臨床動作法1

「脳性まひ児の発達支援」という本からスタートした、脳性まひ児への施術のための自己学習も、終盤を迎え、締めくくりは以前から注目していた動作法について勉強することにしました。なお、動作法については、2016年12月に“動作法について”、翌月2017年1月に“動作法(姿勢の不思議)”というブログをアップしていますが、これらは動作法の表面に触れた程度であり、理解ということからは程遠いものでした。そこで、特に動作法の理論や実践という点を詳しく知りたいと思い、3つの本を選びました。

●「基礎から学ぶ動作訓練」

●「臨床動作法の理論と治療」

●「動作訓練の理論 脳性マヒ児のために」

3番目の「動作訓練の理論 脳性マヒ児のために」は成瀬先生が作られた各訓練段階の【動作訓練票】をご紹介しているだけですので、ブログとしては「基礎から学ぶ動作訓練」と「臨床動作法の理論と治療」からとなります。

なお、動作法は正式には臨床動作法と呼ばれています。そして臨床動作法は1976年に発足した「日本リハビリティション心理学会」さまによって大きく発展してきました。

会則の第2章、第3条に目的が明記されています。

『第3条 本会はリハビリテイション心理学及びこれに基づく学術の発展を図り、教育、福祉、文化の向上に寄与すると共に、合わせて会員相互の親睦を図ることを目的とする。』

基礎から学ぶ動作訓練」のはしがきを拝見すると、この本の内容は今までに発行された『ふぇにっくす』(1971年創刊)という冊子に掲載された論文や解説の中から再録されたものとなっています。

左は最新版とされている75号の表紙です。

 

編集:九州大学発達臨床心理センター

出版:ナカニシヤ出版

初版発行:1998年12月

 

ブログは第一章 動作法の基礎知識の中の、動作法ってなに? -動作法が初めての方へ- の部分を書き写したものになります。

目次

はしがき

第一章 動作法の基礎知識

動作法ってなに? -動作法が初めての方へ-

形を整える -「おまかせ脱力」と「形づくり」-

「おまかせ脱力」「形づくり」「魂を入れる」

第二章 脳性マヒ児のための動作法

坐位訓練Ⅰ

坐位訓練Ⅱ

膝立ち訓練Ⅰ

膝立ち訓練Ⅱ -膝立ちの姿勢が全く保持できない子の訓練-

膝立ち訓練Ⅲ -タテの姿勢が完全にできていない子の訓練-

片膝立ち訓練

立位訓練Ⅰ

立位訓練Ⅱ

歩行訓練

第三章 様々な障害への動作法の応用

自閉的なこどものための動作法

知的障害児のための動作法

ダウン症児のための動作法

筋ジストロフィ者のための動作法

青年・成人のための動作法 -訓練の意味・あり方・問題点-

障害高齢者のための動作法

登校拒否児及び学校不適応幼児のための動作法

こころを癒す動作法

PTSD(心的外傷後ストレス障害)への動作法

第一章 動作法の基礎知識

動作法ってなに? -動作法が初めての方へ-

最近、「動作法と動作訓練は、同じ訓練ですか、違うのですか」といった質問をよく聞きます。動作法で用いられることばには、このほかにも、「努力」「タテ系」「体験」などなど、臨床動作法をはじめて経験されるお母様方や先生方には、意味の分からないことばがたくさんおありのことと思います。訓練技法だけでなく、肢体不自由から精神分裂病にいたるまで広い範囲で適用され、だんだんその考え方が複雑化(洗練?)してきた今、これらの疑問は、出るべくして出てきたといえるでしょう。そこで、今回、これらの用語や技法が生み出されてきた動作法の歴史について触れながら、動作法についての大まかなイメージをつかんでいただければと思い筆をとりました。

さて、歴史といっても私も未だ十年そこそこしか訓練に携わっておりません。動作法三十年の歴史について正しく理解するには、成瀬先生に、じかに伺うのが一番ですが、さて、どうしたものかと悩んでいましたら、この上ない本をみつけました。それは、現代のエスプリ別冊「臨床動作法の理論と治療(三巻シリーズ第一巻)に掲載されている「臨床動作法の起源と適用」です。ここには、動作法が生み出されてきた経緯について、成瀬悟策先生、大野清志先生、鶴光代先生が対談された逐語録が記されています。これを読んでいただければ一番ですが、ここでは、まず、私なりに熟読して動作法が生み出されるまでの歴史について簡単にまとめてみようと思います。

