数学と量子力学/物理学

またまた身の丈を超える本に手を出してしまいました。原因は今回勉強した量子論です。その昔、“産業の米”と言われた半導体は、量子論というミクロの世界を正確に描くことができる理論によって生み出されました。科学に明るくない私が言うのは適切ではありませんが、量子論は人類の進歩にとって最大の発見といっても良いのではないかと思います。

そして、量子論は“数学理論”だということです。“シュレーディンガーの方程式”はその中でも最も注目されるものだと思います。

なお、量子論とは“考え方”や“思想”であり、量子力学とは“量子論に基づいて物理現象を記述するための数学的手段”と言われています。あまり良い例えではありませんが、「量子論が“拳銃(器)”、量子力学が“実弾(中味)”」というイメージです。

理系の受験科目の一つとしてしか見てこなかった私ですが、「数学恐るべし!」、「数学とはいったいどんな学問何だろう?」という思いが大きくなりました。また、それを知ることができる良い本はないだろうかと探しました。こうして、今回の本を見つけました。 

著者:ティモシー・ガウアーズ

出版:岩波書店

発行:2004年6月

目次

はじめに

1.モデル

2.数と抽象

3.証明

4.極限と無限

5.次元

6.幾何学

7.概算と近似

8.数学に関するよくある質問

裏表紙にはこの本の概要が書かれています。

『数学を組み立てる考え方とはどのようなものなのでしょうか。いったい数学者はどんなことを考えているのでしょうか。よく「数学は抽象的な学問だ」と言われますが、それは決して、数学が謎めいた秘義であるという意味ではありません。抽象とは、自由に考えるための道具立てなのです。考え方のコツをつかめば、「無限」や「26次元」などといった用語は不可解なものではなくなります。数学界でもっとも栄誉あるフィールズ賞を受賞した著者が、数学を支える重要な考え方を紹介します。数学をむずかしいと思う「壁」がきっと取り除かれることでしょう。』

“数学”を取り上げたのは“量子論=数学理論”だからです。そして、量子力学を牽引する極めて重要なシュレーディンガー方程式ですが、その一部の波動関数ψ[プサイ]の正体は未だに明らかになっていません。つまり、数学的には問題ないが物理学的には問題を残す。ということのように思います。

その波動関数について、マックス・ボルンが1926年に提唱したのが“波動関数の確率解釈”です。

 

画像出展:「ウィキペディア

この“波動関数の確率解釈”の“”は明確に二分されました。

”の立場をとった中には、シュレーディンガーをはじめ、ブロイプランクなどの量子力学の発展に大きな貢献をした物理学者も含まれていました。また、“光量子仮説による光の粒子と波動の二重性”を唱えたアインシュタインも反対の立場を取りました。その背景にあるものは、自然現象を表す物理学は決定論でなければならないという、ニュートン以来の物理学の大前提でした。

この、“波動関数の確率解釈”の“是非”の概要に迫ることは、数学と物理学(量子力学)の関係を知るうえで大切であると考えますので、ブログ“量子論1”でご紹介したものを再登場させ、それに追加するかたちで進めていきたいと思います。

著者:佐藤勝彦

出版:PHP文庫

発行:2000年4月

 

この本の「3章 見ようとすると見えない波 ◆ミクロの世界の物理法則が明らかになる」の部分をご紹介します。

『さて、3章でもさまざまな話をしてきました。最後は例によってこの章のポイントをおさらいしておきましょう。

①原子中の電子の軌道半径がとびとびの値に限られるというボーアの量子条件の根拠を示すために、ド・ブロイは電子を波であると考えて、その波長を求めた。

②シュレーディンガーは電子の波を表すシュレーディンガー方程式を導き、電子の「とびとび」のエネルギー状態などの説明に成功した。

③しかしシュレーディンガー方程式が示す波動関数ψ(プサイ)、すなわち電子の波(これは複素数の波である)の正体はわからなかった。

ボルンは波動関数ψそのものが何を表すのかを考えずに、代わりにψの絶対値の二乗が、電子をその場所に発見する確率に比例することを見いだした(「波動関数の確率解釈」)。

⑤ボーアたちは、観測される前の電子はさまざまな位置にいる状態が「重ね合わせ」になっているが、私たちが電子を観測したとたんに「波の収縮」が起きて電子は一ヶ所で発見されると考えた(「コペンハーゲン解釈」)。 

こうして1920年代に、原子中の電子が示す不思議な現象をきちんと説明できる理論を、私たちはついに手にすることになりました。そしてその結果わかったのは「電子などミクロの世界は、私たちが知っていた物理法則とはまったく違うルールに支配されていたのだ」ということです。

その新たなルールの第一は、シュレーディンガー方程式に代表される波動力学(量子力学)です。ミクロの世界の物質は、それを「波である」と考えることでふるまい(動きやエネルギー)などを求めることができるのです。

そしてもう一つのルールが「確率」です。私たちが電子を発見する場所は、サイコロを振って決められるかのように、確率的に決定されるというのです。』 

シュレーディンガー方程式は量子力学の基本となる方程式であり、図に示すような形をしています。古典物理学の中には、音波や電磁波などの波が周囲に伝わっていくようすを表す波動方程式というものがあります。シュレーディンガー方程式はそれに似ていますが、さらに複雑なものになっています。

画像出展:「量子論を楽しむ本」

 

こちらは、波動力学の基礎方程式を発見したときのシュレーディンガーのノートです。

画像出展:「波動力学形成史」

 

こちらは1926年6月21日~26日に行われたチューリッヒでの会議後に若いヒュッケルを中心につくられたという詩です。

計算どっさり、エルヴィンさんが

波動関数とやらでなさるけど、

さて、わからんことが一つある

波動関数とは何なのか?

画像出展:「波動力学形成史」

 

今回はこの“◆ミクロの世界の物理法則が明らかになる”の次に書かれていた“◆確率解釈に反対したアインシュタインたち”もご紹介します。 

ここで問題になるのが、二番目のルールである「確率」、すなわち波動関数の確率解釈です。プランクやアインシュタイン、そしてド・ブロイやシュレーディンガーなどのそうそうたるメンバーが、この確率解釈に異議を唱えました。

波動力学を創始した当人であるシュレーディンガーはもちろんのこと、プランクやアインシュタインが「第一のルール」を認めていたことは、118ページでも触れたとおりです。118ページとは『この方程式を解けば、物質がどんな「形」の波を持ち、その波が時間の経過とともにどのように伝わっていくのかが計算できます。シュレーディンガーはこの方程式を用いて、水素原子中の電子のエネルギーがボーアの量子条件のとおりに「とびとび」になっていることを示しました。シュレーディンガーの論文は、プランクやアインシュタインからただちに絶賛されました。このシュレーディンガーの理論は波動力学と呼ばれ、ミクロの世界の運動法則を記述する量子力学の基本の理論になったのです』

しかし二番目のルールである確率解釈には激しく抵抗しました。なぜなら確率などという原理を物理学の中に持ち込むと、物理学はもはや「決定論」ではなくなってしまうと考えられるからです。

「物理学を決定論と考える」とは、簡単に言うと、過去のある時点の条件がすべてわかれば、その未来はただ一つに決定できると考えることです。たとえば、手に持ったボールから手を離したとき、ボールがどんな運動をするのかは、ボールと地面の距離や地球の重力の強さなどを知ることで正確に予測できます。同じように地球が明日、太陽の周囲を回る公転軌道の中でどこにいるのかも、太陽の重力や太陽と地球の距離を知ることで間違いなく計算できるのです。

ただしボールを地面に落とすとき、突然風が吹くかもしれません。一時間後に小惑星が地球に衝突して、地球の位置を変えてしまうかもしれません。しかし、そうした要因をもしすべて知ることができたならば、未来はただ一つに決められるというのが、決定論的な考え方です。そして自然現象を表す物理学は決定論でなければならないというのが、ニュートン以来の物理学の大前提だったのです。 

B点という位置における波の振幅が、A点における波の振幅の二倍になっているとします。この時、実際にこの電子を観察すれば、電子がB点において発見される確率は、A点において発見される確率の四倍(二の二乗=四なので)になるのです。

またD点における波の振幅は、A点と同じ大きさなので(「高さ」と「深さ」の区別は不要で、大きさつまり絶対値だけでだけを見ます)、発見確率も同じなります。これに対して、C点における波の振幅はゼロになっています。この場合、電子がC点という場所で発見される確率はゼロになるのです。

このように私たちが「ある場所」に電子を発見するかどうかは、その場所における波の振幅つまり波動関数ψの値によって左右されることになります。ψの絶対値が大きい場合ほど、そこに電子を見つける可能性が高いのです。

画像出展:「量子論を楽しむ本」 

写真は後列右から6人目がシュレーディンガー。中央の列右端がボーア、その左隣がボルンブロイ。前列右から5人目がアインシュタイン

第五回ソルヴェイ会議

・期間:1927年10月24日~10月29日

・場所:ベルギー ブリュッセル

・講演

 ・W.L.ブラッグ:X線の反射強度

 ・A.H.コンプトン:輻射の電磁理論と実験の不一致

 ・L.ドゥ・ブロイ:量子の新力学

 ・M.ボルン,W.ハイゼンベルク:量子の力学

 ・E.シュレーディンガー:波動の力学

 ・N.ボーア:量子仮説と原子論の新しい発展

『この回のソルヴェイ会議は主題に“電子と光子”を掲げていたが、議論はおのずと量子力学の解釈にむかい、それをめぐって沸騰した。量子力学のあたえる自然の記述は完全であるかとアインシュタインが問い、ボーアに迫った。彼等の晩年まで続く論争は実にこの会議にはじまったのである。

画像は「シュレーディンガー その生涯と思想」より、文章は「波動力学形成史」より。

こちらは、ボーアとシュレーディンガーの討論(p206)”、シュレーディンガーの”波動関数の確率解釈”に対する考え(p203)”、そして”量子力学の成立(p207)に関して書かれたページです。大変興味深いので抜粋してそのまま貼り付けました。

著者:K.プルチブラム

出版:みずず書房

発行:1982年3月

副題として”シュレーディンガーの書簡と小伝”と書かれています。



非常に長い前置きになってしまいましたが、上記の内容を頭の片隅に置きながら、今回の『一冊でわかる 数学』の中から、理解ができて、数学と量子力学/物理学のつながりに関係すると思われる部分をご紹介します。目次でいうと一つは「1.モデル」から、もう一つは「7.概算と近似」からになります。

著者:ティモシー・ガウアーズ

訳者:青木 薫

数学的モデルとは?

『物理学の問題に対して得られた答えをよく調べてみると、科学的な考察からもたらされる部分と、数学によってもたらされる部分とにはっきり区別できることが多い(いつも必ず区別できるわけではないが)。また、科学者が理論を組み立てるときには、観測や実験の結果から作っていく部分と、理論のシンプルさや、現象をどれだけ説明できるかといった一般的考察から作っていく部分とがある。数学者や、科学者のなかでも数学をやっている人たちは、そうして作られた理論をもとに、純然たる論理だけによって何が引き出せるかを調べていく。型どおりの計算からは、その理論がもともと説明すると期待されていた現象が導かれることもあるが、ときにはまったく思いもよらなかった現象が予測されることもある。そんな意外な予測がのちに実験によって裏づけられれば、理論を支持する立派な証拠となる。

しかしながら、「科学理論による予測を実験によって裏づける」という作業は一筋縄ではいかない。なぜなら、前節で述べたように、状況を簡単にしてくれる仮定を置く必要があるからだ。それを説明するために、もうひとつ別の例を挙げよう。ニュートンの運動法則および重量法則によれば、2つの物体を同じ高さから同時に落とせば、それらは同時に着地する(ここでは地面は平坦だと仮定した)。ガリレオが最初に指摘したこの現象は、いささか直感に反している。いや、直感どころではない。ゴルフボールとピンポン玉で実験してみればわかるように、実際、ゴルフボールのほうが先に地面に着くからだ。では、いかなる意味でガリレオは正しかったと言えるのだろうか?

この簡単な実験がガリレオ説への反証とみなされないのは、いうまでもなく、空気抵抗が存在するからである。経験が教えているように、空気抵抗が小さければガリレオの理論はよく成り立つ。だが、「ニュートン力学の予想がはずれたときはいつも空気抵抗のせいにするのはご都合主義だ」と思われる読者もいるかもしれない。しかしそんな読者も、真空中では、羽毛はたしかに石と同じように落下するのである。

とはいえ、科学における観測は、どうやっても完全には直接的にも決定的にもならないから、科学と数学との関係を説明するには、もう少しうまい方法を考えなければならない。実をいえば数学者は、科学理論をそのまま現実世界にあてはめるのではなく、「モデル」にあてはめるのである。ここではモデルというのは、研究対象である現実世界の一部を単純化した、いわば架空の世界であり、その世界では厳密な計算ができるようなものと考えてよい。石を投げる場合であれば、現実世界とモデルとの関係は図1と図2との関係のようなものである。

与えられた物理的状況をモデル化する方法はたくさんあるので、あるモデルが現実世界を理解するのに役立つかどうかを判断するためには、経験に照らし、理論的考察をさらに深めなければならない。モデルを選ぶときにまず目安にすべきは、そのモデルの性質が、観察されている現実世界の性質に対応するかどうかだ。しかしながら、モデルがシンプルであることや、数学的にエレガントであることなど、現実世界との対応以外の要素のほうが重要になることも少なくない。実際、現実世界にはまったく似ていないのに非常に役立つモデルもあるのだ。』 

画像出展:「1冊でわかる 数学」 

概算と近似

『たいがいの人は、数学は白黒はっきりした厳密な学問だと思っている。高校までの数学を習うと、簡潔に述べられた問題の答えはやはり簡潔に示され、しかも多くの場合は短い式で表されるのだろうと思うようになる。ところが、大学まで数学の勉強を続けた人たち、とくに数学を研究しはじめた人たちは、これほど現実からかけ離れた話もないことをすぐに悟ることになる。多くの問題において、解が厳密な式で表されるのは、思いもよらない奇跡的な出来事なのである。たいていは厳密な答えではなく、おおざっぱな概算で妥協しなければならない。概算というものに慣れるまでは、こういう妥協はみっともなくて口惜しいことに思われる。だが、概算の面白みを知っておいて損はない。なぜならそれを知らないでいることは、いくつもの大定理や、未解決問題の大半に出会い損なうことだからである。』 

分かったこと(イメージ)

物理学と数学の関係は性格の異なる兄弟のように感じました。現実主義者(物理学)の兄と曲がったことの大嫌い(数学)な弟というイメージです。

二人は血がつながっており、お互い助け合って生きています。二人の関係を意識すると、兄、弟、それぞれの個性も理解しやすくなります。

しかしながら、今回は現実主義の兄も先祖代々受け継がれてきた家訓(ニュートン力学に代表される“決定論”)をないがしろにすることはできないという強い思いを抱いています。一方、兄を支援する立場の弟は、曲がったことは一切受けつけないという頑固さを封印し、結果に対する柔軟性(概算・近似)に目を向け、考えの幅を広げることも必要だと感じています。

量子論の育ての親とされるニールス・ボーアと古典派との分かれ道となった“波動関数の確率解釈”を提唱したマックス・ボルン等の推進派。彼らは”歩”を進めるために家訓を越え、柔軟性を積極的に取り入れることによって、常識がまったく通用しない原子よりも小さなミクロの世界に足を踏み入れました。

マックス・ボルンは“波動関数の確率解釈”の発表から28年後の1954年にノーベル物理学賞を受賞されました。そして、なくてはならないコンピュータをはじめ様々な分野で量子力学は大きな成果に貢献しています。

量子論のニールス・ボーア、“波動方程式”のエルヴィン・シュレーディンガー、そして“波動関数の確率解釈”という家訓を乗り越えたマックス・ボルン、この三人は特に大きな存在だったと思います。

注)ボーアは1922年、シュレーディンガーは1933年にそれぞれノーベル物理学賞を受賞されました。 

付記1(「8.数学に関するよくある質問」より)

本書の最後となる「8.数学に関するよくある質問」にはユニークな8つの質問が掲載されています。ここでは先頭の「数学者は30歳を過ぎると才能が枯渇してしまうというのは本当ですか?」をご紹介させて頂きます。

1 数学者は30歳を過ぎると才能が枯渇してしまうというのは本当ですか?

2 女性の数学者が少ないのはなぜですか?

3 数学と音楽は相性がいいのでしょうか?

4 積極的に数学は嫌いだと言う人がこれほど多いのはなぜでしょうか?

5 数学者は研究にコンピュータを使いますか?

6 数学を研究できるということが不思議です。

7 有名な問題がアマチュアによって解かれた例はありますか?

8 なぜ数学者は、定理や証明を「美しい」などと言うのですか?

1 数学者は30歳を過ぎると才能が枯渇してしまうというのは本当ですか?

『これは広く信じられている神話だが、この神話が人の心に訴えるのは、数学的能力というものが誤解されているせいである。世間の人たちは、数学者は天才なのだと思いたがる。そして天才とは、一握りの人だけが生まれながらにもつ完全に神秘的な資質であって、一般人がそれを獲得する見込みはないと考えたがるのだ。

数学者の年齢と研究の生産性との関係には大きな個人差があり、20代で最良の仕事をする数学者がいるのも事実である。しかし圧倒的多数の数学者は、知識や経験は年齢とともに増え続けると感じているし、たとえ「生の脳力」は低下するとしても(「生の脳力」などというものがあればだが)、長期的には、知識や経験の増大は脳の衰えを補ってあまりあるというのが実感だろう。画期的な仕事が40歳を過ぎた数学者によって成し遂げられることが多くないのは確かだが、しかしそれはむしろ社会的な要因のせいではないだろうか。40歳までには、画期的な仕事ができるほどの人はすでに若い頃の仕事で名を成しているから、地位や名声をまだ確立していない若い数学者ほどのハングリー精神はなくなっているのかもしれない。しかしこれには多くの反例があり、なかには退職後もずっと情熱を失わない数学者もいる。

世間に広まっている数学者のステレオタイプは、あまりうれしいものではない―「頭は非常に良いだろうが、変人で身なりにかまわず、中性的かつ自閉症的」といったところか、このステレオタイプにあてはまらないからといって、数学は得意教科にはなりえないと考えるぐらい馬鹿げたことはない。実際、他の条件がすべて同じなら、あてはまらない人のほうが有利だろう。数学を学ぶ学生のうち、研究者にまでなる人はごくわずかである。たいていは途中で興味を失ったり、博士課程への受け入れ枠に入れなかったり、博士号は取得したものの大学に職を得られなかったりして研究をやめてしまう。こうして何段階もの選抜をくぐり抜けた人たちの集団では、初期の学生時代にくらべて、変人の比率は少なくなっているというのが私の印象である。―そして、そう感じているのは私だけではない。

好ましからぬ数学者像には、本来ならば数学を楽しみ、数学が得意になっていたかもしれない人たちをこの教科から遠ざけるという悪影響があるのかもしれない。だが、「天才」という言葉の及ぼす害悪は、いっそう見えにくく、しかも深刻だ。天才をおおざっぱに定義すれば、「ふつうの人にはできないこと、あるいは何年も修行しなければできないことを、若くしてやすやすとやってのける人」となるだろう。天才たちの偉業には何か魔法めいたところがあって、天才の脳は単にわれわれのそれよりも効率よく機能するだけでなく、何かまったく異質な働き方をするかに思われるものがある。ケンブリッジ大学には1年か2年に1人ほど、教員を含めてたいていの人が何時間もかかって解くことになりそうな問題を、ものの数分で解いてしまう学生が入学してくる。そういう人物を前にすれば、一歩下がって驚嘆するしかない。

ところが、そんな並はずれた人たちが数学研究者として大成するとは限らないのである。自分以前のプロの数学者たちが取り組んでは失敗してきた問題を解こうとすれば、さまざまな資質が必要になる。先に定義した天才の資質などは、そのためには必要でもなければ十分でもない。極端な例を挙げると、アンドリュー・ワイルズはちょうど40歳のときにフェルマーの最終定理(「x,y,z,nを正の整数とし、nが2よりも大きいとき、xのn乗+yのn乗はzのn乗と等しくはなりえない」)を証明し、世界一有名な数学の未解決問題を解決したが、ワイルズの頭の良さに疑問の余地はないにせよ、彼は私の言う意味での天才ではない。

しかしあれほどの偉業を成し遂げた人物であるからには、常人を超えた神秘的な力をもっているに違いないと思う人もいるかもしれない。なるほどワイルズの仕事は驚異的だが、それは説明不可能な種類の驚異ではない。彼を成功させたものが本当のところ何であるかを私は知らないけれども、少なくともワイルズは、大いなる勇気と、確固たる意志と、強靭な忍耐力と、他の研究者が成し遂げた難解な研究に関する広範な知識と、しかるべき時期にしかるべき領域を研究していた幸運と、ずば抜けた戦略能力を必要としたことだろう。

結局のところ、最後に挙げた「ずば抜けた戦略能力」という資質こそは、猛烈なスピードで暗算ができることなどよりはるかに重要である。数学に対するもっとも深い貢献は、しばしばウサギよりはカメによって成し遂げられているのだ。数学者は成長するにつれて多くの専門知識を身につけていくが、それらは同僚の仕事から得られることもあれば、長い時間をかけて数学を考え抜いた結果として得られることもある。そうして身につけた知識を使って有名な難問を解決できるかどうかを決めているのは、主として注意深い計画性である。豊かな実りをもたらしてくれそうな問題に狙いを定め、見込みのなさそうな戦略を捨てるべき時に知り(これは難しい判断である)、詳細を詰めていく前に(そこまで到達するのは稀である)、大まかなアウトラインを描き出せなくてはならない。それができるためには、ある程度の成熟が必要だ。これは決して天才であることと相容れない資質ではないけれど、必ずしも天才に付随する能力でもないのである。』

付記2『思考の凄い力』:ブルース・リプトンより)

今回、いままで全く縁のなかった量子論、量子力学を学ぼうとしたきっかけは、ブログ“がんと自然治癒力8”で読んだ『思考の凄い力』に因るものです。最後にもう一度その内容を確認して終わらせたいと思います。 

著者:ブルース・リプトン

第四章 量子物理学が生物学・医学を変える日は近い

ニュートン力学では超常現象を解明できない

『搭乗を待っていて、ハッと気がついた。これから5時間もシートに縛りつけられるというのに、何も読み物がない。

搭乗ゲートは閉まろうとしていたが、列から離れてコンコースを降り、本屋へと向かった。選択肢は山のようにあるのに飛行機のドアが閉まって取り残される危険性もあり、パニックになりそうだった。どうしていいかわからなくなったとき、一冊の本が目にとまった。『量子の世界』。著者は物理学者ハインズ・R・パージェル。ざっと見たところ、量子物理学の初心者向け解説書らしい。大学のとき以来、量子物理学恐怖症は根強かったので、すぐに棚に戻してもっと軽い読み物を探す。

頭の中でストップウォッチの秒針がレッドゾーンに突入した。ベストセラーだと自ら喧伝している本をつかんで、レジに走る。会計を待ちながらふと見ると、カウンターの後ろの棚に例のパージェルの本が一冊ある。会計はもうほとんど終わっていたし、時間切れになる寸前だったが、ついに量子物理学嫌いを返上して、『量子の世界』も追加で買うことにした。

本屋への行き来にダッシュしたのでアドレナリン全開だったが、飛行機に乗り込んでなんとか自分を落ち着かせ、クロスワードパズルを解いてから、いよいよパージェルの本にとりかかった。

ハッと気がついたときには没頭していた。何度も前にかえっては同じ部分を読み直さなくてはならなかったが、それでも夢中になった。フライトのあいだ読み続け、マイアミで3時間待ちのときもずっと読み続け、さらに楽園の島へ向かう5時間の道中ずっと本を置くことができなかった。パージェルには完全にやられてしまった!

シカゴで飛行機に乗るまで、量子物理学が生物学に関係があるなどとは思ってもみなかった。ところが飛行機が楽園に着いたときは脳が揺さぶりをくらっていた。量子物理学は生物学に“関係おおあり”なのだ!

量子物理学の法則を無視する生物学者は明らかに科学的な過ちを犯している。なんといっても物理学はすべての科学の基礎なのだから。ところが、わたしも含めて生物学者たちはほぼ全員、時代遅れの、だがより整然としたニュートン物理学に頼っている。世界はニュートンの説いたように動いているという考えに固執し、目に見えない量子の世界、アインシュタイン的世界を無視している。

アインシュタインによれば、物質はエネルギーから成っていて、絶対的物質なるものは存在しない。原子レベルでは、物質は確実に存在するわけではない。存在する可能性があるとしか言えないのだ。わたしがそれまで生物学や物理学について確信していた事柄が、木っ端みじんではないか!(訳註:アインシュタインは初期量子論の誕生には貢献しているが、量子物理学を打ちたてたのはボーアやシュレディンガー、ハイゼンベルクら、アインシュタインとはほぼ同時代の物理学者たちである。現代物理学はアインシュタインの相対性理論とボーアらの量子論を二本の柱としている)

ニュートン物理学は論理を追求する科学者にとってはエレガントで安心を与えてくれるものであったとしても、宇宙についてはもちろん、人体の真実をすべて解き明かしてくれるものではない。いまから思えば、わたしも他の生物学者たちもそれは承知していたはずだ。

医学は日々進歩していくが、生きている身体は頑固なまでに定量化を拒んでいる。ホルモンやサイトカイン、成長因子や腫瘍抑制因子など、シグナルとなる化学物質の働くメカニズムが次から次へと発見されている。

だがそういったメカニズムでは超常現象は説明できない。自然治癒、心霊現象、驚くほどの筋力や耐久性、灼熱の石炭の上を火傷一つ負わずに素足で渡る能力、“気”を移動させて痛みを消し去る鍼灸師の力など、そのほかさまざまな超常現象が、ニュートン的世界観に立脚した生物学では説明不能だ。

医学部にいたときには、もちろん、これらの現象については全然考えてもみなかった。わたしも他の教官たちも学生たちに鍼灸療法やカイロプラクティック、マッサージ療法、祈祷などで病気が治るという主張は無視するように教え込んでいた。いや、それ以上だ。医者を名乗るペテン師の口上だといって弾劾さえしたのだ。それほど古典的なニュートン物理学を信じ込み、他の考え方はできなくなっていた。

いま挙げた療法はいずれも、エネルギー場が人間の身体の生理機能や健康に影響を及ぼしているという信念に基づくものだ。

サッカーマガジン創刊号

私がサッカーを始めた当時、サッカーに関する情報源はテレビの「三菱・ダイヤモンドサッカー」(現テレビ東京)と月刊誌の「サッカーマガジン」(ベースボール・マガジン社)でした。

初めて買ったサッカーマガジンは小学6年生、1970年夏です。ワールドカップ・メキシコ大会の大会中か大会直後だったと思います。怪しい記憶が正しければ、表紙はサッカーの神様ペレでした。

数カ月前のことですが、【日本の古本屋】さまから時々送られてくるニュースレターのなかに“スポーツ特集”があり、ちょっとのぞいてみると、「サッカーマガジン創刊号」が目に入りました。値段が数千円と安くなかったため一度は「そうか~」という感じでしたが、私自身のサッカーにとっても原点といえるものであり、また「どんな事が書かれているのだろう?」という興味も強く、案の定、購入することになりました。

なお、ブログは自慢話風になっていると思いますがご容赦ください。 

これは三菱重工対日立本社の試合です。今でいうと浦和レッズ対柏レイソルというところです。なお、ジャンプしている選手の後ろの白いユニフォームは当時最も人気のあった杉山選手です。

発行は昭和41年6月1日になっていました。1964年の東京オリンピックの2年後になります。

 

裏表紙はサッカーシューズの“タイガー”です。調べてみると、当時のオニツカタイガーが現在のアシックスになったのは1977年(昭和52年)でした。

 

 

続いて“日本リーグ全選手写真名鑑”です。

ビッグネームの選手時代の写真はとても新鮮です。全てご紹介します(「さん」付けで失礼します)。

 

 

トップは強豪、東洋工業でした。一般的には小城得達さんが有名ですが、個人的には早稲田OBで、東伏見だったと思いますが、一度練習に来ていただいた松本育夫さんが目立っています。

2番目の八幡製鉄現新日鐵住金)は、宮本輝紀さんがスター選手でした。

 

 

3番目は注目の古河電工です。何といっても、ここには私が大学2年生から3年間、早稲田の監督を努められていた宮本征勝さんがいます。

 

 

古河電工で最も有名選手だったのは八重樫茂生さんだと思いますが、日本サッカーの土台を築いた長沼健さんと大改革によりプロサッカーを立ち上げた川渕三郎さん、さらに日本サッカー界を支えた平木隆三さんという大御所が名を連ねています。現在の日本サッカー協会の会長である田嶋幸三さんも古河電工OBですので、古河電工が日本サッカーを牽引してきたと言っても過言ではありません。

また、浦和西高OBの小林茂紀さんという方が古河電工にいたのを知りました。大発見です。

4番目は日立本社です。ここには2010年に日本サッカー殿堂入りされた鈴木良三さんがいます。出身大学は立教ですが、高校は浦和西高です。

 

 

 

5番目は三菱重工業です。三菱といえば、快速ウイングの杉山隆一さん。そして、名GKの横山謙三さんも大変有名でした。ちなみに出身高校は埼玉県立川口高校です。

 

 

 

 

落合弘さんはこの創刊号のときは“山田”という旧姓になっていました。また、「次期スター候補生 山田 弘」という特集が組まれていました。紹介文は次の通りです。

『一に杉山(三菱重工)、二に釜本(早大)、三、四がなくて、五に小城(東洋工業)。サッカー界の人気バロメーターはこんなところだ。だがファンの急増とともに“新しいスター誕生”の期待も大きくなっている。杉山、釜本に迫るスターはだれか。ずばり、日本リーグのニュー・フェース、三菱重工の山田弘選手とうらなってみようではないか。』なお、落合さんの出身高校は浦和市立高校(現さいたま市立浦和高校)です。

6番目は豊田自動織機です。

7番目は名門ヤンマーディーゼルでした。早稲田OBで2015年に日本サッカー殿堂入りした鬼武健二さんもいますが、注目は日産、横浜F・マリノス、日本代表などで指揮を執った加茂周さんです。思い起こすと、「そういえば、ヤンマーでやっていたと聞いたことがあったような」という感じです。

 

最後は名古屋相互銀行こと“名相銀”です。調べてみると平成元年に名古屋銀行に改称されていました。

 

名相銀をよく覚えているのには理由があります。1960年代に浦和には浦和クラブという社会人の強豪サッカーチームがあり、日本リーグへの入れ替え戦に臨んでいました。その相手が名相銀でした。

すっかり忘れていましたが、浦和クラブは浦和サッカーの象徴だったと言えるかも知れません。そこで懐かしき“浦和クラブ”を調べることにしました。(クリックするとウィキペディアにリンクします)

●浦和クラブは呼称、正式名称は浦和サッカークラブ

●創設は1950年(第二次世界大戦の5年後)。母体は「麗和クラブ(県立浦和高校OB)」と「埼玉蹴球団(埼玉師範学校OB)」。

●1962年に浦和クラブに「桜蹴クラブ(市立浦和高校OB)」と「西高OBクラブ(浦和西高OB)」が加わり、チームが再編された。

●JSL入れ替え戦は4回

1.1965年:出場を辞退

2.1966年:対ヤンマーディーゼル(1分1敗)

3.1968年:対日立製作所(2敗)

4.1969年:名古屋相互銀行(2敗)

“名相銀”を記憶していたのは、66、68年は私自身がサッカーをしていなかったからという理由でした。


文章には『カクテル光線に照らし出された緑の芝生が美しい初ナイターだった。~』となっています。写真を見るとスタンドの屋根に配置された照明が明るく輝いています。当時はこれらの照明だけだったようです。 

こちらが目次です。

 

サッカーのおもしろさ 味わい方 楽しみ方”という記事に貼ってあった写真です。“三国対抗戦の妙技に酔うファン”と書かれています。そういえば、確か小学6年生だったと思いますが、11歳年上の兄の愛車で国立競技場に試合を見に行ったことを思い出しました。相手はオーストラリアだったと思います。

「本当にオーストラリアだったのかなぁ?」と思い調べたところ、それは1971年3月7日に行われた三国対抗・朝日国際サッカー大会でのセントジョージ・ブダペスト(オーストラリア)との一戦で、結果は0対0の引き分けでした。そういえば、喜んだり悔しがったりせず、よく晴れたポカポカ陽気のマッタリ感の記憶があるのは、きっと無得点の引き分けだったからなんだと思いました。

 

 

驚きました。価格が¥184.8万円になっていました。

画像出展:「中古車検索EX

まてよ?もしや!?」と思い、無造作に箱に入れられている昔の物を調べてみると、予想は当たっていました。自分の部屋に貼っていたのは“3国対抗サッカー 全日本Aチーム 1971.3.14”のサイン色紙でした。日焼けが物凄く画鋲の穴も生々しいためお宝度は高くありません。「誰からもらったのだろう?」と考えてみると、おそらく、駒場サッカー少年団の監督で、浦和クラブのエースストライカー、アディタスの黒い”モデル2000”がえらくカッコいい大森先生からだろうと思います。というかそれ以外考えられません。

 

 

 

躍り出た大学の新人群像

『大学サッカー界は、ナンバー・ワン明大の杉山その他、多数の名選手を日本リーグに送り、大打撃を受けた。その痛手は余りに大きすぎるが、一方、有名無名の新人が入ってきた。これら新人群像にスポットを当ててみよう』

このような書き出しで、関東大学サッカー一部校(早大、明大、教大[東京教育大学・現:筑波大学]、中大、立大、日大、法大[入れ替え戦で日体大に勝利]のそれぞれの現状や選手補強の状況が紹介されています。その中で浦和西高の大先輩で、元日本代表、時々西高にも顔を出されていた川上さんの大学時代の写真を見つけました。これも今回の大発見です。

 

 

“国内最高の技術 ミツナガのサッカー靴”という広告のページを挟んで出てきたのが、この“連続写真による サッカーの基礎技術 連載技術指導”です。初回となる今回は“キッキング(その1)”となっています。インサイド・キックに始まり、バックヒール・キックまでの16ページと充実した内容ですが、一番の驚きは、模範のキックを行っている選手が釜本さんというところです。

 

 

 

こちらの写真は先にご紹介した“躍り出た大学の新人群像”に掲載されていたものです。

釜本選手といえばその強烈なシュートが代名詞でしたが、実は自慢話があります。おそらく大学2年生の時だったように思いますが、夜の暑さが半端ない夏の関西遠征があり、そこで日本リーグの強豪ヤンマーディーゼルとの練習試合がセットされました。

選手としては晩年ではありましたが、存在が偉大すぎて早稲田の先輩とも思えない釜本さんがピッチにいました。これだけで私などは大興奮なのですが、最も印象に残ったのはシュートのインパクトの音です。明らかに普通の音ではなく、その「ボン」という爆発するような音だけが頭にこびりつきました。その凄さを体感することができたことは最高の思い出です。

下の写真はその強烈なインステップ・キックです。 

高校サッカー部めぐり”は“輝ける新星 習志野高校”と題され紹介されていました。習志野高校といえば、野球部が平成最後の甲子園大会で準優勝したというニュースは先月のことでした。

習志野高校を率いていた西堂監督は、浦和西高の仲西監督と親交が深く、そのため習志野高校とは西高グラウンドで試合することが度々ありました。私にとっては習志野高校は懐かしい高校の一つです。

この“高校サッカー部めぐり”に続くのが、“高校サッカーの歩み 伸びゆく新興勢力”という記事です。

読んでみると、忘れてはいけない日本サッカーにとって最高の恩人である、デッドマール・クラマー氏の話が出ていました。そこでその後半の一部を抜粋してお伝えしたいと思います。

奥がクラーマ氏、手前は長沼監督 1963年10月12日 日本対ベトナム戦

画像出展:「ウィキペディア

◇「なんと早く、なんと忠実な……」

『~ クラーマー氏は京都の講習会で「日本人には速くプレーできる素質がある。だがまずコントロールして、そして速いプレーにもっていくべきだ。ドイツでもどこでも、ジュニアーで日本ほど速い国はない」

との言葉を残した。

彼はけっしてあわてず焦らず、まず正確なフォームから教えた。それができてからスピードを高めた。その手腕、その辛抱強さに、わたしは何度か教えられたのである。

彼の来日日程の後半は、オリンピック・チームの強化に専念し、長沼、岡野両コーチとともに活躍した。

講習会はとだえたが、彼のまいた種は、いま全国で芽をのばしつつある。 ~』

“高校サッカーの歩み 伸びゆく新興勢力”の記事は、◇全国の高校サッカー勢力 に移ります。

ここでは当時の“関東”がどんな状況だったかお伝えします。

『二十九回宇都宮が垢ぬけした足技とスピードで優勝、一躍有名となった。東北ほどがんじょうなプレーではないが、鋭い出足のチームが多い。宇都宮工、宇都宮学園がとってかわり、ことしは群馬県から新島学園が出たが、大半が卒業するので復活はしばらくかかりそう。

茨城は水戸商、日立一、日立工と好チームは多いが、千葉に習志野が出て、やはり中学選手を鍛え出してから、東関東は勢力がかわりつつある。

埼玉は群雄割拠、かつての浦和が伝統を守ろうとしているが、浦和市立、浦和西に移り、川口工の進出も目立ってきた。

神奈川は湘南がなんとか希望をつないでいるが、進学の関係で無理ができず、鎌倉学園、栄光学園などとせり合いの状態。頭のよいサッカーをする県だ。

山梨は韮崎、甲府商、甲府工、日川、石和、機山工と、小粒を鍛えぬくチームぞろいで、いつもダーク・ホース。

東京は100チームもいるが、帝京、城北、教大付、早大学院の争いがつづいている。』 

この特集の最後に23年度から40年度までの全国大会(現全国選手権大会)と国体の優勝校が出ています。両校優勝を含めると、浦和の高校が全国大会18回中7回、国体は6回、優勝しています

50年前、唯一のプロスポーツである野球のON(王・長嶋)が脚光を浴びていた時代でも、浦和は圧倒的にサッカーでした。野球部への入部も少しだけ考えていた私ですが、親しい友人たちの中には野球部に入ろうとするものは誰一人いませんでした。

なお、浦和南高校(現さいたま市立南高校)の創立は昭和39年です。また、特にサッカーが盛んだったエリアは意外に狭く、京浜東北線の浦和―北浦和―与野間、線路西側は常盤中学、線路東側は産業道路を挟むように点在していた、原山中学、本太中学、木崎中学、大原中学、浦和市ではこの5校を中心に凌ぎあっていました。

サッカーではありませんが、昭和39年の東京オリンピックを記念して陸上競技の技術書が出版されていました。

下段のランニングフォームの写真はマラソンで銅メダルに輝いた円谷幸吉選手です。国立競技場に入ってからの光景は鮮明に覚えています。

ためしにネット検索してみると、amazonで¥7,200で販売されていました。県立久喜図書館に所蔵されているようなので取り寄せようと思います。

 

  

『東京五輪、マラソンのゴールに向けて力走する円谷幸吉。右は猛烈な追い上げを見せるヒートリー(英国)=1964年10月21日、国立競技場で』 画像出展:「東京新聞

 

「円谷、がんばれ~!!」

 

  

