長野式-結合組織活性化処置法

今回のブログは、標治に長野式の「結合組織活性化処置法」を取り入れるため、あらためて勉強したというものです。なお、それぞれの講習会で入手した資料を勝手に使うことは不適切であり、一方、まだ熟読していない本を使って学びたいという気持ちから、長野先生の本を使って進めています。そして、最後に「自序」、「あとがき」、「著者略歴」をご紹介しています。

 

初版は平成5年12月です。

長野先生には、この本とは別に「鍼灸臨床 新治療法の探求 -心に残る診療カルテから-」という著書もありますが、こちらは長野先生曰く「本書は、私がこの道に入って二十五年目から三十五年目まで、十年間に書き留めた断片的な臨床論文である」とのことです。

出版:医道の日本社

長野式とは長野潔先生が確立された鍼灸治療で、鍼灸師の間では「知る人ぞ知る」評価の高い治療方法です。

私は八丁堀の専門学校に通っていた3年間のうち、2年目に「長野式臨床研究会」の基礎セミナーを、3年目に「長野式研究会」の基礎講座を受講させて頂きました。長野式を研修できる現場を求めて、栃木県まで足を運んだこともありましたが、現実のものにすることはできませんでした。このような経緯を経て、卒業後、代々木の日本伝統医学研修センターで知識と臨床力を付けるという道を選びました。

しかしながら、頭をリフレッシュさせる目的で、長野式だったらどのような選択をするのかといったことを考えてみることは有意義だと思っています。
【混ぜるな危険】とは、「色々な治療法を明確な狙いもなく、苦しまぎれにミックスしてしまうこと」ということだと思います。私はこの【混ぜるな危険】を守りながら、長野式の可能性を「標治」の幅を広げる目的で活用したいと考えました。これは、筋肉や結合組織に対するトリガーポイントと同じような位置づけであり、新たな武器を身につけるという狙いです。
日本伝統医学の経絡治療には「本治」と「標治」という考え方があります。本治は治療法の根幹であり、まさに【混ぜるな危険】を守るべき領域です。
一方、標治は患者さまが抱える問題、痛みや凝りなどに対して即効性を優先した治療であり、一般的には筋肉などの軟部組織に刺鍼して改善を図ろうとするアプローチです。そして、標治の基本は徹底した触診により、硬結やスジ、突っ張りや緊張といった変化部位を発見し、そこに鍼を当てにいくというものです。例えば、経絡治療には「阿是穴(あぜけつ)」という、触診で見つける「あっ、それ!」というツボも定義されています。これなども標治の幅を広げるためと考えられます。
以上のことから、「標治」に関しては施術の質を高めるために、トリガーポイントと同様に長野式を有効な武器として加えることは問題ないと判断します。
ただし、長野式の根幹は次のように10個(運動器疾患処置法は4個)の処置法に分かれており、この中で標治に加えて何も問題ないと思うのは「結合組織活性化処置法」です。

1.気流促進処理法
2.水分代謝促進処理法
3.血流促進処理法
4.粘膜消炎処置法
5.自律神経・内分泌系調整処置法
6.免疫機能強化処置法
7.運動器疾患処置法
 1)結合組織活性化処置法
 2)筋緊張緩和処置法
 3)血糖値調整処置法
 4)血管運動神経活性化処置法

「結合組織活性化処置法」は、本の中では126~137ページに説明がされています。今回は現場で使えるものにしたいと思い、表形式にまとめました。なお、項目になっている[刺入(鍼)]の中で、鍼の長さ・太さと刺入の深さについては色をグレーに変えています。これらは個々の体格等を優先して判断すべきものだと考え、明記された数値を参考値という位置づけにしたためです。

表の内容を直感的に把握する目的で、「絵」を載せていますが、ふられている数字は上記の表、左端に出ている連番を指しています。ただし、すべてを網羅できていません。

9・16

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表の中には経穴(ツボ)によって、部位を説明しているものもあります。これに関しては、「イトリズム事典」で、該当する経穴(ツボ)を確認できるようにしました。

イアトリズム事典は、「日本東洋医学協会」監修のもと、人体に数百とある経穴(ツボ)に関する詳しい情報を画像とともに分かりやすく掲載しています。

なお、利用についてはホームページ開設時に使用許可を頂いています。

9  尺沢(シャクタク)
12 風池(フウチ)
12 完骨(カンコツ)
12 天牖(テンユウ)
14 中府(チュウフ)
14 雲門(ウンモン)
15 少海(ショウカイ)
17 四瀆(シトク)
18 承扶(ショウフ)
19 委陽(イヨウ)
20 陰陵泉(インリョウセン)
20 曲泉(キョクセン)
20 陰谷(インコク)
23 風市(フウシ)
24 足三里(アシサンリ)

