関節唇損傷の特徴的な症状は、1)疼痛によるADLの低下(特に歩行障害)が強い(陥入のないスポーツ症例は運動時痛が中心)、2)可動域制限を認める(陥入のない症例では可動域制限は認めなかった)などである。

治療は可動域制限や疼痛が軽度であれば保存的治療を約2~3カ月行ない、症状の改善がなければ手術的治療の適応と考えられる。しかし、症状が強くADLが低下している症例や保存的治療が無効な症例については、股関節鏡手術の適応と考える。

まとめ

母親の股関節の問題は、軟部組織によるものという認識は変わりませんでしたが、軟骨変性か股関節唇損傷か関節包(外側は線維膜、内側は滑膜)の損傷かは特定できませんでした。やはり、関節造影MRIの画像診断が必須です。

なお、超高齢女性に関しても、股関節唇損傷の可能性を示唆する特徴があり、股関節唇損傷でないと判断するのも難しいと思います。

外傷を伴わない変性断裂は、中高年の骨性変化の少ない女性に多い。

性別では71%が女性。

きっかけとなった外傷はなく、緩徐な発症。

年齢的な変化があったり、軽微な外傷を繰り返していると、関節唇が傷んだり、軟骨が損傷したりして鼡径部痛が生じることがある。

■捻った動作によって関節唇を損傷する場合もある。

■同じように関節唇が損傷していても痛みを感じない人もいれば、ひどく痛みを感じる人もいる。

■外傷を伴わないものが多く、潜行性に発症する。

■安静時に強い疼痛を自覚することは少ない。

■股関節の圧痛および股関節内旋、外旋時に痛みを訴えることが多い。

施術

・1日1回、夕食後に20分程度、座位(車椅子)で実施。

・ホットパックで骨盤前部、大腿部を温める。

・マッサージ(軽擦、手掌圧迫、母指圧迫など):腸骨筋、大腿四頭筋、内転筋群、ハムストリングス、前脛骨筋、下腿三頭筋。

・鍉鍼:内転筋群など主に硬い箇所を軽擦。

現状

・車椅子に座った時に、フットレストに乗せることはできるようになり、週1回訪問して頂いている看護師さんからも、「だいぶ硬さ(緊張)は取れましたね」とのご指摘を頂きました。元のように戻るとは思えませんが、介護する上では可動域が改善されたので楽になりました。現状を維持できるように施術を継続していきたいと思います。

ご参考

題名“股関節唇損傷”の後ろに( )でフレイルと記したのは、「加齢による原因が大きい」という思いからです。なお、加齢による問題にはフレイルの他、サルコペニアロコモ(ロコモティブシンドローム)があるのですが、「健検」さまのサイトに3つについて簡潔にまとめられていたページがありました。

サルコペニア・ロコモ・フレイルの共通点と違いは?”

股関節唇損傷(フレイル)3

今回の、“医道の日本”と次回の“日臨整誌 vol.36 no.1 98”の各論文は、国会図書館に所蔵されており、有償の遠隔複写サービスを利用して入手しました。

医道の日本:股関節唇損傷による股関節痛の診断、治療
医道の日本:股関節唇損傷による股関節痛の診断、治療

医道の日本 2013年4月号

特集 股関節痛へのアプローチ1

股関節唇損傷による股関節痛の診断、治療

左をクリック頂くと、迫田先生、内田先生の”産業医科大学若松病院 整形外科 スポーツ環境センター”のサイトが表示されます。

はじめに

・股関節痛の原因は多岐にわたる。

・股関節唇損傷は最近注目されるようになった疾患だが、正しい診断に至るまでに平均2年以上を要するという報告もある。

股関節痛の原因
股関節痛の原因

画像出展:「医道の日本」

股関節唇の解剖、機能

・股関節唇は線維軟骨と密な結合組織よりなり、臼蓋縁に付着して馬蹄形を呈し、下方は横靭帯と連続している。関節唇の前上方には神経終末が多く分布しており、閉鎖動脈、上殿動脈、下殿動脈から栄養を受けている。

・関節唇の静的機能としては、臼蓋の外縁に付着することで関節面の表面積を28%、臼蓋の深さを21%増大させ、関節内の適合性向上に関与している。

・動的機能としては関節内を密封することにより関節液を閉じ込め、荷重を均一に分散している。また。骨頭牽引時に関節内が陰圧となるため、骨頭の求心性向上に役立っている。

関節唇損傷は上記の機能が破綻するため関節の安定性が低下し、変形性関節症への進行の一因になると考えられている。

股関節レントゲン正常像

・股関節唇損傷の多くは臼蓋形成不全、FAI(股関節インピンジメント)などの骨形態異常を原因として生じ、明らかな外傷を伴わないことが多い。

股関節唇損傷が生じるメカニズム

1)臼蓋形成不全

・荷重時に臼蓋辺縁の関節唇に対して大腿骨頭から過剰な負荷が掛かり、これにより臼蓋辺縁の関節唇付着部が破綻し、関節唇損傷を生じる。

臼蓋形成不全
臼蓋形成不全

画像出展:「医道の日本」

2)Pincer type FAI

・Pincerとは臼蓋縁の一部または全体の過被覆のことである。股関節の運動時、特に屈曲時にPincerと大腿骨頭-頚部移行部が繰り返し、股関節唇損傷の原因になる。

Pincer type FAI
Pincer type FAI

画像出展:「医道の日本」

3)Cam type FAI

・大腿骨頭-頚部移行部が膨隆し非球形であること(Cam)により、股関節運動時、特に屈曲時にCamが臼蓋縁に押し付けられ股関節唇損傷の原因となる。

Cam type FAI
Cam type FAI

画像出展:「医道の日本」

4)Combined type FAI

・PincerとCamを同時に認めるため、股関節唇損傷を最も生じやすい。FAIの86%を占める。

股関節唇損傷の臨床像

・好発年齢は10代から40代が中心。

・臼蓋形成不全やPincer type FAIによる股関節唇損傷は女性に多く、Cam type FAIは男性に多い。

外傷を伴わないものが多く、潜行性に発症する。

・問診時に痛い部位を確認すると以下のように疼痛部位をおさえることがある。これはCサインと呼ばれ股関節唇損傷の特徴である。 

Cサイン
Cサイン

画像出展:「スポーツメディスン No138

・股関節唇損傷の90%以上が主に鼡径部痛を訴え、次いで大転子付近(59~61%)、大腿前面~膝(52%)、殿部(38~52%)、仙腸関節付近の痛み(23%)を訴える。鼡径部痛を伴わないケースもあることを認識しておく必要がある。

安静時に強い疼痛を自覚することは少なく、ランニング、座位、ねじり動作、歩行など、活動や特定の肢位により疼痛が誘発または増悪することが特徴である。

・患者は疼痛をさける肢位をとっていることが多く、患者の歩容、姿勢にも注意を払う必要がある。 

股関節唇損傷の患者の姿勢
股関節唇損傷の患者の姿勢

画像出展:「医道の日本」

疼痛誘発テスト

1)前方インピンジメントテスト

・股関節を他動的に伸展位から屈曲、内転、内旋させていき疼痛が出現した場合に陽性とする。

股関節唇損傷の手術症例中94.1%が陽性だった。

・股関節唇損傷における感度[疾患群で陽性となる割合]の高い検査法であるが、特異度[非疾患群で陰性である割合]は高くないので注意を要する。

前方インピンジメントテスト
前方インピンジメントテスト

画像出展:「医道の日本」

2)後方インピンジメント

・患者に自分で健側の膝を抱えてもらい骨盤を固定し、患側股関節を屈曲位から軸圧をかけながら外転、外旋させ、疼痛が誘発された場合に陽性とする。

股関節唇損傷の手術症例中43.8%が陽性だった。

後方インピンジメントテスト
後方インピンジメントテスト

画像出展:「医道の日本」

3)FABER(flexion abduction ex-ternal rotation)テスト

・背臥位で下肢を胡座位とし、脛骨結節から診察台までの距離を計測する。患側が健側に比して5cm以上大きければ陽性とする。仙腸関節に異常があっても陽性になるので注意が必要である。

股関節唇損傷の手術症例中80.6%が陽性だった。

FABERテスト
FABERテスト

画像出展:「医道の日本」

股関節唇損傷の診断

・病歴、臨床症状、理学的所見等から股関節唇損傷が疑われる場合、単純レントゲンやCTで臼蓋形成不全やFAIを生じるような骨形態異常の有無を確認する。

・股関節唇損傷については、通常のMRIでは感度が低いので、関節造影MRIや放射像撮影を撮像することが望ましい。

関節造影MRI、放射状撮影
関節造影MRI、放射状撮影

画像出展:「医道の日本」

関節造影MRI、放射状撮影

股関節唇損傷の治療

疼痛の原因が股関節唇損傷であると診断した場合、まずは理学療法を中心とした保存療法を6~12週行う。

・症状の改善が患者の望むレベルに達しない場合は、手術的治療を検討する。

おわりに

・股関節唇損傷は、股関節痛、鼡径部痛の原因として近年認知されてきた比較的新しい概念である。

・股関節唇損傷の臨床症状や診断法などはいまだ広く知られておらず、複数の医療機関への受診を要し、誤った判断や不要な検査、手術を受ける可能性がある。また、股関節唇損傷と診断されても保存的治療の有効性はまだ確立されていない。