“早慶サッカー・ナイター”という記事が出ていたのでちょっとびっくりしました。よく見ると下に、「御観戦中の皇太子殿下、美智子妃殿下」となっています。

皇族の方をお招きして早慶戦を行っていたということは全く知りませんでした。そこで私が25人目の選手として登録メンバーにすべり込んだ記念の31回大会のパンフレットを取り出し、この17回大会について何か明記されているか確認してみました。年次優勝校という一覧があり第1回大会から30回大会までの結果が掲載されていましたが、特にそれらしい記載はありませんでした。

この古いパンフレットを開くと当然ながら懐かしい写真が出ています。

  

  

かなり長い間、この質素なつくりのパンフレットが使われていました。今のものは次元がちがう、おそろしく出来栄えの良い別物になっています。  

中央でシュートしているのは、現Jリーグ副理事長の原博美さんですが、その右横でシュートを許してしまった慶応の選手は浦和西高で同期のT君です。ちなみに西高時代はフォワードでした。

  

そして、当時読んだかどうか怪しい、少なくとも風化して何も記憶に残っていない、堀江先生、宮本監督、そして大学紹介のページを熟読しました。せっかくの機会なので頑張って書き写しました。 

『サッカーで大切なのは、闘志と技術と戦術だ。早慶戦は、22人の選手が闘志いっぱいのプレーを展開するゲームだという点では、まちがいなく期待できる。

次は、技術だ。両校の選手の技術水準は大したことはない。秋までには、一生けん命練習して、もっとうまくなってもらいたい。だが、見方を変えれば、相当うまいともいえる。われわれが現役だった時代よりは、トラッピングなどはたしかにうまい。

問題は、技術が戦術とうまく結びついていないことにある。一例をあげよう。敵のハーフが右からドリブルで攻め上がってきた。反対側をフォワードが突っ込んでくる。その進路に合わせようとしたハーフのクロス・パスが失敗して、フォワードの背後に落ちた。

このフォワードをマークしていた味方の右側のバックがその球を取る。そのとき、十中八九はみごとに足もとにピタリと止め、それから顔をあげて、味方を探すのである。当然、フォワードにフォローして上がってきている敵のハーフがタックルに来る。それをたくみにフェイントで抜いて、もう一度、顔を上げて、味方を探す。右のウイングが「引いた!引いた!」と声をかける。ウイングの方向へ2、3歩ドリブルしてから、その足もとへグラウンダーで正確なパスを出す。こんなバカていねいな「予告つき」のパスでは、ウイングをマークしている敵のプレーヤーは、そのパスをつぶさないではいられないだろう。

以上、技術的には満点でも、戦術的には零点の一例である。いまの日本サッカーには、一般的にこういう場面が多すぎる。

敵ハーフのパス・ミスをカットする味方バックの、戦術的に正しいプレイはなにか。できたら、ダイレクト・キックで、反対側のハーフ・ウェイ・ラインの方向に、ロッビングの大きなパスを送るのが、一番効果的だ。フォロー・アップしている敵ハーフの頭上を越え、ハーフ・ウェイ・ラインのこちら側まで下がってきている味方右ウイング(下がることを忘れて敵陣に残っているようではダメ)に渡す。ウイングはタッチ・ラインぞいにフル・スピードで攻め上がる。

ダイレクト・パスが無理なら、フォロー・アップしてくる敵ハーフの進行方向を避け、右外側へ大きくトラップして突進する。いったん下がった味方ウイングは(いつまでも「引いた!」といっていてはダメ)前向きに走りだすその進路へ(足もとでなく)パス、これでも逆襲になる。

こういう、戦術的にスキのないプレーを展開してほしい。』  

『国内の数あるサッカーの定期戦の中で、観客を数万人も動員出来る定期戦と云えば、早慶ナイター戦以外にない。それだけでも早慶戦は他大学の学生から羨望視されているのではない。

早慶戦に、出たい一心で早稲田、慶応の両校を受験する学生も数多いと思うし、また、現役部員の中でも、年に一度しかない早慶戦だけには、何がなんでも“出場したい”、“するんだと”一時的でも頑張る者は多い。

早慶戦の看板と独特ともいえる雰囲気だけに、興奮し、技術も、戦術も忘れた、身体と身体のぶつかり合い、ただ、ガムシャラに動き廻るサッカーであるなら、90分間の試合は長すぎると思う。

サッカー本来の面白味は、技術、戦術、体力、ファイティング・スピリット、フェアープレーと云った要素と、22人の選手が一つのボールを操り生み出す、リズムとハーモニー、そして手に汗を握るゴールの攻防が見応えのある試合と云えるのではないだろうか。

我々両校の学生は、学生サッカー界のトップ・エベントとしてのプライドを持つと同時に素晴らしい試合を進めるために、我々、指導者も学生も、常に努力と精進を忘れず、怠らずに、一丸となって鍛錬していかなければならないと思う。

いつの日か、国立競技場の大観衆が、ゲームに酔い90分間がアッと云う間に終って行く様なサッカー試合を、夢見ている。』

早稲田大学ア式蹴球部―情熱100%

『えんじ色のジャージに身を包み、たまに若い女性を見つければいっせいに充血した視線を向け、アルコールが脳漿に充満すると必ず都の西北の大合唱を開始する、そんな男たちがくらしているのが東伏見という街である。東伏見は早大の運動部員の為の街といって差しつかえない。駅から真っすぐに歩いて1分もすればグラウンドが視野にとびこんでくる。その他にはなにもない。早稲田は常に大学スポーツ界の頂点にいなければならないので当然のことながら日々の練習はきつい。若いエネルギーをすべて東伏見の土と砂に吸収されてしまうので、エネルギーを補充しなければならない。その為に駅前にわずかばかりのそば屋や喫茶店、飲み屋等があるだけである。そういったオアシスで部員たちは、人生の荒波をこえてきたその重みを顔にきざんだしたたかな女性たち、喫茶店のママやそば屋のおばさんたちと家族のように談笑することで、明日への無限のエネルギーをたくわえていくのである。

早稲田大学ア式蹴球部の全てはこの東伏見から生まれるのである。

宮本監督はじめ74名の部員はあふれんばかりの情熱と火花を散らす闘志としなやかな頭脳の全てを発揮して、毎日確実なものをグラウンドから吸収していくのである。

今年の主将、原は全日本にも選ばれる実力はもちろんのこと、その人柄で74名という大世帯をまとめあげている。彼のシーズン初めの抱負の言葉は、「じゅあ、みんながんばっぺ」である。この言葉で部員がまとまっているのであるから栃木弁の神通力はおそろしいものである。

副将の中山も原と共にチームの牽引車となってがんばっている。

毎日の練習メニューはグラマネの永井と稲桝が監督と相談して決めている。74名という大人数でいかに最大の効果をあげるかということで彼らは日夜頭を悩ましているのである。

今年は21名というかなり多数の新人を加えることになったが、彼ら一年生たちは、部の土台を支える重要な役目を果たしている。雨の日の練習後などは一日中グラウンドと格闘している。その努力のおかげで全員が練習に集中できるのである。もちろん一日でも早くレギュラーポジションを獲得しようと燃えているのはいうまでもない。その熱意は上級生をケズッてでも試合にでようという程のもので(もっとも他の意図もあるのかもしれないが)上級生の心胆を寒からしめている。

2年生、3年生はそのすべての神経を練習に集中し、部の中核としてはりきっている。学生選抜の吉田、池田などは重要な戦力となっている。この二人はプレーばかりでなく、普段でもかなりな心臓をしている。池田はカナダに留学の経験があり、やたらと横文字を使いたがるが、それがどうもあやしい。彼によると、カナダでは彼のポジションはLight Wingというのだそうだ。

その他、寮会計の木村、食費会計の五領は練習後もその責任を果たすべく、お金と数字と部員の顔をにらみつけている。忘れてはならないのは浅川さんと平野さんの二人の女子マネである。彼女たちは花嫁修行そっちのけで早稲田の為に重要な役割を果している。この早慶戦も彼女たちなくしては開催できなかったであろう。彼女たちを泣かせないためにも我々早稲田大学ア式蹴球部は勝たなければならないのである。

堀江部長、宮本監督以下、部員全員がひとつになって、それぞれの個性を生かしながら努力することで早稲田のサッカーは成り立っているのである。』

(ところで、先輩のYさんが凛々しくプレーされている冒頭の写真は、東伏見ではなく検見川です)

この文章は4年生のG先輩によるものだろうと思います。G先輩はサッカー部には珍しい数少ない政経学部の学生でした。そしてオフには、普通の学生ではなかなか行けない”ツバキハウス”というプロ仕様のディスコに時々(?)行かれていたようです。

画像出展:「DISCO CATのブログ

こちらは庶民派の”カンタベリーハウス”

画像出展:「Disco Time machine


憧れの国立競技場。グラウンドに角帽をかぶっている後方の小さな面々は多分1年生。

左の方にパンフレットとおぼしきものを掲げている気の利く奴がいますが、よく見たら私でした。虫眼鏡でみたところ第32回となっており、この写真が4年生、最後の早慶戦のものということが確認できました。

 

JR千駄ヶ谷駅前。なぜか女子マネでもない若き女性が中央に笑顔で写っているのですが、これは多分、フットワーク抜群のK君の成果だったと思います。写真を撮って頂いたのはこの女性のお母さんです。間違いないと思います。

 

 

「38年経ったぞ!」と言いたい。

 

 

巻末付録として“わかりやすいサッカー用語集”というページが8ページにわたって掲載されていますが、その前の最後の記事が“ワールドカップ予想”です。これは同年1966年の7月11日から30日まで、ロンドンなど七都市で行われる、第8回大会を予想したものです。



サッカーのオールドファンには有名な話ですが、この大会で北朝鮮チームはベスト8に入るという快挙を成し遂げました。調べてみると、予選リーグではイタリアを1対0で撃破。準決勝進出をかけたポルトガルとの一戦でも、最後はモザンビークの黒豹と恐れられたエウゼビオに4点を叩き込まれ敗戦したものの、世界を驚かせる記録と記憶を残しました。 

画像出展:「SOCCER!

 

 

こちらの画像は「OKANITOの横浜便り:“奇跡の出会い”」から拝借しました。素敵なサイトです。

ベンフィカリスボンの選手として来日し、神戸での試合のハーフタイムに撮られたようです。32歳だったサントスFCのペレ、ワールドユースの若きマラドーナ、トヨタカップで来日した数々の有名選手と比べても当時28歳だったエウゼビオのプレーは圧巻でした。

生物と量子力学3(意識)

「“信じる者は救われる”とは誰が言った言葉なんだろう?」と思いました。

調べてみると、それは新約聖書の中のマルコ福音書16:16(Mark 16:16)というところから来ているようです。

画像出展:「DailyVerses.net

何が言いたかったかというと、患者さまが「鍼は効く[ポジティ]」(「鍼は怖い[ネガティブ]」ではなく)と思うとき、そして施術者が患者さまの病態を理解し適切な“証(施術方針)”を立て、「鍼は効く[ポジティブ]」と思うとき、鍼の効果は得られやすいように感じます。

一方、ブログ「量子論2」の“5.量子の奇怪さ”の中には、次のような指摘がされています。

『量子論を考え出した人たちは、ニュートン的世界観と対照的なもう一つの面に気づいた。それは観測者が創り出すリアリティというものだ。量子論によれば、観測者が何を測定しようとしているかということがその測定自身に影響を及ぼすことになる。量子の世界で現実に起こっていることは、その世界を我々がどのように観測しようとしているかに依存しているのだ』

“何を測定しよう”という行為は“観測者”という主体が持つ“意識”から生まれるものだと思います。つまり、意識は量子の世界とつながり、影響を与えるものだということです。 今回の本の中にも「心」をテーマにした章がありました。詳細は以下の通りです。

第8章 心

●意識はどれほど奇妙なのか?

●思考のメカニズム

●心はどうやって物体を動かすのか

●キュビットを使った計算

●微小管を使った計算?

●量子イオンチャンネル?

内容はいずれもその難しさに圧倒されるものですが、“心はどうやって物体を動かすのか”と最後の“量子イオンチャンネル?”の一部ご紹介させて頂きます。

心はどうやって物体を動かすのか

『おそらくほとんどの人は、心や魂や意識は物理的な身体とは別物だとする「二元論」の考え方を、何らかの形で受け入れていると思う。しかし20世紀の科学界では二元論は支持を失い、いまではほとんどの神経生物学者は、心と体は同じ一つのものだとする「一元論」の考え方のほうを好んでいる。たとえば神経科学者のマルセル・キンズブルンは、「意識があるというのは、神経回路がある特定の相互機能状態にあるようなものだ」と主張している。しかし先ほど話したように、コンピュータの論理ゲートは神経細胞にかなり似ている。だとしたら、およそ10億のインターネットホストから構成されているワールドワイドウエブ(1000億個の神経細胞からなる脳に比べたらまだ小さいが)のような、高度に連結したコンピュータは、なぜ意識の兆しさえも示さないのだろうか? なぜ、シリコンでできたコンピュータはゾンビ[意識を持っていないという意味です]で、肉でできたコンピュータは意識を持っているのだろうか? 単に、ワールドワイドウェブが我々の脳の複雑さや「相互連結性」にまだ到達していないというだけの問題だろうか? それとも、意識はまったく違うたぐいの計算活動なのだろうか?

もちろん、このテーマについて書かれた数々の書物のなかでは、意識に対するさまざまな「説明」が展開されている。しかしここでは、本書のテーマにもっとも関係のある、きわめて異論が多いが魅力的なある主張に焦点を絞ることにする。それは、意識は量子力学的現象であるとする説だ。なかでももっとも有名なのは、オックスフォード大学の数学者ロジャー・ペンローズが1989年の著書「皇帝の新しい心」のなかで説いた、人間の心は量子コンピュータだという主張である。 ~』

量子イオンチャンネル?

『~ 脳の電磁場によって神経発火が同期するという現象は、神経活動の特徴のなかでも意識と関係があることが知られているごく少数の例の一つである。そのため、意識の謎について考える上でもきわめて重要だ。たとえば、視界のなかに置かれている自分の眼鏡などの物体を探していて、散らかったほかの物体に混じってそれを見つけたときに誰もが経験する現象について考えてみよう。散らかった場所を見ているとき、探している物体をコードしている視覚情報は目を通じて脳へ伝えられているが、なぜかその探している物体を見ることはない。それを「意識」してはいないのだ。しかししばらくすると、その物体が見えるようになる。はじめ気づかなかったときと、同じ視野のなかにその物体があることに気づいたときとで、脳のなかでは何が変化しているのだろうか? 驚くことに、神経発火そのものは変化しないらしく、眼鏡が見えていようがいまいが同じ神経細胞が発火する。しかし眼鏡を見つけていないときには、神経細胞の発火は同期しておらず、見つけると同期する。電磁場は、脳の互いに離れた場所にあるコヒーレントなイオンチャネルをすべて一つに結びつけることで、無意識から意識的思考への移り変わりに何らかの役割を果たしているかもしれない。

強調しておくべきだが、意識を説明するために脳の電磁場や量子コヒーレントなイオンチャネルといった概念を持ち出してきたところで、けっしてテレパシーのようないわゆる「超常現象」の存在が裏付けられることにはならない。電磁場もイオンチャネルも、一つの脳のなかでおこなわれる神経プロセスにしか影響を与えることはできず、異なる脳のあいだで意思疎通することはできないのだ! さらに、ゲーデルの定理[不完全性定理:数学基礎論における重要な定理]に基づくペンローズの主張について考察したときに指摘したように、酵素活性や光合成など本書で取り上げたほかの生物現象と違い、そもそも意識を説明するのに実際に量子力学が必要であるという証拠はまったくない。しかし、生命に欠かせないあれほど多くの現象に関係していることが分かっている量子力学の奇妙な性質が、生命のもっとも謎めいた産物である意識にはまったく関係していないなどということが、はたして考えられるだろうか? その判断は読者にお任せしよう。量子コヒーレントなイオンチャネルと電磁場に基づいて意識を説明するという説を含め、ここまで示してきた事柄はもちろん推測にすぎないが、少なくとも脳のなかで量子の世界と古典的な世界をつなぐものとしては理にかなっている。』

以上のことから、この本の著者は意識と量子の世界の関わりについて、ロジャー・ペンローズの著書「皇帝の新しい心」の内容に対して懐疑的ではあるものの、その可能性は否定していないということが分かります。こうなると、何はともあれ「皇帝の新しい心」という本を知る必要があります。

幸い、お世話になっている図書館にそれは所蔵されていました。 

題名:「皇帝の新しい心 コンピュータ・心・物理法則」

原書:「The Emperor's New Mind: Concerning Computers, Minds, and The Laws of Physics」1989年

著者:ロジャー・ペンローズ

出版:みすず書房

発行:1994年12月

ここでは訳者である林 一先生(昭和薬科大学名誉教授)による「訳者あとがき」の一部と、この本の目次をご紹介したいと思います。

『~ 心はなぜ存在するか、心は脳という生物的機関に固有のものなのか。意識現象が科学で理解できるのか。思考は機械的に可能か。われわれはなぜここにいて、宇宙について、心について考えているのか。

相対性理論の新しい時空像、量子論が切り開いたパラドクシカルな状況、人工知能(AI)の発展、ゲーデルの定理、チューリング機械の理論がさらけだしたアルゴリズム的思考の限界。脳科学が提示している知覚の奇妙さ。こうした現代科学の成果は、上の問題を新たな形で定式化しては、それをめぐる謎をさらに深めたと言える。

この謎に対する出来合いの答はもちろんない。本書は、現代科学のあらゆる分野の関連のあるかぎり遠慮なく取り上げて、この本題に迫る。答えはないとはいえ、ペンローズが多大の労力を費やしたのは、彼の大胆な仮説、見通しを筋道を立てて率直に読者に説明するためである。そのためには相対性理論、量子論の根本的問題についても論じなければならない。議論は明快で数式はかみ砕かれており、読み飛ばしても差し支えないという断りがあるとはいえ、かの【ホーキング、宇宙を語る】の各編集者がホーキングに与えた、どんな数式も読者を半減させるという名警告を、彼はあえて無視した。

数理物理学、相対性理論、宇宙論の分野で赫々(カクカク)たる業績をあげた、当代きっての数学者・物理学者であるペンローズがなぜ、大勢の物理学者が敬して遠ざけてきたこの問題にここまで真剣に取り組むようになったのか、その心中を推測することは私にはできない。きっかけについては彼自身の言葉を上で紹介したが[上で紹介とは「副題に“コンピュータ・心・物理法則”とあり、コンピュータが心をもちうるかという問題を、それを肯定的に答える一部の論者に刺激されて、心とは何かについて深く考え始めたのが、本書執筆の動機であった、と著者自身が述べている、ひょっとするとごく単純で、エヴェレストがそこにあるのと同じように、問題がそこにあったからなのであろうか。いずれにしても、これは功なり名を遂げた高名な科学者にしばしば見られる、高尚な哲学的問題への寄り道、老後の手すさびではない。彼は数年来、さまざまな形でこの問題に対する関心の深さを披露してきたのだが、ついに本格的な書物の形にまとめて、世に問うに至った。

心とは何か、意識の本体は何か、それを解明するには、量子論を根本から改革しなければならない。ビッグバンの解明には、量子重力論の建設が必要であることは広く認められているが、ペンローズはさらに進んで、正しい量子重力論が、心の謎、時間の流れという意識の謎を科学的に解く鍵を与えると予測している。意識的思考は非アルゴリズム的で、謎めいた無意識の方こそアルゴリズム的だという指摘、重力による時空の湾曲が意識の成立に関わる、という見通しは、彼以外のすべての科学者にとっても、現代科学に多少なりと親しんでいる一般読者にとっても、破天荒なアイデアであろう。

この問題に対する彼の大胆極まりない答えを一般読者に向けて解くためには、背景となる科学のさまざまな分野(上ではその一端に触れただけだが)について予備知識を与えるべく、著者は筆を惜しまず数百ページを費やして解説した後、本題に迫る。その範囲の広大さは、目次を一目見ただけで分かるだろうから、ここでは羅列しないが、その解説も決して型通りのものではなく、この著者ならではの独創的なものであるが、それはこのような分野に接したことのある読者なら一読して自ら納得されるだろう。うまく訳文に表すことができたかどうか心細いが、控えめだが企まざるユーモアも微笑ましい。

彼自身が明言しているように、当然ながら、彼の答えも暫定的なものである。かつて彼の名声を不動にした、いわゆるペンローズの定理―すべての既知の物理法則が成立しない特異点ブラックホールが生じるのは特殊な条件のもとに限られるという、長年の物理学者の希望的観測を打ち砕いた定理―の発見が、後にスティーヴン・ホーキングの協力を得て、ペンローズ‐ホーキングの定理に拡大されて、宇宙論の展開に大きな転機をもたらしたことが思い合わされるが、心という小宇宙と大宇宙に科学的理解の橋を架けようという、それ以上にスケールの大きな大胆不敵なアイデアが、どのような運命をたどることになるのか、そして、現代科学、なかんずく人工知能論が心に着せている新しい衣を、ペンローズが、皇帝の権威を恐れない寓話の中の子供のように見透かしたことになるのか、私には予測はつかない。 ~』

目次

序文

プロローグ

1 コンピュータは心をもちうるか?

 はじめに

 テューリング・テスト

 人工知能

 「快楽」と「苦痛」に対するAIアプローチ

 強いAIとサールの中国語の部屋

 ハードウェアとソフトウェア

2 アルゴリズムとテューリング機械

 アルゴリズム概念の背景

 チューリングの発想

 数値データの2進符号化

 チャーチ‐チューリング・テーゼ

 自然数以外の数

 万能チューリング機械

 ヒルベルトの問題の解決不能性

 アルゴリズムをどう出し抜くか

 チャーチのラムダ算法

3 数学と実在

 トルブレッド=ナムの国

 実数

 実数はどれだけあるか?

 実数の「実在性」

 複素数

 マンデルブロー集合の作図

 数学的概念のプラトン的実在性

4 真理、証明と洞察

 数学に関するヒルベルトのプログラム

 形式的数学的システム

 ゲーデルの定理

 数学的洞察

 プラトン主義か直感主義か?

 テューリングの結果から導かれるゲーデル型の定理

 帰納的に可算な集合

 マンデルブロー集合は帰納的か?

 非帰納的な数学のいくつかの例

 マンデルブロー集合は非帰納的数学らしいか?

 複雑性理論

 複雑性と物理的な事物の計算可能性

5 古典的世界

 物理理論の身分

 ユークリッド幾何学

 ガリレオとニュートンの動力学

 ニュートン力学の機械論的世界

 ビリヤード・ボール世界における生命は計算可能か?

 ハミルトン力学

 位相空間

 マクスウェルの電磁理論

 計算可能性と波動方程式

 ローレンツの運動方程式:暴走粒子

 アインシュタインとポアンカレの特殊相対性理論

 アインシュタインの一般相対性理論

 古典物理学における計算可能性:われわれはどこに立っているのか?

 相対論的因果性と決定論

 質量、物質と相対性

6 量子マジックと量子ミステリー

 哲学者は量子論を必要とするか?

 古典理論の問題点

 量子論の始まり

 2重スリット実験

 確率振幅

 粒子の量子状態

 不確定性原理

 発展手順UとR

 1つの粒子が同時に2つの場所にある?

 ヒルベルト空間

 測定

 スピンと状態のリーマン球面

 量子状態の客観性と測定可能性

 量子状態のコピー

 光子のスピン

 大きなスピンをもつ対象

 多粒子系

 アインシュタイン、ポドルスキ―、ローゼンの「パラドクス」

 光子を用いる実験:相対性理論の難点?

 シュレーディンガー方程式:ディラック方程式

 量子場の理論

 シュレーディンガーの猫

 現行の量子論に対するさまざまな態度 

 われわれはどこに取り残されたのか?

7 宇宙論と時間の矢

 時間の流れ

 容赦ないエントロピーの増大

 第2法則の働き

 宇宙における低エントロピーの起源

 宇宙論とビッグバン

 原初の火の玉

 ビッグバンは第2法則を説明するか?

 ブラックホール

 時空特異点の構造

 ビッグバンはいかに特殊であったか?

8 量子重力を求めて

 なぜ量子重力か?

 ワイル曲率仮説の背後に何があるか?

 状態ベクトルの収縮における時間非対称性

 ホーキングの箱:ワイル曲率仮説との関連?

 状態ベクトルはいつ収縮するか?

9 実際の脳とモデル脳

 脳は現実にはどういうものか?

 意識の座はどこか?

 分割脳実験

 盲視

 視覚皮質における情報処理

 神経信号はどのように働くのか?

 コンピュータ・モデル

 脳の可塑性

 並列コンピュータと意識の「唯一性」

 脳の活動に量子力学の出番はあるか?

 量子コンピュータ

 量子論を越えて?

10 心の物理学はどこにあるのか?

 心は何のために?

 意識の現実に何をなすのか?

 アルゴリズムの自然淘汰?

 数学的洞察の非アルゴリズム的性格

 インスピレーション、洞察と独創性

 思考の非言語性

 動物意識?

 プラトン的世界との接触

 物理的実在に対する1つの見方

 決定論と強い決定論

 人間原理

 タイル並べと準結晶

 脳の可塑性とのありうべき関連

 意識の遅れ

 意識的知覚における時間の奇妙な役割

 結論:子供の見方

エピローグ

まとめ

”まとめ”というには頼りない内容ですが書いてみました。

繰り返しになりますが、本書の著者が考えている「量子力学と意識」の関係性は次の通りです。

酵素活性や光合成など本書で取り上げたほかの生物現象と違い、そもそも意識を説明するのに実際に量子力学が必要であるという証拠はまったくない。しかし、生命に欠かせないあれほど多くの現象に関係していることが分かっている量子力学の奇妙な性質が、生命のもっとも謎めいた産物である意識にはまったく関係していないなどということが、はたして考えられるだろうか?

これを見たときに気になったのは、ブログ ”がんと自然治癒力9” でご紹介したテロメアです。

このテロメアは2017年5月、NHKの”クローズアップ現代”でも紹介されています。

『老化を防ぎ、若さを保ちたい。そんな願いをかなえると注目されている研究がある。ノーベル賞生物学者・ブラックバーン博士らによる「テロメア」研究だ。染色体の端にあり細胞分裂のたびに短くなるため、年とともに縮むと考えられていたテロメア。ところがテロメアを伸ばして細胞から若返る方法があり、がんを防げる可能性もあるというのだ。』

『ブラックバーン博士たちが発見した酵素「テロメラーゼ」です。テロメラーゼは、テロメアが短くなるのを遅らせたり、さらに伸ばしたりする働きもあります。これによって、細胞を若返らせる可能性が出てきたんです。この発見で、ブラックバーン博士たちはノーベル賞を受賞。そして今、どうすればテロメラーゼを増やし、テロメアを伸ばすことができるのか、研究が進んでいます。』

この時、勉強した本は『テロメア・エフェクト』ですが、そこでは”靴紐とキャップ”を例に”染色体とテロメア”を紹介していました。


そして、ストレスに対する”脅威反”と”チャレンジ反応”という二つの反応によって、テロメアが受ける影響は異なるということも説明されていました。これは意識とテロメアの関係を示すものだと思います。


テロメアにはNHKの”クローズアップ現代”のところでご紹介したように、”テロメラーゼ”という酵素の関与が明らかになっています。酵素のメカニズムに量子力学が関わっているということが証明されれば、テロメアに影響を与える意識と下図の三層目に存在する量子力学が結ばれると考えても良いのではないでしょうか。

画像出展:「量子力学で生命の謎を解く」

生物と量子力学2(酵素)

酵素に注目した理由は、代謝にとって酵素が極めて大切なものだからです。

 “がんと自然治癒力”というブログの中で、自然治癒力とは何かについて整理整頓し、「自然治癒力とはストレス適応と栄養代謝である(詳細は“がんと自然治癒力13” の中段にある ”4.自然治癒力について” をご覧ください)という自分なりの考えをまとめました。

酵素は本書のなかでも、【生命のエンジン】であり、【我々を生かしつづけている「代謝」というプロセスを加速している】とされており、非常に重要なものと位置づけられています。

「第3章 生命のエンジン」はまさに酵素について書かれた章になります。ブログは目次に順じたつくりにはなっていませんが、 “●量子トンネル効果” については全文をご紹介しています。

第3章 生命のエンジン

●酵素-生きているものと死んでいるものを分け隔てるもの

●我々にはなぜ酵素が必要で、おたまじゃくしはどうやって尾をなくすのか

●地形を変える

●激しい運動や振動

●遷移状態理論ですべて説明できるのか?

電子をあちこちに動かす

量子トンネル効果

●生物における電子の量子トンネル効果

●陽子をあちこちに動かす

●速度同位体効果

●これで量子生物学は確立するのか?

また、下記の『 』で括った2つの文章は、前者が第3章の冒頭部分から、後者が“●電子をあちこちに動かす”から、それぞれ一部を抜き出したものです。そして、前者は“コラーゲナーゼ”、後者は“呼吸酵素”という2つの酵素を通じて、酵素の重要性や働きについて説明しています。さらに、呼吸酵素の「桁違いの凄さ」を生みだす “量子トンネル効果” とその前提となる “量子コヒーレンス” という量子現象について触れています。

酵素は生命のエンジンだその中でも我々におそらくもっとも馴染み深いものとしては、しみを取り除く「酵素入り」洗剤に加えられているプロテアーゼ[タンパク質分解酵素(タンパク質を構成するペプチド結合を加水分解する酵素]や、ジャムに加えて安定化させるペクチン[ペクチナーゼ(ペクチン分解酵素)]、あるいは牛乳を凝固させてチーズを作るために加えられるレンネット[凝乳酵素]など、日々ありふれた使われ方をしているものがある。また知っている人もいるかもしれないが、我々の胃や腸の中ではさまざまな酵素が食物を消化する役割を担っている。しかしそれらは、自然界のナノマシンの働きのなかでもかなり些細な例だ。原始のスープ[生命の起源に関わる言葉で、非生物的な有機物の濃縮されたスープのこと]のなかで姿を現した最初の微生物から、ジュラ紀の森を闊歩していた恐竜、そして現在生きているすべての生物に至るまで、あらゆる生命は酵素に頼っている。あなたの身体のなかにある一個一個の細胞は、何百や何千というこのような分子マシンで満たされており、それらが生体分子の組み立てと再利用のプロセス、我々が生命と呼ぶプロセスを、絶えず手助けしているのだ。

ここで鍵となるのが、酵素の働きを指す「手助け」という言葉だ。酵素の仕事は、本来ならあまりにも遅いさまざまな生化学反応を加速させる(「触媒する」)ことである。つまり、洗剤に添加されているプロテアーゼは、しみに含まれるたんぱく質の分解を加速させ、ペクチン[ペクチン分解酵素]は果実に含まれる多糖の分解を加速させ、レンネットは牛乳の凝固を加速させる。同じように、我々の細胞のなかにある酵素は、細胞内の何兆個という生体分子を絶えず何兆個という別の生体分子へ変換することで我々を生かしつづけている、「代謝」というプロセスを加速している。

メアリー・シュワイツァーが恐竜の骨に作用させたコラーゲナーゼも、そうした生物マシンの一つにすぎず、動物の体内ではつねにコラーゲン線維の分解を担っている。酵素によって分解がどれだけ加速されるかをおおまかに見積もるには、酵素がなかった場合にコラーゲン線維の分解にかかる時間(明らかに6800万年より長い)と適切な酵素があった場合の時間(約30分)とを比べればいい。そこには一兆倍もの開きがあるのだ。

標本番号:MOR-1125

2005年3月、ノースカロライナ州立大学のハイビー・シュワイツァーはサイエンス誌上でBレックスの大腿骨から軟組織の回収に成功したと発表した。論文では血管様の組織と弾力のある骨基質様の組織が報告された。もしこれがオリジナルの組織であればDNA抽出などの可能性が広がるが、一方でこれが本当にティラノサウルス由来の組織であるか疑問視する意見も多く寄せられた。

2016年、シュワイツァーらは鳥類との比較検討を行い、産卵期のメスの骨髄組織とBレックスの組織が非常によく似ていることを発見し、Bレックスの軟組織はオリジナルのもので間違いないと結論づけた。

画像出展:「ウィキペディア

この章では、コラーゲナーゼのような酵素がどのようにして化学反応を桁外れに加速させるのかを探っていく。近年、少なくともいくつかの酵素の作用に量子力学が重要な役割を果たしているという、驚きの発見があった。酵素は命の中核をなしているので、これを量子生物学をめぐる旅路の最初の寄港地としよう。

※「代謝」とは:生命維持活動に必須なエネルギーの獲得や、成長に必要な有機材料を合成するために生体内で起るすべての生化学反応の総称。(コトバンクの“ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”より) 

こちらの密集した手書きの図は、2017年10月にアップした”代謝と恒常性”でご紹介した、「総まとめ代謝マップ」と題されたもので、『「代謝」がわかれば身体がわかる』からもってきました。

呼吸とは息をすることだと考えたくなる。必要な酸素を肺に取り込んで、いらない二酸化炭素を吐き出すという作用だ。しかし実は息というのは、すべての細胞のなかで進行しているはるかに複雑で秩序正しい分子プロセスの、最初の段階(酸素の供給)と最後の段階(二酸化炭素の排出)を組み合わせたものにすぎない。そのプロセスは、「ミトコンドリア」と呼ばれる複雑な細胞小器官のなかで行われている。ミトコンドリアは、我々の大きい動物細胞のなかに閉じ込められた細菌の細胞のように見え、膜や独自のDNAなど内部構造まで持っている。実はミトコンドリアは、数億年前、動物や植物の細胞の祖先のなかに共生した細菌から進化して、その後、独自に生きる能力を失ったものにほぼ間違いない。ミトコンドリアが呼吸のようなきわめて精巧なプロセスを進めることができる理由は、かつて細菌として独自に生きていたことで説明できるだろう。化学的な複雑さでいえば、呼吸はおそらく、次の章で取り上げる光合成に次ぐ第二位だ。

呼吸において量子力学が果たしている役割を突き止めるには、呼吸のしくみを単純化してとらえる必要がある。それでも呼吸には、驚異の生物ナノマシンがおこなう一連の見事なプロセスが関わっている。はじめに炭素でできた燃料、この場合には食物から得た養分を燃焼させる。たとえば炭水化物は消火器の中で分解されてグルコースなどの糖になり、それが血流に乗って、エネルギーを必要としている細胞へ運ばれる。この糖を燃やすのに必要な酸素は、肺から血液によって同じ細胞へ届けられる。そして石炭を燃やしたときと同じように、分子内の炭素原子の最外殻にある電子が、NADHと呼ばれる分子へ移動する。しかしその電子は、すぐに酸素原子との結合に使われるのではなく、まるでリレー競争でバトンがランナーからランナーへ渡されていくように、細胞のなかにある「呼吸鎖」上を酵素から酵素へと手渡しされていく電子は移動の各段階ごとにより低いエネルギー状態へ落ち、酵素はそのエネルギー差を使って陽子をミトコンドリアから外へ汲み出す。次に、そうして生じたミトコンドリア内外での陽子の濃度差を使って、ATPアーゼと呼ばれる別の酵素が駆動し、ATPという生体分子を合成する。ATPはあらゆる細胞にとってきわめて重要な分子で、いわばエネルギーの電池のように細胞のなかを簡単に運ぶことができ、身体を動かしたり作ったりするなど、大量のエネルギーを必要とする活動にパワーを供給する。

電子のエネルギーを使って陽子を汲み出す酵素の働きは、余剰なエネルギーを蓄えるために水を高いところへ汲み上げる揚水ポンプに似ている。蓄えられたそのエネルギーを解放させるには、水を低いところへ流してタービンに回し、発電させればいい。それと同じように、呼吸酵素のポンプは、ミトコンドリアから外へ陽子を汲み出す。その陽子がなかへ戻ってくるときに、タービンに相当する酵素であるATPアーゼがパワーを得る。そのタービンの回転がさらに別の一糸乱れる分子運動を引き起こすことで、酵素のなかにある分子に高エネルギーのリン酸基を結合させ、ATPを作り出すのだ。

エネルギーを捕まえるこのプロセスをさらにリレー競争にたとえるなら、バトンの代わりに水(電子のエネルギー)の入った瓶を使い、それぞれのランナー(酵素)が少しずつ水を飲んでから瓶を次のランナーに手渡していって、最後に残った水を酸素と書いているバケツへ移す。このように電子のエネルギーを少しずつ捕まえることによって、酸素へ直接移すよりも全体のプロセスの効率がはるかに良くなり、廃熱として失われる分もきわめて少なくなるのだ。

この図は本書のものではないため、上記の説明とはつながっていません。

ここでは紫線電子の流れを見ていただくために添付しました。

画像出展:「人体の正常構造と機能」

このように、呼吸の鍵となる作用は息をすることとはほとんど関係なく、細胞のなかにある呼吸酵素が秩序正しく電子を受け渡していくことで成り立っている。酵素から酵素への電子移動は原子何個分にも相当する数十オングストロームの距離で起こり、従来の電子のジャンプではとうてい起こりえないと考えられていた距離に相当する。呼吸酵素はどのようにして、そのような長距離で電子をこれほど素早く効率的に移動させることができるのか、それこそが呼吸の謎である。』 

ここで問題の「数十オングストローム(Å)の距離」がどれ程のものか考えたいと思います。

こちらの絵は、“水素原子”を「ピンポン球」の大きさに拡大すると、“ピンポン球”は「地球」の大きさになってしまう。という例です。なお、水素原子の正確な直径は、1.06(オングストローム)になります。

画像出展:「原子ってどんなもの?(1)

原子の直径として明記されている10-10mという数は1Å[オングストロームと同じです。また、中央にあるオレンジ色原子核の大きさは中性子と陽子の数で決まります。その原子核の周りに電子が存在しているというのが原子の全体像です。

画像出展:「第1回:原子のつくり その1

数十オングストローム(Å)の距離とは

■1Åは10−10m

■1Åは 0.1ナノメートル(nm)

■1Åは100ピコメートル(pm)

この表は「ウィキペディア」に出ている表を参考に作成しました。

 

この表は「電子の大きさはどれだけか?」に出ている表を参考に作成しました。

 

水素原子の半径は0.53Å(53pm)。原子核の大きさは陽子・中性子の数によって変わりますが、陽子・中性子それぞれの半径はともに約1.2fm(0.0012pm・0.000012Å)。従って、陽子・中性子を1とすると、水素原子は陽子・中性子の約44,000倍であり、原子核の外側に位置する電子は原子核から約44,000倍離れていることになります。

原子核を半径10cmのボールとすると、電子があるのは約4.4km地点ということになります。新宿駅と池袋駅の直線距離は約4.6kmだそうなので、新宿駅にハンドボール、池袋駅にハンドボールより明らかに小さいもの、例えばパチンコ玉があるというイメージでしょうか。ちなみに重さの比較ということでいえば、電子を1とすると、陽子・中性子は電子の約1,800倍です。仮にパチンコ玉(電子)がプラスチックでできていて1gしかないとすれば、陽子・中性子の重さはそれぞれ約1.8㎏ということになります。

従来の電子のジャンプではとうてい起こりえないとする距離は数十Åとされているので、仮に水素原子(半径)の100倍、53Åの距離ということになると440km離れた所になりますので、パチンコ玉(電子)は池袋から京都あたりまで飛んで行ったということになりますニュートン力学の世界で考えれば、確かにジャンプ(jump)というよりは小旅行(trip)という感じです。

