西野ジャパン

ついに、尊敬する大先輩の西野さんが監督の頂点である日本代表監督に就きました。大変嬉しい出来事で、一時は少々しぼんでいた日本代表に対する期待も一気に復活しました。西野監督率いる日本代表が予選を突破し、決勝トーナメントでのベスト8を懸けた戦いを観るというのが私の願いです。
「勝てば官軍負ければ賊軍」は監督の宿命ですが、今回はとびきりのプレッシャーが掛かる崖っぷち就任であり、まさに「火中の栗を拾う」という言葉通りの正念場だと思います。
そこで、高まる期待を抑え、まずは頭を冷やして今回の監督交代について考えてみたいと思います。
ハリルホジッチ監督が選手に要求していたのは、「1対1の強さ」、「縦への素早い攻撃」、そして「競争」だったと思います。しかしながら、欧州遠征での未勝利はチーム内の競争を優先し続けた結果、チーム戦術の熟成がほとんど進んでいないという現実を露呈してしまったと思います。また、監督の戦う方針、戦術に対する疑問が選手の中にくすぶっており、監督を信じてチームがひとつにまとまることができないという問題に直面していたと思われます。劇的な解任の理由はこの二つではないかと思います。
「1対1の強さ」、「縦への素早い攻撃」の二つは極めて重要です。しかしながら、特に前者は日本代表の課題、ウィークポイントであって日本の強みではありません。戦いの鉄則は「敵を知り己を知る」に始まりますが、まもるべき鉄則は「自分の土俵で戦う」ということです。
それでも、日本選手が鋭いよみと強靭なメンタル、強い体幹を身につければ、体格の欧州選手、運動能力のアフリカ選手、試合巧者の南米選手とも互角に戦えると思います。しかし、「優る」ことは困難です。
「縦への素早い攻撃」はパスの出し手、受け手、第三の動きが必要です。つまり、この攻撃はチーム内の意識の統一、流れるようなコンビネーションなくして破壊力は生み出せません。もし、選手が監督の戦術に疑心暗鬼なものを抱えたまま戦っているとすれば、この戦術がうまく機能するとは思えません。

そして迎えた大事なガーナ戦
結果は非常に厳しいものになりました。ガーナ戦に勝ってサポーターの熱い声援を受け、戦いの地に旅立つというシナリオは崩れました。
1点目の失点は、相手選手が腰をぶつけてきた反動で前に倒れたようにも見えましたが、反則と判定され相手にFKが与えられました。集中力に欠けていたからなのか、壁の作りが雑で選手間を抜けてきたボールはキーパーの手をかすめてゴールネットを揺らしました。2点目はディフェンダーとキーパーの連係ミスから、勢い余ってガーナの選手を押し倒すことになってしまい、PKを決められ追加点を許すことになりました。
このセットプレーからの2失点は、ディフェンダーおよびキーパーとの連係の精度を高めることで回避できる失点だと思いますが、攻撃面、守備面いずれもセットプレーは重要です。
一方、流れの中で何度かあったピンチの多くは、中盤での簡単なパスミスからのものでした。こちらも非常に重要ですが、私が思うにはポジティブかつ慌てないメンタルと選手の距離間、コンビネーションが安定すればチームとして、またプレーヤーとして自信と余裕が生まれ、それがミスを減らしてくれると思います。
今回の試合で試されたフォーメーションは、1トップ・2シャドウの「3・6・1」と2トップの「3・5・2」、そして従来型の「4・4・2」の三つでした。私はこの中では最初の3・6・1が1番良いと思います。それは前線の3人(1トップ・2シャドウ)、両サイドの3人(1シャドウ・1ボランチ・1サイド)、中央の4人(2シャドウ・2ボランチ)の選手のコンビネーションを高めることにより、数的有利な局面をつくり出しやすいと思うためです。そして、90年代オフト監督が選手に植えつけていた「アイコンタクト」を共通意識のワードとして復活させてみてはどうでしょうか。
3バックはトルシエ監督時代の「フラット3」が印象的でしたが、勝利に2得点が必要と考えれば、ラインを積極的に押し上げ、選手同士の距離間を維持する「フラット3」はリスクもありますが、優れた戦術であると思います。この点も「3・6・1」を推す理由です。

残り3週間、オーストリアでの事前合宿に期待します!!

 

日付が2006年1月17日となっていますので、ガンバ大阪を率いて4年目となった2005年のJ1初制覇をお祝いして、浦和西高OBが企画した会で間違いないと思います。

1995.5.26 アトランタオリンピック アジア地区 一次予選 タイラウンド 

日本 5-0 タイ

 

今井さんを隊長とする西高OB有志4名+奥さま(1名)の5名が、西野U23代表監督を応援すべくタイにとびました。

 

1996.3.24 アトランタオリンピック アジア地区 最終予選。マレーシアのシャー・アラム・スタジアムにて、28年ぶりのオリンピック出場権をかけた、サウジアラビアとの大一番が行われました。

スタジアム内で撮った写真もあったはずなのですが。。。


 

早稲田大学3年生だった西野さんの雄姿です。(1975年秋)

強烈な個性の先輩だらけだった4年生が引っ張ったこのシーズンは完全優勝でした。

番外編(せっかくの好機なので、掲載させて頂きます)

 

西野さんが表紙となった古いサッカーマガジンを今も大事に保管しているのは、実は、この号に私自身の唯一のお宝写真が載っているためです。

僭越ながら、そいつはこいつです。

アメリカW杯最終予選。我々が泊まったドーハのホテルには各国の選手も宿泊していました。何と、このホテルで西野さんにバッタリお会いしました。

※国旗は手前から、サウジアラビア、韓国、北朝鮮、日本、イラン、そして忘れることのできない、イラクです。

朝、ホテル内のレストランから、いきなり出てきたのは、イングランドの英雄、ボビーチャールトン氏。びっくりして反射的におじぎをしてしまったところ、“モーニング”と挨拶して頂きました。

画像出展:「そろそろ記憶が怪しいもので


 

試合観戦は初戦のサウジアラビア戦と2戦目のイラン戦。

こちらはサウジ戦の選手入場です。スコアは0対0の勝点1でした。

付記:西野監督の慰労会

先月29日、さいたま新都心にて、浦和西高サッカー部OBによる、前日本代表監督である西野さんの慰労会が執り行われました。

その慰労会の前には、少し小さい会場で現役部員、男女あわせて約180名を集めての講演も行ったとのことでした。

サインは2次会突入後早々にGetしました。

幹鍼灸院、番のお宝です!