・外科的手術の短期成績は良好だが、長期成績については今後の課題である。

股関節唇損傷は変形性関節症のリスクであり、予防、早期診断、治療に関するさらなる科学的根拠の蓄積と、医療従事者への啓蒙が急務である。

股関節唇損傷(フレイル)2

出版:南江堂

発行:2011年7月

編集:菊地臣一(執筆者は43名)

目次は”股関節唇損傷(フレイル)1”を参照ください。

股関節唇損傷による痛み

A.股関節唇の解剖と生理

・股関節唇は断面が三角形の線維軟骨からなり、寛骨臼の辺縁に付着する。下方の一部は関節黄靭帯に移行し、全体では輪状の構造物を形成する。膝半月のように付着部は血行に富み、末梢は無血行野となっている。その主な生理学的機能は、①関節安定性(吸着性)、②骨頭との適合性(ストレス分散)、③密閉性(潤滑液のブーリング)の保持である。

B.診察のポイント

1.医療面接

・問診では、現病歴を始め、既往歴、スポーツ歴などにも診断に有用な情報が含まれているので、詳細な聴取が必要である。

a.現病歴

・若年者では、スポーツなど運動の際に軽度の外傷を契機として発症することが多く、引っ掛り感やロッキングなどの機械的な刺激による疼痛を訴える。鼡径部痛、大腿前面の痛みが主で、時に殿部痛も伴うが、殿部痛のみを訴えるものは少ない。階段を昇る際の痛みや、しゃがみ込んだ時の痛み、症状が強い場合は夜間痛を訴えるものもある。

FAI(股関節インピンジメント)が比較的若年発祥である一方で、外傷を伴わない変性断裂は中高年の骨性変化の少ない女性に多い。また、遠距離のドライブなどの長時間の座位が疼痛により耐えられなくなるものも多い。その他、急な方向転換で股関節の外旋強制を受ける場合にも疼痛を訴える。

b.既往歴

・外傷歴や小児期の股関節疾患の既往は、FAIや臼蓋形成不全などの骨性因子を伴う関節唇損傷の原因になるので、発症時期や治療経過などを詳細に確認する必要がある。例えば、外傷性脱臼に伴う骨頭骨折、大腿骨頭すべり症、ペルテス病はFAIの原因となる。一方で、先天性股関節脱臼は、臼蓋形成不全の原因の1つとして広く知られている。

c.スポーツ歴

・スポーツ障害として股関節唇損傷がみられるが、競技種目としてよく挙げられるのは、野球、サッカー、ホッケー、ゴルフ、クラシックバレエ、フィギュアスケート、テコンドーなどの頻回の回旋運動、もしくは大きな可動域を要求されるものに多いとされる。特にFAIのあるものには発生頻度が高く、痛みのため競技休止を余儀なくされることが多い。

3.病態

股関節唇損傷の原因は、病態に関与する骨性因子があるか否かによって、大きく2つに分類できる。骨性因子があるものとしてFAIや臼蓋形成不全があり、骨性因子がないものとして変性断裂、スポーツ障害、外傷などがある。

a.骨性因子なし

骨性因子のない股関節唇損傷の原因は、①変性断裂、②スポーツ障害、③外傷の3つが挙げられる。

1)変性断裂

外傷を伴わない変性断裂は、中高年の骨性変化の少ない女性に多いとされ、特に日本人女性では、横座りの際に痛みを訴える人が多い。仕事や家事でしゃがみ込むことが多い人や、趣味でヨガやエアロビクスなどを行い、広い可動域を要求される人にも多く発症する。

2)スポーツ障害

1回のはっきりした外傷から起こることもあれば、繰り返される軽微な外傷から発症することもあり、3/4は後者であるといわれている。荷重下のピボット運動時に多いとされ、過屈曲、過伸展、過外旋など可動域一杯の運動を繰り返すことで起こりやすいとされている。

3)外傷

・主に交通事故や、スポーツ中の脱臼、捻挫などの際に発症するもので、靭帯損傷や骨折を伴うことから、受傷時の疼痛や腫脹が強い。初期治療の後に、残存する症状から股関節内の傷害に気付くことが多い。この場合、関節唇はもちろん、軟骨損傷や円靭帯断裂の合併頻度も高く、臼縁に小さな骨折が合併している場合もある。

4.画像所見

C.保存的治療

・『断裂した組織の自然治癒に関しては議論の多いところではあるが、Seldesらの報告で股関節唇損傷のある12股の新鮮凍結遺体において断裂部に新生血管がみられ、膝半月と同様に自然治癒の可能性を示唆している。そこで筆者の施設[大原英嗣先生:大阪医科大学]では、疼痛コントロールできる症例には、断裂の自然治癒を期待し保存的治療を行っている。』

・具体的には、疼痛誘発肢位の確認とその病態を説明し、日常生活において誘発肢位の回避を指導すると同時に運動療法を勧めている。大切にしていることは、他の荷重関節でも同じことが言えるが、非荷重での可動域内の持続的運動を行うことである。移動は自転車で行うように指導し、水中歩行や水泳を勧めている。症状の強い症例にはNSAIDsの投与を行い、変性断裂例などには、疼痛の原因が関節内にあることの診断を兼ねて局所麻酔薬にステロイドを加えて関節注射を行う。若年例では関節症変化がない症例には、関節軟骨表面の損傷に繋がるのでステロイド使用は控えている。

D.骨性因子なし

・初診後6カ月以上に渡り、仕事もしくはADLでの疼痛が改善しないものや、安静時痛が続くものに対しては手術治療を行っている。術式は、図10のように、関節唇の損傷程度により切除するか、修復するかを決めている。実質部の損傷が多い場合には切除を、そうでない場合は修復術として縫合を行っている。

画像出展:「股関節の痛み」

まずは、6ヵ月以上の保存治療が行なわれます。

月刊スポーツメディスン2・3月合併号 138

特集:股関節の痛み 鼡径周辺部痛、FAI、関節唇損傷、その他の痛みへのアプローチ

こちらは過去ブログ“股関節捻挫”の時に手に入れた専門誌ですが、今回は“股関節唇損傷”を強く意識して熟読しました。

1.股関節唇損傷の鑑別診断

広義と狭義の鼡径部痛症候群

・捻った時に痛い、ある肢位で痛い、という場合は、股関節唇損傷、筋損傷が疑われる。

画像出展:「スポーツメディスン

股関節唇損傷

・原因の一つはFAI(股関節インピンジメント)といって、大腿骨頭と臼蓋間の骨性衝突によって関節唇が損傷する。なお、FAIは骨の計測を行い、出っ張りがあった場合は疑う。

・内転筋由来鼡径部痛症候群では13%に関節唇損傷の可能性がある。

痛みの部位は88%が鼡径部だが、67%は股関節の横側、大転子付近に痛みがみられる。また、腰部は2割、殿部は3割、大腿前面は3割、大腿後面は1割というように痛みの部位は多い。

性別では71%が女性、平均年齢は38歳である。

一般的には、重度の跛行はない。また、きっかけとなった外傷はなく、緩徐な発症で、まあまあ痛い、鼡径部痛、きりっとした痛み、だるい感じ、活動したときに痛みがあり、夜間痛、引っかかると痛い、そして振り返り動作で痛いという症状を訴える。

股関節屈曲で内旋させるAnterior impingement test(図4)で95%が陽性。関節内で痛み止めを行うと、一時的にAnterior impingementの痛みがとれる。著効は90%。この2つを行い、関節内に造影剤を入れてレントゲン写真を撮り、その後MRIを撮ると、関節唇の状態や軟骨の剥離などが確認できる。 

画像出展:「スポーツメディスン

・ブロック注射で痛みが半減し、それで様子をみる場合もあれば、希望により手術を行う場合もある。

病態自体が新しいので確定診断まで約2年(平均21カ月)、平均3.3施設を受診している。

大腿骨頭と臼蓋間の衝突以外に、捻った動作によって関節唇を損傷する場合もある。

・日常生活では、しゃがみ込み、車の乗り降り(特に低い車での乗り降り)、椅子からの立ち上がり、振り返り動作などできりっとした痛みが出る。また、同じような肢位をとりやすい、新体操、ロッククライミング、陸上のハードル、空手、マラソン、スピードスケート、アイスホッケーなどでも出やすい。

年齢的な変化があったり、軽微な外傷を繰り返していると(degenerative change、minor trauma)、関節唇が傷んだり(labral tear)、軟骨が損傷したり(cartilage injury)して鼡径部痛が生じることがある。

・関節運動時に痛みがある壮年期の人でレントゲン画像の変化が少ない場合でも以下の図のように器質的疾患が疑われる。 

画像出展:「スポーツメディスン

・鼡径部症候群のまとめ

画像出展:「スポーツメディスン

2.股関節鏡手術 FAIと関節唇損傷

・日本では通常の手術で行っていた時代から、アメリカではきれいに骨を削って関節唇を縫合する手術を関節鏡手術で行っていた。

・日本ではFAI(股関節インピンジメント)は少なく、多くは臼蓋形成不全と考えられてきたが、内田先生の2009年から2011年に行った230例では、臼蓋形成不全は60例でFAIは151例で、日本では考えている以上に、FAIが多いと考えられる。ただし、臼蓋形成不全60例という数は欧米に比べると圧倒的に多い。