昭和三十三年四月、東京教育大学(現、筑波大学)に、肢体不自由児のための桐ヶ丘養護学校がはじめて作られ、現、大妻女子大学教授、大野清志先生が赴任されました。しかし、大野先生によれば、その当時、肢体不自由児のもつ運動障害に対しては、病院での「機能訓練」と称される訓練しか行われておらず、それは学校教育の対象とはされていませんでした。具体的には、足をしっかり踏めないこどもに対しては、砂袋をつけさせ、その重さで足を地面に押さえつけたり、バネを引っ張って屈がった腕を伸ばすなどが行われていたようです。

そのような状況にあった昭和三十八年、国立身体障害者リハビリティションセンターの小林 茂先生が脳性マヒの二十歳ぐらいの女性に催眠をかけてみたところ、生まれつき屈がっていた五本の指を伸ばせるようになって、ミシンやアイロンがけができるようになったそうです。ここで、催眠について詳しく説明することはできませんが、催眠状態でからだが動いたということは、これまでは、動かし方が分からなかった、あるいは、不適切な動かし方をしていたということができます。

これをきっかけにして成瀬研究室での脳性マヒの研究が始まります。まず、当時、九州大学大学院生であった、現、九州大学教育学部教授、大野博之先生が筋電図を指標にしながら催眠と脳性マヒのからだの動きの関係性について検討しました。その結果、筋電図が大きく振れるほど緊張していた手が、催眠によって筋電図が振れなくなるほど力が抜けてしまったのです。』

さらに、昭和四十一年、成瀬研究室で「催眠法による脳性マヒ者のリハビリティションに関する研究」を行い、催眠で脳性マヒが改善されることが明らかになってきて、よく四十二年、一月四日から八日間の集中訓練を聖ルチア病院で行い、三月後半には現在のキャンプ方式で十日間の訓練を行ったようです。その後、朝日キャンプ、聖ルチアキャンプを重ね、昭和四十七年に福岡県朝倉郡夜須町に「やすらぎ荘」が作られたので、キャンプが定着しました。

「やすらぎ荘」の”ごあいさつ”(理事長メッセージ)の冒頭部分をご紹介します。

『やすらぎ荘は、4月に開所47年を迎えました。多くの方々のご援助とご協力のたまものと感謝しています。

本来、俳優の故・森繁久彌さんたちによって、全国でも例を見ない心身障がい児(者)療育訓練施設として、夜須高原に産声を上げました。以来、脳性まひ児の機能回復訓練と情緒障害児などの療育訓練を中心に活動をしてまいりました。

利用者は、九州はもとより全国から集まります。特に春と夏の動作法研修会には、アジアなど諸外国から研修生が参加します。

年間延べ約6千人の利用者があり、開所からの利用者は3月末で44万余を数えました。同時に、やすらぎ荘はご家族にとっても、お互いの生活を語り合い、励まし合う「やすらぎの場」となっております。』 

そうしたなかで、からだの動きの悪さは、脳の障害、病変によって「からだの動かし方」を誤った形で身につけた結果であることが分かってきました。つまり、脳性マヒの動きの問題を心理的な問題として捉えたのです。

昭和四十六年に学習指導要領の改訂で、「養護・訓練」という新領域が設定され、学校の教師が肢体不自由の連動機能の向上のために関わることができるようになりました。そこで、心理学的に人の動きを捉え、人の主体的活動を重視する訓練法の考え方が教育にぴったりであるということで特殊教育の世界に、動作法が定着していったのです。

さて、動作法が脳性マヒ者に対する催眠の適用をきっかけにして生み出されてきたこと、その考え方の基本は、肢体不自由児のもつ運動障害を心理学的問題として捉えること、そしてそのような考え方ゆえ、学校教育の分野に定着してきたことがお分かりいただけたことと思います。では、動作法の具体的な中身はどのようなものなのでしょうか。

