脳とストレス7

著者:ブルース・マキューアン、エリザベス・ノートン・ラズリー

監修:星恵子

訳:桜内篤子

出版:早川書房

発行:2004年9月

目次については“脳とストレス1”を参照ください。

 

アロスタシスと予防医学

『医者が患者を診るときにアロスタティック負荷の前触れを見逃さないようにすること。

世の中には、いまだに感情が健康に及ぼしうる影響を軽視している医師が少なくない。アロスタシスとアロスタティック負荷の考えを受け入れるということは、精神状態が体に与える影響をはっきりと認めることである。そしてそれは、これまで心身症として片づけられることが多かったいろいろな症状を新しい視点で見ることを意味する。

ストレスによってあらわれる症状は心と体が一緒になってつくりだすという意味ではまさに心身症的だ。しかし体に現われた症状を心身症と呼ぶとき、そこには“病は気から”とか、さらには“立ち直れないはずがない。元気を出せ!”という意味合いが込められていることが多い。幸い、このような意味合いで心身症という言葉が使われることは最近減った。数年前に胃潰瘍から見つかった、ヘリコバクター・ピロリ菌は、心と体がともにかかわる好例で、病気をアロスタシスの観点からとらえることができることを示した。病気の生物学的原因にこだわっていた科学者たちは、ピロリ菌の発見が心と体を結びつけようとする動きに水をさすものだと喜んだ。しかし生物学的なメカニズムを見つけたからといって、胃潰瘍がストレスによるものであることを否定することにはならない。むしろ、ほとんどの人がピロリ菌をもっているのに、なぜ特定の人がこの細菌に反応したのかという疑問を提起する。もしピロリ菌が胃潰瘍の直接の原因なら、もっと多くの人が胃潰瘍にかかっているはずで、ピロリ菌が力を発揮して胃潰瘍を発症させるのは、アロスタシスがアロスタティック負荷に変わったときなのかもしれない。

どの人がアロスタティック負荷型の病気になりやすいかを判断するひとつの方法は、これまでにわかっている生理的な危険因子をチェックすることだ。アロスタティック負荷の目安としては、血圧や、ウェスト/ヒップ比、血中コレステロール値、数日間の糖代謝を示す糖化ヘモグロビン、一晩畜尿した尿中のコルチゾールやノルアドレナリン(ノルエピネフリン)などがある。マッカーサー財団の健康プログラムに携わっている研究者の協力を得て、ロックフェラー大学の研究グループがそのような尺度を使って調査した結果、アロスタティック負荷のスコアが高かった人に、二年半後に認知機能と記憶の衰えが見られ、調査開始時は心血管病変の症状が見られなかった人にそれが発現していることがわかった。各人に心臓病や糖尿病などの兆候がないか調べるより、これらの目安をチェックするほうが、病気を予防するには有効かもしれない。とくに現在症状が出ていない人や、家族にそれらの病気にかかった人がいない場合には有効だ。

しかし実際は、アロスタティック負荷の検査を多くの人に実施するのはむずかしい。まず、医師がどの患者に検査を勧めるかを判断しなければならない。検査によっては保険がきかないし、一人あたりの診察時間が非常に短い現況では、患者が最初に接した医師が検査の必要性を見極めるのは困難だ。

さらにむずかしいのは、アロスタティック負荷が高い患者にどのように説明するかだ。まさか「もっとリラックスした生活に切り替えないと脳に損傷を受けるかもしれませんよ」とは言えない。もちろん先に述べたような生活習慣の改善を勧めることはできる。睡眠とバランスのとれた食生活、日常的な運動などの重要性はすべての人が理解すべきだ。しかし、自分の生活を変える意思のある人は、もともと健全かつ現実的な見方ができる人で、自分の健康は自分でコントロールできると考えている人が多い。問題は、ストレスがかかるとスナックをやたらに食べたりお酒をたくさん飲んだり、暇がないという口実で運動をせず、生活を変えても大した効果はないとあきらめている人、つまりアロスタティック負荷の悪影響をもっとも受けやすい人たちをどうするかだ。今日の医療では、たとえ必要性があっても、医者が患者の生活を変えることはむずかしいストレス軽減プログラムや総合的(身体的、精神的、社会的)な健康を目指すウェルネス・プログラムを実施している病院などもある。これは好ましい第一歩で、身体および精神の健康に大いに役立つ可能性がある。

アロスタティック負荷に脅かされている人たちが、もっともその弊害に身をさらしている事実は変わらない。アメリカで蔓延している2型糖尿病がいい例だ。2型糖尿病の罹患者には、子どもや老人、社会経済的に低い層の人々、エスニック・マイノリティーが少なくない。これだけ多くの人がストレス性疾患にかかりやすい現状を思えば、アロスタティック負荷の問題は、いまや大きな公衆衛生の問題として取りくまなければならない。』

