スキンシップケア(C触覚線維)

業務委託による週二日の訪問の仕事は、少しずつ小児障害の患者さまが増えてきています。こちらはすべてマッサージですが、なかにはじっくり手技をすることが難しい元気な子もおり、マッサージの基本ともいえる「スキンシップ」について詳しく知りたいと思い、今回の本を見つけました。

 

著者:山口 創

出版:草思社

初版発行:2017年7月

表題の「スキンシップケア」とは著者である山口創先生の言葉ですが、次のような説明がされていました。

人は親しい人と一緒にいるだけで、周囲の見え方や苦痛の感じ方さえも変わってしまう。本書では、人に直接触れることだけでなく、人と一緒にいることも含めて、人を癒す行為は「スキンシップケア」と定義し、これまでのスキンシップの概念をあらためて捉えなおしたい。そしてなぜ親しい人との触れあいや関りが、生きづらさや抑うつを防ぎ、幸福感を高め元気を回復されるのか、とうことも考えていきたい。』

ブログは目次に続き、太字にした箇所についてのみ取り上げていますが、それぞれ章の一部をそのままご紹介しています。

目次

はじめに

第1章 コミュニケーションする皮膚

触れなくても肌は感じている

「直接触れ合う」と何が起こるか

ストレスを癒す身体のメカニズム

もっとも大事な役割は体温調節

 ストレスを感じる皮膚

 皮膚を温めると心が温まる

 うつ病は体温制御ができないことが原因

 触覚は感情に直結している

  摂食障害は胎児期のうぶ毛が原因か

  自閉症も皮膚の神経線維が原因か

  自尊感情が低い人ほど有効なタッチ

「寄りそう」ことで何が起こるか

 動物が群れる理由

 パートナーの有無による心理の変化

 自己が他者にも膨張する

 皮膚が他者を判断していた

幼少期の触れ合いが人間の礎をつくる

 触れ合いの原点

 温かい感触の記憶

 母親と赤ちゃんの体は同調している

 不安定の人が疲れやすい理由

 寂しい人は太る?

 

第2章 触れないと皮膚は閉ざされる

失われた皮膚の交流

 人間の心理的境界はどこにあるのか

 二つの境界

 日本人独特の「あわい」の境界感覚

 肌と皮膚

 なぜ日本人は対人関係に悩むのか

人の「なわばり」感覚

 ぺリパーソナルスペースとパーソナルスペース

 世界の見え方は文化に依存する

 視覚優先の欧米人、触覚優先の日本人

 抱きしめ細胞の存在

触覚を大切にしてきた日本の育児

 日本と欧米、抱っこの違い

 背中の感触が大事なおんぶ

 生きづらさの原因は皮膚が閉ざされているから

 過去の親子関係から自由になるために

 皮膚が拓かれている多良間島の子どもたち

 

第3章 病気やストレスが劇的に改善、スキンシップの驚くべき力

スキンシップが持つ癒しの力

境界が拓かれることで人は癒される

現在の介護施設と病院の難しい現状

 「人の手」で触れる意味

効果が実証された触れる癒しの技法

 ユマニチュード

 セラピューティック・ケア

 タクティールケア

スキンシップの効果が期待されるこれからの領域

 ホスピス・緩和ケア

 発達障害者へのケア

触れられるとなぜ心が癒されるのか

 心理療法としての触れるケアの有効性

 触れるケアは長く続けるほど効果的

 たった1回の触れるケアでもOK

 人間関係を改善する皮膚コミュニケーション

 

