鍼灸の歩み

石器時代、中国で生まれた鍼灸
 石器時代、狩りの途中で尖った石や植物のトゲで、体表を傷付けてしまったり、出血したりすることで、本来あった痛みが偶然楽になるといった現象が度々起こりました。そして、同じような現象を何度も経験することで、この現象に人々は関心を持つようになり、石のかたまりなどを使って体表を刺激すると痛みが軽減することを徐々に覚えていきました。
 新石器時代に入ると、人々は研磨技術を身に付けるようになり、かなり精巧な刺鍼治療用の石器を作り始めました。それが「砭石(へんせき)」と呼ばれる鍼具です。砭石は刺鍼治療用に使うだけでなく、感染によって化膿した局所を切開し排膿させるなど外科疾患にも積極的に使われるようになりました。これらの道具は「鍼石」、「鑱石(ざんせき)」などと呼ばれています。製作技術の進歩に伴い、動物の骨、竹木、陶土などが使われるようになりましたが、これは砭石に比べると細く加工しやすく、刺鍼道具に適していたからです。このことは古典に多数記載されています。 

 石器時代に生まれた鍼灸の原理原則は紀元前1000年頃、つまり周時代にまとめられたと考えられています。現存する最古の中医学書の一つである「黄帝内経」が完成したのは、紀元前4世紀から紀元後2世紀頃の話で、中国では戦国-漢時代、日本では縄文-弥生時代に当たります。そして、これより鍼灸は長い長い歴史を刻み続けていくことになりました。
 中国では清から中華民国初期において、大きな変革が起こりました。それは近代主義者が国家の近代化として、伝統医学を否定するという動きです。そして1914年、ついに中国伝統医学の廃止が宣告されました。この後、中国伝統医学の再検討が提唱されるようになる1950年まで、36年間にわたり表舞台から姿を消すことになりました。

 

中西医結合(中国伝統医学と西洋医学の結合)
 1914年の中国伝統医学の廃止後、困難な時代が続くなか、伝統医学が再認識される歴史的な事件がありました。1934年、中国共産党軍は国民党軍との戦闘において、民間の医師が行う鍼灸治療や中薬(漢方薬)に助けられたのでした。これにより、中国伝統医学が再評価される機会を得ることができたのですが、廃止から36年間という長い年月のため、残念ながら昔の体系立った伝統医学は既に失われてしまっていました。


 茨城大学人文学部教授の真柳先生は「現代中医鍼灸学の形成に与えた日本の貢献」という著書の中で、次のように解説されています。

 『日本は中国で失われた多くの古医籍や善本を保存し、現代に伝えている。それらに基づき江戸末期まで高度な古典研究がなされ、明治以降は近代医学を導入して鍼灸の研究と教育方法が体系化されてきた。一方、鍼灸療法は清朝後期に廃絶政策が実施され、中国の鍼灸は中華民国初期にほとんど壊滅状態にいたっていた。さらに民国政府は中国医学を廃止しようとした。しかし中国伝統医師達は日本の研究成果も援用した反対運動を行い、中国医学は存続された。また承淡安が日本から導入した鍼灸医学と教育方法は、新中国以降に中国鍼灸学が復興する礎となった。このような背景により形成された新たな中国医学が、いま日本に再び渡来している。過去の歴史は今後の歴史に連なるのである。』


 1966年から毛沢東によって推し進められた文化大革命は、教育分野においても変革の時でした。毛沢東は1950年から動き出した伝統医学を後押しすべく、伝統的医学復興を国策として行い、失われた中国伝統医学を「中医学」として再興しました。そして、現在では、西洋医学を行なう医師と伝統医学を行なう中医師の二つの医師資格が確立されるに至っています。

 

日本への伝来
 鍼灸が日本に伝来したのは6世紀とされています。また、公的に日本の医学として採用されたのは奈良時代以前のことで、701年(大宝元年)に制定された大宝律令の医疾令がそのことを示しています。医疾令には鍼師、鍼博士に関する事が記述されており、当時の鍼灸教育の概要を知ることができます。
 江戸時代には学術書が多数編纂されています。また、元禄期には管鍼法(鍼管という管を使って刺入する方法)を発明した杉山和一が、将軍綱吉の庇護のもとで盲人に対する鍼灸の教育制度を確立させています。そして、江戸末期には鍼灸医学の教科書ともいえる「黄帝内経素問」「黄帝内経霊枢」などの詳細な研究も行われていました。 

