怪我の連鎖を考える

小学6年生の夏までは怪我知らずでした。

怪我がサッカーの邪魔をし始めた最初の出来事は、膝下の脛骨粗面の軟骨が過度な運動等により炎症し隆起する、オスグッド・シュラッテル病でした。これは成長期によくみられるものです。


それ以降、特に大学の4年間は練習できたのは半分以下だったように思います。選手として全く情けないものでした。

何故、これほど怪我をすることになってしまったのか、この悪しき経験は同じような境遇の選手には参考になることもあるだろうと考え、自分なりに背景や原因などを考え整理してみました。

 

抽象的ではありますが、下記がまとめた内容です。
問題点は、「怪我に対する意識の低さ」、「精神のアンバランス」、「肉体のアンバランス」の3つです。対策は青色で囲ったなかに、それぞれ3点ずつ書いていますが、要約すると「客観的に自分の体と心を把握」し、「客観的にチーム内で今、自分は何をすべきか」を理解し、納得し、そして行動することだと思っています。

なお、参考までに主な怪我の既往歴をご紹介させて頂きます。
1.1970年:12歳(小学6年生)
 ・オスグッド・シュラッテル病

  ・整形外科にて、先生に「何か効果のある治療法はないですか?」と質問したところ、

   「問題の軟骨にドリルで穴を開ける手術があるが。。。」
   とのお話があったため、特に迷うこともなく、その手術を行いました。

   当然、麻酔はかけられたのですが、その痛みは大変なもので、激痛にランクされる痛みだっ

   たと思います。

   手術後の状態はあまり変わらず、筋力低下が1番の原因と思いますが、中学1年の50m走では

   身長が5cm程伸びたにも関わらず、1年前より0.4秒遅くなってしまいました。

   また、その後の怪我との関連性は不明ですが、怪我の連鎖に足を踏み入れてしまったことを
   考えると、この手術は良い選択ではなかったかも知れません。
  ・ちなみに、オスグッド・シュラッテル病は大腿四頭筋の筋疲労の状態が長く続くことが原因

   となるので、鍼灸治療で大腿四頭筋中心に、裏面のハムストリングスや腰殿部の緊張を緩め

   ることにより予防ができます。

 

2.1975年:17歳(高校2年生)
 ・足首のくるぶし(内果)の骨折(ヒビ) ※多分左足(通常左足着地なので)

  ・サッカーの試合中、ヘディングで着地したときに、「バキッ」と音がしてプレー続行不能に

   なりました。
   捻挫の経験はあったため、「この痛みはヒビだな。」と恐れつつ、近所の整形外科でレン

   トゲン写真を取ったところ、「捻挫だね。」と一言。心の中で「それはないだろう!」と

   意外な診断にびっくりし、翌日、電車で15分程離れた少し有名な病院(多分、西川口だった

   と思います)で診て頂いたところ、「骨折」とのことでした。
   この時、「お医者さんも絶対ではないのだ。」ということを知りました。

 

3.1975年:17歳(高校2年生)
 ・右足大腿二頭筋(太ももの裏面外側)筋断裂

  ・数々の肉離れを経験しましたが、音を感じたものはこれだけです。
  ・この怪我はおよそ縦横2x1cm程のしこりとして長い間、思い出のように存在していました

   が、代々木の研修生時代に仲間に運動鍼(数本刺鍼した状態で、他動で数回筋を動かすとい

   う手技。他動とは施術者が行うもので、患者は脱力し筋肉に力を入れることはしません)を

   やってもらい、ほぼ、なくなりました。このように肉離れ等の古傷はかなり改善できます。

 

4.1979年:21歳(大学2年生)
 ・右肩関節脱臼

  ・高難度の筋トレを1度成功させ、調子にのって2回目を行ったところ、何と脱臼!

   「肩がねぇ」と大笑いしているチームメートに連れられ、自分の左手で右肘を固定しながら

   近くの整形外科に歩いて来院。麻酔注射を打たれ、無事元におさまりました。

   愚かな行為を深く反省しました。

 

5.1980年:22歳(大学3年生)
 ・左膝前十字靭帯断裂

  ・左サイドからカーブをかけて低い軌道のセンターリングの練習中に、キック直前でボールが

   イレギュラーバウンドし、左足にわずかに当たるもほぼ空振り状態となり、負傷、あまりの

   痛さにグランドを転げまわってしまいました(痛みには自信があったのですが)。
   1、2年前の膝の内側側副靭帯損傷の時と異なり、3日、4日と日がたっていくと腫れも徐々に

   引いていき、痛みも大したことがなく「これは軽症だったのでは?」と期待してしまい、

   確か2週間程度で練習を再開しました。しかし、激しくクイックな上体の動きに足がついてい

   けず、膝をひねってはグラウンにうずくまるという情けない事態を繰り返す結果となってし

   まいました。

   このことにより、前十字靭帯が切れているのだろうということを覚悟しました。
   当時は十字靭帯断裂の場合、復帰はできて1年という状況であり、この怪我が大学3年の夏の

   終わりだったため手術するという選択肢はなく、また、将来医学が進歩すれば、優れた手術

   方法で、それ程入院することなく完治できる日が来るだろうという思いも少しありました。
   ちなみに、手術は13年後の1993年、原因は半月板損傷でまともな歩行ができなくなったた

   め、膝の権威であった横浜港湾病院の高沢先生に半月板の部分切除と問題の前十字靭帯の再

   建手術を実施して頂きました。

   入院は3週間で13年前に比べ、手術による切開の大きさは1/3程度で済んだと思います

   (友人比較)。
   なお、靭帯断裂後もテーピングをして、都リーグに加盟している自分の会社のチームでサッ

   カーを続けていました。
  ・トレーナーなどが充実した現在では、このようなお粗末な話はないと思いますが、受傷時は

   激痛だがその後は比較的順調と感じた時は、靭帯にしろ腱にしろ完全に切れていると考えた

   方が良いと思います。 

大昔の1993年5月でしたが、既に35歳になっていました。横浜港湾病院は有名なスポーツ選手が数多くお世話になっており、私が入院していたときは、プロスキーヤーの木村公宣選手がいて、術後のリハビリ期間にもかかわらず、相当な重量のバーベルをかついでスクワットをガンガンやっていました。

また、部屋にはサーファー、プロスキーヤー、バレーおよびバスケの実業団選手、そして中学生(体操)がいて、不思議な雰囲気の楽しい入院生活でした。