第4章 皮膚を拓いて、元気な自分を取り戻す

皮膚を拓いてつながりを拓く

笑うこと

 卒業写真で笑顔の人は幸福になる

 子どもの笑顔は温かいタッチから

心を開くこと

 人に語ることの意味

 ネガティブな気分を和らげる筆記療法

皮膚を共振させること

 マッサージからみる共振

 カップル・親子の共振

 集団の感情を利用する

感謝すること

親切にすること

許すこと

 許すことの効果

 相手の立場に立つ

ストレスを癒す身体のメカニズム

 人は他者から触れることで、安心したりストレスが癒されたり、元気をもらえたりする。そもそもそのような心の変化はなぜ起こるのだろうが。

広くいろいろな学問分野の研究をひもといていくと、そこには数百万年もの長い進化の歴史の中で獲得してきた、人間が持つ奥深い身体のメカニズムが潜んでいることがわかる。

スキンシップが持つ意味について、進化の時間軸で考えていきたい。

スキンシップのもっとも原初的な意味は、生まれたばかりの赤ん坊の体温が低下しないように、養育者が触れて保温することだった。もともとスキンシップは生命を維持するために必要だったのだ。一方でそのように温かい身体で触れられることは、情動レベルでは赤ん坊にとって、養育者に守られて安心できる快の体験でもあった。抱かれるたびに安心することを幾度となく繰り返す経験をした結果、それは不安や恐怖、ストレスなどの不快な心を癒す行為と結びついていった。さらにそこから発展して、触れて安心させてくれる人に特別な愛情の絆である愛着関係を築いて、その関係を強め、そういう人を信頼するようになった。これが認知レベルである。

このように自己の生命を維持するといったもっとも基本的なレベルから、絆を強めるといった社会的なレベルまで階層構造を成していて、下から順に進化してきた。』 

 

下から、”身体レベル”→”情動レベル”→”認知レベル”となっていきます。

画像出展:「人は皮膚から癒される」

 もっとも大事な役割は体温調節 

 『いうまでもなく、人は体温を維持しないと生きていくことはできない。外界の温度が大きく変化しても、身体の体温の変化はわずかにしか変化しない。厳密にいえば、体温には皮膚温と深部体温の2種類がある。皮膚温は環境の温度に応じて変化するが、深部体温の方は環境の変化によらずある程度一定である。深部体温はおよそ30度~44度の間であり、それ以下あるいはそれ以上になると死に至ることになる。

また、深部体温と皮膚温には温度の落差があり、深部から皮膚表面に至るまで、温度勾配がある。この温度の落差が適度にあることが生存にとってとても重要だ。そしてこの温度勾配を一定に保つために、身体は常に深部で代謝活動をすることで熱を産出し、皮膚から熱を逃がしている。

体温を保つことは、代謝にとっても、生殖活動にとってもとても重要だ。たとえば代謝については、体温が1度下がると基礎代謝は12%、体内酵素の働きは5割も低下してしまう。また動物の場合、気温が下がると生殖活動も低下する。体温の低下は、自己の生存にも生殖にとってもデメリットばかりだ。』

 

画像出展:「人は皮膚から癒される」

 『多くの動物では、危険が迫っていたり病気になったりしたときに仲間同士で身を寄せ合うことがある。これも肌をくっつけ合うことで、体温を調節するために必要なエネルギーの消耗を防いでいるのだ。イヌなども、赤ちゃんのときは同じように身を寄せ合っている。肌を触れ合うことは生き残るためのもっとも基本的な戦略なのだ。

とりわけ人間の赤ちゃんは、この体温調節機能が極端に未熟な状態で生まれてくる。だから生まれたらすぐに養育者に抱かれて体温を保つようにしなければいけない。何らかの理由ですぐに抱かれることがなければ、保育器で体をしっかり温める必要がある。

こうして先の図1(触れ合い効果の階層構造)のベースの部分をしっかりと築いてあげないと、将来的にはその上の安心感や、さらにその上の愛着の絆にまでも悪影響が出てしまう。』

 

画像出展:「人は皮膚から癒される」

 

皇帝ペンギンは厳寒の南極で生き抜くために身を寄せ合います。

画像出展:「カラパイア

 触覚は感情に直結している

『皮膚には4種類の触覚の受容器があり、それぞれ異なる物理的な性質に反応しそれを脳に送り知覚している。

ところが最近、皮膚にはもう一つ、性質の異なる触覚の受容器があることがわかってきた。それはC触覚線維と呼ばれ、神経線維の末端が枝分かれして皮膚に入り込んで触覚を直接知覚している神経線維の束である。これは、「触れて気持ちいい」とか「触れた感触が気持ち悪い」といった感情に関わる神経線維である。

左上に書かれた”自由神経終末”が、上記の説明(「神経線維の末端が枝分かれして皮膚に入り込んで…」)の部分の図になります。

画像出展:「看護roo!

