脳と運動4

著者:ジョン J. レイティー

訳者:野中香方子

出版:NHK出版

初版発行:2009年3月

今回は第九章から第十章です。なお、目次については”脳と運動1”を参照ください。

第九章 加齢 ―賢く老いる

すべてをひとつに

ここまで体と脳の生物学的なつながりについて多くを話してきた。それが最も重要な意味をもつのは、老化について語るときだ。結局、健康な心は健康な体あってこそのものである。

1900年には、アメリカ人の平均寿命は47歳だった。今日それは76歳を上回り、高齢者は、急な病気ではなく慢性疾患によって亡くなる場合が多いようだ。だが、平均寿命を超えて長生きする人にとっては、もうひとつ気の滅入る統計データがある。疾病管理予防センター(CDC)によると、75歳の人は平均して3種類の慢性疾患を抱え、5種類の処方薬を服用しているそうだ。65歳以上のほとんどは高血圧で、3分の2以上が肥満、約20パーセントが糖尿病を患っている(糖尿病の人が心臓病になる確率は、そうでない人の3倍だ)。三大死因である心臓病、がん、脳卒中で亡くなる人は、この年代では61パーセントにのぼる。

喫煙、運動不足、栄養の偏りがこうした病気を招くことをわたしたちはすでに知っている。加えて、ライフスタイルは、加齢にともなって起きる精神面の危機にも大きく影響することが、最近の研究によって明らかになった。体に悪いことは、脳にとっても悪いのだ。だが、国立老化研究所の神経科学者マーク・マットソンは、それをプラスの方向でとらえている。「心血管系の疾患や糖尿病のリスクを減らす要因の多くが、老化にともなう神経変性障害のリスクも減らすというニュースは、喜ぶべきことである。もっとも、わたしたちが真剣にそれを受け止めればの話だが」

たとえば、糖尿病を防ぐよう努力すれば、脳内のインスリンのバランスも整い、ニューロンが強化され、代謝ストレスに対抗できるようになる。また、血圧を下げ心臓を鍛えるためにランニングをすれば、脳の毛細血管が弱くなったり塞がったりするのを防ぐことができ、脳卒中の予防につながる。さらに、骨粗しょう症で骨がすかすかになってしまわないよう、ウェイトトレーニングをしていれば、脳内に成長因子が放出され、ニューロンの樹状突起が伸びる。逆に、認知症予防のためにオメガ3脂肪酸を摂取していると、骨が強くなる。

老齢期に直面する精神の病気と体の病気は、心血管系と代謝系を通じて結びついている。肥満の人が普通の人の2倍、認知症になりやすいのも、心臓病の人がアルツハイマー病(認知症の中でも最も一般的な疾患)になる確率が高いのも、そのような頭と体のつながりが壊れた結果なのだ。統計によると、認知症になる確率は、糖尿病の人は65パーセントアップし、コレステロール値が高いだけで43パーセントも高くなる。運動がこうした病気を予防することは何十年も前から医学的に証明されている。だがCDCによると、現在でも65歳以上の人の3分の1は、自ら運動することはないと答えているそうだ。運動が体だけでなく脳の老化をどれほど防ぐかがわかっていれば、皆もっと真剣に運動について考えるようになるだろう。』

いかに年をとるか

『年をとることは避けられないが、惨めな衰えは避けることができる。100歳になっても健康にほとんど問題ない人もいれば、慢性疾患のために頭も体もすっかりがたがきてしまう人もいるのはどうしてだろう。それを理解するために、細胞レベルで生と死を見てみよう。

年をとると、体中の細胞がストレスへの適応力を失っていく。なぜそうなるのか、科学者にも正確なところはわかっていないが、はっきりしているのは、細胞は古くなるほど、フリーラジカルによる酸化ストレスや、過度のエネルギーの要求、過度の興奮などに立ち向かう力が弱くなるということだ。さらに、有害なゴミを掃除するタンパク質を生成するはずの遺伝子がその仕事をやめてしまうと、神経科学者が「アポトーシス(細胞の自死)」と呼ぶ、細胞の死のスパイラルが始まる。細胞のダメージが重なると免疫系が活性化し、死んだ細胞を掃除するために白血球やその他の因子を送り込み、それらが炎症を生じさせる。炎症が慢性化すれば、さらに多くの有害なタンパク質が生じる。それらはアルツハイマー病に直接関係している。