そして、この小旅行ともいうべき長距離を瞬時に移動するための手段は、奇怪な量子現象の一つである“量子トンネル効果”であるとされています。

このイメージ図は前回のブログ “生物と量子力学1” でご紹介したものです。一層目の「ニュートン力学」、二層目の「熱力学」について説明していますので、これらについて確認されたい場合はこちらを参照ください。

画像出展:「量子力学で生命の謎を解く」

 

 

 

量子論の二つの重要事項

まず量子論を理解するためには二つの重要事項があるとされています。いずれもニュートン力学では考えられない奇怪な量子の振る舞いです。

その一つは「波と粒子の二面性」をもっているということです。

画像出展:「13歳からの量子論のきほん」

 

 

 

そして、もう一つが「状態の共存(重ね合わせ)」と言われるものです。

画像出展:「13歳からの量子論のきほん」

 

 

 

「光合成は量子コンピューティング」:複数箇所に同時存在”という記事の中に「状態の共存(重ね合わせ)」を分かりやすい例を使って説明されている個所がありましたので、そちらをご紹介します。

『家へ自動車で帰るにあたって3つのルートがあるというものだ。どのルートが速いか遅いかはわからない。しかし量子的なメカニズムでは、これらの3つのルートを同時に取ることができる。到着するまで、自分がどこにいるかを特定しないので、常に最も速いルートを選ぶことになる。

量子トンネル効果について

『電磁波は、障害物を透過する性質があります。たとえば可視光線は、ガラスにぶつかると、一部は透過します。また、携帯などの電波が室内に届くのは、電波が壁などを幾分透過するというのが理由の一つです。

電子も波の性質をもつので、同じようなことがおこります。電子も本来なら通り抜けることができないはずの“壁”を、すり抜けることができるのです。これを、「トンネル効果」とよんでいます。』

 画像出展:「13歳からの量子論のきほん」

3.は「こえられないはずの山を“すり抜ける”電子」と書かれています。また、図中にその仕組みの説明書きがありますが、ネット上に同様な絵を使って簡潔に説明されているサイトがありましたので、そちらもご紹介します。

 画像出展:「13歳からの量子論のきほん」

『エネルギーと時間の不確定性関係によると、電子はごく短時間であれば、図のような山をこえるだけのエネルギーを得て、山の反対側に行くことが可能です。これを外部からみると電子がいつのまにか山をすり抜けるように見え、トンネル効果と呼ばれています。私たちが日常使っている電子機器の半導体回路を流れる電流は、トンネル効果を無視することができません。応用例には、走査型トンネル顕微鏡、フラッシュメモリ、エサキダイオードなど多数あります。』   画像出展:「大阪大学工学部自然科学学科

少し話が混沌としてきましたので整理したいと思います。お伝えしたいポイントは以下の4つです。

酵素は生命のエンジンであり、「代謝」というプロセスを加速している。

コラーゲナーゼは6800万年守られた恐竜の軟組織をたった30分で分解してしまった。

呼吸酵素は考えられない長距離移動を、量子現象の“量子トンネル効果”によって実現させた。

●”量子トンネル効果”は”量子コヒーレンス”な環境が必須となる。

量子現象の“トンネル効果”を得るためにはもう一つ、極めて大きな課題があります。それは“量子コヒーレンス”という難題です。コヒーレンスとは「同調」という意味ですが、一方、この「同調」が崩れてしまった状態のことを“デコヒーレンス”と呼んでいます。

このコヒーレンス・デコヒーレンスをとばして話を進めることはできせんので、前後してしまいましたが本書に書かれているの“●量子トンネル効果”をご紹介します。問題の“量子コヒーレンス”に関わる部分は後半に出てきます。

“●量子トンネル効果

『第1章で説明したように、量子トンネル効果とは、音が壁を通り抜けるのと同じように、乗り越えられそうにない障壁を粒子が簡単にすり抜けてしまうという奇妙な量子プロセスである。1926年にドイツ人物理学者のフリードリヒ・フントがはじめて発見し、そのすぐあとにジョージ・ガモフ、ロナルド・ガー二―、エドワード・コンドンが、量子力学の新たな数学に基づいてこの概念を使うことで、放射性崩壊の現象を見事に説明した。量子トンネル効果は原子核物理学の中心テーマとなったが、のちに材料科学や化学といったもっと幅広い分野に通用する現象と認められるようになった。前に話したように、地球上の生命にとって量子トンネル効果は欠かせない。太陽の内部で水素がヘリウムへ変換する第一段階として、正の電荷を持った二個の水素原子核が融合し、それによって太陽は膨大なエネルギーを放出するのだ。

量子トンネル効果については理解するには、粒子が障壁の一方の側から反対側へ、常識では不可能なはずの方法ですり抜けるための手段と考えるといい。ここでいう「障壁」とは、十分なエネルギーがないと物理的に通過できない空間領域のことで、SFに登場するフォースフィールド[目に見えないバリア]だとでも考えておけばいい。その領域は、二つの電気伝導体を隔て薄い絶縁体でもいいし、または、呼吸鎖に含まれる二個の酵素のあいだの隙間のように単なる空っぽの空間でもいい。また前に話したように、化学反応を遅くするエネルギーの山でもいい。

例として、低い山へ向かってボールを蹴り上げたとしよう。ボールが頂上にたどり着いて反対側へ転がり落ちるには、十分な強さで蹴らなければならない。斜面を登るにつれて徐々に減速し、十分なエネルギーがなければ(十分に強く蹴らなければ)、途中で止まって再びこちらへ転がり落ちてくる。

古典的なニュートン力学によれば、ボールがこの障壁を通過するには、エネルギーの山を乗り越えるのに十分なエネルギーを持っていなければならない。しかし、もしこのボールがたとえば電子で、山が反発力によるエネルギー障壁だったとしたら、電子は波動として、もっと効率の良い別の方法で障壁をすり抜ける確率が少しだけある。これが量子トンネル効果だ。

量子力学の重要な特徴として、軽い粒子ほど容易にトンネルできる。このプロセスが素粒子の世界の至るところで起きるものだとしたら、トンネル効果がもっともよく見られるのは当然きわめて軽い素粒子である電子だということになる。

金属に電場をかけると電子が飛び出してくる、電解放出と呼ばれる現象は、1920年代後半にトンネル効果として説明された。ウランなど一部の原子核がときどき粒子を吐き出す、放射性崩壊の現象がどのようにして起きるのかも、量子トンネル効果で説明された。これが、原子核物理学の問題に量子力学を応用した初の例となった。化学では、電子や陽子(水素原子核)、さらにはもっと重い原子の量子トンネル効果についても詳しく解明されている。

量子トンネル効果はその重要な特徴として、ほかの多くの量子現象と同じく、物質粒子が広がった波動のような性質を持っているために起きる。しかし、膨大な数の粒子からなる物体がトンネルするには、すべての構成粒子の波動的性質が山や谷を一致させて歩調を合わせ、コヒーレントと呼ばれる状態、すなわち「同調」した状態を保っていなければならない。 

「同調(コヒーレント)」という言葉から頭に浮かんだのが、「日体大の集団行動」です。

 画像出展:「grapeさま:“【圧巻】日体大の美しすぎる集団行動!なんでぶつからないの!?”

逆に、多数の量子波がすべてあっという間に歩調を乱して、全体のコヒーレントな振る舞いが消し去られ、物体が量子トンネル効果を起こす能力を失ってしまうプロセスを、デコヒーレンスという。粒子が量子トンネル効果を起こすには、障壁をすり抜けるためには波動の状態を保っていなければならない。そのために、フットボールのような大きい物体は量子トンネル効果を起こさない。何兆個という原子からできており、調和したコヒーレントな波動として振る舞うことができないからだ。 

 画像出展:「13歳からの量子論のきほん」

量子の基準から見れば細胞も大きい物体なので、一見したところでは、原子や分子がほぼでたらめに動き回っている温かく湿った細胞のなかに量子トンネル効果が見つかるとは思えない。しかし先ほど説明したように、酵素の内部は違っており、粒子は無秩序に騒いではおらず、一糸乱れぬダンスを踊っている。そこで、このダンスが生命にどのような違いをもたらすのか、それを探っていくことにしよう。』

上記文章の最後に書かれた「酵素の内部は違っており、粒子は無秩序に騒いではおらず、一糸乱れぬダンスを踊っている。」について、どこで説明されているのか確認しました。正直、あまり自信がないのですが、次の文章(“●遷移状態理論ですべて説明できるのか?”より)のことだと思います。

『もう一つの謎が、酵素自体の構造がさまざまな形で変化すると酵素の活性がどのように影響を受けるかだ。たとえば、コラーゲナーゼはあらゆる酵素と同じく、活性部位のなかにある顎や歯と、それを支えるたんぱく質の台座からできている。顎や歯を作っているアミノ酸が置き換わると酵素の能力は大きな影響を受けると予想され、実際にそのとおりになる。しかし驚くことに、活性部位から遠く離れた位置のアミノ酸が置き換わっても酵素の能力は劇的な影響を受けることが分かっている。何の影響もないはずの形で酵素の構造が変わっても、なぜそのような劇的な違いが生じるのかは、標準的な遷移状態理論の枠組みではいまだに謎のままである。しかし実は、量子力学を考え合わせると理屈が通るようになるのだ。この発見については、本書の最後の章で再び取り上げよう。』

この最後の章とは「第10章 量子生物学―嵐の緑の生命」になりますが、この中で“一糸乱れるダンスを踊っている”について述べられています。それは最初に出てくる“●素晴らしいグッド・ヴァイブレーション(バップ、バップ)”に書かれています。

『この分野におけるきわめて刺激的な新しい成果のなかには、光合成のさらなる研究によって得られたものもある。第4章[量子のうなり]で話したように、微生物や植物の葉には、クロロフィル色素分子の森に覆われた葉緑体がぎっしり詰まっている。光合成の第一段階では、光子が一個の色素分子に捕らえられ、それが振動励起子[レイキシ:結晶内を自由に移動する中性の粒子]に変換されてクロロフィルの森の中を素早く移動し、反応中心にたどり着く。また、そのエネルギー輸送プロセスには、量子のうなり[量子コヒーレント状態の実験で600フェムト秒にわたって信号が上下に振動するということ]という、コヒーレント状態が存在する証拠が見つかっており、このプロセスの効率がほぼ100パーセントであるのは、励起子が量子ウォークによって反応中心にたどり着くからだという証拠が得られている。しかし、分子ノイズに満ちた細胞という環境のなかを移動する励起子が、どのようにしてコヒーレントな波動的振る舞いを維持しているかは、最近まで謎だった。いまや明らかとなったその答えによれば、生命系はどうやら分子振動を抑えようとしているのではなく、逆にそのビートに合わせてダンスをしているらしいのだ。 

ノイズ(分子振動)を利用して量子コヒーレンスを維持する

第10章の“●古典的な嵐の縁に立つ生命”の中に、量子コヒーレンスを維持する方法が説明されています。

『シュレーディンガーが数十年前に示した生命の本質に関する疑問の答えは出てくるのだろうか? すでに説明したようにシュレーディンガーは、きわめて秩序立った生命体の身体全体から、熱力学の嵐の海を経て量子の基岩へ至るまで、すべてを貫く秩序に支配された系が生命であると見抜いた(図10-1 

先に「ニュートン力学」「熱力学」についてご紹介したものです。

画像出展:「量子力学で生命の謎を解く」

 

 

 

そして重要な点として、1930年代にパスクアル・ヨルダンが予測したとおり、量子レベルの出来事がマクロな世界に影響をおよぼすことができるよう、この生命のダイナミクスは微妙なバランスを取っている。このようにマクロな世界が量子の世界に大きく影響を受けるという性質は、生命特有のものである。そのおかげで生命はトンネル効果やコヒーレンスやもつれ[重ね合わせ]といった量子レベルの現象を利用することで、独特の存在となっているのだ。

しかし重要な条件として、このように量子の世界を利用するには、デコヒーレンスを食い止められなければならない。そうでないとその系は量子的性格を失い、「無秩序から秩序へ」の法則に従う完全に古典的な、または熱力学的な振る舞いをするようになってしまう。科学者はこれまで、量子反応を邪魔をする「ノイズ」を遮断することで、デコヒーレンスを回避してきた。しかしこの章で分かったように、どうやら生命はそれとはまったく違う戦略を取っているらしい。コヒーレント状態をノイズに邪魔されるのではなく、逆にノイズを利用して量子の世界とのつながりを維持しているのだ。

生命は量子の世界と古典的な世界との縁を航海している。細胞は細長いキールを量子の層までまっすぐに突き刺した船のようなもので、そのためにトンネル効果や量子もつれなどの現象を利用することで生きつづけることができる。量子の世界とのこの結びつきを積極的に維持するには、量子コヒーレンスを壊すのではなく維持しなければならない。

 画像出展:「量子力学で生命の謎を解く」

 

 

 

付記ほぼ妄想

ボート競技の“エイト”も「同調(コヒーレンス)」が印象的なスポーツです。写真では背を向け先頭にいる選手が舵手です。

三層目の量子力学の層にも、隠された「舵手」のような全体の動きを調整するメカニズムがあり、それが量子スピンや分子振動といったダイナミックなエネルギーをうまく利用してバランスを取り、コヒーレンスを維持しているかもしれません。アメリカ人が難なく英語(母国語)を操るように、量子の世界では当たり前のことなのかもしれません。

 画像出展:「TOKYO2020

 

 

 

現在の量子コンピュータはコヒーレンスを維持するために、プロセッサをマイナス273℃で冷やしているそうです。このような自由を奪う方法ではなく、上記のような「舵手」が現れれば量子コンピュータはもっともっと魅力的で現実的なものになると思います。

 世界が注目する商用量子コンピュータメーカー「D-Wave」とは?

『D-Wave Systemsが公開している情報によれば、量子コンピュータ「D-Wave」シリーズの見た目は、大きな黒く四角い箱型だ。もちろんただの「黒い箱」ではない。日常的にわれわれが使っているコンピュータとは違い、筐体の内部は「大きな冷蔵庫」のようになっている。量子コンピューティングのカギとなる量子状態をプロセッサに作り出すため、極低温に冷やす仕組みを備えている。プロセッサは約マイナス273℃にも冷えており、絶対零度をわずか0.015℃だけ上回る温度で駆動するという。』 画像出展:「MUFG Innovation Hub

生物と量子力学1(光化学コンパス)

量子力学はマクロの世界の力学でもありますが、その真骨頂は、原子よりも小さい電子などのミクロの世界を正しくはかる唯一の理論であるということです。半導体などの様々なテクノロジーは量子力学の上に立脚しています。さらに生物においてもミクロの世界の遺伝子などは量子の世界に踏み入れなければなりません。

しかしながら、「では、目に見える生き物にとっての量子力学とは何なのか、どこに活かされているのか?」という疑問は残ったままでした。

今回の『量子力学で生命の謎を解くはそのようなモヤモヤから見つけた本です。これも私にとっては難攻不落の果てしなく難解な内容なのですが、興味、関心がまさったというところです。とは言うものの、難しさは想像以上でブログに残したい気持ちは強くあるものの、何を書けばいいのか、何が書けるのか、早々に行き詰ってしまいました。

そして迷った末に、後先を考えず興味のある3つを取り上げることにしました。

1.光化学コンパス生き物の中の量子力学

2.酵素「生命の中核」とされている酵素

3.意識意識と量子力学

なお、順番は逆になりますが、最後に目次をご紹介しています。

 

著者:ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン

出版:SBクリエイティブ

初版発行:2015年9月

 

こちらは原書です。

題名は、”Life on the Edge:The Coming of Age of Quantum Biology” でした。

続いて、二人の著者をご紹介します。

1.ジム・アル=カリーリ

英国サリー大学の理論物理学教授。原子核物理学と並行して量子生物学の研究をおこなっている。王立協会のマイケル・ファデラー賞や大英帝国勲章などを受賞。

こちらはログミーBizに掲載されている”宇宙の中で最も小さな構造を研究をする「量子生物学」”と題するもので、ジム・アル=カリーリ先生が量子生物学の紹介をされています。以下は、その冒頭部分の一部です。

 

『皆さんに新たな科学の分野をご紹介しましょう。まだ推論の段階ですが、非常に興味深く、急成長中の分野です。量子生物学の問いかけは非常に単純です。量子力学という、現代の物理学と科学の多くを支えている原子と分子の世界についての、奇妙でかつ素晴らしい強力な理論は、生細胞の内側でも役割を果たしているのでしょうか? 言い換えると、生物の中には、量子力学の助けを借りないと説明し得ないようなプロセスや構造や現象が存在するのでしょうか?』

2.ジョンジョー・マクファデン

英国サリー大学の分子生物学教授。遺伝病や感染症の研究を経て、現在は病原微生物の遺伝の研究とともに、量子生物学やシステム生物学の研究をおこなっている。

クリック頂くとジョンジョー・マクファデン先生のホームページ”Johnjoe Mcfadden”に移動します。英語ですがサリー大学での33分の講義もあります。私には二重苦のため無意味なのですが、少しのぞいて見たところスライドを使ってご説明されていました。

本書、『量子力学で生命の謎を解の「第1章 はしがき」の中に量子力学の特徴を説明している個所がありますので、まずはそれらをご紹介したいと思います。

見えない不気味な現実

『現代の科学者に、科学全体のなかでもっとも成功し、もっとも幅広い影響をもたらし、もっとも重要な理論は何だと思うかを世論調査したとすると、その答えは、回答者が物理科学の研究をしているか生命科学の研究をしているかによって違ってくるだろう。ほとんどの生物学者は、自然選択に基づくダーウィンの進化論を、これまでに考え出されたなかでもっとも深遠な理論とみなす。しかし物理学者は、量子力学が第一位に来るはずだと主張するだろう。物理学と化学の大部分の基礎であり、宇宙全体の世界のしくみに関する現代の知識の大部分は崩れてしまうのだ。

「量子力学」という言葉はほぼ誰でも聞いたことがあるだろうが、この学問分野は不可解で難しく、ごく一握りの人間しか理解できないというイメージが大衆文化に植え付けられている。だが実は、20世紀前半以降、量子力学は我々の生活の一部をなしている。この学問は1920年代半ばに、きわめて小さい世界(いわゆるミクロの世界)、つまり、身の回りのあらゆるものを形作っている原子の振る舞いや、その原子を形作っているさらに微小な粒子の性質を説明するための数学理論として編み出された。量子力学はたとえば電子がどのような法則に従うかや、原子のなかで電子がどのように分布するかを記述することで、化学、物質科学、さらにはエレクトロニクス全体の基礎をなしている。確かに奇妙ではあるが、その数学的な法則は過去半世紀に実現したほとんどの技術的進歩の根幹をなしている。物質のなかを電子がどのように移動するかを量子力学で説明できなかったら、現代のエレクトロニクスの基礎をなす半導体の振る舞いは理解できなかっただろうし、半導体を理解できなければ、シリコンのトランジスタも、のちのマイクロチップや現代のコンピュータも開発できなかっただろう。例を挙げればきりがない。量子力学によって知識が発展しなかったら、レーザーは存在しなかっただろうし、ゆえにCDもDVDもブルーレイプレイヤーもなかっただろう。量子力学がなかったら、スマートフォンもGPSもMRIもなかっただろう。概算によれば、先進国の国内総生産の三分の一以上は、量子世界の力学の知識がなければ存在しなかったはずの応用技術に依存しているのだ。

それでもまだ始まりにすぎない。ほぼ間違いなく我々の生きているうちに到来する、量子が開く未来では、レーザー駆動の核融合によってほぼ無尽蔵に電力が得られ、人工分子マシンによって工学や生化学や医学の分野でさまざまなことが可能になり、量子コンピュータによって人工知能が実現、テレポーテーションというSFのような技術が情報伝達に日常的に使われるかもしれない。20世紀の量子革命は、21世紀になってさらに勢いを増し、我々の生活を想像もできないような形に変えるだろう。

しかし、量子力学とはいったい何だろうか? この疑問は本書を通じて探っていくことになる。手始めにここでは、我々の生活の礎となっている見えない不気味な現実の実例をいくつか紹介しよう。』

量子力学がありふれたものだとしたら、なぜ量子生物学に注目すべきなのか?

『~ 物理実験室の外ではいったい何が、同じように量子的振る舞いを壊しているのだろうか?

その答えは、大きい(マクロな)物体のなかで粒子がどのように並び、どのように動いているかに関係している。原子や分子は、生きていない固体のなかではランダムに散らばって不規則に振動していることが多い。液体や気体のなかではさらに、熱のためにたえずランダムな要因によって、粒子の不安定な量子的性質はあっという間に消えてしまう。物体を構成するすべての量子的粒子の作用が組み合わさって、それぞれ互いが互いを「量子測定」する。それによって、我々の身の周りの世界は正常に見えているのだ。量子の不気味さを観察するには、普段と違う場所(太陽の内部)に行くか、ミクロの世界を深くまでのぞき込むように仕向けるしかない(MRI装置に入ってあなたの体内にある水素原子核のスピンを整列させるように。しかし磁石のスイッチが切られると、原子核のスピンの向きは再びランダムになり、量子の干渉は打ち消し合って消えてしまう)。このような分子のランダムな振る舞いのおかげで、我々はほとんどの場合、量子力学を知らなくてもやっていける。周りに見える生きていない物体のなかでは、ランダムな方向を向いてつねに動き回っている分子によって、量子の不気味さはすべて消し去られてしまっているのだ。』

なお、「量子の不気味さ」については、「量子的奇怪さ」というブログ“量子論2”の中でご紹介した個所が近い内容になっています。ご参考にして頂ければと思います。

また、今回の「疑問」(生き物にとっての量子力学とは?)と重なるような内容も本書にはありますので、こちらもご紹介します。

量子力学がありふれたものだとしたら、なぜ量子生物学に注目すべきなのか?

『~ 生物学は詰まるところ応用化学の一つで、化学は応用物理学の一つだ。だから、我々もほかの生き物も含めすべての物体は、おおおとまでさかのぼれば単なる物理なのではないか? 多くの科学者は、深いレベルでは生物にも量子力学が関係しているはずだという考え方を受け入れながらも、その役割はわざわざ取り立てるほどのものではないと言い張っている。どういうことかというと、原子の振る舞いは量子力学の法則に支配されていて、生物には突き詰めれば原子の相互作用が関係しているのだから、量子の世界の法則が生物の体内の微小スケールでも作用しているのは確かに間違いないが、それはその微小スケールだけでの話であって、生命にとって重要な大きなスケールのプロセスにはほとんど、あるいはまったく影響をおよぼさないということだ。

もちろんそうした意見も、少なくともある程度は正しい。DNAや酵素などの生体分子は陽子や電子といった素粒子からできていて、素粒子の相互作用は量子力学に支配されていることになる。車やトースターの働きが突き詰めると量子力学に支配されているのと同じように、あなたが歩き、話し、食べ、寝て、さらに考えるしくみも、究極としては電子や陽子などの素粒子を支配する量子力学的な力によって決まっているのだ。しかしあなたがそれを知る必要はほとんどない。自動車整備工が大学で量子力学の講義に出る必要はないし、ほとんどの生物学科のカリキュラムでも、量子トンネル効果や量子のもつれや量子の重ね合わせにはまったく触れられない。根本的なレベルで見れば、この世界は馴染みのものとまったく異なる法則に従って動いているのだが、そのことを知らなくても、ほとんどの人は問題なく暮らしていける。微小レベルで起きる不気味な量子現象は、我々が日々目にしたり使ったりしている車やトースターのような大きい物体には、ふつうは何の作用ももたらさないのだ。

なぜだろうか? フットボールが壁をすり抜けることもなければ、人間どうしが不気味な結びつきを持つこともないし(いんちきなテレパシーは別だが)、残念なことにあなたが同時にオフィスと自宅の両方にいることもできない。それでも、フットボールや人体のなかに存在する素粒子はこうした芸当をすべてできる。我々が見ている世界と、物理学者が知っている、その水面下に存在している世界とのあいだには、なぜこのような境界線、いわば断層が走っているのだろうか?

上記の「物理学者が知っている、その水面下に存在している世界に関しては、おそらくこのことだろうという”イメージ図(図10-1)”が10章にありましたので、本書の文章と合わせてそちらもご紹介します。

『~ ほとんどの生物は比較的大きい物体である。その全体の動きは、列車やフットボールや砲弾と同じくニュートンの法則にかなりよく従っている。大砲から撃ち出された人間は砲弾とほぼ同じ軌道を描く。もっと深いレベルに目を向けると、組織や細胞の生理も熱力学の法則でよく説明することが。肺の膨張と収縮は、風船の膨張と収縮とさほど違わない。そのため一見したところ、コマドリや魚や恐竜、リンゴの木やチョウや我々の身体のなかでも、ほかの古典的な物体の内部と同じく、量子的な振る舞いは消し去られていると考えたくなるし、ほとんどの科学者もそう決めつけていたはずだ。しかしここまで見てきたように、生命に関しては必ずしもそうではない。その根をたどっていくと、ニュートン的な表層から荒れ狂う熱力学の層を貫いて量子の基岩にまで達しており、それによって生命は、コヒーレンスや重ね合わせ、トンネル効果やもつれ状態を利用することができる。 ~』

一番上の層とされる“ニュートン力学”とは、アイザック・ニュートンが、運動の法則を基礎として構築した力学の体系です。その運動法則は以下の3つになります。

ニュートンの運動法則

第一法則(慣性の法則)

 外的な力が加わらない限り、物体は静止或いは等速直線運動を続ける。

第二法則(運動法則)

 物体の加速度は、加えた力に比例し、その質量に反比例する。

第三法則(作用・反作用の法則) 

 物体が互いに力を及ぼし合うときには、同一直線上で互いに逆向き・同一の大きさの力が働く。

2番目の層に明記されている“熱力学”ですが、全く分からなかったのでしらべてみました。

以下は“コトバンク”にある“ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典”の「熱力学」と「統計熱力学」に関する解説です。※クリック頂くと”コトバンク”に移動します。

熱力学

熱と仕事は交換しうるという原理の上に立って、化学変化に伴うエネルギー変化の様子を調べ、反応の進む方向や平衡条件などについて論じる学問。その基本原理は経験則に基づいた熱力学第一法則、熱力学第二法則、熱力学第三法則から成り立っている。熱力学にはまた分子論的立場から論じる別の取扱い法がある (統計熱力学 )

統計力学

統計物理学ともいう。物質を構成する多数の粒子の運動に力学法則および電磁法則と確率論とを適用し、物質の巨視的な性質を統計平均的な法則によって論じる物理学の分野。これにより巨視的世界と微視的世界とが結ばれる。気体の巨視的性質を気体分子の運動によって説明した分子運動論に始り、J.C.マクスウェル、L.ボルツマンが分子の速度分布、エネルギー分布を導入、J.ギブズが統計集団の考えを導入して熱平衡状態の統計力学を完成し、熱力学の微視的な基礎づけを与えた。これは統計熱力学とも呼ばれ,比熱,熱放射,相転移,誘電率,磁性など静的な性質を扱うものである

最後の3層目は”量子力学”です。”イメージ図(図10-1)”内の説明書きの最後に書かれた、生物は現実の量子の基岩にまで根を張っているこれが知りたかったことです。本書にはその事例がいくつも出ていますが、第1章の書き出しは次の文章で始まります。

『年明け、ヨーロッパに冬の寒波が訪れ、夕暮れの空気は身を刺すような冷たさだ。若いコマドリの心の奥深くに潜んでいた、それまではぼんやりとした目的意識と決意が、徐々に強まってくる。

この鳥はこの数週間、普段の量よりはるかに大量の昆虫やクモや毛虫や果実をむさぼり食い、いまでは体重は、去年の八月に我が子が巣立ちしたときの二倍近くになっている。その体重の追加分のほとんどは脂肪の蓄えで、まもなく出発する困難な旅路の燃料として必要になる。』

画像出典:Hetena Blog“身近な存在としての量子力学(1)

この天城高原さまの“量子力学とHaskell”という23編のブログは「とにかく凄い‼」のひとこと、必見です‼

 

 そして、本書を締めくくる最後の「エピローグ 量子生命」の中でヨーロッパコマドリが再登場します。ここには量子力学との関わりも具体的に書かれています。

ただし、その後の文章で補足されているように、「すべての性質が量子力学的であるとは断言することはできない」と書き添えられています。

 『第1章で出会ったヨーロッパコマドリは、地中海の日の光のもとで無事冬を越し、チェニジア・カルタゴのまばらな森や古代の遺跡のあいだを飛び回りながら、ハエや甲虫、毛虫や種子で身体を太らせている。それらはすべて、我々が植物や微生物と呼ぶ、量子のパワーを得た光合成マシンによって空気と光から紡ぎ出された生物有機体でできている。しかしいまや真昼の空高くに太陽が昇り、その強烈な熱によって、森を走る浅い小川は干上がっている。森は乾燥し、ヨーロッパコマドリにとっては過酷な場所になろうとしている。旅立つ頃合いだ。

夕方、我らが小鳥は飛び上がってスギの高い枝に止まる。何か月も前と同様に入念に羽づくろいをしながら、同じく長旅への欲求にかき立てられたほかのコマドリたちの鳴き声に耳を傾ける。太陽の最後の光が地平線に沈むと、コマドリはくちばしを北に向け、翼を広げて夕暮れの空へ飛び立つ。

コマドリは北アフリカの海岸目指して飛び、そのまま大西洋を渡る。六か月前とほぼ同じルートだが、今度は逆方向へ、再び量子のもつれ状態の針を備えたコンパスに導かれて進む。一回一回の羽ばたきは筋肉線維の収縮によって駆動され、そのエネルギーは呼吸酵素の中で電子と陽子が量子トンネル効果を起こすことで供給される。何時間もかかってコマドリはスペインの海岸へたどり着き、アンダルシアの森に覆われた谷に舞い降りて、ヤナギやカエデ、ニレやハンノキ、果樹や、キョウチクトウの花を咲かせる低木といった、豊かな植物に囲まれて身を休める。いずれの木も、量子のパワーを得た光合成の産物だ。すると、匂い分子が漂ってきてコマドリの鼻孔に入り、嗅覚受容体に捕えられる。量子トンネル効果によって神経信号が発せられ、それが量子コヒーレント状態にあるイオンチャネルを介して脳に伝えられる。コマドリは近くに柑橘系の花が咲いていることを知り、そこに集まって花粉を媒介するハチなどの昆虫を食べて、旅の次なる段階の糧を得る。

何日も飛んだ末にコマドリはついに、何か月も前に旅立ったスカンジナビアのトウヒの森へ戻ってくる。最初にやるべきはつがいの相手を探すこと。オスのコマドリは数日前に到着している。ほとんどのオスは巣作りに適した場所を見つけ、さえずりでメスにアピールしている。我らがコマドリはとくに美しい歌声のオスに惹かれ、求愛の儀式の一環として、オスが集めた幼虫を味わう。つかの間の交尾によってオスの精子とメスの卵細胞が合体し、オスメスそれぞれの形、構造、生化学、生理、解剖学的特徴、さらにはさえずりをコードした量子ベースの遺伝情報が、新たな世代のコマドリにほぼ完璧にコピーされる。量子トンネル効果によって生じたいくつかのエラーは、この種の将来の進化のための原材料となる。』

 『もちろんここまでの章で強調してきたように、いま挙げたすべての性質が量子力学的であるとはいまだ断言することはできない。しかし、コマドリやカクレクマノミ、南極の氷の下で生き延びる細菌、ジュラ紀の森を闊歩してきた恐竜、オオカバマダラやショウジョウバエ、あるいは植物や微生物の持つ独特の素晴らしい性質のほとんどは、間違いなく、彼らが我々と同じく量子の世界に根を張っているという事実によって授けられている。いまだ分かっていないことはあまりにも多いが、いかなる新たな研究分野でも、分かっていない事柄にこそ美しさがある。アイザック・ニュートンもこう言っている。

世間が私をどう見ているかは分からないが、私自身は、少年のように海岸で遊び、ふつうよりすべすべした小石やきれいな貝殻を時折見つけては喜んでいるにすぎないように思える。その一方で、目の前には完全に未知なる真理の大海原が広がっている。』

ヨーロッパコマドリの光化学コンパスのメカニズムに関しては、第6章の、“●鳥のコンパス”、“●量子スピンと不気味な作用”、“●ラジカルな方向感覚”の3つに書かれています。内容は極めて専門的であり、26ページに亘っています。しかしながら、次のような記述が加えられています。

『~ しかし最近、この結果の意義に対しては疑問が投げかけられている。オルデンブルク大学のヘンリク・モウリストンの研究グループは、さまざまな電子機器から発生する人工的な電磁波のノイズが、大学のキャンパスにある遮断していない木造の鳥小屋の壁からなかに入り、鳥の磁器コンパスを乱していることを発見した。しかし、都市の電磁波ノイズを約99パーセント遮断する、アルミニウムで覆った小屋に鳥を入れると、方向感覚が回復した。この結果から考えると、狭い範囲の振動数の電磁波だけが鳥のコンパスを乱すのではないらしい。

このように、鳥のコンパスにはまだいくつも謎が残されている。たとえば、コマドリのコンパスはなぜ振動磁場にあれほど敏感なのか? あるいは、遊離基[フリーラジカル:ペアになっていない電子を抱え、非常に反応しやすくなっている原子や分子]はどのようにして長時間にわたってもつれ状態を維持し、生物学的な違いを生じさせるのか? ~』

このように確定には至っていない状況から第6章には触れず、その代わり、日経サイエンスのバックナンバーと、ネット上にあった資料(2016年「化学と教育 64巻7号“渡り鳥の光学コンパスと分光測定”」)、同じくネット上にあったニューズウィーク日本版の記事(2018年4月5日:“渡り鳥をナビゲートする「体内コンパス」の正体が明らかに”)をご紹介したいと思います。

2011年10月号 日経サイエンス 特集“シュレーディンガーの鳥 生命の中の量子世界”


シュレーディンガーの鳥

『ヨーロッパコマドリは小さくて賢い鳥だ。毎年、冬になる前にスカンジナビアからアフリカの赤道付近にやってきて、春になって北の気候が良くなると再び帰っていく。コマドリはこの1万3000㎞におよぶ往復旅行を、ごく自然に易々とやってのける。

渡り鳥など一部の動物は体内に方位磁石を持っているのではとの疑問は、かねてあった。1970年代、ドイツのフランクフルト大学の研究者、ウィルシュコ夫妻(Wolfgang and Roswitha Wiltschko)はアフリカに渡ったコマドリを捕らえ、人工的な磁場の中に置く実験を行った。奇妙なことに、コマドリは磁場の方向が逆転しても気づかなかった。つまりコマドリにどちらが来たか南かを聞いてもわからないのだ。だが一方でコマドリは磁場の俯角、すなわち磁力線が地表となす角度には反応した。彼らが方向を知るのに使っていたのは、俯角の情報だけだった。面白いことにコマドリに目隠しをすると、磁場にまったく反応を示さなくなった。つまり、コマドリは何らかの方法で、目を使って磁場を検知しているらしい。

2000年、当時南フロリダ大学にいた物理学者のリッツ(Thorsten Ritz)は、渡り鳥に夢中だった。彼の同僚は、量子もつれ[遠く離れた粒子があたかも1つの物体のように連動する]がカギではないかと指摘した。彼らは、イリノイ大学のシュルテン(Klaus Schulten)が以前に実施した研究に基づいて、鳥の目にはある種の分子があり、その中に2つの電子があって、トータルのスピンがゼロになるような量子もつれになっているという仮説を考えた。古典力学では、そのような状況はまったく起こり得ない。

この分子が可視光線を吸収すると、2つの電子はエネルギーを得て量子もつれが崩れ、地磁気を含む外部の影響を感じるようになる。磁場の向きに俯角があると2つの電子に異なる影響を与え、その違いのために分子の化学反応が起きる。目の中で起きるこうした化学反応により神経に伝わる信号が変化し、それによって、最終的には鳥の脳内に磁場の形が描かれる。

リッツが提示したメカニズムには状況証拠しかないが、英オックスフォード大学のロジャース(Christopher T. Rogers)と前田公憲は、リッツが提唱したものとよく似た分子の挙動を、生きた動物の体内とは逆に実験室で実現し、このような分子が、量子もつれになった電子のために実際に磁場に感受性を持つことを示した。私たちの計算によれば、鳥の目の中の量子効果は約100マイクロ秒にわたって持続する。

この時間は、この種の話をする時には十分に長いと言える。人間が作った電子スピンの系では50マイクロ秒が最高記録だ。自然界の系がどうやってこのような長時間、量子効果を維持しているのかはまだわからないが、その機構が解明できれば、量子コンピュータがデコヒーレンス[量子系の干渉が環境との相互作用によって失われる現象]によって壊れるのを防ぐ方法の開発につながるだろう。

量子もつれが働いていると思われる生物の中の系がもうひとつある。植物が太陽光を化学エネルギーに変えるプロセス、光合成だ。植物に光が当たると、細胞内の電子が高いエネルギーを得る。そうやって生じた電子のエネルギーは、すべて同じ場所、このエネルギーによって一連の化学反応を起こし、植物にエネルギーを供給する「反応中心」に到達する必要がある。古典力学ではなぜほぼ100%の高い確率で反応中心に到達するのか説明できない ~』

タイトルをクリック頂くと、2枚もののPDF資料がダウンロードされます。図の1~4は資料の2ページ目にあります。

 

渡り鳥の光学コンパスと分光測定

『渡り鳥は非常に長い距離を、想像を超えた正確さで迷わずに移動する。そのためにどのような情報を用いているのかということは、次第に理解されつつある。太陽、星などの天文情報、に加えて、磁気が非常に重要な情報を与えているとされている。動物の磁気感受は渡り鳥だけではない、近年の研究では蝶やショウジョウバエなどの昆虫や、イモリ、モグラ、そしてネズミも磁場の情報をその行動に役立てているようである。  

しかし、このように多様な動物が磁場を感じることは徐々に知られつつあるが、そのメカニズムはさほど明らかでない。1つの仮説は動物の体内にあるマグネタイトと呼ばれる非常に小さな磁石が、方位磁針と同じように働いているというものである。動物の体内では、多くのマグネタイトが見つかっているが、そのマグネタイトがどのように磁場の向きなどの情報を脳に伝達しているのか? ということはほとんど明らかにはなっていない。

一方で電子を用いたよりミクロな磁気センサーを渡り鳥などがもっているという説がある。多数の実験による状況証拠(図1など)として、磁気感受には光が必要とされ、光化学反応コンパスと呼ばれている。このモデルとしてリッツらは、興味深い仮説を提案した(図A)。鳥の網膜においてラジカル対を作り出す光受容タンパク質分子が規則正しく並び、光を吸収して電子移動反応を起こし、2つのラジカル、すなわちラジカル対を生成する。ラジカル対と地磁気の向きとによって、化学反応性が異なり、それが視覚に影響を与えるなら、網膜上の位置により結果として地磁気の影響を鳥が視覚のパターンとして‘視る’ことになる。  

現在、動物の磁気を感じる最大候補分子としてクリプトクロムタンパク質が挙げられている。クリプトクロムはその機能が謎に満ちた動植物両方がもつ青色受容タンパク質で、近年では生物の概日リズムとの関連が指摘されている。クリプトクロムにおいて、そのフラビン補酵素(FAD)が青色光を吸収し、連続的に存在する3つのトリプトファン残基を通じて電子移動反応を起こし、距離の離れた2つのラジカル分子(ラジカル対)を生成する(図B)。  

ラジカルは孤立した電子を持っている。孤立した電子はそのスピンと呼ばれる自転により、まるで非常にミクロな磁石としてふるまう(図C)。この2つのスピンの相対配向への磁場の影響がその後の反応性を決定づける(図2~ 4)。このメカニズムには通常ミクロな物理現象を説明する「量子力学」が深くかかわっており、生物と量子力学とを結びつける存在として、大きな注目を集めつつある。 

最後に目次をご紹介させて頂きます。

第1章 はしがき

●見えない不気味な現実

●量子生物学

●量子力学がありふれたものだとしたら、なぜ量子生物学に注目すべきなのか?

