慢性痛の科学3

慢性痛のサイエンス
慢性痛のサイエンス

著者:半場道子

初版発行:2018年1月

出版:医学書院

目次は”慢性痛の科学1”をご覧ください。

なお、ブログで取り上げた項目は一部です。

 

第3章 侵害受容性の慢性痛

・侵害受容性の慢性痛とは、末梢組織に炎症の源が存在して、感覚神経終末が炎症メディエータによって刺激され、終わりのない痛みが続く場合をいう。

2.変形性膝関節症と慢性炎症

変形性膝関節症における慢性炎症の進行と組織破壊
変形性膝関節症における慢性炎症の進行と組織破壊

画像出展:「慢性痛サイエンス」

力学的ストレスなどにより関節が傷害され、軟骨の微細破片や細胞内分子が関節腔に浮遊すると、滑液中のマクロファージや線維芽細胞がこれらを危険信号(DAMPs)として検出する。するとインフラマソームが活性化し、炎症性サイトカインを放出する。

 

4.痛みを軽減する薬物

非ステロイド性抗炎症薬の年単位の長期投は、消化管潰瘍などの副反応だけでなく、軟骨摩耗を進行させる。特にインドメタシンは軟骨摩耗の副反応が報告されている。 

第4章 神経障害性の慢性痛

・神経障害性の痛みは、末梢および中枢神経系が圧迫や切断を受け損傷して生ずる痛みである。

神経障害性の痛みは、極めて慢性化しやすい。

・腰椎椎間板ヘルニア、帯状疱疹後神経痛などである。

1.神経障害性の痛み

・末梢神経が損傷されると活動電位の高頻度発射が起きる。この連続発射は脊髄後角で増幅され、過剰な興奮性信号が扁桃体、帯状皮質、島皮質、視床、大脳皮質感覚野などへ投射される。なかでも、扁桃体、帯状皮質、島皮質などの古い脳器官への興奮性投射は影響が大きく、時間の経過とともに大脳辺縁系や前頭皮質の回路網を巻き込んで、脳構造と機能に変容を起こしていく。そのため、複合性局所疼痛症候群(CRPS)など、異常な痛みの病像が形成される。

・神経障害性の痛みの多くが、整形外科領域に集中して起きている。これにはC神経線維の特殊性と分布にあると考えられている。C神経線維は神経可塑性が大きく、興奮性が長期に維持される性質があり、ひとたび損傷されると、生じた興奮性は時間と共に増大し、長期増強と呼ばれる現象を惹起する。C神経線維は、Aδ神経線維とは異なって、体の深部組織に多く分布し、脊髄、骨組織、関節骨、靭帯、腱、歯組織などに存在する。そのため、神経障害性の慢性痛は、整形外科領域に起こりやすいと考えられている。

・複合性局所疼痛症候群(CRPS)と脳構造の変容

-CRPSでは血流は発汗の異常、浮腫、皮膚の栄養障害、運動障害など多彩な症状を呈するが、それだけでなく、意思決定機能の低下や気質的・性格的な変化も顕著に表れる。

-CRPSの脳内はfMRIを用いた脳画像法によって明らかになってきた。CRPS患者では右のAIC(島皮質前部)、vmPFC(腹内側前頭皮質)、NAc(側坐核)などに、著しい灰白質密度の減少と、異常な神経分枝がみられる。これらの部位における灰白質密度減少は、痛みに苦しんだ期間が長かった人ほど大きく、痛みの強さが激しかった患者ほど著しく、そして若い年齢層ほど急速に進行することが明らかにされている。

-CRPS患者ではAIC(島皮質前部)の灰白質に著しい萎縮が進行しており、かつ異常な神経分枝もみられる。CRPS患者にみられる血流や発汗の異常、浮腫、皮膚の栄養障害などは、末梢感覚神経や交感神経の損傷の他に、AICの灰白質萎縮と異常な神経分枝に起因したものと考えられる。

-CRPS患者にしばしばみられる意思決定機能の低下は、前頭皮質の灰白質萎縮に起因しており、運動機能の障害は前頭皮質から大脳基底核への神経連絡の減少にそれぞれ起因すると考えられている。

第5章 非器質性の慢性痛―Dysfunctional Pain

・非器質性の慢性痛や機能障害性疼痛(Dysfunctional Pain)は、痛みの源が末梢組織のどこにもないのに全身の多領域に拡がる痛みがある。消炎鎮痛薬や神経ブロックは効かず、随伴症状は睡眠障害、意欲の低下、慢性的疲労感、うつ状態などである。

第6章 慢性痛の治療法

Ⅰ 薬物療法・神経ブロック 

5.抗うつ薬(Antidepressants)