現在、動作法は正式には「臨床動作法」とよばれます。簡単にいうとこれは動作を課題にしながら脳性マヒなどの肢体不自由、自閉症、多動、分裂病、高齢者の運動障害など様々な状態の改善のために適用される方法の総称と考えていただいて結構です。大原則は、人の動きというものは、その動きを実現しようとする当人の「努力」によって生み出されているという考え方です。人がある一つの動きを行おうと「意図」し、その動きを達成するための「努力」があって、はじめて「身体運動」が生起するという流れ、この一連の流れを「動作」とよびます。繰り返すようですが、「動作」とは、人の主体的活動の成果であって、主体的活動が伴わない物理的な「運動」(例えば、大人がこどもの足首を強制的に屈げ伸ばしする)とは本質的に異なるものと考えます。もっといえば、たとえ外から見て「運動そのものが見受けられなくても」こどもの主体的な自己活動がそこで展開されていれば、「動作」と考えてよいのです。

つまり、大切なのは動作を遂行しようとする過程で、こどもがどのような「体験」をしているかということです。

「意図」「努力」「身体運動」「動作」と出てきたと思ったら今度は、「体験」かと用語の多さに気持ちが打ち沈んでこられたかもしれませんが、ここが重要なところですので、もうしばらく勘弁してください。例えば、脳性マヒのお子さんの膝の緊張が強くて膝を伸ばす訓練を行っていたとします。この時、そのこどもは、膝を伸ばそうとなんらかの努力をするでしょう。しかし、膝が逆に曲がってしまったりなどの意図と一致しない動きが生み出されるかもしれません。大事なのは、この時、そのこどもがいったいどのような動かし方をし、その時のからだの感じをどのように感じとっていたかということなのです。また、自閉症のお子さんとお母さんがいっしょに、腕を上げていく課題を行っていると、お子さんが伸ばしていた腕を、突然強く曲げたとしましょう。この時大切なのは、腕が曲がったということそのものではなく、腕を上げていくその過程、曲げた時のその瞬間に、お子さんがお母さんとの関わりのなかで、腕の動きをどのように感じ、また、どのように動かそうとしていたのかということなのです。

このように「体験」を重視することは、マン・ツウ・マンで訓練を遂行していく上で重要な意味をもちます。なによりもまず、こどもの体験の仕方に目を向けるということは、必然的に大人(トレーナー)本位の強制的訓練を排除します。いろいろな訓練法や指導法が存在する現在、例えば脳性マヒ児の股関節がかたく、伸ばせない状態のとき、こどもが泣こうがわめこうが、必要だからガンガン弛緩訓練を押し進めるやり方を少なからず耳にします。これは、こどもの股関節が弛むという物理的な現象しか目標としていない訓練のしかたです。股関節が「弛む」ことではなく、こども自身が股関節を「弛める」ことを目標にすれば、当然の結果として、トレーナーは、こども自身が「どのように股関節を弛めようとしているのか」とか「どんな時に力を入れてしまうのか」などといったことどもの努力の仕方に注目するでしょう。これこそがこどもの「体験」を重視した訓練なのです。

そうすることによってさらに、動作の過程におけるこどもの心の活動のあり方をみるだけでなく、動きからこどもの心の活動状態を予測するようなトレーナー側の視点とか態度とかいったものが生まれてきます。例えば、私たち大人でも、偉い人の前に立って心が緊張している時には肩に力が入ったり、手をもじもじさせたり、下を向いてしまったりするでしょう。まさしく、心の活動状態がからだの動きとして現れてしまった好例です。トレーナーが、こどもの示す動きからこのような心の状態を理解しようとする構えが培われることも「体験」を重視することからもたらされるのです。

さて、ここまでで、動作法では「体験」が非常に大切にされることが分かりました。では、いったいどのように「体験」を重視した訓練が展開されていくのでしょうか。

先ほど、臨床動作法とは、動作を用いて様々な症状改善のために用いられる方法の総称であることを述べました。しかしながら、歴史の部分でもお分かりのように、臨床動作法は脳性マヒ児を中心とする肢体不自由に対して適用されたところから現在の発展をみてきました。そこで、脳性マヒ児に対する動作法についてみてみましょう。