第2章 生命とは何か?

●「生命力」

●機械の勝利

●分子のビリヤード台

●無秩序な生命?

●生命の奥底をのぞき込む

●遺伝子

●生命の奇妙な笑い

●量子革命

●シュレーディンガーの波動関数

●初期の量子生物学者たち

●微小世界での秩序

●疎外

第3章 生命のエンジン

●酵素-生きているものと死んでいるものを分け隔てるもの

●我々にはなぜ酵素が必要で、おたまじゃくしはどうやって尾をなくすのか

●地形を変える

●激しい運動や振動

●遷移状態理論ですべて説明できるのか?

●電子をあちこちに動かす

●量子トンネル効果

●生物における電子の量子トンネル効果

●陽子をあちこちに動かす

●速度同位体効果

●これで量子生物学は確立するのか?

第4章 量子のうなり

●量子力学の中心的な謎

●量子測定

●光合成中心への航海

●量子のうなり

第5章 ニモの家を探せ

●匂い物質の物理的正体

●匂いの鍵を開ける

●量子の鼻で嗅ぎ分ける

●鼻の戦い

●匂いを嗅ぐ物理学者

第6章 チョウ、ショウジョウバエ、量子のコマドリ

●鳥のコンパス

●量子スピンと不気味な作用

●ラジカルな方向感覚

第7章 量子の遺伝子

●忠実性

●非忠実性

●キリン、マメ、ショウジョウバエ

●陽子によるコード

●量子ジャンプする遺伝子?

第8章 心

●意識はどれほど奇妙なのか?

●思考のメカニズム

●心はどうやって物体を動かすのか

●キュビットを使った計算

●微小管を使った計算?

●量子イオンチャンネル?

第9章 生命の起源

●ねばねばの問題

●ねばねばから細胞へ

●RNAワールド

●量子力学が手助けしてくれるのか?

●最初の自己複製体はどんなものだったのか?

第10章 量子生物学-嵐の縁の生命

●素晴らしいグッド・ヴァイブレーション(バップ、バップ)

●生命の原動力に関する考察

●古典的な嵐の縁に立つ生命

●量子生物学を利用して新たな生命技術を作り出すことはできるか?

●ボトムアップで生命を作り出す

●量子的原子細胞を作り出す

エピローグ (Life on the Edge) 

注)目次に書かれた題名は“量子革命”でしたが、実際に本を開いてみるとエピローグの題名は“量子生命”になっていました。どちらが正しいのか分からないので( )内はLife on the Edgeという原書の題名を書いておきました。

腱の障害

腱鞘炎やテニス肘(上腕骨外[内]上顆炎)、成長期に見られる骨端症(膝:オスグッド病、足部:ケーラー病、イズリン病など)などはいずれも筋腱付着部が問題となります。

そして、損傷した組織の修復には血液が欠かせません。しかしながら、腱は筋肉と異なり血管が乏しいため、鍼灸による施術の科学的効果は筋肉に比べると、一般的に小さいと考えられます。

クリック頂くと、PDF資料(9枚)がダウンロードされます。なお、この資料の中には、次のようなことが書かれていました。

『組織の治癒は適切な血液供給を必要とする。しかし緻密結合組織には血液供給が乏しい。筋・腱接合部または腱の最も外側の膜であるパラテノンには血管、リンパ腺、さらに神経が通っているが、骨・腱接合部には線維性軟骨が存在し、限られた毛細血管を除き血管は通っていない。加えて、豊富な毛細血管をもつ滑膜は腱の周りを覆うが血液供給をしていない。このことから、腱や靱帯は再生能力の低い組織であると言える。

良い施術を行うには患者さまとその病態を正しく知ることが前提になりますが、今回の例で考えれば「腱の問題」の知識を持つことも大切です。

それには、整形外科の先生が行っている腱に対する診断(接し方)を知ることが有効であると思い、その視点でネット検索してみました。その結果、見つけたのが『臨床スポーツ医学 2016年5月 Vol.33』という医学雑誌のバックナンバーであり、特集されていたのは「スポーツドクターのための運動器超音波診療 -東京五輪に向けて-」というものでした。 

ブログは特集編集をされた、城東整形外科副院長である皆川洋至先生からのメッセージをご紹介し、続いて“腱の障害”の内容を箇条書きにまとめました。なお、超音波画像も貼り付けていますが、知識不足のため補足説明等はなく原文のままとなっています。画像を拡大しご確認頂ければと思います。

 

出版:文光堂

発行:2016年5月

特集編集 皆川洋至(城東整形外科副院長)

『枝葉にとらわれず、選択と集中を繰り返す。そんな領域に特化したドクターのことを世間は“専門家”と呼ぶ。この100年間、医学が急速に発展してきた背景には専門家たちによる学問への多大な貢献があった。その一方、専門家にとって興味がない分野は進歩から取り残され、学問の谷間へ落ちた患者が、どこの病院に行っても“専門外”という言葉で行き場を失うようになった。さらに専門領域しか診ない医療システムが医療費高騰を引き起こす原因になった。領域を横断する総合診療医が求められる理由である。

医療費問題に直結しないが、領域横断のニーズはスポーツドクターにもある。パーツの手術ばかりでなく、1)運動器全体を診ることができる2)保存治療にも精通する3)時間制約がある中で選手に試合に送り出すための豊富な知識と経験がある4)競技をとりまく環境やチーム事情を考慮できるネットワークがある、そんなスポーツドクターが求められている。エコーが総合診療やスポーツ医学の世界で急速に存在価値を高めているのは、こへでも簡単に持ち運びでき、診断と治療に即活かすことができる領域横断の道具だからである。

2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催される。スポーツドクターがエコーを使いこなすことは、アスリートのためばかりでなく、ドクター自身のためでもあり、日本人としての誇りでもある。なぜならエコーを使いこなすために学ぶのは整形外科学そのものであり、リアルタイム画像・ドプラ画像・エラスト画像はすべて Made in Japan の技術だからである。

枝葉を取り除きながら育てた木は、大きく育っても細い、光合成する枝葉が多ければ、木は時間をかけてより太く、より大きく育つ。本特集が東京オリンピック・パラリンピックを支える若手スポーツドクターのために、少しでも役立つことを祈る。』

超音波診療で腰痛・膝痛・肩痛を解決! ~レントゲンからエコーへ変わる新時代の整形外科~

整形外科におけるエコーの有効性が詳しく説明されています。

画像出典:「Medical Note」

皆川先生が副院長をされている秋田県にある素晴しい病院です。

また、城東スポーツ整形クリニックもあります。

腱の障害の超音波画像診断

●スポーツ障害は、筋肉、靭帯、腱などの軟部組織の損傷が多い。

●特に青少年期には骨端軟骨や腱付着部の障害など軟部組織の異常を伴うことが多い。

軟部組織の診断、病態の評価は単純X線撮影では難しい。

●MRIは静止画像であること、検査待機時間や撮影時間の問題、医療費など制約が多い。

●超音波断層検査は機器の発達に伴う画像の鮮明化により診断精度が飛躍的に向上した。

●超音波断層検査は機器の軽量コンパクト化により機能性が高まり、動的な血流評価や組織弾性度の測定、複数回の評価による病態の変化の把握も容易である。

スポーツにおける腱の障害(腱付着部の損傷、腱実質の損傷、腱の変性など)の診断のポイントは、付着部から実質部へかけての腱の肥厚の有無、付着部の骨棘形成、腱実質内部の低エコー領域[超音波の反射波が少なく黒っぽく写っている部分のこと]の有無、fibrillar pattern[正常の腱や靭帯に見られるパターン]の消失や乱れ、パワードプラ法による腱表層、あるいは深層の血流増加について評価する。次に異常を疑った部位については、ブローブ圧迫による圧痛の有無、内部エコー、周囲の腫脹の有無について評価する。また、腱の滑走性の評価も可能である。

急性、亜急性の腱の変化

●腱障害のうち比較的急性、亜急性のものでは腱実質の損傷部を腱内部や付着部の低エコー像やfibrillar patternの乱れとして確認することができる。(図1) 

●腱の表層おいて腱付着部の腫脹が膨隆として認められる。(図1)

 

 

画像出典:「臨床スポーツ医学

急性期かどうかの判断には血流の評価が有用である。パワードプラ法を用いればより微細な血流増加を捉えることができる。(図2) 

 

 

画像出典:「臨床スポーツ医学

●画像上異常を認める部分と圧痛部位とが一致するかも腱の変化が急性期のものかどうかの判定に有用である。

腱骨付着部の変化

●オスグッド・シュラッター病に代表される骨端症は成長期スポーツ障害の一つであり、膝蓋腱の脛骨付着部である脛骨粗面の二次性骨化中心の周囲に生じた損傷である。超音波検査では裂離骨折の有無のみならず、裂離部の血流増加や腱の肥厚や周囲の血流の増加、膝蓋下滑液包の水腫など多彩な変化を観察することができる。(図3)

画像出典:「臨床スポーツ医学

さらに損傷部位が治癒するにつれて、骨片の架橋形成[骨折部の橋渡し]、血流の低下や腱の腫脹の減少を確認することができ、スポーツ復帰の許可を判断する目安にもなる。

慢性化した腱の変化

●腱の障害は慢性化すると腱の肥厚が特徴的になる。

●腱の肥厚の原因は、オーバーユースによる腱の微小な損傷と治癒が繰り返されることによって、腱が肥厚するものと考えられるが、正常な腱肥大と異なりfibrillar patternが不明瞭であることが特徴的である。

腱表層の水腫や深層での低エコー像や血流増加像がみられることもあるが、慢性化した障害ではそれらの変化はわずかなことも多い。(図5)

画像出典:「臨床スポーツ医学

慢性化した障害では腱そのものの変化のみならず周囲組織にも十分観察の目を向けて、複雑化した病態の把握に努める必要がある。 

腱の組織弾性の評価

●最近では、腱の弾性を評価することによって、より詳細な腱の評価や腱の変化を捉えることが可能になった。

●腱、筋肉は関節の角度や筋収縮などの条件によって変化する弾性体であり、超音波エラストグラフィーの手法がその質的評価に有用であると考えられている。 

画像出典:「臨床スポーツ医学

分かったこと

1.急性期は腫脹が起こるとともに組織修復のために血流が増加する。そして、治癒により腫脹、血流増加とも消える。このことは、発生した炎症の抑制と組織の再生という治癒の過程を示すものです。また、体を休め筋・腱への負荷を減らす努力が最も望まれることだと思います。

2.慢性期は腫脹も血液増加もあまり見られないことが多い。このことは、治癒という再生のプロセスが停滞している状態と考えられます。

また、文中に『慢性化した障害では腱そのものの変化のみならず周囲組織にも十分観察の目を向けて、複雑化した病態の把握に努める必要がある 』と書かれています。この「病態の把握」というキーワードは「原因の特定」にも関係します。

3.以上のことから、腱の障害において鍼灸師として心がけることは次のようなことだと考えます。

慢性化し血流増加が見られない損傷部位に対し、鍼灸治療を行うことで血流を高め組織再生のプロセスを再点火させる。

施術ポイントを検討する際には、周囲の組織(特に筋肉、筋膜など)の状態や首、腰などの主要関節の問題の有無などを把握し、患部の血流を改善するための方針・対策を明確にして施術にあたる。

付記1超音波エラストグラフィー 

「超音波エラストグラフィー」という言葉が初めてだったので、少し調べてみました。

付記2さいたま市内でエコーによる診断をされているスポーツ整形外科 

病院なび”という検索エンジンを使い、”さいたま市”・”スポーツ整形”をキーワードに検索してみたところ、23件がヒットしました。そして、ホームページをお持ちの病院に関し、設備などを中心に見ていったところ、1つだけエコーを使って腱などの軟部組織の病態を診ていただける病院がありました。ホームページ情報からのものなので他の病院でも、「実はやっている」というところもあるかも知れません。あらためて「まだまだ普及していないのだなぁ」と実感しました。

 

”整形外科エコー検査”として紹介されています。

なお、私自身はお世話になっておりませんので、詳細は不明です。

脳室周囲白質軟化症

今回は業務委託で行っている訪問の仕事の話になります。

およそ半年前、脳室周囲白質軟化症(PVL)の小児障害の患者さま(3歳)へのマッサージがスタートしました。脳室周囲白質軟化症(PVL)は早産による脳室周囲の白質に起こる虚血性脳病変です。血管の発達遅れに伴い脳血管の血流が減少することに起因していますが、脳室に近い部位には、下肢に行く神経線維が通っているため、四肢の痙攣性麻痺や弛緩性麻痺が懸念されます。 

 

こちらは『こどもの発達を考える衝動眼鏡の日常』さまのブログに掲載されていた脳室の図ですが、“脳室周囲白質軟化症 PVLとは”と題するテーマで、大変わかりやすい説明となっています。

 

今回の患者さまの場合も課題は下肢に見られました。顕著だったのは「尖足」(下図右から2番目)でした。また、患者さまとタオルを使った綱引きの遊びをしたときに、X脚(下図中央「外反膝」)になってしまうということに気がつきました。ぐっと踏ん張るためには、腰を落とし膝を外側に開く姿勢が一般的だと思いますが、そもそも腰を落とすことができないということが問題のように感じました。 

こちらの図は『東京リハビリ物語』さまのサイトの“整形外科的診断学”から拝借しました。

 

 

ここで、私は2017年3月にアップした“地に足を着ける”といブログを思い出しました。そして、特に次の内容が重要なのではないかと考えました。

土台をしっかりさせるということは、まさに”地に足を着ける”ことです。このことは”整った身体”を作るコツです。そして、情緒の安定や集中力の向上、意欲の増進につながります。”地に足を着ける”には足首の柔軟性と調整力が必要です。足首が使えていないと、つま先立ちとなり、首が緊張し前傾しやすくなり、その結果、姿勢が悪くなります。』  


足首での姿勢調節ができないと、頭(上体)で調整することになり、ボディバランスにも大きな影響が出ると思います。

なお、これらの絵は、栗本啓司先生の「自閉っ子の心身をラクにしよう!」からの転載です。

 

 

一方、脳室周囲白質軟化症(PVL)のリハビリに関する情報が何かないか調べてみました。

その時、見つけたのが『チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)』というサイトの中にあった“運動障害をもつ子どもに対するリハビリテーション”という論文です。

クリックして頂くとダウンロード(12枚)されます。

 

 

この論文で特に注目したのは、「9.1対象と介入方法」とリハビリの様子と効果を写した「図4・図5」でした。

『対象は、新生児期のMRIでPVLと診断され上肢に明らかな麻痺のない乳児8名(表1)。一般的にPVLによって痙性両麻痺をもつCP(脳性まひ)児は、成長の過程で上肢優位の活動となり、下肢への注意や知覚、身体表象の発達不全、学習性不使用といった状態になりやすいため、出生後早期より下肢に視覚的に注意を向けさせて遊ぶことを通して、運動と随伴的に得られる視覚、聴覚、体性感覚フィードバックの統合から下肢の身体表象の獲得、足部の空間的コントロールを学習をさせた。これは、過去の下肢に対する介入の目的となることが多かった体重の“支持機能”、移動のための“推進機能”とは異なる“空間でのコントロール機能”に着目したものであり、定型発達児において、体重支持や移動を獲得する以前の早期に足部の空間的コントロールが可能になるという先行研究に基づくものである。』

これを元に思いついたのが、カスタネットを用意し椅子に腰かけ、カスタネットと自分の足をよく見てもらいながら足首の運動(足関節の背屈・底屈)によりカスタネットの音を出すという遊びです。

単純に足関節の動作を行なうより、音を出すという面白さや足首の動きを確実に目で確認するという効果を期待して、この遊びをマッサージの前か後に数分やってみようと考えました(最初に「本来は足でたたくものではないよ」と伝えました)

初回は興味をもって積極的にトライしてくれました。しかし、これは思っていた以上に難しいものでした。足関節は尖足のままほぼ固定し、膝の上げ下げ(股関節の屈曲・伸展)でカスタネットを叩こうとしてしました。ここで私は「そうではなく、こんな感じだよ」と言って(否定して)、ゆっくりと足首を上下(足関節の背屈・底屈)させてみましたが、なかなかうまくいきませんでした。

2回目は、「今日はマッサージからやろうか」と話したところ、前回と同じことをやりたいとのことだったので、前回とは少し高さの異なる椅子に変えて同様な試みをしてみました。しかしながら、やはりうまくはいきませんでした。ここで私は心の中で「これは難しい、失敗だった」と思ってしまいました。そして、次の訪問からはマッサージについても、拒否する傾向がみられるようになりました。マッサージ前後の数分という短い時間であれ、安直な気持ちでリハビリに挑戦したことが結果的にはマイナスとなりました。

レビュー

この失敗例に対し、先月学習した”アナット・バニエル・メソッド”に照らし合わせ、何が適切でなかったのかをレビューをしてみることにしました。

最初に、かなり大雑把ですが「あるべき姿」としてまとめ、続いて「9つの大事なこと」に突き合わせて問題点を個別に洗い出しました。 

 

著者:アナット・バニエル

出版:太郎次郎社エディタス

発行:2018年7月

あるべき姿

まず、患者さまの状態、状況の理解を深めることが第一です。続いて、「できないこと」を知ることも必要ですが、支援の扉は「できること」の近くにあると考えるべきです。これは“アナット・バニエル・メソッド”の中では「動きのエッジ部分」と言われているものです。また、「できること」に目を向けることは、脳にとって失敗のパターンを刻むリスクを遠ざけるという利点もあります。

そして、変化を起こすエンジンは患者さまの脳の働きです。さらに支援者とのつながり、脳と脳とのつながりが土台となります。これは支援者の影響力が大きいことを意味します。そのため支援者にはリーダーになる(いい加減なことはできない)という覚悟が求められます。

エンジンを動かすためのガソリンに相当するものは、「気づき・違い」などですが、「学びのスイッチ」がオンになっていることも非常に重要で、エンジンに大きな力を加えます。また、楽しさ、喜び、好奇心などのポジティブな心も極めて重要です】 

 「9つの大事なこと」との突合せ

1.動きに注意を向けること

脳は「失敗のパターン」も再生してしまう

『訓練を機械的・反復的に行なうとき、ある動きができない、うまく動けないという経験に加え、訓練の過程で子どもが味わう失敗に伴う感情も脳の失敗のパターンに刻まれる。』

これは、子どもの状態、状況を正しく理解するためのていねいな観察が前提であり、思いつきでの働きかけなどは慎重でなければならないということだと思います。

2.ゆっくり

スローダウンで「感じとる脳」に

何かができないときは、その能力がまだないということであり、能力を獲得するためには、脳がより細かく差異をとらえ、無数の新しい神経細胞のつながりをつくり、それが統合されなければならない。そのチャンスを最大にするためには、取り組みのペースを思いきり落とすことです。「ゆっくり」は脳の注意を引き、子どもに感じる時間を与える。

これは、新しい動きの習得には脳の対応が必須であり、「ゆっくり」を基本とし焦ることなく、じっくり取り組むことが必要であるということだと思います。

3.バリエーション

動きのエッジ部分にやさしく働きかける

お子さんがすでにできることにバリエーションをとりいれる。

間違いを活用する

子どもが何かを間違った方法でしても、修正しないことです。そう、修正はしません(もちろん、その行動が本人や周囲に危険をおよぼすときは、直ちにやめさせること)。あなたの目には間違いが明らかであっても、本人は気づいていないことが多いのです!間違いを修正しないとは、間違いをなかったことにするという意味ではなく、バリエーションをとりいれるきっかけにするということです。子どもの間違いは、バリエーションを体験するための贈り物です。子どもが間違いをしたら、その間違いに変化をつけてみましょう。

これは、「間違い」という受けとめではなく、「想定外の反応」として評価し、新たなバリエーションのための材料として活用しようというものです。このような意識は全くありませんでした。また、できることにバリエーションをつけるという着想も全くありませんでした。

4.微かな力

感情表現で力をぬく

子どもと向きあうときの感情を和らげる。声をやさしくし、気を楽にもち、子どもに対する期待を減らす。

ここでは、「子どもに対する期待を減らす」ということが大事だと思いますが、同時に「楽しい気持ち」や「つながる気持ち」などもとても大切だと思います。

5.内なる熱狂

喜びを深める力

科学研究から読みとれるのは、あなたが心を熱くすることが子どもの脳に影響を与えるということである。

自分がリーダーになる

子どもは何かをうまくできると、気分をよくし、希望を感じる。一方、あなたの期待に応えられなければ、とまどい、自信をなくし、おどおどする。

これらは、支援(施術)する者の役割の重さに関するものですが、今回の例では、私自身が心の中ではありますが、「失敗だった」と思ってしまったことが最大の問題だったのかもしれません。

6.ゆるやかな目標設定

可能性にひらかれた道

通常、ゴールを目指すときは、目標をできるだけ絞り、できるだけがんばるものです。それは、「がんばれ」「あきらめるな」「苦痛があってこその達成」といった言葉にも表れています。しかし、支援が必要な子どもの場合、このような取り組み方は逆効果のことが多いのです。柔軟性に欠ける方法で力まかせにゴールを目指すと、子どもの力をさらに制限してしまうことになりかねません。

これも3の「バリエーション」にあった「動きのエッジ部分にやさしく働きかける」という「できること」に目を向けるということに関わるものだと思います。

7.学びのスイッチ

ひとりの人間としてみる

一般的には、子どもの課題やできないことに焦点を絞った対応がなされるものだと思いますが、これにはひとつ、大きな欠点があります。そのようにするとき、ひとりの子どもの全体がみえなくなるのです。内側に豊かな経験と複雑さを抱える子どもの全体像をつかめなくなり、型にはまった見方をするようになります。そして、気づかないうちに自分の「学びのスイッチ」をオフにしてしまします。ところが、視野を広げ、自分の懸念やその子の限界にとらわれずに子どもをみるようになると、あなたの「学びのスイッチ」はふたたびオンになります。すると、子どもを総体としてとらえるようになり、以前は気づかなかったことに気づき、子どもに関わっていく新たな方法を見つけることができます。子どもに役立つチャンスが急に到来するようになり、あなたは、子どもの脳が識別し、進化をとげる手伝いを創造的に行なうようになります。このようなプロセスは、私たちの「学びのスイッチ」だけでなく子どもの「学びのスイッチ」もオンにし、脳の整理能力を全体的に引き上げてくれます。子どもは、私たちが予想もしない方法で、もっとも困難な分野の能力を伸ばしていくものです。

これは「学びのスイッチ」に関して書かれたものですが、まさにまとめになるような内容です。

8.想像すること、夢みること

遊ぶ

遊びは子どもの想像力をかき立てるもっとも手ごろな方法です。ところが、私たちが子どもとすることというのはひじょうにまじめで型にはまったものが多いのです。特別な支援を必要とする子どもがセラピーを受けるときや家庭教師にみてもらうときは、とくにそうなりがちです。そのようなときはゲームにして想像力をフルに使うようにすると、楽しく、効果も上がります。子どもの体験に喜びや好奇心が加わり、脳の処理能力が高まり、創造力が目覚めます。

ここでも、脳の活性化には楽しさ、喜び、好奇心が重要であることがわかります。

9.気づき

「気づき」は行為だ

「気づいている」ときの子どもは、脳のもつ「変化をとげる」力を活用しています。このとき子どもの脳は大きく飛躍し、つぎのレベルのさまざまな能力を獲得することができます。子どもが自分の動きや思考、感情、行為に「気づいている」と、それを続けるか、やめるか、やり方を変えるか試行錯誤するとき、その子は気づいています。言葉が出はじめるまえから、子どもは気づくことをはじめています。「気づき」のスキルもまた、発達し、進化していきます。ほかのスキルと同様に磨くことができ、磨くほどに上達し、困難を乗り越えていく力になります。

7で「学びのスイッチ」というものがありましたが、気づきとは「学びのスイッチ」より前に存在するスイッチだと思います。また、繰り返しになりますが「気づき」にとっても、楽しさ、喜び、好奇心が大きく関わっていると思います。

最後に本書の中から実践編とも言えるものを一つご紹介させて頂きます。

快適に動くために―足の遊び

特定の動きが困難で、子どもが過剰に力を使っている場合、力を減らせるよう穏やかに導く方法を探します。身体を動かすときの力を減らすためには、体位を変えることが有効かもしれません。

たとえば、歩くときに左右の脚を大きく開き、よくつまずいて転ぶ子どもには、立ったり、歩いたりするときに筋肉に余分な力が入っています。そのため、立っているときに、自分の両脚が大きく開いているか、くっついているか、腰の真下に並んでいるかの違いを感じとることができていません。余分な力が大きなノイズ(雑音)となって、関節や筋肉と脳の繊細なやりとりをじゃましていると考えてください。そのようなときは、余分な力のボリュームを下げ、わずかな違いを感じることを助けてくれる遊びをしてみましょう。』

 まず、子どもをイスに座らせます(立った状態だと転ばないように力を入れてしまいますが、座ると過剰な努力をしなくてすみ、感じとる力が高まります)。このとき、足が床につき、楽に座れるようにします。子どもが楽に座ったら、自分の足を見て、左右の足のあいだの距離を、胸の前で両手で示すように言います。その距離が正確かどうかは気にしません。つぎに、子どもの両手を思いっきり離し、「手が遠くに離れているね」と声をかけます。両手を近づけさせ、「近づいた」と声をかけたら、ひざの上に降ろすように言います。 

 つぎに、子どもに目を閉じてもらい、やさしく足をとり、左右の足のあいだを離します。子どもが不快に感じる距離にはしません(あくまで余分な力を減らし、動きを感じられるようにするための遊びであることを忘れないでください)。「両方の足は近くにあるかな? それとも離れているかな?」と尋ねます。回答の正否は問わず、間違っても直しません。目を閉じた子どもにただ自分の足を感じさせ、足がどこにあるかを推測させるのです。目を開けるように言い、自分の目で距離を確認させます。

 再度、子どもに目を閉じてもらいます。右足をとって左足に近づけ、「足を動かしたのを感じた?」と尋ねます。おそらく「うん」と答えるでしょう。さらに「足はもう片方の足に近づいたかな? それとも遠くに離れたかな?」と尋ねます。お子さんが幼くてまだ話せない場合は、質問をするのではなく、子どもに加えた動きをそのまま言葉にします。同じことをもう片方の足でも行ないます。動かすとき、足にかける力を一回ごとに弱めていきます。その後、本人に片方の足を動かすように言います。まず、力を強く入れて動かすように言い、つぎに力をあまり入れずに動かすように言ってください。

 この遊びを五分間ほどしたら、子どもに立ってもらいます。このとき、立っている感覚が変化したかどうか、感じる時間を与えます。子どもの脳は、脚をうまく使えるように修正がされたはずです。今度は、座って行った先ほどの動きを、立った状態で行ないます。立って行なうのが難しい場合は、ふたたび座って行ないます。

 このような遊びを冒頭からあわせて十分ほど行ったら終わりにし、好きなように歩かせます。このとき、「足の距離が近くなったね」まどと声かけしないことです。

この遊びはさまざまな動きや状態に応用できます。脳は、余分な力が減ることで「違い」を感じられるようになり、より上手に動きを組み立てるチャンスを与えられます。何年もかかると思っていたことを脳がすばやく達成してしまうことに驚くことでしょう。

量子論2

今回のブログで意識した点は、量子論の基本、奇怪さ、応用・貢献の4つです。引用させて頂いた本は次に2冊になります。

 

著者:H.R. パージェル

出版:地人選書

発行:1983年11月

ブログ内の青色『』は「量子の世界」からの引用になります。

 

著者:佐藤勝彦

出版:PHP文庫

発行:2000年4月

ブログ内の赤色『』は「量子論を楽しむ本」からの引用になります。

1.量子

量子は物理量の最小単位とされています。また、物理量は素粒子に由来するとされ、実数で表される連続量とするニュートン力学などの古典論とは区別されます。

 

こちらの絵と文章は文部科学省のサイトにあったものです。

『量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表選手です。光を粒子としてみたときの光子やニュートリノやクォーク、ミュオンなどといった素粒子も量子に含まれます。

量子の世界は、原子や分子といったナノサイズ(1メートルの10億分の1)あるいはそれよりも小さな世界です。このような極めて小さな世界では、私たちの身の回りにある物理法則(ニュートン力学や電磁気学)は通用せず、「量子力学」というとても不思議な法則に従っています。

 

2.量子論

デジタル大辞泉による“量子論”の解説は次の通りです。

『量子力学、およびそれにより体系化される理論の総称。プランクの量子仮説から量子力学の確立までを古典量子論または前期量子論という。物理学のほか化学・工学・生物学でも展開。古典論に対していう。』なお、「プランクの量子仮説」が物理学会に提出されたのは、1900年12月14日です。

“量子論”に関しては、「量子論を楽しむ」の”はじめに”の冒頭部分をご紹介させて頂きます。

この本を手に取られた方のほとんどは、携帯電話やパソコンをお持ちに違いない。最近のエレクトロニクスの進歩はあまりにも速く、次から次へと性能が上がり、値段も安くなっている。その進歩は、そこに使われている半導体素子の進歩に大きくよっているが、半導体チップの中を支配している物理法則が「量子論」である。実際、半導体は量子論の結晶だとしばしば言われる。

地球が太陽の周囲を回る公転運動や、ロケット・飛行機・自動車などのマクロの物体の運動は、ニュートンが作った古典力学で計算し、結果の予言ができる。しかし分子や原子、素粒子のような小さな世界では、ニュートンの古典力学は使えないのである。これに対して量子論は、素粒子などのミクロの世界に適用される物理学の理論である。したがって、半導体の中で役立っているだけでなく、遺伝子やDNAの構造を決めているのも量子論だし、原子炉の中でエネルギーを発生させている核分裂反応や、太陽の中でエネルギーを生み出している核融合反応も量子論に従って起こっているのである。

3.量子力学

デジタル大辞泉による“量子力学”の解説は次の通りです。

『素粒子・原子・分子などの微視的な世界の物理現象を扱う理論体系。物質のもつ波動性と粒子性、観測による測定値の不確定性などを基本とする。アインシュタインの光量子論、ボーアの原子構造論などを経て、ハイゼンベルクの行列力学とシュレーディンガーの波動力学とが統一されて、1925年ごろ確立。』

4.量子論の第一歩(プランクの量子仮説)

“2.量子論”の中にある“プランクの量子仮説”は、「量子の世界」の方に詳しい説明が載っていました。

量子論発見の物語は、マックス・プランクによる黒体放射の法則の発見(1900年の記念すべき第一歩)で始まる。前期量子論の特色を一口でいうと、プランクの量子の考え(自然には不連続な要素があるというもの)を古典的なニュートン物理学の中にうまくはめ込ませようとする物理学者の側の試みを表していると言ってよい。黒体放射に関する論文で、マックス・プランクは、hと呼ばれる新しい定数を物理学に導入した。これは原始的過程に現われる不連続性の大きさの尺度である。プランクがこの仕事をやり遂げた1900年当時は、原子はその全エネルギーとしてどんな値でもとりうる(つまりエネルギーは連続変数だ)というのが物理学者たちの考えであった。これに対して、プランクの量子仮説はエネルギーのやりとりが量子化[古典力学で連続量と考えられていた物理量が、量子力学の量子条件に合わせて離散的な値として観測されること]されているというものであった。エネルギー量子という考えの導入は古典物理学には全く根拠を持っていないが、新しい理論が古典的概念との根元的な決裂を要求するものかどうかはまだ明らかではなかった。理論物理学者たちは、最初、プランクの量子仮説を古典物理学と調和させようと努力したのであった。

“プランクの量子仮説”が提案された時期の前後には、次のような大きな発見がありました。

1897年ジョセフ・ジョン・トムソンが電子を発見。1906年にノーベル物理学賞を受賞。

1911年アーネスト・ラザフォードは原子核を発見。1908年にノーベル化学賞を受賞。

5.量子論の奇怪さ

前回の“量子論1”ではノーベル物理学賞を受賞した、リチャード・フィリップス・ファインマンの『量子力学が本当に理解できている人はまずいないだろう~』で始まる文章をご紹介しましたが、「量子の世界」では“量子的奇怪さ”についての説明が出ていました。難解さが伝わる内容だと思います。

「量子的奇怪さ」とはいったい何なのか。それを見るため、新しい量子論の物理学を、それが取って代わった古いニュートン物理学と対比させてみよう。ニュートンの法則は、石の落下や惑星の運行とか、川や潮の流れなど、見慣れた物体やありふれた出来事からなる、目に見える世界の秩序をつかさどるものだ。このニュートン的世界像を第一義的に特色づけているのは、決定論的性格と客観性である。つまり、時計仕掛けとしての宇宙は時間の始まりから終わりに至るまで決定しているし、石や惑星などは我々が直接にそれらを観測しなくても客観的に実在しているのだ―背を向けていたってちゃんと存在している。

量子論になると、世界を(決定論や客観性のような)常識に基づいて解釈することはもはや許されなくなる。もちろん量子世界も理性によって理解しうるのだけれども、ニュートン的世界のように描写してみせることはできないのだ、これは原子やそれよりも小さい量子の世界の極微性だけが原因ではなくて、通常の物体の世界からそのまま借用した表現の手段が量子的対象には通用しないということによっている。たとえば、石などはそれが静止していて、しかもある定まった場所に置かれているという様子を我々は容易に心に描くことができる。だが電子のような量子的粒子に対して、それが空間のある一点に静止しているなどと言っても意味をなさないのだ。さらに、電子は、ニュートンの法則ではありえないような場所にも物質化して現われることができる。かくして、量子的粒子を通常の対象と同じように考えることは実験事実と相いれないということが物理学者と数学者によって示されたのである。

量子論は客観性という通常の考え方を否定するだけにとどまらず、決定論時世界観をも破壊してしまった。量子論によれば、電子の原子内での飛び移りなどの現象はランダムに起こるのである。電子がいつ飛び移るかなど、我々に教えてくれるような物理法則は何もないのである。せいぜい我々にできることは、その現象の起こる確率を与えることである。巨大な時計仕掛けの最も小さい歯車である原子は、決定論的な法則には従わないのだ。

量子論を考え出した人たちは、ニュートン的世界観と対照的なもう一つの面に気づいた。それは観測者が創り出すリアリティというものだ。量子論によれば、観測者が何を測定しようとしているかということがその測定自身に影響を及ぼすことになる。量子の世界で現実に起こっていることは、その世界を我々がどのように観測しようとしているかに依存しているのだ、我々が観測しようとするまいと、それとは無関係に存在する世界では決してないのである。つまり量子の世界の様子は我々が何を見ようとするかによって部分的に決まるのであって、観測者がリアリティを創り出すことに部分的に参加していると言ってもよい。

客観的実在という概念がないこと、決定論が破れること、および観測者がリアリティを創り出すこと、など、量子世界の持つこれらの性質が、この世界を我々の感覚で知覚する通常の世界から区別しているゆえんであるが、私はこれらの性質のことを「量子的奇怪さ」と呼ぶことにしたい。アインシュタインはこの量子的奇怪さ、わけても、観測者が創り出すリアリティという概念には抵抗を示した。測定の結果に直接的に観測者が絡まるという事実、これは、自然が人間の選択などにはお構いなしに存在すると考えたアインシュタインの決定論的世界観とは真っ向から対立するものだったからである。

我々の心の奥底には、何か素直に量子的リアリティを理解しようとはしないものがあるようだ。もちろん理屈では、数学的に無矛盾だし実験ともすばらしい一致を示すのだから、それを受けいれるのはなんらやぶさかではないのである。だがどうも心の安らぎを得ないのだ。物理学者やそのほかの人たちが量子的リアリティというものを把握しようと苦労している様子は、ちょうどまだ自分の知らない概念にぶつかったときに子供が示す反応ぶりを私に思い起こさせるのである。心理学者、ジャン・ピアジェは子供についてこの現象を研究した。ある年齢の子供に、千差万別の形をした透明な容器に同じ高さまで液体を入れたものをたくさん見せたとする。すると子供は、どの容器にも液体が同じ量だけ入っていると考えるものである。その子供にはまだ、液体の量は高さだけできまるものではなく、体積できまるものだということがつかめていないのだ。その問題の正しい見方を子供に説明すれば、たいていの場合子供は理解する。だがすぐにまた元の考え方へ立ち戻ってしまうものだ。ある特定の年齢―およそ六歳か七歳あたり―を過ぎてはじめて、子供は液量と体積の関係を理解することができるのである。量子的リアリティが理解できるようになるのもこれと似たようなものだ。諸君が自分でそれが理解できたと思い、自分の頭に量子的リアリティのなんらかの描像が浮かぶようになったにもかかわらず、間もなくまた元の古典的な考え方に戻ってしまうことがよくあるものだ。これはちょうどピアジェの実験の子供の場合と同じなのだ。

6.量子論の応用と貢献

量子論による最大の功績は半導体の発見ではないかと思います。今では死語だと思いますが半導体のことを、”産業の米”と呼んでいた時代がありました。もちろん、量子論の貢献は半導体だけではありません。また、これらを知ることはとても大切だと思います。この点に関しては「量子の世界第五章 ”不確定性と相補性”の中に描かれていました。

1920年代の終わり頃まで、新しい量子論の解釈の問題は手をつけられないままの状態であった。若い世代の物理学者たちは量子論とともに育ったが、彼らは解釈の問題には、量子論の応用に対するほどの興味を示さなかったのである。新理論は、それ以前にはなかったほど、理論物理学における数学の果たす役割の重要性を強調するものであった。したがって、抽象数学の面で専門的に大変優れた能力の持主や、それを物理の問題に適用する才能の持主たちが前面に登場してくることになった。

新しい量子論は、自然現象の解明にとって人類がこれまでに手にした数学的手段のうちで最も強力な武器となり、科学の歴史上、比類のない偉大な業績と数えられるに至った。この理論は世界中の工業諸国の何千という若い科学者の知的エネルギーを解放した。これまで出されたどんなアイデアもこれほどまでに大きい衝撃を技術面に与えたことはなかったし、今後とも、このアイデアが実際面で持つ意味は、我々の文明の社会的、かつ政治的運命を形作っていくことになろう。我々人類は今や、宇宙の法典―宇宙の不易の法則―の新しい側面、すなわち我々の発展がプログラムされている面と接触した。トランジスターマイクロチップレーザー低温技術などの実際面への応用は技術文明の最先端を走る全産業を生み出すこととなった。今世紀の歴史が書かれるとき、政治的な事件は人間の生命や財産に計り知れない損失を与えたにもかかわらず、影響の最も大きかった事柄としては取り扱われていないのを我々は見ることになるかもしれない。代わりに登場するおもな出来事は、人類がはじめて目に見えない量子の世界と接触を持ったことと、その結果としての生物学上、および計算機の上の革命になるのではないだろうか。