興味深いことに、このC触覚線維が興奮するための物理的な条件というのがある。それは触れるものの速度柔らかさが重要な要素である。速度に関しては、秒速3cm~10cm(ピークは5cm)ほどの速度で動く刺激に対してもっとも興奮する。また柔らかさに関しては、ベルベットのような柔らかい物質に興奮する。だから人の手でゆっくりと手を動かしてマッサージをするような刺激に対して、興奮することになる。

そして脳では島皮質や線条体といった、情動や自己の感覚や身体感覚に関わる部位に到達する。

またこのC触覚線維の興奮は脳内ではセロトニン神経を活性化させることもわかっている。だから抑うつや不安の高い人にゆっくりした速度でマッサージをしてあげると、脳内でセロトニンがつくられて症状が軽くなるのだ

実際に、著者が行った実験でも、相手の背中に秒速5cmほどのゆっくりと触れてあげると、抑うつも不安も顕著に低下した。逆に手を動かす速度が、速すぎたり遅すぎたりすると、自律神経の交感神経が優位になって、覚醒水準が上がってしまったのだ。』

こちらはネット上にある『Pain Relief-痛みと鎮痛の基礎知識』というサイトです。この内容を基に、”神経線維”と”受容器”について補足したいと思うのですが、一つご注意頂きたいのは、C線維に関してはまだ未解明なことも多いという点です

このページのほぼ中断に”体性感覚神経の神経線維の分類”という見出しがあり、そこに表形式で神経の説明が出ています。

有髄無髄は髄鞘(神経の軸索を覆う膜のようなもので、この髄鞘があると神経の伝導速度がアップします)の有無を表しています。

有髄にはA線維B線維があり、AにはAαがあります。この3つはそれぞれ”太さ”、”速さ”、”機能(役割)”が異なります。B線維は”交感神経節前線維”と呼ばれ、自律神経系に属するものです。

一方、無髄には2種類のC 線維があります。1つ”交感神経節後線維”というB線維と同じ、自律神経系の働きを持っています。もう1つが”痛覚、温冷覚”となっていますが、まさにこの部分の解明が進み、”触覚”としての機能やセロトニン、オキシトシンとの関連性など、いろいろな発見がされてきているということになります。

”受容器”に関する説明はこのページの上のほうにあります(【皮膚の受容器】というボックスの中にあります)。これによるとC線維の受容器は一般的にはポリモーダル受容器”であることが分かります。

また、よく見ると下段に「その他のC線維」とあり、そこには次のような説明も加えられています。

かゆみを伝える受容器、触覚刺激に反応するものもある。*pleasant touchを伝えるC線維もある!”

愛知県理学療法士会誌第18巻第2号に掲載されている『痛みのメカニズムと理学療法』という資料がダウンロードできます。この資料に”ポリモーダル受容器”に関する記述が出ていますので、ご興味あればご参考にしてください。

こちらの『触れることの科学』の中にもC触覚線維に関する記述がありました。

『機械受容器(メルケル盤、パチニ小体など)の活動に対するAβ線維の活動を記録してみると、C触覚線維とは反応のしかたが異なることが分かる。Aβ線維は、前腕を撫でても、模様のある面や角や震動で接触刺激を与えても、どちらでも反応する。もちろん、手のひらや指の無毛皮膚でも反応は起こる。C触覚線維と比較して最も重要で顕著な違いは、強い刺激ほど効率的に活性化するという点である。撫でる速度が速いほど、反応も強くなる。Aβ線維は触覚刺激のさまざまな性質を弁別できる。