 

  二つの存続危機       
 明治時代になり近代化の大きな流れの中、西洋医学が急速に浸透していくと、従来の鍼灸や漢方などの伝統医学は最初の存続の危機に立たされましたが、この最初の危機では、「盲人の営業資格」という位置づけで何とか残すことができました。
 2度目の存続危機は戦後です。それは米国GHQが鍼灸は軍国主義に基づくものではないかと考え、禁止しようとしたために起こりました。GHQ側の認可条件は、教育(学校)、免許制度、科学化、衛生面の4つでした。特に教育に関しては、西洋医学と同じ6年制大学による教育制度の確立を要請しましたが、多くの鍼灸師の強い抵抗などにより、高校卒業で3年制の学校という妥協案で決着しました。

 なお、当時GHQとの交渉の矢面に立っていた岡部素道氏は、「交渉は一方的な質問であり、取り調べのようだった」ということを、最後の内弟子となった相澤良先生に伝えられています。     

 

 世界の中の鍼灸 
欧米への伝来
 イギリス、ドイツ、フランスなど欧州では日本と同じく、6世紀初頭に旅行者やイエズス宣教師によってもたらされたと考えられています。一方、米国における鍼灸は16世紀後半にイエズス会や東インド会社を通じて伝わるとともに、主にフランスやイギリス人の医師により行われました。そして、米国の医師が行うようになったのは19世紀初頭になります。

 

米国での鍼灸

 2006年ということで古いものにはなりますが、医師でありながら米国で鍼治療を実践されている中澤弘先生が全日本鍼灸学会雑誌2006年第56巻1号に寄稿された「米国での医師の鍼事情」、その中から「アメリカにおける鍼医療発展の背景」の部分を抜粋してご紹介します。私事ですが、2011年、通っていた東京八丁堀の専門学校で、中澤先生の講演および鍼治療の実演を生で拝見する機会があり、その全てがパワフルなことに圧倒された思い出があります。

 なお、全文をご覧になりたい場合はJ-STAGE https://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja/ 右上の「詳細検索」をクリックし、詳細検索画面にて、著者:「中澤弘」、全文:「鍼灸」をタイプし検索頂ければ出てきます。


「米国での医師の鍼事情」
1. アメリカにおける鍼医療発展の背景
 20世紀の初め、私の地元メリーランド州ボルチモア市のJones Hopkins医学部教授で有名なウィリアム・オスラーが著 "The Practice of Medicine"に鍼が腰痛に有効であると書いている。その後半世紀に渡って鍼のことは何も余り載っていなかったが、1970年代に入って急激に鍼医学が浮上した。次のイベントは米鍼医学の発展と進歩に関わっている。
 第1に、1971年、ニューヨークタイムスの記者ロストンが北京に入り虫垂炎手術後の痛みが鍼によって和らいだという記事を掲
載したことである。当時中国は閉ざされた世界で人々は彼が入国したことはもちろん、鍼が痛みに有効だということで鍼への一般の関心が高まった訳である。当時は鍼も灸もアメリカの西海岸などごく一部のみで使われていた。また当時医療費が毎年高騰(国家予算の14%)するなか、麻薬中毒患者の医療などにはわずかな予算であっても有効なことがわかり、政府も注目し始めたの であった。
 第2は1992年国立衛生研究所(National Institutesof Health: NIH)代替医療局(Office of AlternativeMedicine: OAM)が2億円の予算で発足し、翌93年にはハーバード大学のD.アイゼンバーグの有名なレポートが出たことである。当時のFDAの発表では、当時100万人が鍼治療を受け、5億ドル(500億円)を支払っていた。

 また、1万人の鍼治療者がいて、1500万人が一度は鍼治療を受けたことがあり、1000以上の麻薬中毒者の治療施設がある。ちなみに医師の鍼治療者は2000人くらいかと推定される。