新しい量子論の出現によって、化学元素の周期率表の根拠化学結合の本性、および分子化学が理解できることとなった。またこの新しい理論的発展は、実験面での研究と相まって現代の量子化学を誕生させた。だから、ディラックは、量子力学に関する1929年の論文に次のように書くことができたのだ。

「物理学の大部分と、化学の全域に対する数学的理論にとって必要な基礎的物理法則は、かくして完全に我らの知るところとなり……」

第一世代の分子生物学者たちは、生体の遺伝的安定性は物質的、分子的基盤を持っているに相違ないと説いた、あのエルヴィン・シュレーディンガーの本、『生命とは何か』を読んで大いに触発されたものだ。これらの研究者たちの多くは熟達した物理学者であったが、彼らは遺伝学に新しい風を吹き込み、当時のほとんどの生物学者にとってはなじみのなかった分子物理学の実験方法を取り入れたのである。生命の問題に対してとられたこの新しい研究方法の最大の成果が、生命体の自己複製の物理的基盤である、DNAとRNAの分子構造の発見であった。この発見は、またそれ自体が別の革命の原動力となったのだが、いずれにせよ、分子物理学の研究室でこの発見が行なわれたのは決して偶然ではなかったのだ。

固体の量子論の開発も行われた。電気伝導の理論固体のバンド理論磁性体の理論などはすべて新しく生まれた量子力学の当然の成果なのだ。1950年代になると、超電導の理論(極低温において電流が抵抗なしに流れる現象)および超流動の理論(流体が抵抗なしに流れる現象)において一大躍進が見られることになる。このほか液体が気体や固体に変わるような、物質の相転移の理論も発展した。

新しい量子論はまた原子核の研究に対する理論的な道具ともなり、原子核物理学が誕生する契機になった。放射性崩壊の際の莫大なエネルギーの解放の根拠が理解された―放射性崩壊は量子力学的事象を含んでいて、古典物理学的な現象ではないのだ。物理学者は、はじめて星のエネルギー源について知り、天体物理学がモダンな科学として登場することとなった。

だが、一般社会では、教育のある人でさえ量子論のこの発展についていこうとしなかったのは驚くべきことだった。実際、量子論はその前の相対論ほどは一般の興味を引かなかったのである。これにはいくつかの理由が考えられる。第一に、1930年代の初頭は、経済的不況が進行しつつあったこと、第二に、知識層のほとんどは政治上のイデオロギーの問題にすっかり気を奪われてしまっていたこと、第三に、そしてこれが最も重要な理由だと私は考えるが、量子論の数学的構造の抽象性が人間の直接経験に結びつかなかったことである。

量子論は測定機器を通して見いだされた物質的リアリティの理論である。つまり観測者としての人間と、原子との間に、装置が存在している。ハイゼンベルクの言葉を借りれば、「科学における進歩は、自然界の現象を仲介を挟むことなくそのままじかに我々の思考方法で理解できるようにする可能性を犠牲にすることでもたらされた」のだ。彼はさらに、「科学は、我々の感覚でじかに認知できる現象をありのままにとらえる可能性をますます葬り去る一方で、現象の数学的な、形式的な芯の部分をあばくことだけをやっている」とも言っている。

7.量子論から生まれた半導体

これは「量子論を楽しむ」の中の“半導体部品を生み出した量子論”に書かかれている内容です。

物性物理学における量子論の最大の成果の一つは、個体の電気的な性質の違いを理論的に説明したことです。

個体は、金属のように電気を良く通す導体、木やガラスなどのように電気を流さない不導体(絶縁体)、そしてその中間物質である半導体の三種類に分類されます。電流とは電子の流れのことですから、それぞれの固体の中で電子がどんな状態にあるのかによって、電気的な性質の違いが表れることが想像できます。

固体の中の電子の状態を「量子数」の概念やパウリの原理に照らして考えると、結晶構造になっている原子の中では、電子のエネルギーはいくつかの「エネルギー帯」と呼ばれる範囲の値だけを取ることがわかりました。そしてエネルギー帯同士のすきま(「ギャップ」と呼びます)が小さい結晶原子ほど、電子はエネルギー的に高い状態に移りやすく、その結果原子核から離れて自由に動き回る電子になる、すなわち電気が流れることがわかってきたのです。

また、シリコンやゲルマニウムなどの半導体に少量の不純物を混ぜることで、電気的な性質を自由自在に変えられることも明らかになりました。これを応用した半導体部品すなわちダイオードやトランジスタ、そしてIC(集積回路)やLSI(大規模集積回路)などはマイクロエレクトロニクスの主役となり、私たちの日々の生活を激変させたのです。現在の私たちの暮らしを支えているのは、半導体部品を生み出した量子論であると言えます。

今回、量子論の本を読み始めてしばらくの間、私は半導体と量子論との関係について、相変わらずイメージすることができませんでした。しかしながら、4冊の本を読み終える頃になって、やっと、見えた気がします。それは、とても単純な話でした。つまり、半導体は原子より小さい電子などの世界の話であり、そのミクロの世界のルールを知り、会話するためには古典論は役に立たず、量子論でなければ話が始まらない」。ということでした。 

付記

5.量子論の奇怪さ”の中に次のような一文がありました。

量子論を考え出した人たちは、ニュートン的世界観と対照的なもう一つの面に気づいた。それは観測者が創り出すリアリティというものだ。量子論によれば、観測者が何を測定しようとしているかということがその測定自身に影響を及ぼすことになる。

この後半部分のフレーズを”それは施術者が創り出すリアリティ(”証”[治療指針])というものだ。鍼灸の世界では、鍼灸師がどんな施術をしようと考えているかがその施術自身に影響を及ぼすことになる”と置き換えられるのではないか??? それはエネルギーが持つ不思議な ”顔” なのではないかと。。。

 

画像出典:「ScienceTime

量子論1

なぜ、量子論という超難解なものに興味を持ったのかというと、それはブログ“がんと自然治癒力8”で勉強させていただいた、ブルース・リプトン先生の「思考のすごい力」という本に因ります。

 

著者:ブルース・リプトン

出版:PHP研究所

発行:2009年1月

この本の第四章は次の通りです。

第四章 量子物理学が生物学・医学を変える日は近い

 量子物理学と縁なく過ごしてきたわたし

 ニュートン力学では超常現象を解明できない

 物質はエネルギーでできている

 人間の生体内システムは重複的

 製薬会社の駒となっている医師たち

 電磁エネルギーが生体調整に深い影響を与える

 代替医療の研究が進まないわけ

 エネルギー波を治療に活用する

大袈裟ですが、私の背中を押したのは以下の4つです。また、キーワードは“エネルギー”であり、そして“量子論と東洋医学の類似性??”という期待のような思いを含んだ好奇心です。

『原子が宇宙で最も小さい粒子であるという概念は捨て去られた。一つの原子はさらに小さな粒子から構成されていることがわかった。これだけでも驚天動地の大発見だが、さらに、原子がX線や放射線など、さまざまな「奇妙なエネルギー」を放出していることが明らかになり、大騒ぎになった。』

『ニュートン的で物質偏重主義である旧来の概念から抜け出せない研究者たちは、健康や病気にエネルギーの振動が果たす役割をまったく無視している。』

『何千年も前、西洋の科学者が量子物理学の法則を発見するより遥か以前に、アジア人は健康と幸福に寄与する第一の要因として、エネルギーを尊んできた。』

『東洋医学では、身体はエネルギーの経路(経絡)が複雑に列をなしたものと定義される。中国の鍼灸療法で用いられる人体の経絡図には、電気配線図にも似たエネルギーのネットワークが描かれている。中国医学の医師は、鍼などを用いて患者のエネルギー回路をテストするわけだが、これはまさに電気技師がプリント基板を「トラブルシュート」して電気的な「病変」を発見しようとするのと同じやり方だ。』

読んだ本は、「思考のすごい力」の中で紹介されていた2冊を含め、全部で4冊です。

 

著者:H.R. パージェル

出版:地人選書

発行:1983年11月

※ブログ内の青色『』は「量子の世界」からの引用になります。

原書のタイトルが気になり、調べてみたところ“THE COSMIC CODE”でした。

著書:「分子生物学入門

著者:セント=ジェルジ・アルベルト

出版:廣川書店

発行:1964年9月

ジェルジ・アルベルト先生は、ビタミンCの発見などにより、1937年度ノーベル生理学医学賞を受賞されました。

写真は本書の中に掲載されているものです。また、この「分子生物学入門」の内容は極めて高度であり、タッチできるものではありませんでしたが、唯一、お伝えできる、お伝えしたいことは以下の文章の中の太字部分です。

 『私の研究歴は組織学にはじまりましたが細胞形態学が与え得る生命についての知識に満足できず私は生理学に転じました。そこで生理学があまりにも複雑であることを見い出し私は薬理学の分野に転向いたしました。それは薬理学の対象の一つである薬物の性質が比較的に単純なものであると思われたからであります。しかしながら薬理学が決して単純なものでないことを知った私は次に細菌学の世界に踏み込んだのであります。ここでなおも細菌の複雑さを知らされた私は次第に分子レベルの問題に興味をひかれ化学や物理化学の研究をするようになったのであります。この経験を生かして私は筋肉の研究をはじめることを企てました。その後20年間にわたる研究の結果、筋肉の問題を理解するためには量子力学の法則に支配されている電子のレベルまで掘り下げる必要があるという結論に到達しました。

 

著者:佐藤勝彦

出版:PHP文庫

発行:2000年4月

※ブログ内の赤色『』は「量子論を楽しむ本」からの引用になります。

 

監修:和田純夫

出版:ニュートンプレス

発行:2018年7月

※ブログ内の緑色『』は「13歳からの量子論のきほん」からの引用になります。

※上部に”常識が通じない! ミクロの世界の物理法則”とあります。

 

 

今回の“量子論1”は、自分自身の関心事に対して、できる限り分かりやすくまとめることを目標としました。一方、次回の“量子論2”では、H.R. パージェルの著書「量子の世界」を中心に全体像をつかむという点に重きを置きました。

相対性理論といえばアインシュタインですが、量子論といえば誰なのか? その答えは、ニールス・ボーアとその仲間達ということになります。

画像出典:「量子論を楽しむ本」


左の絵の中に、“シュレーディンガーの猫”と書かれたイラストが出ています。簡単にご説明すると、量子力学の基本となる方程式(“シュレーディンガー方程式”)を編み出したシュレーディンガーが、ボーア達が確立した“コペンハーゲン解釈”という考えに反旗を翻し、提示した宿題であり、“シュレーディンガーの猫”と命名されました。右の絵はその内容です。なお、この宿題は現在もクリアできず、“コペンハーゲン解釈”が完全なものに至っていない大きな理由の一つとなっています。

 

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(1885年10月7日 - 1962年11月18日)

ボーアは1922年にノーベル物理学賞を受賞されています。

画像出典:「ウキペディア

1.量子論と東洋医学

ボーアは量子論が明らかにした物質観・自然観の特徴を“相補性”という概念で説明していますが、ボーアはこの“相補性”を表すシンボルとして古代中国の「陰陽思想」を象徴する“太極図”を好んで用いたとのことです。このことは、「量子論を楽しむ本」の中に書かれていました。 

 

画像出典:「量子論を楽しむ本」

ボーアは相補性を表すシンボルとして古代中国の「陰陽思想」を象徴する太極図を好んで用いました。陰と陽という対立する「気」が絡み合い、相互作用をおこなうことで、すべての自然現象や人間活動が決まるとする陰陽思想は、まさに量子論の描く世界像と同じと言えます。ボーアは自分の紋章の一部に太極図を描いたほどでした。

量子論はこのように、中国思想などの東洋思想と相通じる部分を持つために、その観点から関心を持つ人も多くいます。東洋思想の柱に「一元論」があり、これは近代科学の根底にある「二元論」と対立する概念です。物と心、自然と人間などを分けて取り扱うのが二元論であり、これらを不可分なものとみなすのが一元論です。客観的事実を否定した量子論は、自然と観測者を分けて考える二元論的な世界観を退け、観測対象である自然と観測する私たちとを一つのセットとして考える、一元的な自然観を示すのです。

東洋医学そのものではありませんが、ボーアがその大元になっている陰陽思想への関心が高かったという事実の発見は、驚きでもあり、うれしい気持ちになります。

 

写真はQingYang gong templeという寺院にある彫刻です。中央が太極図、まわりは十二支です。

画像出典:「ウキペディア

2.量子論とは

1)アイザック・ニュートンと決定論

 

この画像は“山賀 進のWeb siteさまの“ニュートン略伝”から拝借しました。

量子論と対極にあるのは、アイザック・ニュートンの理論です。また、そのニュートン力学の考えをさらに発展させたのが、ピエール・ラプラスの「未来はきまっている」という考えです。まずは、量子論と比較する目的で「古典論」とされている、ニュートン力学と決定論について触れたいと思います。

 

 

画像出典:「13歳からの量子論のきほん」

量子論が誕生する以前、あらゆる物体の運動は、「ニュートン力学」で説明できると考えられていました。ニュートン力学はイギリスの天才科学者アイザック・ニュートンが打ち立てた理論で、物体が力を受けてどのように運動するかを説明する理論といえます。

ボールの遠投を考えましょう。空気抵抗などは無視できるとします。ボールを投げた瞬間の速さと向き、高さが厳密にわかれば、地面に落ちる位置はニュートン力学によって厳密に計算できます。つまり「ボールの落下地点は、投げる瞬間に決まっている」といえるわけです。

サイコロの出る目が予測できないのは、サイコロを投げた瞬間の状態を厳密に知ることが困難だからです。投げた速さ、角度、高さなど、すべての条件が厳密にわかれば、出る目は計算できます。つまり、「サイコロの出る目も、投げる瞬間に決まっている」といえるでしょう。

フランスの科学者ピエール・ラプラスは、ニュートン力学の考えをさらに発展させて、次のように考えました。

「仮に、宇宙のすべての物質の現在の状態を厳密に知っている生物がいたら、その生物は宇宙の未来のすべてを完全に予言することができるだろう。つまり、未来は決まっていることになる」。この仮想的な生き物は、「ラプラスの魔物」と呼ばれています。

ラプラスのような考え方は、量子論が登場するまでは、物理学者の間で一般的だったようです。未来を予言することができないのは、人間の能力に限界があるためであって、実際には未来は決まっている。そう考えるわけです。

しかし量子論の登場によって、この考え方は正しくないことがわかりました。量子論によると、仮にラプラスの魔物が宇宙のすべての情報を知ることができたとしても、未来がどうなるかを予言することは原理的に不可能だからです。

たとえば電子は、運動方向を正確に決めると位置が不確かになり、位置を正確に決めると運動方向が不確かになります。電子の位置と運動方向を、同時に正確に決めることは不可能なのです。

このようにミクロの世界では、電子一つをとってみても、未来の予言は不可能です。つまり、未来はきまっていないようなのです!

2)量子論が生まれた理由

 

野球のボール vs 原子」の大きさの違いは、「地球 vs ビー玉」の大きさの違いと同じくらいだそうです。

画像出典:「13歳からの量子論のきほん」

あらゆる物質は、「原子」からできていることがわかっています。19世紀末ごろになって、原子がかかわる現象を詳しく調べてみると、ミクロな世界は私たちが日常生活で目にする世界とはまったくちがうことがわかってきました。ミクロな物質は、私たちの常識では説明できない、摩訶不思議なふるまいをするのです。そこで、新しい理論が必要になりました。それが「量子論」です。量子論とは「非常に小さなミクロな世界で、物質を構成する粒子や光などがどのようにふるまうかを解き明かす理論」といえます。

3)量子論と日常生活の関係


こちらの絵も「13歳からの量子論のきほん」からのものです。量子論はミクロの世界で顕著ですが、実はミクロの世界だけの話ではありません。

量子論は、原子や電子といったとても小さいものがどのようにふるまうかを説明する、物理学の大理論です。現代の物理学は、一部の例外をのぞいて、すべて量子論という土台の上に築かれているといっても過言ではありません。量子論以前の物理学は、「古典論」とよばれます。原子より小さいようなミクロな世界は、古典論では説明がつかず、量子論という新しい理論が生まれたのです。

では量子論は、私たちが日常目にする世界(マクロな世界)とは、無関係なのでしょうか。実は量子論は、ミクロな世界であろうと、マクロは世界であろうと、自然界のすべてのサイズで適用できます。ただ、マクロな世界では、量子論の効果がほとんど見られなくなります。量子論が「ミクロな世界の物理法則」といわれるのは、量子論の効果が目立ってあらわれるのが、ミクロな世界だからなのです。

ただし、ミクロな世界もマクロな世界も、量子論だけですべてがこと足りるというわけではありません。たとえば、マクロな世界の物体の運動に量子論を適用すると、計算量が膨大になってしまいます。そこで実用上は、計算が楽な古典論が使われます。マクロな世界では、量子論による計算結果と古典論による計算結果が、ほとんど同じになるのです。

なおマクロな世界にも、量子論を使わないと説明できない現象はあります。「金属(導体)」「絶縁体」「半導体」の性質のちがいや、「超流動」や「超電導」といった現象です。

量子論であつかうミクロな世界の現象は、日常ではほとんど見ることができないので、量子論に慣れるのはむずかしいといえます。「人間が知覚できる世界は非常に特殊で限られている」という事実を、忘れないようにする必要があるでしょう。

この「ミクロとマクロ」、「古典論と量子論」の関係性をつかむことは重要と考えますので、専門的ですが、以下に「量子の世界」の“第五章 不確定性と相補性”から一部を引用させて頂きます。

なお、ポイントは「例えば細菌サイズであっても、不確定さは10億分の1しかないため、ニュートン力学でも問題ない誤差であるが、原子サイズになると不確定さは100分の1と高くなるため、いよいよニュートン力学では難しくなってくる」というような内容です。

いろいろな対象に対して、ハイゼンベルクの関係式がどの程度の意味をもつかのだいたいの感じをつかむためには、その対象のサイズと代表的な運動量を掛け合わせたものを、ブランク定数h―量子効果が重要となる目安―と比較してみるとよい。飛んでいるテニスボールについて言えば、量子論による不確定さはおよそ1000万×10億×10億×10億分の1(10のマイナス34乗)に過ぎないことがわかる。したがって、テニスボールは十分な高精度で古典物理学の決定論的法則に従っていると言ってよい。細菌でさえ、その効果はおよそ10億分の1(10のマイナス9乗)の程度で、量子世界を全く経験することはないのだ。だが結晶中の原子になると我々は量子世界の入口まで迫っていくことになり、不確定さが100分の1(10のマイナス2乗)になる。ついに原子の中を動き回る電子に至っては量子的不確定性が完全に支配的となり、我々は不確定性原理と量子力学を支配者とする正真正銘の量子世界に足を踏み入れることになるのだ。

実は、今回「ハイゼンベルクの関係式」を調べていて、大きな修正が起きていたことを知り大変驚きました。それは以下の記事です。なお、この修正は上記の内容(物質の大きさと法則の関係性)に大きな影響を与えるものではないと思われます。

【クローズアップ科学】ノーベル賞「重力波」に陰の立役者 名大・小澤正直特任教授、物理学の定説覆す理論で貢献 2017.10.8 10:00

“~ 量子力学を象徴するとされてきたハイゼンベルクの不確定性原理を表す不等式の破れ(欠陥)を正した「小澤の不等式」でも世界的に知られている。ハイゼンベルクの不等式は「物体の位置を正確に測ろうとすると、測定によって起こる運動量の乱れが大きくなる」ことを表す。測定誤差がゼロだと、運動量が無限大になるので、そのような測定はできないと考えられてきた。これに対して、小澤氏が2003年に発表した不等式は、誤差ゼロの測定が可能であることを示す。量子の世界の「不確かさ」には測定に伴う誤差や運動量の乱れと、測定とは関係なく量子が本来的に持っている位置や運動量の「揺らぎ」がある。小澤氏は、2つの「不確かさ」がきちんと区別されないまま80年にわたり定着していたハイゼンベルクの不等式の間違いを正し、完全な式を提示した。 ~”

4)量子論の二つの重要事項

●「波と粒子の二面性」:“電子や光は、波と粒子の性質をあわせもつ”

●「状態の共存(重ね合わせ)」:“一つの電子は、箱の左右に同時に存在できる”

これについてはここでは触れません。その代わり、勇気づけてくれる一文をご紹介します。それは「量子の世界」の“第九章 波を作る”の冒頭(添書き)に書かれているものです。

量子力学が本当に理解できている人はまずいないだろう、と言って私は間違っていないと思う。諸君はもしできるなら、「だが、どうしてそんなことがありうるのだろうか」と自分自身に問い続けるのはやめた方がよい。なぜならますます深みにはまって、袋小路をさまようのが落ちで、そこから出口を見つけて出てきた人はまだいないのだから。どうして量子力学ではそうなるのかは、誰もわかってはいないのだ。

なお、この文章は、リチャード・フィリップス・ファインマンの言葉です。ファインマンは、経路積分という新しい量子化の手法を考案し、この成果により1965年にノーベル物理学賞を受賞された物理学者です。

5)“コペンハーゲン解釈”とは

現在、解決できない宿題(既出の“シュレーディンガーの猫”の件など)はあるものの、量子論の代表的な解釈は“コペンハーゲン解釈”と呼ばれているものです。以下はネット上にあった「知恵蔵」による解説です。

『コペンハーゲン解釈は、N.ボーアやW.ハイゼンベルクらの立場に沿うもので、正統派解釈とされる。この見方では、量子世界の物理状態は重ね合わさり、波を形づくっているが、観測された瞬間に波はしぼみ、1つの状態に落ち着く(波束の収縮)。どの状態が観測されるかは、波の振幅をもとに確率論的に予想できる。収縮の原因として、測定する側(環境)が測定される側に乱れを起こすことなどが考えられている。』

一方、「量子論を楽しむ本」の中の説明は以下の通りです。

波の収縮」と「確率解釈」を二本の柱として、私たちに見られる前の電子と見られた後の電子のようすを理解しようとするこの解釈方法を、コペンハーゲン解釈と呼びます。

また、「13歳からの量子論のきほん」の説明は次のようなものです。


観測すると、電子の波が瞬時にちぢむ!? “とがった波”が、粒子のようにみえる

一つの電子は「波と粒子の二面性」をもちます。この矛盾したような事実は、どう解釈したらよいのでしょうか。コペンハーゲンを中心に活躍したデンマークの物理学者のニールス・ボーア(1885~1962)らは、「コペンハーゲン解釈」とよばれる解釈を提案しました。

コペンハーゲン解釈によると、電子は観測していないときは、波の性質を保ちながら空間に広がっています。しかし、光を当てるなどして電子を観測すると、波が瞬時にちぢみ、1か所に集中した“とがった波”になります(波の収縮)。このような波が、粒子のように見えるというのです。

電子は、観測すると、観測前に波として広がっていた範囲内のどこかに出現します。しかしどこに出現するかは、確率的にしかわかりません。このような解釈をすれば、電子などの「波と粒子の二面性」を矛盾なく説明できると、ボーアらは考えたのです。 


電子は、“分身”しながら広範囲に存在している 電子の波を、発見確率をあらわす波と考える

電子の波とは、いったいどんな意味をもつものなのでしょうか?

先にご紹介したように、観測前の電子は、波のように空間に広がっています。これをあえて粒子的な描像で考えると、「一つの電子が、漫画などにえがかれる分身の術をしている忍者のごとく、あちこちに同時に存在している」といったイメージになります。

電子が発見される確率は、電子の波の“山の頂上”または“谷の底”で最大になり、電子の波が軸と交わっているところでゼロになっています。このように電子の波を、電子の発見確率をあらわす波と考えるのが、量子論の標準的な解釈となっている「コペンハーゲン解釈」です。

電子の波を数学的にあらわしたものは、「波動関数」とよばれています。電子の波動関数が原子の中などで、どのような形をとるかを導くための量子論の基礎方程式を、「シュレーディンガー方程式」といいます。

3.おさらい

この“おさらい”は、「量子論を楽しむ本」の中にある“ミクロの世界の物理法則が明らかになる”の内容です。量子論を理解する上で、量子論を古典派と推進派の両面から理解することが重要ではないかと考えました。

ミクロの世界の物理法則が明らかになる

さて、3章(見ようとすると見えない波)でもさまざまな話をしてきました。最後は例によってこの章のポイントをおさらいしておきましょう。

原子中の電子の軌道半径がとびとびの値に限られるというボーアの量子条件の根拠を示すために、ド・ブロイは電子を波であると考えて、その波長を求めた。

シュレーディンガーは電子の波を表すシュレーディンガー方程式を導き、電子の「とびとび」のエネルギー状態などの説明に成功した。

しかしシュレーディンガー方程式が示す波動関数ψ(プサイ)、すなわち電子の波(これは複素数の波である)の正体はわからなかった。

④ボルンは波動関数ψそのものが何を表すのかを考えずに、代わりにψの絶対値の二乗が、電子をその場所に発見する確率に比例することを見いだした(「波動関数の確率解釈」)。

ボーアたちは、観測される前の電子はさまざまな位置にいる状態が「重ね合わせ」になっているが、私たちが電子を観測したとたんに「波の収縮」が起きて電子は一ヶ所で発見されると考えた(「コペンハーゲン解釈」)。

こうして1920年代に、原子中の電子が示す不思議な現象をきちんと説明できる理論を、私たちはついに手にすることになりました。そしてその結果わかったのは「電子などミクロの世界は、私たちが知っていた物理法則とはまったく違うルールに支配されていたのだ」ということです。

その新たなルールの第一は、シュレーディンガー方程式に代表される波動力学(量子力学)です。ミクロの世界の物質は、それを「波である」と考えることでふるまい(動きやエネルギー)などを求めることができるのです。

そしてもう一つのルールが「確率」です。私たちが電子を発見する場所は、サイコロを振って決められるかのように、確率的に決定されるというのです。

このおさらい①~⑤を眺めると、古典派と推進派の違いは、波動関数の正体にこだわり歩を止めたアインシュタインやシュレーディンガーなどの古典派(決定論[ニュートン以来の物理学の大前提]を尊重)と、波動関数の正体を明らかにすることを先送りし、波動関数の存在を前提として量子論の開拓を積極的に進めていったボーアたちの推進派、という構図が思い浮かびます。

付記

「量子論を楽しむ本」の第3章“見ようとすると見えない波”と聞いて思い出したのは、壺と顔の絵です。調べてみるとそれは『ルビンの壺』と呼ばれていました。「壺に集中すると顔に気づかず、顔に集中すると壺に気づかない」というものです。もちろん、これは量子論の“波の収縮”とは全く無関係ですが、ちょっと面白いのでアップしました。 

アナット・バニエル・メソッド2(症例)

本の中には1歳から13歳までの19人の症例が出ていました。抱えている障害は重度の脳性まひ脳の損傷によるもの自閉症スペクトラムADHD(注意欠陥・多動性障害)LD(学習障害)診断のつかない発達遅れなどです。

今回のブログではこの中から3人の症例をご紹介させて頂きます。なお、[ ]内は私の方で追記したものです。

 

著者:アナット・バニエル

発行:太郎次郎社エディタス

発行:2018年8月

1.カシー 3歳女児 重度の脳性まひ(誕生時に脳を損傷)

両脚がくっついて離れないカシー

『カシーと出会ったのは、彼女が三歳のときでした。カシーは誕生時に脳を損傷し、重度の脳性まひがありました。両腕、両脚、お腹の筋肉が極端に硬く、痙縮がみられ、自発的な動きはほとんどありません。自分で動こうとすると、全身がさらに硬直します。

両親がカシーをレッスン台(マッサージ台のような幅広でクッション性のある安定した台)の上に座らせると、背中はすっかり丸まり、両腕は、胴体にきつくひきよせられました。ぴったりくっついた両脚は、前に向かってぴんと伸びています。カシーは転げ落ちないように必死で、どうみても怖がっていました。

数か月間にわたって定期的に「9つの大事なこと」を使ったレッスンを続けたところ、カシーは腰と両腕を自分で動かせるようになり、バランスを保ちながら怖がらずに座れるようになりました。話し方も考える力も向上し、おきまりの文をくり返し唱えるかわりに、自分の考えをまとめ、要求をはっきりと伝えるようになりました。

ところが、ひとつだけ、どのように取り組んでみても変わらないことがありました。まるで目に見えない紐で縛られているかのように、つねに両脚がぴったりとくっついていたのです。私がとてもゆっくり、やさしく動かすと、左右の脚は離れてべつべつに動くのですが、カシーが自分から脚を動かそうとしたり、自分で動かす方向を変えようとすると、そのとたんに痙縮します。身体の動かし方を学んで全身を自由に動かせるようになってきたのに、なぜか脚だけが動かないのです。

ある日、私はふと、カシーは自分に脚が二本あることを知らないのだと思いました。両脚がいつもいっしょに動くので左右べつべつのものだと感じたことがなく、右脚と左脚の「違い」を認識したことが一度もないのでしょう。認識されなければ「違い」は存在しません。だれが見てもカシーには脚が二本ありましたが、彼女の脳が経験しているのは二本ではなく、一本の脚で、「ひとつ」と「もうひとつ」(「これ」と「それ」)がないのです。

マイケル・マーゼニック[「本書によせて」を寄稿された脳神経学者]の研究チームは、実験用ラットの後ろ脚に脳性まひのような症状をつくりだしました。誕生時に左右の後ろ脚をひとつに縛ってつねにいっしょに動くようにしたところ、ラットの脳は、後ろ脚は二本ではなく一本だという身体地図を描きました。

カシーの脳が二本の脚を一本ととらえていると気づいたことは、私の取り組みの突破口となりました。子どもたちは、「違い」に気づくことができる環境を与えられると、身体地図を描きなおす脳の力を発揮させていけるのです。

「ひとつ」と「もうひとつ」を発見したカシー

『カシーの脳が左右の脚を一本とする身体地図を描いているのなら、脚が二本あることを感じ、わかるための方法が必要です。彼女の脚を片方ずつ何度も動かしてみましたが何も起きません。脚が二本あることに気づかなければならないのは、ほかでもない、カシーです。どうにかして注意を向けてもらい、脚が二本あることを知ってもらわなければなりません。

子どもの例にもれず、カシーも遊びが大好きでした。私は無害の水性マーカーを用意し、彼女をレッスン台に座らせると、後ろから抱きかかえました。彼女の右脚をやさしく持ち上げ、その膝をトントンと軽くたたいて視線を向けさせ、そこに絵を描いていいかどうかを尋ねました。返事は「イエス」です。

私は、カシーの脳が「違い」を認識しなければならないような質問をしました。

「どっちを描こうか? 犬、それとも猫?」

しばらくしてカシーは「犬」と答えました。

「赤い犬、茶色い犬、どっちがいい?」

彼女は赤を選びました。そこで、カシーの右膝に、ゆっくりと説明しながら、赤い犬の絵を描きました。「これが犬のお鼻。これが片方の耳。もうひとつの耳」といったぐあいです。

カシーはしっかりと私の声を聞き、絵に目を向け、肌を滑るマーカーの肌ざわりを感じていました。犬を描きおえるとカシーのその膝を、まず同席していた母親に見せ、つぎに自分が見てから、本人に見せました。右脚を下すと、今度はおもむろに彼女の左脚を持ち上げました。そして、わざとがっかりしてみせると、驚いた声で言ったのです。

「この膝には犬も猫もいないよ!」

その瞬間、カシーは生まれてはじめて「向こうに、同じようなものがもうひとつある」と気づいたのだと、私にはわかりました。脚は一本でなく、二本あるのです。つぎは、この目の前の膝に犬と猫のどちらかの絵を描くかを尋ねました。「猫」と答えたので、やはりゆっくり慎重に、猫の顔を描きました。

左右の膝に異なる絵を描いたことで、カシーの脳が、「一本の脚」を二本のべつべつの脚に変化させていける可能性がいっそう広がりました。たとえば、どっちの絵をだれに見せるかを選ぶことができます。また、両脚をぴったりつけて犬と猫を近づけることも、脚を広げて二匹を遠ざけることもできます。犬がカシーの手をタッチすることも、猫がカシーの母親の手をタッチすることもできます。

カシーは「猫の膝」と「犬の膝」を識別し、自分の意思で脚をべつべつに動かすことができるようになりました。生まれてはじめて、脚が二本になったのです。脚の動きはまだぎこちなく、動かせる範囲も広くありませんでしたが、それは彼女が自分で生みだした動きでした。』

カシーの脳で起きていたこと

「猫の膝」と「犬の膝」の遊びを楽しんでいるあいだに、カシーの脳はさまざまな「違い」を受けとり、集め、認識し、大量の感覚をより細かく差異化しながら整理していました。そうするうちに脚の痙縮は少しずつ減り、身体全体の動きが改善したのです。

この取り組みについて大事なことは、さまざまな「違い」を感じて受けとめるチャンスを脳に与えたということです。ふたつの異なる部位である一の脚と二の脚、「ひとつ」と「もうひとつ」が身体の動きを向上させたのであって、脚の訓練をしたわけではありません。立たせたり、歩かせたりするのではなく、カシーがまだ知らないさまざまな「違い」を感じることができるように支援することで、脳が、脚を認識し、脚の動きを組み立てるために必要な情報を得られるようにしたのです。これは、まさに脳の訓練でした。

カシーはその後も能力を伸ばしていきました。最後に会ったときには自分の力で立ち上がり、家具につかまって一歩一歩、ゆっくり歩くようになっていきました。思考もどんどん明晰になっていきました。五歳のカシーはだれの目にもとても賢い女の子でしたが、三歳の彼女をそのようにみていた人はいませんでした。』

2.ジュリアン 3歳男児 自閉症

すべてが「ぼんやり」していたジュリアン

『自閉症と診断されていた三歳のジュリアンは、レッスン初日、軽く足を引きずりながら前かがみで廊下を歩きました。ジュリアンが安心している様子だったので、私は質問をしてみました。すると、答えはすぐに返ってきましたが、発音がはっきりしないので理解できませんでした。彼がつくる文はまとまらず、言うことはなにもかもが断片的です。考えは途中で宙に浮き、終わりまでたどり着きません。よだれを大量にたらし、母親によると、細かい動作をうまくできないということでした。

レッスン室に入ると、ジュリアンはおもちゃを手に持ちましたが、持っていることを忘れたかのようにポトンと落としました。その様子は、彼が何かを考えようとするとき、それが途中で消えていくことを思い起こさせました。私が受けた印象は、脳の入り口に曇ったレンズがついているために、入ってくるものすべてがぼやけてあいまいになってしまうというものです。ジュリアンは自分や周囲の世界を理解するのに必要な「違い」を、はっきりと受けとることができないようでした。

私は、ジュリアンをレッスン台にうつぶせに寝かせると、彼の右肩の下に自分の左手を入れてやさしく、ほんの少し持ち上げてみました。すると、肩と背中がひとつの塊としていっしょに動くのがわかりました。左の肩を持ち上げてみても同じです。伸び縮みする筋肉や柔らかな関節をもつ人間ではなく、まるで丸太を動かしているようなのです。

脚、骨盤、頭の動きを確かめると、動きがあいまいで、細やかさも強さもないことがわかりました。また、周囲の音や景色を識別する力も弱く、言語活動と思考は初歩段階といえるものでした。ジュリアンの脳は、明らかに違いを受けとめることが苦手で、身体のさまざまな部位を十分に識別できていません。さまざまな形の小さなパーツが足りないのです。私はジュリアンができるかぎりたくさんの「違い」に気づくことができるように彼の身体を動かし、そのとき彼が経験している動きを言葉で説明しました。

ジュリアンは三歳でしたが、指や手の動きは生後一か月の赤ちゃんのようでした。五本の指をまだ認識していない赤ちゃんは、グーパーしかできません。ジュリアンはまだ自分の手を「ひとつの塊」と認識していて、おもちゃをつかむときはぐっと握り、ぱっと放しました。

ジュリアンの「ぼんやり」は手だけでなく、足を引きずる歩き方、ゆるんだ口もと、発音、そして、何かを考えるときの混乱ぶりにも表れていました。あらゆる面で識別する力が足りなかったのです。』

まるで霧が晴れるように

『私はジュリアンの身体に動きを与え、まず彼が頭を「ひとつのもの」、肩と背中を「もうひとつのもの」と受けとめられるようにしたところ、背中の動きがよくなり、しっかり反らせて片側から反対側へ楽にねじれるようになりました。

この日のレッスンでは、さらに、片方の前腕を持ち上げて天井に向け、手首から先が前後にぶるぶるするようにやさしく揺らしました。数秒後に揺らすのをやめると、期待するようにその手を見ながら待っていたジュリアンは、「もう一回!」と言いました。自分の手が止まったことに気づいた―揺れることと止まることの「違い」を認識したのです。ふたたび手を揺らしてから止めると、もう一度頼んできたので、さらに揺らしました。

このとき、ジュリアンはしっかり注意を払っていました。レッスン室に入ってきたときの彼は別世界にいるような感じでしたが、このときは私といっしょに、いま・ここで、自分自身に気づき、自分の経験していることに気づいていたのです。

私は、どっちの腕を揺らしてほしいかを尋ね、彼が答えたとおりにしました。動かしてほしい腕を選ばせることで、「違い」を認識する力を高め、自分に気づきやすくなるようにしたのです。ジュリアンは急速に、腕と手首の動きに気づくようになりました。この日はさらに二十分ほど、バリエーションのある動きを行ない、レッスンを終えました。

翌日、ジュリアンの母親が、よだれが大幅に減ったと報告してきました。また、避けていたゲーム遊びを自分からしたということでした。それまでは手を使うことも、考えることもたいへんだったのが、楽にできるようになったからです。いずれも、脳が上手に「違い」を受けとめ、分化し、行動を組み立てるようになったことを示す証拠でした。

その後は毎日のレッスンで、身体を新しい方法で感じ、まだ知らない、より細かい「違い」を受けとめることができるチャンスを与えるようにしました。すると四日目に、ジュリアンは私を見て、「パパは今日、オフィスで仕事をしている」と言ったのです。構文は完璧で、発音もかなり明瞭でした。

私は、「きみは、お父さんが仕事をしているときにオフィスで遊んだことがあるの?」と質問しました。最初の返事はごちゃごちゃして意味がわかりませんでした。ジュリアンは確かに考えていましたが、それをまとめることはできませんでした。そこで、言いまわしを変えて同じことを聞いてみました。すると、彼はさっきより明確に答え、さらに、父親は家にオフィスをひとつ、家でない場所に別のオフィスをひとつもっていて、自分は家にある父親のオフィスでときどき遊ぶが、家でないオフィスでは遊ばない、ということを説明してくれたのです。

私は興奮を抑えきれませんでした。ジュリアンが父親のふたつのオフィスの違いを説明できたことは重大な変化です。これは、彼の脳が「ひとつのこと」と「もうひとつのこと」の違いを受けとめ、混沌から秩序を生みだせることを示していました。先ほどのアヒルの例でいうと、ジュリアンの脳はどんどん分化し、小さなパーツをつぎつぎに増やしていました。彼の脳は、動くこと、話すこと、考えることの地図を描くための情報を急激に受けとるようになっていたのです。』

こちらは上記の”アヒルの例”の説明になります。

私は「分化」について説明するとき、ホワイトボードにアヒルの輪郭を描きます。そして、四つか五つの不規則な形のパーツを描き、これをパズルのように組み合わせてアヒルの形にすることを想像してもらいます。これだと、アヒルをつくるのはまず不可能です。