脳では、ストレスのせいでニューロンが弱くなると、シナプスが餌まれ、最終的にはつながりが切れてしまう。脳の活動が減るに従って、樹状突起は文字通り縮み、しなびていく。その結果、あちこちでシグナルが伝達されなくなるが、最初のうちはそれほど困らない。本来、脳のネットワークは、つながりが断ち切られた部分を避けて、別のルートで情報を伝達できるようにできている。ある程度、余裕の部分が用意されているのだ。なんと言っても、ニューロンは1000億個以上もあり、それぞれが多ければ10万ものニューロンに情報を伝えている。そのネットワークはとても緊密で、先に述べた通り、新しい結合を作っては成長し、配線の変更と適合化を繰り返している。もっとも、それは新たな結合を促す十分な刺激があれば、の話だ。年をとるにつれて回路は途切れていくので、なにをするにも、今までより広いネットワークが必要になる。思うに、知恵とは、そのような効率の低下を脳が巧みに埋めることの反映ではないだろうか。

シナプスの衰えるスピードが、新たな結合の生まれるペースを上回るようになると、頭と体の機能にさまざまな問題が生じてくる。それはアルツハイマー病やパーキンソン病も含まれる。どの病気になるかは、脳のどの部分が衰えるかによって決まる。基本的には、認知力の衰えや、神経変性による病気はすべて、ニューロンが死んでしまったか、機能不全に陥った結果であって、そのせいで情報の伝達が断たれたのだ。老化に関する研究は、マットソンが指摘するように、「ニューロンの情報伝達力を回復させ、生かしつづけること」をおもな目的として進められていて、「成功すれば、ニューロンの衰えを食いとめ、病気を予防できるようになる」

シナプスの活動が減り、樹状突起が萎縮すると、脳に栄養を運んでいる毛細血管も萎縮するため、血液の流れが制限される。逆のことも起きる。脳に血液を十分に送り込まないと、毛細血管が萎縮し、それにつづいて樹状突起も萎縮する。いずれにせよ、それは細胞の死を招く。血液によって運ばれる酸素や燃料、肥料、そして修復に使う分子がなければ細胞は死んでしまうのだ。ニューロンの成長を促す栄養素―脳由来神経栄養因子(BDNF)や血管内皮成長因子(VEGF)など―の量は、年をとるに従って減っていく。そして、神経伝達物質であるドーパミンが作られるスピードも遅くなり、運動機能の意欲の低下を招く。一方、海馬でも使えるニューロンがどんどん少なくなっていく。ラットの研究から、ニューロン新生は加齢とともに劇的に減ることがわかっている。それは、誕生する幹細胞の数が減るからではなく、もともとの神経幹細胞のプールが枯渇し、完全に機能するニューロンが作られなくなるからだ(おそらく、VEGFが少なくなるせいだろう)。ほとんどの神経細胞はいずれにせよ死ぬ運命にあるが、使いものになる幹細胞の数は、げっ歯動物の中年期(人間で言えば65歳以上)には、4パーセントにまで減少する。ニューロン新生の恩恵にあずからない広大な部分[現時点(初版発行2009年)でニューロン新生が確認されているのは海馬と脳室下帯のみ]については言うまでもない。40歳をすぎると、脳は平均して10年に5パーセントずつ減っていく。そして70歳から先は、さまざまな要因がこのプロセスに拍車をかける。

わたしの母のように、年を重ねてもずっと社交的で活動的な人は、脳の劣化のスピードを遅らせることができる。退職後の人の脳血流レベルを調べたところ、運動をつづけている人は退職して4年経ってもほとんど変わらなかったのに対し、運動をあまりしない人は著しく低下していた。脳は活発な成長を止めたとたん、死に向かい始める。運動は老化の進行を阻むことのできる数少ない方法のひとつだ。なぜならストレスに抵抗する力の衰えを遅らせることができるからで、マットソンは「矛盾するようだが、定期的に適度なストレスにさらされることは細胞にとってプラスになる。抵抗力がつき、より強いストレスに対処できるようになるのだ」という。

