浦和西高30年ぶりのインターハイ出場決定

1987年はハンディタイプの携帯電話やアサヒスーパードライが発売された年だった。そして、インターハイの開催地は北海道、冷夏がきつかったという。

 

今では考えられない、ハンディタイプとされた携帯電話。

画像出展:@DIME

現在の埼玉県の高校サッカーは関東大会を制した昌平、正月の全国高校選手権でベスト8に進んだ正智深谷、Jリーガを輩出している西武台、そして古豪となった武南、この4強と西高との差は小さくない。10回試合して3勝するのは難しいだろう。
しかし、公式戦のトーナメントは別物である。それは、敗北の瞬間に目標を失うというプレッシャーを背負って戦っているためである。すなわち、相手に先制点を許す展開は、それが後半であるなら、
なおさら、時間の経過とともに焦りが出始め、その混乱が自らの攻撃のリズムを崩してしまう。ここにトーナメントの怖さ、落とし穴が存在する。
24日の試合展開は西高にとってベストであった。西高が格上のチームに勝つ流れで試合は進んでいった。前半はスタートから西武台が攻め込む時間がながく、決定的とまではいかないが、シュートが正確であれば2点は失っていたと思う。
失点シーンを免れた西高のディフェンスは落ち着いて守備に集中できるようになり、相手の攻撃のリズムにも慣れてきた。我々が戦っていた約40年前の西高も、相手に攻撃させるのが西高ペースと開き直り、「点さえ取られなければいいんでしょ。そしたら、1点取れれば勝てるよ。」という、学生らしくない合理的な試合をしていた。その雰囲気が今日の西高には少しあった。

関東大会予選準決勝の昌平戦は、前半は0対0で持ちこたえたが、後半1分もたたずに失点してしまい、勝利のシナリオが崩壊してしまった。
今日は何としても、5分、10分は耐えなければならないと願っていたわけだが、選手も昌平戦の経験を活かしていた。慌てることが少なく、また、チームの意識が統一され、カバーリングなどチーム全体のディフェンスの連携もできていたと思う。
そして、意外にもこの時点帯に西高がPKを決めてリードする展開になった。西高は押されながらも時折、圧力をかけ果敢に攻めに出ていった。実は西武台とは今年の新人戦の準々決勝で戦っており、負けはしたがスコアは0対1であり、選手も「戦える」という気持ちで臨めていたと思う(少し前の西高は西武台とは0対5位のスコアで負けていた)。その気持ちが本気の反撃になっていた。
後半の最大のピンチはヘディングシュートだったが、ボールは右ポストのやや内側に当たり、運よくキーパーの手に収まった。その際、負傷したキーパーの治療のために5分近く中断したのだが、その予期せぬ休息タイムによって、西武台の選手の集中力がわずかに下がり、疲労が現れたような印象をもった。
そうして、ついに6分のロスタイムに投入、嫌な感じのセットプレーもしっかりディフェンスし、勝利は西高のものとなった。
明日の決勝は昌平である。結果、内容とも関東大会予選準決勝の時より良くなっていなければならない。インターハイに向けての初仕事という高いモチベーションを持って戦ってほしい。

(写真は試合前の挨拶とKickoffのホイッスル&西高ベンチ。後の建物は埼玉スタジアム2002)