・『最初股関節痛があって、関節の中かなと思っていても、腸腰筋のインピンジメント[腸腰筋に肥厚や炎症があるとクリックがあり、詰まる感じがする]という可能性もあるので、最低1カ月半くらいは保存療法でリハビリをやりつつ様子をみて、それで3カ月以上みて反応しない症例については、手術を視野に入れて検査を進めていきます。

画像出展:「スポーツメディスン

絶対手術適応は、関節造影MRI(左の写真)で関節をみたとき、関節唇の断裂がはっきりわかる症例。

・『次に前述の保存療法で3カ月以上やっても改善がみられない症例、そして関節唇だけでなく、関節唇のそばに軟骨があるのですが、この軟骨が傷んでくると予後が不良になります。軟骨が少しでも傷んでいる所見があれば、早めの手術を勧めます。いたずらに保存療法を続けていると、だんだん変形性股関節症になっていきます。』

画像出展:「スポーツメディスン

 

・FAIは10代、20代、30代までは男性の方が多く、40代、50代になると女性の方が多くなる。

画像出展:「スポーツメディスン

 

・股関節に限らないが、痛みが精神的な要因に関係していることがある。また、同じように関節唇が損傷していても痛みを感じない人もいれば、ひどく痛みを感じる人もいる。さらに筋力も関係してくる。以上のことから、手術の適応を見極めるのは簡単ではない。

股関節唇損傷(フレイル)1

今回は、母親の股関節痛に伴う筋性拘縮に関するものです。

軟骨変性関節包股関節唇のいずれかの問題ではないかと考えますが、アスリートなどに多く、最近注目されているという点から“股関節唇損傷”をターゲットに調べていくことにしました。

状況

■年齢:102歳

■健康面

1.2020年元旦、椅子から転倒し右側頭部等を強打し救急搬送されましたが、脳、首、肩に問題はありませんでした。ただし、もともと限界寸前だった歩行は困難となりベッドでの生活となりました。

■発症時(2021年1月後半~2月前半)

1.左股関節、左膝関節が常時屈曲しており、伸展、外旋で痛みを強く訴えます。

2.訪問医の先生からは、「関節を動かせて、内出血、腫れ、炎症がないことから脱臼、骨折の可能性はないだろう」とのことでした。なお、問題なく椅子に座ることができ、大転子への押圧や踵への叩打でも痛みを訴えないので骨折ではないと考えました。

3.突然というより、少しずつという感じです。ベッドでは右側臥位で左足を右足の上にクロスさせるように伸ばしている姿勢が多かったのですが、左股関節・膝関節を曲げることが見られるようになり、そして仰臥位でも左膝を立てていることが多くなり、それが頻繁になり拘縮していったという感じです。 

この写真は2月末頃だったと思います。

■考えられる原因

1.受傷したという認識はありませんでした。ただし、両足をベッドの外に出し、ベッド内を90度回転するほど元気に動いていたため、そのような時に股関節の軟部組織のどこかを痛めたのではないかと思います(例えば、元の姿勢に戻ろうとして股関節に捻じりの力が繰り返し加わった等)。また、加齢による影響も大きいと思います。

股関節の解剖(骨軟骨関節構造、血管)
股関節の解剖(骨軟骨関節構造、血管)

画像出展:「股関節の痛み」

図の中央上部右から、関節軟骨関節唇関節包とありますが、この辺りに問題があるのではないかと思います。

格安で購入した3冊の古本は骨などに関する疾患について書かれており、軟部組織の損傷についての内容は殆どなかったのですが、とても重要なページが1つありました。

関節症の痛みと機能障害
関節症の痛みと機能障害

画像出展:「新よくわかる股関節の病気」

『関節症と痛みや機能の障害は図2-6のように悪循環を作っていますので、この悪循環を断ち切ることが基本です。変性の進行により痛みと炎症が強くなり、プロスタグランジンなどの血管の透過性を増し炎症を引き起こす化学的な物質を出して、滑膜の炎症、軟骨の破壊や軟骨細胞の変性が進みます。関節を最大に曲げたり伸ばしたりすると筋肉や筋膜による痛みが強いので、関節を動かさなくなります。さらに痛みのために歩く距離が少なくなり筋肉は衰えて萎縮し、関節の動きがさらに悪くなります。関節の動きが少なくなることで血液のめぐりを悪くし、関節の変性がより進行します。』

今の状況はまさにこんな感じです。これによれば、老化による軟骨変性が疑われますが、“軟骨変性”がどのようなものなのか分かりませんでしたので、“関節唇損傷”に“軟骨変性”を加え、この2つに注目しながら勉強することにしました。

題材は、次の4つです。①股関節の痛み 編集:菊地臣一 ②月刊スポーツメディスン2・3月合併号 138 特集:股関節の痛み 鼡径周辺部痛、FAI、関節唇損傷、その他の痛みへのアプローチ ③医道の日本 2013年4月号 特集 股関節痛へのアプローチ ④日臨整誌 vol.36 no.1 98 関節内に陥入した股関節唇損傷の治療経験(2例)。なお、ブログは4つに分けました。

最初の「股関節の痛み」は43名の先生が執筆され、菊地臣一先生によって編集されています。“股関節の解剖と生理”に始まり、基礎的なことも勉強できる期待していた内容の本でした。また、“股関節唇損傷”も出ていました。

股関節の痛み
股関節の痛み

出版:南江堂

発行:2011年7月

編集:菊地臣一(執筆者は43名)

目次

Ⅰ 痛みについて

1.運動器のプライマリケア―careを重視した全人的アプローチの新たな流れ

2.運動器の疼痛をどう捉えるか―局所の痛みからtotal painへ、痛みの治療から機能障害の克服へ

3.疼痛―診察のポイントと評価の仕方

4.治療にあたってのインフォームド・コンセント―必要性と重要性

5.各種治療手技の概要と適応

a.薬物療法

b.ペインクリニックのアプローチ

c.東洋医学的アプローチ

d.理学療法

e.運動療法

f..精神医学(リエゾン)アプローチ

g.気学的アプローチ

6.運動器不安定症―概念と治療体系

7.作業関連筋骨格系障害による痛み

Ⅱ 股関節の痛みについて

1.診療に必要な基礎知識-解剖と生理

A.股関節周囲の表面解剖

B.骨盤出口部の解剖

C.股関節の深層解剖

2.診察手順とポイント―重篤な疾患や外傷を見逃さないために、他部位の痛みを誤診しないために

a.小児の診察

A.医療面接

B.身体診察

C.画像診断

D.臨床検査

E.関節 刺および局所麻酔剤注入テスト

b.成人の診察

A.医療面接

B.身体診察

C.画像診断

D.疾患

3.鑑別に注意を要する股関節および周辺部の痛み

a.骨・軟部腫瘍

b.骨系疾患

c.発育期のスポーツ損傷・障害による痛み

4.股関節疾患と間違いやすい痛み

A.腰椎疾患による股関節痛

B.骨盤部疾患による股関節痛

C.腹部内蔵器による股関節痛

5.画像診断と臨床検査

A.股関節痛と画像診断

B.股関節痛と臨床検査

6.各種治療手技の実際と注意点

a.薬物療法

b.理学療法・運動療法

A.理学療法

B.運動療法

c.ペインクリニックのアプローチ

A.トリガーポイント注射(圧痛点注射)

B.股関節ブロック

C.腰神経叢ブロック

D.仙腸関節ブロック

E.梨状筋ブロック

F.股関節知覚枝高周波熱凝固

d.東洋医学的アプローチ

A.漢方

B.鍼灸

C.指圧・マッサージ

Ⅲ主な疾患や病態の治療とポイント―私はこうしている

1.化膿性股関節炎による痛み

■治療の実際

A.診察のポイント

B.鏡視下洗浄・ドレナージ

C.化学療法

D.遺残変形

E.化膿性関節炎に対する私のアプローチ

2.Perthes病による痛み

■治療の実際

A.診察のポイント

B.治療方針

C.保存的治療

D.観血的治療

E.予後予測(重症度の判定)