さらに運動は、先の章で述べたように、脳の回路が結合を増やし、成長するきっかけを与える。血液の量を増やし、燃料を調節し、ニューロンの活動と発生を促すのだ。老いた脳はダメージに対して弱いが、だからこそ、脳を強くするためになにかをすれば、若いときより効果が大きい。だからと言って、若いころから脳を鍛えることに意味がないわけではない。もしあなたの脳が、健康で、強く、しっかり回路のつながったものであれば、年をとってニューロンが壊れ始めても、より回復しやすく、より長くもちこたえられるだろう。運動は解剤であると同時に予防薬でもあるだれでも老化する。なぜかと問われても、どうしようもないが、どのように、いつ老化するのかについては、間違いなく打つ手がある。』

【ご参考】過去ブログ:"慢性炎症について

『慢性炎症は病原体を撃退した後や、傷が治癒した後に炎症という爆撃が完全に停止されず、くすぶり続け、健康な細胞、組織、血管へのダメージが終結せず続いている状態です。』

下記は大阪大学医学系研究科さまの”脂肪慢性炎症の引き金となる分子を同定”という記事の抜粋です。

『肥満では単に体重が増えるだけではなく、脂肪組織において軽度の炎症が慢性的に進行することが知られており、この“慢性炎症”が、糖尿病や高血圧・動脈硬化といった生活習慣病を引き起こす元凶であると考えられています。しかしながら、肥満がどうやって脂肪組織での慢性炎症を誘導するのか、その具体的なメカニズムは謎のままでした。』

認知力の衰え

『最初の兆候はささいなものだ。脳の回路が断たれると、知っているはずの人や場所の名前がなかなか思い出せなくなる。のどもとまで出かかっているのに出てこない、そういう経験はだれでも覚えがある。記憶のサーチエンジンである前頭前野がそれを呼び出さなくなったのだ。海馬がほかのつながりを頼りに記憶を呼び起こそうとするのだが、すんなりとはいかず、以前なら考えなくても言えたのに、なんでこんなに苦労するのかと、あなたはイライラしてくる。年をとれば皆、経験することだが、これもいわゆる軽度認知障害の症状である。その程度は人によって千差万別だ。

軽度認知障害は進行するとは限らないが、放置すると認知症になりかねない。自分を形づくっている人生の軌跡を辿ることができなくなり、自我が餌まれていくという耐えがたい恐怖を味わう。自分がそうした段階にあるとわかると、多くの人は自らの樹状突起の状態を模倣するかのように萎縮し、外に向ってはたらきかけたり新しい関係を結んだりするのをやめてしまう。うまく対処できないのではないか、と恐れるのだ。そして殻に引きこもってしまう。恥をかきたくないし、慣れ親しんだ家から外に出ることに不安も感じる。いずれにせよそうなると、脳に刺激を与えてくれる有意義な関係から隔絶されてしまう。孤立と運動不足は、細胞の死のスパイラルを助長し、脳を萎縮させる

衰えが最も顕著に表れるのは前頭前野と側頭葉だ。前頭葉は、前頭前野の灰白質とその軸索の白質を含む。側頭葉は単語と固有名詞のリストを作り、海馬と連携して長期記憶の形成を助けている。前頭前野が衰えると、高度の認知機能が衰え、日常の基本的な作業も難しくなる。皮肉なことに、靴ひもを結ぶ、ドアの鍵を開ける、食料品店まで車で出かけるといった、ごくあたりまえにやっていることが、実は、作動記憶、作業のスムーズな切り替え、不要な情報の締め出しといった、脳の最も高度な機能に依存しているのだ。よく調教されたサルでも、シャツのボタンをなかなかきちんとはめられないのはそこに理由がある。

側頭葉は脳にとっては辞書のように記憶を蓄えておく場所で、アルツハイマー病によって萎縮する領域のひとつだ。従ってアルツハイマーかどうかは、単語を羅列したリストを見せ、1時間半後にどれだけ思い出せるかを問う簡単なテストによって調べられる。