・抗うつ薬には快情動を活性化する作用とともに、下行性疼痛抑制系を活性化する作用があるので、痛みの軽減に用いられる。抗うつ薬は運動療法や認知行動療法と組み合わせて用いられる場合もある。

・作用機序

-神経シナプス間隙においてセロトニントランスポーターと、ノルアドレナリントランスポーターを阻害することによって、脳内のモノアミン[ドパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン、セロトニン、ヒスタミンなど]を増加させ、下行性疼痛抑制系を賦活する作用を持つ。

Ⅱ 認知行動療法・マインドフルネス

1.認知行動療法(CBT)

・認知行動療法(CBT)は慢性痛患者の負情動、ストレス、心理状態、破局的思考、認知過程に焦点を当てて、「心の持ち方」をポジティブな方向に変える手助けをする治療法である。認知行動療法は薬物療法や運動療法と組み合わせて治療効果を上げており、慢性痛、うつ病、パニック障害、強迫性障害、不眠症、薬物依存症、摂食障害、統合失調症などについて有効性が検証されている。

2.マインドフルネス・ストレス軽減法(MBCT)

・マインドフルネスは、元々は禅寺で行う瞑想に起源を持つ療法である。宗教とは無関係で座禅を組む必要もない。身体の力を抜いて姿勢正しく座り、意識を自身の呼吸や体に集中して観察するだけである。呼吸や自分の身体に意識を集中することによって、「今を生きているありのままの自分」に気づかせ、後悔、不安など過剰な負情動を締め出す狙いである。

Ⅳ 筋運動

1.筋運動による痛みの軽減

・運動を行うと痛みの刺激閾値が上昇する。

・熱刺激と圧刺激に対する痛みの刺激閾値は、ランニング、サイクリングなどの有酸素運動の後では、痛みの刺激閾値は上昇する。この機序には血中濃度から内因性カンナビノイドとオピオイドの関与が検証され、下行性疼痛抑制系の活性化が関与している。

・生物は重力下で骨格筋や骨組織を発達させ、重力に抗して筋量と骨量を維持しているが、長期にわたって臥位姿勢を続け、身体の動きが皆無に近い状態にあると、耳石が検知する重力は微小になる。微小重力下では筋タンパク質の分解量が合成量を上回るようになり、骨格筋肉量と骨量は低下する。

・健康な壮年被験者を60日間にわたって、頭位をわずかに傾けた特殊ベッドで臥位姿勢に保った実験では、抗重力筋(多裂筋、大腰筋、胸棘筋、脊柱起立筋など)は著しく萎縮していたが、体幹屈曲筋(腰方形筋、腹直筋など)の萎縮の程度はさほど大きくはなかった。抗重力筋と体幹屈曲筋の筋力バランスが崩れた状態は、慢性的な背腰部の痛みにつながる。

骨格筋を動かすことは、様々な生理活性物質を分泌させ、遺伝子発現を促して全身の慢性炎症を抑制し、筋萎縮を防ぐ。近年、骨格筋を収縮させることが生命維持のうえで重要であることが明らかになった。

2.筋活動の生理的意義:骨格筋は分泌器官

・骨格筋は分泌器官である。骨格筋を収縮すると多種類のサイトカインやペプチドが産生・分泌される。

骨格筋は分泌器官
骨格筋は分泌器官

画像出展:「慢性痛サイエンス」

筋由来のサイトカインは、脳、骨組織、肝臓、脂肪、筋組織の機能に関わっている。BDNFIGF-1FGH-2は海馬の新生ニューロンを生育させIGF-1FGF-2は骨芽細胞、破骨細胞の分化や機能を促進する。IL-6は膵からのインスリン分泌を増加させ、肝臓、脂肪組織、免疫機能に影響を及ぼしてる。IL-4IL-6IL-7IL-15LIFミオスタチンは筋組織自身に作用し、筋の新生と肥大に関わる。脂肪細胞には慢性炎症を促す炎症性マクロファージM1非炎症性マクロファージM2を描いてある。

 

・筋由来のサイトカインはマイオカインと呼ばれる。また、同様に脂肪細胞からも分泌されるが、こちらはアディポカインと呼ばれる。

マイオカインについては2017年11月に”マイオカイン(IL6)”というブログをアップしています。ご参考まで。

筋細胞から分泌された生理活性物質は、血流やリンパに乗って、脳、骨組織、肝臓、膵臓、脂肪組織などの臓器に運ばれ、そこで臓器の機能と密接に関わる。

骨格筋から分泌される生理活性物質は、弱い筋運動の時と強い筋収縮の時では異なる。これは注意すべきマイオカインの特徴である。

負荷の軽い筋運動を続けると、抗炎症作用を持つIL-10、IL-4などが筋組織から産生されるので全身の慢性炎症が抑制される。またPGC-1α(後述)を発現させ、慢性炎症を防止し記憶力を向上させ老いを減速させる。