 さて、同教授はその年最も権威のあるNew England Journal of Medicine (NEJM)に「アメリカにおける代替医療」を発表し、初めて私たち一般医師の注目を浴びた。その内容は次の通りである。
 (1) 3分の1の回答者が代替医療を受けた経験がある。
 (2) その3分の1は常連で、年間平均19回の治療を受けている。
 (3) 年齢は25から49歳までで、高学歴、高収入者が多い。
 (4) 回答者の4分の3は自費払いをしていた。
 (5) 85%は一般医師の治療を受けているが、72%は医師に代替医療を受けている

   こと、受けたことは知らせなかった。


 この中で、自費払いが多かったことは国民の自己健康管理意欲の現れであり、また、「もうひとつの治療」への関心と期待をあらわしているものとして、私たち医師への警告として受け止められた。

 私のメリーランド州医師会には、代替医療研究会が発足し、私も参加したが、私自身これに非常な興味を持ってのめり込んで行ったのである。ちなみに、私は1990年からニューヨークの指圧学校で勉強し1993年からUCLAのヘルムス教授の医師のための鍼灸学校に忙しい外科開業の間を縫って本格的な勉強を始めた。このアイゼンバーグの論文に加えて1998年および今年とそのフォローアップがなされているが、現在3分の1の国民が補完代替医療(CAM)を使い(鍼は10%足らず)、4兆円余りが使われており、彼自身25年前中国に初めていったときでは全く考えられなかったほどの違いに驚いている。ちなみにOAMは10年後の2002年にNational Center of Altemative and Complementally Medicine (NCCAM)となり、予算では150倍の300億円となった。
 さて、第3の何と言っても最大のイベントはNIHによる1997年11月の鍼の合意声明であろう。NIHはもともと医学医療改革への提言をする目的で1887年に設立されたのだが、一部のマスコミではこの声明が「NIHが正式に鍼の効用を認めたもの」と報道したのである。しかし、これは実は政府の正式の声明ではなく会議参加者を含めた各医学専門家によるパネル(審査団)が、これまでの知見に基づいて鍼灸の将来的発展を視野に入れてまとめた独立した声明であった。医道の日本誌(1998年2月号)の訳をお借りすると、その要旨は以下のようである。
 (1) 評価に耐えうる十分なデータに基づきプラセボや偽鍼と比較したとき鍼は効

   くと言えるか。
 (2) 十分なデータのもとで、様々な病状を治療する際に他の治療法(無治療を含

   む)と比べて、あるいは組み合わせて、鍼の効果はどうであるか。
 (3) 鍼を保険適用とするためにどのような問題に取り組む必要があるか。
 (4) 今後の研究を続けていくこと。


 その「結論」として、
 1) 術後の薬物療法時の吐き気、歯科の術後痛に鍼が有効であるという有望な結

   果がでた。
 2) 薬物中毒、脳卒中のリハビリテーション、頭痛、月経痛、変形性関節症、腰

   痛、手根管症候群、喘息などには有効性があるが、科学的データは少ない。
 3) 鍼導入は初期段階であるが、社会的に機は熟している。鍼には将来の医療に

   組み入れて活用したり、今後もその生理学や臨床応用を研究する価値がある

   ことを示す証拠は十分にある。
 4) 最後に座長のラムビイ博士は「西洋医学の中に信頼できる治療選択の一つと

   して鍼治療を受け入れるかどうかは、さらなる綿密な研究にかかっている」

   と述べた。

 
 以来、年々NIHを通じて鍼を含む代替医療に対するエビデンスを得るためのグラント研究費は急増し、各地の研究所や大学院研究班による論文も蓄積され(RCT関係だけでも1200以上)、その内容はインターネットでいつも見ることができるようになった。
また、政府の新しい試みとして、ホワイトハウス主導の代替医療への支援会議がこの2年間各地で行われてきた。国民の要望に応えて医療政策や予算配分にと素早く具体化するアメリカの動きには目を見張るものがある。

 

中澤弘氏プロフィール
1932年高崎市に生まれる。1956年千葉大学医学部卒。横須賀米海軍病院を終了後渡米、ボルチモア聖アグネス病院で一般外科の レジデントを終了し、当地で開業。日本人として米国における初めての医師会長(ボルチモア市、会員1800名)となった。姉妹都市などボランティア活動により、レーガン大統領にホワイトハウスで「輝けるアジア系人」として表彰される。1995年から鍼医として開業、前アメリカ鍼認定医学会(ABMA)会長、現AAMA副会長。