開業に向けて

 素晴らしい仲間と会社に恵まれ、充実したサラリーマン人生であるが、90歳まで生きることも不思議ではないと考え、45歳頃を過ぎて「セカンドキャリア」を意識するようになった。「では、何をする?」、これまでの歩みは自分の関心事に没頭してきた足跡なのでヒントはその中にある。サッカー歴46年(数年前より観戦のみだが)、営業歴25年(社歴は29年)、そして、介護歴は現在進行中である。これらに紐づくもので、かつ自分を真剣にさせてくれる仕事は何かと考えた。その答えが鍼灸師であった。
 学生時代サッカーで怪我をして病院に行っても、X線検査で骨に異常がなければ、お決まりのシップとモビラート(経皮消炎のステロイド製剤)をもらうだけ。この治療に正直、希望はもてなかった。鍼灸治療に賭けたかったが高額な治療費は難題だった。そして、その遠い過去の自分に思いを馳せると、「鍼灸治療でケガをしない体にできないか? このケガの悪循環を止められないか?」という、当時の ”鍼” への期待や "鍼" という未知の可能性への興味を思い出した。そして、鍼灸は自分にとってやりがいのあるものであり、チャレンジしたい仕事として腹に落ちた。

 鍼灸治療は、現代における「未病」ともいえる生活習慣病、そのリスクが高まる中高年や、腰痛や膝痛といった運動器疾患で運動することもままならず、血行も悪く体が強ばる一方の高齢者、このような人達に対しても「健康」を支援することができる。こうして、52歳の時に鍼灸専門学校に通い始めた。
 浦和に生まれ、約8割をさいたま市で過ごしたことで、「浦和で開業しよう。」という事に迷うことはあまりなかった。昔から、賑わいの大宮に隠れ、急行も止まらぬ地味な県庁所在地の浦和であったが、それでも西口は東口より活気がある。治療院は1Kマンションの6階で施術室は7.2帖という狭い空間ではあるが、さくら草通りという明るく落ち着いた雰囲気の通りに面し、西口徒歩5分は自分としては大変気に入っている。2016年3月末で閉館を迎えた県立図書館が近くにあり、39年前の大学浪人、そして鍼灸の国家試験と時々利用させて頂いた。これもなかなかのポイントである。看板は来院頂く患者さんの目印にと考えてのことだが、自信と責任を連想させる落款のようなロゴに使った水色と緑色には思い入れがある。
 ザ・バーズの曲、「ふり向くな君は美しい」と聞いて分かる人は極めて少ないだろう。これは正月に行われる高校サッカー選手権の最初に短く流れる曲である。この曲が採用されたのは1976年の第55回大会、いわゆる今の首都圏開催から始まったものである。この大会の決勝戦は5-4で浦和南高校が静岡学園に競り勝ち、全国2連覇を達成して幕を閉じたが、この浦和南と埼玉県大会決勝で戦ったのが浦和西高であった。 


 大宮公園サッカー場での雨中の試合は延長戦を経てPK合戦となった。私は3番目のキッカーであった。ぬかるんだグランド、重くなったボール、しかしキック力には自信があった。力の無いボールをサイドに狙って蹴り込むより、真ん中に強いボールを蹴り、少しでもキーパーが体重移動させれば、重く滑りやすいボールを外に弾きだすことはできないと確信し、そしてその通りに強いインパクトでインステップに当てた。ボールは1m強の高さでまっすぐに飛んで行った。が、キーパーは全く、一歩も、微動もしていなかった。ボールはきれいにやや屈めた胸にズボッと入った。勝負は7人目で決着し、我々は同校優勝なれど選手権には進めなかった。 


 話は大きく脇道にそれたが、水色とは当時の浦和西高のユニフォームの色であり、緑は水色のストッキングの上部の折り返し部分の色だった。当時のストッキングは色もデザインもシンプルで、この配色は新鮮だった。というか、「何これ?」という印象だった。全くお恥ずかしい話だが、数年前に浦和西高のスクールカラーが緑色だったというおそろしい事実を知った。

 実は水色にはこだわりたいもう一つの発見があった。治療院の名前を決めるに当たり、配嶋の漢字2文字より幹雄という名前の「幹」の1文字の方がシンプルでいいなと思い、念のため幹という漢字にどんな意味があるのかネットで検索してみた。すると、「十干十二支の十干は天干または十幹ともいい、易学上は天の気を意味している。」とのことが書かれていた。「天の気」とはまさにビンゴ!、迷うことなく治療院の名前を幹鍼灸院とし、ロゴの色に空を連想する水色と草木を連想する緑色を使うことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1967年9月開設の駒場サッカー場。ここで、駒場サッカー少年団1期生は活動していました。

「浦和市体育協会 創立30周年記念誌」より