これに対してC触覚システムは、特定のタイプの接触、すなわち、一定の範囲の速度で軽く撫でられた場合のみを感知するようだ。最適な速度に合わせるこの性質は、知覚にとって決定的に重要な要素となる。健常者の前腕や大腿を速度を変えて撫でる実験で、被験者が最も心地よいと報告した速度は、毎秒3~10センチの範囲だった。この範囲は、C触覚線維が最も強く活動する範囲と正確に一致している。

健常者の脳画像を撮影してみると、前腕を撫でられると1次、2次の体性感覚野(Aβ線維由来の情報により、細かい形や質感を識別する)とともに、感覚処理の感情的側面に関わる島皮質後部が活動することが分かる。これに対してG・L(患者)の脳では、前腕を撫でると島皮質後部は活動するが、1次、2次体性感覚野は活動しない。つまり、C触覚線維は島皮質は強く活性化するが、体性感覚野は活性化しないと考えられる。それだけではない。C触覚線維を最も強く活性化し、最も心地よいと報告されるほどよい速度の撫で方は、やはり島皮質後部を最も強く活性化していた。これはG・Lでも健常者でも同じ結果だった。』

 

C触覚線維は ”島皮質” にたどり着きます。なお、島皮質は知覚や情動に関係した大脳皮質の一部です。

画像出展:「触れることの科学」

 なぜ日本人は対人関係に悩むのか

『俗に、日本人は集団主義だといわれることがある。しかし社会学者の濱口惠俊は、日本人の人間関係の特徴について、西洋型の「個人主義」に対する「集団主義」ではない、と述べている(“日本型信頼社会の復権”東洋経済新報社)。

彼によればたとえば職場では、個人を集団の中に埋没させて仕事の集団を優先するというのではなく、各人が互いに仕事上の職分を超えて協力し合い、それを通じて組織の目標の達成をはかり、それが翻って自分の欲求を満たして、集団としての充実につながるのが「日本的集団主義」なのだという。

彼の主張する間人主義については、本書のこのあとの議論でも重要な位置を占めているので、西欧の個人主義と比べながら、「スキンシップ」の立場からもう少し深く解説したい。

西欧の文化は、すべてを個人の力と責任で成し遂げることに価値を置くものであり、それには自己を律する強い自我が必要である。このように西洋の「個人主義」では、人に依存するよりも個々人が独立して社会を生き抜くことに価値を置く、頼みとできるのは自分以外にないことを前提にするため、他人との関係も自分の欲求を満たすための手段であると捉え、人間関係それ自体に無条件に価値を置くものではない。

それに対して日本人は、自己を他から独立した「個人」ではなく、「間人」として捉えている。自分を、人と人との「間柄」に位置づけられた相対的な存在であると感じ、社会生活を自分一人の力で営むのは不可能だと感じている。自立ではなく、相互依存こそ人間の本態だという価値観なのだ。この相互に信頼し助け合う価値観こそが「間人主義」なのだ。これは、対人関係を自己の生存のための手段として捉える「個人主義」とは、対照的な価値観だろう。

それらの違いはたとえば職場の人間関係で如実に表れると思う。西欧の人間関係は、互いに独立した個人間での契約関係が基本である。そこでは職務を超えてまで個人的な人間関係が発展していくことはあまりない。だから定時には仕事を終えて、そのあとはプライベートな時間を楽しもうとする。それに対して日本人は、定時に自分だけ仕事を終えてさっさと帰ってしまうことはないだろうし、せっかくの有給も消化しきれない人も多い。どちらも仕事仲間との関係性を第一に考えているからだ。

濱口はこのような関係を図にしてわかりやすく解説している。図10左の個人主義は、独立したAとBがそれぞれの領域を守りながら相互作用をする。それに対して図右の間人主義の場合、AとBの生活空間は互いに重なり合っており、重なり合った部分を含めて自己のアイデンティティと感じている。

だから日本人は主体性がないとか個人のアイデンティティが希薄だ、ということではなく、他者との相互に包摂するような関わりの中で、個人個人が主体性を確立し、そこにアイデンティティを感じているのだ。

 