F.長期成績

3.単純性股関節炎による痛み

■治療の実際

A.診察のポイント

B.治療

4.大腿骨頭すべり症による痛み

■治療の実際

A.病型と痛みの原因

B.痛みの特徴とアプローチ

C.画像所見

D.治療方針

E.主な観血的治療

5.変形性股関節症による痛み

a.治療の実際①

A.変形性股関節症の診断と治療

B.変形性股関節症による痛みと治療法選択

C保存法の実際

D.手術療法における術式選択

b.治療の実際②

A.痛みの特徴と診断

B.治療方針決定のためのポイント

C.保存療法

D.手術へ踏み切るタイミング

E.手術療法

F.股関節手術に対する考え方と治療方針

6.特発性大腿骨頭壊死症による痛み

a.治療の実際①

A.治療方針の決定

B.保存療法

C手術療法

b.治療の実際②

A.診察のポイント

B.薬物療法

C.手術療法

D.専門医に紹介するタイミング

7.一過性大腿骨頭萎縮症による痛み

■治療の実際

A.病態

B.診察のポイント

C.薬物療法

D.物理療法

E.専門医に紹介するタイミング

8.急速破壊型股関節症による痛み

■治療の実際

A.定義と病態

B.診察のポイント

C.治療方針

D.手術療法

E.術後リハビリテーションと予後

9.骨粗鬆症による骨盤・大腿近位部の脆弱性骨折

■治療の実際

A.背景と病態

B.骨盤IF

C.仙骨IF

D.大腿骨近位部IF

10.関節リウマチによる痛み

a.治療の実際①

A.診断と治療のポイント

B.薬物療法

C理学療法

D.関節注射

E.手術療法

b.治療の実際②

A.診察のポイント

B.薬物療法

C.物理療法・運動療法・装具療法・その他

D.ブロック療法

E.手術療法

F.専門医に紹介するタイミング

11.股関節唇損傷による痛み

■治療の実際

A.股関節唇の解剖と生理

B.診察のポイント

C.保存的治療針

D.骨性因子なし

E.骨性因子あり

Ⅱ股関節の痛みについて

1.診療に必要な基礎知識-解剖と生理

A.股関節周囲の表面解剖

股関節の痛みの領域は、①前方(鼡径部など)、②外側(大転子周辺)、③後方(殿部)の3領域に大別されることが多い。

股関節の表面解剖
股関節の表面解剖

画像出展:「股関節の痛み」

1)前方のランドマーク

a.恥骨結合

・外上方から鼡径靭帯、外下方から長内転筋が付着する。同部周辺の疼痛を訴える疾患として、恥骨結合炎や恥骨骨折、内転筋損傷などがある。

b.大腿三角(スカルパ三角)

・上方は鼡径靭帯、外側は縫工筋内縁、内側は長内転筋外縁の三辺からなる逆三角形のくぼみであり、同部には内側から大腿静脈(Vain)、大腿動脈(Artery)、大腿神経(Nerve)が“VAN”の順に位置する。その深部に大腿骨頭があるため、同部の診察が診断の手がかりとなる股関節疾患は少なくない。また、股関節疾患以外の疼痛性疾患としては、腸恥骨液包炎、鼡径部のヘルニアなどがある。

c.上前腸骨棘

・鼡径靭帯を上方にたどると、上前腸骨棘を容易に触れる。大腿筋膜張筋や縫工筋が付着し、付着部の炎症や裂離骨折が生じる。

2)外側のランドマーク

a.大転子

・大腿骨外側の骨性隆起部で、大転子周囲の疼痛を訴える疾患として、股関節疾患、大転子滑液包炎、弾発股、感覚異常性大腿痛などがある。

b.坐骨結節

・殿部の骨性隆起部で、ハムストリングスが付着し、付着部の炎症や裂離骨折を生じる。股関節疾患や腰仙椎神経根症(坐骨神経痛)の後方の疼痛好発部位は坐骨結節より近位外側にある。

B.骨盤出口部の解剖

骨盤出口部には骨盤内から股関節周囲へ向かう筋、神経、血管が存在する。骨盤出口部(鼡径靭帯部、閉鎖孔、大坐骨孔)ではヘルニアや絞扼性神経障害が生じる。そのため、同部の解剖の理解が股関節周囲の解剖知識の整理や、股関節の痛みの病態を理解する上で有用である。

骨盤出口部の解剖
骨盤出口部の解剖

画像出展:「股関節の痛み」

1.鼡径靭帯

・鼡径靭帯の深部を、腸骨筋、大腰筋、大腿神経、外側大腿皮神経、陰部大腿神経(大腿枝)、大腿動・静脈などが通過する。鼡径靭帯の下を通過する神経は、股関節前方の知覚と股関節屈曲を支配する。鼡径靭帯の障害として、鼡径部のヘルニアや感覚異常性大腿痛がある。

2.閉鎖孔

・閉鎖孔内の外上方は閉鎖神経、閉鎖動脈が通過しており、同部は閉鎖孔ヘルニアが生じる部位でもある。閉鎖神経は股関節内側の知覚と股関節内転を支配する。

3.大坐骨孔

・大坐骨孔は腸骨、仙骨、仙棘靭帯、仙結節靭帯の内縁からなり、大坐骨孔を仙骨内側から大転子上部へ付着する梨状筋が通過する。骨盤から殿部に出る血管・神経は、すべて梨状筋の上か下かで大坐骨孔を通過する。梨状筋の上(梨状筋上孔)を上殿神経と上殿動脈が伴走する。梨状筋の下(梨状筋下孔)を通る神経・血管のうち重要なのは、①坐骨神経、②下殿神経、③下殿動脈である。梨状筋下孔を通過する神経、股関節後面の知覚と股関節の伸展と外転を支配する。同部の絞扼性障害として梨状筋症候群がある。

股関節(周囲)痛の原因
股関節(周囲)痛の原因

画像出展:「股関節の痛み」

C.股関節の深層解剖

1.関節内

関節内の解剖は骨軟骨構造と軟部組織(関節包、関節唇、靭帯)からなる。変形性股関節症のようにX線で診断されることの多い骨軟骨構造の障害と異なり、軟部組織の障害は画像診断も困難であり、病態が判然としないことが多い。しかし、近年の股関節鏡技術の発達に伴い、軟部組織障害の診断と治療が鏡視下に行われるようになってきている。

a.骨軟骨構造

・股関節は寛骨臼と大腿骨頭から構成され、寛骨臼と関節唇が大腿骨頭の2/3を包み、臼状関節を形成している。この関節構造が関節の安定性に重要な役割を果たしている。骨軟骨障害をきたす股関節疾患は多い。

b.軟部組織

1)関節包

・寛骨臼と大腿骨頚部を連結する線維性組織である。関節包は寛骨臼側では寛骨臼縁より近位に付着する。一方、大腿骨側の前面では転子間線に付着するのに対して、後面では転子間稜より近位に付着するため、大腿骨頚部全面を覆っていない。そのため、大腿骨頚部骨折(基部)では、関節内骨折か関節外骨折かの鑑別が単純X線写真では困難な症例がある。

2)靭帯

・関節包は線維性の靭帯組織で取り巻かれ、前方は腸骨大腿靭帯、恥骨大腿靭帯、後方は坐骨大腿靭帯が覆い、関節包を補強し股関節を補強し股関節の安定に寄与している。

3)関節唇

関節包内面の寛骨臼周囲を取り巻く軟骨性組織であり、衝撃吸収作用や吸盤機能作用を有し、股関節の安定化に寄与している。解剖学的には、関節唇内部には神経終末が存在し、臼蓋形成不全による股関節症では股関節痛の発症と関節唇断裂が強く相関することが指摘されている。

股関節の解剖
股関節の解剖

画像出展:「股関節の痛み」

a.筋肉

・最大荷重関節である股関節には強力な筋肉群が存在し、屈曲・伸展、内転・外転、内旋・外旋の6方向の動きに作用する。強力な股関節周囲筋に由来する障害として、骨盤付着部の裂離骨折や炎症、肉離れ、筋腱靭帯の炎症などがある。

股関節の運動(筋)と支配神経
股関節の運動(筋)と支配神経

画像出展:「股関節の痛み」

b.神経

・股関節周囲の運動と知覚は、主に2つの脊髄神経叢[腰神経叢L2,L3,L4、脊髄神経叢L(4)5,S1,S2(3)]が支配している。腰仙椎神経根障害では股関節周囲に放散痛が生じるため、腰仙椎疾患の鑑別に注意が必要である。股関節周囲の理解しておくべき神経徴候・障害として、関連痛、Valleix点の圧痛、絞扼性神経障害がある。

1)関連痛

・内臓、筋、関節などの損傷によって、障害部位と離れた部位に感じる痛みを「関連痛」という、股関節の内側障害例では、股関節内側を支配する閉鎖神経が興奮し、閉鎖神経の分枝の支配域である大腿や膝に痛みを生じることがある。股関節の脊髄神経支配は多様であり、障害部位により関連痛領域が多岐にわたる。変形性股関節症において、膝以下まで疼痛が及ぶのは4~47%と報告され、腰仙椎部神経根障害との鑑別が困難な症例がある。

2)Valleix点

・神経痛がある場合に、体表近くを走行している神経の直上を圧迫して、圧痛を感じる部位といい、三叉神経痛では眼窩上・下孔がValleix点として知られている。腰椎椎間板ヘルニアや梨状筋症候群などの坐骨神経痛例では、ときに殿部で有痛性の坐骨神経を触知できる。

3)絞扼性神経障害

・股関節周辺では、様々な絞扼性神経障害が報告されているが、代表例として梨状筋症候群と感覚異常性大腿痛がある。

①梨状筋症候群

・梨状筋部での坐骨神経の絞扼性神経障害であり、坐骨神経痛(殿部痛・下肢痛)を生じる。坐骨神経走行の解剖学的破格以外に、梨状筋部での腫瘍、ガングリオン、異常血管などによる圧迫などが報告されている。

②感覚異常性大腿痛

・鼡径靭帯や上前腸骨棘部での外側大腿皮神経の絞扼性神経障害である。外側大腿皮神経は、上前腸骨棘の遠位内側で鼡径靭帯の下を通り大腿ヘ下行するが、様々な解剖学的破格があり、上前腸骨棘を乗り越えて下行する型もある。そのため、股関節の前方アプローチ、腸骨採骨、腹臥位手術、長時間の腹臥位、妊娠、分娩などにより障害され、大腿近位外側に不快な痛みや痺れを生じることがある。