高齢者とストレス

『高齢者が、アロスタティック負荷から体を守る手だてがもっとも提供され、うつ病やアルコール依存症など、負荷を増大させる病気の治療をもっと受けられるようにすること。

アロスタティック負荷と加齢による脳の変化が密接につながっていることから、高齢者はとくにストレスに弱く、うつ病になりやすい。ストレスが直接うつ病につながるわけではないが、60歳を越える女性の脳を画像検査で調べると、過去に重度のうつ病になっていた人では、海馬委縮が多く見られた。やはり海馬を損傷させる慢性的なコルチゾール値(アロスタティック負荷の主要な指標のひとつ)も、必ずではないにせよ、うつ病患者に見られる。ロバート・サポルスキーが示したように、海馬の老化が、ストレス反応をうち切る海馬の機能を弱め、それがさらなるコルチゾールの生成とそれによる脳の損傷をもたらす。高齢者がとくにアロスタティック負荷になりやすいのはそのためだ。

アロスタティック負荷や海馬の疲労と消耗が原因かどうかは別として、うつ病は多くの高齢者が抱える問題である。米国国立精神保健研究所によれば、65歳以上の3400万人のアメリカ人のうち、200万人以上が何ららかの抑うつに悩まされているという。高齢者の自殺率もほかの年齢層に比べて高い。65歳以上の人口は全人口の13パーセントにすぎないが、自殺による死亡率はそのうちの20パーセントを占める。いちばん高いのは85歳以上の白人男性だ(1996年には10万人に1人で、これは全人口における比率の6倍だった)。

このように高齢者の自殺率が高い理由は、老いに対する社会の姿勢にもあるかもしれない。一般的にうつ病は過少報告されたり、診断されないことが多い。したがって高齢者のうつ病もこれまであまり問題にされてこなかった。若さを重んじる文化のなかにいると、65歳以上の人がうつになるのは当然と思われがちだが、それはけっして普通ではないのである。まず病的なうつ病と単なる失望感や落ち込みを区別する必要がある(病的なうつ病は高齢者でも治療できる)。たしかに高齢者は、孤立や健康問題、収入減、失業、活力の減退、コントロールの喪失など、“憂うつになる”状況と闘っていることが多い。しかしそうした状況に置かれた高齢者がすべてうつ病になるわけではない。重いうつ病は、外的な要因に由来するのではなく、脳内化学物質の均衡が崩れたことによって発症し、高齢者ではとくにその均衡が崩れやすいのである。

高齢に伴う諸問題が即、うつ病の原因になるわけではないし、同じ問題を抱えていても気分障害にならない人も少なくないが、それらの問題がうつ病と関係が深いことは確かであるから、解決に向けて取り組まなければならない。さらに、高齢者は、生化学的にも知覚的にもうつ病を悪化させるものの影響を受けやすい。アルコール依存症だったり薬を服用していたり、持病があったり、不安をはじめとする精神障害などを抱えていることが多いからである。これらの要因は複合的だが、アロスタシスの考え方を適用すれば、もっとわかりやすい。まず、生化学的に何が起きているのか見極める必要がある。アロスタティック負荷の中心にうつ病があるなら、それをまず治療すべきだ。次に、不利な状況に置かれているのだからうつ病になってもしかたがないと片づけるのではなく、生活を切り替えてアロスタシスの均衡を取り戻す機会としてとらえるべきだ。

高齢化が進み、多くの高齢者が介護施設に暮らし、しかも重い健康問題を抱え、自分の生活をコントロールできないという状況のなかで、果たしてそのような生活の切り替えが可能かどうかはわからない。いずれにせよ、高齢者のような特定のグループがアロスタティック負荷になりやすいのであれば、なおさら公衆衛生問題としてアロスタシスにとりくむ必要があるということだ。』

ポジティブ・メンタルヘルス

『身体の健康と同じように、心の健康も、単なる病気の不在だけではないと認識すること。

人との強い絆は、人生の試練から自分を守る非常に強力な防塞となる。ウィスコンシン州の長期研究の結果から、リフとシンガーは、“回復力の強かった”女性のグループを調査した。彼女たちの中には、親がアルコール依存症だったり、親が死んだりするなど、決して幸福とは言えない子ども時代を送った人もいた。しかし安定した結婚生活や教育、やりがいのある仕事、適応力のおかげで、ポジティブ・ヘルスをとりもどしていたのだ。このような回復過程を心理学的にも神経生物学的にももっと解明する必要がある。このような回復力こそ、メンタルヘルスそのものだ。