繰り返しになりますが、動作法では脳性マヒ児の「からだが動かない」ことは、筋や骨格、あるいは神経系などの生理的欠陥によるものとはみません。「意図」-「努力」-「身体運動」の図式が示すように、「努力の仕方」が不適切であったり、それをこども自身が分からないためであると考えます。従って、一言でいえば、「先生といっしょに適切な努力の仕方を学習しましょう」ということが脳性マヒ児の動作法であるといえます。決して、「トレーナーが努力する」のではありません。脳性マヒ児のからだは、不適切な力の入れ方のため、しばしば、足首、膝、股関節、体幹部などに強いかたさがみられます。このかたさを弛めようと先生が、せっせと汗水たらして力を入れてもダメなのです。大切なのは、こども自身が課題動作を達成するために、なんらかの「努力」をすることが前提であるということです。からだが訓練によって動かせるようになったとすれば、それは「トレーナーの努力のたまもの」ではなく、「こども自身、適切な努力の仕方が分かった」のであって、トレーナーは「適切な努力のしかたが分かるように上手に援助した」のです。このことを再確認した上で、訓練内容をみてみましょう。

まず、課題動作です。基本的には、坐位、膝立ち、立位、歩行の四つの課題がこどもの状態に応じて選定されます。まだ、お坐りのできないこどもであれば坐位課題から順に歩行まで訓練を進めます。膝立ちはできるけれどうまく立つことができない、という場合などにはいろいろと訓練課題が考えられます。しっかりと足で台地を踏みしめることを練習するなら立位のなかで行われますし、股関節の上手な使い方を練習するなら膝立ちに戻って訓練を進めます。腰周辺の動かし方が充分でなければ坐位まで戻ることもありえます。この説明でおわかりのように、坐位、膝立ち、立位、歩行というのは坐るための訓練、膝立ちするための訓練、立つための訓練などと一義的に捉えられるものではなく、むしろ、個々のこどもにとって必要なからだの部位の動かし方を学習するために選択される最も適切な姿勢と考えた方がよいように思います。

ところで、坐位~歩行の四つの姿勢を心のなかに思い描いてみて下さい。一つとして、からだを横にした姿勢はないことにお気づきでしょう。全ての姿勢が「タテ」なのです。さて、また、新しい用語の登場です。「タテ系」です。

からだをタテることには、どのような意義があるのでしょうか。赤ちゃんは最初、頸も坐らずいつも寝たままにすごします。手の動きや足の動きも未だどことなく反射的で、外界に関わるといっても、目の前にぶら下がっているガラガラなどに触れる程度です。やがて、手に触れたものを握るようになり、口でしゃぶったりして探索活動はより高次なものにはなりますが、やはり、まだ赤ちゃんの世界は与えられた物、身の回りにある物しか活動の対象にはなりえず、そういった意味で、かなり受動的です。

ところが、お坐りができ、はいはいを始め、お誕生日を過ぎる頃に歩き始めるや否やこどもの心の活動は活発化してきます。興味のある対象がある場所に自ら移動して、対象を手にし、なめたり、叩いたり、投げたり、つまんだり、自分なりに調べあげます。外界に積極的・能動的に関わり始めるのです。これがこどもの心の世界に大きな影響を及ぼします。まず、物を立体的に見ることができるようになります。つまり、遠近感が分かるようになってきます。さらに、自分を基準にして物の動きを認識できるようになります。これは、からだをタテて外界に関わることの効果なのです。動作法がタテを重視するのは、このようにタテになる動作系が<ひと>にとって何よりも必要な生き方であると考えるからです。

一つの訓練法においては、訓練の対象となった障害に応じて技法がより良いものに変化して当然です。実は動作法もそのような変化をとげてきました。かつて、訓練の対象となったこどもたちの多くは、からだのかたさを弛めること(リラクセイション)で充分に効果をあげることができ、からだの動きを改善することができました。しかし、だんだんと障害が重度化するにつれ、からだのかたさをとることだけで対応しきれなくなってきました。弛めても立つことはできないし、ましてや、坐ることもできないこどもたちが増えてきたのです。考えてみれば、リラクセイションは、反ったり曲げたりなどの誤動作を修正することが目的です。からだの動かし方については、訓練課程で焦点づけられていないので、学ぶことが難しいはずです。そこで、もう少し、からだの使い方を重視しようということで、「スパイラル方式」と呼ばれる訓練手続きがとられ始めました。