画像出展:「人は皮膚から癒される」

日本人は、「個人主義」でもなく、「集団主義」でもなく、「間人主義」の価値観に基づいて社会や組織に関わっている。人間は互いに依存しあって生きざるを得ないのだから、その関係を前提にして、自他を生かしていこうというのが、日本人の基本的価値観であり人間観であるといえる。そのためには、境界の感覚がきちんと拓かれている必要がある。

人との境界に対して持つこうした日本人の独特の価値観においては、人間関係の中に溶け込めなかったり、対人関係の軋轢に悩まされたり、人間関係の中で自己を見失う人も当然のことながら出てくるだろう。対人関係にこそ無条件の生きがいや幸福感を見出す日本人にとって、対人関係の問題は、すなわち自己の価値そのものに直結する問題となるからである。

西洋で生まれた心理学では、そのような人間関係の問題は、たとえば社会的スキルを身につけて解決しようと考える。つまり個人としての自己を確立することが重視されるため、相手を尊重しながら自己を主張するといった、対等で独立した個と個の関係を目指すことが主眼に置かれる。もちろんそのような技術を身につけることも、問題解決のための一助となるであろうが、日本人にとっては、本質は違うところにあるだろうと思う。』

以下は私の個人的考えです。

約29年間、外資系企業で働いた経験から感じる外国人と日本人の働き方の違いは、“合理性”の中身と重みの違いのように思います。外国人の”合理性”は、その中身はシンプルでビジネスの基本です。また、“責任”と表裏一体になっているように感じます。

一方、日本人の合理性は、その中に“人間関係がもたらす価値”が含まれており、外国人の協業が1+1=2であるのに対し、日本人の協業は1+1≧2というイメージです。そこにはポジティブな面だけでなく、表面には表れにくい“暗黙の奉仕”のようなものが混じってくる場合もあります。この協業モデルは通常、素晴らしい成果を産み出す原動力になるのですが、注意すべき点としては、“評価”と“責任”が分かりづらくなるというところです。また、これがこの章の表題である「なぜ日本人は対人関係に悩むのか」の原因の一つになってくる場合もあると思います。

 境界が拓かれることで人は癒される

『私たちの多くは、心身の不調があると病院に行く。病院で検査をして、医者に治してもらおとする。その行為自体は何ら問題はない。しかし私たちは、病気や不調は医者に治してもらうものだと無意識に考え、そのような態度を当たり前のようにとってしまっていることから、次のような問題を抱えてしまうことになる。

第1は、身体が持つ自然治癒力の存在を忘れ、最終的には自分の身体が自ずと治っているのだという視点が抜け落ちてしまうことである。私たちは、医者の言う通りに服薬し、栄養さえ取っていればよいのだと信じ、受け身的に治してもらおうとする。しかし実際に治しているのは、紛れもなく自分の身体である。だから身体が持つ自然治癒力を発揮しやすいように、自分でも努力すべきだということを忘れがちである。

自然治癒力を働かせるためには、自分の身体の感覚に耳を傾け、身体が欲するようにしてあげることが重要だ。身体は常に快を求める「快の法則」があるから、まずは身体の感覚かとして心地よいことをするのがよいだろう。それはたとえば運動をすることだったり、触れるケアを受けることだったり、身体を温めることであったり、人それぞれだ。受け身の姿勢ではなく、不調をそれ以上悪化させずに、治癒を早めるためにも、そういった努力が大切だ。

第2は、特にこの章で主張したいことであり、第1の視点よりもさらに気づかれにくい点であるが、心身の不調は対人関係の中でこそ癒されるということである。どんな不調や病だったとしても、それを一人で抱え込むのではなく、人に言うだけでも、多少なりとも心が解放される。すると免疫力が高まり自律神経が整う結果、自然治癒力も高まる。第1章(「コミュニケーションする皮膚」)でも述べたように、困難に感じることでも、寄りそってくれる人がいるだけで、困難に感じなくなることもある。自分一人で辛苦と闘わなければならないと思うと、心が折れて生きる気力もなくなるかもしれない。しかし他者とともにいるだけで境界が拓かれ、他者の身体も自分のものであるかのごとく感じられ、病気や不調を治そうとするエネルギーが倍増するのだ。