負荷の強い筋運動を続けると、炎症性サイトカインが体内に急増し慢性炎症を促進する結果として関節軟骨の摩耗や変形性関節症、疲労骨折などの原因となる。

3.筋活動の生理的意義:PGC1-αの発現

PGC1‐αは骨格筋を動かすと速やかに筋組織中に発現し、エネルギーとATPの不足を補う。また、筋委縮を防止する。日常的にこまめに身体を動かすことはとても重要である。

PGC1‐αはミトコンドリアの数を増加させ機能を向上させる作用や、活性酸素種(ROS)による酸化ストレスを抑制して老化を防ぐ作用、さらに代謝や血管新生を盛んにする作用もある。

PGC1-α発現の生理的意義
PGC1-α発現の生理的意義

画像出展:「慢性痛サイエンス」

 

 

4.PGC1-αによる慢性炎症の抑制

慢性炎症を基盤とする疾患は世界的に増加している。アルツハイマー病、パーキンソン病、変形性関節症、2型糖尿病、各種のガンなどである。慢性炎症を完全に抑制する薬物は開発されていない現在、骨格筋を動かしてPGC1-αを活性化することは、慢性炎症を抑制する最も手短かで確実な方法といえる。

5.PGC1-αの抗酸化・抗老化作用

PGC1-αは活性酸素種(ROS)を強力に抑制するスイッチの役割を担っている。

・活性酸素種(ROS)はミトコンドリアがATPを生成する過程で、漏出した電子の一部が酸素と結合して、非常に反応性の高い活性酸素種(ROS)が生じる。

・活性酸素種は毒性が強く、ミトコンドリアDNAを傷つける。さらに細胞内のDNA、酵素、タンパク質、細胞膜、脂質なども傷つけてしまう。そして、遺伝子の情報に影響を及ぼし細胞の機能も低下させる。

・骨格筋はミトコンドリアを多く含む組織であり、活性酸素種(ROS)の影響を大きく受ける。

・活性酸素種(ROS)の毒性に対し、生体では無毒化する活性酸素消去酵素(SOD)や、活性酸素種の発生を減らす酵素UCPによって防御している。しかし、SODやUCPもPGC1-αが発現しないときには、その働きは半減してしまう。

・PGC1-αを欠損させたマウスは活性酸素種(ROS)の害に極めて脆弱になり、全身に炎症性サイトカインの発生が多くみられる。特に黒質緻密部にあるドパミンニューロンは活性酸素種(ROS)に脆弱で、変性・脱落してしまう。

6.PGC1-αによる筋力増強作用

日常的に有酸素運動を続けている人ほど、PGC1-αは速やかに、かつ多く発現する。高齢者であっても、筋運動の習慣がある人はPGC1-αが多く発現する。

・高齢者では、抗重力筋や姿勢保持筋の筋量や筋力維持が衰えるとサルコペニア[加齢や疾患により筋肉量が減少し、全身の筋力低下が起こること]に至り、介助や支援が必要になる。抗重力筋や姿勢維持筋を増加させたい場合は、ゆっくりした持久運動が適している。

7.健康維持に適した筋運動は?

・日常的に軽く骨格筋を動かす運動とは、通勤時の歩行、駅の階段昇降、自転車での通学通勤、家事労働、買い物、荷物の運搬などである。

額に汗がうっすら浮かぶ程度の、日常的な筋運動が慢性炎症の抑制と筋萎縮の防止に効果が大きい。

・有酸素運動は呼吸器や循環器を刺激する。脂肪は代謝され、ミトコンドリア数も増加する。

・『米国では一般市民を対象に、慢性炎症を基盤とする疾患について大規模疫学調査が行われてきた。全身の慢性炎症レベルを高くし、さまざまな疾患を増加させている元凶を探って行ったところ、筋運動の少ないSedentary lifestyle(身体を動かさない不活発なライフスタイル)が元凶であると結論づけられた。

・『筋運動が少なくなると、ROSの害が増大し慢性炎症が拡大する。大腸がん、乳がん、前立腺がん、子宮がん、膵臓がん、皮膚がんは、日常的に筋運動が少ない人に多く発生すると結論づける研究も存在する。

身体を動かさないライフスタイルと疾患との関係
身体を動かさないライフスタイルと疾患との関係

画像出展:「慢性痛サイエンス」

身体を動かさないと、内臓脂肪を増やし、骨格筋量を減らし、骨代謝を低下させる。この3つは健康を害する三悪です。