骨盤出口部の解剖:鼡径部
骨盤出口部の解剖:鼡径部

画像出展:「股関節の痛み」

腰仙骨神経叢
腰仙骨神経叢

画像出展:「股関節の痛み」

c.血管

・骨盤、股関節の栄養血管の大部分は、内腸骨動脈の分枝と外腸骨動脈の末梢である大腿動脈とその分枝からなる。

1)内腸骨動脈

・内腸骨動脈の分枝で骨盤、股関節の栄養に関係するのは、①上殿動脈、②下殿動脈、③閉鎖動脈である。内腸骨動脈は骨盤壁に沿って走行するため、骨盤骨折に伴う血管損傷の大部分は内腸骨動脈枝である。また、鼡径部や殿部に分枝する血管が存在することから、内腸骨動脈枝である。また、鼡径部や殿部に分枝する血管が存在することから、内腸骨動脈閉鎖(瘤)が慢性的な鼡径部痛や殿部痛の原因となる。

2)外腸骨動脈

・外腸骨動脈の分枝で股関節周辺、大腿骨頭の栄養に関係があるのは、①大腿動脈と、これからの分枝である②内・外大腿回旋動脈の血管網である。大腿骨頚部骨折によりこれらの動脈はしばしば損傷され、大腿骨頭壊死が生じる。

骨盤と股関節の血管
骨盤と股関節の血管

画像出展:「股関節の痛み」

c.血管

・骨盤、股関節の栄養血管の大部分は、内腸骨動脈の分枝と外腸骨動脈の末梢である大腿動脈とその分枝からなる。

1)内腸骨動脈

・内腸骨動脈の分枝で骨盤、股関節の栄養に関係するのは、①上殿動脈、②下殿動脈、③閉鎖動脈である。内腸骨動脈は骨盤壁に沿って走行するため、骨盤骨折に伴う血管損傷の大部分は内腸骨動脈枝である。また、鼡径部や殿部に分枝する血管が存在することから、内腸骨動脈枝である。また、鼡径部や殿部に分枝する血管が存在することから、内腸骨動脈閉鎖(瘤)が慢性的な鼡径部痛や殿部痛の原因となる。

2)外腸骨動脈

・外腸骨動脈の分枝で股関節周辺、大腿骨頭の栄養に関係があるのは、①大腿動脈と、これからの分枝である②内・外大腿回旋動脈の血管網である。大腿骨頚部骨折によりこれらの動脈はしばしば損傷され、大腿骨頭壊死が生じる。

【祝】百歳

先月、母親が100歳の誕生日をむかえました。

敬老会を主催された町内会の方からは「今回はこの町内に二人いました!」とのことで、あらためてすごい長寿国だと実感します。また、政府からは表彰状と銀杯を記念品として頂きました。

珍しいとはいえなくなった100歳ですが、そうはいっても凄いなぁと思います。思うに、母親の昔話を真剣に聞こうとしたこともなかったなぁと思います。そこで、全くのプライベートなことですが、100歳を理由にブログに書いてみることにしました。

これといってお伝えするようなことは何もないブログになると思っていましたが、結果的に二つの歴史的出来事に向き合うことになりました。それは、一つは“関東大震災”、もう一つは“東京大空襲”でした。

母親は大正七年(1918年)十月、六人兄弟の五番目として麻布で生まれました。残念ながら六人のうち四人は若くしてこの世を去りました。そして夫も三年足らずで亡くしました。

血を受け継いだ私同様、母親はかなりのマイペース型のためか結婚は遅く、三十後半、出産は四十でした。昭和33年(1958年)の女性の平均寿命は69.6歳だったので、2017年の平均寿命87.26歳と単純比較をすると、当時の40歳は今のおよそ50歳に相当します。「出産は危ないからやめた方がいい」という声も少なくなったようですが、母親はほとんど気にしていなかったようです。

楽しみは ”テレビ” と ”食べること” です。

今回、インタビューをするかのように根掘り葉掘り、しつこく聞きだそうとしたため、かなり怪しまれました。 

はすぴー倶楽部」さまの懐かしいサイトの中に“昭和33年はこんな年”という記事が出ていました。

1.関東大震災 大正十四年(1923年)九月一日 母親四歳

わずかな記憶のみ。「怖かった。自宅は無事だった」


関東大震災誌・東京編
関東大震災誌・東京編

関東大震災誌・東京編 

第一章 大震火災録 帝都壊滅の一瞬 

『大正十二年(1923年)九月一日午前十一時五十八分、源を伊豆大島付近の海中に発し、突如として起こった関東大震災は、東京湾、相模灘、房総沿岸一帯の地方、東京、神奈川、千葉、埼玉、山梨の一府五県にわたる広大なる区域を一瞬にして揺り潰してしまった。しかも、津波と火災これに伴い、幾百万の建築物を倒し、幾十万の人命をそこない、さらに、幾百億の財宝を焼き、一朝にして通信、交通その他の文化機関を全滅した。まさに世界有史以来、未曾有の大惨害である。今、ここに筆をはげまして記録を後世に残そうとするのであるが、いかに最大級の文字をもってしても、この戦慄すべき惨禍をほうふつせしむることはできない。ただ、正確なる通信と報道とを採録し、それに見聞を加えて誤りなきを期するのみである。この日は、ちょうど二百十日の前日にあたっていた。前日は穏かに日暮れ、夜は空に星さへ見えていたのに、この朝早くやや強い風雨が人人の眠りを醒ましたのであった。しかし、やがて風雨も止み、午前十時頃からは空もからりと晴れ、再び平和な初秋の一日となった。そして、すべての市民は、今しばし労働の手を休めて健やかなる昼食の卓に向おうとした一瞬、突然何とも名状し難い地鳴りが聞えたと思う瞬間、上下動の激震がどしんと全市を揺り動かした。同時に塀崩れ、瓦が飛ぶ響きが、すさまじく轟き渡った。市民のすべてが、異常の大地震だ!と直覚し、色を失って立ち上がると、矢継ぎ早に二度、三度と襲ってきた揺り返しは、今度は横なぐりに人も物も地上に打倒した。と見る間に市内百三十余個所から火を発し、空は瞬く間にもうもうたる黒煙りにおおわれ、人人の悲鳴叫喚が大地を揺すって、五分間前の華の都は、たちまちにして阿鼻焦熱の地獄と化してしまった。さらに却火続くこと二日二夜、帝都東京は全市街の三分の二を烏有に帰し、ただ見る一望千里の焦土と変わり果てた。上野の山に立って、ありし日の都をふかんすれば、満目しょうじょうとして遮るものなく、遥かに房総の半島が秋天の下に横たわっているのである。誰か涙なくして立ち去り得たろう。』

関東大震災概要
関東大震災概要

大正12年 関東大震災 概要

防災情報のページ」さまのサイトに掲載されている関東大震災の情報です。

関東大震災の翌年に発行された田山花袋先生の本です。当時の様子をよりリアルに感じたいと思い、衝動買いしてしまいました。2021年10月7日

東京震災記
東京震災記

著者:田山花袋

発行:大正13年4月20日

出版:博文館

東京震災記
東京震災記

『三時過ぎになって、始めてあの例の凄しい地震雲―白くもくもく巴渦を巻いた地震雲が、郊外の木立の中に住んでいる私達の眼にもはっきり映って来たのであった。「不思議な雲だね? 夕立がやって来さうだね? かうして外に出ているところを土砂降りに降られてはやりきれんね」まだ何も知らないのんきな私達は、平気でこんなことを言って、椎の木の上に高くもくもくあらはれて来ているその白い不愉快な雲を眺めた。

「父さん、あれは雲じゃないぜ!」

「どれ?」

「あの白いもくもくしたやつさ?」

「そんなことはないだらう?」

「だって、僕、新宿の停車場のところまで行ったら、下の方は皆な煙だもの……」

「そんなことはないだらう?」

「だって、えらい騒ぎだよ。向こうの方は?」

「何う?」

「東京の方はすっかりもえてるんだッて? 向こうから来た人が皆なさう言っていたよ?」

「それで、お前達は何處まで行っただぇ?」

その日の午後三時頃から、町の様子を見に行って来ると言って、長男と次男とが揃って出かけていったが、一時間も経たない中に、二人はもう帰ってきていたのであった。』

2.東京大空襲 昭和二十年(1945年)三月十日 母親二十六歳

木工職人だった父親(祖父)は職人が住み込みで働くための宿舎を用意するため、麻布から蒲田の西六郷に引っ越し、同じ敷地内に自宅も建てていた。

「空襲で自慢の家が全焼し非情に悲しかった。人生で最も失望し呆然とした」。とのこと。

六郷の土手に避難。命を守るだけで精一杯だった。歩いて上野公園に行った。もの凄い人だった。その後、何とか電車にのって埼玉(北葛飾郡庄和町神間)の父親の友人宅に行った。そこは大きな農家で二階に間借りした」 

東京大空襲:六郷橋から川崎方面
東京大空襲:六郷橋から川崎方面

六郷橋から川崎方面第一京浜国道を見る

画像出展:「大森界隈あれこれ65年

東京大空襲:市中心部
東京大空襲:市中心部

空襲後の市中心部:六郷橋から川崎駅西口方向を見る

画像出展:「総務省|川崎市における戦災の状況

2021年10月24日撮影
2021年10月24日撮影

西六郷一丁目から見た六郷土手

 