もともと「癒し」という概念は、未開社会で呪術によって患者を治癒していた呪術医が、人々の病気を治す悪魔祓いの行為を指すものだという。

文化人類学の上田紀行は、癒しの意味について、次のように述べている。

「(癒しとは)なんらかの原因で、地域社会や共同体から、孤立してしまった人を再び、みんなの中に仲間として迎い入れること、そのための音楽や劇、踊りを交えて、霊的なネットワークのつながりを再構築すること(である)」(“覚醒ネットワーク”講談社プラスアルファ文庫)。

このように他者や社会と「つながること」こそが、病を癒すための重要なポイントだといえる。逆にいえば、周りにいる人は、そのような困難な状況にある人を決して孤立させてはならないのである。』 

効果が実証された触れる癒しの技法

ユマニチュード

『ユマニチュードとは約35年前、体育学を専攻するフランス人、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティが作った認知症のケアの技法であり、日本でもテレビなどで紹介され、話題になっている。

ユマニチュードという言葉は、フランス領の植民地出身の黒人が「黒人らしさを取り戻そう」と始めた文化運動「ネグリチュード(黒人であること、黒人らしさ)を基に、人(ヒューマン、フランス語でユマン)とかけ合わせたものである。

ユマニチュードは「ケアする人とは何か」「人とは何か」という基本命題を根底に置いた、知覚・感覚・言語によるコミュニケーションを軸としたケアである。

その方法は、実に150以上の多岐にわたる細かい実践技術と同時に、その技法を支える「人とは何か」「ケアをする人とは何か」を問う哲学に裏付けされている点が興味深い。

ユマニチュードの哲学

ユマニチュードを導入すると、患者に劇的な変化が起こることから、何か特別な魔法のようなことをするのだろうか、と注目されることが多い。しかしそのような特別なことは行わない。ただ「人間らしさ」を尊重し続ける、つまり「個人として尊重する」ことを理念に置いて接するだけである。

ユマニチュードのケアの柱となるのは、「見る」「話す」「触れる」「立つ」ことによる援助である。

このうち、「触れる」というのは、本書の中心的なテーマであるため、少し詳しく述べたい。ユマニチュードでは、相手を人として尊重するために、触れる技術についても非常に細かく定められている。一例をあげると、相手の腕に触れて体を起こそうとするとき、相手の腕を上から「つかむ」のではなく、下から「支える」ようにして触れることを教える。あるいは、相手が動こうとする意志を慮りながらそれを援助する方向で支えるのである。上からつかもうとすると、どうしてもこちらの意思で、力ずくで相手をコントロールしているように感じられてしまうため、相手を尊重したことにならないのである。

画像出展:「人は皮膚から癒される」


さらには、相手の体に触れる瞬間、そして手を離す瞬間の手の角度にもルールがある。相手の体に垂直に触れると、触れられた相手にとっては少なからず衝撃を伴うからである。手を垂直に離す場合も同じだ。飛行機が離陸するときや着陸するときに、斜めの角度で離発着するように、手が触れる角度も斜めの角度が衝撃が少ないのだ。

また、「触れる」という動作も、単独で行ってはならない。私たちも人に触れられる際、事前に何もコミュニケーションせずに無言で触れられたとしたら、それは不気味な恐怖心さえ覚えるだろう。触れる際には、必ず事前に十分なコミュニケーションをとっておかなければならない。ユマニチュードでは、それはたとえば「見る」「話す」といった行為を十分に行って、境界としての皮膚の感覚を拓いてから「触れる」のでなければならないと教える。