つぎに、ずっと小さな丸や三角や不規則な形の粒をたくさん描きます。そして、この粒つぶを使ってアヒルの形をつくることを想像してもらうのです。これなら簡単にアヒルをつくれますし、それ以外の好きな形もつくれます。

この説明によって、脳の中で起こる分化と統合のプロセスが理解しやすくなるのではないでしょうか。いろいろな小さなパーツがたくさんあれば、脳は思いどおりの動きをつくりだすことができます。このプロセスは、何か考えたり、理解したりするときにも当てはまります。脳は身体・認知・感情に関わるあらゆる動きを組み立てています。私たちが行なうあらゆることに秩序をもたらすパターンをつくりだす作業を脳は、自由に使用できるさまざまなパーツ(情報)を使って行ないます。このパーツのもとになるのが、脳が感知したさまざまな「違い」なのです。』

支援の視点を変える 

『一般的に、支援が必要な子どもを手助けしようとするときには、できないことに目を向けて、痙縮のある腕を訓練しようとしたり、何度も目を合わせて返事をさせようとしたりするものです。ほとんどの子どもはがんばりますし、なんらかの変化がみられることも少なくないでしょう。

しかしながら、私がくり返し見てきたのは、子どもは大人が教えようとしたことを学ぶのではなく、自分の限界(できなこと、うまくできないこと)を経験することを学んでしまっているということでした。私たちはつねに、自分が経験すること、自分に実際に起きていることを学びます。「できない」「うまくできない」という経験は脳に残り、そのときの限界とそれに関わる地図が、脳より深く刻みこまれてしまうのです。

数かぎりない「ひとつのこと」と「もうひとつのこと」が、脳に無数のつながりをつくりだします。このつながりが、経験に応じて変化を続けるダイナミックな脳のパターンとなって、子どもは立ったり、座ったり、歩いたり、話したりするようになります。

子どもは、計画的に座るようになったり、「ママ」と言うようになったりはしません。気がついたら、そうなっています。子どもにしてみれば、何かを達成するのはいつだって想定外のことです。私たちの仕事は、子どもの脳が目覚めるように助け、その脳が創造し、形成し、発見していくプロセスを支援することです。

腕がうまく動かない、寝返りを打てないといった目の前の課題に焦点をあわせるのではなく、子どもの脳それ自体が解決方法を見つけるように手助けをしていく―これは一見、わかりにくいことです。大切なのは、私たちが考え方を転換し、「動き」を可能にするパターンや能力を生みだすために脳に何が必要かを考えることです。解決方法を見つけるのは私たちの脳ではなく、子どもの脳なのです。

3.リリー 3歳女児 重度の脳性まひ(身体は1歳ほど、発達段階は生後5か月)

ボールのように硬く丸まってしまうリリー

『リリーと初めて会ったのは、彼女が三歳のときです。たいへん未熟な状態で生まれ、重度の脳性まひを負っていたリリーは身体が小さく、一歳といっても通用するほどでした。彼女が母親や妹とやりとりする様子は乳児のようで、のちに母親から聞いたところでは、生後五か月ていどの発達段階だと判定されたということでした。

リリーは筋肉の緊張が激しく、つねに肘をきつく折り曲げ、握りこぶしをつくっていました。両脚は膝が少し曲がった状態で交差しています。腹筋がつねに収縮しているために背が曲がり、自分の体重を支えることができません。自発的な動きがなく、寝返りを打つことも、うつぶせでいることもできません。うつぶせにすると身体を丸め、苦しそうにします。座らせるとたいへんな力を出してなんとか座るものの、背中はすっかり丸まり、数秒すると転がってしまいます。腕や手を使うことはできません。声は小さく不明瞭で、何を言っているか理解するのは困難でした。

しかし、そのような状態でも、私にはリリーがしっかり目覚めて神経を研ぎ澄ましていることがわかりました。大きな茶色の目で、興味深そうに周囲の様子を追っていたからです。

リリーを仰向けにレッスン台に寝かせましたが、その姿勢でも筋肉は収縮したままで、両脚は曲がり、台からやや浮いています。肘は折れ曲がってぴったり身体に引き寄せられ、腹筋も硬いままです。脳が、どのように力をぬけばよいのかをわからないのです。

左脚をやさしく持ち上げ、できる限り小さく動かそうとした瞬間、収縮していた筋肉がさらに強く縮み、リリーはボールのように丸まりました。私は手を止め、彼女が落ち着くのを待ちました。つぎに骨盤を、やはりできるかぎり小さく、とてもゆっくり動かそうとしましたが、今度も強く筋肉が縮みました。速度を思いきり落として、安心できるように話しかけながら、とても小さく、わずかに動かしてみても、筋肉は硬くなりました。私が動かそうとするたびに、彼女の脳は、身体をボールのように丸めるという未分化で強力な初期の動きのパターンに乗っとられるかのようでした。

十分ほどそのようにしていると、ある考えがひらめきました。ボールのように身体を丸めるのは脳性まひの影響だけでなく、学習したパターンだからではないか、と思ったのです。リリーはどう見ても動きたがっていました。彼女は彼女なりの方法で動こうとしているのに違いはありません。

リリーは二年近く、うつぶせにされ、座らされるという訓練を受けていました。訓練では握りこぶしを開かせようとしたり、立たせようとすることさえあったそうです。そのようなとき唯一リリーの脳にできたことは、強く収縮することで、そのため身体は丸まりました。自分から動こうとするとき、また、自分を動かそうとするあらゆる働きかけに対し、彼女の脳は、収縮するというパターンを結びつけることを学習したはずです。』

なまけものごっこ──過剰な力をぬいて

『筋肉を収縮させるときの激しい力が悪循環を招いていました。激しい力を出しているため、リリーはどんな「違い」も感知することができず、脳に動きを学ぶために必要な新しい情報が入ってこないのでしょう。

リリーが動くことを学ぶためには、動こうとするときの過剰な努力を減らさなければなりません。そのとき私は、リリーに必要なのは、動こうとしないことを学ぶ方法なのだとひらめきました。リリーは筋肉を収縮させるとき、させないときの違い、また、力をたくさん入れるとき、少しだけ入れるとき、そしてまったく入れないときの違いを感じることを学ぶ必要があるのです。

私は「なまけもの」になる方法を教えることにしました。自分の身体とその動きを感じられるように、何もしないことを学ぶのです。

「この部屋はとっても特別な場所で、“なまけものの国”といいます。“なまけものの国”なので、だれもが、とってもゆっく――り、話します。だれもが、じ――っとしてほとんど動きません」。

このように話すと、私はレッスン台に自分の頭を乗せ、リリーの横でいっしょに怠けました。リリーは大喜びです。

しばらくたってから、これから身体を動かすけれども、私たちはものすごく「なまけもの」でなければならないのだと、話しました。そして、彼女の左脚を持ちました。その瞬間、やはり、筋肉は収縮しました。私は手を止め、おどけた調子で言いました。「なまけものじゃなくなってるよ!」。このようなやりとりをいろいろな方法でくり返しました。

その後の二回のレッスンでも、彼女に「なまけもの」になるように言いつづけました。そして、ついに、無意識に全身に力を入れたすぐあとに初めてそのことに気づき、リリーはみずから力をぬくことができたのです。素晴らしい瞬間でした!

「なまけものごっこ」を続けるにつれ、リリーは少しずつ、私に動かされることを受け入れてきました。生まれてはじめて、彼女は自分の身体の動きの違いを感じていたのです。

まもなくリリーは握りこぶしを開いておもちゃをつかみ、遊ぶようになりました。一週目のレッスンの終わりには、ひとりでうつぶせにも仰向けにも寝返りを打てるようになりました。彼女の脳は、微細な違いがもたらす大量の新しい情報を統合し、能力を獲得しはじめました。

リリーはその後の三年間、一、二週間の集中レッスンを何度か受けました。レッスンのたびに彼女は成長し、ひとりでハイハイし、座るようになり、腕や手を器用に使うようになりました。声に強さと表現力が加わり、はっきり話すようになりました。そして、自分を心地よく感じられるようになってきました。

最後に会ったとき、リリーは自分の力で立つようになっていました。学校では優秀な生徒です。外では電動者イスを使用していますが、家ではほとんど使いません。両親は彼女ができるかぎり自分で身体を動かし、独立することを願っています。』

「なまけものの国」の威力

リリーの場合、太陽光の下では懐中電灯の光に気づかないように、無意識の激しい筋肉の収縮が、あらゆる働きかけを感じとることを不可能にしていました。自閉症やADHDをはじめ、私がこれまでに関わったどの子どもも、発達するためには「微かな違い」を感じとることが欠かせませんでした。リリーがそれを感じとるためには、筋肉の激しい力を弱める方法が必要でした。「なまけものの国」の住人になって、楽であること、快適であること、うれしいこと、楽しいこと、がんばらないことを体験するようにしたところ、彼女は学べるようになり、変化をとげたのです。

力や刺激を小さくすることのパワーを、あなたも利用することができます。まずは「違い」を感じとることを妨げる過剰な力、それを子どもがどのように使っているか探りあてることです。過剰な力には病状に特有のものもあれば、その子どもにしかみられないものもあります。注意欠陥障害[ADHD]の子どもは絵を描こうとすると、力を入れすぎてクレヨンを折ってしまうかもしれません。自閉症スペクトラムの子どもは、何を言われているか理解しようとしても、聞こえてくる声に圧倒されてしまうために叫びだし、いつもの動きをくり返すかもしれません。脳性まひの子どもは歩行器を使って歩こうとすると全身を硬直させてしまい、脚が動かなくなるかもしれません。そのようなときが、「微かさ」をとりいれるチャンスです。』

まずは、あなたから

『親をはじめとする支援者が子どもに注意を向けるのは当然です。しかし、これと同じぐらい大切なことは、支援者が自分自身に注意を向けることです。これは、微細さ・繊細さを自分の行動・思考・感情・動きにとりいれるということです。私を含めてどの支援者にも、不要な力をぬき、無駄な努力を減らす余地があります。私たちは安物のヴァイオリンではなく、豊かな音色をもつ名器、ストラディヴァリウスになるのです。

「微かな力」をとりいれると、感覚が鋭くなって感じとる力が高まるので、子どもの今の状態がわかり、何が必要かがみえてきます。「こうすべき」と考えて関わるのではなく、子どもの感じていることや体験していることにもとづきながら、本人にとって意味のある方法で子どもと関われるようになります。あなたは子どもからも自分の内側からもたくさんの情報を得るようになり、創造的・効果的に子どもを手助けできるようになります。』

まとめ 

症例から分かったことは次のようなものです。

まず、『子どもは、計画的に座るようになったり、「ママ」と言うようになったりはしません。気がついたら、そうなっています。』ということです。つまり、子どもが自発的に身につけるものであり、そのプロセスを支援することが“アナット・バニエル・メソッド”の基本です。

では、“何(What)”に対して支援するのか、プロセスとは何かですが、これは“アヒルの図”を使って説明されていた内容―“脳の中で起こる分化と統合のプロセス”ということです。そして、“小さなパーツ”をたくさん作り出されるような働きかけを行ないます。

次に、“どうやって作り出すのか(How)”というその方法のキーワードは「違い」です。具体的には『脳が感知したさまざまな「違い」』であり、この「違い」によって『[子どもたちは]身体地図を描きなおす脳の力を発揮させていけるのです』としています。

以上のことから、“アナット・バニエル・メソッド”とは子どもの脳が目覚めるように助け、その脳が創造し、形成し、発見していくプロセスを支援すること』というものだと思います。

アナット・バニエル・メソッド1(概要)

今回の『限界を超える子どもたち 脳・身体・障害 への新たなアプローチ』は偶然見つけました。それは、ボイタ法を勉強すべく『子どもの姿勢運動発達』という本のネット注文直後です。購買機会を増やすための仕掛け、いわゆる“お知らせ情報”の中にありました。

そのタイトルに「むむ?」と反応し、すぐさまどんな内容の本かを調べてみると非常に興味深いものでした。そこで、『子どもの姿勢運動発達』が図書館にあるのを知っていたこともあり、直ちにその注文をキャンセルし、この『限界を超える子どもたち』の注文に切り替えました。

この本の内容は衝撃的でした。受けたインパクトの破壊力は、『新・感覚統合法の理論と実践』を読んでいたことも背景にあると思います。また、ブログ“医療マッサージ研究1”での体験と“医療マッサージ研究2”で疑問について学習していたことも関係していると思います。なお、ブログは1の(概要)と2の(症例)の2つに分けました。

最初のブログでは、この本の概要をお伝するため、訳者のお一人である伊藤夏子先生の“訳者あとがき”の一部と、脳科学者であるマイケル・マーゼニック先生の“本書によせて”、全ての目次、そして著者であるアナット・バニエル先生の“はじめに”と“おわりに―限界を超えて”の一部、そしてプロフィールを集めることにしました。

 

著者:アナット・バニエル

発行:太郎次郎社エディタス

発行:2018年8月

 

画像出典:「Anat Baniel Method NEUROMOVEMENT

訳者あとがき(伊藤夏子先生)

『本書の著者であるアナット・バニエルを知ったきっかけは、私が引っ越しを機に近所の福祉施設に勤務したことでした。そこは重症心身障害者とよばれる方たちが利用する施設で、私のおもな仕事は利用者の食事と排泄の介助です。

最初に担当した二十代の男性は、腕や脚が小枝のように細く、つねに身体のどこかをカクカクと動かしていました。目は焦点が合っていません。声をかけてみても、手を握ってみても、こちらに注意を向けることはなく、カクカクと動き続けています。

彼は片方の手にミトンをはめられていました。理由は、指で自分のまぶたを突っつき、眼球を押しだしてしまうからでした。

なぜ彼はそんなことをするのか? 痛くないのか? 何を感じ、考えているのだろう? 彼と心が通じることはないのだろうか? 手当たりしだい、日本語の書籍や専門誌に目を通しましたが、答えは見つかりません。英語でインターネットを検索し、たどりついたのが本書の原書、Kids Beyond Limits でした。

 

画像出典:「amazon」

原書を読み終えた私は、この男性の食事を介助するとき、おかゆをのせたスプーンを口の手前で止めてみました。十五秒ほど待ったでしょうか。カクカク動きつづけていた身体が止まりました。目は天井を向いています。「おやっ」という表情です。

出会って九か月目にして、初めて、それまで遠い世界にいるとしか思えなかったこの男性と「つながった」と感じた瞬間でした。

アナット・バニエルは、相手とつながって「学びのスイッチ」をオンにすることができれば、まさに、だれもが能力を伸ばしていけるということを体当たりの実践で示しています。その彼女の取り組みの真髄である「9つの大事なこと」を紹介したのが本書です。「9つの大事なこと」の実践者が増え、わらにもすがる思いでいるであろう親御さんやさまざまな現場で模索を続けるみなさんが、支援を必要とする子どもや大人とともに変わり、成長の喜びを分かちあえるようになれたら、どんなに素晴らしいことかと思います。』

下記の「本書によせて」の文中に”脳の可塑性”とありますが、これは ”脳には状況に応じて変化する能力がある”という意味です。

本書によせて──マイケル・マーゼニック(脳神経学者)

『この本は、子どもを愛し支援しているすべての人への贈り物です。本書を手にとり、著者のメッセージを受け取ってください。アナット・バニエルのアプローチは、特別な支援を必要とする子どもたちとの豊かな実践から生まれました。彼女は子どもたちの脳が変わっていくことができるのを繰り返しみてきました。子どもたちは人生に目覚め、能力を獲得し、力強く生き方を変えていきました。私たちの脳には「可塑性」があります。一生を通じて脳は変化しつづけます。

ここに登場する子どもたちは、困難を抱えながらも、家族の愛情と支援者の熱意に支えられ、「脳の可塑性」を最大限に活用しています。アナットの説明は明晰です。彼女は、脳が変化するという人間が生まれながらにもつ素晴らしい力が、奇跡の材料となりうることを教えてくれます。

私は長年、「再構築する脳」の力を子どもや大人に役立てる方法を解明したいと、科学の分野で取り組んできました。数十年の研究を経て、私たち科学者は神経科学の観点から脳の可塑性を支配する「法則」を明らかにしました。そして、よりよい変化をもたらすためには脳はどのように働かせるのがよいかがわかってきました。

驚くべきことに、同じ時期、アナット・バニエルはまったく異なる方法で、ほぼ同じ法則を導きだしました。彼女はそこに留まらず、この法則を実践的なわかりやすい言葉で説明し、親をはじめ、子どもに関わる人たちの取り組みに役立つようにしています。

アナットがこの道に進んだきっかけは、すぐれた先見者だったイスラエルのモーシェ・フェルデンクライスに師事したことでした。彼女はフェルデンクライスの教えをベースに特別な支援を必要とする大勢の子どもたちと関り、注意深く観察を行い、どのように子どもとつながり、その子の力になることができるかを明確にしてきました。「希望のない子ども」を助けるというアナットの評判を聞き、いろいろな子どもがやってきました。彼女はあらゆる症状の子どもと関わることになり、その経験から二つの重大な事実を発見しました。

一つめの発見は、特別な支援が必要な子どもの能力を制限しているのは、子どもを発達させてくれるものと同じ、脳の可塑性の原理だということです。

二つめの発見はさらに重要なもので、「希望のない子ども」のケースのほとんどは、じつはそうではない(希望がないわけではない)ということです。

アナットは脳の可塑性の原理を「9つの大事なこと」として、みごとに説明します。

この本は、私が「脳の可塑性革命」と呼んでいることの、実践的でわかりやすい解説書になっています。私たちの脳は変化しつづけます。新しいことを習得するたびに脳は回路をつなぎなおし、再構築されて、専門的な処置ができるようになるのです。この素晴らしい脳の力を生活にとりいれるには、どうすればよいのでしょうか。どうすれば、これを子どもの成長に役立てることができるのでしょうか。反応することにさえ苦労し、動くことや理解することに困難があり、自分の意思で自分の世界を動かすことができない子どもは、とりわけ脳の可塑性をおおいに利用することでどんどん成長し、能力を向上させていくことができます。アナットが本書で美しく描写するように子どもたちと本当につながることができれば、そして、そこに適切なガイダンスがあれば、ほぼすべての子どもが目に見えるかたちで継続的、ときに驚くほどの成長をとげることができるでしょう。

子どもが成長の軌道に乗るまでは、困難がともなうことでしょう。もっとよく働く、もっと力強い脳にしていくためには、いま、子どもがいるところから始めましょう。それぞれの子どもに必要なアプローチがあります。みなさんの熱心な取り組みも欠かせません。本書が示す原理は、一人ひとりに応じた取り組みを実現するための新しい視点を与え、子どもの力強い歩みを手助けできるようにしてくれるものです。

毎日の脳の神経回路の小さな変化が、一年たつころには大きな歩みとなり、子ども時代を通じてとても大きな発達をもたらすということを忘れないでください。本書には素晴らしい事例がたくさん登場します。そこでは、神経の新しい回路が生まれることで、子どもにまったく新しい一連の可能性が開ける様子が描かれています。アナット・バニエルは、脳の働きを支配する原理をどのように実践に生かし、子どもを成長の軌道に乗せることができるかを説明します。この成長の道に踏みだせば、小さな歩みの一歩一歩が、子どもにとっても、あなたにとっても、心躍るものとなることでしょう。

本書のアドバイスをしっかりとりいれてみることを心からお勧めします。そうすれば、子どもの真の力になるためにはどうすればよいかが、はっきりとわかるはずです。』

目次

本書によせて──マイケル・マーゼニック(脳神経学者)

はじめに

第Ⅰ部 新しいアプローチのために

 ある女の子との出会い

  動けない赤ちゃん

  最初のレッスンでわかったこと──脳が身体を認識していない

  動きを与えることで脳が学習を開始する

  エリザベスが歩いた!

  できることに注目しつづけて──エリザベスのその後

  わが子の可能性、脳の可塑性

  既存の取り組みからの脱却

  親の力

〝直す〟ことから〝つながる〟ことへ

  子どもを「直す」ことはできるか

  子どもは、自分にできることはしている

  発達に欠かせないランダムな動き

  子どもは教えたことを学ぶのではなく、経験したことを学ぶ

  親にも子にも実りをもたらす方法への転換

 驚くべき子どもの脳

  ランダムな動きが脳に栄養を与える

  最初の一歩──「違い」を受けとめる

  両脚がくっついて離れないカシー

  「ひとつ」と「もうひとつ」を発見したカシー

  カシーの脳で起きていたこと

  アヒルをつくる──分化と統合

  すべてが「ぼんやり」していたジュリアン

  まるで霧が晴れるように

  支援の視点を変える

 

第Ⅱ部 9つの大事なこと

1つめの大事なこと*動きに注意を向けること

  動きを獲得するとき、一歳児に何が起こっているか

  子どもは注意を向けることで学ぶ

  脳は「失敗のパターン」も再生してしまう

  足で立つための支援とは

  頭を打ちつける自閉症の男の子

  ライアンの目覚め

  「息子は生まれ変わった!」

  子どもが注意を向けているときの五つの特徴

  からだ・きもち・考えの「動き」

 科学が教えてくれること

 ◎動きに注意を向けるためのヒントと方法

2つめの大事なこと*ゆっくり

  脳性まひの女の子、アリとの出会い

  こわばった筋肉へのスロータッチ

  人は体験ずみのパターンしか速くはできない

  スローダウンで「感じとる脳」に

  止まれないジョシュ──刺激を減らすことが有効な理由

  体当たりで「ゆっくり」を学ぶ

  「ぼくはバカじゃない!」

  ヒトは、その脳とともにゆっくり成長する

  終着点は未定にしておく

 科学が教えてくれること

 ◎「ゆっくり」を実践するためのヒントと方法

3つめの大事なこと*バリエーション

  バリエーションは脳の成長をうながす

  バリエーションはどこにでも

  コルセットで固められた男の子

  初めて「動くこと」を知ったマイケル

 科学が教えてくれること

 ◎バリエーションをつくるためのヒントと方法

4つめの大事なこと*微かな力

  強い刺激は感覚を鈍らせる

  ボールのように硬く丸まってしまうリリー

  なまけものごっこ──過剰な力をぬいて

  「なまけものの国」の威力

  まずは、あなたから

  数字はなんのため?──ストレスと認知能力

  「微かな力」が直観と思考力を高める

 科学が教えてくれること

 ◎微かな力を使いこなすためのヒントと方法

5つめの大事なこと*内なる熱狂

  喜びを深める力

  感激のやりとりが脳を呼び覚ます

  ジェイコブを進歩させたもの

  拍手はしないで

  「もう一度やって」と言わない

  心の内で喜びをかみしめる

 科学が教えてくれること

 ◎心を熱くするためのヒントと方法

6つめの大事なこと*ゆるやかな目標設定

  可能性にひらかれた道

  ヒヒのたとえ──目標にしがみつくということ

  動くこと、喜ぶことを学んだアレクサ

  でも、いつになったら話すの?

  イエス、ノー、イエス!

  子どもにとっての成功体験とは

  ゆるやかな目標のもつ普遍性

 科学が教えてくれること

 ◎目標をゆるやかに保つためのヒントと方法

7つめの大事なこと*学びのスイッチ

  読み書きが困難だったスコッティ

  スコッティの飛躍

  ひとりの人間としてみる

  子どもを丸ごとみる

 科学が教えてくれること

 ◎学びのスイッチを入れるためのヒントと方法

8つめの大事なこと*想像すること、夢みること

  機械的に暗唱しつづけるアリィ

  きかんしゃトーマスはどこ行った?

  想像力のリアリティ

  あなたの子どもに潜む天才

  「この子は天才だ」

  空想が脳にもたらすマジック

 科学が教えてくれること

 ◎想像力をはばたかせるためのヒントと方法

9つめの大事なこと*気づき  

  赤ちゃんは観察している

  「気づき」は行為だ

 科学が教えてくれること

 私、そうしてた?──母ジュリアの「気づき」

 自分のなかの観察者を目覚めさせる

 「気づき」は波及する

 ◎気づきを増やすためのヒントと方法

おわりに──限界を超えて

よくある質問と答え

訳者あとがき

はじめに

『この仕事を始めた三十年ほどまえ、親たちが、レッスンを通して変わっていく子どもを見て奇跡だと言うのを聞き、びっくりしました。しかし当時の私は、子どもの変化が本物だと気づいていましたが、レッスンとの因果関係を理解できていませんでした。それから歳月を重ね、私は目にする成果が「まぐれ」ではないこと確信しました。自発的に回復したとか、もとの診断が間違いだったという説明が当てはまらないほど、さまざまな症状の子どもたちにくり返し成果がみられたからです。

私は何千人もの子どもたちと関り、そのみごとな変化を観察してきました。けれども、奇跡を起こしたと思うことは一度もありません。子どもたちの変化はその脳の中で起こっていることで、すべては脳の力によってもたらされたと理解しています。自閉症、脳性まひ、注意欠陥・多動性障害(ADHD)ほか、さまざまな診断を受けた子どもが飛躍するのを見るたびに、できるだけ多くの子どもたちにこの取り組みを伝えなければと感じてきました。親御さんと介助をしているみなさんに、簡単で実践しやすい方法をお教えしたいと思います。

これからご紹介する方法は、パラダイムの転換をもたらし、支援のあり方を一変させるものです。お子さんは大きな変化を体験するはずです。子どもたちは、フタがされている能力を活用できるようになるのです。

私は、モーシェ・フェルデンクライス博士の教え、子どもたちとの取り組み、脳神経学の知見にもとづき、理解を明確にしてきました。科学は日進月歩で人間の脳の可能性を解き明かしています。古い概念をうちやぶり、限界を押し広げ、健康な脳も傷を負っている脳も、よりよく働くことのできる新しい道がつぎつぎと開けています。驚くべき可能性を実現させるためには、脳は変わることができるということ、「脳の可塑性」を理解する必要があります。お子さんがどんな状況であっても、どんなに個性的な生育であっても、実践できる簡単な原理が必要です。それを示すことが本書の目的です。

第Ⅰ部は、子どもの脳がどのようにしてよくなる方向に変化し、その子の人生までもが変わりうるか、ということを理解してもらうために書きました。

第Ⅱ部(9つの大事なこと)は、眠っている子どもの能力を引き出すために、脳が何を必要としているかを説明しました。各章の終わりには、毎日の生活のなかで子どもと取り組むことができる具体的な方法とヒントを紹介しています。「9つの大事なこと」と取り組みのヒントは、子どもの脳の可能性を引き出し、まさに実現させていくものです。

まず、第Ⅰ部から読むことをお勧めします。そこで基本的な考え方をつかんだあと、第Ⅱ部の「1つめの大事なこと 注意を向けて動くこと」を読んでください。あとにつながる大事な鍵です。その後は本の順番どおりに読んでも、気になる章から読んでもいいでしょう。ひとつの章がすっかり自分のものになるまでに数日かかると思います。スキルを習得し、理解を深める時間が必要です。ひと通り読んだら、折りにふれて読み返し、さらに学びを深めてください。

お子さんが限界を超えていく手助けをするための力強い方法が見つかるはずです。それでは、子どもたちの脳のとてつもない可能性を引き出す旅へ、いっしょに踏みだしましょう。』 

おわりに―限界を超えて

『子どもが特別な課題に直面するとき、そこに関わる人たちは、その子に何が必要かを見きわめ、最善の支援方法を見つけださなければなりません。私は本書で、ほぼどんなときも目覚めさせることのできる豊かな可能性を明らかにし、これを実現する方法を示そうと試みました。そして、限界を超えるとはどういうことか、全力で挑戦するとはどういうことか、また、問題の解決法はつねにこれから生みだされるものだということについて、私の考えをお伝えしました。

三十年以上におよぶ取り組みを通じて、私は、本書に示した「9つの大事なこと」が子どもの状況を変え、その子が限界を超えていくために役立つことをくり返し経験してきました。「9つの大事なこと」は、あなたとお子さんの脳の無限の可能性を探り、目覚めさせるためのガイドです。これは脳が上手に働くようになるための支援の方法であり、その核となるのは、子どもの脳という奇跡です。実践を通して、子どもの脳はたえず識別を細かくし、動き・感覚・考え・行ないを洗練させるチャンスを得ることができます。子どもはつねに能力を高め、成長を続けることができるのです。

特別な支援が必要な子どものための目標がひとつあるとするなら、それは、その子が「充実した意味ある人生を送ること」でしょう。これはすべての子どもにとっての目標でもあるはずです。最後に、テンプル・グランディン(米国の動物学者、自閉症をもつ)の言葉をご紹介したいと思います。

「親や教師は、子どものレッテルではなく、子ども自身をみるべきです。(中略) 現実的な期待を抱きながらも、その子の内に静かに潜み、表出するチャンスを持っているかもしれない才能の芽を見過ごしてはなりません。』

テンプル・グラディンの著書に関しては、過去に「自閉症の脳を読み解く」というブログをご紹介していました。

アナット・バニエルのプロフィール

『米国在住。科学者の父と芸術家の母のもと、イスラエルで育つ。大学では統計学を専攻。人間の脳への関心から、身体運動の意識化を探究したM・フェルデンクライス博士(1904~1984)に師事。

脳性まひをはじめとするスペシャル・ニーズの子どもたちとの30年以上にわたる取り組みを通じて、脳の可塑性を利用して本人の能力をひきだす手法(アナット・バニエル・メソッド)を編みだす。動き、感じ、考えるひとりの人間として子どもを総体的にとらえるそのアプローチは、自閉症スペクトラム、脳性まひ、ADHD、腕神経叢損傷、傾頸などさまざまな症状をもつ子どもたちへの取り組みを可能にさせた。

同時に、科学にもとづくメソッドを発展させ、幅広い年齢・職業の大人たちへのレッスンを通じて、ニューロ・ムーブメントを提唱。指揮者・演奏家・アスリートに数多くの実践者がおり、人びとが痛みや限界を超え、新しい次元のパフォーマンスに到達できるための取り組みを展開している。臨床心理士であり舞踏家でもある。

現在、カリフォルニア州マリン郡のアナット・バニエル・メソッド・センターを運営。後進のプラクティショナーの育成に励み、レッスンを希望する人びとを世界中から受け入れている。』 

不安障害2

今回は、前回の”不安障害1”の続きになります。

 

著者:水島広子

出版:技術評論社

初版発行:2010年10月

第8章 身近な人との不安とのつきあい方

不安障害の人に接する基本姿勢

 解決できる不安と感じるしかない不安を区別する

●『一般に、不安の強い人をめぐって混乱している状況を見ると、周りの人が本人の不安を解決しようとしてしまっている、ということが多いものです。「心配しない方がいいよ」というものも含めて、さまざまなアドバイスを与えているのです。

実は、アドバイスには大きな問題があります。アドバイスというのは、現状はよくないから変えるべきだ、というメッセージをもともと含んでいるものです。

●『感じるしかない不安を前に混乱している人は、自分の不安にも不安を感じているものです。自分が不安であることも不安だという状態の人に向かってアドバイスをしてしまうと、自分が不安であることへの不安がますます強くなってしまいます。「やっぱりこのままではいけないんだ」と思ってしまうのです。』(”感じるしかない不安”については、”不安障害1”の中の第1章にある”解決すべき不安と感じるしかない不安”を参照ください)

●『そもそも「感じるしかない不安」を感じているわけですから、「心配しない方がいいよ」と言われても、どだい無理な話なのです。』

 気持ちをよく聴き肯定する

●『「こんなときには不安になるよね」と、不安を肯定してあげるのが最も適切な対処です。聴いてあげることは重要です。感じるしかない不安は、原則として、安全な環境で表現するとだんだん落ち着いてくるものだからです。安全でない環境というのは、自分の不安が不適切だと思われるような環境のことです。すぐにアドバイスされてしまうような環境は、「あなたの不安は不適切だからすぐに変えなさい」と言われているのと同じことになってしまいます。

「治療者」ではなく「支え役」を引き受ける

 治療は専門家に任せる

●『治療者は、専門知識に基づいて事態を改善していく役割、そして、身近な人はそれを支える役割を果していただきたいのです。

●『本人が焦ったり、その中で挫折する自分を責めたりしてしまうようだったら、「ゆっくりやろうね」「まだまだ無理しなくて大丈夫」と安心させてあげるのです。

●『引きこもっているケースなどでは、本人にハッパをかけないと本当に一生引きこもったままになるのではないかと思われることもありますが、ハッパをかけても解決にはなりません。ハッパのかけ方によっては、やはり心の傷や対人不信につながります。もちろん、治療的な刺激を与えることはプラスになりますが、その方針を考えるのも、専門性のある治療者の仕事です。』

 受診の勧め方

●『受診を勧める際には、いくつか注意したい点があります。不安障害の方は、不安の基本レベルが高くなっていますので、普通だったら不安に思わないようなことにでも不安を感じやすい状態になっています。「これは不安障害だから病院に行った方がいいよ」とだけ言ってしまうと、「不安障害」「病院」という言葉に反応し、「私はそんなにおかしいの?」「これからどうなってしまうの?」「病院だなんて、そんな怖いところ…」と、どんどん不安が燃え上がることにもなってしまいます。』

●『情報を提供する自分が落ち着いているかどうかに注目するとよいでしょう。自分の不安を投げかけるような形で情報提供してしまうと、本人はさらに不安になってしまいます。

●『本人がどう思っているのかという気持ちを必ず聞きます。何であれ変化は不安を喚起するものですが、安心できる環境で気持ちを話せれば不安は軽くなるからです。』

 

画像出展:「正しく知る不安障害」

身近な人がパニック発作を起こしたら

 まず自分が落ち着くこと

●『一緒にいる人がパニック発作を起こしたら、まず自分が落ち着きましょう。自分がパニックになってしまうと事態がややこしくなります。「どんな不安発作も、30分程度でおさまるのだ」という原点に戻りましょう。そして、それを少しでも早くスムーズにするためには、安心と呼吸だということを思い出してください。』

●『一緒にゆっくり呼吸してあげるのもよいでしょう。「ゆっくり吸って―」「吐いて―」と、呼吸のペースをとってあげるのです。』

●『パニック発作は、時間がたてば必ずおさまります。むしろ、一緒にいる人が不安になってそれを本人にも伝染させてしまうと、それが次の刺激になって不安がもっとひどくなる、ということにもなります。』

 

画像出展:「正しく知る不安障害」

「怒り」という名の不安に対処する

 怒っている人は困っている人

●『何かで困って、「どうしよう」と不安になると、相手に怒りをぶつけてしまうのです。これは、「八つ当たり」と呼ばれるものと同じ現象です。自分の不安を不安として引き受けることは、案外勇気とエネルギーを要するものです。自分の不安を引き受けて向き合うよりも、それを相手への怒りとしてぶつけてしまった方が楽だと感じる人は多いのです。』

 反撃しないで安心させてあげる

●『相手の攻撃を攻撃として受け止めずに、本来の不安として受け止めてあげることです。これは、相手のためというよりも、自分のためだと思ってください。表面的には口汚く攻撃している人でも、本当のところはただ不安なだけなのだ、という目で見てみると、見え方が明らかに変わると思います。』

不安の土俵に乗らない

 不安障害の不安はそのままの次元では解決しない 

● 『不安障害の人に対応する上で重要なのは、相手の不安の土俵にのらないということです。不安障害の人の不安を、そのままの次元で解決できることはまずないと思ってください。』

第9章 怖れを手放す

不安を単なる感情に戻す

 感情としての不安と、心の姿勢としての怖れ

●『不安障害が治るということは、不安を、単なる感情という本来の立場に戻してあげることです。』

●『不安障害の最中には、不安は自分の人生を支配する巨大な存在になっています。自分の全存在が、不安によって振り回されているのです。この、「化け猫」ならぬ、「不安のお化け」が不安障害です。不安は、なぜ「不安のお化け」になってしまったのでしょうか。細かく見れば、それは、本書で述べてきたような悪循環によってどんどん大きくなった、と言えるわけですが、さらに大きな目で見ると、不安は「怖れ」を吸収すると「お化けになるのだと言えます。』

●『痛みは、それが単なる感覚である限りは、ただの痛みです。でも、「痛みとは怖ろしいものだ」と、「怖れ」が加わると、「痛みのお化け」になって、生活を支配することにもなってしまいます。例えば、いつもいつも痛みのことばかり気にするようになってしまう、という状況を考えていただくとよいと思います。不安についても全く同じことで、単なる感情である限りは、ただの不安なのですが、不安を怖れてしまうと、「不安のお化け」になるのです。

 不安をコントロールしようとしない

●『不安を怖れないということは、本書で述べてきたように、不安に関してコントロール感覚を持つということです。重要なのは、「不安をコントロールする」ではないということです。不安は、状況の意味づけを教えてくれる感情ですから、必要なときには出てきます。そうやって不安が出てくることも含めて、受け入れることができれば、コントロール感覚を持つことができますし、不安に対する怖れを手放すことができた、と言えるでしょう。』

●『不安をコントロールしようとしてしまうことの何が問題なのかというと、そもそも不安は状況に応じて出てくる感情なので本当にコントロールすることができないということもありますが、さらに重要なのは、不安をコントロールしようとする姿勢が、怖れの姿勢だからです。

現在に生きる

 安心は現在にしかない

●『不安が強いとき、私たちは現在のありのままを経験していません。現実に「不安」というモヤがかかったようになっていて、実際に見ているのは、モヤを通した現実どころか、場合によってはモヤしか見ていないということもあるのです。モヤの中にこそ不安障害を維持する悪循環があります。』

●『認知療法は、モヤをよく観察して、所詮はモヤに過ぎないということを知るための治療法です。また、対人療法は、モヤの向こうにある現実とやりとりをして、モヤを晴らしていく治療法です。』

●『安心は現在にのみあります。未来には常に未知の要素がありますので、そこには100パーセントの安心はありません。でも、今現在に集中することができると、そこには不安の入り込む余地がなくなるのです。』

自分の歩みにコントロール感覚を持つ

 「前向き」よりも「後ろ向き」がよい

●『「前よりも後ろを向く」というやり方がお勧めです。どういうことかと言うと、「まだできていないこと」ではなく、「ここまでにできるようになったこと」を見るということです。

具体的には、未来のことはできるだけ考えないようにし、目の前のことだけをやる。そして、未来のことが不安になってきたら、病気に取り組む前の自分や、一年前の自分などと比較して、「こんなによくなったんだ」ということを感じてみるのです。前頁で「現在に生きる」ことをお勧めしたのに、過去を振り返るというのは矛盾していると思われるでしょうか。これは、過去を振り返っているようでいて、実は現在の自分の力に気づくやり方です。』

 人と比較したくなったときは

●『人と自分を比較するときには、私たちは、人の「よさそうな部分」や自分の「だめな部分に目が行ってしまうものです。特に、不安が強いときには、自分の不安を刺激するような形で見てしまいます。そんなときにも、比較対象を「他人」にするのではなく、「過去の自分」にしましょう。一番状態が悪かった頃の自分と比べてみるのです。すると、自分が、決められた道の上を着々と歩んできたことがわかると思います。これからもこの道を進んでいけばよいだけであって、「他人」に目がくらんでこの道から落ちてしまうことが最も問題なのだということに気づいていくでしょう。』