東京大空襲の全記録
東京大空襲の全記録

以下にご紹介する6点はこの写真集からの出展です。

編集:石川光陽、森田写真事務所

出版:岩波書店

発行:1992年3月10日

東京駅付近での帝都防空訓練の様子
東京駅付近での帝都防空訓練の様子

これは東京大空襲のおよそ1年半前、昭和18年8月16日、東京駅付近での帝都防空訓練の様子です。

東京大空襲:台東区浅草の様子
東京大空襲:台東区浅草の様子

左右の写真は上野ではありませんが、同じ台東区の浅草で、3月10日に撮影されたものです。


蒲田警察署前通り:東京大空襲の約1ヵ月後
蒲田警察署前通り:東京大空襲の約1ヵ月後

こちらは4月16日、東京大空襲の約1ヵ月後になりますが、蒲田警察署前通りの様子です。

昭和20年代の蒲田駅西口銀座
昭和20年代の蒲田駅西口銀座

西六郷の最寄り駅は蒲田駅。2枚の写真は昭和20年代の蒲田駅西口銀座です。

画像出展:「おおたWeb写真館


「電車に乗った」との話だったのですが、大空襲直後に本当に鉄道がうごいていたのか、ちょっと信じられない思いがあり、調べてみたところ、高見順先生の日記に大空襲後の上野駅の様子が描かれていることをネットで知り、その本を手に入れました。

高見順日記 第三巻
高見順日記 第三巻

三月十三日 曇り。寒し。

『母、三国に行く。切符は十日朝に買ったので(今は軍公務以外の者は買えない。)今日限りしか使えない。罹災民でごった返している汽車に、六十九歳の老母をのせるのは心配だった。母は平気だというが、もし混雑がひどかったら止めてもらうことにしてとにかく東京駅まで行ってみようと、妻と二人で附き添って北鎌倉へ行く。

-中略-

電車のなかから、行きは右側を見て、帰りは左側を見るということにした。そうして、妻と一緒に右側を見ていたが、東京都庁が十日の空襲でやられているのに初めて気付いた。東京駅で乗換え、上野行を買う。東京駅では今日はもう、昨日のような悲惨な罹災民の姿は見えなかった。車中でも、―罹災民らしい人々は乗っているが、そう惨めな姿は少なかった。ちらし髪の女がはだしでいたり、背負った子供の綿入れが焼けて、焼けた綿がはみ出ていたりしているといった、そう生々しい姿ではなかった。だが、―上野で降りて、猪俣君の切符のことでも駅で聞いて見ようと、汽車の乗り口の方へ行って、驚いた。あの広い駅前が罹災民でびっしりと埋められている。昨日よりその数が増えている。東京駅では、何か波が去った気がしていたのだが、ここへきて、横っ面をひっぱたかれた感じだった。

母をのせた大阪行はそう混んではいなかったのだが、避難民は目下の所安全と見られている東北を選んで殺到して、東海道線に乗るのはすくないせいか。この分では、まだ猪俣君は帰れない。駅前の広場に、東北本線、常磐線……と書いた大きな札が立ててあって、そこに罹災民が幾重もの列をなしている。改札口の前では整理、いや収容しきれないのであろう。万をもって数えられる密集だ。ここへ敵機が襲いかかったらどういうことになるだろう。駅や焼け残った壁に激励のビラが貼ってあった。夕闇が人々の頭上におりて来た。私は、ふと支那を思い出した。支那のこういう場合の民衆の騒々しさを ―。こんなに多数でなくても、支那では人が集まるとワイワイと大声でわめき立てて、大変な喧騒さだ。日本人のおとなしさ、けなげさ、我慢強さ、謙虚、沈着……。

大声が聞えてくる。役人の声だ。怒声に近かった。民衆は黙々と、おとなしく忠実に動いていた。焼けた茶碗、ぼろ切れなどを入れたこれまた焼けた洗面器をかかえて。焼けた蒲団を背負い、左右に小さな子供の手を取って……。すでに薄暗くなったなかに、命ぜられるままに、動いていた。力なくうごめいている、そんな風に見えた。

こちらは3月10日の昭和通り-浅草橋-両国警察署の緊迫した記録です。

3月10日 土曜日 晴 強風 風位北

『さきに房総半島沖をはるかに遁走した筈の敵機は、B29の約130機を主力にして、超低空で午前0時25分頃江東地区に襲いかかってきたのだ。探照灯の光芒は銀色の敵機を捕え、その周囲にいくつかの高射砲弾の炸裂するのがよく見える。来たなと思った瞬間、江東地区の夜空が真紅に染って大火災の発生を知らせた。

私は急いで屋上から防空本部室に入ると、正面の大管内図に青赤の豆ランプが本所、深川、江戸川、浅草地区に無数に光っていた。

原警務課長の前に行って、これから現場へ急行する旨を報告すると、課長は私の手をしっかり握って「そうか行くか。今夜の空襲は今までとは違っている。充分気をつけてな、死ぬなよ、元気で帰ってくるんだぞ」。課長は部下思いで常に部下の身を案じておられたが、こんなことを言われるとなにか異常なものを感じた。すぐ裏庭の車輛班にいき、何回も猛火の中を私とくぐり抜けてきた老朽のシボレーにエンジンをかけて出発した。オートバイの伝令も飛び出していった。

昭和通りをフルスピードで飛ばしていると、消防自動車や警視庁警備隊の輸送車が、警察官を乗せサイレンの音をひびかせて追い抜いて行った。

浅草橋の交差点までくると、前方は、淡々とした大火災が渦を巻いて凄絶そのもの、そして両国橋を渡って避難してくる人人人。それを整理、誘導する警察官の疳高い声、泣き叫ぶ婦女子や警防団員らの叫声などが聞えて、その混雑は筆舌につくせない有様だ。自動車はもう1歩も進めない。やむ得ず自動車を交番横に止めて、両国橋をこちらへ避難してくる人をかきわけ、まるで激流をさかのぼるような気持ちで、漸く両国警察署の玄関までたどりついた。

周囲は猛火の壁に囲まれ、熱風に煽られ、眼も開いておられない。空を仰げば醜敵B29は巨大な真白い胴体に、真紅の焰を反射させて、低空で乱舞している。そしてこれでもかといわぬばかりに焼夷弾の束は無数に落下してくるのだ。

署長室に飛び込んでみると、署内は電燈は消えているが周囲の猛火の光で明るい。窓を透してその猛火が渦を巻いて踊っているようにみえた。署長の許へ伝令が情況報告に入ってきた。その巡査の顔は真っ黒にくすぶり、制服もボロボロで眼ばかり光っている。ここへ来るまでの苦労をよく物がっている。署長の前に立って、情況報告をしているその巡査の顔の反面に窓外の猛火が映じて、その場の雰囲気を一層凄絶なものにしていた。

私は署長に挨拶して表に再び出た。猛烈な烈風と火と煙は容赦なく私に襲いかかり、撮影どころか、この身をかばうのに懸命だった。どこをむいても火ばかりだが、それでも少しでも風当たりの弱いところを探し求めて這うようにして進んでいった。 ~以下省略~ 』

以下は光人社より1994年12月に発行された本です。爆弾を落とした側の様子を知りたいと思い購入しました。

実は日本語版があることを知らず、2010年8月17日に“alibris”というネットショップに原書の注文をしていました。ちなみにアメリカの古書取り扱いで有名な海外通販サイトは、Abe Booksだそうです。

戦略 東京大空襲
戦略 東京大空襲

戦略 東京大空爆

ルメイは司令官としての孤独の中に漂っていた。この作戦の成功・不成功の責任はすべておのれの肩にかかっていた。この重荷は別にしても、空爆が終わるまで自分はどうしようもないということが、妙に気持ちを落ちつかないものにしていたのであった。司令官は通常、前線と連絡を取りあって作戦変更ができるのだが、ルメイの部隊は無線の沈黙の向こうにおり、一昨日の爆撃指令はもはや変更不可能で、敢行されるのをただ待つしかなかったのである。

一昨日の爆撃指令】とは(P143):この空爆に参加する男たちが爆撃群ごとに時刻をずらして、最終打ち合わせをする広い建物に集結した。指揮官が説明に入るまえに、舞台上に掲げられた地図のカバーがとりはずされた。乗組員たちはすぐに、幾人かが予想していたとおり、目標は東京であることをさとった。そして、まず単独飛行による夜間焼夷弾空爆であることが伝えられ、さらに、爆撃高度は五千から八千フィート(1525~2440メートル)の間であると告げられた瞬間、場内からは一斉にブーイングや口笛が沸きおこった。ほとんどの兵士たちが衝撃をうけ、また信じられないことだと考えた(ジェット気流の存在を知るまでは爆撃投下高度は8235~10065メートルとされていた[P85])。

さらに驚いたのは、鉄砲など戦闘火器すべてをとりはずして、敵地に侵空すると聞いたときだった。乗組員らがまさに脳天をうたれたようなその衝撃から立ち直らぬうちに、将校たちはそれぞれの担当情報をつぎつぎと伝えていった。情報担当将校は予測される敵側の抵抗や目標について、爆撃担当将校は爆弾積載量について、航法士担当将校は航行計画について、航空機関士担当将校は燃費効率について話し、さらに他の将校らによって気象予報や不時着時の対応法が説明された。)