これは、まずはじめに、膝立ちや立位などの、ある課題動作をこどもに行わさせてみて、膝や足首や股関節などのかたさがその動きを妨げているようであれば、かつてのリラクセイションの技法を用いて弛めます。動かしやすくなったところで、からだの使い方訓練にはいります。使い方の学習過程で、未だ、からだのかたさが動きを妨げているようであれば再度弛めます。このように行っては戻り、行っては戻りを繰り返すような手続きだったので、スパイラル方式(らせん式という意味)とよばれました。

確かに、以前と違ってからだの使い方を重視しましたので、力を入れにくい重度のこどもたちに対する訓練効果がみられ始めました。しかし、また、ある事実に気づかされたのです。それは、からだのかたさは、からだの動かし方が適切になるにつれて、みられなくなってくるということです。つまり、誤動作を修正してから正動作を獲得させるのではなく、直接、正動作を獲得させる方法が最も効果的ですし、こども不在・トレーナー中心の力任せの訓練に陥る危険性もないということが明らかになってきたのです。そこで登場したのが、「タテ系動作訓練」です。

それでは、「タテ系動作訓練」について話を深めてみましょう。

まず、手順です。課題は先にも説明しましたように坐位、膝立ち、立位、歩行です。はじめに、形を整えます。坐位なら坐位、膝立ちなら膝立ちと、課題となる動作がうまく行われ、完成した時のからだの形を作らせてあげます。しかし、この姿勢はかなりトレーナー側の他動的援助がなければこどもには行うことができません。なぜなら、まだ、こどもは適切な力の入れ方を学んでいるわけではないからです。

形ができたら、「魂を入れる」です。力の入れ方がまだ分からないこどもに適切な力の入れ方を学ばせる段階です。正式には主動化の段階とよばれます。こども自身が動きをコントロールできるようにするのでこうよばれるのでしょう。トレーナーは、「離すよ、離すよ」と言いながら、支えている他動の手の力を弛めて、こどもの力の入れ様をみます。余計な反りや曲げ動作が出ないように援助しながらこどもが自ら適切な姿勢を保持できるようになるまでやりとりが繰り返されます。

タテに力を入れることができるようになってきたら、三番目は、節・分節づくりです。こどもはまだ、坐位姿勢であれば、腰の部分を自由に折ったり、伸ばしたりすることができません。立位にしても、足首や膝を曲げ伸ばしできないのです。そこで、腰、股関節、膝、足首などの目標となるからだの部分以外はまっすぐにしたまま、その部分だけ曲げ伸ばしできるようにしていきます。

この動きを自ら楽に行うことができるようになったら、前、後、左、右のバランスとりの練習に入ります。からだが傾斜したり、あるいは、外から妨害の力が加えられてもタテの姿勢を保つことができるようにする段階です。

このようにタテ系動作訓練は展開されますが、いくつかの基本要領があります。

画像出典:「基礎から学ぶ動作訓練」

 

また、新しい用語の登場ですが、「①-③の原理」です。動作法では、頸を①、肩胛帯(肩甲骨+鎖骨)を②、胸を③、背中を④、腰を⑤、股を⑥というように番号でよびます。ですから、「①-③の原理」は言い換えれば「頸-肩の原理」です。つまり、「頸を立てようと思うなら、頸だけみていてもだめですよ。頸を立てたければ、肩との関係でみて下さい」ということです。さらに、①-③がうまく関係づけられれば、①-③-④の関係づけへ、それができれば、①-③④-⑤の関係づけへと進み、最終的には①-⑥(頸-股)でからだをタテることができるようにしていくのです。

もう一つ、新用語です。それは、「反・屈 対 直の原理」です。これは「反ったり曲げたりなどの動きが出そうになったら、出さずに止めてあげましょう。それからの力の入れ方をタテ方向に切り換えさせてやるのです」ということです。反りや屈曲状態になるのは、そのような方向に力を入れているということなので、トレーナーが他動的にねじったり、反らせたりして修正を加えるというよりも、こども自身の力の入れ方の転換をはかろうというわけです。