不安障害1

高齢の患者さまの中には、「ちょっと心配しすぎではないかな」と思うことがたまにあります。もちろん、高齢ゆえに多くの不安材料が存在していることは十分に想像できます。

誰もが抱くような強い不安感と病的な不安障害との差はどんなものなのか、これを知ることは必要だろうと思い、いくつかあった候補の中から、今回の本を選択しました。

ブログは大項目(章)、中項目の目次のご紹介に引き続き、各章にある小項目の中で特にお伝えしたい小項目を選び、その一部を記述していますが、不安障害1(「はじめに」から「第4章」まで)と不安障害2(「第8章」「第9章」)に分けています(「第5章 不安と認知」「第6章 不安と行動」「第7章 不安とトラウマ」には触れていません)。なお、後者の不安障害2は次週になります。 

 

著者:水島広子

出版:技術評論社

初版発行:2010年10月

目次

はじめに

第1章 不安とは何か

不安は何のためにあるのか

解決すべき不安と感じるしかない不安

パーソナリティと不安

不安のさまざまな表現型

第2章 不安障害とは何か

不安障害という病気

なぜ不安障害になるのか

不安障害を維持する悪循環

不安障害を病気として扱うことの意義

不安障害の治療

第3章 不安と身体

不安のときに身体に起こること

パニック障害

呼吸に注意して身体感覚をコントロールする

身体からのメッセージを受け止める

不安に強い身体作り

第4章 不安と対人関係

対人関係に対する不安

社交不安障害

社交不安障害を維持する悪循環

不安をコントロールするコミュニケーション

相手の事情を考える

第5章 不安と認知

不安の時に頭の中で起こっていること

認知療法

バイロン・ケイティの「ワーク」

第6章 不安と行動

不安と回避の悪循環

強迫性障害

行動療法

第7章 不安とトラウマ

PTSDは不安障害

トラウマによる離断をつなぐ

人との関係の中でトラウマを位置づける

第8章 身近な人との不安とのつきあい方  ※次週

不安障害の人に接する基本姿勢

「治療者」ではなく「支え役」を引き受ける

身近な人がパニック発作を起こしたら

「怒り」という名の不安に対処する

不安の土俵に乗らない

第9章 怖れを手放す  ※次週

不安を単なる感情に戻す

現在に生きる

自分の歩みにコントロール感覚を持つ

不安障害から学ぶ

あとがき

はじめに 不安障害へのコントロール感覚を見につけよう

 不安障害の中にある二種類の不安

●『不安障害のときには不安がとても高まっているのですが、不安障害の方たちの苦しみは、病気本来の症状としての不安だけにあるわけではありません。むしろ、「自分に何が起こっているのかわからない」「自分がこのままどうなってしまうのかわからない」といった、「不安障害という未知なもの」に対する不安に苦しめられている要素も大きいのです。その二種類の不安は区別されることなく混ざり合って互いに増幅し合い、「とにかく不安」という苦しい状態が作り出されてしまいます。』

 人間の健康に必要な「コントロール感覚」

●『自分が事態をコントロールできている、という感覚は安心と自信をもたらすものです。日々の生活の中であまり意識することはないかもしれませんが、「いつも通りに暮らしていればだいたい大丈夫」「まあ、何とかなるだろう」というような感覚は、コントロール感覚を反映したもので、健康に暮らしていくためには必要なものです。』

 「不安障害への不安」は解消できる

●『病気についてよく学び、そこで起こっていることの意味を知ることは、大きなコントロール感覚につながります。苦しい症状は続くとしても、それがしょせんは症状にすぎないということを知るだけでも、実はかなりのコントロール感覚がもたらされます。』

 不安との主従関係を逆転させる

●『不安に対してコントロール感覚を身につけていくためには、不安という感情の機能をよく知ることが大切です。』

●『不安を感じたとしても、その不安に支配されなくなるのであれば、そして、その不安をプラスに生かしていくことができれば、世界の見え方が今とは全く変わることでしょう。』

第1章 不安とは何か

不安は何のためにあるのか

 感情には役割がある

●『感情は、「この状況が自分の心にとってどういう意味を持つか」を教えてくれるものなのです。』

 悲しみや怒りの役割

●『身体の怪我と同じように、心の傷も、安静にして大事にする時間が必要です。実際に、この時期に悲しまなかった人は後でうつ病になったりするのです。』

●『心の病になる人の多くは、怒りとのつきあい方が苦手です。怒りは「よくない感情」だと思ってしまうので、感じることも、表現することも、抑制してしまうのです。すると自分にとって不利な状況が改善されず、ストレスがたまっていき、何らかの病気になることもあります。』

 感情とのつきあい方の目標

●『状況の意味を教えてくれ、結果として適切な対処を可能にしてくれる感情は、私たちに自然に備わった自己防衛能力であると言えます。』

●『「悲しみや怒りを感じない人になろう」という目標を立ててしまうと、「熱いものに触っても感じない人になろう」と言っているのと同じくらいおかしなことになってしまうのです。』

●『感情をよく見つめて、状況の意味を学び、その中で自分がすべきことを考えられるようになる、ということが目標になります。

 不安の役割

●『「不安」は「安全が確保されていない」ということを知らせてくれる感情です。この先の安全が確保されていないので、不安を感じるのです。未知のものに不安を感じるのはそれが理由です。ですから、不安は安全確保のために重要な役割を果たします。』

 

『例えば、真っ暗闇で山道を歩いていたら、すさまじい不安を感じるでしょう。それこそ一寸先がどうなっているかわからないからです。』

画像出展:「正しく知る不安障害」

解決すべき不安と感じるしかない不安

 解決すべき不安

●『人との関係の中で、「あの人は私の言ったことを誤解したのではないか?」と思うととても不安になります。「自分の言ったことをきちんと理解して受け入れてくれた」という安全が確保されていないからです。このようなときには、相手に確認してみることで安全を確保することができます。』

 感じるしかない不安

●『新しい土地に引っ越すようなときには、どれほど準備しても不安をゼロにすることはできないでしょう。それは、新しい土地はやはり未知のものだからです。準備でカバーできる領域は限られていて、あとは、そのときになってみないとわからないことが残ります。そのような不安は、感じるしかない不安だということになります。』

 当たり前の不安

●『感じるしかない不安に対して、悪循環から抜け出すにはどうしたらよいかというと、不安であるということを「当然のこと」として受け入れるのが一番です。』

●『「新しい土地に引っ越すのだから、不安なのは当たり前」と思えれば、それ以上の意味はなくなります。』

●『「気にしないようにする」という対処法も軽い不安には有効ですが、不安がある程度以上の強い場合には逆効果になります。なぜかと言うと、「気にしないようにしよう」と思っても結局不安が出てきてしまい、状況をコントロールできない自分がますます不安になってしまうからです。』

 不安はストレスだと認める

●『不安に駆られているとき、私たちは「何とかしなければ」と焦ってしまうので、普段以上に動き回ってしまうのです。身体が動けずに固まっている場合でも、頭の中は大忙しです。ただでさえストレスの高まる時期なのに、さらに自分で負荷をかけてしまうので、結果として心身が受け取るストレスの量は相当なものになります。』

 自分の不安を周りの人と共有する

●『「当たり前の不安」を乗り越えていくためには、周りの人たちに、自分が今どういう不安を抱えていて、何に気をつけて生きているのか、その上でどういう協力をしてほしいのかを伝えて、理解したり共感したりしてもらうことが必要です。これは、事態をスムーズにするだけでなく、対人関係の質も向上させることになるでしょう。感情を打ち明け合ったときに人は最もつながりを感じるからです。また、自分が間違いなく相手の役に立てているという感覚は、人間にとって深い満足感につながるものです。』

不安を感じたときに、安全確保のためにできることがあれば、できるだけやってみる。それでも残る不安は、「当たり前の不安」として認める。そして、自分にとってストレスのかかる時期だということを認識して、普段よりも無理せず余裕をもって暮らすように心がける。さらに、それを周りの人に伝えて、理解を深めてもらい、協力してもらう。こんなふうにできれば、不安が立派に役割を果たしたと言えるでしょう。』

パーソナリティと不安

 人間の性格(パーソナリティ)の構造

●『不安はもともとのレベルにかなり個人差があります。』

 

『現在、精神医学の研究でよく用いられるものにクロニンジャーという米国人精神医学者が提唱した「七因子モデル」があります。』

『七因子モデルは、遺伝的な影響が強い四因子と、環境的な影響が強い三因子に分けて分類しているところに特徴があります。』

『基本的な「性格」は変えられないけれども適応力は上げられる、といったところでしょうか。』

画像出展:「正しく知る不安障害」

 不安を感じやすいパーソナリティ

●『不安と直接関係のあるパーソナリティ特性は、遺伝的な影響が強い因子の一つである「損害回避」と呼ばれているものです。文字通り、困ったことにならないように物事を避ける傾向のことで、一般的な概念としては、「心配性」「慎重」などが近いと思います。不安障害の人は、この「損害回避」が高いことが知られています。』

 「損害回避」を生かせる人と振り回される人

●『後天的な影響が強いパーソナリティ特性です。三つのパーソナリティー特性の中でも、特に「自己志向」が、さまざまな不安障害と関係することがわかっています。』

●『「自己志向」が高い人を、普通の言葉で言うと、「自分をしっかり持っている人」「安定した自信がある人」という感じになるでしょうか。』

●『「損害回避」が高く、「自己志向」が低い人は、不安に振り回されるようになってしまいます。自らの「損害回避」が知らせてくれる不安に対して、「こんなに不安でどうしよう」とパニックになってしまうのです。すると、本来は自らの特徴にすぎない「損害回避」に人生を振り回されるようになってしまいます。やりたいか、やりたくないか、ではなく、不安を基準に物事を決めるようになってしまい、自分の人生がかなり制限されて感じます。』

 不安に振り回されると「自己志向」が下る

●『不安に振り回された結果として、事態をコントロールできない自分にますます安心できなくなる。つまり、ますます「自己志向」が下る、という方向性です。』

 「自己志向」は高めることができる

●『自分が不安にうまく対処できるという自信をもつことは、「自己志向」を高めることにほかならないからです。』

 パーソナリティ特性から見る不安とのつきあい方

『以上のことをまとめると、生まれつき「損害回避」が高い人は、不安が強い人だといえますし、不安になりやすい人だと言えます。しかし、だから不安障害になるというわけではなく、後天的な要素、特に「自己志向」が低いと、不安に振り回されて不安障害になる、ということだと思います。』

不安のさまざまな表現型

 不安は不安として表現されるだけではない

●『不安は不安として対処するのが最もうまくいきます。』

 他人に過干渉になる

●『過干渉は、不安を反映したものであることが多いのです。』

 イライラする

●『イライラしている人も、それが不安の表現型であることが多いものです。』

●『自分自身の不安に築いていないことが多く、「自分をイライラさせる相手が悪い」と思っていることが多いのです。』

 攻撃的になる・暴力をふるう

●『ドメスティック・バイオレンス(DV:家庭内暴力)も、要は自らの不安に向き合えていないということがほとんどです。』

 

 原因不明の身体症状が出る

●『不安を不安として感じたり、表現できないと、めまい、頭痛、胸の苦しさ、しびれなど、身体症状に表れることがあります。』

 

画像出展:「正しく知る不安障害」

 

画像出展:「正しく知る不安障害」

 

画像出展:「正しく知る不安障害」

第2章 不安障害とは何か

不安障害という病気

 不安障害とは

●『不安を主症状とした病気のグループを「不安障害」と呼んでいます。』

 パニック障害

●『動悸、発汗、震え、息苦しさ、窒息感、胸部不快感、めまいなどを伴うパニック発作(強い不安発作)が予期しないときに繰り返し起こり、また発作が起こったらどうしようという恐怖のために行動パターンが変わってしまう病気です。』

 社交不安障害(社会不安障害、社会恐怖)

●『人との関りにおいて、自分が人からどう思われるかということについての不安が強すぎる病気です。』

 強迫性障害

●『「~したらどうしよう」「~するのではないか」という考え(強迫観念)が頭に浮かび、その不安に苦しめられるというのが強迫性障害の本質です。』

 全般性不安障害

●『多くのことについての、過剰でコントロールできない不安や心配が、起こる日の方が起こらない日よりも多いという状態が六カ月以上続いているという病気です。』

 健康な不安と病的な不安の違い

●『手を洗わないとばい菌に汚染されるというのは、間違っていません。そして、実際に、健康な人たちも同じ目的で洗っています。強迫性障害の人とどこが違うのかというと、「そこまでは気にしない」というところです。つまり、不安障害の人が抱く不安は、「わかるけれども、そこまで気にしていたら生活が成り立たないでしょう」という性質のものなのです。』

●『不安障害の不安は、病気の症状ですので、コントロールできないところも特徴の一つです。』

なぜ不安障害になるか

 きっかけが明らかでない不安障害

●『不安障害の中でも、社交不安障害や強迫性障害は、いつ始まったかが特定できない場合も多く、「気づいたらなっていた」という人も少なくありません。』

 きっかけが明らかな不安障害

●『パニック障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)は、いつ始まったかを特定することができるのが一般的です。』

 子どもを不安障害にしないために

●『不安障害の人の家族に不安障害が起こりやすいということは、すべてが遺伝のためとは言えません。不安の強い人は、不安の強い子育てをするでしょうから、そこからも影響を受けることになります。』

●『子ども自身の不安にもよく耳を傾け、批判するのではなく一緒に対処してあげるようにすれば、「自己志向」はやはり高まるでしょう。その際、「代わってあげる」という過保護な対処ではなく、子どもが自分自身の力で安心して取り組めるようにしてあげることが必要です。

不安障害を維持する悪循環

 不安と思考の悪循環 

 

画像出展:「正しく知る不安障害」

 不安と回避の悪循環

●『不安障害の人は、自分の不安を刺激するような状況を避けるようになります。この「回避」は、不安障害の重要な症状の一つです。回避によって、日常生活がままならなくなったり、自分にとって明らかに有利なことや必要なことすら避けるようになったりしてしまうからです。

回避は、短期的にはよい選択に見えるかもしれませんが、長い目で見ると逆効果です。回避してホッとすると、「次の避けなければ」という思いが強まるからです。これは、実際に怖い思いするのと同じような効果を生み、「この状況は怖ろしいのだ」という信念を心身に植え付けます。

また、そのような状況を回避し続けている限り、「慣れる」こともあり得ません。実際に何が起こるのか、という現実観察もできないのです。

そして、人間は、何かを回避し続けている自分によい気持ちを持つことはありません。特に、周りからは理解してもらえないテーマの回避は、隠したくなります。隠すこともストレスですし、そんな自分はだめだという気持ちが強まります。自分はだめだという気持ちは、不安に対して前向きに取り組むことを難しくします。ですから、不安と回避も、終わりのない悪循環に陥ってしまうのです。』

 不安障害の治療

 対人関係療法

●「対人関係療法では、身近な人間関係と症状との関連に注目して治療を進める。発症のきっかけになった対人関係上の出来事や変化は何か、発症してから、症状によって身近な人間関係がどのような影響を受けているか、また、身近な人間関係によって症状がどのように影響を受けているか、ということに注目していきます。強迫性障害以外の不安障害に対して、効果が示されてきています。

第3章 不安と身体

不安のときに身体に起こること

 「修理」が必要なのはセンサー

●『「闘争か逃避か」反応が起こらない身体になったらよいのに、と思われるかもしれません。しかし、問題は「闘争か逃避か」反応にあるのではありません。その状況を「脅威」ととらえてしまうところに問題の本質があるのです。

「闘争か逃避か」反応は、火災報知器のサイレンのようなものです。ここで修理が必要なのは、センサーです。魚を焼いただけなのに火事だとみなしてサイレンが鳴ってしまっているのです。魚を焼いた程度ではセンサーが働かないように、修理すればよいのです。サイレンそのもの(「闘争か逃避か)反応」を鳴らなくしてしまうと、本当の火災のときに困ってしまいます。』

 パニック障害

 「苦しさ」と「意味づけ」の混同

●『どんな人にもパニック発作は起こり得ますし、特に初回のパニック発作はどんな人にとっても本当に怖ろしく感じられるものです。それまでに全く経験のない、異常な体験だからです。しかし、パニック発作で死ぬこともなければ、気が狂ってしまうわけでもない、ということは事実として残ります。この事実を前に、「パニック発作は苦しいけれど、命に関わるわけではないから」と考えることができれば、パニック障害にはなりません。パニック発作の苦しさと、その意味づけが、うまく区別されているのです。

パニック障害の人も、それまでのパニック発作で「最悪の事態」にならなかったことは認めています。しかし、次の発作が起こると、「今度こそは最悪の事態になるのではないか」と考えてしまうのです。この思考は強い不安を生みますから、もちろんパニックもひどくなります。そして、「こんなにひどい状態なのだから、やはり今度こそは最悪の事態になるのだ」とさらに思うという悪循環に陥ってしまうのです。

ここでは、パニック発作そのものの苦しさと、その意味づけが混同されていると言えます。そして、パニック障害の悪循環から脱するためには、この二つを区別していくことが重要です。これは、パニック発作に対してコントロール感覚を持つということに他なりません。パニック発作そのものはコントロールできなくても、それがなぜ起こるのか、どう対処することが最も適切なのか、ということを知れば、コントロール感覚を持つことができ、パニック障害を治すこともできます。』  

呼吸に注意して身体感覚をコントロールする

 呼吸は自律神経に影響を与える

●『呼吸というは面白いもので、自律神経にコントロールされる部分と、自律神経をコントロールする部分があります。』

●『自分の意思で細く長く呼吸すると、副交感神経優位の状態、つまり、リラックス状態を作り出すことができます。』

 過呼吸のときに起こること

●『精神的な要因による過呼吸で死ぬことや後遺症を残すことは決してなく、どんなに強い発作でも、時間とともに必ず軽快していきます。身体はまたきちんとバランスをとって、通常の状態に戻るようにできているからです。』

●『パニック発作のときには、「息苦しい」と感じる人が多く、呼吸が足りないと感じられるものですが、実際には呼吸しすぎの状態になっていることがほとんどです。そもそも、「闘争か逃避か」反応のときに呼吸数が増えるのは、すぐに走って逃げられるように酸素吸入量を増やすためですが、私たちは不安反応が起こったときに必ずしも走って逃げるわけではないので、そんなに酸素は必要ないのです。すると、酸素が余った状態が作られてしまい、それが過呼吸の症状につながっていきます。』

●『パニック発作は、過呼吸によって誘発することができるということが知られています。治療の場以外では試さないでいただきたいのですが、過呼吸を続けると、パニック発作が起こるのです。「脅威」を認識すると「闘争か逃避か」反応で過呼吸になるというのも一つの事実ですが、同時に、過呼吸によって不安反応が誘発されているという側面もあるのです。』

 呼吸をコントロールする

『一分間に十二回以上呼吸をしていたらおそらく過呼吸です。』という記述が本書にはあります。

そこで、自分自身の呼吸回数を数えてみたところ、16回だったので「え、過呼吸ってこと?」と疑問に思い、ネット検索から日本呼吸器学会のサイトを見つけ確認しました。すると、そこには約12回~20回が一般的、25回以上を“頻呼吸”と言い、“過呼吸”とは呼吸の深さが増加することと書かれていました。

また、同サイトには病名としての“過換気症候群”の説明の中に「肺や心臓の検査を行っても異常が認められず、何も認めないにもかかわらず発作的に息苦しくなって呼吸が速くなるような状態をきたすことがあります。このことを過換気と呼びます。」とありました。つまり、正常とは言えない呼吸には“頻呼吸”“過呼吸”というものがあり、我々が日常的に耳にする”過呼吸”の現在の正式名は”過換気”であり、病名としては”過換気症候群”であるということが分かりました。 

『換気とは、呼吸運動によって空気を肺胞へと運ぶ働きのことです。呼吸は、無意識な状況で規則正しく1分間に約12から20回行われています。呼吸が速いとは、1分間に25回以上行われる状況で、「頻呼吸」と言います。「過呼吸」とは、呼吸回数に変化はないが、呼吸の深さが増加することを言います(通常、呼吸回数も多くなると考えられています)。』

 筋肉の緊張をコントロールする

●『呼吸のコントロールと共に、筋肉の緊張をコントロールする筋リラクセーション法を覚えると、さらに効果が増します。リラクセーション法にもいろいろありますが、力を抜こうとしてもかえって緊張してしまう人の場合には、まず筋肉に力を入れてから抜く、という方法をとるとリラックスしやすいです。なお、息を吐くときに筋肉はゆるみます。筋肉を弛緩させるときには、息を同時に吐くと、リラックス効果が高まります。』

身体からのメッセージを受け止める

 症状よりも先にストレスに気をつけるように

●『パニック発作は心身のストレスのもとに現れるということをお話ししましたが、睡眠不足や過労、かぜ、二日酔いなどはパニック発作を起こしやすい状況を作ります。このようなときには、「パニック発作が起こってしまった」というところに注目するよりも、「パニック発作が起こりやすいコンディションにあったのだ」というところに注目した方がはるかに有益です。』

不安に強い身体作り

 定期的に運動する

●『「闘争か逃避か」反応に襲われて苦しくなってしまったときには、とりあえず身体を動かすことによって抜け出すこともできます。』

 食べ物に気をつける

●『低血糖もパニックの引き金になります。ダイエット中の低血糖からパニック発作を起こす人もいますので、パニック発作を起こしている人は基本的にダイエットは避けるべきです。健康上の理由で体重を減らす必要がある場合は、医師の指導のもとで行ったほうがよいでしょう。』 

 

画像出展:「正しく知る不安障害」

 

画像出展:「正しく知る不安障害」

第4章 不安と対人関係

対人関係に対する不安

 対人関係に対するコントロール感覚

●『自分が周りの人とうまくいっているという感覚と、自分が周りの人に受け入れられているという感覚が持てると、心の健康度は大幅に高まります。そのときに感じる「自分に何があっても、人の関係の中で何とかなるだろう」という感覚が対人関係に対するコントロール感覚ということになります。』

 対人関係療法

●『対人関係療法は、身近な対人関係と症状との関連に注目していく治療法です。そこで目指していくことは、対人関係に対するコントロール感覚を高めて、症状を改善していくことです。』

 「役割期待のずれ」というものの見方

●『あらゆる対人ストレスを、「役割期待のずれ」と見ることができます。「ずれ」は、自分が相手に期待したことをやってもらえないときだけでなく、相手が自分に期待していることが、自分がやりたくないことだったりできないことだったりする場合にも生じます。

対人ストレスを「役割期待のずれ」として見ると、解決も可能になりますし、何よりもコントロール感覚を持つことができます。

 コミュニケーションに注目する

●『役割期待は、それを伝え合うコミュニケーションが貧弱だとずれてしまいます。

不安が強い人は特に要注意なのですが、不安のあまり、曖昧なコミュニケーションをしてしまうと、それだけずれる可能性が高くなります。自分の気持ちと、相手にやってもらいたいことを、直接、純粋に伝えるコミュニケーションが最も効果的です。』

 「役割の変化」という視点

●『不安障害の発症のきっかけには「それまでのやり方から切り離されて、自分のやり方を見失う」というテーマが共通していますが、これは、対人関係療法で「役割の変化」として治療の焦点とされるものです。変化に伴う感情や、身近な対人関係の変化に注目して治療を進めていきます。』

社交不安障害

 社会不安障害という病気

●『社交不安障害の本質は、人からネガティブな評価を受けることへの不安だと言えます。』

●『社交不安障害のもう一つの特徴は、そんな自分をネガティブな目で見ているというところにあります(子どもの場合を除く)。自分は「気にしすぎ」だと思っているのです。そう思っているからこそ、ますます自分がだめに思えて、人の評価が気になる、ということになります。』

社交不安障害を維持する悪循環

 身体反応による悪循環

●『社交不安障害では、不安に直面する状況で、不安反応が起こります。「闘争か逃避か」反応が起こるのです。すると、胸がドキドキしたり、声がうわずったり、手が震えたりします。これらは、もともと「恥ずかしい思いをするのではないだろうか」という不安を抱えている人にとっては、不安を強めることにほかなりません。声がうわずったり、手が震えたりすることは「恥ずかしい」ことだからです。これが、社交不安障害を維持する一つの悪循環になります。』

 「自分」に注目することによる悪循環

●『人前で話すときには多くの人が緊張しますが、場数を踏んでいくとだんだん慣れてきます。毎回不安を維持するというのは、案外エネルギーを使うものなので、人間は基本的には慣れる体質になっています。 ~中略~ 社会不安障害の人の場合は、そうはいきません。常に、人前で話すときの「自分」に目が向いていますので、観察するのは常に「自分」です。もちろん相手の反応もよく見ていますが、常に、「自分の話し方をどう思っているか」というポイントに絞られてしまうので、相手の事情などは視野の外になってしまいます。』

 センサーを修理して悪循環から脱する

●『社会不安のセンサーを修理するためには、現実の人と触れ合う必要があります。社会不安障害は、人とのやりとりにおける不安障害のように見えますが、実際にはそこに現実の「やりとり」はほとんどありません。社会不安障害の人は「他人」を気にしていますが、そこで見ているのは「自分の話し方をどう思っているか」という部分だけであり、いろいろな事情を抱え、いろいろな気持ちを持って生きている相手そのものではありません。

実際に相手とやりとりをして、受け入れられる体験をしたり、相手にもいろいろな事情があることを知ったりすることによって、だんだんと「脅威」のセンサーが修正されてきます。

 自分の「対人関係の常識」を見直してみる

●『社会不安障害になると、自分自身をさらけ出すことができなくなるため、ますます「本当の人間関係」を学ぶ機会が減ってしまいます。治療の中で、実際に人とのやりとりをしていくと、外面の評価以外の人間関係の要素を体験していくことができます。社会不安障害の治療とは、自分の「他人関係の常識」を見直していくプロセスだ、と位置づけておくと、新たなチャレンジをしやすくなります。』

不安をコントロールするコミュニケーション

  自分のコミュニケーションのクセを知る

●『自分のクセを知るために、「コミュニケーション分析」という技法を使ってみましょう。不安やストレスにつながったやりとりを振り返って、それぞれが何と言ったのかを、シナリオのように再現してみるのです。そのセリフを言ったとき、自分はどんなふうに思っていたか、何を伝えたかったのかも書いてみます。そして、その言い方で相手にそれが伝わっただろうか、と考えてみます。そして、今度は相手の立場に立って、他の解釈がないかを考えてみます。

不安が強い人の場合、コミュニケーションの量も少ないと思いますが、それでも書いてみるといろいろなことがわかります。』

 「ずれ」を作らないコミュニケーション

●『不安が強い人は特に、直接的な表現をするのが怖いと思いますので、安全なコミュニケーションのコツを紹介しましょう。それは、「私」を主語にして、気持ちを中心に話す、ということです。「私は、不安であることをわかってもらえないと思うと、ますます不安になるの」と言えば、相手を怒らせる心配はまずないでしょう。これはすべてが、自分側の話であることが明確になっているからです。

ところが、同じことでも、「あなたは本当に人の不安に鈍感なのね」と言ってしまうと、相手は怒りだすかもしれません。少なくとも、役割期待の調整のために前向きに協力してくれることにはならないでしょう。』

相手の事情を考える

●『不安が強いときには、私たちは一般に、自分のことしか目に入らなくなります。そして、何でも自分に関連づけるようになります。例えば社会不安障害のときには、「相手がネガティブな反応をした」イコール「私がだめな人間だからだ」ということになります。このような認識はもちろん、大変なストレスと対人不安を作り出します。 ~中略~ 不安障害になると、自分以外の人は完璧であるかのような気になることもありますが、実際には完璧な人などいないという当たり前のことを思い出す必要があります。』

ステロイドコントロール

ステロイドコントロール」は代々木時代(日本伝統医学研修センター)に恩師の相澤先生から教えて頂きました。「ステロイドもどんどん進化しており、ステロイドコントロールを理解した医師が処方するのであれば、たいへん優れた薬である」という主旨だったように記憶しています。

今回、その「ステロイドコントロール」がどんなものかを知るため、図書館から1冊の本を借りてきました。本当は川合眞一先生が2017年に出版された『ステロイド療法の極意』が読みたかったのですが、残念ながら埼玉県内には所蔵している図書館がなかったため、少し古い『ステロイドのエビデンス』を借りて勉強することにしました。なお、[ ]は私による追記になります。

 

著者:川合眞一

発行:羊土社

初版発行:2015年12月

ブログは“序”と“目次(大項目のみ)”に続いて、第1章、第5章、第10章から以下の題目の内容をご紹介しています。また、簡単ですが最後に“感想”を加えさせて頂きました。

●ステロイド漸減法や維持療法にエビデンスはあるか?

●ネフローゼ症候群に対するステロイド療法のエビデンスは?

●アトピー性皮膚炎に対するタクロリムス軟膏とステロイド外用剤の比較は?

●アトピー性皮膚炎に対するステロイド外用剤のランクと使用期間に関するエビデンスは?

ステロイドは多くの診療科で使われるきわめて有用な薬であり、Henchが1948年に関節リウマチの治療に使って以来70年になろうとしている。翌年には全身性エリテマトーデスに使われ、さらに他領域も含む多くの疾患に使われるようになった。この間に十分な臨床的エビデンスが形成されてきた疾患もあるが、その高い有効性故に経験的に使用されてきた領域も少なくない。そのため、どこまでがエビデンスに基づいた使用であり、どの疾患のどんな症状に対する治療が経験的な使用であるかなどの臨床的な情報は、必ずしも十分に臨床医の知るところとなっていない。

そこで、こうした情報をクリニカルクエスチョンの形で項目を挙げ、それに応える形の本書を企画した。読者の皆様には、ステロイドで何らかの疑問が生じたときに調べる手段として、また、全体を読んでいただき、ステロイドのことを学んでいただくためにも利用していただきたいと願っている。

なお、本書のタイトルおよび本文には、グルココルチコイドの略称としてステロイドを使わせていただいた。国際的には学術論文で使われるのはグルココルチコイドが最も一般的で、コルチコステロイド(副腎皮質ステロイド)が次に続く、一方、ステロイドを使っている論文や教科書は世界では少ないが、わが国では治療薬を示す用語として最も一般的に使われていることから、本書ではステロイドとさせていただいた。』

第1章 リウマチ膠原病疾患

第2章 呼吸器疾患

第3章 循環器疾患

第4章 消化器疾患

第5章 腎疾患

第6章 神経疾患

第7章 血液疾患

第8章 内分泌疾患・代謝疾患

第9章 整形外科疾患

第10章 皮膚疾患

第11章 周産期医療

第12章 小児科

第13章 眼科疾患

第14章 耳鼻咽喉科疾患

第15章 集中治療

第16章 周術期

第17章 副作用・相互作用

第1章 リウマチ膠原病疾患

ステロイド漸減法や維持療法にエビデンスはあるか?

クリニカルクエスチョン

ステロイド療法は、一般に一定の用量で初期治療をした後、漸減するとされている。しかし、その漸減法は医療機関によってさまざまである。このステロイド漸減法や、さらにはその後の維持量投与についてのエビデンスはあるのだろうか。

エビデンスの実際

1)初期治療の期間と漸減法

ステロイドの初期治療の後で、ステロイドの漸減や維持量投与が必要な理由としては2つ考えられる。まず、ステロイドは本来内因性のホルモンであるため、外分泌能は低下する。そのため、急に中止すると副腎不全を合併する可能性がある。他の理由としては、漸減することや維持量投与により疾患活動性の再燃を防ぐことが期待されるためである。

専門家意見の集約ではあるが、ステロイド漸減法を調査した報告がある。重症臓器障害を有する全身性エリテマトーデス(systemic lupus erythematosus:SLE)患者の初期用量(体重70㎏の女性と仮定)は、集約された意見の中央値でプレドニゾロン換算で60㎎/日を2週間継続し、中等症SLE患者では同じく35㎎/日を1週間継続するという結果であった。この結果をわが国のSLE患者(体重50㎏と仮定)に外挿すると、重症例でおおむね45㎎/日を2週間、中等症例でおおむね25㎎/日を1週間投与が平均的ということになる。ただ、ステロイド初期用量については医師の間でも大きな違いがあることから、わが国の実態がどうであるかについては不明である。さらには、理想的なステロイドの初期用量が何㎎であるべきかについても明確な根拠はない。

初期治療後のステロイド漸減法は、1~2週ごとに10%程度漸減するのが従来は一般的であったが、この漸減法も経験に基づいて決められたものである。表1の重症例では、1週ごとに中央値で5~10㎎、中等症患者では5㎎の減量が始まり、その後の漸減速度もおおむね1週ごとに約10~20%であった。この調査の前提はステロイドの単独治療ではないわけだが、近年の、より早めの減量という臨床実態を示している。

 

画像出展:「ステロイドのエビデンス」

2)維持量

Harrison内科学書には、PSL[プレドニゾロン]5~10㎎/日の連日投与または10~20㎎の隔日投与を通常行う維持投与として紹介されている。これに対し表1では重症例でも11週以降、中等症例は6週以降にステロイドを中止するとした医師が少なくない。ただし、この調査でも維持量を継続しているとした医師もおり、維持量の是非については専門医間でも一定していないことがわかる。

わが国で本間らが行った1,407例のSLE[全身性エリテマトーデス]の調査では、PSL5㎎/日未満あるいは中止した例の生命予後は、5~10㎎/日で維持していた例よりも有意に悪かった。また、Walshらは、抗好中球細胞質抗体(anti-neutrophil cytoplasmic antibody:ANCA)関連血管炎における再燃にかかわる因子を検討したところ、ステロイド中止例の再燃率が43%であったのに対し、維持投与例では14%と有意に再燃率が低かった。

これらの成績を合わせると、膠原病での実際的な対応としては、ステロイド漸減後も低用量を続けた方が長期管理にはよいことが示唆される。ただし、ステロイドの長期投与はほぼ全例に何らかの副作用を惹起することを考慮すると、患者の病態が数年安定していた場合などは、ストロイドの中止を検討すべきであろう。

エビデンスの使い方

以上述べてきたように、ステロイドの漸減法や維持量投与には明確なエビデンスがない。最近のより低用量の初期用量と早めの漸減を考慮すると、初期投与は2週間とし、その後はおおむね1週ごとに約10%の減量というのが現実的であろう。また、今後も検討が必要ではあるが、維持量投与は再燃率を若干下げる可能性がある。ただし、副作用を減らすという観点もあり、維持量投与を行う場合にもプレドニゾロン換算で5~10㎎/日、できれば5㎎/日以下をめざすことが望まれる。

Point

●ステロイドの漸減法には明確なエビデンスはないが、最近では初期治療2週間の後、おおむね1週間ごとに10%ほど減量することを勧めたい。

●維持量投与による再燃抑制効果については、観察研究によればプレドニゾロン換算で5~10㎎/日の投与は若干有用である可能性がある。

●維持量投与を行う場合でも、副作用予防の観点からは、疾患が安定していればプレドニゾロン換算で5㎎/日以下または中止をめざすのがよい。

第5章 腎疾患

ネフローゼ症候群に対するステロイド療法のエビデンスは?