その一方、ルメイは作戦の成功を確信していた。 

―もしこの空爆が敢行されれば、戦争はまもなく終結する。何しろ天皇が予想もできないことをはじめたのだ。天皇がこのような空爆に応報できるとは思えないし、東京が焼滅し地図上から消失するのを止めることはもはやできまい。P159 

B29の生産工場
B29の生産工場

写真はいずれもB29ですが、左は生産工場です。

 


Flames over Tokyo
Flames over Tokyo

未読のままの原書ですが、日本語版の上記青字が原書ではどのような文章、言葉だったのか知りたいと思い調べてみました。

・“If this raid(襲撃) works the way I think it will, we can shorten the war. We’ve figured out a punch he’s not expecting this time. I don’t think he’s got the right kind of flak(対空砲火) to combat this kind of raid, and I don’t think that he can keep his cities from being burned down―wiped right off the map.”P173

日本語版の「戦争はまもなく終結する」の元の英文は”we can shorten the war”、「天皇」は”he”となっていました。

当時の外交文書には「大日本帝国」という表現が使われていたようなので、”he”は「天皇」という解釈になるのだろうと思います。なお、原書は本のサイズもひと回り大きく、約300ページ。日本語版は約200ページとなっており、原書の一部を翻訳したものとなっていました。  

余談になりますが、フランスでは国名に関し“la(she)”、“le(he)”を使うそうです。調べてみる“he”に相当するのがアジアでは日本、ベトナム。“she”に相当するのが中国、韓国となっていました。日本語でも「母国」と漢字で書いたりもしますが、「国」に使う代名詞はふつうは “it” です。


司令官のルメイ(Curtis E. LeMay)
司令官のルメイ(Curtis E. LeMay)

司令官のルメイ(LeMay)は向かって右から2人目です。

3つの思い出

自分でいうのもおこがましいのですが、私は幼少の頃、ほとんど手の掛からない子供だったと思います。注射も歯医者も恐れず、乗り物の中も紳士でした。母親も同様のことを言っていたので間違いないと思います。

そんな”まるい”子供であった私が、思いっきり駄々をこね、母親を連れだしたのが開園まもない「よみうりランド」でした。これは隣に住んでいた同級生のS君が、このよみうりランドで約20メートルのクジラのはく製を見てきたという話が発端です。私の記憶ではそのクジラは「ヨナス」と命名された、多分、マッコウクジラ(??)だったのではないかと思います。残念ながらその雄姿の写真を発見することはできませんでした。

1963年の新宿駅
1963年の新宿駅

1963年の新宿駅です。駅の外には出なかったのですが、外の風景はこんな感じだったのだろうと思います。

なお、新宿の小田急線ホームは何かの工事をしていたという記憶があります。

画像出展:「東京WEB写真館 東京いま・むかし

小田急線:1965年2月
小田急線:1965年2月

新宿から乗車した電車は確か白っぽかったので、このタイプの車両かも知れません。

写真は世田谷代田-下北沢間、1965年2月 

画像出展:「地方私鉄1960年代の回想

 

西生田駅:1961年
西生田駅:1961年

読売ランド前駅南口改札口 1961年(昭和36年)

この頃は、「西生田駅」と呼ばれていたようです。今は「生田駅-読売ランド前駅-百合丘駅」の順に駅があります。ここから「よみうりランド」まではバスだったと思います。この写真より時期が少し後ろにずれるのですが、駅は小さくさびれた感じだったのでこの写真の頃と大きくは変わらないように思います。

なお、この日はかろうじて雨には降られませんでしたが雲が厚く、少し肌寒いという印象でした。

画像出展:「大東京ビフォー&ナウ|懐かしい昭和の写真と比較する小田急小田原線各駅の昔と今 

よみうりランド:1964年3月19日開園
よみうりランド:1964年3月19日開園

「よみうりランド」は1964年3月19日にOPENしました。 

画像出展:「よみうりランドW'aitブログ

 

水中バレエ劇場
水中バレエ劇場

画像出展:「レビュー研究室


この水中バレエ劇場はよみうりランドの目玉のアトラクションでした。オープンは1964年(昭和39年)10月5日とのことなので、私たちが行ったのはそれ以降ということになります。多分、その日は1965年春ではないかと思います。

母親に聞いてみると、よみうりランドに行ったことはしっかり覚えていました。強烈に駄々をこねたことも覚えているようでした。いずれにしても大正解でした。

江東区北砂の叔父の家には泊りで行くことは少なくなかったのですが、それ以外、母親と泊りでどこかに出かけたことは一度もありませんでした。「これは、まずいだろ~」という思いから、決行したのが「上高地」への小旅行でした。途中、数日前(?)に発生したがけ崩れのため、予想外の遠回りをすることになったのは誤算でしたが、良い時間を作れたと思います。こっちもよく覚えていて、「連れて行ってありがとう」と言っていました。ということで、これも大正解だったと思います。

写真の日付が1991年10月19日なので、母親の年齢は72歳だったということになります。

上高地:1991年10月19日
上高地:1991年10月19日

今回、インタビューもどきの質疑応答の中で、「できれば、もう一度、疎開していた岩手県平舘に行ってみたかった!」との発言がありました。あまりそのような事を言うタイプではないため、ちょっと意表を突かれました。

車に20分程乗っていると「まだか、まだか」とさかんにブーブー言いだすヒトなので、平舘小旅行はありえません。とはいうものの、百寿のために何か気の利いたことはできないだろうかと思い、ネットでゴチャゴチャやってました。

そして、発見したのが岩手県立図書館にあった三つの文集です。言い忘れましたが、母親は小学校の先生をしていました。

1.たいらだて : 創立百一年記念文集 1976年 

2.小学校創立百周年記念誌 1975年 

3.町立平舘小学校創立120周年記念誌 1995年

このうち、1と2については「貸出〇」となっており、さいたま市の最寄りの図書館に電話で問い合わせたところ、所蔵している岩手県立図書館から借用することはできるとの回答でした。

疎開先の岩手県西根町(現八幡平市)の関係者は、大変優しい人たちばかりだったようです。特に「退職するときに、全校生徒が見送ってくれたのが最高にうれしかった」。と声を大にして言っていました。

平舘小学校
平舘小学校

教員名簿の中に母親の旧姓を見つけました。何か不思議な感じです。また、疎開時だけの臨時教員でしたが、載せて頂けるのは光栄なことだと思いました。

 



こちらは母親が持っていたものです。いかにも古いなかなか素敵な写真です。

 

こちらは昭和十年代、戦前の大田区旧北蒲小学校時代の運動会の写真です。これもいい感じです。

 

現在の姿、”北蒲広場”です。2021年11月に撮影しました。

 

付記:認知機能

夜のバラエティー番組の中で、 ”近視の人は認知機能が高い” という話がありました。いままで ”認知” といえば ”認知症” というイメージが強く、「そういえば、認知機能って何だっけ? 」とモヤモヤしはじめたので、ちょっと調べてみました。

まず、こちらが番組で話していた件と同じものと思われます。”認知機能が高い人は、眼鏡が必要となる遺伝子を持つことが明らかに

こちらで見つけた記事は”超高齢期の認知機能~百歳までと百歳から”というもので、『認知機能とは、外界から受け取る刺激や情報を認識、理解して、行動を遂行するための脳の働きを指す言葉です。認知機能には、記憶力や注意力、言語能力、判断力、遂行力などが含まれます。』となっていました。

百寿者の人数
百寿者の人数

こちらは百寿者の人数のグラフですが、女性の激増ぶりが顕著です。

先月、床屋さんで「浦和市時代に100歳のお祝いに100万円もらってた時がある」。という話を聞きびっくりしましたが、これを見ると昭和の頃は全国でもほとんど3桁の人数なので、「有りだな」と思いました。

なお、平成30年9月1日現在、さいたま市の百歳以上の高齢者は444人、最高齢は女性で109歳となっていました。ちなみに103歳だとTop100に入るようです。

「福三です」

NINI&QUINO

If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.”  

Raymond Chandler ”08Oct2021”.