健全な精神的姿勢は回復力と対処能力にとってもっとも重要な因子のひとつである(いや、もっとも重要な因子かもしれない)。なぜなら体がどのようなアロスタティック反応で応じるかがそれにかかっているからだ。生活習慣を変える意志と行動力は精神的姿勢に左右される。したがって、なるべく多くの人が望ましいアロスタシスを維持できるようにするには、ポジティブ・メンタルヘルスをもっと理解しなければならない。そしてメンタルヘルスを、単に精神的な病気の不在ととらえるのではなく、身体的な健康とともにいちばん理想的な状態へと近付けるべきだ。

世界保健機構(WHO)は、早くも1948年には、メンタルヘルスを精神病(あるいは、さらに否定的なとらえ方をすれば“精神異常”)の不在以上のものだと提唱していた。しかしそれから50年以上経った今でも、あまり状況は進展していない。それどころか、“異常”な状態でさえ十分な治療ができていないのが現状だ。うつ病も不安もほとんど見逃されるか放っておかれている。たとえばある調査によれば、自殺した高齢者のうち20パーセントは自殺の日に、40パーセントが一週間以内に、70パーセントは一カ月以内に医師を訪れている。たとえば医師が問題を認めて治療しようとしても、薬の費用は保険でカバーされるが、心理療法士が勧めるような治療法(そのほうが長期的にはもっと効果がある場合がある)は保険がきかないため、なかなか勧められないことが多い。

病気に気づいた場合にのみ治療がなされるという現状のなかで、すべての人にポジティブ・メンタルヘルスを推進するようなシステムをつくるにはどうしたらいいのだろうか。アロスタシスの考えを役立てるには、まさにそのようなシステムが不可欠である。これは大きな問題で、簡単な解決法などない。将来、精神的、身体的に具合がよくないと自負したとき、最初に開業医や病院の内科で診てもらうのではなく、臨床心理士を訪れるようになるかもしれない。そのような日が近く訪れることはないだろうが、ポジティブ・メンタルヘルスを推進するためには、次のようなことが求められる。

まず、感情と健康の関係をもっと科学的に解明しなければならない。敵愾心などの“ネガティブ”な感情と高血圧症などの関係を探るのも第一歩となるだろう。しかし、病気を予防するためには、多くの病院が実践しているように、総合的な健康(ウィルネス)を目指し、ポジティブ・メンタルヘルスをおろそかにしないのが、長い目で見ればいちばんいい方法だろう。シンガーとリフは、ストレス下で被験者が発揮した回復力についての生物学的解明にとりくんでいるところだ。

さらにシンガーらは、ポジティブ・メンタルヘルスを示す人の性格的特徴もつきとめようとしている。カール・ユングやエイブラハム・マスロウなどいろいろな心理学者が書いたものをもとに、彼らはポジティブ・ヘルスに恵まれた人、つまりストレスや逆境や老化にうまく対処している人には、共通の特徴があるという結論に達した。これらの特徴には、自己受容能力、積極的な人間関係、自立性、または他人の意見や容認にふりまわされず、自分の規律で自分の生活を調整できる能力、幸せをもたらす環境を選んだりつくりだす能力、生きがいをもつこと、自分が着実に成長しているという実感などが含まれる。さまざまな哲学的、科学的な考えを参考にした結果、リフとシンガーは、健康的で好ましい生活について「目標をもち、自分の潜在的能力を活かすよう努力し、ほかの人との深い絆を大事にし、周囲からの要求や機会に上手に対処し、自己主導性を発揮し、自尊心をもつこと」だとしている。』

【ご参考】:”総合的(身体的、精神的、社会的)な健康を目指すウェルネス・プログラム”とは

下記の図と表は”がんと自然治癒力13(まとめ)”から持ってきたものです。上段左は日本の医療の現状です。皆保険制度という素晴らしい制度が提供されている一方で、西洋医学に限定した医療になっています。右は米国の状況ですが、代替医療を取り入れ統合医療としての医療サービスを目指しています。

中段左は増え続ける”日本におけるガンの死亡率”。右は減り続ける”米国におけるガンの死亡率”です。統合医療としての取り組みが死亡率の低下に関係しているのは可能性は極めて高いと思います(統計情報や米国の統合医療に関しては”がんと自然治癒力2”を参照ください)

下段は内閣府のホームページにあった”世界の高齢化率の推移”という折れ線グラフです。日本ほどではありませんが、米国でも高齢化は進んでいます。



内閣府のホームページにあった”世界の高齢化率の推移”の表です。2015年で見ると、日本は26.6%、米国は14.8%となっています。