クリニカルクエスチョン

ネフローゼ症候群は蛋白尿3.5g/日以上、血清アルブミン3.0g/dl以下で定義される症候群であるが、疾患は幅広く、おのおの治療法が異なるため、ここではネフローゼ症候群の代表疾患である微小変化型ネフローゼ症候群(minimal change nephrotic syndrome:MCNS)、巣状分節性糸球体硬化症(focal segmental glomerulosclerosis:FSGS)、膜性腎症(membranous nephropathy:MN)について下記クリニカルクエスチョン(CQ)として述べることとする。

●CQ1:微小変化型ネフローゼ症候群に対するステロイド療法は尿蛋白減少・腎機能低下抑制に推奨されるか。

●CQ2:巣状分節性糸球体硬化症に対するステロイド療法は尿蛋白減少・腎機能低下抑制に推奨されるか。

●CQ3:膜性腎症に対するステロイド単独療法は尿蛋白減少・腎機能低下抑制に推奨されるか。

一次性とは原因は不明で、腎臓に限局した障害です。”原発性”、”特発性”ともよばれます。一方、二次性は腎臓以外の原因により、腎障害を発症させるもので、”続発性”ともよばれます。

こちらのサイトにネフローゼ症候群の簡潔で分かりやすい説明が出ていました。

エビデンスの実際

ここでは、平成22年度の進行性腎障害に関する調査研究班による「ネフローゼ症候群診療指針」、2012年の糸球体腎炎のためのKDIGO(Kidney Disease Improving Global Outcomes:[国際腎臓病予後改善委員会])診療ガイドライン、「エビデンスに基づくネフローゼ症候群診療指針2014」に従って述べる。

「エビデンスに基づくネフローゼ症候群ガイドライン2014」では推奨グレードを、A(強い科学的根拠あり、行うよう強く勧められる)、B(科学的根拠があり、行うよう勧められる)、C1[科学的根拠はない(あるいは弱い)が、行うように勧められる]、C2[科学的根拠がなく(あるいは弱く)、行わないよう勧められる]、D(無効性あるいは害を示す科学的根拠があり、行わないよう勧められる)の5段階に分けて記載されている。

また、KDIGOのガイドラインでは、推奨レベルを1(推奨する)、2(望ましい)、推奨グレードなしの3つのグレードに分け、エビデンスの質をA(高い)、B(中等度)、C(低い)、D(最も低い)の4段階に分け記載されている。

1)微小変化型ネフローゼ症候群

●推奨グレードB:MCNSに対する経口ステロイドは、初回治療において尿蛋白減少に有効であり推奨する。

●推奨グレードC1:MCNSに対する経口ステロイド単独使用は、急性腎障害の悪化傾向に有効であり考慮される。

MCNSは、一次性ネフローゼ症候群の約40%を占め、ステロイドに対する反応性は良好であり、90%以上の症例で、不完全寛解Ⅰ型に至るが、約30~70%程度に再発がみられ、頻回再発やステロイド依存性を示す症例が存在することが知られている。

ステロイド治療に対するRCT[Randomized Controlled Trial:無作為化臨床試験]のうち、成人例の報告では、腎機能に差はみられなかったが、尿蛋白は有意に減らしてとしている。

2)巣状分節性糸球体硬化症

●推奨グレードC1:FSGSに対するステロイド療法は、初回治療において尿蛋白減少・腎機能低下抑制に有効であり推奨する。

FSGSは、ネフローゼ症候群の約8%を占め、腎生存率(透析非導入率)は、20年で33.5%と長期予後は膜性腎症よりも不良である。ネフローゼ症候群から脱しきれない症例の予後がきわめて不良であるのに対して、不完全寛解Ⅰ型以上まで改善した症例の予後は比較的良好であることから、尿蛋白1g/日未満をめざして積極的な治療を行う必要がある。

初期治療による尿蛋白減少および腎機能低下抑制のRCTはないが、観察研究が数多くある。それらの報告のうち、特に成人の場合では、初回治療において副腎皮質ステロイド療法による完全寛解20~50%台に達し、不完全寛解も合わせると50~60%台となる。

Troyanovは、ステロイドの治療効果を完全寛解(complete response:CR)、部分寛解(partial remission:PR)、治療抵抗性(non-responder:NR)に分けた腎予後の結果、CR>PR>NRの順に有意に腎生存率が長期であったことを報告している(図1)。腎機能予後の改善には、尿蛋白を減少させることが非常に重要である。

 

画像出展:「ステロイドのエビデンス」

※以下は本文には含まれていませんが、「寛解」に関する定義を把握する必要があると思いますので、掲載させて頂きます。“難治性ネフローゼ症候群( 成人例)の診療指針”より)

ネフローゼ症候群の治療効果判定基準(厚生省特定疾患ネフローゼ症候群調査研究班 による)

完全寛解:蛋白尿消失、血清蛋白の改善、および他の諸症状の消失が見られるもの

不完全寛解Ⅰ型:血清蛋白の正常化と臨床症状の消失が認められるが、尿蛋白が存続するもの

不完全寛解Ⅱ型:臨床症状は好転するが,不完全寛解Ⅰ型に該当しないもの

無効:治療に全く反応しないもの

効果判定は、尿蛋白、血清蛋白、および他の諸症状が最も改善した治療開始後の時点で実施するが、治療開始4 ~8 週以内に行われるのが通例である。 不完全寛解Ⅰ型とⅡ型の境界は、ネフローゼ症候群調査研究班の診断基準では明確に示されていないが、1日の尿蛋白が1g以下になった場合を不完全寛解Ⅰ型とするのが一般的である。

3)膜性腎症

●推奨グレードC1:MNに対する経口ステロイド単独治療は、支持療法と比較して腎機能低下抑制に有効である可能性があり推奨する。

MNには、自然寛解が得られる症例もあり、比較的腎予後が良好な疾患と思われがちである。しかし20年長期腎生存率は、約60%と決して良好とは言えない。蛋白尿の経過と腎予後との間に密接な関係があり、不完全寛解Ⅱ型およびネフローゼ症候群は、完全寛解と不完全寛解Ⅰ型と比較して、有意に予後不良である。よって、尿蛋白1g/日以上の蛋白尿が遷延し、腎不全に至るリスクが高い症例では、積極的な治療を行うべきと思われる。

MNに対して、ステロイド単独治療の有効性を無作為化前向き比較研究(RCT)で評価した論文は少ないが、Cattran、Cameronらの論文がある。Cattranらは6カ月間プレドニゾロン45㎎/㎡を隔日投与したステロイド単独治療群と無治療群によるRCTを実施している。その結果、両群を比較して、8年間の経過観察では蛋白尿の寛解率と腎機能低下速度には有意差はみられなかったとしている。Cameronらは、約50名ずつの症例をプレドニゾロン隔日6カ月間投与群と無治療群によるRCTを実施し、3年間の経過観察をしているが、やはり蛋白尿の寛解率と腎機能低下速度に関して、両群間に有意差はなかったと報告している。

Shiikiらの厚生労働省研究班によるわが国の膜性腎症1,066例の後ろ向き調査では、ステロイド単独治療群(357例)、ステロイド+シクロホスファミド併用群(257例)、支持療法群(161例)の3群間で寛解率、腎予後を比較検討している。最終観察時では3群間における完全寛解、不完全寛解、無効例の比率には有意差は認められなかった。しかし、末期腎不全に至る腎予後を比較すると、ステロイド単独治療群とステロイド+シクロホスファミド併用群は支持療法群より末期腎不全に至る症例が有意に少なかった。ただし、ステロイド単独治療群とステロイド+シクロホスファミド併用群の両者における腎予後の差は認められなかった。

エビデンスの使い方

1)微小変化型ネフローゼ症候群

通常プレドニゾロン(PSL)0.8~1㎎/㎏/日相当(最大60㎎/日)で開始され、成人の場合小児より反応性は緩徐であるものの、早ければ2~4週間程度で尿蛋白減少の効果が現れ、また腎機能低下抑制に有効であるとしている。その後は2~4週ごとに5~10㎎/日ずつ漸減し5~10㎎/日に達したら最少量で1~2年程度継続中止する。

再発例では、初回治療と同量・同投与期間の治療、あるいは初回治療より減量したプレドニゾロン20~30㎎/日を投与する。頻回再発例、ステロイド依存例、ステロイド抵抗性ではプレドニゾロンに加えて、免疫抑制薬を追加投与する。図2にMCNSの治療アルゴリズムを示す。

 

画像出展:「ステロイドのエビデンス」

※補足

シクロスポリン、ミゾリビン、シクロホスファミドは、いずれも、免疫抑制薬です。

 

2)巣状分節性糸球体硬化症

通常初期治療としてプレドニゾロン1㎎/㎏/日相当(最大60㎎/日)または隔日2㎎/日相当(最大120㎎/日)を少なくとも4週間投与することを推奨している。

再発例ではプレドニゾロン治療とシクロスポリンの併用を選択する。また頻回再発例、ステロイド依存例、ステロイド抵抗例ではシクロスポリン2.0~3.0㎎/㎏/日を副作用がない限り6カ月間使用し、少なくとも1年は使用、あるいはミゾリン150㎎/日を副作用がない限り2年間使用する。またはシクロホスファミド50~100㎎/日を副作用がない限り3カ月間使用可能とする。図3にFSGS治療アルゴリズムを示す。

 

画像出展:「ステロイドのエビデンス」

 

 

3)膜性腎症

ネフローゼ症候群診療指針では、「わが国では、ステロイド単独による寛解例が少なくないので、ステロイドを第一選択薬として考えるべきである。」とされているが、欧米ではステロイド単独治療の有効性は臨床試験において十分なエビデンスが得られておらず、KDIGO糸球体ガイドラインでは、二次性膜性腎症を除外したうえで、ネフローゼ症候群患者のみに初期治療(ステロイドを中心とした治療)を行うことを推奨している。

糸球体腎炎のためのKDIGO診療ガイドラインでは初期治療としてさらに以下のような状態では、ステロイド治療を考慮することを推奨している。

①少なくとも6カ月間の観察期間中に、降圧療法や抗蛋白尿治療(ステロイド以外の)を行っても、4g/日を超える尿蛋白が持続し、初期の蛋白尿の50%を超える蛋白尿が残る場合(1B)

②ネフローゼ症候群に関連する重篤な症状、機能障害を伴う症状、生命予後に関係する症状がある場合(1C)

③6~12カ月間に血清クレアチニン値(SCr)が診断時に比較して30%以上増加するが、eGFR25~30ml/分/1.73㎡以下にはならず、かつ、この変化が合併症では説明できない場合(2C)

初期治療としてステロイドと経口アルキル化薬[制癌剤]を各月ごとに交互に6カ月間くり返す治療を推奨している(1B)

ネフローゼ症候群診療指針では、「MNでのステロイドの初期投与は他のネフローゼ症候群と比較してやや少なく、ブレドニゾロン換算で0.6~0.8㎎/㎏/日の服用が妥当で、年齢や合併症を考慮して増減が必要である。」とされている。図4にMNの治療アルゴリズムを示す。

 

画像出展:「ステロイドのエビデンス」

 

 

KDIGO糸球体腎炎ガイドラインでは、「アルキル化薬と副腎皮質ステロイドによる治療に抵抗性の患者には、カルシニューリンインヒビター[免疫抑制薬]による治療を行うことが望ましい(2C)。」また、「再発例では、初期治療と同じ治療を再度行うことが望ましい(2D)。」とされている。

4)高齢者のネフローゼ症候群

高齢者ネフローゼ症候群に対して、副作用の発現に十分に注意して使用することを推奨する(ただし、高齢者ネフローゼ症候群に関しては、免疫抑制薬の有効性と安全性のバランスは十分に明らかでない)(推奨グレードC1)

POINT

●MCNS[微小変化型ネフローゼ症候群]に対して、ステロイド療法は寛解導入に有効性が高く、90%以上の反応率を示す。通常プレドニゾロン0.8~1㎎/㎏/日相当で開始し、その後は2~4週ごとに5~10㎎/日ずつ漸減し5~10㎎/日に達したら最少量で1~2年程度継続中止する。

●MCNS再発例では、初回治療と同量・同投与期間の治療、あるいは初回治療より減量したプレドニゾロン20~30㎎/日を投与する。MCNS頻回再発例、ステロイド依存例、ステロイド抵抗性でステロイドに加えて、免疫抑制薬を併用する。

●FSGS[巣状分節性糸球体硬化症]に対して、プレドニゾロン1㎎/㎏/日相当を少なくとも4週間の投与が推奨されているが、RCTによるエビデンスはない。

●ステロイド抵抗性のFSGSに対しては、免疫抑制薬を早期に併用し、すみやかなステロイドの減量を図るべきである。

●MN[膜性腎症]に対して、ステロイド療法は初期治療において有効であるが、ステロイド単独治療は無治療群と比較して尿蛋白減少効果に関して有意差を認めていない、自然寛解もありうるため、数カ月から半年間ステロイドなしで経過をみて、ネフローゼが続いている場合にステロイドを考慮するのが妥当と思われる。

●ステロイド抵抗性のMNには、免疫抑制薬の使用を検討する。

●高齢者に対しては、副作用の発現に十分に注意して使用する。

第10章 皮膚疾患

アトピー性皮膚炎に対するタクロリムス軟膏とステロイド外用剤の比較は?

クリニカルクエスチョン

アトピー性皮膚炎の治療において、皮膚炎を十分に制御できる抗炎症外用剤として有効性と安全性が十分に検討されているものには、ステロイド外用剤とタクロリムス軟膏がある。タクロリムス軟膏は、16歳以上の成人アトピー性皮膚炎患者には0.1%の製剤が使用されている。成人アトピー性皮膚炎の皮疹に対する効果は、どのランクのステロイド外用剤と匹敵するのだろうか。

エビデンスの実際

中等症から重症の成人(18歳以上)アトピー性皮膚炎患者972名を対象に、体幹・四肢に0.1%ヒドロコルチゾン酪酸エステル(ミディアム、Ⅳ群)を塗布する群と0.1%タクロリムス軟膏を塗布する群で、3カ月目の皮疹スコアを開始時のものと比較して少なくとも60%減少するか、をプライマリーエンドポイントとして比較した二重盲検無作為化試験では、0.1%タクロリムス軟膏群は0.1%ヒドロコルチゾン酪酸エステル群よりも高い効果を示した(72.6% vs 52.3%、P<0.001)。また、中等症以上の成人(16歳以上)アトピー性皮膚炎患者162名を対象にして国内で行われた二重盲検無作為化比較試験でも、0.1%タクロリムス軟膏は0.12%ベタメタゾン吉草酸エステル軟膏(ストロング、Ⅲ群)と同等の効果を示した。概括安全度評価で「安全」の評価は両群で同等だったが、塗布部位の刺激感の発現率は0.1%タクロリムス軟膏の方が有意に高かった。この刺激感は大部分の症例で皮疹の改善とともに発現しなくなった。

エビデンスの使い方

日本皮膚科学会アトピー性皮膚炎診療ガイドラインでは、中等度までの紅斑、鱗屑、少数の丘疹、掻破痕などを主体とする成人アトピー性皮膚炎患者の中等症の皮疹には、ステロイド外用剤ならばストロングクラスまたはミディアムクラスを第一選択とすると記載されている。タクロリムス軟膏は、成人アトピー性皮膚炎の皮疹に対して、ストロングクラスと同程度の臨床効果を有することから、中等症の皮疹にはストロングまたはミディアムクラスのステロイド外用剤あるいはタクロリムス軟膏を用いるのが妥当となる。一方で、タクロリムス軟膏の外用初期には、一過性の灼熱感やほてり感などの刺激症状がしばしば出現し、皮疹が改善するとともに刺激症状は消失していくことが多い。しかもステロイド外用剤を長期に使用した際にみられる皮膚萎縮の副作用がタクロリムス軟膏にはみられない。これらを勘案して、実際の臨床ではまずステロイド外用剤で皮疹をある程度軽快させた後に、タクロリムス軟膏に切り替えて長期の寛解を維持する方策がとられることが多い。より重症の皮疹に対しては、まずベリーストロングクラス(Ⅱ群)のステロイド外用剤で皮疹を改善させたのちにタクロリムス軟膏に移行することが推奨されている。

POINT

●タクロリムス軟膏は、成人アトピー性皮膚炎の皮疹に対して、ストロングクラスと同程度の臨床効果を有する。

●ステロイド外用剤を長期に使用した際にみられる皮膚萎縮の副作用がタクロリムス軟膏にはみられない。

●実臨床ではまずステロイド外用剤である程度軽快させた後に、タクロリムス軟膏に切り替えて長期の寛解を維持する方策がとられることが多い。

こちらをクリック頂くと、『医師の視点で考えるアトピー性皮膚炎』というサイトにある“タクロリムス軟膏”に関する詳しい説明が確認できます。

アトピー性皮膚炎に対するステロイド外用剤のランクと使用期間に関するエビデンスは?

クリニカルクエスチョン

ステロイド外用剤は、アトピー性皮膚炎に対する薬物療法の主体である。ステロイド外用剤は、現在国内では5つのランクに分かれており(表1)、効果の高さと局所性の副作用の起こりやすさは一般的には並行する。アトピー性皮膚炎の皮疹に対するステロイドの効果とランク、局所性の副作用とステロイド外用剤のランクや使用期間に関するエビデンスはあるのだろうか?

 

画像出展:「ステロイドのエビデンス」

 

 

エビデンスの実際

1)アトピー性皮膚炎の皮疹に対する効果

ステロイド外用剤とプラセボ[偽薬]を比較した無作為化比較試験は20編を超え、ほとんどの試験でステロイド外用剤はプラセボよりも有効であることが示されている。一方で、0.2%吉草酸ヒドロコルチゾン〔米国の分類では0.1%ヒドロコルチゾン酪酸エステル(表1を参照:ミディアム、Ⅳ群)と同じランク〕などランクの低い一部のステロイド外用剤では、効果に統計学的な有意差が示されなかった。

2)ステロイド外用剤の局所性副作用

小児アトピー性皮膚炎患者に0.1%吉草酸ベタメタゾン軟膏(日本で販売されている0.12%ベタメタゾン吉草酸エステルはストロング、Ⅲ群)を1日2回、週3回18週間外用しても皮膚の菲薄化はみられなかった。健康ボランティアの前腕に0.05%クロベタゾールプロピオン酸エステルクリーム(ストロンゲスト、Ⅰ群)や0.1%ベタメタゾン吉草酸エステルクリームを1日2回、連日6週間外用したところ、皮膚の菲薄化がみられた。

エビデンスの使い方

ステロイド外用剤の選択に際しては、皮疹の経過に関する見通し、皮疹の重症度、皮疹の部位、患者の年齢などを勘案する必要があり、実際の診療ではアトピー性皮膚炎診療ガイドラインなどを参考にしてランクを決める。ほとんどのステロイド外用剤がアトピー性皮膚炎の皮疹に対して有効性を示した一方で、ランクの低い一部のステロイド外用剤では効果においてプラセボと有意な差がなかった。また、ある程度の強さをもつステロイド外用剤を連日長期間外用すると、皮膚萎縮などの局所性の副作用がみられる可能性がある。したがって、アトピー性皮膚炎の治療に際しては、皮疹の重症度や部位に応じて十分な効果が期待でき、かつ必要以上に強くない、適切な強さのステロイド外用剤を選択することの重要性がうかがわれる。

そして、適切なランクのステロイド外用剤を用いて皮疹を軽快させた後は、保湿剤を継続しつつ、ステロイド外用剤の外用回数を減らす、ランクを下げる、タクロリムス軟膏に切り替えるなど、外用部位に副作用が出現する可能性を減じながら寛解を維持する方策をとる。

一方、皮疹が軽快した後もステロイド外用剤やタクロリムス軟膏などの抗炎症外用剤を週2回程度継続するプロアクティブ療法の有効性が欧米を中心に報告されており、国内でも注目されている。

POINT

●ほとんどのステロイド外用剤がアトピー性皮膚炎の皮疹に対して有効性を示した一方で、ランクの低い一部のステロイド外用剤では効果にプラセボと有意な差がなかった。

●ある程度の強さをもつステロイド外用剤を連日長期間外用すると、皮膚萎縮などの局所性の副作用がみられる可能性がある。

●適切なランクのステロイド外用剤を用いて皮疹を軽快させた後は、ステロイド外用剤の外用回数を減らす、ランクを下げる、タクロリムス軟膏に切り替えるなど、外用部位に副作用が出現する可能性を減じながら寛解を維持する方策をとるのが肝要である。

感想

ステロイドコントロールとは、「患者さまの病状を正しく理解し、その上でステロイド外用剤の選択を行ない(強さ、部位などから)、また外用の期間、漸減、維持量(0gを含む)を病状の変化と副作用の両面を考慮しながら、必要な微調整を加え患者さまの最適な投薬法を見つける作業」ということではないかと思います。

また、腎臓病のネフローゼ症候群であれば免疫抑制薬があり、アトピー性皮膚炎であればタクロリムス軟膏という薬があるということも知りました。

鍼灸師として、これらの投薬に深入りすべきでないことは当然ですが、患者さまの直面している実態を理解するうえで、薬を知ることは大切な知識の一つであると思います。

追記

ステロイドとアトピー性皮膚炎について調べていて、興味深いサイトを見つけました。患者さまの症状によって対処は変わるものと思いますが、ステロイドコントロールの一例ということでご紹介させて頂きます。

こちらは環境再生保存機構さまのサイトに掲載されていた、”医療トピックス:アトピー性皮膚炎治療とセルフケアの最新動向”の中にあった図(アトピー性皮膚炎診療ガイドライン2015の図を改変)です。

尿蛋白クレアチニン比(“尿TP/CRE比”)

先日、患者さまからの腎臓に関する検査値のお話の中で、全くノーマークだった重要な検査値があることを知りました。それは、尿蛋白クレアチニン比(尿TP/CRE比)というものです。

以下はネットで調べた内容になります。

尿蛋白クレアチニン比の利点

●尿検査(尿一般試験紙法)は被検者の健康状態により、尿が希釈あるいは濃縮されている場合には正確な評価が難しくなります。一方、尿蛋白クレアチニン比による計算式では、希釈尿や濃縮尿が補正されるメリットがあり、1日尿蛋白排泄量(g/日)ともよく相関するとされています。また、専門医への紹介基準や “CKD(慢性腎臓病) 重症度分類基準”などにも用いられています。

尿蛋白クレアチニン比の計算式

●尿TP/CRE比  “随時尿の尿蛋白定量結果(mg/dl)” ÷ “尿中クレアチニン濃度(mg/dl)

『内科プライマリ・ケア医の知っておきたい“ミニマム知識” =尿蛋白定量・クレアチニンクリアランスの考え方を身につけよう=』より

こちらは、2007年の日本内科学会雑誌 第96巻 第5号の掲載されていたもので、執筆者は横井内科医院院長の横井 徹先生です。内容は横井先生が内科医の先生方向けに書かれたものになっています。

ブログでは、“1.尿検査は試験紙法だけでとどめないで、尿蛋白持続陽性例では定量検査で「尿蛋白クレアチニン比」をチェック!”だけをご紹介していますが、太字は私の選択であり原文には太字はありません。なお、以下をクリック頂くと資料がダウンロードされます。

1.尿検査は試験紙法だけでとどめないで、尿蛋白持続陽性例では定量検査で「尿蛋白クレアチニン比」をチェック! 

『内科医なら誰でも尿検査、特に試験紙法による検尿は日常的に行っている。しかしこれからは、これだけで終わらないようにしたい。尿蛋白が+だから軽度、3+だから高度、というのは必ずしも正しくない。試験紙法は程度を濃度で分類しているため、蛋白の「尿中含有量」が同じでも希釈尿環境では+、濃縮尿環境では3+になることも多い。ここに、試験紙法で定性反応しかチェックしないことの盲点がある。 

一般に一日尿蛋白排泄 0.3~0.5g以上が数カ月間以上持続する場合、5~10 年単位で徐々に腎機能が低下してゆく慢性糸球体疾患が存在する可能性が高いと考えられる。そしてこのレベルの尿蛋白で一日尿量が2リットルある場合、一日0.5gの蛋白尿は単純計算で25mg/dlとなり試験紙法では±、高度の脱水で尿が 500mlにとどまる場合、100mg/dlとなり2+になり得る(一般に試験紙法において、+は30mg/dl以上、2+は100mg/dl以上、3+は300mg/dl以上が目安である)。すなわち、尿量が多いケースでは試験紙法で尿蛋白±程度であっても軽視できないわけである。 

この盲点を回避するために、尿蛋白定量が必要となる。しかし蓄尿が困難な環境で単に受診時採取した尿で「尿蛋白定量」をオーダーしてもmg/dl、「濃度」の単位でしか報告されない。これでは試験紙法と何らかわりはなく、無駄である。それに対して、随時尿の「尿蛋白クレアチニン比」はその人の一日尿蛋白排泄量(g/day)とほぼ等しいか、等しくなくともよく相関することが知られているのでこれを用いたい。尿蛋白クレアチニン比は、随時尿検体で尿蛋白定量結果(mg/dl)を尿中クレアチニン濃度(mg/dl)で除することで計算できる。これで0.3~0.5であれば、すなわち尿蛋白排泄0.3~0.5g/day程度と推定でき、できれば 1、2年以内には腎専門医へ紹介して欲しい(理由は前述のように進行性の慢性腎疾患の可能性が高いからである)。これよりも尿蛋白が多い場合、腎機能低下スピードはさらに速くなるのでもっと早めの紹介が必要である。さらに高度となるネフローゼ症候群のレベルになれば 1、2カ月以内の専門医紹介が必要なことが多い。蛋白尿が高度であればあるほど、できるだけ早期の治療介入が将来の腎機能低下を予防する一番の手段になるのでこの判断はたいへん重要である。 

なお、一過性に、ある程度以上の蛋白尿が出現することもある。体位性蛋白尿や発熱・感染など可逆性の原因に伴い一時的に出現するものであり、当然これらは腎実質性疾患ではないため、通常腎生検など精査の適応にならない。将来の持続性蛋白尿(すなわち何らかの腎実質性疾患)の前兆という可能性がゼロではないものの、腎疾患診療では蛋白尿が持続的に認められるようになってから精査する、という方針で臨んでも決して治療開始が遅くはならない。以上の理由から、尿蛋白クレアチニン比を計算するのは、ネフローゼ症候群のような高度の蛋白尿例を除き、通常は数カ月以上通常の試験紙法にて蛋白尿が持続している場合に行うとよい。』 

感想

今後、患者さまの血液や尿の検査結果表を拝見させて頂くときは、“CRE(クレアチニン)”、“eGFR(糸球体濾過値)”、“ALB(アルブミン)”に加え、11月に勉強した“尿中微量アルブミン”と今回勉強した“尿TP/CRE比”の5項目をチェックしていこうと思います。

ボイタ法・ボバース法

「ボイタ法」、「ボバース法」という訓練・リハビリテーションの方法は、小児障害に係わる中で知りました。しかし、これらは主とする対象が乳児期のものということもあり、そこまでは必要ないだろうと思いスルーしていました。

一方、訪問の仕事(業務委託)は高齢者から小児にシフトし始めており、ご家族との接点が増える傾向にあるため、これらに関しても、ある程度は知っていた方が良いと思うようになりました。

調べてみると、「ボイタ法」は人間の反射を利用する方法「ボバース法」は反射を抑制する方法ということで、全く正反対なアプローチのようです。個人的には前者の反射を利用する方法の方が興味深かかったため、まずはボイタ法について勉強することにしました。

こちらのサイトに、ボイタ法、ボバース法についての説明が出ています。書かれている内容は難しいのですが、簡潔にまとめられていますのでご紹介させて頂きます。

ともに脳性麻痺に対する代表的な訓練・リハビリテーション方法です。

ボイタ法は、7つの姿勢反射(引き起こし、パイパー逆さ吊り上げ、ランドー反応、コリスの水平吊り下げ・片脚吊り下げ、ボイタ反射、腋下支持垂直挙上)をスクリーニング方法とし、早期乳児期に脳性麻痺症状の出現する以前に中枢性神経障害(ZKS)を示す患者さんを発見し、原始反射を応用した腹這い・寝返り運動を誘発し脳性麻痺の発症を阻止します。しかし、ZKSの脳性麻痺への移行についての根拠が明らかではない、時に治療が必要な児を見落とす、などの問題点も指摘されています。

一方、ボバ-ス法は、姿勢反射を含めた正常乳児の発達の知識から、脳性麻痺の症状が形成されてくる異常発達を神経生理学的に定義し、それを積極的に予防していこうとするアプローチです。実証的治療結果(療法士である妻の経験を医師である夫が理論化)に基づく、異常反射抑制肢位(RIP)やKey point of controlを用いた訓練により、協調運動や日常生活動作に結びつく基礎的運動能力の改善をめざします。』

まず図書館から借りてきたのは「ボイタ法の治療原理 反射性移動運動と運動発達における筋活動」という本です。こちらの本の魅力は何といってもボイタ(Vaclav Vojta)自身が書いたものであるという点です。

 

著者:Vaclav Vojta、Annegret Peters

訳者:富 雅男

出版:医歯薬出版

発行:2002年3月

読んでみると、運動学(キネマティクス)とリハビリテーション学についての知識が不足している私には、理解するのは難しいということが分かりし、早々に断念することにしました。

ただ、雰囲気だけでもお伝えすることは悪くないと思い、断片的ですが以下にご紹介します。なお、“矢状面”と“膝窩筋”の後ろの( )は私による加筆です。

足関節の運動:後頭側下肢の立脚相と踏み切り相における距踵関節の軸(図38)

1.新生児の足は回内している。踵骨の長軸は距骨の長軸に対して外側に変位している。

2.踵骨は高位にあり、また距骨の下には移動していない。

身体全体の姿勢が変化することによる起き上がり機能が発達し、それによって負荷がかかり筋機能が変化したときに、初めて踵骨は距骨の下に位置してくる。独歩が獲得されても、まだ子供の足は外反している。全骨格筋の筋機能の分化のもとに3歳になって初めて足のアーチが発達しはじめる。脳性運動障害に侵される危険があったり、小児脳性麻痺に発展しているならば、距骨と踵骨に関しては足は新生児の運動発達段階のままである。踵骨と距骨について上述した病的肢位は、小児脳性麻痺の患者では脛骨内旋を合併しているのがほとんどである。反射性腹這いの出発肢位において、足は下腿に対して直角である。

 

画像出展:「ボイタの治療原理」

踵の誘発帯を刺激して、距踵関節を矢状面(体を左右に分ける面[矢状面の運動は底屈・背屈]。水平面は上下、前額面は前後)で踵骨と距骨の長軸が重なるポジションにもってくる。

 

9個の赤丸が「誘発帯」という非常に重要なポイントです。

なお、こちらの画像は「からだ相談室」さまから拝借しました。

また、足の外反は変形を踵の誘発帯によって矯正すると、最初は後足部が他動的に矯正されることになるが、前進運動の経過中に長短腓骨筋、前脛骨筋そして非常に重要な後脛骨筋の共同運動機能によって能動的に後足部の矯正位が保たれる。踵誘発帯を圧迫すると下腿の膝窩筋にも遠隔作用が及ぶ(図40参照)。 

 

画像出展:「ボイタの治療原理」

踵誘発帯を圧迫すると距腿関節を介して下腿の長軸に伝わり、膝窩筋(膝窩筋の筋力低下は膝の過伸展につながる)が伸長状態になる。膝窩筋が収縮すると、膝窩筋は固定点である尾側に牽引され大腿は外旋する。脳性運動障害の場合、外反尖足の問題ではほとんどいつも脛骨の内転と大腿骨の内旋を合併していることを考えると、このことは重要である。

反射性腹這いの後頭側下肢では膝窩筋は大腿骨の外旋だけに働くのではなくて、足の負荷にも影響を与える。後脛骨筋との共同運動では、膝窩筋は間接的に踵骨の外反と立脚相で良好な踵の負荷に寄与する。

要約すると後頭側下肢の足に関しては、足は反射性腹這いの全運動過程で能動的に、そして単独で回外位さらに地面に対して直角位で支えているといえる。この際、踵骨と距骨は下腿の長軸にある。これらの筋活動は反射性腹這いの運動パターンにおいて新生児に誘発可能で、筋肉の共同運動によって筋活動が起こる。セラピストが他動運動に足を矯正して保持する必要はない。新生児や成人の患者も歩行サイクルと比較すると立脚相と踏切り相にあたるとろでこの下肢を動かし、その際、下腿三頭筋も運動に参加する。

足関節について

足関節には“内反”・“外反”という用語と、“内返し”・“外返し”という用語があります。「これは同じなのか?」と思いながら、調べてみると内反・外反は「変形」を意味する用語であり、一方、内返し・外返しは「運動」の名称であるということが分かりました。なお、下記は「足関節の運動」を示した図です。

 

REGUARDさまのサイトに掲載されていた『知ってトクする豆知識:足首編』から拝借しました。

 

続いて、図書館から借りてきたのは「子どもの姿勢運動発達」という本です。1985年発行の本ですが現在も購入することができます。

 

著者:家森百合子、神田豊子、弓削マリ子

出版:ミネルヴァ書房

初版発行:1985年9月

目次は次の通りです。

序文

はじめに

第1章 保育園で発達診断してみたら

第2章 正しい姿勢とその発達

第3章 発達診断に用いられる姿勢反応

第4章 発達診断に用いられる反射検査

第5章 調和のとれた発達とは

第6章 障害のある子の療育と訓練効果

第7章 ボイタによる診断学と境界線域の子どもたち

第8章 ボイタによる訓練と必要な配慮

第9章 こんな子に役立つ育児体操

そして、【付図 運動発達と姿勢反応】という1枚物の付録が付いています。

ブログでは、第8章の「ボイタによる訓練と必要な配慮」と付録の付図をご紹介したいと思います。

第8章 ボイタによる訓練と必要な配慮

1 ボイタ法による治療の概要

ボイタ法の治療はふつう、お母さん(家族)に対して、PT(理学療法士)が訓練を指導し、お母さんが家庭で1日4回行うようになっています。1回の訓練時間は15分~30分位、特に体力的に問題のある場合は、5分位に短くすることも可能です。まず、正常なムスタ(パターン:筋肉の使い方の組み合わせ)を誘発しやすい出発肢位をとらせます。

反射性ねがえりⅠ相は仰臥位、Ⅱ相は側臥位、反射性腹這いとエルステポジションは腹臥位です。

次に特定の部位にある誘発体を決められた方向に向かって刺激します。

例えば反射性腹這いの時の誘発帯は図に示すように、主誘発帯が4つ、補助誘発帯が5つあります。

主誘発帯は主に骨膜への刺激、補助誘発帯は骨膜刺激と筋膜伸長とからなっています。誘発帯をどのように組み合わせて使うかは、その子の障害の内容によって違ってきます。 

 

画像出展:「子どもの姿勢運動発達」

PTは自分で反応を出してみて、一番正常パターンを誘発しやすい組み合わせにより訓練の処方を決めます。このようにして、決められた肢位で、決められた誘発帯を決められた方向へ向かって刺激して待っていると、反応が返って来ます。その時、出来るだけ初めの出発肢位に止めておくようにすると、腕ずもうの時のように、反応は強まり、全身の筋肉へ段々と拡がって行きます。

その起こってきた反応は、正しい起き上がりと、正しい相同運動、正しい姿勢反応性の三つの要素を含んだ、協調性複合運動と理解されています。前頸筋や胸筋、腹筋などの動きで顎をひき、肩が下り、背中全体がのびて、骨盤が後傾するような正しいパターンになった時に、それら三つの要素が正しく起こります。この時、脳の中でもそれまで働けていなかった、新しい経路に働きが起こっているはずです。もちろん、非常に重症な脳性麻痺児が初めから簡単に正常なパターンを出せるはずはありません。そこでその子の本来のパターンより、少しでもよくなるように、毎日積み重ねて行くわけです。脳の中で新しく働き始めた経路は、初めの内3~4時間位たつと、働かなくなってしまうと考えられています。実際の訓練の直後にはよくねがえりするのに、訓練が1~2回抜けると余りねがえらなくなってしまうこともあります。少しでも正常に近づけるための訓練は少ない日でも3回は必要です。特に乳幼児は発達が早いので4回必要です。脳性麻痺はふつう放置することによって段々重症化して行きますが、1日2回の訓練は現状維持、1回は重症化を少しくいとめるための訓練と考えられています。5回もすると一日中訓練ばかりしていることになり、遊びの時間や、動きまわる時間がありません。

訓練は基本問題、日常生活はその応用問題と考えて、動きやすくなった手足や口をしっかりと使わせて下さい。以上のことから、日常生活経験と訓練をどのように組み込んで行くかが、訓練の効果を上げるための鍵になることがおわかりいただけると思います。 

 

画像出展:「子どもの姿勢運動発達」

2.ボイタ法の訓練は何をしているのか

ボイタ法の訓練は、赤ちゃんの姿勢や運動のパターンを少しでも正常に近づけることにより軽症化させることを目的としています。どんなやり方でもよいから立って歩けばよいと考えているのではありません。ねがえりや這い這いの時に使われる筋肉の組み合わせは、歩く時にも使われています。

正常な寝返りのパターンでの、上下肢の位置や体軸のねじり方は、正常な法の訓練は歩行での上下肢の位置や体軸のねじり方と似ています。脳性麻痺児の寝返りのパターンと似ているわけです。従ってねがえりのパターンが少しでも正常なパターンになることは、歩行のパターンが正常なパターンに近づくことを意味しています。

筋肉は、ふつう、よく使った筋肉ほど太く強くなり、使わない筋肉ほど細く弱くなりますから、正常なパターンで毎日動いているのと、異常なパターンで無理して動いているのとでは、筋肉のつき方が段々違って来るわけです。そして強い筋肉は増々強く、弱い筋肉は増々弱くなります。そしてこのことは、脳の中でも起こっていることが予想されるわけです。

ボイタ法の訓練は出発肢位に出来るだけ止めておくことによって筋肉の等尺性収縮(注.筋肉の長さが変わらない収縮の仕方。例えば腕ずもうの相手がほとんど同じ強さを持っている時、筋肉は強く収縮しているにもかかわらず、同じ長さに保たれている。一方、動きの速い運動の時は筋肉の長さは常に変化していることになる。)の方が、筋肉は太く強くなりやすいわけで、反射性ねがえりの時に正常パターンの反応を起こし続けることが出来れば、ただ単に正常パターンでくるっとねがえった時よりは、正常パターンを強めることが出来ることになるのです。特に脳性麻痺児の場合、肩甲骨をしっかり固定させ、骨盤を安定させるための体幹の筋肉が弱いことが、姿勢や運動パターンのくずれる大きな原因となっています。

また、胸筋や腹筋の弱さのために風邪を治す力も弱いことが多いのです。ですから、頭の方へひきあげられたようになっている肩甲骨が、体幹の筋肉によってしっかりとひきさげられ、肩巾が広くなるような反応(この時必ず、顎ひきを伴う)や、胸筋や腹筋が弱いために、横へ間のびしてとび出した肋骨下縁が、腹筋によってひきさげられるとともに、大きく深い呼吸によって胸郭がふくらむような反応が起こることが必要なのです。また、背筋が強いために後ろからひきあげられ、前傾している骨盤が、背筋を伸ばし腹筋を働かせることによって、後傾するようになることが求められます。このようにして、肩が安定すると頭の位置も安定し、口の使い方、目の使い方が良くなります。また、肩の安定は手の使い方を良くします。胸筋腹筋の働きは、呼吸や排便・排尿の機能を改善するようですし、骨盤の安定は、坐位・立位の安定と共に腰の強さを促します。

まとめていうと、ボイタ法の訓練は、特定の出発肢位において誘発帯を刺激し、そのまま止めておくことで、ねがえりや這い這いの時に使う筋肉のパターンを正しく誘導し、体幹を安定させ、結果として、目や口、手足などを安定して使え、呼吸や内臓の働きを改善しながら、移動に必要な体幹のねじりと四肢交互性を誘導することを行っていると言えます。従って使いやすくなった目口手足を実際に使わせる指導や環境が必要になるわけです。

付図 

 

画像出展:「子どもの姿勢運動発達」

さらにネットで調べていると、愕然とする情報を見つけました。

誤解があると良くないので、前後しますが、ボバース記念病院さまの現在の取り組みを最初にお伝えします。

『私たちが行っているのは、むしろこの論文で推奨された「目的志向型トレーニング」や「両手動作トレーニング」「家庭療育プログラム」に近いものです。

ボバース夫妻はもともと、全ての患者さんに決まった方法で治療するべきではないと主張していました。個々の患者さんの状態に応じた個別のリハビリテーションが必要で、その方法は医学や技術の進歩とともに変化していくべきだという考え方を持っていたのです。

1980年代から医療は劇的に進歩し、同じ脳性まひという病名でもその原因や症状は大きく変わっています。また、手術や薬も進歩しており、以前はなかった様々な選択肢が使えるようになりました。私たちはボバース夫妻の考え方に従い、患者さんの病状に応じて現代の医学を根拠とした個別の治療を提供しています。

ボバース記念病院は、一律の「ボバース法」をする病院ではなく、当時は革新的であったボバース夫妻の考え方を引き継ぐ病院なのです。実際に私たちは、ノバック教授をはじめとする海外の著名な研究者を日本に招き、最新の知見を学んで常に治療方法を進化させるように努力しています。

そして、問題の ”情報” は次のような内容です。

2013年にオーストラリアのノバック教授は、脳性まひに対する様々な治療法の効果を詳しく検討し、ボイタ法は「しない方がよい」、ボバース法は「するべきではない」治療であると結論づけました。この意見は世界中で支持され、今や専門家の間では常識となっています。しかし、その論文の根拠となったのは、ボバース夫妻が提唱した治療技術の一部を様々なお子さんに対して一様に「ボバース法」として行った1980年代の研究でした。

1980年代の研究とはいえ、これは凄い事実であると思い、いろいろ探してみたところ、関係する文献を見つけました。

 

クリック頂くとPDFファイル(26ページ)がロードされます。

こちらの文献は執筆者の先頭がノバック教授(IONA NOVAK)になっており、発行日(左下)は2013年6月5日です。また、「ボバース記念病院」さまのサイトに掲載されているグラフの元データと思われるグラフも含まれています。以上のことから、これが関係する文献であるのは間違いないと思います。

グラフの説明

●上段左端の矢印↕は「有効性」を表しています。破線の上が“有効”です。1番上の緑の“S+”は“Do it”です。1番下の“S-(Don’t do it)”と下から2番目の“W-(Probably don’t do it)の2つは破線の下に位置しているので、有効でないという評価になります。

●それぞれの〇(円)の中にそれが何かということが明記されています。「ボイタ」は「Vojta」になりますが、「ボバース」は「NDT」になります。このNDTとはNeuro Developmental Treatmentの略で、日本語では「神経発達学的治療法」とよばれています。『Mindsガイドラインライブラリ』という公益財団法人日本医療機能評価機構(厚生労働省委託事業)というサイトに“神経発達学的治療法(NDT)-Bobath法は有効か?(脳性麻痺リハビリテーション)”という題名の記事が出ています。

●ブログでは「Vojta」もしくは「NDT」が評価に入ってるグラフだけを掲載させて頂いていますが、「Voja」は“Improved muscle strength”と“Improved motor activities”が有効でないという評価をされており、「NDT(ボバース法)」は“Contracture(拘縮) management”、“Improved motor activities”、“Improved function & self care”の3つが有効でないとなっています。 

以下は『Canchild』というサイトの中で紹介されていた、ノバック教授(Dr. Iona Novak)の情報です。

 

クリック頂くとそのページに移動します。 

 

まとめ

1.「ボイタ法」、「ボバース法(NDT)」は、それらが発表された当時の内容については、有効性が否定されている。

2.「目的志向型トレーニング」、「両手動作トレーニング」、「家庭療育プログラム」など、進化したものがどんどん出てきている。

3.治療技術の一部を一様に適用するのではなく、患者さまの病状に応じた個別治療を行うことが求められている。