自序
『私にとって青年時代よりの中心課題は、東西両医学融合体系構築が目標であり、これらのエッセーは、それへのアプローチであった。
その目標に向かって、デカルトによる、身体と心は別々であると云う二元論の理性的・合理主義を基盤とする西洋医学と、人間も自然の一部とする一元論的存在論とする東洋医学を融合させることは、無謀なことと知りながら可能な限りの融合点を見い出し、近代医学で見放された患者を治癒せしめた事実が少なからずある。
この事実を集積することにより、東西両医学の体系構築への確信を持つようになった。この確信なくして私の文章は一行も書き得なかったであろう。
臨床家にとって本を書くということは、至難の技である。先づ、臨床の状況を詳細にカルテに記録しなければならない。数多いカルテの中から特記すべき症例を拾い上げ、症例別に分類を行いまとめてゆくのであるが、一日の診療を終え極度の疲労に達した状態での作業は、身体に大きな支障を来たすものである。
しかし、それを克服しなければ、これまでの治療行為が遠い記憶となり、やがて虚しく消えてしまうものである。従って、余程の診療体制の確立と自分自身の体力の充実という条件がなければ書けるものではない。
過去30年間、そのような恵まれた時間は決して多くはなかった。そのような状況の中で、この本を書かしめたものは、私にとって両医学の融合の成果を、鍼灸臨床に携わる方々に何らかの参考にしてもらえばという思いと、一人でも多くの病人を救うという使命感にも似たようなものであった。
印度仏典を中国語に900巻も翻訳した鳩摩羅什(クマラジュウ)(344-409)の業績や、印度仏教における思弁哲学体系を構築した天台智顗(チギ)(538-597)の偉大な業績を思う時、私の著作は誠に細やかなものであるが、治癒事実の記録という実証主義的エッセイは、私が確信を持って書いたものであり、永遠の過去と、永遠の未来の接点である現在、即ち、今の事実は残すに値するものであるという自負を持っている。
当初本を書き始める頃は、東西両医学融合の治療体系構築のアプローチへの一片の資料になればと夢を持っていたが、振り返ってみれば、私ごとき一介の鍼灸師が個人レベルでは、大それた意図であるということがしみじみと解ってきた。しかし、その夢を忘れることはできなく、私の可能な限りの処置法を構築したいという思いで書き始めた。
臨床においては学理的解明よりも、治癒事実の方が優先されなければならない。いかに学理的解明がなされても、生命が終わってしまえば、もうそれは医療ではない。今日、このような状況が現実として我々の身辺に起こっているということは、近代医学にとって、また、人類にとって大きな不幸ではないだろうか。全身的な、全人格的な回復ということは、何よりも優先されなければならないのである。
局所の病的細胞の修復と改造を目標とする近代医学と、全身的気血の和合を目的とする東洋医学は、基本的に病理概念や或は生命感が違うのであるが、人間の生命が全体と局所、局所と全体が有機的且つ合目的的に、また包括的に生かされているということは、大自然の調和ということと同一のものではなかろうか。
鍼灸臨床拾遺は、ある時期の二年間の臨床の中で特記すべきもののうち、500治験症例をまとめたものであるが、この統計を作りあげるのには並々ならぬ労力を要した。これは鍼や灸の治療対象がどこまで可能か、またどこまでが限界なのかを探求したという気持があってまとめたものである。
治験症例報告は、日常のありふれた一般的な症例(例えばギックリ腰や変形性膝関節症等)は割愛した。しかし、日常的に多く出合う疾病で、西洋医学的方法では難治でも、鍼灸治療では治ったという症例(前立腺肥大や慢性膀胱炎等)、又特殊な経穴を組み合わせて、特殊な疾病を治す事に成功した症例も取り挙げて報告することにした。
私は、私なりに外来臨床に携わっている。西洋医学と東洋医学を複眼として、西洋医学的な一つの暗示を受けて東洋医学的治療法を行い有効であったことが多い。例えば慢性膵炎による痛みは、X線による間接照射、副腎皮質ホルモンでしか痛みが取れないということに対して、足の腎経の「照海」と同じく「兪府」に鍼をすることによって痛みを消失させることができた。
このように両医学の視点から考え、治療を試みて成功したのであるが、何故痛みが消失したかという作用機序の理論的解明は、推論の域を脱し得ないのが残念である。臨床家は病人を治すということが目標であるので、理論的解明は二次的にならざるを得ないのは、止むを得ない事である。
今後、鍼灸医学の進歩発展のためには、公的な東西医学の共有する場を持ち、共通する学術用語とその意味づけが早急に検討・統合されることが必要な時機に来ているものと考える。なおこのエッセーは未完不備なものであり、独断と偏見に満ちているかも知れないが、少なくとも私の臨床経験というフィルターを通してのものであり、決して虚構と偽証のものではないことだけは明記しておきたい。
また、このエッセーが、鍼灸家の臨床研究の資料として、いささかのお役に立ち、高齢者人口の増加する今日的状況の中で、近代医学的治療の補足補完的な真価を発揮し、慢性的に苦しみ迷う患者層の、道しるべの布石のひとつともなれば望外の幸である。』