ここまで読んでこられた方は、「当たり前だ」と思われるかもしれない。

しかしたとえば「見る」とはどのようなことをいうのか、考えたことはあるだろうか。私たちは普段、会話をする相手の姿や表情を見ることはあっても、きちんと目を「見つめる」ことは少ないのではないだろうか。看護師の方も、ユマニチュードで「見ることが大切だ」、と教えられると、「当たり前だ。患者のことはよく見ているよ」というような反応が多いという。しかし、それは患者の患部だけを見ていたり、病状や表情を一方的に見ている。あるいは監視しているといったように、観察しているのであって、心の交流を目指して見つめているのとは違うことが多いのではないだろうか。アイコンタクトというように、目を見つめて心の交流を起こすことは、まさに境界の感覚を解くスキンシップの大事な要素だと思う。

こちらはユマニチュードのサイトです。

セラピューティック・ケア

『セラピューティック・ケア(Therapeutic Care)は、1996年英国赤十字社が開発した手技であり、もともとは病気で入院中の女性にとって、メーキャップなどをすることが回復の助けになるとのアイデアから生まれた。』 

タクティールケア

『1960年代、スウェーデンで未熟児のケアを担当していた看護師シーヴ・アーデビーやグニック・ビルシェスタッドらによって考案された触れるケアである。彼女らは母親に代わって、乳児の小さな体に毎日優しく触れたところ、子どもの体温は安定し、体重増加が見られるようになったという。そこで彼女らは触れることの有効性を確信し、経験に基づいてこの技法をつくったという。』

実は、以前マッサージと体重増加についてブログで記述したことがありました。ご参考までにブログリンクさせて頂きます。”医療マッサージ研究1

マッサージからみる共振

『マッサージを受けるのは、どのような施術者でもよいわけではない。前述のように施術者と受け手との間に身体的な共振が起こり、身体レベルでの交流を起こしてくれるような施術者に触れてもらうことで、初めて効果が期待できる。

そのような意味で、単に技術が優れている施術者がよいということにはならない。受け手の境界を拓き、深い部分で身体を共振させ、その結果として心の変化も起こしてくれのが本物のマッサージ師だと思う。だから本当の意味での腕のある施術者は、優れた心理カウンセラーであるといえる。

それはあたかも、赤ん坊が母親の身体を、しがみつくことができ、体温で温めてくれて、両手で抱きしめてくれるものとして認識するのと似ている。他者に対して、境界を拓くことができず、他者の身体に対しても、「近づきたくない」「触れたくない」というような、不安定な愛着を持っている人でも、本物の施術者に触れられているうちに、身体レベルの共振が起こるようになる。そしてそれは温かい心の交流を生み、不安定だった愛着関係も、安定したものに変化していくだろう。

もう一つ、見逃してはならない視点がある。

前述のようにオキシトシンの高い施術者に触れられると、触れられた人のオキシトシンレベルも高まることがわかっている。このようにオキシトシンの分泌量が多く、かつエネルギーも強い施術者であればよいが、逆の関係になることもあるという。すなわち、受け手の「悪いもの」が施術者に移ってくるという現象である。受け手が「悪いもの」(それが何かは科学的に突き止められていないが)を持っており、なおかつエネルギーが強い場合に移ってくるのだろう。仮に共振といった現象が、単に神経学的な現象として起こるのだとしたら、それを防ぐ手立ては見込めない。しかし自律神経や運動神経、そしてオキシトシンといったホルモンもすべて、心と無関係に動いているわけではない。施術者の心の持ち方を変えることで、患者から「もらってしまう」ことを防ぐことができる。』

オキシトシンは”幸せホルモン”などと言われ、テレビの健康番組でもよく登場するキーワードの1つです。検索してみると、”「タッチケアで絆を育む」…安らぎの物質オキシトシン”という詳しい記事が見つかりました。

なお、ページは5ページにわたっています。

まとめ

1.安心される存在、そして信頼される存在になること。

2.施術の基本は、「見つめて、話して、そして触れる」。(”ユマニチュード”より)

3.触れ合いの原点とは、”体温”を守ること。

4.”オキシトシン”や”セロトニン”の活性化は、秒速5cm前後のソフトな軽擦で得られる。

5.豊富な”オキシトシン”で充足されるように、施術者が自らの生活習慣を見直すこと。