認知症とリスペクト(純粋痴呆)

先月後半に放送されたニュース番組の中で、確か沖縄県で実施された調査だったように思うのですが、「認知症患者の症状の出方」に関しての話があり、認知症の症状が穏やかなのは、沖縄県の人が伝統的に高齢者に敬意をもって接しているからだということでした。

「どういうことなんだろう」、もう少し詳しく知りたいと思い真剣にネット検索したところ、おそらく、この件のことだろうという記事を見つけました。

それは「純粋痴呆」、幸せで穏やかな痴呆が生まれる背景について書かれていました。

あいわクリニック(国立沖縄病院名誉院長)源河圭一郎

85歳以上の四人に一人が罹患する「認知症」は、高齢者の増加とともに今後ますます身近な病気として、医療・介護の両面から適切な対応が求められている。診療の現場で高齢者が受診する機会が多く、認知症の早期発見・診断などを担う重要な存在である一般医師を対象にして、沖縄県でも平成19年度から「かかりつけ医認知症対応力向上研修会」を開催し、数少ない認知症サポート医が豊富な経験を生かして講師を務める研修が県内各地で行われている。

「認知症」の進行とともに家族や介護職員の負担が増大し、介護疲れや虐待から起こる悲劇がマスコミに取り上げられる事態は、世相の反映そのものである。「認知症」に必ずみられる症状として物忘れや判断力の低下などの中核症状と、環境や人間関係などに起因する抑うつ、妄想、幻覚、不穏、徘徊などの周辺症状がある。認知症患者本人や介護者を苦しめ、深刻な介護地獄をもたらすさまざまな問題行動は、周辺症状に含まれる。

認知症、とくに周辺症状は社会環境によってどのような影響を受けるであろうか。この問題についての示唆に富む研究があるので紹介したい。

その調査研究は琉球大学精神科(当時)の真喜屋浩先生が中心になり、日本復帰3年後の昭和50 年に沖縄の農村で行われた。対象となったのは佐敷村(現・南城市)在住の65歳以上の高齢者708名である。報告によると、明らかに「老人性痴呆」と診断された人の中で、うつ状態や幻覚・妄想状態などの周辺症状を示した人は皆無であったという驚くべき事実がある。同じ頃に東京で行われた調査では、「痴呆老人」の半数に周辺症状がみられたという。真喜屋先生は、「佐敷村のような敬老思想が強く保存され、実際に老人があたたかく看護され尊敬されている土地では、老人に精神的葛藤がなく、たとえ器質的な変化が脳に起こっても、この人達にうつ状態や幻覚・妄想状態は惹起されることなく、単純な痴呆だけにとどまるのではないか」と考察している。

周辺症状のない穏やかな痴呆状態を学術用語で「単純痴呆」と呼ぶが、臨床医としての立場から終末期医療に取り組んでいる大井玄東大名誉教授はこれを「純粋痴呆」と名付けて、真喜屋先生の報告を高く評価するとともに、「幸せで穏やかな痴呆」が生まれる背景に言及している。現在のような都市型の効率重視社会では 「純粋痴呆」の生まれる素地は無いと見るべきであろう。深刻な問題行動は、プライドを傷つけられ、ストレスに曝された高齢の認知症患者に起こりやすいと思われる。

30 年前の日本復帰前後の沖縄には、痴呆があっても社会生活を営むことが出来るゆったりとした時間が流れていたと推定される。人情に厚く、敬老精神に溢れ、痴呆老人が環境に順応し、人間関係から生じるストレスが最小に抑えられた結果、問題行動がほとんどみられない社会が沖縄の農村に実在したのである。しかしその後の本土との急速な一体化によって社会環境が激変した。

周辺症状を伴わず、問題行動と無縁な「純粋痴呆」を取り戻し、記銘力の喪失のみか、時間と場所の見当さえつかなくなった高齢者が尊厳ある生を全うできる共同社会が沖縄に再び到来する日を夢見ている。』

参考文献

1)真喜屋浩:沖縄の一農村における老人の精神疾患に関する疫学的研究、慶応医学55 : 503 - 512,1978

2)大井玄:痴呆の哲学、弘文堂2004 

3)大井玄:「痴呆老人」は何を見ているか(新潮新書)、 新潮社2008

ブログをアップしたときのものの方が魅力的だったのですが、現在の国立長寿医療研究センター」さまのページをお伝えします。

誤嚥性肺炎の予防

誤嚥性肺炎で最も問題となっているのは、高齢者に多くみられる睡眠中に起こる不顕性誤嚥を原因とするものです。
これは物を食べたり飲んだりする時に起こる嚥下反射と、誤って唾液などが気管に入りそうになった時に、それを防ぐために起こる咳反射が正しく機能しないことが大きな原因となります。
この2つの反射は脳の奥、中央部にある大脳基底核が関与するため、脳梗塞や脳血管障害などによりこの部位が障害されると、さらに誤嚥性肺炎のリスクは高まります。
誤嚥性肺炎には優れた薬が出ていますが、ここでは日常生活で可能な予防法として、嚥下・咳反射の向上を促す葉酸を含む食材を取ることと、口腔ケアを行うことについて、嚥下と咳の反射が起こるメカニズムに続き、ご紹介します。


1.2つの反射が起こるメカニズム
嚥下反射と咳反射は迷走神経知覚枝の頚部神経節で合成されるサブスタンスPという神経伝達物質
が咽頭・喉頭や気管に放出されることにより起きます。そしてこのサブスタンスPの合成は大脳基底核に受容体を持つ上位のドーパミン神経系により調節されています。

※サブスタンスPのPはペプチド(2個以上のアミノ酸の結合によってできた化合物)を指します。

中央部の上頚神経節があります。
サブスタンスPが合成される頚部神経節

 

サブスタンスPが合成されるとする部位の頚部神経節は、左図ほぼ中央の淡いピンク色で膨らみがある部分、「交感神経上頚神経節」にあたります。

2.葉酸の摂取
葉酸はドーパミンを始めとする脳内の神経伝達物質の合成に重要な役割を果たしてます。一方、高齢者は消化吸収能の生理的低下や摂取量不足などにより、葉酸欠乏の傾向が多くみられます。これは葉酸は元々体内の貯蔵量が少ないことが原因の一つになっています。
このように重要でありながら、欠乏傾向が強い葉酸を意図的に摂取することは、日常的にできる効果的な予防になります。

3.口腔ケア
口腔ケアとは、機械的に口腔内の知覚神経を刺激するということを意味しています。毎食後に時間
かけて、丁寧にブラッシングするということです。
また、食事については、認知症予防として、よく噛んで食べることで感覚野の約3割が活性化さ
れ、さらに自分の手で口に運んで食べることより、運動野の約7割を使うということが報告されています。

こちらは【口腔ケア】というサイトです。同じく詳しく説明されています。

 

付記)

サブスタンスPという神経伝達物質が「軸索反射」に関わっているということは、鍼灸師の世界では一般的な知識ですが、そのサブスタンスPが嚥下反射・咳反射に深く関係しているということを知り驚きました。

さらに、アルツハイマー病の原因であるβアミロイド蛋白を分解する作用を持っているということも発見し、サブスタンスPの強者ぶりに本当に驚きました。

ちなみに「軸索反射」とは、置鍼した時にうっすらと赤みが出る現象でフレアと呼ばれています。これは刺鍼時の刺激によって分泌される、サブスタンスPの血管透過性亢進作用と、同じくペプチド系神経伝達物質のCGRP(カルシトニン遺伝子関連ペプチド) の血管拡張作用による働きで、刺鍼周辺部の血行が亢進していること示しています。血行改善、これは科学的に証明できる鍼灸治療の効果といえるものです。

「軸索反射」の説明は、こちらを参考にさせて頂きました。

 http://physioapproach.com/blog-entry-92.html 

SPがサブスタンスPになります。
軸索反射

SPがサブスタンスPになります。

画像出展:「ペインリハビリテーション」三輪書店

ご参考

提供元:ケアネット(全文は左のロゴをクリックしてください)公開日:2021/05/11

1日2杯以上コーヒーを飲む高齢者は肺炎が少ない―国内多施設共同研究

介護のイライラを少なくするコツ

いつから介護が始まったのかと考えると、なかなか難しいところですが、ケアマネージャさんとのお付き合いからとすると8年目に入ったことになります。また、きっかけは回転性めまいを伴った突発性難聴による救急搬送でした。
100歳の大台がわずかに見えてきた母親ですが、現在も何とか要介護2を維持しており、世間で介護にご苦労されている人に比べれば、まだまだ楽なほうだと思います。
それでも、大きな声で話すこと自体がイライラの始まりで、お腹の底に隠れているストレスが隙あらば心を占領しようと狙っている様子です。
「このままではマズイぞ。何とかしないといけないなぁ。」と思うことが度々あり、そこで考え出したアイデア(心のもちかた)が次のものでした。
『母親も好きでよく聴こえないわけではない。好きでノロノロ歩いているわけではない。何度も同じことを聞くのは他に話すことが見つからないからだろう。愚痴や泣き言も心のバランスには良い薬になるだろう。そして、これらは全て【老化という化け物の仕業で本人も闘っている!』
という一文を、カリカリしはじめた脳ミソに放り込むという一手を加えました。

これにより、動き始めたストレスは大火事には至らず、ストレス指数も30%以上減っているという気がします。ご参考まで。

20年以上未改装の室内撮影は禁忌ですが、大変重宝しているポールをご紹介します。玄関に2本、トイレに2本、洗面所に2本、台所に5本、母親の部屋に1本、計12本のポールのおかげで母親は室内を移動することができます。

そしてこのポールは介護保険適用で1割負担のため、レンタル料は1本300円、12本でも月3,600円です。これは我が家にはなくてはならない必需品です。

 

追記1)

コツというより本質ですが、「心をととのえること」と「大人化」が重要であると再認識しました。

追記2)

月日とともに負荷が増えるのが介護の宿命ですが、「またかよ!」とか「なんでだよ!」など、ネガティブな感情に襲われることが増え、イライラが発生しその指数は高まります。そういう時は、囚われたネガティブな感情にちょっとフタをして、母親の姿や様子に意識を向け、冷静に観察してみると、「大変そうだなぁ」とか「頑張ってるな」とか「(老化と)闘っているな」ということに気がつきます。すると、「しょうがないなぁ」という気持がおこりイライラは減ります。