第一章で述べたように、イリノイ大学で行われた数々の研究は、脳のこれらの領域を対象とするテストの成績と運動量に強いつながりがあることを示している。ある研究では、有酸素運動を長年つづけてきた高齢者ほど、脳がよりよい状態に保たれていることがMRIの画像診断によってわかった。こうした相関自体も興味深いが、研究者たち本当に知りたかったのは、運動によってこれらの領域の構造に変化が起きるかどうかということだ。』

第十章 鍛錬 ―脳を作る

わたしが強調したかったこと―運動は脳の機能を最善にする唯一にして最強の手段だということ―は、何百という研究論文に基づいており、その論文の大半はこの10年以内に発表されたものだ。脳のはたらきについての理解は、その比較的短い期間にすっかりくつがえされた。この10年は、人間の特性に興味をもつ人すべてにとって、心沸きたつような時代だった。わたし自身、本書のための調査を通じて、運動の効果にますます驚かされ、直感的な洞察は科学に裏打ちされた真実へと変わっていった。』

『スモールは、被験者たちに3か月間運動させたのち、脳の写真を撮った。標準手的なMRIを用い、ズームしてシャッターを切るというごくあたりまえの方法で、彼は新たに形成された毛細血管の画像をとらえた。それは発生したニューロンが生き残るのに必要とするものだ。彼が目にしたのは、海馬の記憶領域における毛細血管の量が30パーセント増えるという、まさに驚くべき変化だった。もっとも、この研究が果たした最大の貢献は、脳を切り刻むことなくニューロン新生を見つけ出せるようになったことだろう。この新しい技術により、科学者はさまざまな要素がニューロン新生にどう影響するかを調べられるようになった。運動量もそのひとつだ。』

『脳のためにどのくらい運動すればいいのかと尋ねられたら、わたしは、まずは健康になることを目指し、自分への挑戦をつづけることが大切だと話している。なにをどのくらいすればいいかは人それぞれだが、研究が一貫して示しているのは、体が健康になればなるほど、脳はたくましくなり、認知力の面でも、情緒の面でも、よくはたらくようになるということだ。体を快調にすれば、心もそれに従うのだろう。

だとすれば、運動が脳に及ぼす利益を享受するには、体を鍛え上げて下着のモデルのような体型にならないといけないのだろうか? そんなことは決してない。実際、研究では、ウォーキングしただけでも、説得力のある結果が出ている。それでもわたしが健康な体に着目するのは、標準的な体重を維持し、心血管系を強くすれば、脳は最大の力を発揮できることを知っているからだ。どの程度の運動でもプラスになるが、実際的な観点から言えば、脳のためになにかをするということは、体を心臓病や糖尿病、がん、その他の病気から守ることにもなる。体と脳はつながっている。両方一緒に大切にすればいいのだ。

まとめ

4つに分けたブログですが、最後に簡潔にまとめたいと思います。

最も重要なことは、”運動はほとんどの精神の問題にとって最高の治療法である。一方、孤立と運動不足はアポトーシス(細胞の自死)を助長し脳を萎縮させる”ということだと思います。

そして、主なメカニズムは下記の5つと考えます。

1.運動は筋肉の回復プロセスだけでなく、ニューロンの回復プロセスのスイッチも入れる。

2.運動によって脳に適度なストレスがかかると、遺伝子が活性化してタンパク質(成長因子)が生成され、ニューロンを損傷や変性から守るとともにその構造を強化する。

3.運動は脳のストレス耐性を強めるが、それは多くの成長因子(脳由来神経栄養因子[BDNF]、インスリン様成長因子[IGF-1]、線維芽細胞成長因子[FGF-2]、血管内皮成長因子[VEGF])を増やすからである。

※成長因子とは:特定の細胞の増殖や分化を促進する内因性のタンパク質の総称である。(ウィキペディアより)

4.運動によりインスリン様成長因子[IGF-1]は海馬のなかでLTP(長期増強)を促進して、ニューロンの可塑性を高めニューロン新生を促す。

5.運動はコルチゾールが増えすぎないよう監視し、必要に応じて神経伝達物質セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンを増やすという効果も有する。