あとがき
本書は一口に言って私の45年にわたる鍼灸臨床生活の総集編とまではいかないが、その要諦であり大半である。
1980年迄の10年間、医道の日本誌に「更年期障害の臨床」「心に残る診療カルテから」「鍼灸臨床備忘録」「鍼灸治療室」など10年間にわたって寄稿させて頂いた。
それから文字を書けないまでに視力を喪失してペンを置く事7年、1988年、幸いにも有能なアシスタントとの出会いを得て私の最終的な目標である東西医学融合大系構築へのアプローチとしての成果を書こうと決心したのである。
1988年10月から今日迄、即ち1992年12月まで、4年間に亘って脳裡にたたみこんで来た「処置法」の大系を口述筆記で24万字にわたって書き綴ったのが本書である。
文字が書けなく分文脈がなかなかおもうにまかせず、前後したり、重複したり、或いは書き落としたり、書き足りなかったり、様々な困難に遭遇してきたものの、なんとか鍼灸臨床体験を通して貯えて来た治療大系を私なりに構築し得たと思っている。もちろんこれは広汎な医療のジャンルでその一部にすぎないのであるが、私にとっては全生命を絞りきった思いである。

振り返って1955年、杉靖三郎教授の「ストレス学説」の講義を拝聴し、それが何故か私の心奥にとどまり、加えて藤田六朗博士の「筋主因性流体波動通路膜系理論」等を習得した。
1974年、耳鼻咽喉科院長の岩下博士との出会いや、札幌医科大学耳鼻咽喉学科の形浦昭克教授の「扁桃とその臨床」という著作に出逢い、扁桃の機構とそのもつ機能と中国の「気」の医学説とが私の中で渾然となり、東西両医学構築大系への夢を現実的なものへと芽生えさせてくれた。
とかく「気」を本質とした経絡学説は、形而上学的思想そのものや或いは思弁哲学的思想そのものと誤認されたりして来たが、これは決してその様な思想そのものではなく、思想化されやすい傾向をもっているにすぎないものであって普遍的に誰もが感得しうる実在的、具象的なものである。
「気」の実在は主客の相対的次元を超えた万人誰もがもつ生命そのものの本質である。
二千数百年の歴史をもつ「気」を中心にした存在論をもつ中国医学は、連綿と伝承されてきたそして多大な成果を挙げたという歴史は私をも含めて厳然たる真実である。
東西両医学の融合という事は近代医学と東洋医学は、ホリスティック医学のカテゴリーの中に包括的に位置づけられこれからの医療にたずさわるものの常識的なものとなってゆくであろう。
東西両医学の融合はただ単に我が国だけのものではなく、世界に共通する医療として志向されなければならないと思う。』

著者略歴
1925年 大分県大分市鶴崎に生まれる。
1948~1952年 大分県立病院理学療法室勤務
1952~1957年 東京教育大学に学び後、大分県立盲学校理療専攻科にて教鞭をとる。
1957年 鍼灸院を開院。大分県鍼灸師会学術部長。同鍼灸・柔整等試験委員・同審議委員等を歴任。
1979年 日本赤十字社金色有効賞受賞。
1982年 大分市より優良技能賞受賞。
1988年 ㈳大分県鍼灸師会会長を3期6年間務む。
1988年 厚生大臣賞受賞
1989年 日本赤十字社社長賞受賞
2001年6月 死去