少し、長くなってしまいました。もう一度、ここで整理してみます。

臨床動作法は、動作を用いて様々な症状の改善をはかる方法の総称と考えてよい。

臨床動作法においては、「意図」-「努力」-「身体運動」という動きの捉え方が大原則で、この過程を動作とよび、物理的な運動とは区別して考える。すなわち、動きを達成しようという主体的活動が重視される。

訓練課程でこどもがその時その時にどのような「体験の仕方」をしていたのかに目を向けることによって、動作法は展開される。

タテになる動作系が生きる基本であると考える。

タテ系動作訓練では坐位・膝立ち・立位・歩行の姿勢のなかで、必要な課題動作を訓練していく。

タテ系動作訓練では、形づくり→主動化(魂を入れる)→節・分節づくり→バランスとりという手順で訓練が実施される。

タテ系動作訓練の基本要領として、「①-③の原理」「反・屈 対 直の原理」がある。

以上、動作法が生まれるまでの歴史、動作法の大まかな説明を試みてみました。動作法理解の一助となれば幸いです。

細かいことは、いずれ訓練経験を重ねるうちに実感として理解できてくるはずですので、心配ご無用です。ただ、そのためには、トレーナーとこどもとの「やりとり」を通して、こどものからだの動きを理解するという心構えだけは大切にしていただきたいと思います。やりとりのない訓練は、砂袋やバネと同じです。

(ふぇにっくす 第46号 1994年)

付記“脳の可塑性”と“心理リハビリティション”

私は「限界を超える子どもたち──脳・身体・障害への新たなアプローチ」という本で衝撃を受けました(ブログ:“アナット・バニエル・メソッド1”)。

著者:アナット・バニエル

出版:太郎次郎エディタス社

初版発行:2018年7月

 

この本に書かれたメソッドは脳の可塑性【脳】に基づくものです。一方、動作法は心理リハビリティション【心】に基づくものです。【脳】と【心】、これは境界がはっきりしない極めて関係の深いものだと思います。もしかしたら、動作法はアナット・バニエル・メソッドの実践編に近いものになるかもしれない。これが動作法を深く知りたいと思った経緯です。

以下の表はアナット・バニエル・メソッドの「9つの大事なこと」をまとめたもので、細かすぎて見る気にならないような資料ですが、特に“動きに注意を向けること”、“ゆっくり”、“気づき”などは動作法でも根幹にあたるようなものだと思うので添付させて頂きました。

 「脳と心?どうなってんだろう」との疑問から、ネット検索して見つけたサイトが以下の2つです。これをみると【脳】は【心】の中心というイメージです。政府と総理大臣のような感じでしょうか。いずれにしても密接な関係であることは間違いありません。

心は体のどこにある?

『「心」を各個人のアイデンティティーを表すものと捉えた場合に、体の中で他の人のもの(あるいは人工臓器)に置き換えられない臓器として「脳」が浮かび上がってきます。そう、その人それぞれの「心」をつくりだしているのは、実は「脳」つまり「脳味噌」なのです。』

『「脳」が損なわれる病気が「心」を変えてしまうということもあります。例えばアルツハイマー病という脳の病気は、主に大脳皮質という脳の部分に存在している神経細胞が失われていくことによって生じます。そのことによって、呆けたり、人格が変わってしまうのです。現在、脳研究者は「心は脳がつむぎ出すもの」と捉えています。別の言い方をすれば、「心は脳の内的現象」です。ここでいう「心」には非常に広い意味の精神活動、すなわち、認知、情動、意志決定、言語発露、記憶、学習などが含まれます。』

 心はどこにあるのですか?

『近年の脳研究の成果は,心とは脳であるという言明を強く支持しているようにみえます。これは還元主義という立場です。心理学は脳科学に吸収されてなくなってしまいそうですね。でもちょっと考えてみてください。心の境界はどこになるのでしょう。心が物理的作用だとすると,物理的作用は脳内部にとどまらず,脊髄,末梢神経,感覚運動器官へ,さらに皮膚からそれと接する環境へとつながっています。どこで区切ればよいのでしょう。脳科学者である大谷悟さんは,ためらいながらもこのように言います。「(こころという感じは)からだと環境にまたがって発生・存在している」(大谷,2008, p.226)。心は身体―環境システムの別称である。』